拝啓友人へ   作:Kl

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第十話

それは春も半ばに迫ったある日のことだった。空は重い曇天が覆い、青空はどこにも見えなかった。午前中はあれほど晴れていたというのに、午後に入った途端、雲がどこからか湧き出し、すぐに青いキャンパスを灰色に染めていった。

 

――こりゃ、一雨降るかもな。

 

何時、雨が降り出してもおかしくない天気の下、傘を一応は持って来ておいてよかったと安堵する。朝の天気予報では午後から天気が崩れにわか雨がぱらつく可能性もあると言っていたため念のために持って来たものだった。家を出る時はこれでもかという快晴だったので、半信半疑で手に取ったのだが、天気予報もたまには当たるときはあるみたいだ。

 

信号待ちをしながら、曇天の空をぼんやりと視界に入れていた時だった。聞き慣れた電子音が聞こえてきた。携帯の着信音だった。

 

胸ポケットに入れていた携帯が音と振動を鳴らし、存在感を伝えてくる。

 

――一雨が来そうなこの空に、この着信音。嫌な予感がするな。

 

今までの人生を思い出すと、善くないことが起った時は大抵の場合雨が降っていた。

 

――あの日も雨だったな。

 

そう、俺の人生が変わったあの日。その日も今日のように快晴の陽気から、天気が急に崩れ雨が降ってきた。

 

急に降り出す雨の事を驟雨(しゅうう)と言う。そう、何時だって驟雨は良くないことの前触れだった。

 

――白鳩の最近の動きに神代利世。そして、二十区。

 

祈るような気持ちで通話ボタンを押した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――あぁ、そうか」

 

少しばかり、昔の事を思い出す。俺が決意を決めた時のことだ。

 

 

「――なるほど、動きがあったか。――――捜査官が墓を掘ったか――――」

 

 

そのことを胸に決めた時から分かっていた。俺自身がやろうとしていることは、どうしようもなく無謀な事だと。俺のような凡人にはどうしようも出来ない事だと。

 

そんなことは分かっていた。でも、諦めることは出来なかった。

 

「―――――今、動ける人員は?」

 

そんな俺を彼女は馬鹿だと言って笑った。そして、大馬鹿だと言って歪んだ笑みを見せていた。

 

しかし、俺は彼女一人に全てを任せておくことは出来なかった。

 

「―――――人員、――――――を―――――」

 

喰種と人間との物語。それは大抵の場合において“悲劇”しか生まない。

 

「――――――分かったなら、――――――で行こう」

 

どれだけ、ハッピーエンドを望んでも、喰種と人間の物語はバッドエンドしかない。出会ったこと、それ自体が既にもう悲劇なのだ。

 

それでも俺は足掻くしかない。終わりが決まっている物語の結末を変えようとすることほど、滑稽な物はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通話を切った時には既にポタポタと雨が降って来ていた。手に持っていた傘を差し、横断歩道を渡る。雨はすぐに勢いを強め、横断歩道を渡り切る時には既に本格的に降り注いでいた。横断歩道の向こう側、赤い傘を持つ人とすれ違う。その時だった――

 

「やぁ、こんな所で会うなんて奇遇だね」

 

声を掛けられた。赤い大きな傘をさしているため相手の顔は見えなかったが、声だけでも分かった。

 

聞き間違える筈もない声。聞き慣れた声だった。我が友人である愛支だ。

 

その声に足を止める。雨が傘を叩く音がやけに大きく聞こえた。

 

「こんな所で会うなんて奇遇だな」

 

「うふふふふふ。運命というやつかも知れないね」

 

「運命ね。この場合は違うだろうに……。偶然でも何でもなく、必然だろ」

 

冗談を込めながら薄い笑いを浮かべると、

 

「うふふふふふふ。いやいや、運命かも知れないよ。いや、運命と考えた方が面白い」

 

そう笑いながら軽くいなされた。

 

「お前は作家だからな」

 

「そう私は作家だ。だから、分かってしまう」

 

彼女の声は傘を叩く雨音をかき消すように俺の耳に残る。

 

「なるほどな……。ここにお前が来たということはつまり、そういう事か」

 

彼女がここに現れた意味は恐らくそういう事だろう。

 

「よく分かっているね、さすが先生だ」

 

「別に褒めても何もでねぇよ」

 

「うふふふふふ。別に何か欲しいわけではないよ。先生に褒められただけでも嬉しいものさ。まぁ、雑談はこれくらいにしようか――」

 

彼女の声色が変わった。

 

「――悪いけど、ここから先にキミを進ませるわけにはいかない。大人しくしておいてくれないかな?」

 

――やはり、彼女は情報を掴んでいたか。

 

きっと、今の俺の顔は何とも言えない顔になっていることだろう。

 

「優秀な部下を持っているようで羨ましいよ」

 

そう軽口を叩いてみると、

 

「いやいや、キミには負けるよ」

 

軽くいなされた。そして、彼女は続ける。

 

「――真戸呉緒。件の件で動いている白鳩の名前だ。位は上等捜査官だが、その実力は折り紙付き。特にクインケの扱いはCCGの中でも上位十人には軽く入るだろう。出世を断らなければ間違いなく特等になっていた人材だ。そんな人間の下にキミを向かわせるわけにはいかない。悪いがあの親子には死んでもらう。真戸呉緒は喰種に恨みを持っている。彼の捜査を邪魔すれば最悪逆鱗に触れ、殺さるかもしれない。別にいくら人間が死のうが私には関係ない。でも、キミは別だ」

 

彼女はここで一旦言葉を区切った。間にすれば本当に瞬きする程度の時間だった。でも、俺には分かった。彼女は逡巡していた。そして彼女は言葉を紡ぐ。

 

「――“友人”であるキミをそんな危険な場所に向かわせるわけにはいかない」

 

結局のところ、なんで彼女が逡巡したのか俺には分からなかった。そこにどんな思いがあったのか、結局のところ作家でも何でもない俺が分かるはずもなかったんだ。

 

「――心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ」

 

赤い大きな傘を差しお互いの表情は見えない。でも、付き合いの長い友人相手だ。顔を見なくてもお互いがどんな表情をしているのかくらいは簡単に分かる。

 

「――真戸呉緒は強い。そんなことは分かっている。だから、今回は心強い部下に行ってもらっている」

 

恐らく疑問の表情を浮かべているであろう友人に説明をしておく。人を食料としか思っていない喰種ならどうでもいい。でも今回は笛口親子だ。彼女たちをみすみす見殺しにすることは出来ない。ここで見殺しにするのなら“俺たち”の存在意義は無くなる。

 

――悪いが今回ばかりはキミの上を行かせて貰うよ、愛支。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

喰種捜査官真戸呉緒の実力は確かだ。彼は今まで数えきれないほどの喰種をその手で葬ってきた。そして、それは今日も同じだった。二十区で見つかった喰種を抹殺する。相手は喰種の中でも力のない方。呉緒にとっては簡単に抹殺出来る相手だった。

 

「――残念時間切れだ」

 

真戸呉緒にとって、喰種とは憎悪する存在だ。妻を喰種に殺された彼は、喰種を許しはしない。

 

――喰種は悪。

 

それが彼の哲学だった。そこに人格や、パーソナリティーが入り込むスペースはない。彼にとっては喰種とは皆等しく絶対悪なのだ。

 

辞世の句を聞くまでもないとばかりに彼は得物を振るう。彼が愛用しているクインケである「フエグチ壱」。奇しくもそれは、彼が今殺さんとしている女性の喰種の夫の赫子から作ったクインケだった。

 

――ハハハハハハ、これで終わりだ!

 

呉緒は確信していた。この一撃で目の前の喰種の首を刎ねることが出来ると。

 

笛口リョーコは、諦めている。だからこそ、簡単にその首を取れるはずだった。

 

「――なッ」

 

カンと甲高い金属音が雨音をかき分けて辺りに響いた。必殺の一撃は笛口リョーコに届くことはなかった。

 

呉緒と笛口リョーコの間に急に現れた人物によって呉緒の一撃は止められていた。

 

黒いローブを身に纏い、深くフードを被る人物。その顔には木製のお面が張り付いていた。黒い手袋に黒い靴、全てが黒で統一されていた。身長以外には何も特徴が分からない。そんな人物だった。

 

その人物の手には一振りの刀。怪しく光るその刀が呉緒の一撃を確かに受け止めていた。

 

「誰だお前は!?」

 

呉緒の後方にいた部下の亜門が声を出す。

 

「その質問に応える必要があるか?」

 

仮面にボイスチェンジャーも仕込んであるのか、その声はやけに低かった。

 

「いや、必要ないぞ」

 

その返しに答えたのは呉緒だった。

 

「貴様が何者かは知らんが邪魔をするのなら死んでもらうぞ!」

 

返事を聞くまでもなく、呉緒はクインケを振るう。彼にとってはその黒づくめの男が何者か、なんていうのはどうでもよかった。彼にとって重要なことはただ一つ。彼の喰種への復讐を邪魔した、ただそれだけの理由で、彼が得物を振るうのには十分だった。

 

「――ほう、少しはやるな」

 

しかし、二の矢も軽く防がれる。

 

――中々の使い手だ。

 

口端が上がるのを呉緒は自覚していた。

 

「笛口リョーコだな。逃げろ、ここからすぐに。コイツは俺が引き受ける」

 

そんな呉緒を意にも介していないかのように黒づくめの人物は地べたにへたり込むように座っていた笛口リョーコに声を掛けた。

 

「私がそんなことを許すとでも?」

 

「…………」

 

そんな呉緒の問いかけにローブの人影は何も言葉を発せずにただ、手にもつ日本刀を握り直すことで応えた。

 

「で、でも……」

 

いきなりのことに戸惑いを隠せない様子の笛口リョーコ。

 

「いいから行け! まだ死ぬわけにはいかないだろ、お前は!」

 

しかし、その声でハッと我に返ったのか、立ち上がり駆けだす。

 

「ほぅ……面白い。亜門くん、二人を引き連れて笛口リョーコを追ってくれ。なに、手負いだ。キミならば簡単に仕留められる」

 

その動きをうけ、呉緒は後方に控えていた部下の亜門らに声を掛けた。

 

「しかし、それでは……」

 

「コイツは強い。だから相手は私に任せてくれ」

 

「しかし、真戸さんッ!」

 

「私の実力では不満かね? 亜門くん?」

 

「そ、そう言う訳では……!」

 

「では行きたまえ、亜門くん」

 

その命令を受けて亜門は動き出す。

 

「中島さん、草場さん、行きましょう!」

 

全ては喰種を葬るために。

 

笛口リョーコを追うために亜門たちが走り抜けた後、呉緒は再び目の前の謎の人物に声を掛けた。

 

「良かったのか? 亜門くん達を素通りさせて?」

 

目の前の人物がどういう人物かは謎だが、その目的ははっきりしている。笛口リョーコを助けること、それがこの人物の狙いだろう。だからこそ、目の前の人物が、笛口リョーコを追うために駆けだした亜門たちに目もくれなかったことに驚いた。呉緒としては、亜門たちを足止めしようとしてできた隙に刺そうとしていたため、思惑が外れたことになる。

 

「あぁ、問題ない。真戸呉緒、お前の力を過小評価はしない。お前を含めた四対一で勝てると思うほど俺はうぬぼれてはいないのでな」

 

「クックック、冷静な所もあるじゃないか。面白い」

 

無駄話は終わったとばかりに呉緒はクインケを振るった。

 

降りしきる雨はその勢いをさらに強めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、その日呉緒たちが笛口親子を仕留めることはついになかった。笛口リョーコを追った亜門は目標を見失い。呉緒は謎の人物を後少しのところで取り逃がすのだった。亜門からの報告を受けた呉緒は、ただ小さく「そうか」とだけ呟いたのだった。

 

これは余談になるが、呉緒も亜門も目標を取り逃がす過程で、一般人とぶつかったり、一般人に助けを乞われたりして取り逃がしてしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

アイコントーク

 

――ねぇ、せっかく会ったんだしたまには一緒に帰ろうか。

 

お前、返事も待たずに勝手に俺の傘に入ってくるなよ……。

 

――いいじゃん、別に減るもんじゃないんだし。

 

いや、そういう問題じゃないだろ。それに、お前自分で傘持ってるじゃんか。わざわざ畳んでまで俺の傘に入る意味ないだろ。

 

――いやいや意味はあるよ。

 

……?

 

――はぁ、やっぱり先生はそういう人間なんだね。

 

何か言ったか?

 

――いーや、何にもないよ。それよりも雨に濡れちゃう!

 

お、おい急に抱き着くなよ! 濡れるのがいやなら、自分の傘を使えよ! その傘、俺と変わらんくらいの大きさだろ!

 

――うふふふふふ。こうして先生の腕に抱き着いていれば、濡れないし安心だね。

 

……はぁ。お前人の話を少しは聞こうぜ……。

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