拝啓友人へ 作:Kl
「へぇー、話では知っていたけど、ここまで人が多いとはねぇ」
普段よりも何十倍の人口密度を誇っている人の波を眺めるようにして彼女は感慨深そうにそう言った。場所は俺たちの住んでいる四区のボロアパートから十五分ほど歩いた場所にある神社。普段は参拝客何て欠片も見かけることない寂れた神社だが、今日は人が溢れんばかりに押しかけていた。境内に上がるための石段にも多くの人が見て取れる。
「まぁ、今日は元旦だしな。そりゃ、多いよ」
言葉と共に出た息は白かった。確か早朝のニュースで寒波が来ていると言っていた事を思い出す。最高気温、最低気温共に昨日よりも二度は低かったはずだ。まぁ、しかし気温が低かろうと雲一つない空から降り注ぐ陽の光のおかげで体感気温の方は随分とましだった。新年から青一面の空模様、なんとも幸先のいいスタートとなった。この調子で今年一年も何事もなく過ごして行きたいものである。
「ふーん、元旦からこんなワイワイと集まるなんて人間ってのはやっぱりよく分からないね……」
白い息を吐き出しながら彼女は言う。去年からさっぱりと身長の伸びていない彼女は見慣れた冬服に身を包み、首元には白いマフラー、頭にはニット帽、手には手袋の完全防備だった。ちなみ彼女が今しているマフラーは一昨年のクリスマスに俺からプレゼントしたもので、手袋の方は去年のクリスマスにプレゼントしたものである。気に入ってくれてるようで何よりだ。
ちなみに俺がいましているマフラーと手袋も彼女からプレゼントされたものだったりする。
「にしても、いきなりどうしたんだ? 初詣に行こうだなんて」
炬燵でのんびりとコーヒーを飲んでいる最中に、急に、「先生、初詣に行って見たい」と来たものだ。少しばかり面を食らってしまった。
「いや、色々と話には聞いていた初詣なるものが見たくなってね。それに、取材も兼ねてる」
彼女は幼さの残る顔出立ちで笑った。端正な顔をしている彼女は見た目だけならはっきり言って可愛らしい。恐らく待ちゆく人にアンケートを取ったとすれば、十人中九人は美少女と太鼓判を押してくれるだろう。恐らくこのままいけば将来的にも美人街道まっしぐらだろう。何とも今から将来が楽しみなやつである。
しかも、顔が良いというのに加えてその実頭まで良いと来ている。何といっても、今話題になっているとある小説の作者様だったりするのだ。天は二物を与えずとはよく聞く諺だが、彼女を見ているとそれは間違いだということがよく分かる。天は与える者には二物も三物も与えるようだ。出来れば何も与えられていない俺に、何かを与えてほしいものだが、ない物を強請ってもしょうがないと諦めることにする。
彼女がいう取材とは大方、今執筆中の二作目の小説のことだろう。どんな作品を書くのかは聞いていないがきっと彼女の作品がそれがどんなものでも面白い作品になるのは間違いない。何とも今から楽しみである。
「へぇー取材も兼ねてんのか……。それじゃあ実際に色々と見て回りますか」
「うん、そうだね。そう言えば境内に出店が出ているんだよね? 今日は」
「例年通りなら境内の方に数軒あったはずだ」
「へぇ、それは楽しみだ。じゃあ、行こうか先生」
彼女は一歩足を踏み出して振り返り際にそう笑うと、小さな手をこちらに差し出した。差し出された手がどういう意味か分からず頭に疑問詞をうかべている俺を見て、彼女は更に続ける。
「新年の始めだし、たまには手でも繋いで仲良く回ろうよ、先生」
――先生。
彼女は俺の事をこう呼ぶ。その理由は何となくわかる。きっと、文字や言葉の意味、人間の常識などを俺が彼女に教えているからだろう。まぁ、もっとも彼女は天才だ。既に現代文だけ切り取れば、彼女の方が先をいっている。
そんな、情けない話は置いておくが、ある事件以来彼女は俺のことをずっとそう呼んでいた。
――俺と彼女の関係は何だろうな……。
複雑怪奇に絡まり合った彼女との関係性を言葉にする適切な言葉が思いつかない。恋人とも違う、家族でもない、友人と言うべきか、もしくは恩人と言うべきか……それとも……。
「あぁ、そうだな」
そう言って小さな手を握り返す。言葉では上手く表せないが、手を繋いで歩くくらいには彼女との距離は近かった。
「愛支は何かお願いごとしないのか?」
缶コーヒーを飲みながらぼんやりと雑踏を眺める彼女にそう聞いてみる。場所はヒトの流れから少し離れた境内の隅。視界の先には神社の本堂がみえ、多くの人が賽銭を投げ込み手を合わせては去っていく光景が映る。人の雑踏で賑わう境内にて、形式通りに手と口を清め、しばらく境内をウロウロとした後、こうして人気の少ないところに落ち着いたという訳だった。
「……お願い事? 誰に?」
俺の言葉に彼女は首を小さく傾げた。
「そりゃ、神社なんだから神様に決まってんだろ。人ごみにもまれるのが嫌なら、絵馬でも書いてみたらどうだ? 二作目のヒットでも祈願してさ」
そう言って俺たちの目の前にある竹で出来た枠を顎で指す。そこには数は少ないが数枚の絵馬とおみくじが結ばれていた。大方、人混みが嫌になった連中がここに吊るしたのだろう。
「前々から疑問に思ってたんだ。人間ってのは何で神に願うんだろうと……」
「ん? そりゃどういうことだ?」
「ほら、例えばさ」
彼女はそういうと吊るされていた絵馬を一つ右手で掴む。そこには油性マジックで『志望大学に合格できますように』と力強い文字で書かれていた。
「そもそもの話だけど、試験なんていうのは勉強をすれば受かるし、お金は働いたら溜まる。一年の健康は本人が体調管理に気を使えばいいだけの話だし、それでも病気になったのならそれは防ぎようがない。叶い様がないようなことは神様だってそもそも叶えられないだろう。例えば喰種から人間になりたいとかね――それにね、先生。小説何てものはね。面白いものを書いたから売れるだけの話だよ。単純だよね? じゃあ一体何を神に願えばいいんだろうね」
「………………」
「結局思うんだ。神様に祈る、願うって言うのはつまるところ逃げなんだ。受験に失敗した、神様が悪い。お金が溜まらない、神様が悪い。病気になった神様が悪い。直接的にそう思っている人間は少ないと思うけど、こうやって往々にしてお参りに来る人間って言うのはその願いがかなわなかったときに少しでも責任を転嫁できる先が欲しいだけなんだ、言い訳が欲しいんだよ」
「ほら、トラストラムシャンディでも言うじゃん。最初の一文はひねり出して書いて、後は神に念じて書くってさ。あれもようするに出来上がった作品がもし駄作だったときに神様のせいにする予防線みたいなもんじゃん」
彼女はそう言って薄く笑うと、さらに続ける。
「それに先生。私は思うんだ。こんなくそったれな世界を作るような神様だ。きっと願いを聞いてくれたとしてもそれは飛んでもなく歪んだ形で実現されるに決まっている。だから、私は神には願わない」
――あぁ、愛支。キミは強いんだな。
心の底からそう思った。小さな目の前の少女の言葉に本気でそう思った。
彼女はそう言い終えると手にもった缶コーヒーを勢いよく飲み干した。
「さぁ、先生。取材も終わったし、今日はもう帰ろうか」
これ以上ここに居るつもりはないとばかりに彼女は軽快な足取りで歩き出す。その小さな背中に声を掛けようと口を開いた。しかし、口の間から言葉が出ることはなかった。数々の言葉が頭の中に浮かんでは消えていく。それは彼女のセリフが往々にして正しいと思ってしまったからだった。
「ほら、帰るよ先生、私たちの家に! 今日は私が先生の晩御飯作るんだから」
先ほどの会話が嘘の様に満面の笑みを浮かべて彼女は言う。その言葉に今日は愛支がご飯を作る日だったと思い出す。
――あぁ、神様。新年くらいまともなものを食わせてください。
愛支、神頼みって言うのはこういう時に使うもんだ、というセリフは言える訳がなかった。