拝啓友人へ 作:Kl
数年に一度でも更新をすればエタってないって誰から聞いたので生存報告もかねて
――ねぇ、先生。なんで、この人たちは『オメラスから歩み去った』んだろう?
それが何時だった正確な時は今ではもう覚えていないが、昔、友人にそんなことを聞かれたことがあった。
その時はまだ愛支も俺も小さくボロアパートで一緒に暮らし、そして俺がまだ愛支に簡単なことを教えていたころだった。
手に持っていた単行本を机の上に置き、愛支の方を見ればベットの上で本を呼んでいる彼女の姿。予想はしていたがその手にはアーシュラ・K・ル=グウィン作の『オメラスから歩み去る人々』が握られていた。
『キミはなぜだと思う?』
――んー、日々の満ち足りた暮らしに飽きたとか、犠牲を見て見ぬ振りが出来なくなったとかかなぁ……。先生はどうしてだと思う。
『……きっと、きっと人々は外の風景を見て、飛び立ちかったんだよ。オメラスという鳥かごを壊して、いや卵の殻を割って外に、自由な空へとね』
――んー、私まだ難しいことは分からないけど、先生にはオメラスは似合わないね。
そう言って彼女は笑った。その笑顔は屈託ない奇麗な笑みだった。
――――――いつかの日の記憶。
その日は鈍色の厚い空が頭上を覆っているには珍しく気温が高く過ごしやすい冬の日だった。特筆すべき点はない日常生活を送り、家に帰りいつも通り勝手に入ってきた友人に台所を追い出され、いつも通り部屋でコーヒーを啜り、本を読んでいた時だった。
――何作ってんだアイツ?
何時もなら夕食の一つや二つさっさと作る友人だが、今日はやたらとガサゴソと色々と作っているようだった。ただし、機嫌はいいようでところどころ鼻歌が聞こえてきた。
手持無沙汰になったため適当に本棚から取り出した本は『鏡の国のアリス』
――いつだっけか愛支の勉強用に買ったんだっけか……。懐かしいな。
何時かは昔、愛支が不思議の国のアリスを読み終わった後に買ったことがあったことを思いだす。たまには高槻泉の作品でなくてもいいだろう、とページをめくる。そうしてある冬の日、夜の帳は降りていった。
台所からは機嫌よさげなメロディーが響いていた。
友人が夕食を作り終えることには手に持っていた単行本は半分以上読み終わり、夜の帳もすっかり落ち切っていた。何をそんなに面白いのか分からないがニコニコと機嫌よく笑う友人の前でいつもと変わらない美味い飯を食べ、食器を洗い、二人でワインを飲んでいた時だった。
二人でああでもない、こうでもないと談笑をしていた時、ふと我が友人の声がやんだ。
――ん? どうしたんだ。
そう思い友人の方へと顔を向ければそこには、口を閉じて、視線をこちらへと向ける彼女。ワインを飲んでいたせいか、朱に染まった紅眼と琳のような翡翠の眼と視線が交差する。その表情は“覚悟”が決まったような、しかし大きな“戸惑い”を隠せない言葉に出来ないような顔色だった。
ねぇ、先生、と彼女は切り出す。
「ねぇ、先生。明日からなんだけど、少しばかりここに来れそうにないんだ」
その言葉を受けて彼女が何を言いたいのか理解した。伊達に長く一緒にいない、彼女の言いたいことしたいことは手に取るように分かる。
「…………」
「短くて2週間、長くて1か月、いや、もしかしたらもっと長くなるかもしれないけど、ここには来れない」
「…………」
「先生、とりあえず料理は作れるだけ作って冷蔵庫と冷凍庫に入れておいたから、温めてちゃんと食べてね」
それくらいはズボラな先生でもできるでしょう? 彼女は笑う。
――やけに作るのに時間がかかっていると思ったらそういうことか。
やたら荷物が多いとも思っていたがどうやら食事の心配をされていたらしい。これじゃあ、どっちが年上か分からないな、と思わず苦笑いがこぼれた。
「夕食を作っているには時間がかかっていると思ったが、そういうことだったか、貴重な時間を使わせてすまないな。ありがたく受け取るよ。お代は――」
「――うふふふふふふ、お代は要らないから帰ってきたら感想だけ聞かせてね」
「なんだかいつも悪いな」
「うんうん、先生の料理作るの好きだから……」
コトリ、と自らのグラスを机の上に置いた彼女は俺の目を見ながらさらに続ける。
「ねぇ、先生。昔、私が小さい時にオメラスから歩み去る人々の話をしたの覚えている?」
あの時の同じ琳のような翡翠の目が俺を見る。
「あぁ覚えているよ」
「あの時私は、この人たちはオメラスから歩み去ったんだろう? って聞いて、先生は『オメラスという鳥かごを壊して、卵の殻を割って、自由に飛び立つためだ』と言った」
昔とは違う血のような紅い紅い眼が俺を見る。
「先生、私はようやくオメラスから歩み去る準備ができたんだ。この世界という鳥かごを壊す第一歩が始まるんだ。 いっぱい死ぬ。いっぱい失う。でも、これでようやく鳥かごを、卵の殻を準備が整ったんだよ、先生」
――激怒、憤怒、憐憫、悲観、達観、憎悪。そして諦め。
昔の友人にはなかった感情をその眼に宿し、しかし昔ながらの芯を残した眼で彼女続ける。
「私はこのクソったれ世界を滅茶苦茶に直してやりたいんだ。でも、そのためには喰種も人も大勢死ぬ。多く物を失う、多く物を奪う。その決心はとっくの昔に済んでいる――」
それは答えの分かっている問題に対して何とかして別の案を出そうとするような、間違えと分かっていても、万が一の望みをかけて答えるような……。
「ねぇ、先生。昔は私は確かに『先生にはオメラスは似合わない』って言った。でも、今になって思う。先生、先生だけはオメラスの中で平和に暮らしてくれないかな」
……縋るような、祈るような、そんな言葉だった。
そんな言葉を受け、俺は――
「――悪いな、愛支。お前なら何と返すかなんて分かっていると思うが、俺も“鳥かご”の中には興味がないんだ」
きっぱりと否定の言葉を口にする。
「そっか……やっぱり先生にはオメラスは似合わない……」
彼女のその声にはどこか安堵の情が混じっていた。
「じゃあ、先生。暫く飲めないわけだし、今日は思い切り飲もう! あと、私は今日は泊まるから!」
真面目な話はこれでおしまいとんばかりに彼女はそう言っていつも通りに笑う。もともとこうなることは分かっていたのか切り替えは早かった。
「どうせ駄目って言っても泊まるんだろ?」
彼女に慌て俺も話を切り替える。忙しい彼女のことだ明日以降はこうやって騒ぐ暇もなくなるだろう。
せめて、彼女がこの家にいるとき位はそう言った愁いを取り除いてやりたいと思う。
「その通り! それじゃ先生明日以降の私たちの健康を祈って!」
ワインを片手に騒ぐ友人を見て密に思う
ただ愛支。キミの唯一の間違いは俺がオメラスに似合わないんじゃない。
俺にとってのオメラスは――
――キミがキミらしくいられる場だ。だから、俺はもうオメラス(理想卿)にいるんだよ。
宴会は朝まで続いた。曇天は晴れず星は見えなかった。
おまけ アイコントーク
――それじゃあ、そろそろ行ってくるね。
あぁ、いってらっしゃい。
――ちゃんとご飯は食べてね、先生。
温めるくらいは俺でもできるし、料理を教えてのは俺だろ? 少しは安心して
――でも、先生研究に没頭して飲まず食わずでよく倒れるし……
昔の話だ。今は大丈夫だよ。
――後、先生に言っても無駄だと思うけど、危ないことにはいかないでね。それと、外出するときは服は“私の”を着て後、昨日持ってきたコートも着て行ってね。コートも“私の”だから!
……(俺は子供か何かだろうか)
――一それじゃあ、私は行くね。
愛支……。仕事終わったらいつでも帰ってきていいからな。
――……
それと体壊すなよ……。
――…………うん。それじゃあ行ってきます。
行ってらっしゃい。
加筆するかもしれません