拝啓友人へ 作:Kl
――トントン。
四区にあるボロアパートの一室にまな板を叩く軽快な音が響く。破格の安さと引き換えに立地最悪で、見た目はパッと見廃墟と見間違えそうになる位のボロアパートが我が家なのだが、部屋の中は頑張って荒隠しをしたためそれなりに見られる見た目になっていた。特に台所は力を入れて掃除をしているため、そこらの一般家庭並みの見た目になっている。
――外見はお化け屋敷だけど、中身はそれなりね。
とは、我が親友の言葉である。
――さて、と。後は切り出しをすればOKだな。とりあえず、今日は刺身で半身食べて、残りは明日にでも煮つけにするか。
そんな我が家の台所で、俺は魚を捌いていた。特に人様に誇れるような特技も趣味だってない俺だが、こと料理に関しては人並みにできる。それは、長年一人暮らしをしてきた恩恵でもある。まぁ、一人ぐらしをしていれば、誰しもが人並み程度には出来るようになるので威張って言えないことでもあるが……。人間というものは面倒な物で、何かを食べないと生きていけないのだ。
普段はあまり魚を捌いて食べる何て機会はないのだが、先日我が友人に食生活について痛い所を突かれ、さらに料理の腕前も教えた俺よりも上手くなりつつあるソイツに、少しだけ思う所があったため本日はいつもより手の込んだ夕食を作ることにした。
――うん、この油ののりで、この大きさ、そしてこの値段。これはいい買い物をしたな。
商店街の魚屋で買ってきたものなのだが、値段の割に油ものっていて、身も大きい。これはいい買い物をしたと、嬉しくなる。
いつもよりも軽快な動きで魚の切り出しを行っていた時だった。
――トントン。
表から階段を上る足音が聞こえたと思ったら、
――ガチャリ。
突然、鍵が開く音が部屋に響き、
――キィ。
錆び付いた様な音を立てて扉が開かれた。
「ん? なんだ今日は帰るの早かったんだね」
そして何の躊躇も戸惑いも無く部屋に入って来た犯人は、玄関のすぐ横にある台所で魚を捌いていた俺を見るなり、そう言うのだった。癖のある腰まで伸びた翡翠色の長髪に、同じくヒスイ色の瞳。もはや言うまでもないと思うが、我が親友の愛支だ。手にはビニール袋が一つ提げられていた。
「お前、せめて初めにノックをするくらいしろよ」
いきなりやってきた友人に少しばかり呆れた口調でそう言うと、
「ん? 何で?」
首を傾げられた。
「何でってそりゃ、あれだ」
「どのみちキミがいてもいなくても部屋には入るんだ。キミがいなければノックは無駄に終わるし、キミがいてもキミがカギを開けに来る手間が省けていいじゃない?」
――何を言っているの?
そう言って一笑された。
「何を言っているの、は俺のセリフだ。プライバシーという言葉を知っているか?」
今日みたいに料理をしている最中なら問題ないが、もしもコトをしている最中ならどうする。友人であり、さらに年下の妹のような存在の愛支に見られた日には俺は自害する自信がある。
「プライバシー……もちろん知っているよ。私は作家、高槻泉だよ。馬鹿にしているの?」
「馬鹿にしているのは完全にお前の方だろ」
思わず頭を抱えたくなった。
そんな俺の反応を見て何か勘付いたのか、彼女はいつも通り口端を上げ、楽し気に笑う。
「あぁ、なるほどそういう事ね……。いいじゃないか別に減るもんじゃないし。私は見ても全く気にしないよ。それに、見られることに興奮を覚えるという人間もいるじゃないか。意外とくせになるかもだよ」
何だか乙女としてはどうかと思うセリフを何の恥ずかしげもないように言い放つ友人。何だか風邪もひいていないと言うのに頭が痛くなってきた。
「お前が気にしなくても、俺がするの! はぁ、まったく……。こりゃ強請られるままに合いカギを渡したのは間違いだったか……」
――とは、思ったものの、コイツなら……。
ため息とともに小さく漏れたその言葉に、
「ほう、なら今度は鍵を開けずに扉をぶち破ってこようか……」
そう楽し気に笑うのだった。
――あぁ、やっぱりお前ならそうするのな。
どうやら彼女には諦めて帰るという概念はないようだ。
カギだけは絶対に変えないようにしよう。扉を壊されたらかなわん。
「はぁ。まぁ、とりあえず、上がれよ。そして、これからは鍵を開ける前にノックしてくれ」
「うん、善処しよう」
それ、絶対にしないパターンだよな。
軽く彼女はそう言うと靴を脱ぎ、それを玄関の端に並べた。こういう礼儀はちゃんとしているのに、何でノックはしないんだろうか……。
「まぁ、キミの寝室を訪ねる時は必ずノックするから、大丈夫だよ――どーせ、ナニするのも寝室なんだろ? ベッドの下という古典的な隠し場所はやめたほうがいいと思うよ」
――なっ、何でそれを。
男なら誰しもが持っているであろう秘蔵のコレクションの場所を当てられて動揺をしている俺を尻目に
「うふふふ」
彼女はそう楽しように笑うのだった。
ある意味妹のように思っていた友人にこんなことを言われた今の俺の顔は、きっと難しい表情をしてるはずだ。鏡を見なくてもそれはよく分かった。
「それよりも、だ。今日は一応みられるものを作るつもりなんだね」
「あぁ、一応な、帰りに市場によったらいい魚が売ってたもんでな」
「そーか、そーか。今日も夕食を作るつもりだったが、先を越されたね」
「いつもいつも作って貰ってばかりじゃ悪いからな、たまには自分で作るさ」
「そうか……。まぁ、とりあえず冷蔵庫借りるよ」
「あぁ、いいぞ。また何か持って来てくれたのか?」
「――あぁ、いい“ワイン”が手に入ったから、おすそ分けにね」
彼女はそう言うとそのままの足取りで台所の隅に置いてる冷蔵庫を開けると、手に提げていたビニール袋の中身を中にいれた。どうやら彼女が持ってきたものは“ワイン”のようだ。
「ワインって、“どっち”だ?」
「どっちってそりゃ“両方”だよ。たまには一緒に呑もうじゃないか。良ものだよどちらのワインも……それと、キミ用にさらに上ものの日本酒も持ってきたよ」
「そうだな。今日は飲むか。まぁとりあえずもうすぐ夕食出来るからそれまでのんびりしててくれ、お湯はケトルに湧いているからコーヒーでも飲みながらな」
友人の誘いに頷く。うん、今日の先ほどの会話を忘れるには酒の力を借りた方がいい。
――はぁ、にしても新しい隠し場所どうするかなぁ。
魚の身を切り出しながらそんなことを考えていた俺の内心を他所に我が友人は
「うん、そうさせて貰おう」
と食器棚に置いてあった赤色の専用のマグカップを取り出し、
「それにしても、キミはまた“それ”で料理しているのか……」
と少し諦め気味にそう言った。
「よく切れるんだよ、これ。俺が持ってる包丁よりも何倍もな」
俺が今、魚を捌くのに使っているのは包丁ではない。刃渡り十五センチほどのナイフを使って捌いている。護身用という名目で我が友人からもらったものの一本であるそれは、俺が出歩く時に必ず持ち歩いている物であり、料理の際に使っているものである。
その切れ味は凄まじく、大抵のものは一刀両断できる品物だ。力加減を間違えるとまな板まですっぱりと切ってしまう。何度か料理している内に慣れたが以前はよくまな板までぱっくりと切ってダメにしたものだ。
ちなみに彼女から貰ったものはそれ以外にも色々とある。ナイフのようにかわいいものならいいのだが、日本刀もどきをプレゼントされた時は反応に困った。彼女曰く護身用らしいが、持ち運ぶにも目立ってしょうがない。もしも、そのまま持ち歩こうものならすぐに職質され、銃刀法違反でしょっぴかれること間違いなしである。だから、殆どの場合、その日本刀もどきは鞘に入れられ部屋の隅にて物干しざお代わりになっている。今も、ほら今日の朝洗った物が掛かっている。
全く使わずに胸ポケットにしまっているだけよりは、料理にでも使った方がコイツも喜ぶだろ、と暢気に言うと。
「はぁ……全くキミという人間は……」
そうため息をつかれてしまった。
「包丁よりも何倍も切れる……? そりゃそうだろさ、値段も質も包丁とは比べ物にならんよ」
そりゃそうだ。俺の安物の包丁じゃここまでの切れ味絶対に出せないもんな。刃物の価値は切れ味でも決まると言うし、やっぱり結構な価値なのだろうか……。
「ちなみに、もしも買ったらどれくらいの値段になるんだ?」
何気なくそう聞くと、
「うーん、そうだな……。正確な値段は分からんが、もしそのナイフを売るとすれば、間違いなく新車は買えるな」
スパン。
――あっ。
思ってもいなかった言葉を告げられたため、力加減を間違えた。魚の身と一緒にまな板の半分がすっぱりと斬れてしまった。
――このナイフで車が買えるのか……。と言うことは、このアパートなら何年暮らせるんだ、これ一本で!?
「えーっと、それ本当か?」
「勿論だとも、それにキミに嘘をついたところで分かるだろうに……」
「じゃあ、もしかして、部屋の隅にあるあれも結構な値段が……?」
「あぁ、物干し竿代わりにタオルが干してあるやつか……。ったく、“私の”を包丁代わりに使ったり、物干し竿代わりに使ったり、本当にキミは自由だな。そうだな、あれなら都内に家一軒立つんじゃないか?」
――あっ。
ガタンと鈍い音が響いた。
――まな板買い直さないと……。
綺麗に切れたまな板を見つめながら、今度からはもう少し大事に使おうと、静かに心に決めるのだった。