第一話 始まりの音
「あー、暇ねー」
床にしいた毛布の上に寝転がり、パソコンとにらめっこしながらため息交じりに呟く。
サターニャ。みんなからそう呼ばれている赤毛の女の子。
マウスを無意味に動かしながら、だらしなくポテチを頬張る。
これじゃまるでガブリールみたいじゃない……とは思うが、ヴィーネもラフィエルも忙しいみたいだ。ガブリールはそばにいてもかまってくれない、つまらない。ゲームの邪魔をしてやろうと思ったが、何回か悪戯を繰り返したところで家を追い出されてしまった。ガブリールは呆れるくらいにマジ切れだった。
ぽりっ……ぽりっ……。空しく部屋に響く乾いたポテチの音。
「……そうだ」
何かこの退屈な気を紛らわそうと模索した結果、とりあえず動画サイトを開いてみることにした。サターニャは前に一度このサイトを利用していて、その楽しさを理解していた。
動画を見たら、それに関連する動画を見る……の繰り返し。気づいたら一日を無駄に過ごしてしまうという罠にはまってしまって以来、開くことはなかった。
しかし今日は別だ。とくに何か用があるわけでもないし、誰もかまってくれないから仕方がない。
「くすっ」
部屋にサターニャの笑い声が響く。
「ぽりっ……」
渇いた音が続く。
数時間後。
サターニャは音楽を漁ることにした。特に何かを思い出したわけでもなく、ただなんとなくだ。
最近の流行ものから、昔の曲に至るまで。
「もっとこうどかんとした曲を聴きたいわね……」
ポップソングを聴いてから、今度はもっと派手でロックな曲を聴きたくなったので、続けて漁ることに。
別に今までロックな曲を聴いてきたわけでも、お気に入りのアーティストがいるわけでもない。というより音楽に関心のなかったサターニャなので、とりあえず「ロック」と検索をかけてみた。
ずらっと出てくる中でとある動画を選んだ。サムネが少し怖かったけど、大悪魔という自覚があるのであえてそんな動画を選んだのだ。
マウスをカチッと押して、動画が開かれる。
そして同時に、画面の向こうの彼らが奏でる音楽もそばのスピーカーから流れだした。
「……」
その瞬間、サターニャは震えた。震えの原因は恐怖や寒さといったものではなかった。
その曲が鳴りやむまでの間、サターニャはもはや釘づけだった。何袋目かのポテチを食べるのもやめ、ただただ動画を見て、音楽を聴いていた。
「……これは」
こんなにかっこいいものがあったなんて……!、とサターニャは胸をドキドキさせた。
「これはじっとしちゃいられないわ!」
早速サターニャは家を飛び出し、とある場所へと走り出した。
悪魔らしく靴のかかとを踏んづけ、今にも脱げそうだ。適当にかついできたカバンには財布と教科書などが入っていた。学校に持っていっているカバンをそのままかついできたせいで、今必要のない教科書が重荷になって無駄に体力を奪う。
今ここで教科書を全て捨ててもいいのだが、それは第一級悪魔行為すぎるのでやめておいた。
「はぁっ……はぁっ……!」
時刻は夕方。
オレンジ色の光が照らすこの街を、サターニャはひたすら走った。六月初めの気温は高め。頬を汗の雫が伝い、そして地面へと落ちていく。
年頃の女の子が休日の夕方に全力で走る姿が珍しいのか、行き交う人々がたまにちらほら見てくるが気にしなかった。
「……はぁっ……確かここら辺に……」
駅前までやって来ると、サターニャは歩きながらぐるりと周辺を見回した。
「あった!」
記憶を頼りに歩き続け、ついに見つけたのだった。
(こう考えてみると、CDショップに来るのなんて初めてね)
サターニャはとりあえずお目当てのCDをバスケットに入れてから、なんとなくヘッドホンやイヤホンが並ぶコーナーへと向かった。「ロック」という言葉がふさわしい音楽が鳴り響く店内は、どこかサターニャにとっては別世界のように感じた。
(せっかくだからヘッドホンも買っちゃおうかしら)
何人かすでに試聴している中に混じって、一つのヘッドホンを手に取った。
その後サターニャは十分ほど財布と相談した結果、ヘッドホンもバスケットに入れるとレジへと向かった。
その夜。
サターニャは決意した。
「……決めたわ」
宵闇の中で強く存在を示す月の、鮮やかな光が射し込む部屋。
何の変哲もない部屋でも、そんな一筋の光一つで幻想的な景色に様変わりだ。ぼーっとしていれば思わず目がとろーんとしてしまうほど。
しかしサターニャの目は冴えに冴えまくっていた。
目に映る景色は確かに幻想じみた光景だが、しかしヘッドホンを通じて耳、頭に響くロックのおかげで神経が興奮していた。
まるでコーヒーをがぶ飲みした日の夜の様に。
ショップで買ったCDの曲を、パソコンを通じて携帯に入れたおかげでいちいちCDプレイヤーやパソコンの中の音楽プレイヤーを使うことなく音楽が聴ける。なのでトイレの時もお風呂につかる時もご飯の時も皿洗いの時も歯磨きの時も、ロックでその耳を塞いでいた。
「……決めたわよ」
たった四分程度の時間で心を動かしたロックというものに、サターニャは惚れまくっていた。今も胸のドキドキが止まらなくて仕方がなかった。
だから決めたのだ。その大好きなロックという音楽を用いて、自身のカリスマ性とロックの素晴らしさを人類に伝える……いや……洗脳していこうと。
「バンドをやりたい……いや、やるのよ!!」
翌日。
「じゃがじゃーがじゃじゃがーじゃーがじゃーがーん」
ギター、ベースのリフに合わせてサターニャも声という楽器を使いリフを奏でた。
学校の登校途中にも関わらず、人目も気にせず音楽に合わせて身体を揺らす赤い髪の女の子は変人そのものだ。
ギターのブレイクの瞬間に飛んでみたり、フレーズに合わせてエアギターをしてみたり、もうヘッドホンを用いて自分だけの世界に浸っていたのだ。
周りは彼女に近づかないように徹底する中、一人だけ面白いものを見つけたかのような笑顔で近づいてくる女子がいた。
「サターニャさん」
後ろから声をかけて呼び止めようとするも、サターニャの耳には届かなかった。
だから彼女は悪戯心全開でサターニャの肩を思いっきり揺らす。
「ああああああああああああ!!」
突然の揺れと肩の感触に動揺と叫び声を抑えられるわけもなく、サターニャという大悪魔は公然の場で情けない姿を晒してしまう。
「ら、ラフィエル!」
ヘッドホンを首にかけると、サターニャは彼女、ラフィエルから一歩距離を取る。
(嫌な予感しかしないわね……)
そんなサターニャの一歩を埋める様に歩を進めたラフィエルは、
「そんな露骨に拒絶しないでください。私だって傷つくんですよ」
言葉とは裏腹に満面の笑みの彼女。
(本当何考えてるか分かんないわね……)
「分かりませんか?」
「心の声を読まないでよ!」
「さぁて、何のことでしょうか?」
「もぉー!」
「というか、サターニャさんの表情でバレバレですよ」
「……そんな、まさか……」
なおも笑顔を崩さない様子のラフィエルは、サターニャの首にかかるヘッドホンを見ながら言った。
「ところで、サターニャさんは何を聴いていたのですか?」
ラフィエルのその言葉にさっきまでの臆病はどこへやら、待ってましたと言わんばかりの気取った態度を作ると、
「ロックよ!」
勢いよく言い放った。
「ロックですか?」
「そうよ! ロックよ! ロックンロール!」
その言葉にラフィエルは「まぁ」と満面の笑顔で言うと、
「実にサターニャさんらしいですね」
と言葉を続けた。
「私らしい!?」
サターニャは一度嬉しそうに声を上げると、「ふんっ、当たり前じゃない。私を誰だと思っているの?」と誇らしげに言った。
「そう……存在自体がロックなこの私は、大悪魔胡桃沢=サタニキア=マクドウェルよ!」
「名前は知っていますよ」
そんなラフィエルの言葉を尻目に、サターニャは何かを思いついたように「あ!」と手を叩く。
「あんたも聴いてみなさいよ。きっと感動するに違いないわ。それに天使にロックを聴かせるなんて、実に悪魔的じゃない?」
「せっかくなのですが、遠慮しておきます」
「えっ、どうしてよ?」
「私はロックというのは苦手でして」
その言葉に信じられないというような表情を浮かべると。
「せっかく私が言ってるんだから聴いてみなさいよ! かっこいいから!」
ヘッドホンを無理やりラフィエルに装着させようとするが、ラフィエルは思った以上の抵抗を見せる。
「サターニャさん、やめてください」
笑顔のまま言うラフィエル。
(ラフィエルのやつ……そんなにロックが嫌いなの?)
抵抗にも挫けず無理やり装着させようとする。
「そろそろやめてください」
そんな押し問答が三十秒ほど。
「ふん、全く」
一向に抵抗を続けるラフィエルの様子に飽きたので、これ以上は強要するのはやめておいた。
「もういいわ。せっかくCD貸してあげようと思ったのに」
教室に着くや否や、サターニャはいつものメンバーに向かって開口一番言い放った。
「バンドをやりましょう!!」
ガブリール、ヴィーネ、ラフィエルの三人は唐突な誘いに首を傾げるしかなかった。
「一体急にどうしたのよサターニャ……」
「どうしたも何も、気づいただけよ。ロックのかっこよさに!」
そう言ってサターニャは昨日見たアーティストの動画を開くと、それを皆に見せた。
狂気的な雰囲気を纏ったMV。
一通り見たヴィーネは「ちょっと怖いわね……」と言葉を漏らした。
「あなた悪魔でしょ。その程度で怖気づいてどうするのよ」
「んで、それを見てサターニャもやりたくなったと」
ガブリールの言葉にサターニャは大きく頷くと。
「だからバンドをやりたいの!!」
サターニャは再び大きく宣言した。
「全くサターニャは……」
ヴィーネが呆れる様に言う。
「嫌だ」
ガブリールは興味のなさそうに答え、ラフィエルも「ごめんなさい」と断った。
「なんでよ!?」
まさか全員からそんな反応が来るとは思わなかった。
ぐぬぬと不満な態度を露わにするサターニャ。
「どうしてよ! せめて理由を聞かせてちょうだい」
その言葉にガブリールはあくびをしながら答えた。
「だって興味ないし。めんどくさい。嫌だ、だるい。一人でやってろ」
冷たすぎる言葉に目じりに軽く涙を浮かばせながら「そこまで言わなくてもいいでしょ!」とサターニャは反論した。
「私はロックが苦手なので、せっかくのお誘いありがたいのですがごめんなさい」
ラフィエルの言葉を聞いた後、今度はヴィーネを見た。
「そんな期待の籠った瞳で見られても困るんだけどサターニャ……」
「ヴィネット! あなた悪魔でしょ! だったらロックでこの世界の人類を洗脳させようじゃないの!」
「ロックは別にそういうことじゃないと思うんだけど」
「もぉー! なんで皆分かってくれないのー!」
ロックという、あんなにもかっこよくて胸躍らす素晴らしい音楽を理解できない彼女らが信じられなかった。
「まったく……バンドっていうのは思っている以上に大変なものなのよ」
その言葉にサターニャは反応する。
「ヴィネット、あなたバンドやったことあるわけ?」
目を真ん丸にして聞いた。
「ないわよ。ていうか、考えなくても分かるでしょう」
「……だって」
「それにサターニャは楽器を持ってるの? 経験者なの?」
「持ってもないしやったこともないわよ……」
ヴィーネはため息を吐きながら言葉を続けた。
「経験者でもない人に誘われても、よし、やってみようってならないのよ。説得力がないのよ。もしサターニャが楽器を何か弾けるのなら話は別だったけど」
「ぐぬぬ……」
「それに楽器は高いし、難しいし、人を巻き込むのならやっぱりもっと何か説得力を持たないと」
「それはそうだけど……」
ヴィーネの言葉に怯むが、サターニャは言葉を返した。
「やる気は人一倍あるわ!!」
「まぁ、そのやる気は認めるけど」
ヴィーネはそんなサターニャを見ると、何かを思いついたように「あっ」と声を上げた。
「ねぇサターニャ」
「何よ」
「あなた一度軽音部に行ってみたらどう? そこなら経験者がいっぱいいると思うし話も聞けるじゃない」
その言葉にサターニャもうんうんと頷く。
「それに軽音部に入れば自然とバンドも組めるかもしれないわよ。まぁ……よく分からないけど」
軽音部、つまりバンドをやる部活。ということはロックが出来る場所。そんな考えが脳内を埋め尽くした。
「そうね!!」
サターニャは先ほどの元気を取り戻すと、満面の笑みを浮かべた。
「ヴィネット、あなたやるじゃない! 流石悪魔ね」
ガブリールはそんなサターニャに向けて一言言い放った。
「ていうかバンドやるならまず軽音部を思いつくだろ」
授業中にも関わらず音楽を聴くという行為に走ったサターニャは無事に廊下に立たされた。
そして昼休みを迎えると、サターニャは不適な笑顔を浮かべ教室の天井を仰いだ。
「なっはっはー! 今日はデビルズデイよ!」
普通じゃないサターニャの様子にクラス中が好奇の視線を向ける。
「お前また何か企んでるだろ」
ガブリールが呆れる様に言う。
「よく分かったわねガブリール。流石は我がライバルと言ったところね」
学校の昼休みには放送委員が仕事をする。放送委員は学校の予定とか、必要なことを学校中の生徒に昼休みを使って伝えるのだ。そしてその仕事を終えると、リクエストした曲を流してくれる。
そのことを知っていたサターニャは、早速放送委員に一番のお気に入りの曲が入ったCDを押し付けた。
(放送委員という学校の犬を使い、学校中の生徒をロック好きにしてしまおうという洗脳計画……ふんっ、実に悪魔的行為ね)
サターニャはギロリと怪しく瞳を輝かせると言い放った。
「今に見てなさいガブリール。もうすぐでこの学校は私の城になるわ。洗脳計画はもう始まっているのよ!」
「お前、まさか何か流す気か」
「そうよ、私のお気に入りの一曲をね」
ガブリールは相変わらずの呆れたような瞳で言い返す。
「学校中の生徒がお前と同じ価値観を持つと思うなよな」
歌詞が強烈な洋楽ロックを流したサターニャは、その後英語の先生に軽く叱られた。
けれど反省なんかしない。してたまるものかと、悪魔らしく抵抗しまくった。
「……ついにきたわね」
そして待ちに待った放課後。サターニャは早速軽音楽部の部室へと向かった。恐らく知り合いは一人もいないだろう。だからといって怖気づく必要などない。何故なら大悪魔だから。
校舎の窓から夕暮れ空の光が射し込んでくる。それが儚げな放課後を演出する。
それぞれ部活動に勤しむ生徒たちの声が響いて、そしてその中に紛れて聞こえてくるのがギターやベース、ドラムの音。それを聴くだけでもうわくわくしていた。
「ここね」
部室の前までやってくると、サターニャは一呼吸置いてから部室のドアに手をかけた。