「こっちこっち〜!」
曜に手を引かれ、俺は賑やかな夜の通りを歩いていた。
祭りの空気は湿度と熱気を帯びていて、どこか甘い感じがする。
射的、金魚すくい、綿菓子、チョコバナナ……まさに夏祭りの王道だ。
「ほら、あそこ見て! 金魚すくい、やってみたい!」
「おう、じゃあ行くか」
近くの屋台からは、炭の焼ける音と香ばしい匂いが漂ってくる。
そうこうしているうちに、聞き覚えのある声が俺を呼んだ。
「おおっ、ぼっちゃんじゃねぇか!」
振り向くと、焼き鳥の屋台の後ろに立っていたのは、漁師の宮内さんだった。
相変わらず日に焼けた肌と大きな笑い声が印象的だ。
「やっぱり黒澤のぼっちゃんは顔が違うねぇ! 立派になったもんだ!」
「宮内さん、そういうのやめてくださいって。もう“ぼっちゃん”って歳でもないんで」
「ははっ、口じゃそう言っても、背中はしっかり“ぼっちゃん”してるぜ?」
そのやり取りを見ていた曜が、くすっと笑った。
「ふふっ、やっぱり“ぼっちゃん”って呼ばれてるんだ。昔と変わらないね、瑠璃くん」
「勘弁してくれよ……」
顔をしかめながらも、曜が楽しそうならそれでいいかと思えてしまう。
次の屋台でも、その次でも、「ぼっちゃん」「ぼっちゃん」と連呼されて、曜はそのたびに楽しそうに笑った。
完全にネタにされている……。
「にしても、ぼっちゃんが連れてるのは……あらま、美人さんだこと」
「……うるせーよ。はい、お金」
「あざっした〜!!」
焼きとうもろこしを受け取り、曜に一本渡す。
美人ね……まあ、確かに今日の曜は美人だ。
いつもの元気さは出ているが、浴衣のせいか印象がずいぶん違う。
曜は美味しそうにとうもろこしを食べる。
口についたタレを、自分の指で拭い、ぺろっと舐める。
その姿に、少しドキッとした。
「……って、何でドキドキしてるんだ、俺…」
「ん? なんか言った?」
「何でもない」
そうして屋台巡りを終える頃には、曜の手には焼きそば、リンゴ飴、ヨーヨー、紙袋……完全に夏祭りフルコース状態。
「……なあ曜」
「ん?」
「重くないか、それ。持つよ」
「ううん、大丈夫。瑠璃くんもいろいろ持ってるでしょ? ほら、この焼き鳥なんて3本あるし!」
「それは宮内さんが押し付けてきたんだろ……」
「ふふ、でもありがとう」
その笑顔に、言葉が詰まる。
美人……いや、訂正しよう。
曜は“可愛い”だな。浴衣効果もあるけど、それだけじゃない。
俺が言葉に詰まっていると、曜が「きゃっ」と小さく声を上げてよろけた。
咄嗟に反射的に腕を伸ばすと、曜の体が俺の腕の中にすっぽりと収まる。
どうやら誰かとぶつかったらしい。
「危な……大丈夫か?」
「う、うん! 大丈夫、大丈夫!」
曜はバツの悪そうな笑顔を浮かべながらも、すぐに体勢を立て直す。
足元を駆けていった小学生が、こちらに手を振って「すみませ〜ん」と叫びながら人混みに消えていった。
祭りの人波はまだまだ多い。
今度こそ怪我でもされたら洒落にならない。
俺は曜が持っていたヨーヨーやら景品をひょいと奪い取り、空いた手を差し出す。
「怪我したら困るから、手掴んどけ」
「っ……うん!!」
一瞬きょとんとした曜だったが、次の瞬間には目を輝かせて俺の腕をしっかり掴んできた。
手じゃなくて、腕なのね……しかもがっつり。
「えへへ」
「ははは…なんだ?」
「えへへへ」
「ははは、だからなんだよ…?」
「えへへへへ」
「はははは…はぁ、好きにしろ」
苦笑しながらため息をつく。
けど、どこか心が温かくなる。
……このやり取り、前にもどこかでやった気がする。
その後も俺と曜は祭りを楽しみ、帰路に着く。
空気は熱を残しつつも、心地よく肌を撫でるくらいには冷えていた。
自転車を走らせながら、後ろにいる曜の様子をちらっと見る。
浴衣姿の曜は、どこか祭りの余韻に浸っているようで、少しだけ夢見心地な顔をしていた。
「送ってくれてありがと、瑠璃くん」
「別に。いつものことだ」
自転車のカゴには曜の荷物と、途中で買ったリンゴ飴の袋も入っている。
曜の余韻に浸る顔を見て、祭りを一緒に回ってよかったと感じた。
「……ねえ、瑠璃くん」
「ん?」
「今日、一緒に祭りまわってくれてありがと。すごく楽しかった」
「そりゃよかった」
二人乗りの自転車。
ハンドルを握る俺の背中に、曜の手がそっと触れている。
すると、唐突に。
「……ねえ、瑠璃くん」
「ん?」
「好きな人とか、いる?」
まさかそんなことを聞かれるとは思わなかった。
俺の手が一瞬だけペダルから滑りかけたけど、なんとかごまかす。
「また、唐突だな」
「いや〜、祭りでカップル多かったからさ〜…ちょっと当てられちゃった」
「そっか…」
まあ、気持ちはわからなくもない。
確かにカップルは多かったもんな…。
「いないよ。それに今は部活に集中したいんだ。恋愛とかあんまり得意じゃないしな」
できるだけ軽く、笑い混じりに答える。
「そっか……」
曜の声が、ほんの少しだけ静かになったような気がした。
「曜はどうなんだよ。いるのか? 好きな人」
「え!? 私!?」
戸惑う曜が面白くて、話を続ける。
「俺だけ答えるのは理不尽だろ?」
「え〜……まぁ、そうだけどさ……」
曜は落ち着くために息を吐く。
背後で少しの沈黙があったあと、小さな声で。
「……いるよ」
ちょっと驚いて、俺は思わず口元が緩んだ。
「どんなやつなんだ? そいつ」
曜は俺の背中に額を預けるようにして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「努力家で……すごく頼りになって、優しくて……ちょっとだけ泣き虫な人、かな。本人には気づかれてないと思うけど」
その言葉を聞いた瞬間、胸のあたりがざわざわした。
理由はわからないが、なんだか落ち着かない。
「……そっか。いいやつなんだな。応援するよ」
俺がそう言うと、曜は小さく笑って、ぽつりと呟いた。
「ほんと……鈍感」
「ん? なんか言ったか?」
「ううん、なんでもない!」
曜はごまかすように笑った。その笑顔がなんだか少しだけ、切なく見えた。
《みかんが痛み始める夏》
『――えっ、ルーくんと一緒に回るの?』
昼間、曜ちゃんにそう言われたとき。
胸の奥が、ぎゅっとした。
『うん! 久しぶりのお祭りだし、なんか誘ったらOKしてくれた!』
そう笑う曜ちゃんは、いつも通りの曜ちゃんだった。
だから私は、「そっか〜! 楽しんできてね!」って、明るく言った。
それが親友としての、精一杯だった。
前回、ルーくんとデートに行ったときに、私の気持ちを曜ちゃんに伝えるって決めたのに……私は、伝えられずにいる。
そして――
「……曜ちゃん、いるね」
梨子ちゃんと通りを歩いていて、焼きとうもろこしの屋台の前で、ふと足が止まった。
赤い提灯の灯りの下で、曜ちゃんが笑ってた。
その隣には、ルーくんもいる。
いつもよりおしゃれな浴衣姿の曜ちゃんが、ルーくんに焼きとうもろこしを差し出して、ふたりで何か話してる。
ルーくんはちょっと困った顔で笑ってて――
その顔が、ずるいくらいに優しかった。
「……ほんとに、行ったんだね。一緒に」
「千歌ちゃん……」
梨子ちゃんが、私の表情をうかがうように声をかけてくる。
「うん、知ってた。曜ちゃんが、ルーくん誘ったって。でも……実際見ると、やっぱり少しだけ……」
苦笑しようとして、うまくいかなかった。
胸の中に沈んでいくのは、言葉にならないものばかり。
「……ルーくん、楽しそうだね」
「うん。そうだね」
「曜ちゃんも……可愛い」
そう口に出した瞬間、自分の中の嫌な感情が渦巻いている。
「声、かけないの?」
梨子ちゃんの問いに、私は首を横に振った。
「やめとく。あのふたり、今すっごく楽しそうだから。……邪魔したくない」
親友として、言えることはそれだけだった。
「……わたしさ、ほんとはすごく、ずるい人間なんだと思う」
「……千歌ちゃん?」
「ふたりが一緒にいるのを、見たくなかったくせに、ちゃんと見て、ちゃんと嫉妬して……なのに、何もしようとしない。全部見て見ぬふりして……優しいふりして、傷つくのは自分だけって思ってる。……ずるいよね、すごく」
梨子ちゃんは何も言わなかった。
ただ、そっと手を握ってくれた。
「ありがと、梨子ちゃん。……わたし、もう少しだけ、がんばってみる」
笑ったつもりだったけど、目元が少し熱かった。
「ほら、あっちにかき氷の屋台あるよ! 青いやつで舌を真っ青にしよ! なんか悔しいから!」
「ふふ、それで悔しさ晴らすんだ?」
「うん! 今夜だけは、青い舌で勝負!」
梨子ちゃんと笑って歩き出す。
けど、胸の奥にまだ、焼きとうもろこしの匂いと、ふたりの笑い声が残っていた。
それが、ちょっとだけ――夏の痛み。