黒澤家の長男です。   作:カイザウルス

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後書きにて、新キャラのプロフィールのってます!


第26話

夕暮れのプール。

その情景は、今でも鮮明に思い出せる。

水面を裂く音、コースロープの揺れる規則的なリズム、微かに塩素の匂いが鼻をかすめる。

あの時の空は、茜色で、少しだけ寂しげだった気がする。

俺がまだ小学生だった頃、地元のスイミングスクールに通っていた。

夏休みの合宿、いつもの顔ぶれが揃う中で、彼は突然、視界に現れた。

ひときわ背の高い、白髪で褐色肌、小学生にしては大人びた雰囲気を纏った男子。

その少年が、黙々と、驚くほど静かに、でも圧倒的なスピードで泳いでいく。

周囲のざわめきが、少しずつ止んでいった。

誰もが、彼の泳ぎに見とれていた。

 

「……すごい」

 

気がつけば、そんな言葉が口をついて出ていた。

 

「和也くん、かっこいいよね!」

 

近くに座っていた曜が、嬉しそうに頷く。

俺も、自然と頷いていた。

その時、コーチがぽつりと教えてくれた。

 

「あれは沢白和也くん。うちのスクールで一番速い子だよ」

 

名前を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。

“沢白和也”。

その名前が、胸の内に静かに、でもしっかりと刻まれた。

あの日から、スイミングスクールに通う理由が少しだけ変わった。

ただ泳ぐのが楽しいだけじゃない。

あの人みたいに――少しでも近づきたい。

そう思った。

泳ぎを目で追い、フォームを真似て、ターンの仕方を盗んだ。

追いかけることが、いつの間にか目標になっていた。

自分でも気づかないうちに、あの人は俺の「憧れ」になっていた。

 

――そして、今。

 

「お前だったか!なんか、でっかくなったなぁ〜!」

 

間違いない、沢白和也だ。

 

「……なんで、和也がここに……?」

 

思わず漏れた問いかけに、和也は肩をすくめて笑った。

 

「んー、まぁ色々だ。話したいこと、山ほどあるぜ?」

 

どこか飄々としていて、でも懐かしさが滲むその調子。

まるであの頃のまま――いや、少しだけ大人びた雰囲気も混じっている。

 

「え? 親の転勤で海外に引っ越したんじゃ……」

 

かつてスクールを辞めた理由を尋ねたら、和也はすらっと答えた。

 

「親が離婚してな! 今は、父方の婆ちゃん家にいるんだよ」

 

あっけらかんと笑いながら言うけど、その裏にどれだけのことがあったのか。

軽く笑い飛ばす分だけ、逆に何を言えばいいかわからなかった。

 

「そんなことより…水泳、続けてたんだな。嬉しいよ」

 

和也がふと目を細めて、遠くを見るような仕草をした。

まるで過去のどこかを、今も見つめているかのような眼差しだった。

その言葉に、胸の奥がわずかに熱くなる。

 

「和也は?水泳、続けてるんだろ?」

 

そう訊ねた俺の言葉に、和也は一瞬だけ黙り込み、それから苦笑いを浮かべた。

 

「ん〜……まぁな」

 

煮え切らない返事。

かつての勢いは感じられない。何かが引っかかってるような、そんな雰囲気だった。

その時――

 

「ウッソ…和也くん?」

 

後ろから聞き覚えのある声がした。

振り向けば、海の家から曜が顔を覗かせていた。

 

「ん?お〜!曜か? 久々だな〜!」

 

曜も、和也を見て驚いている。

いや、当然だ。

俺たちは、同じスイミングスクールで過ごしていたのだから。

曜は海の家での片付けをテキパキと終わらせると、俺たちのいる席へとすぐに戻ってきた。

その頃には、水泳部のみんなもそれぞれ家路につき、あたりは少しずつ静かになっていた。

潮風が心地よく、海辺には潮の匂いがほんのりと漂っていた。

 

「いや〜、にしても可愛くなったな〜曜」

 

和也が軽く茶化すように言うと、曜は笑いながら肩をすくめた。

 

「はははは! 和也くんも、あの頃と全然変わらないね!」

「曜の中身は昔のままだよ、和也。明るくて、うるさくて」

 

俺がそう付け加えると、曜がわざとらしくむくれて見せる。

 

「ちょっと、瑠璃くん!」

 

アイスの溶けかけたスプーンをつまみながら、昔話に花が咲く。

スクールの合宿の話、初めて和也に勝負を挑んだ日の話、コーチに怒られた話。

笑いながら、時々、ほんの少し切ない思い出を挟みながら。

そして、外がだんだんオレンジ色に染まり、

波がきらめきながら打ち寄せる頃、和也がふと、視線を俺の方に向けた。

 

「瑠璃、インターハイ出るんだろ? 新聞で見たよ」

 

その声は、穏やかだけど、どこか真剣だった。

 

「ありがと。全国制覇が夢だからな。まずは、一歩前進ってとこ」

 

言葉にすると、少しだけ実感が湧く。

夢だったインターハイに、俺はようやく手をかけたところなんだ。

 

「……なぁ瑠璃」

 

和也が、少し間を置いて、俺の目を見た。

 

「今から俺と泳がないか?」

 

その言葉は、風に乗って静かに届いたのに、

なぜか、心の中で大きく波紋を広げた。

曜が驚いたように俺を見る。

俺は、答えを出しかねて、ほんの少し息を飲んだ。

和也の目は真剣だった。

そこには、昔のままの「速さ」への想いと、

もう一つ、何か言葉にできないものが宿っていた。

 

 

1124戦1124敗。

それが、俺と和也の成績表だ。

数字にするとただの記録だが、その一つ一つのレースには、それぞれが熱く、時には苦く、思い出が詰まっている。

俺は一度も、和也に勝てたことがない。

最初の頃は、それがすごく悔しくて、認めたくなくて、嫌だった。

だけど、不思議なことに、負けるたびに俺の中の気持ちは少しずつ変わっていった。

知らず知らずのうちに憧れていた。

同時に、「負けたくない」という強い意志も生まれていた。

 

和也の泳ぎは、まさに性格そのものだった。

荒々しくて、どこか豪快で、力強いストローク。

その肺活量は化け物のようで、長く、深く、水中を駆け抜ける姿は、見る者を圧倒した。

白い髪が水面を揺らすたび、まるで伝説の白鯨が海を支配しているかのような、神々しい威厳を感じさせた。

そんな記憶の残像が消えぬまま、場所を移して、かつて所属していたスイミングスクールへと足を運ぶ。

和也がスタッフに軽く頭を下げ、プール使用の許可を取る。

俺も横で黙ってうなずき、ロッカールームへ。

 

「いや〜、コーチたちも元気そうだったな!」

「俺は久々な感じしないけどね」

 

肩をぐるりと回しながら笑う和也は、あの頃のまま、いや、それ以上に眩しかった。

改めて見ると、彼の体はまさに競泳選手そのものだ。

無駄のない筋肉、引き締まった胴体、そして褐色の肌に白い髪が鮮やかに映える。

 

「先行ってるぞ」

「うん…すぐ行く」

 

俺はロッカーに手をかけたまま、深く息をつく。

久々の和也とのレースだ。

心臓が静かに、でも確かに高鳴っている。

勝てるのか? いや——勝つ。

手にしていた自販機のスポーツドリンクを一気に飲み干し、残った炭酸の刺激で頭をシャキッとさせる。

 

「今日こそ勝つ……!」

 

静かに自分に言い聞かせたつもりだったのに、その言葉は空気を震わせていた。

 

「……楽しみだ」

 

和也が、背を向けたままぽつりと呟いた。

その声は小さいけれど、真っ直ぐだった。

あの頃のように、いや、それ以上に重みがある。

俺たちは並んでプールサイドへと歩き出す。

扉を抜けると、冷えた空気と共に、見慣れた青い水面が目の前に広がっていた。

そしてその向こう。

客席に、見慣れた顔ぶれがずらりと並んでいた。

思わず、溜め息が漏れる。

 

「曜が来るのはわかるけど……なんでお前らまでいるんだよ!?」

 

そこには、まさかのAqours全員の姿があった。

もうすぐ日も沈むというのに、どこからどう見てもやる気満々なテンションで――。

 

「ルーくんファイト〜!」

「お兄ちゃ〜ん!」

「瑠璃〜! 頑張るのよ〜っ!」

 

千歌、ルビィ、ダイヤ…次々と声援を飛ばしてくる。

いや、ありがたい。

ありがたいんだけど。

俺は苦笑いしながら、隣の曜をちらりと睨む。

無言の「お前だな?」というオーラを全力でぶつけてみせる。

曜は肩をすくめ、気まずそうに笑いながら、視線を逸らす。

その視線の先を追うと…金髪が揺れていた。

 

「…鞠莉姉かよ」

 

察しはついていた。

どうせ「面白そうだから♪」みたいなノリで情報をばらまいたんだろう。

俺はそのまま鞠莉姉に視線を定め、遠慮なく不満オーラをぶつける。

すると鞠莉姉は、

 

「てへぺろっ☆」

 

突然、舌を出してウィンクを飛ばしてきた。

何だそれ、可愛いアイドルかよ。

いや、実際スクールアイドルだわ。

思わずツッコミを飲み込んで、肩から力が抜ける。

これ以上構ってたら、せっかく整えたリズムが崩れる。

俺は小さく息を吐き直して、黙ってストレッチに移った。

その隣で、和也がぽつりと口を開く。

 

「スクールアイドル、Aqoursか……みんな可愛いじゃないか」

「ん? ん〜……まぁ、否定はしないけどな」

「うちの近所にもさ、スクールアイドルやってる姉妹がいるんだよ。確か……Saint Snowって名前だったかな?」

「へぇ……曜に聞いたら何か知ってるかもな」

 

互いに少し笑って、会話が途切れる。

次の瞬間には、もう俺たちは完全にスイッチを切り替えていた。

黙ってゴーグルを装着し、肩をぐるりと回す。

筋肉に張りが走り、神経が一点に集中していく。

 

「いつでもいいよ」

 

そう言うと、和也はリラックスした笑みを浮かべたまま曜に声をかけた。

 

「よっしゃ、曜!合図、頼めるか?」

「うん! 了解!」

 

曜が客席から降りてきて、プールサイドに立つ。

その姿を見て、なぜか少し背筋が伸びる。

そして、和也が静かに口を開いた。

 

「うっし……やるか」

 

その瞬間だった。

 

「――っ!?」

 

空気が一変した。

肌に刺さるような緊張感。

背筋に電流が走る。

和也の口調は相変わらずなのに、まるで全身から野生の気配が立ち上ってくる。

昔、何度も何度も感じたあの威圧感。

勝負師としての本能が目を覚ます瞬間。

冗談や世間話をしていた男は、もうそこにはいない。

白鯨が、海に帰ってきた――そんな錯覚すら覚えた。

俺は小さくゴクリと喉を鳴らす。

けれど、もう逃げるわけにはいかない。

勝ちたい。

今日こそは、勝つ。

和也と肩を並べ、スタート台の前に立つ。

静寂の中、曜が腕を上げる。

 

「位置について……よーい――」

 

曜の張った声が、プール全体に響く。

 

「……どん!」

 

スターターの合図が鳴り響き、俺と和也は同時に蹴った。

重力が消える。

音が消える。

世界にあるのは、水の冷たさと、自分の鼓動だけ。

蹴り出し、ストリームライン――

手を伸ばし、ストロークへ移行する一瞬の無駄も削ぎ落とす。

 

前半、俺は飛ばした。

最初から勝負をかける。

呼吸も最小限。

水の抵抗を切り裂き、ひたすら前へ。

横を見ると、和也がいた…並んでる。

いや、わずかに先を行っている。

 

そのフォームは荒々しく、それでいて圧倒的に洗練されている。

体をひねるたび、白い髪が水を弾き、鯨の尾のように力強くしなった。

 

「……くそっ!」

 

ターン、壁を蹴る。

水中の静寂、肺が悲鳴を上げても、止めない。

あと半分、追いつける――追い越せる――

 

残り25メートル。

 

腕がちぎれそうだ。

心臓が、喉までせり上がってくる。

でも、止まれない。

 

横目に和也を見る。

その顔はよく見えなかったが、ゴールが見えた。

 

「――っ、はっ……!」

 

手を伸ばす。あと一掻き。あと、少し――!

指先が壁に触れた瞬間、全身の力が抜けた。

ゴーグル越しに見上げ曜を見る。

 

「和也くんの…勝ち」

 

言葉にすると、喉の奥が熱くなる。

1125戦目。

またしても俺は、勝てなかった。

クッソ……。

悔しさが、身体の芯から込み上げてくる。

 

プールから上がり、濡れた足を引きずりながら、俺は和也の前へと歩いた。

 

「……すげぇよ、和也、さすがだな」

 

素直な気持ちだった。

手を伸ばし、握手を求める。

でも、その手に握り返されることはなかった。

 

「……え?」

 

目の前にいるのは、和也。

だけど、その目には光がなかった。

 

「なんだよ、それ。今の泳ぎ……」

 

低く、冷えた声。

氷の塊みたいに、喉の奥に刺さる。

 

「はぁ〜……ガッカリだよ」

「は…はぁ?」

 

冗談じゃない。

そう言いそうになった俺の言葉を遮るように、和也は続ける。

 

「俺を楽しませてくれるって、ちょっとは期待してたのにさ。瑠璃、結局お前も、無理だったか」

 

目も合わせず、タオルを肩にかけて、そっぽを向く。

え……なに?どういうことだよ、それ……。

 

「俺さ、海外でもそこそこやれててさ。大会に出れば優勝、次も優勝……気づけば、周りの奴らが挑んでこなくなった」

 

淡々と語るその背中が、どこか遠い。

 

「気づけば、レースの相手は“自分自身”だけ。最初はそれでも良かったけどさ、もう疲れたんだよ。勝つために泳いでるわけじゃない。俺は、“戦いたい”んだよ。心の底からさ」

 

その声に、怒りも悲しみも感じない。

ただ、空っぽな音がした。

 

「……もういいわ。帰る」

「え?ちょっ――」

 

俺が慌ててその腕を掴むと、和也がようやく振り返る。

でもその目は、やっぱりどこか違った。

 

「……それじゃあ、一生俺に勝てねぇよ」

 

その一言が、腹に沈んだ。

グサリと深く、刃物みたいに。

 

「なっ……」

「もっと強いと思ってた。あの日の、お前なら――って」

 

その言葉が、胸にのしかかる。

 

「俺が言うのも何だけどさ……お前、最初の気持ち、どこに置いてきたんだよ?」

 

最初の気持ち。

あの、夏の日。

あの、白い背中を追いかけた日。

ただ、和也のように泳ぎたくて――

 

「今のお前からは、それが全然感じなかったよ」

 

肩を振りほどかれ、和也は背を向けて歩いていった。

残された俺は、拳を握ったまま、動けなかった。

胸が痛かった。

悔しかった。

何より――

 

“和也に、見限られた”

 

その現実が、何よりも堪えた。




沢白 和也(さわしろ かずや)
函館聖泉男子学園高等学校3年
183cm
部活 水泳部
種目 自由形(フリー) 個人メドレー
趣味 雑誌鑑賞(アニメ・グラビアなど)
特技 料理
好きな物 雪
嫌いな物 諦める人
容姿 短髪に真っ白な髪で褐色肌の好青年。
いつも笑顔を絶やさなかったが、現在は目が鋭く、あまり笑わなくなった。
性格 昔は面倒見がよく、冗談をよく言うが優しい性格だった。しかし、大会で優勝するに連れ、徐々に優しさが失って行った。
面倒見がいいのは今でもあまり変わらない。


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