黒澤家の長男です。   作:カイザウルス

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※Aqoursちゃん殆ど出ません!
後書きにてご連絡あり!


第30話

 

扇風機の風が、カーテンをふわりと揺らす。

部屋の窓は半開き、外ではまだセミが名残惜しそうに鳴いている。

日が落ちても気温はあまり下がらず、少しだけ汗ばんだTシャツの背中を、背もたれに預ける。

 

夕飯は終わった、風呂も入って、今はベッドに腰を下ろしながら、スマホを片手にぼーっと天井を見ている。

 

時計の針は、もうすぐ午後9時を指そうとしていた。

 

何をするでもなく、けれど退屈でもない。

ただ今日の出来事を、ゆっくりと振り返っている。

 

千歌に会った帰り道。

他愛のないやり取りの中で、なんだか気持ちが少し軽くなった気がした。

 

「……変わった、か」

 

千歌の言葉がふと蘇る。

 

“最近の瑠璃くん、ちょっと変わった気がする。前はもっと、ピリピリしてた”

 

そう言って笑ったあの顔が、なぜか頭から離れない。

 

そういえば――。

ふと、思い出してスマホを手に取った。

明日の取材のこと。

ちょっとだけ、誰かに話しておきたくなった。

 

「曜、今大丈夫か…いや、別に電話じゃなくていいか」

 

そう呟きながら、メッセージを打つ。

 

『明日、地元の新聞のインタビュー受けることになった』

 

送信ボタンを押して、スマホを伏せる。

たいした内容じゃない。

返事が来なくても別に構わない。

ただ、なんとなく知らせておきたかっただけ。

 

数分も経たないうちに、スマホがブルッと震えた。

 

「……ん?」

 

画面を見ると「曜」の名前。今度はメッセージじゃない。

電話だ。

 

「……はい、もしもし?」

 

受話器に耳をあてた瞬間、聞き慣れた声が飛び込んできた。

 

『渡辺新聞社の渡辺曜でありますっ! 本日は取材のお時間、ありがとうございます!』

「……は?」

 

あまりに勢いよく始まったもんだから、一瞬、何が起きてるのかわからなかった。

それでも曜のテンションは一向に落ちる気配がない。

 

『さっそくですが黒澤選手、本日のコンディションはいかがですか!?取材は緊張してますか!?それとも、緊張しないタイプですか!?』

「いや、何やってんだよお前……」

『いいから!いいから!さぁ続けて!黒澤選手、まずは今大会への意気込みをお願いします!』

「いや、だからなんでお前が取材してんだよ……」

 

笑いながらも、なんとなく流れに乗ってしまっている自分がいる。

まぁ、こういうのも悪くない。

 

「……コンディションは、いいと思います」

『おおー、さすが! さすが毎日泳いでるだけある! では続いて、インターハイ直前ということで、緊張の具合は?』

「慣れてないから……やっぱ、緊張はしますね」

『その緊張にどう立ち向かいますか!?』

「……んー、泳ぐこと、ですかね」

 

曜の即興取材は止まらない。

まるで本当にマイクを突きつけてくるかのような勢いで、どんどん質問が飛んでくる。

 

『ではズバリ、目標は!?目指すは……?』

「――決勝、ですかね」

 

少しだけ間を置いて、そう答えた。

言った瞬間、胸の奥が熱くなる。

決勝――口にするのは簡単だけど、それだけの覚悟が要る言葉だ。

 

電話の向こうで、曜がしばらく黙った。

 

『……うん。瑠璃くんなら、いけるよ。絶対』

 

その声は、ふざけた口調でもなく、取材のフリでもなくて。

まっすぐで、優しかった。

 

「……ありがと」

 

素直にそう言えた自分が、ちょっとだけ不思議だった。

 

『じゃあ最後に! 応援してくれる人たちへ、一言どうぞ!』

「マジで最後だな?」

『もちろん! 渡辺新聞社は時間厳守だから!』

「……見てくれてる人が、少しでも何かを感じてくれたら、それだけで十分です」

『おおお~~! いいコメント出ましたー!! ありがとうございましたー!!』

 

拍手の効果音みたいな声を出してくる曜に、思わず噴き出しそうになる。

でも、そこから妙な沈黙。

ちょっと間を置いてから、曜がわざとらしく咳払いをした。

 

『では……渡辺新聞社から、追加の特別質問! これはですね、視聴者からのリクエストなんですが~……』

「いや、視聴者いないだろ」

『細かいことはいいの! では、いきます!』

 

一拍置いて、妙に真面目な声で曜が言った。

 

『今、気になる人は……いますか?』

「……は?」

 

瞬間的に言葉が詰まった。

 

「お、お前、なに言ってんの……」

『いや~、スポーツ選手は恋愛も注目される時代ですから! “注目の水泳男子”ってことで!』

「……お前が言うと、悪質な記者みたいだな」

『ははっ、否定しないってことは……?』

「だから、そういうのはさ、記者じゃなくて――」

 

そこで言葉を止めた。

 

『……?』

「いや、なんでもない。そういうのは、本物の記者に聞かれても答えないってだけだよ」

 

その一言に、電話の向こうで曜がぴたりと黙る。

 

『……え?』

「……何、黙ってんだよ」

『いや……ちょっとガチな答え返ってくると思ってなかったから。びっくりしただけ』

「お前が振った話だろ」

『うん、ごめん。なんか……』

 

思いがけず真面目なトーンで返されたことに、俺も少し間を置いた。

あの曜が、珍しく返事をしない。

変なこと言ったか、と少しだけ不安になるが、

曜はそこで少しだけ笑った。

 

『それ言えるの、瑠璃くんっぽいなって思った』

「……そうかよ」

『うん、瑠璃くんらしい。そういうの、かっこいいと思うよ!真面目で、まっすぐで、ちょっとめんどくさくて』

「なんだその最後の一個」

『愛情表現です!』

「どこに愛があるんだよ……」

 

言いながら、思わず額を押さえる。

電話の向こう、曜が笑いながら言った。

 

『てことで、今日の取材ごっこはここまで! ご協力ありがとうございました〜!』

「はいはい。お疲れ様でした、渡辺記者」

『あ、最後に一言だけ。』

『もし、気になる人ができたら…教えてね?』

「はいはい、それじゃおやすみ」

『おやすみ〜♪』

 

ピッ、と通話が切れる。

耳元に残った曜の声が、しばらく消えなかった。

スマホをベッドの横に置いて、天井を見上げる。

気になる人――いない、はずなのに。

胸の奥が、どうしてか静かに疼いた。

 

「……まったく」

 

そうつぶやいて、目を閉じた。

夜の静けさが、やけに深く感じられた。

胸の奥には、まだほんのりと、曜の声の余韻が残っている。

そのまま、まぶたを閉じて、ゆっくりと眠りに落ちた。

 

 

──そして翌朝。

空気の澄んだ早朝、俺はすでにランニングを終えて帰宅していた。

汗をぬぐいながら、いつものように洗面所へ向かう。

顔を洗ってから風呂に入ろうと、シャツを脱いで洗濯カゴに放り込む。

 

そのときだった。

 

……ガチャッと、洗面所の扉が音を立てて開いた。

不意に振り返ると、そこにはパジャマ姿のルビィが立っていた。

 

髪はぼさぼさで、まだ眠気の抜けきらない顔。

目をこすりながら、少しぼんやりした声で言う。

 

「……お兄ちゃん、おはよ〜」

「……おはよう、ルビィ。珍しく早いな」

 

上半身裸のまま、俺はそう返した。

ルビィはチラッととこちらを見て、まぶたをこすりながら

 

「あれ……お兄ちゃん、もう走ってきたの?」

 

とあくび混じりに言う。

 

「うん。さっき戻ったとこ。顔洗って、風呂入ろうと思ってた」

「そっかぁ……ふぁぁ……」

 

ルビィはあくびをひとつすると、そのまま洗面台の前にちょこんと立った。

 

「先、使う?」

 

そう聞くと、ルビィは小さく首を振る。

 

「だいじょうぶ……顔だけ洗うから。お兄ちゃん、髪、タオルちゃんとしてね」

「はいはい、わかってます」

 

くすりと笑って、俺は後ろに下がる。

朝の光が、洗面所の小さな窓から差し込む。

こういう何気ないやりとりが、妙に落ち着く。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

風呂から上がり、濡れた髪をタオルで拭きながら、自室へ戻ろうとしたその時だった。

 

廊下の角を曲がったところで、前からパジャマ姿のダイヤと鉢合わせる。

 

「…あれ?ダイヤも早いな」

 

思わず口をついて出た言葉に、ダイヤは軽く目をこすりながら、欠伸まじりに答える。

 

「今日は、Aqoursみんなで東京に行ってきますの」

「東京? またどうして?」

「実は……」

 

足を止めたまま、ダイヤは少し真面目な顔になる。

 

「Aqoursとして、私たちはラブライブで結果を出せています。でも――それでも、浦の星女学院の入学希望者は、いまだに0なのです」

「……そうなのか」

 

その言葉を聞いた瞬間、ふと、千歌のことを思い出す。

ーーそういえば、千歌がスクールアイドルを始めたのって……浦女の廃校を止めたかったからだったな。

あの頃の千歌の真っ直ぐな目を、断片的に思い出す。

 

「これは、ラブライブ伝説のグループ……μ’sの足跡に似ているのです。あのグループは、スクールアイドルとして活動しながら、最終的には廃校を阻止しました。Aqoursと何が違ったのか、μ’sがどうして人の心を動かすことができたのか……その“理由”を確かめたいっと千歌さんから連絡がありましたの」

 

そう言って、ダイヤはふぅっと息をついた。

眠気の残る瞳の奥には、確かな意志が灯っていた。

昨日の千歌……あんなに楽しそうだったのに気づかなかった。

あいつも、悩んでたんだ。

 

「……そっか」

 

俺はぽつりと返すと、タオルを肩にかけ直した。

思えば、どこかで“順風満帆”だと勝手に思い込んでたのかもしれない。

予選を突破して、盛り上がって、進んでるように見えた。

でもその裏で、ちゃんと現実を見て、壁にぶつかってたんだ――。

 

 

「……行ってらっしゃい。気をつけてな」

「ええ。あなたも、今日取材なのでしょ? 頑張ってくださいましね」

 

ダイヤはそう言って、小さく微笑んだ。

 

「……なんで知ってんだよ」

 

思わず眉をひそめて、嫌そうに返す。

するとダイヤは、口元に手を添えながらふふっと笑った。

 

「昨日の夜、あなたの部屋から聞こえてきましたわよ?曜さんと、“取材ごっこ”、していましたわね」

「っ……!」

 

ニヤリといたずらっぽく笑うダイヤに、俺は一瞬言葉を失った。

 

「……聞こえてたのかよ」

「ええ。ちょうど廊下を通ったときに、ね」

 

肩をすくめるようにしてそう言うと、ダイヤはくすりと笑った。

 

「まさか“渡辺新聞社”だなんて……ふふ、お可愛らしいこと」

「やめろ、マジで……」

 

耳がじんわり熱くなるのがわかる。

俺はタオルで無理やり頭を拭きながら、早足でその場を離れようとした。

 

背中越しに、ダイヤの上品な笑い声が、ほんの少しだけ長く尾を引いた。

ダイヤとのやり取りを終えたあと、俺は制服に着替えて、学校へと向かった。

 

プールに着いてからは、軽く体を動かすだけのつもりだったが、水に入ると自然と集中してしまう。

ターンの角度、キックのリズム、浮き上がりのフォーム、ひとつひとつを確かめるように泳ぎ、気づけば予定していた時間を少し過ぎていた。

プールから上がってシャワーを浴びた後、ロッカーの上に置いていた荷物を手に取り、昨日監督から渡された紙を取り出す。

 

書かれている住所は、駅前のビジネスホテルだった。

学校からそこまで遠くないが、昼過ぎには着いていないといけない。

 

「……そろそろ、行くか」

 

スマホで時刻を確認しながら、校門を出た。

日差しは強いが、風は海の匂いが混ざってきていた。

そんな中、自転車にまたがりながらふと空を見上げる。

今頃、Aqoursは東京か……。

 

千歌たちのことを思い出す。

昨日の様子からはそんな素振りは見えなかったが、やっぱりあいつらも悩んでるんだろう。

浦女の未来、グループとしての立ち位置、μ’sとの違い……考えることは、きっとたくさんある。

俺も……頑張らねぇとな。

 

自転車のペダルを踏み込んで、ホテルへと向かう。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

ホテルに到着すると、ロビーには静かな空気が流れていた。小さなテーブルと椅子が並び、観葉植物がいくつか置かれている。冷房の風が汗をひかせ、軽く背筋が伸びる。

 

受付で名前を告げると、スタッフらしき人が一人、小さな会議室まで案内してくれた。

 

扉を開けると、すでに機材を準備している取材スタッフが2人。

テーブルの向かいには、落ち着いた雰囲気の女性記者が一人、ペンとノートを手に待っていた。

 

「ああ、黒澤瑠璃くんだね。今日はよろしくお願いします」

「……よろしくお願いします」

 

静かに頭を下げて、席に着く。

会議室の空調の音だけが、微かに耳に残る。

テーブルの上には録音機とノート。

壁際にはカメラマンらしき人が控えている。

俺は椅子に腰を下ろし、出されたペットボトルの水に目を落とした。

 

「暑い中、来てくれてありがとうね」

 

対面に座るのは、地元新聞社の女性記者だった。

長めの髪をまとめたスーツ姿で、柔らかい笑みを浮かべている。年齢は……たぶん20代後半くらいだろうか。

 

「いえ、こちらこそ。今日はよろしくお願いします」

 

猫をかぶった声で、俺も丁寧に頭を下げる。

 

記者はくすっと笑ってから、ペンを手に取った。

 

「黒澤くんって、写真だともう少し“怖そう”って印象だったけど、実際会うと……思ったより柔らかい雰囲気だね」

 

「……よく言われます」

「ふふ、そうなんだ。あ、でも、身長は思ってたより高い。何センチだっけ?」

「……178です」

「へえ、スタイルいいねえ。水泳やってる人って、やっぱり背が高いイメージあるなあ。姿勢も綺麗だし」

「……ありがとうございます」

 

なんとなく恥ずかしくて、視線を逸らしながら答える。

記者はその反応が面白かったのか、口元を緩めたままメモを取り始めた。

 

「じゃあ……そろそろ、取材本番いこうか。緊張してる?」

「……まぁ、ちょっとだけ」

「大丈夫。そんなガチガチじゃなくていいから。雑談混じりに、楽しく話しましょ」

 

彼女のその言葉に、ほんの少しだけ、肩の力が抜けた気がした。

 

テーブルに置いた手が少しだけ汗ばんでるのに気づく。

目の前には、整ったスーツ姿の女性記者。

録音機のランプが赤く点灯した。

 

「それでは、よろしくお願いしますね」

 

丁寧に頭を下げられて、俺も反射的に礼を返す。

よそ行きの声と顔――俗に言う“猫をかぶる”ってやつだ。

まあ、よそ様に失礼があっちゃいけないし。

 

「黒澤瑠璃くん、2年生で自由形が専門。インターハイは今回が初出場、で合ってるかな?」

「はい。そうです」

 

記者は、手元のメモに何かを書き込んでから、顔を上げた。

 

「じゃあ、まずは肩慣らしに。今のコンディション、どう?」

 

「……悪くないです。タイムも安定してますし、身体のキレも悪くないです」

 

「なるほど。じゃあ、インターハイへの目標は?」

「決勝に進むこと…が第一目標です。でも、ベストを出すのが何よりだと思ってます」

 

当たり障りのない返し。

でも、それで十分なはずだ。

 

「じゃあ技術的な話も少しだけ。黒澤くんの強みって、どこにあると思う?」

「……ターンの安定感と、終盤の粘りです。後半で落ちにくいフォームを意識しているので」

「なるほど。動画で見た限り、確かに後半でグッと伸びる感じがあった。じゃあ逆に、課題は?」

「スタートの反応ですね。どうしても一瞬の判断に迷いが出るので」

 

一つ一つの質問が的確で、ちゃんと泳ぎを見てくれてるのがわかる。

だからこそ、自然と真面目なモードになる。

 

「黒澤くん、普段はどんな音楽聴いてるの?」

 

ふいに、少し柔らかい質問が入った。

ふむ…本当のことだし、宣伝臭くなるがいいだろう。

 

「……最近は、スクールアイドルの曲ですね」

「スクールアイドル?ちょっと意外」

「姉妹校の“浦の星女学院”にいるグループで。Aqoursっていうんですけど、友達がやってるんです」

「へえ、すてき。テンション上がる曲が多いもんね、アイドルって」

「そうですね。聴いてると……自然と前向きになれるというか」

 

これくらいなら問題ないだろう。

勝手に名前使ったが、まぁいいだろう。

 

「じゃあ、ちょっと踏み込んで聞いてもいい?」

 

記者が一拍置いて、湯呑みに視線を落としたまま、ゆっくりと問いかけてきた。

 

「黒澤くんにとって、“水泳”って、何?」

 

その言葉が、静かに落ちてくる。

一瞬、時間が止まったような感覚になる。

気の利いた言葉なんて、すぐには浮かばない。

 

「……」

 

視線を少し落として、手の中の紙コップを見つめた。中の水は、もうぬるくなっている。

けれど、その揺れがなぜか、自分の心の中を映しているような気がした。

 

水泳――。

 

小さい頃、ただ水が好きだった。

泳ぐことが楽しくて、親父に連れられて通ったスイミングスクールで、水の中にいるだけで幸せだった。

 

けれど、いつの間にか「楽しい」だけじゃなくなっていた。

勝ち負けがついて、期待されて、競わされて、追いかけて――気づけば、どこに向かってるのかも分からなくなった時期があった。

 

誰のために泳いでるんだろう。

何のために、こんなに苦しい思いをしてるんだろう。

 

けど最近、やっとわかってきた気がする。

 

心の奥からふと湧いてくる言葉があった。

 

「……自分を、確かめるもの、ですかね」

 

ぽつりと答えると、記者が顔を上げた。

 

「確かめる、っていうのは?」

 

「速くなったり、負けたり……そういう結果だけじゃなくて。今日、自分はちゃんと泳げるのか、昨日よりちょっとでも進んでるのか。そういう、小さなことで……自分がどう在るか、確かめられる気がして」

 

そこまで話してから、少しだけ恥ずかしくなる。

正直、こんな話を誰かにするのは初めてだった。

 

でも、記者は何も言わずに、静かにうなずいていた。

目元には、どこか優しい笑みが浮かんでいる。

 

「……ありがとう。そういう言葉、聞けると嬉しいの」

 

俺は少しだけ姿勢を正し、息を吐いた。

 

記者はまだ、何か言いたそうだったけど、すぐには次の言葉を出さなかった。

その静けさが、かえって心地よかった。

 

記者は、手帳に何かをさらりと書き込みながら、ふと笑った。

 

「……じゃあ、もう一つだけ。将来の話、聞いてもいい?」

 

その言葉に、少しだけ身構える。

昨日の監督の言葉を、ふと思い出していた。

 

――将来、どうなりたい?

 

「やっぱり、水泳選手かな?」

 

記者の声は柔らかい。それでいて、こちらの心の奥に手を伸ばしてくるような真っ直ぐさがあった。

一拍、間があいて。

 

「……まだ、分からないです」

 

そう答えた自分の声が、やけに静かに聞こえた。

 

「今は、目の前のことしか見えてないから。将来のこと、ちゃんと考えられてる自信は、まだなくて」

 

記者は「そうなんだ」と小さく頷いて、それ以上は深く突っ込まなかった。

その優しさに、少し救われた気がした。

 

「じゃあ――最後の質問ね」

 

記者が姿勢を少し正した。

 

「インターハイでの“ライバル”は、誰ですか?」

 

取材慣れしてる選手なら、即答するのかもしれない。

でも俺は、一瞬、また言葉を探した。

 

「……全員、ですかね。出場選手はみんな強いし、皆が……ライバル、です」

 

記者が手帳を見たまま、小さく首を傾げた。

それがわかったわけじゃないけど、口が自然と動いた。

 

「……いや、違うな」

 

ぽつりと、言葉が漏れる。

自分の中で、何かが変わる音がした。

 

「倒したい相手が、インターハイに出ます」

 

女性記者が、ペンを止めた。

 

「ずっと、憧れてた選手です。初めて水泳で“すごい”って思わせられた人。でも……もう、憧れるのをやめました」

 

視線を正面に向ける。

 

「いまの俺は、沢白 和也を“叩きのめしたい”です」

 

――その言葉は、誇張でも何でもない。

真っ直ぐに、腹の底から出てきた本音だった。

数秒の沈黙のあと、記者はふっと微笑んだ。

 

「黒澤くんも、ちゃんと“スポーツマン”なのね」

 

そして、立ち上がりながら手を差し出してきた。

 

「素直な気持ちをありがとう。応援してる。頑張って」

 

差し出された手を、少しだけ戸惑いながらも、俺はしっかりと握り返した。

――これは、もう“言っちゃった”な。

心の中で苦笑しつつも、握手の感触が、じわじわと胸に残っていた。

 

「……頑張ります」

 

自然と、そんな言葉が口をついて出た。

そして、取材は終わった。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

ホテルのロビーを出ると、空がすっかり茜色に染まっていた。

ビルの隙間から覗く夕陽が、街全体をやわらかく照らしている。

夏の夕方特有の、湿った風が肌をなでていった。

 

駅へ向かう足取りは、どこかゆっくりだった。

自然と、さっきの取材のことを思い返す。

 

――「黒澤くんにとって、水泳って、何?」

――「将来は、水泳選手かな?」

――「ライバルは?」

 

いろんな言葉が、頭の中で反芻されていた。

その一つひとつに、自分なりの答えを返したつもりだったけど……果たして、それでよかったのか、正直まだ分からない。

 

でも、言葉にしたからこそ気づけたこともあった。

 

俺は、まだ泳ぎ続けたいと思ってる。

ただそれだけが、取材を終えてもなお、胸の奥にしっかり残っていた。

 

スマホがポケットで震える。

取り出すと、ダイヤとルビィからのLINE。

 

「もうすぐ沼津に着きますわ」

「お兄ちゃん、今どこ~?」

 

Aqoursの東京行き、無事に終わったらしい。

少し安堵しつつ、既読だけつけてスマホをしまう。

 

Aqoursは――あのまま何かを掴めただろうか。

悩んで、迷って、それでもステージに立ち続ける彼女たち。

そう思い返すと、不思議と胸の内がじんわり温かくなってくる。

 

彼女たちは、自分たちの“意味”を探していた。

俺は、まだそこまで考えられていないけど――でも、少しだけ分かる気がした。

 

意味なんて、最初からあるもんじゃない。

たぶん、泳いだ先で、自分の中に「できていく」ものなんだ。

 

「……ま、今さら焦ってもしょうがねぇか」

 

つぶやいて空を見上げる。

ほんのわずか、夕陽の端が山に隠れはじめていた。

今日も、終わる。

だけど――明日は、また来る。

俺はリュックの紐を持ち直して、駅へ向かって歩き出した。

この夏は、まだ、終わらない。





次回、一期最終回!
と言うことでようやく一期終わりました。
ここまで見てくださった方、長らくお待たせした方、本当にありがとうございます!!

次話投稿後、4話ぐらいインターハイ編に入ります。
つまり、オリジナル展開になりますので今後とも暖かい目で見守ってくれると幸いです。
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