朝の光が、窓のカーテン越しに淡く差し込んでいた。
スマホのアラームはとっくに止まっていて、俺はすでに着替えも済ませていたけど、どうにも気持ちが落ち着かない。
インターハイ3日目。
今日はメドレーリレーの予選がある。
……一応、って言い方になるのは、明日が本番ってみんな思ってるからだ。
剛先輩と泳ぐリレー。
──その剛先輩の肩のことが、頭から離れなかった。
昨夜、見てしまった。
青黒く腫れた肩と、シャワーの音にまぎれた低く押し殺したような吐息。
あれで「大したことない」って言えるわけがない。
でも先輩は、何もなかったみたいな顔をして、いつもの調子だった。
「黙っててくれ」その言葉の意味が、どれだけ重たいか。
……ずるいよな、あれ。
ああ言われたら、俺はもう、はいって言うしかない。
カーテンの隙間から、セミの声が聞こえる。
季節は、夏。だけど、昨日よりちょっとだけ、空気が重たく感じた。
「……行くか」
ベッドに座っていた俺は、軽く息をついて立ち上がる。
部屋を出て、食堂に向かう廊下を歩いていたときだった。
ロビーのあたりから、聞き慣れた低い声が耳に届いた。
「──そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
足を止める。
その声の主は、剛先輩。そして、もうひとり……監督だ。
俺は思わず近くの柱の陰に身を寄せた。
咄嗟だった。聞き耳を立てるなんて、後輩として最低だってわかってるけど──でも、どうしても気になってしまった。
「……今日のリレー、外す気ですか?」
「当然だ。あの肩で泳がせるわけにはいかんだろう」
監督の声は冷静だった。感情を抑えてるような口調。
だけど、先輩は一歩も引かなかった。
「それでも、俺は泳ぎます。今日だけは──チームとして、俺が行かないといけないんです」
「根性論で通る時代じゃないんだぞ、剛。最悪、今後の選手生命に関わる」
「それでも構いません」
食い下がるような剛先輩の声。
静かだけど、張りつめた強さがあった。
「責任があるんです。俺が引っ張ってきたチームだから。最後まで、泳ぎきらないと示せないことがある」
少しの沈黙のあと、監督が低く息を吐く音が聞こえた。
「……それに、人生最後の水泳なんです。お願いします」
静かな声だった。
けれど、その一言で、俺の心臓は不自然なまでに大きく跳ねた。
──人生、最後?
気づけば、足が勝手に動いていた。
柱の影から飛び出して、ふたりの前に出る。
「……どういうことですか、それ」
声が震えていた。
剛先輩と監督が同時にこちらを振り返る。
俺の存在に気づいてなかったらしい。剛先輩が少し驚いた表情を見せたが、すぐにいつもの調子に戻った。
「おいおい、盗み聞きは趣味か?」
軽く言う先輩に、俺はもう一歩踏み出す。
「冗談で流さないでください。今の……『人生最後の水泳』って、どういう意味ですか」
一瞬、剛先輩の瞳が揺れた。
でもすぐに、口を開こうとした瞬間。
「言葉の通りだ……まぁ、別に隠すこともないが」
低く、少しだけ息を混ぜた声だった。
剛先輩は、わずかに視線を逸らして、それからまた俺の方を見る。
「俺は高校を最後に、水泳を引退するんだ」
まっすぐな声だった。
それを聞いても、俺はすぐには言葉が出なかった。
「……怪我のせいじゃないぞ?」
先輩は、苦笑のような笑みを浮かべながら続ける。
「俺はシャチトレーナーになりたいんだ」
言葉の意味が、すぐには頭に入ってこなかった。
けれど、先輩の目の奥には、どこか遠くを見ているような光が宿っていた。
「中学の時、職場体験で行ったんだ。水族館の飼育スタッフの仕事。あのとき見たシャチのジャンプが、ずっと頭から離れなくてさ。……それ以来、水泳よりも、ああいう世界に惹かれるようになったんだよ」
「……だから、『人生最後の水泳』って」
「ああ。競技者としての俺はもう今回で最後なんだ」
淡々としていた。
でもその淡々さは、迷いを捨てた人間のそれだった。
「だからこそ、なんだよ。最後の試合、最後のリレー。これが“俺の水泳”の終着点だって、そう思ってる」
──終着点。
その言葉が、胸にじわりと染み込んでくる。
「痛くても、腫れてても、引いても、構わない。お前らと一緒に泳げるなら、それで十分だって、思ってるよ」
まるで何でもないことのように言って、先輩は肩を竦める。
でもその右肩は、昨日見たあの青黒い腫れが、確かにそこにあることを思い出させた。
俺が何か言葉を返すよりも早く、横から低い声が割り込んだ。
「……とりあえず、剛。お前は病院に行け」
監督だった。
ずっと黙って話を聞いていたその目が、厳しく細められていた。
「最悪のケースは想定してある。リザーブは一人登録してる。代わりは立てられる」
剛先輩は、その言葉にわずかに眉をしかめた。
「……俺は──」
「気持ちはわかってる」
ぴしゃりと断ち切るように、監督は言う。
「お前が背負ってきたことも、水泳への想いも、ここまで引っ張ってきた責任もな。でもな、それを通すには、最低限の“身体”が必要だ。泳げるかどうかを、今ここで感情で決めるな」
痛いくらいに、理屈だった。
だけどそれは、大人として、監督としての当然の判断だった。
剛先輩は、拳をぎゅっと握りしめる。
「……検査の結果が出てから、判断を仰ぐ。それまでは、俺の責任で、お前をメンバーから外すことも考える。わかったな?」
沈黙。
ほんの一瞬だけど、重い静けさが流れた。
「……わかりました」
先輩は小さく、けれどはっきりと答えた。
その横顔は、悔しさと、それ以上に強い覚悟がにじんでいた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
個人メドレーの予選が終わり、電光掲示板に次々とタイムと順位が表示されていく。
その下で、プールから顔を上げた珊瑚が、水しぶきを上げながらガッツポーズをした。
「……やるな」
思わず小さく笑ってしまう。
冷静で、滅多に感情を表に出さないあいつが、珍しく嬉しそうな顔をしていた。
決勝進出──一年で全国大会に出て、しかも決勝まで行けるなんて、本当にすごい。
正直、羨ましいと思った。
もちろん、それだけの努力をしてきたのは知ってる。
黙々と練習をこなす姿を何度も見てきたし、誰よりもストイックな性格もわかってる。
だから、嬉しかった。
──さて、次は俺たちの番だ。
電光掲示板を一瞥してから、観客席を後にして動き出す。
次はメドレーリレーの予選。
剛先輩のことがまだ頭をよぎるけど、今は泳ぐことに集中しないといけない。
控室に入ると、銀次先輩と蛍がすでに水着に着替えてストレッチをしていた。
剛先輩の姿は――ない。
蛍がこちらに気づき、少し強ばった表情で口を開く。
「瑠璃先輩、お疲れ様です。あの……まだ剛先輩見てないんですけど……何か知ってますか?」
どう答えるべきか、迷った。
言わないでくれと頼まれたけど、もう誰もが気にしてる。黙っていていいことなのか、俺の中で答えが揺れる。
でも――その瞬間。
「待たせたな」
後ろから、聞き慣れた声が飛んできた。
振り返ると、タオルを肩にかけた剛先輩が、いつもの余裕を纏った表情で立っていた。
昨日見た肩の腫れは、今はジャージに隠れて見えない。
「お疲れ様です! 午前中、見当たらなかったんで、どこ行ったのかなって心配しましたよ」
蛍が、少しだけ眉をひそめながら剛先輩に声をかける。
「悪いな。ちょっと外の空気吸ってた」
剛先輩はそう言って軽く笑いながら、荷物から水着を取り出す。
着替えのために上着を脱いだその肩を、俺はさりげなく見た。
──昨日のあの青黒さは、少し引いているように見えた。
完全に腫れが引いたとは思えない。でも、先輩の表情に痛みの色はない。
「じゃ、俺、銀次先輩にも声かけてきますね」
蛍がそう言い残し、控室を出ていった。
俺と剛先輩だけが残る静かな空間に、ほんの一瞬だけ、言葉のない間が流れる。
俺は視線を剛先輩の背中に向けたまま、ふっと小さく息を吐いた。
「……病院、どうだったんですか?」
控えめに、けれど確かに届くように声をかけた。
剛先輩は着替えの手を止めることなく、しばらく黙っていた。
やがて、ロッカーに荷物をしまってからぽつりと答える。
「手術が必要なのと、医師に止められたよ」
その声は、いつもの落ち着いた調子からわずかに陰を帯びていた。
俺は思わず一歩踏み出す。
「じゃあ──」
でも、その先を言わせないように、先輩が少しだけ笑って言った。
「痛み止めは打った。明日も、朝イチで行って打ってくるさ」
冗談めかしてるのか、本気なのか。
その表情からは、何も読めなかった。
だけど、俺は黙っていられなかった。
その肩で、また泳ぐつもりなのか。
痛み止めで誤魔化して……それが、先輩の「最後の水泳」なのか。
けれど言葉が出てこない。
出そうになるたびに、喉の奥で何かがせき止める。
俺は、ただ拳を握りしめた。
先輩はそんな俺を横目に、タオルを軽く首にかけて、ふっと笑った。
「大丈夫だ。泳げるうちは、泳ぐ。お前も、自分の泳ぎに集中しろ」
そう言って、軽く俺の肩を叩いた。
その手の重さに、言葉が詰まりかけたけど──俺は、黙って頷いた。
少し間を置いて、口を開く。
「……遅れても、俺が抜くんで。
だから──無理は、しないでください」
先輩は、一瞬だけ目を見開いた。
けれどすぐに、苦笑とも微笑ともつかない表情を浮かべた。
「……頼もしくなったな。お前も」
その声が、どこか寂しそうに響いたのは気のせいじゃない。
俺は、ただ前を見つめた。
このリレーが──たとえ終着点だとしても。
その先へ、先輩を連れて行く泳ぎをする。
絶対に。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
メドレーリレー予選。
俺たちは、しっかりと結果を出した。
一位通過──決勝進出。
剛先輩の泳ぎは、やっぱり速かった。
痛み止めを打ってまで泳いだことを思えば、素直に喜べるわけじゃない。
でも、それでも──
あの背中は、何も変わらず、まっすぐだった。
予選を終えて、控室に戻る道すがら。
俺はただ黙って歩いていた。
その時だった。
「おい、瑠璃」
肩にぽんと腕を回される。
振り向くと、銀次先輩がいつもの笑みを浮かべていた。
「ちょっと来て」
そのまま俺は引っ張られるように、少し人目のない廊下の角へ連れて行かれた。
「さっき、剛と内緒話してただろ?何話してたんだ」
……バレてたか。
銀次先輩は、そういうところ、やけに鋭い。
気付かれるのは時間の問題だと思ってたけど──
まさか、こんなに早く突っ込まれるとは。
「……肩のことです」
俺は観念して、ぽつりと打ち明けた。
「昨日の夜、シャワー室で腫れてるの見て。朝、監督と話してるのを聞いて……さっき、控室で少しだけ話してました。手術が必要って言われたそうです」
銀次先輩は、それを聞いても、あまり驚いた顔はしなかった。
「……やっぱりね」
その一言に、思わず俺は言葉を詰まらせた。
「思ってたより深刻そうだったから、気になってた。でも剛、いつも通りの顔してたしさ。どこまで俺たちに隠すつもりなんだか……ほんと、あいつらしいけどな」
そう言って、少しだけ苦笑いを浮かべる銀次先輩。
その目には、怒りでも心配でもない、でも確かに”覚悟”を帯びた、先輩の表情があった。
「で、あいつはどうするつもりなんだ? 明日の決勝も、出る気か」
「……出ます。痛み止め打ってでも」
「……あー、もう、マジかよ……」
銀次先輩はそう呟くと、しばらく無言で天井を見上げていた。
「……俺さ、ちょっと怒ってんだよな」
そう言いながら、銀次先輩は俺の肩に手を置いた。
その手は思ったよりも、あたたかくて、やさしかった。
「瑠璃、お前のことだ。きっと一人でいろいろ考えてたんだろ? どうしたらいいか、どこまで言うべきか、正解を探して……でもな」
言葉を切って、俺の目をまっすぐ見据える。
「そういうときこそ、メンバーに話しなさい。特に俺たち先輩には、な。お前が全部背負って潰れたら、それこそ一番困るのは……俺たちだろ」
その声音は、責めるというよりも、安心させるためのものだった。
強くはないけど、絶対に届くように置かれた言葉だった。
「……すみません」
自然と、そう言葉がこぼれた。
怒られる覚悟だったのに、そのやさしさがかえって刺さる。
銀次先輩は、それ以上は何も言わずに肩をポンと叩いて離れた。
「蛍には、俺から話しておくよ」
その声は落ち着いていて、もう次へ進んでいる人の響きだった。
「それと──剛と監督……リザーブは、確か珊瑚だったよな?」
一度こちらに目を向けてから、軽く顎で示すように言う。
「その3人、集めてもらえるか。明日の決勝戦、どうするか。夕飯後に話そう」
そう言った銀次先輩の顔は、いつものように飄々と笑ってはいなかった。
でもその代わりに、仲間としての信頼と責任を、確かに背負っている横顔がそこにあった。
「……はい」
俺は頷いて、着替えてから控室を出る。
重たいことはまだ胸に残っていたけど、今は動くべき時だ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
夜の帳がすっかり下りて、宿舎の廊下も静まり返っていた。
俺たちは、食堂の奥にある小さな会議室へと足を運ぶ。
そこにはすでに監督がいて、ローテーブルと簡素な椅子がいくつか並んでいた。
蛍、銀次先輩、剛先輩、そしてリザーブの珊瑚。
リレーメンバー4人が揃ったところで、扉が静かに閉まる。
蛍、銀次先輩、剛先輩、そしてリザーブの珊瑚。
リレーメンバー4人が揃ったところで、扉が静かに閉まる。
全員が席についたのを確認してから、静かな沈黙が数秒だけ場を支配した。
「……さて」
ぽつりと、その沈黙を破ったのは銀次先輩だった。
「剛。何か、俺たちに言うことあるよね?」
笑っている。けれど、その笑顔の奥にあるドス黒いオーラは隠しきれていなかった。
声は柔らかく、言葉も淡々としているのに──怖い。まるで、嵐の前の静けさだ。
剛先輩は、わずかに口元を引き結びながら、視線を銀次先輩とまっすぐに合わせた。
「……あぁ、悪かった」
「“悪かった”じゃないんだよ」
銀次先輩の声が、少しだけ低くなる。
隣の蛍も、何かを察したのか背筋を伸ばし、口をつぐんだまま。
銀次先輩は視線を剛先輩から逸らさず、静かに言葉を継いだ。
「……昨日の決勝戦、タッチの直後に肩を抑えてたよな。あれ、ただの張りとかじゃないと思ったけど……やっぱ、トラブルだったんだな?」
一瞬、剛先輩の喉が動いた。何かを飲み込むようにして、彼は短く頷く。
「腫れてた。今朝、病院行った。……結果は、関節唇損傷。医者には、これ以上泳げば、選手生命に関わるって言われた」
その場に、重い沈黙が落ちた。
蛍が、思わず息を呑む音が聞こえた。
珊瑚は眉一つ動かさず、真っ直ぐ剛先輩を見ている。
その眼差しに、感情はなかった。ただ、静かな評価の視線――まるで、選手を見るコーチのようだった。
今度は、銀次先輩の視線が監督に向けられる。
「……監督。気づいてましたよね? 剛の肩のこと。どうして止めなかったんですか?」
静かに、だが確実に圧を込めた声だった。
監督は組んでいた手をほどき、深く息を吐いた。
「気づいていたよ。昨日のレース後、テーピングの状態を見た時点で、ある程度はな」
「じゃあ、なぜ――」
銀次先輩が食いかかる前に、監督は手を上げて遮った。
銀次先輩が声を荒げかけた、その時だった。
「監督を責めないでくれ」
低く、けれどはっきりとした声で、剛先輩が口を開いた。
「俺が……強行突破したんだ」
その言葉に、場の空気が一瞬止まった。
「昨日の夜、監督には言われたよ。無理をするな、明日はリザーブを使うって。でも、俺が――聞かなかった。泳ぎたいって言って、頼み込んで、納得させたんだ」
剛先輩の表情は、悔しさと、覚悟と、どこか痛みを堪えるような色に染まっていた。
「監督は、俺の意志を尊重してくれただけだ。だから責めるなら……俺にしてくれ」
銀次先輩は、黙ったまま剛先輩を見つめる。感情の読めない表情の奥に、どこか複雑な思いがにじんでいた。
剛先輩は視線を皆に向け、続ける。
「もう、逃げる気はない。肩のことも、全部話す。決勝に出るかどうかも、みんなで決めてほしい」
その声に、蛍も、珊瑚も、そして銀次先輩も――真剣なまなざしで応えていた。
次の言葉を、誰が言うのか。
沈黙が、再び部屋を包み始めていた。
俺は意を決して口を開く。
「まずは、状況を整理しませんか?」
少しだけ間を置いてから、珊瑚に視線を向けて問いかける。
「珊瑚、予選突破おめでとう。明日の個人メドレー決勝の後、体力やメンタルの状態はどう?リザーブとしてリレーに出られそうか、正直に教えてほしい」
珊瑚は動じず、真っ直ぐ俺の目を見返す。
「大丈夫…です。いつでも出られるように準備します」
普段、敬語が抜ける珊瑚もここでは敬語で話す。
その言葉に安堵しつつ、俺は続ける。
「ありがとう。剛先輩のこともあるけど、まずは自分のやるべきことをしてくれ、無理はしないでほしい」
「ありがとう。剛先輩のこともあるけど、まずは自分のやるべきことをしてくれ、無理はしないでほしい」
そう伝えると、俺は視線を剛先輩に向けた。
「先輩…明日は――」
「出る」
言いかけたところで、剛先輩が俺の言葉を遮るように、きっぱりと答えた。
「出る。どんなに痛くても、最後まで泳ぐって決めてるんだ。」
剛先輩の瞳には揺るがぬ覚悟が宿っていた。
「みんなに迷惑かけるかもしれない。でも、今さら引き下がれない。お前たちと一緒に、このチームで泳ぐことが俺の最後の目標だ。」
頼む、と剛先輩は静かに頭を下げた。
その姿を見て、俺は何も言えなかった。
しばらくの沈黙の後、蛍が真っ直ぐな瞳で口を開く。
「俺は……無責任かもしれませんが、剛先輩と一緒に泳ぎたいです!」
続いて珊瑚も言葉を紡いだ。
「俺も、できれば剛先輩に泳いでほしいです。リザーブの俺ではなくて……」
一年生の二人が意を決して話したその言葉に、部屋の空気が少しだけ軽くなった気がした。
剛先輩はゆっくりと銀次先輩の目を見据え、静かな声で言った。
「俺は、みんなに迷惑はかけたくない。だけど、最後までこのチームで泳ぎたいんだ。だから、俺を助けてくれ」
その言葉には、これまで隠していた覚悟と責任感が滲んでいた。銀次先輩は少し黙り込んだ後、ゆっくりとうなずいた。
銀次先輩は、視線を逸らすことなく剛先輩の言葉を受け止めていた。
「……ああ、わかったよ。そこまで言うなら、俺も止める気はない」
低く、落ち着いた声だった。
「でも条件がある。お前が泳ぐって決めた以上、どんな結果になっても、ちゃんと受け止めろ。逃げるのは、ナシだ」
銀次先輩の声には、いつもの柔らかさの奥に、仲間を思う強さが滲んでいた。
剛先輩は一拍置いてから、ふっと笑みを浮かべた。
「わかってる。逃げも隠れもしない。……最後まで、俺の責任で泳ぎきるよ」
その瞬間、蛍が小さく頷いた。珊瑚もまた、真剣な面持ちで剛先輩を見つめている。
監督が一つ咳払いをして口を開いた。
「…明日は4人で挑む。お前ら決めたなら、勝つか負けるかはその先だ。だが、後悔だけは残すな」
静かだった部屋に、決意の空気が満ちていく。
銀次先輩が立ち上がり、軽く手を叩いた。
「今日はもうしっかり休もう。俺たちのリレーは、明日が本番だ」
それぞれが頷き、立ち上がる。
部屋の扉が開くと、廊下の明かりが差し込んできた。
明日は決勝。
誰にとっても、きっと忘れられない一日になる――その確信だけが、静かに胸を満たしていた。
次回、インターハイ編最終回!