黒澤家の長男です。   作:カイザウルス

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1期〜2期の間
第38話 番外編


 

 

「……気持ち悪いんだよ、あんた」

 

耳に染みついて離れない、あの声。

鋭くて、冷たくて、感情のないものを見るような目と、吐き捨てるような言葉。

あの日の夕暮れ。テレビも点けずに夕飯を食べていた、静かな部屋の記憶。

唐突に、母親はそう言った。

理由なんてなかった。ただ、俺が「無表情だった」から。

感情を見せない、何を考えているのか分からない――それが気持ち悪い、と。

 

返す言葉もなく、俺は箸を置いた。

それが夢だとわかっているのに、心臓が強く痛んだ。

 

「ごめんなさい……」

 

幼い俺が、母親の顔を見上げて呟く。

それが精一杯だった。

怒られないように。嫌われないように。

とにかく静かに、その場をやりすごすための、最低限の言葉。

 

母親はそれを聞いて、ふん、と鼻を鳴らしただけで、もうそれ以上は何も言わなかった。

ああ、こうしていれば、怒られないんだ。

そうやって、俺は学んだ。

 

「剛は悪くない!!」

 

――声が、響いた。

 

突然すぎて、母さんも俺も、顔を上げてきょとんとする。

 

声の主は、襖の向こうから現れた。

仁王立ちで、腕を組み、目を怒らせた――幼い果南。

 

「なんなの、あなた!」

 

母親の声が尖る。

けれど果南は怯まない。

ぐっと前に出て、俺の前に立った。

 

「剛はいつも優しいし、頑張ってるし、悪いことなんてしてない!」

「悪いのは、ちゃんと見てあげないほうだよ!」

 

ぐさり、と何かが胸に刺さった気がした。

たとえ夢でも、目の前の果南の言葉は、強く、真っ直ぐだった。

 

ぐさり、と何かが胸に刺さった気がした。

たとえ夢でも、目の前の果南の言葉は、強く、真っ直ぐだった。

 

母親の姿は、ふわりと揺れて、煙のように空気に溶けていった。

責める言葉も、冷たい視線も、何もかもが音を立てて消えていく。

 

気がつけば、果南が俺の方を振り返っていた。

 

幼い俺の前にしゃがみ込み、やさしく笑って、抱きしめる。

 

「大丈夫。私が守ってあげるから」

 

言葉の温もりが、胸の奥に染み込んでいく。

けれど――その次の瞬間。

 

果南はふっと幼い俺から視線を外し、ゆっくりと立ち上がった。

 

そして向き直ったその目線の先には――今の俺。

夢を見ている、“俺自身”がいた。

 

「剛」

 

彼女の声が、真っ直ぐ届く。

 

「早く……戻ってきて」

 

その言葉に、風景がぐらりと揺れ、果南の声が遠ざかる。その温もりだけを胸に抱いたまま、光が俺を包み込んだ。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

——気がつくと、電子音が規則正しく響く白い部屋の中だった。

天井の蛍光灯がやけにまぶしい。

 

「……っつ」

 

喉が渇いて、口元に違和感。酸素マスクだ。

ああ……あの後、病院に運ばれたんだったな……と、ぼんやりと記憶がつながっていく。

 

腕に点滴。右肩はぐるぐるに固定されてて、ほとんど感覚がない。

マスクを外そうと手を伸ばしたときだった。

 

「お?…起きたか、剛」

 

落ち着いた声が聞こえる。

親父だった。珍しくスーツじゃない、ラフな格好。

俺の顔を覗き込みながら、すぐにナースコールを押す。

 

「先生呼んでくるから、ちょっと待ってな。今、話しても平気か?」

 

俺が小さくうなずくと、親父はふっと安心したように笑った。

 

「手術は、無事に終わったみたいだよ。

肩、思った以上に重症だったって、医者が言ってた」

 

それでも、と続ける。

 

「お前、最後まで泳いだらしいな。……バカだな」

 

呆れたように、でもどこか誇らしげに笑う親父の顔が、妙にまぶしかった。

 

枯れた喉を癒すため、水を探す。

それに気づいた親父は、手早くペットボトルを取り出し、ストローを差し出した。

 

「はい、無理すんなよ」

 

俺はその優しさに少し驚きながらも、ゆっくりと水を飲み込む。

しばらくして、ようやく声が出せるようになった。

 

「後悔…は、ない」

 

親父はじっと俺の目を見て、ゆっくりと頷いた。

 

「うん、それならいい。お前の泳ぎは誇りだよ」

 

その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

痛みも忘れて、俺は静かに目を閉じた。

 

ふと部屋のドアが開き、看護師さんと同時に先生が入ってきた。

先生は落ち着いた表情で、俺の肩の状態について話し始める。

 

「剛くん、手術は成功しましたが、肩の損傷はかなり重度です。現役復帰は難しいかもしれません」

 

……まぁ、そうだろうな。

わかってはいたことだ。絶望は、感じない。

覚悟はしていた。――そして、やりきった。

 

「今後は少なくとも1ヶ月は安静が必要です。

包帯と固定具の生活が続きます。

それが終わっても、長期のリハビリが必要になります」

 

先生の説明は淡々としていたけど、優しさが滲んでいた。

俺はゆっくりと頷いた。

逃げも隠れもしない。これからやるべきことがあるなら、やるだけだ。

 

親父が、そっと俺の頭を撫でるように肩を叩いた。

 

「ゆっくり治せ。時間はある」

 

そう言って笑う。まるで――全部終わった後のように。

あの後、マスクも点滴も取れ、病室も個室から大部屋に移動になった。

 

次の日、まだ朝の光が柔らかく、慣れない左手で朝メシを食べていた時。

 

「よっ」

 

ドアの隙間からひょいと覗くようにして、果南が会いに来てくれた。手にはコンビニの袋を持っていて、どこか気を遣いながらも笑顔を見せていた。

 

「果南…食べさせてくれ」

 

果南はそれを聞くと、ふふっと笑って手伝ってくれた。

 

「あ〜、ん」

「うん…味が薄いな」

 

病院食は味が薄く、どうしても物足りなかった。俺が無意識にそう言うと、

 

「病院食だからね、もっと?」

「うん、あ〜」

 

そんなやりとりの中で、病室の空気は少し柔らかくなった。

とりあえず何とか食べ終えたものの、全然満たされた気がしなかった。普段ならもっと食べているはずだ。そんな自分に気づきながらも、体はまだ完全に回復していないことを痛感する。

 

そのとき、果南がコンビニ袋からプリンを取り出して差し出した。

 

「はい」

 

その手には、甘くて濃厚なプリンが握られていた。

 

「足りないって顔に書いてあるよ?」

 

そう言いながら、彼女はふっと笑った。

俺は顔に出した覚えもないし、普段は無表情だと言われるのに、果南はそれを見抜いていた。

 

「どうしてわかった?」

 

俺が聞くと、彼女は軽く笑いながら答えた。

 

「剛のことなら何でもわかるよ」

 

果南は、そんな奴だ。

 

果南は、ただの親友でも幼馴染でもない。

彼女は、まるで俺の心の奥底を覗き込むかのように、どんな嘘も隠し事も見抜いてしまう――そんな特別な存在だった。

 

俺にとってただの女の子じゃない。

いつも静かに、けれど確かに俺の全てを見透かし、理解し、寄り添ってくれる――そんな唯一無二の存在だった。

 

そんな果南の前で、俺の心は不意に熱くなった。言葉にならない想いが、自然と口をついて出る。

 

「俺と結婚しないか?果南」

 

無意識に呟いたその言葉に、部屋の空気が一瞬、静まり返った。

果南の目が、一瞬だけ大きく見開かれたのを俺は見逃さなかった。驚いたのか、それとも動揺したのか。

 

すぐに彼女の顔には柔らかな笑みが戻った。

 

「何言ってるの?私たち、まだ学生だよ」

 

その言葉は軽く、からかうようで――でも、どこか温かくて。

俺は少し間を置いて、静かに呟いた。

 

「そうか……」

 

胸の奥で何かが震えた気がした。だが、言葉は自然と続いた。

 

「じゃあ、学生が終わったらもう一度言う」

 

そんな約束を、無意識に口にしていた。

果南は軽く笑いながら

 

「はいはい……あ、そうだ、お茶が無くなりそうだから取りに行ってくるね」

 

と言い残し、ふわりと病室を出て行った。

その背中を見送りながら、俺は心の中でそっとつぶやいた。

 

「この子に惚れてよかった」

 

そんな想いが胸にじんわりと広がっていった。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

廊下に出て、深呼吸を一つした。頭の中で、あの言葉が何度もリピートされる。

 

「俺と結婚しないか?果南」

 

え!?剛急にどうしたの!?

何で?結婚!?ビックリしたってば!

 

心臓がバクバクして、もう本当に飛び出しそうだった。あんな真剣な顔、初めて見た。冗談じゃないって、すぐに分かった。

 

嬉しいよ?剛のことは好きだし、ずっと一緒にいたいと思ってる。

でも、急にそんな真面目な話されると、どう返していいか分かんなくて、つい「まだ学生だし」っていつもの感じで流しちゃった。

 

卒業まで…持つかな私…。

このドキドキ、毎日こんなんじゃ命がいくつあっても足りないよ…。

 

頭の中に浮かぶのは、剛の顔、声、そしてさっきの言葉ばっかり。

廊下の窓から差し込む光が、やけにまぶしい。

私、こんな顔して人前に出たら絶対バレる…。

だからもう少しだけ、このまま一人で深呼吸して──。

 

卒業したら、また言うって…。その時、私はどうするんだろう。

…卒業までに心臓が壊れませんように。

 

 





という事で番外編です。
次回、みんな大好きな千歌ちゃん回です。
積極的になる千歌ちゃんを、ブラックコーヒー持ちながらお待ちください!
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