蝋の翼   作:水野希

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 名無しの精霊に“十香”という人間の名が付けられた記念すべき日の翌日。

 僕は今、黒単色のTシャツにベージュのカーゴパンツというラフな服を着て日本晴れの街を歩いている。

 別に目的地など無い。ただ無計画に散策をしているだけだ。

 強いて言うのなら、引っ越してきたばかりの天宮市に慣れて土地勘を身につけることが目標だが、それについても深くは考えていない。

 

 何故平日の昼間に学生たる僕が暢気に散策などしているのかと言えば、そりゃあ学校が無いからだ。しかも、物理的に。昨日、十香さんの顕界によって発生した空間震で、都立来禅高校は見るも無惨な姿になってしまった。

 ASTが所有する顕現装置(リアライザ)とか言うひみつ道具的な物を使えば、僅か数日で元通りに直せるらしいが、それでも一日二日では不可能とのことで、結果今日は校舎修復のため臨時で休校日となっている訳である。

 

「……………」

 

 ひたすら住宅地が続いていた景色はいつの間にか大通りに変わっていて、場所の移動に伴い周辺の空気も活気づいた物になっている。現在時刻八時過ぎ。通勤ラッシュの時間帯に突入した広い道路には大量の車の往来が絶えない。

僕が街に繰り出してから既に一時間余りが経過し、天宮市は次第にその賑やかさを増していた。数日前、士道さんと初めて会った日に駆け抜けた無人の街とは天地の差だ。

しかし、歩みを進める僕はそれらの変化を気にも留めず悩んでばかりいた。その悩みの内容とはすなわち―――

 

「給料、ちゃんと貰えんのかな………」

 

 である。

 昨日の僕はと言えば、足手まといも良いところであった。物陰に隠れて通信をする筈の自分が暴走して真っ先に現場に突入するし、いい雰囲気の士道さん達に気の利いたことの一つも言えないし、挙げ句には一番の使命である危険察知が働かないという失態。流石に給料全カットということは無かろうが、何割か削られても文句は言えない体たらくだ。

 

「……役に立ってなかったし、やっぱ減るかな……」

 

 せっかくの平日休みであるのに、全く気分が乗らない。憂鬱そのものである。

 嗚呼……他の誰でも無い自分のせいとは言え、やはり不安だ。

 

「………ハァァ……」

「ため息つくと、幸せが逃避行始めちゃうよ?」

「……ため息は副交感神経を優位にさせてリラックスさせる働きがあるので、一概にそうとは言えませんよ。それに逃避行って何ですか、ただ逃げるだけじゃないんですか…………ん??」

 

 唐突に背後から聞こえてきた声に、条件反射で反論をしてから我に返り、振り向いてみる。

 そこにいたのは、〈フラクシナス〉が誇る麗しきロリッ子司令官に、常にフラフラしている不眠美女。

 

「智也、おっはよーう!」

「……やあ」

 

 琴里さん妹モードエディションと、相変わらず不健康そうな村雨さんであった。

 琴里さんは以前来禅高校でも見た白を基調とした中学校の制服姿で、対する村雨さんはカットソーにデーパードタイプのジーンズという大人な香り漂う私服姿である。

 

「おや、おはようございますご両人。琴里さんは学校は修復中ですか?」

「いぐざくとりー! それで暇になったから令音呼び出して一緒に散歩してたんだよ」

「左様でしたか………それで、どこから聞いてました?」

「給料ちゃんと貰えんのかな……の、あたり」

「成る程、最初からですね」

 

 意地の悪い御仁だ。

 

「……心配せずとも、給料はちゃんと出るさ。そういう契約だ」

「結果的にデートに誘うのは成功してるから、だいじょうぶだよ」

 

 そう、デートには誘えている。だがそれは――

 

「それは、士道さんの功績でしょう。僕が退避した後、危険地帯に一人残って会話を続けた彼の働きです」

「それは確かにそうだけどね。ヘタレチキンなおにーちゃんにしてはすごく頑張ってたよ」

「ですよね。それに対して僕なんて――」

「でも、そこに智也の影響がなかったなんて事はないと思うな」

「――影響?」

「うん、影響」

「と、言うと?」

「……シンが十香をデートに誘う際、私たち〈フラクシナス〉クルーの支援はほぼなかった。タイミングも、言葉も、全て彼が自分で選んでいたから、必要がなかったんだ。君はその時医務室にいたから知らないだろうがね」

「そうなのですか……」

 

 村雨さんの言葉は確かに初耳の情報だ。僕は昨日〈フラクシナス〉に戻ってすぐ怪我の処置をするよう言われブリッジには向かわなかったので、士道さんが無事任務を成功させたとの結果だけをを見知らぬクルーの人物から報告されたのみなのだ。

 村雨さんの台詞の後を継ぐように、琴里さんが妹モードの口調のままで続ける。

 

「私がいつも見てるはぐれメンタルチキンのおにーちゃんとは、明らかに違ったよ。一生懸命冷静になろうとしてた」

「はぐれメンタル……」

 

 なんとも経験値の旨そうな精神状態だ。

 

「私、それはきっと智也のおかげだと思うの」

「………そうだと、良いんですがね…」

「んんぅ~…さっきからウジウジウジウジ五月蠅いなー。せーっかくフォローしてあげてるのにー。智也実は給料いらないんじゃないの?」

「い、いいえっ! そんなことは!」

「問答無用!! 智也のお望み通り給料カットしてあげる!」

「ご無体な!」

「と、言・う・わ・け・で~、あそこっ! 奢って?」

「へ?」

 

 琴里さんは自らの放ったリズミカルな言葉に合わせ僕の斜め後ろの方向を指さした。

 そこにあったのは、女性が好みそうなお洒落なカフェ。

 

「ちょうど歩き疲れたから、おやつタイムにしたかったんだよねー」

 

 拒否権はなさそうである。

 

 

―――――――――― 

 

 

「令音のそれもーらい……んー、おーいしーい。なんで令音はラズベリー嫌いかなぁ」

「……すっぱいじゃないか」

「村雨さんは結構な甘党なんですね。それでしたら、僕のフォンダンショコラ一口いかがです? 実は少し持て余してしまいまして」

「……いいのかい? なら遠慮なく頂こう」

「どうぞどうぞ」

「ん! フォンダンショコラ私も!」

「いいですよ。あ、その代わり琴里さんのタルト一口いいですか? ちょっと気になってたんですよ」

「いいよー。えっとーそれでね? 話の続きなんだけど、そこの角に出来た雑貨屋さんがさ――」

 

 やべぇ、楽しい。

 

 大通りのカフェに入店した僕らは、アンティーク調の椅子が三つ等間隔で並べられた円形のテーブルで席に着き、銘銘好きなスイーツや飲み物を注文して若干早めのおやつを摂っていた。ちなみに、琴里さんはレモンタルトとブルーベリージュースを、村雨さんはパンケーキにアップルティー、僕はフォンダンショコラとモヒートをそれぞれオーダーしている。

 お互いの食べているものを少しずつ交換したりしながら、身近な出来事や近所のお店の話題を肴にして盛り上がる。これが、噂に聞く女子会という物なのだろうか。代金は僕の給料から引かれるという話だが、この心安まる一時の代償なら気にはならない。お、このレモンタルトも中々美味しいな。

 

「……む、そう言えば」

 

 フォンダンショコラを味わっていた村雨さんが、その小さな一口分を食べきると同時、思い出したように切り出した。

 

「……以前から、琴里に尋ねようと思っていたことがあったのだった」

「ん? なーに?」

 

 しかし村雨さんはそこで言葉を句切り、僕の方をチラと見やる。

 

「もしかして……男がいるとまずい話題です?」

「……そうではないのだが。……いや、他のクルーならともかく、智也なら問題ないだろう。なにせ、シンと共に前線に赴く人間だ」

「〈フラクシナス〉関連のコト?」

「……ああ、初歩的なことで申し訳ないのだが、何故シンが精霊との交渉役に選ばれたんだい?」

「んー」

 

 村雨さんの問いに、琴里さんは眉根を寄せて難しそうな顔をする。

 

「二人とも、誰にも言わない?」

「……約束しよう」

「僕も誓います」

 

 なにやら先ほどまでとは違い、少し真面目な話のようだ。それを察し、僕も茶化すことなく琴里さんに首肯を返す。

 その様子を見た琴里さんは、数秒間何か考え事をするように押し黙った後、説明を開始した。

 

「実はね………私とおにーちゃんって、本当は義兄妹とか言う超絶ギャルゲ設定なの」

「……ほう?」

「へぇ…………へぇ?」

 

 そいつは驚愕の事実である。あの仲の良さで義理の兄妹とは………フラグ乱立待ったなしである。許羨、もとい許せん。

 ……いやしかし、それとこれとに何の関係があるのだろう。村雨さんの質問は士道さんの選出理由であって、五河家の内部事情ではない。

 そう疑問に思ったのは村雨さんも同様だったらしい。結果、僕ら二人は揃って小首を傾げる事となった。

 

「最後まで聞けば分かるから、そんな二人して小型犬みたいにしないでよー」

「はぁ…了解です…」

「そんでね、私が何歳の頃って話だったかなー、まあそれこそ覚えてないくらいの時にね、おにーちゃん、本当のお母さんに捨てられて私たちの家に引き取られたの。私はまだちっちゃかったから当時のことは知らないんだけどさ、養子になったばかりの頃は相当精神がやられちゃってたみたいなんだ。それこそ、自殺しかねないくらいに」

「そりゃまた……難儀な…」

「……………」

 

 そのショッキングな内容故か、村雨さんがピクリと眉を揺らす。言葉は発していないが、何かしら感じるところがあるのだろうか。

 無表情な村雨さんにしては珍し――ん?

 何か、小さな違和感があった気がする………?

 

「……続けてくれ」

 

 おっと、話の途中だ。余計な考え事はやめておこう。

 

「ん。ま、その状態は一年位したら治まったらしいんだけどさ、きっとその頃からなんだよねー。おにーちゃん、人の絶望にすっごく敏感なの」

「絶望に……ですか」

「うん。要は、その時の自分みたいな顔してる人って事かな。こう……自分は誰からも愛されないんだーとか、自分を必要とする人なんかいるわけないんだーみたいな、そんな顔してる人を見つけるとね、おにーちゃん相手が初対面でも無遠慮に突っ込んでくの」

 

 だから……と言って、琴里さんは目を伏せ、続ける。

 

「おにーちゃんしかいない……って、思ったんだよね。精霊に自分から向かっていけるような奇特な人なんて」

「……なるほど」

「………」

 

想像していなかった内容の話を聞きながら、僕は以前〈フラクシナス〉のブリッジで琴里さんが言っていた台詞を思い出していた。

 

《んー。まあ、士道は特別なのよ》

 

 僕はまだまだ琴里さんとは付き合いが浅く、彼女について理解できていない部分や知らない一面も多々あるが、なんとなく分かることもあった。彼女は隠し事をしたり話をはぐらかす時、下手に嘘は吐かずに明確な言い方を避けるなどしてミスリードを誘う傾向にある。

 嘘を言わないのは恐らく根本の部分が“いい子”であるからだろう。ミスリードを誘うことが多いのは司令官モードで身につけた一種の処世術か。

 その琴里さんが、はっきりと「士道は特別」と言ったのだ。士道さんが実は養子であったというのも、まあ中々普通とは思えないような凄惨な過去ではあるのだが、言ってしまえば世の中に溢れる大量の不幸の一つに過ぎない。母親に捨てられたのだという士道さんに比べれば大したことはないかもしれないが、僕だって生まれてすぐ親を亡くしているくらいだ。

 

 琴里さんは非常に聡い人物だ。それは妹モードであろうと司令官モードであろうと変わらない。そんな彼女が、捨て子である位のことを「特別」と称するとは考えられなかった。

 

きっと、まだ何かある。

 

「琴里さん」

「……」

 

 それらの意見を全て眼差しに乗せて、琴里さんを真っ直ぐに見つめる。

 村雨さんも無言無表情のままではあるが、琴里さんを捉えて動かない瞳には問い詰めるような意思が含まれている気がしないでもない。

 

「…………ま、一般人のおにーちゃんを作戦に組み込んだ時点で、怪しまれるのは当然だよねー。いいよー、そのうち皆知ることになるだろーし、教えといたげる」

 

 …………なんと。

 少し、拍子抜けであった。

 てっきりとぼけられるかと思っていたのだが、琴里さんは肩を軽く竦めて諦めたような仕草を見せると、そう言ってため息を吐いた。

 そして一度区切りを付けるためか、自分のブルーベリージュースのストローを咥えて、グラスの四分の一程残っていたそれを一気に吸い込みはじめる。

 琴里さんが飲みきるまでの数秒、僕達の間を沈黙が満たした。周辺の喧噪が耳につく。後ろの方から、カランカランというドアベルの音色と、元気のいい店員の「いらっしゃいませー」との挨拶が聞こえてきた。

 

 ――と、その時。

 

「ぶふぅぅぅぅぅぅッ!?」

 

 小さく可愛らしい口内にたっぷり含まれていたジュースが琴里さんの唇から勢いよく吹き出して、彼女の前方に座っていた僕と村雨さんの全身に降りかかる。

 

「「………………………」」

「ごっごめん、二人とも……」

 

 一体何事だ、何故僕はずぶ濡れになっているんだ。こんなのただのご褒美じゃないか。いやいやまてまて、落ち着け落ち着くんだ百目鬼智也よ。荒ぶる余りに踊り出しそうな感情を表に出してはならない。こんな時こそクールになるんだ。もしもここでこの歓喜に震える心が顔に表れてしまえば二人にドン引きされ僕の社会的地位は死を迎えるだろう。絶対にこの幸せは琴里さんと村雨さんには気づかれてはならない。

 

「……何かあったのかね、琴里」

「うん……ちょっと、世にも奇妙な光景が目に入って、それが非科学的かつ非現実的で……」

 

 大丈夫、僕は大丈夫だ。思い出すんだ、施設で暮らしていた日々を。自分の本心を隠して偽物の表情を顔面に貼り付ける生活を十年以上続けていたんだ。相手を騙すのはこれ以上ない得意分野じゃないか。僕ならこの窮地を乗り越えられる筈だ。考えろ、こんな時、どんな発言をするのが最も自然に見えるかを、その発言に合う自然な仕草を。この場合は………こうだッ!

 

「うぅ……びしょびしょですよ……一体何を見たんですか?」

「えっとね、あれ」

「……?」

 

 よしっ! 第一関門突破! 琴里さんに違和感を抱かせることなく会話をつなぐことに成功した。このまま脳をフル回転させ、顔に貼り付けた

しかめっ面の表情が崩れないよう注意しながら、同時進行で体中にベタ付いているこの聖水の感覚を脳に焼き付けるんだっ! って、違うそうじゃない! 何を考えてんだ僕はッ、完全に変態じゃねぇかッ!

 

「……どれ」

「あっ、令音……」

「…………………」

 

 琴里さんが指さしていた方向に、村雨さんがゆっくりと振り向いていく。僕も見たい所だが、興奮冷めやらぬ心臓を落ち着けるので必死なのでそんな余裕はない。

 村雨さんは徐々に首を回していって、完全に振り向いてその光景が見えたであろうところでぴたりと止まる。

 数秒後、後ろを向いた時以上にゆっくりとこちらに首の角度を戻して、カップを手に取り、ほとんど減っていなかった角砂糖たっぷりのアップルティーを口に含み―――ブーッと、僕らへ吹きかけた。

 

「……なまらびっくり」

 

 何なんだ、何だってんだ。今日の僕は何なんだ。一度ならず二度までも女性の口内を経由した飲み物を浴びるなんて。どうしてこんなにご褒美を貰えるんだ。……いやだから違ぇだろそうじゃねぇだろ。これはご褒美ではなく不運だ、アンラッキーな出来事なんだ。やめろ、喜ぶんじゃない僕の中に眠る変態性! よせ! 止まれ! 鼻腔をくすぐる二人分の飲み物の香りを記憶しようとするな! あと村雨さんなんで北海道訛り!?

 

「……智也も見てみると良い」

 

 っくぅ……! 今はそれどころではないのだが……、かといってここで振り向かないのは流れとして不自然か……。

 ええい、ままよ!

 

「シドー、今度のここは何を扱う店なのだ? きなこパンはあるか」

「いや、さっきみたいなパン屋ならまだしも、ここはカフェだからきなこパンはないぞ」

「む、そうか……きなこパンはないのか。口へと運んだ刹那に広がる薫風、脳髄を心地よく支配する甘さ……また食べたいのだが」

「前の店で散々食ったろ、しばらくは我慢しとけ。この店にだって旨いもんはあるからさ。新地開拓すりゃいいじゃねぇか」

「ふん、きなこパンほどに私の心を魅了する甘味など、そうそうあるとは思えんがな」

「コラ、店員さんの前でそういうこと言うな。ほら十香、このケーキなんか美味しそうだろ」

「けぇき……? よく分からんが、シドーの勧めなら食してみるか……おい売り子、このけぇきとやらを十寄越せ」

「ちょ!? 待て待て待て! 十個も頼むな! さっきのお前の馬鹿食いで結構財布が軽くなってんだよ!」

「? どういうことなのだ?」

「だぁかぁら! 十香のせいでもう金がなくなりそうなんだって! ケーキ十個も買ったら千円も残らねぇよ!」

「むう……金子が尽きたのか。仕方ない。ならばこの売り子から手っ取り早く奪うと――」

「!? お、おい! やめろ十香! 暴力は駄目だ!」

「何故止める!」

「ったりめーだろうが! 簡単に人を傷つけようとしちゃいけないんだ!」

「ならばどうしろと言うのだ!?」

「お前が! 食べる量減らしゃ!! 済むんだよ!!!」

 

 ………………………………………。

 

 スー……(僕がゆっくり正面に向き直る音)

 コトッ、チュー(モヒートを手に取り、ストローで吸う音)

 ……………(一瞬の静寂)

 ブッーーーーーーーッ!!(察せ)

 

 

―――――――――― 

 

 

〈ラタトスク〉機関のスタッフは、その全員が特殊な訓練を受けている。戦闘訓練などは言うに及ばず、怪我の処置や隠密行動、その他あらゆる事態に対応するための努力を日々積み重ねているのだ。

 全ては円滑に精霊とのデートを進めるため。世界を破壊する存在に、恋を知ってもらうため。

 そして本日、その訓練の成果の一端を見せる機会が遂にやってきた。

 

 通常とは異なり、空間震なしにこの街に姿を現した精霊・十香。後に静粛現界と名付けられたこの方法により、自らの意思で士道さんに会いにやってきた彼女は、学校が無い(物理)のにそれを忘れて登校していた彼と合流し、そのまま士道さんにリードされる形でデートを開始した。

 誰もが完全に意表を突かれた出来事であり、その余りの衝撃に〈フラクシナス〉の司令官・解析官・一般協力者の三名が何故か皆揃ってビッショビショのベッタベタになるというトラブルが発生したが、そこは世界を救うという大義を背負った〈ラタトスク〉機関のメンバー達、すぐに冷静さを(一周回って)取り戻し、ある作戦を決行したのだ。

 

 その名も、作戦コードF-08・オペレーション「天宮市の休日」。

明らかに某名作恋愛映画をパロった名称のこの作戦だが、その内容は緻密にして効果的。〈ラタトスク〉のスタッフを総動員し、天宮市の至る所にデートを満喫させるためのイベントや設備を配置。場合によっては、巨大な建築物さえ専用の顕現装置(リアライザ)を用いてごく短時間で完成させてしまう程の規模の大きさである。

 

 当然、スタッフ達はこのシチュエーションにも対応する。なんと彼らはこんな事態(精霊との街中デート)さえも想定し、全員劇団で一ヶ月間の演技講習を受けているのだ。

 今この時こそが自分たちの天王山、世界を救えるかどうかの分水嶺だ。表面上はにこやかに街を歩くしがない一般人を装いながらも、スタッフ達の心境は戦場(いくさば)に立つ兵(つわもの)のそれであった。

 

 ところで、だ。

 村雨さんから渡されていたインカムに話しかける。

 

「琴里さん。なんだって僕は彼らのデートをストーキングしてるんでしたっけ」

『もしもの時に即座に動いてあの二人を守れる人間が必要だからよ』

「その人員が僕であった理由は?」

『……智也ならその役目を果たせると踏んだからよ』

「もひとつ質問良いですかね。今回のこの作戦に追加メンバーを入れられる枠、ありましたか?」

『……あなたのような勘の良いガキは嫌いよ』

「やっぱり余りモンですか! 体育の授業でペアを作れなかったボッチみたいな扱いですか!」

 

 いいや、百歩譲ってそこまでは良い。わざわざ緊急時に暇してる奴を放っておく理由はない。だが!

 

「せめてシャワーくらい浴びる時間は無かったのですか!?」

 

 おかげで無駄に全身いいにおいしますわ!

 ついでにベッタベタだし!

 

 時刻、正午。

 お昼時を迎えた天宮市の賑わい方は、僕が琴里さんと村雨さんに奢ったカフェに入る前の時間帯よりさらに盛大だ。

 今士道さんと十香さんは少しお高めのレストランでランチタイムをほのぼのと楽しんでいる。士道さんの財布の中身に関しては、既にティッシュ配りのアルバイトに扮した〈ラタトスク〉スタッフの尽力により補給されていた。ついでにインカムも何故か自販機から出てきて士道さんの手に渡っている。

 

一応注釈しておくと、今デートしている二人は来禅高校の制服を着ている。兄妹揃って学校が臨時休校なのを忘れていた士道さんは良いとして、なんで十香さんまで制服を着ているのか。それに関してはデートの隙を使って士道さんが説明してくれた内容曰く、「十香が自分で作った」らしい。

どうやら十香さんは、自らの身につける物を霊力を物質化させることで顕現させられるようだ。チート流石精霊チート。

 

 んで、肝心の僕はと言うと、琴里さんの指示でいそいそとストーキングに勤しんでいた。それも、体や服にコーティングされたブルーベリージュースとアップルティーはそのままに、だ。〈フラクシナス〉に戻った二人は、ブリッジに入る前にさっさとシャワーを済ませたとのこと。解せぬ。

 

 時間が経ってすっかり乾いたからか、ぱっと見は分からないものの、近づいてみるとなんだかフルーティーな香りがするし、黒のTシャツは良いとしてカーゴパンツは微妙に愉快なマーブル模様になってるし、とどめに顔や腕の肌が露出している部分はなんかベタベタしている。

 心の中に住む変態のペルソナが既に鎮圧されている今の僕には、そのベタ付きは別段ご褒美でも何でも無く、ただ不快なだけだ。あ、ごめん嘘。実は言うほど嫌じゃな――死ね。もう出てくんな、もう一人の僕。

 

 つまるところ、現状の僕は“秘密結社に所属している、女子の飲みかけジュースで全身ベタベタな、絶賛ストーカー中の変態男子高校生”なわけである。字面が酷い。

 

『どう? 智也。そこから見て二人に何か変化は?』

「今のところは平穏無事そのものですね。雰囲気も良好そうですし、いっそ妬ましいほど――」

「――百目鬼智也」

「はいはい?」

 

 通信に夢中になっていたら、背後から声を掛けられた。

 特に何も考えずに振り返ってみうおっほう!?

 

「何をしていたの」

 

 国の極秘部隊に所属している、思い人の体操服をクンカクンカするのが趣味な、ガチ物変態女子高生がそこにいた。

 というか、普通に高校の制服を着た鳶一さんだ。

 いや、普通にとか考えてる場合ではない。ちょっとこれやばいのではなかろうか。

 

『智也』

 

 琴里さんが僕の名を呼ぶが、皆まで言われずとも分かっている。鳶一さんはAST隊員だ。士道さんと十香さんのデートを知られるわけにはいかない。なんとかして誤魔化す必要がある。

 質問に質問を返すのは失礼に当たるが、ここは仕方が無い。急展開にビビっている心臓をなだめ、表情筋を操作して顔から緊張を消し、全ての準備を一秒以内で終わらせて鳶一さんに話しかけた。

 

「そういう鳶一さんは、何故ここに? 制服を着ておられますが、今日は学校無いですよね」

「間違えて登校してしまった」

 

あんたもか。

 

「帰ろうとしたら、士道を見かけた」

「……それ、朝の出来事ですよね」

「八時」

「それからずっと士道さんの様子を見てたんです?」

「そう」

「つまり鳶一さんは、現在ストーキング中でOK?」

「違う。これはストーキングではなく、ただのコミュニケーション」

 

 一方的かつ陰湿にも程があるコミュニケーションもあった物だ。

 

『智也、マズいわよ。彼女が士道の後を付けてたなら、十香の存在に気づいていない訳が無いわ。変にとぼけるのは危険よ』

 

琴里さんからの言葉でハッとする。言われてみればそうだ。士道さんに狂気じみた恋愛感情を向けている鳶一さんのこと。士道さんと共にいる十香さんを見逃すとは思えない。以前、士道さんの隣にいた僕の存在には気づかなかったという事例があるが、あの時とは違い十香さんは女性。あまつさえ士道さんとデートをしているのだ。鳶一さんからしてみれば恋敵そのもの。流石に気づいていない訳が無いだろう。

 

そして、十香さんの存在を把握しているなら、当然その正体も分かっているはずだ。十香さんは鳶一さんとある程度の面識があるような台詞を言ったことがある。確か、《また……お前か》《……やめろ。その目は、嫌いだ……!》との内容だった筈だ。

つまり、彼女らは戦場にて何度かぶつかった事があるのだろう。なら、確実に気づいている。

  

「もう一度聞く。何をしていたの」

「それがですね……ちょっとアレを……」

 

 作戦変更だ。敢えてこちらから士道さん達の方を指さし、口から出任せを吐く。

 

「散歩中にあの二人を発見しましてね……ちょっと気になって、観察してたんです」

 

 鳶一さんから見て僕という人間は「偶然事情の一部を知ってしまった一般人」である。もしも僕が〈ラタトスク機関〉などとは無関係で、その認識のとおりの人間だとしたら、偶然散歩中に士道さんと謎の少女のデートを見かけた無知な僕はその時どう動くか。それをイメージしながら話す。

 

 よく、うまく嘘をつくコツは真実を織り交ぜることだと聞くが、もっと簡単な方法がある。すなわち、まず自分を騙せば良いのだ。自分の言葉が真実であると自分自身が誤認していれば、言動に怪しさなど無くなる。

 

「鳶一さん……一応訊きますけど……あの士道さんと一緒にいる少女、あの時のドレスの少女と同じ、ですよね?」

 

 自分の中に設定を作り上げる。完成した設定を自らに落とし込む。その二工程の自己暗示を以て、僕の嘘は僕にとっての真実となる。

 これは、二度目の人生で僕が身につけた人を欺くための手段だ。

 

「空間震は、人間が起こしているのですか……?」

 

 AST隊員を完全に騙す。

琴里さんや士道さんも含めた全ての〈フラクシナス〉メンバーが、デートと言う名の戦争をしている中。一般協力者の僕もまた、そんな戦争を始めることとなった。

 

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