ゼロ魔日記   作:ニョニュム

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破れたページ

 

○月×日◇曜日

 今更かも知れないが、いいかげん日記を書くことが一日の終わりを告げる日課になっているのだと実感する。現在、俺が置かれている状況はのんびり日記を書いているような状況じゃない。何故なら此処は俺の母国であるトリステインではなく、戦火が届いてこない村とはいえ、他国で内乱状態に陥っているアルビオンで日記を書いているからだ。

 

 本当なら一目散にトリステインへ逃げ出したいところだが、そうは問屋が卸さない。アルビオンの大地の何処かに眠るクラスカード。クラスカードの力で黒化した英霊(サーヴァント)を討伐して、クラスカードを回収し終えるまでアルビオンを出ていく訳にはいかない。アルビオンのクラスカードを回収しなければ、“土くれのフーケ”が捕らえられるのを覚悟で、俺を殺害しに魔法学院へやってくる。

 

 フーケとの対話を経て、命辛々逃げ出してきた俺はイリヤ達と合流すると正直にフーケに捕まっていたことを白状した。牢獄から逃げ出したなら捕まえなければ、とイリヤがフーケのアジトを襲撃すると言い出したが、そんなイリヤを必死で宥める。少なくとも今回に限って、フーケと敵対する理由が無い。むしろ、フーケがアルビオンの貴族派に属しているこの状況で、フーケにちょっかいを掛けるのは下策。下手に貴族派を刺激する必要は無いだろう。

 

 昨日、尋ねた通りアルビオンへ向かう飛行船乗り場へ向かった俺達を待っていたのは至る所が破壊された船乗り場だった。近くで破壊された船乗り場を修理していた船乗り達へ話を聞いてみると、昨日の晩にこの飛行船乗り場で王党派と貴族派のメイジが大暴れしたせいで当分、飛行船が出ないと教えられた。

 

 勿論、はい、わかりました、と納得して引き返す訳にはいかないので、ルビーが面白がって一番初めに提案した案。アルビオンまで自分で飛んで行く、という無謀行進が採用された。しかし、俺はフーケに杖を奪われている為に魔法が使えない。

 

 そのことを正直に伝えるとルビー相手に深い溜息を吐かれて、杖が無ければ無力だなんだと馬鹿にされ、名案を思い付いたとばかりにすぐ新しい杖を用意すればいいじゃないですか、と気軽に言われた。元々、魔法が使える状態でも足手まといにしかならない俺から魔法をとってしまえば、本当の意味で足手まといにしかならない。それでもルビーの提案だけは却下させてもらう。

 

 何故なら貴族にとって、杖とは命を預ける半身であり、自分が貴族であると証明する為の物。厳選に厳選を重ねて、その先で自分にあった杖と契約する。ルビーの提案するような間に合わせで、仕方ないからと用意するようなものでは無い。

 

 その大事な半身を奪われておいて、どの口が偉そうにそんな事を言うんだ、と言われたらぐうの音も出ないがそれだけは譲れない。今回の旅が終わって、無事にトリステインへ帰還することが出来たらじっくりと吟味して俺と相性の良い杖を選ぶつもりだ。

 

 アルビオンへ向かう時のことは思い出したくもない。だいの男が少女達に抱えられている姿など絵的にも美しくないし、男の意地とかその他諸々の精神がボロボロに傷付いたとだけ記しておく。

 

 アルビオンへ到着した俺達はフーケに紹介されてウエストウッド村を訪れていた。周囲は見渡す限り森の木々に囲まれていて、田舎を思い出させる。森の中のそのまた奥に隠れ住むようにして出来たその村には大人がいない。村にいたのは小さな子供達ばかりで、勿論、部外者である俺達へ警戒心を見せて近付いてこない。軽く見渡しただけでも宿泊施設が見当たらないことに途方に暮れた。

 

 しかし、途方に暮れていた俺達を助けてくれた人がいた。恥ずかしがりやなのか、耳が隠れるくらい深く帽子を被ったティファニアと名乗る少女。ウエストウッド村の中で最年長である彼女が代表として話しかけてくれた。

 

 フーケの言付け通り、彼女に紹介されてきました、と言ってフーケから預かった手紙を手渡す。手紙の内容を確認したティファニアさんは笑顔を浮かべて村に招待してくれた。他にも色々とあった筈だが、正直な話あまり覚えていない。何故ならティファニアさんが余りにも美しく、あまりにも大きな女性の象徴を持っていたからだ。それはもう、“トリステインの美貌”と謳われたアンリエッタ姫に勝るとも劣らないくらいに。一言で言えば、一目惚れだった。

 

 

 

 

○月×日◇曜日

 今は昔、“貴族とは杖がなければただの人”、確かそんな言葉で始まる著書をまだ満足に魔法を使いこなせない子供だった頃に読んだ覚えがある。杖がなければ――――つまり、要約すると魔法が使えない貴族はただの人であり、魔法が使えない平民と同等の価値しかない。魔法とは貴族にのみ許された特権であり、誇るべき資質である。だからこそ、持つべき貴族は待たざる弱者である平民を守る剣となり、盾となる。その為の力が魔法であり、平民の為を思い戦い、平民を守る為に傷付く。その姿こそ貴族の正しき姿であり、名誉ある姿。その姿を見せることで守られている平民達が貴族を敬うようになる。

 

 貴族の慢心を戒める為に作られたその著書はいつのまにか絶版となっていて、手に入る事はない。実家にある書庫の何処かに眠っているだろう。

 

 そろそろ、現実逃避は止めて、本題へ移ろうと思う。

 

 “貴族とは杖がなければただの人”、この言葉はとても確信を突いた名言であり、この言葉通りフーケに杖を奪われてしまった俺は無力な人間へ成り下がった。アルビオンに眠るクラスカードの回収を手伝うどころか、自分の安全すら確保出来ない俺はクラスカードの捜索を完全にイリヤ達へ委ねることにした。

 

 内心では心配なので付いて行きたい所であるが、ルビーに魔法が使えないなら守る対象が増えるだけで足手まといです、とはっきり宣言されてしまった。突き放すようなルビーの物言いにイラっと来たこともあったが、冷静に考えてみればルビーは俺の安全を思って言っているのだ。どちらにせよ、杖を持っていない、魔法が使えない状態で荒れに荒れている内戦状態のアルビオンを渡り歩くほどの度胸は無いので、別にいいのだが。

 

 まあ、色々と理由を並べている訳だが、はっきり言ってしまえばクラスカードの捜索に参加出来ない俺はウエストウッド村に着いてから何もする事が無い。朝の鍛錬は欠かさずに行なっていて、少しだけ格闘術を重点的にやっているけど、一人だとそこまで効率良くないし、一日中やっている訳では無い。

 

 クラスカードを回収する手伝いも出来なければ、ティファニアさんの好意で宿泊させてもらっている孤児院のお手伝いをしようにもティファニアさんにお客さんが手伝いなんてとんでもない、と言われてお手伝いさせてもらえない。

 

 消去法というか、必然というか、俺は部外者である俺達に対して興味津々である孤児院に住む子供達の遊び相手を務めていた。鬼ごっこやかくれんぼ、木登りやおままごとなどの基本的な遊びから、そこら辺に転がっている木の枝を拾ってきて杖に見立てると貴族ごっこしてみたり、この世界で読み聞かされている童話を読んであげたりして、一日を過ごしている。

 

 我ながら貴族らしくない性格だと自負しているが、この性格が幸をそうして子供達とは打ち解けて仲良くなった。人里離れた村ということであまり貴族に対する礼を知らない子供達と違って、ある程度知識があるティファニアさんは子供達と遊ぶ俺に恐縮しっぱなしだったけど、子供達と遊んでいるとむしろこちらの方が癒された。

 

 前世の環境の事もあり、自分より年下の子供の世話自体は慣れているし、子供達と無邪気に遊ぶ時間は好きだ。特にクソガキと呼ばれる腕白坊主と一緒に暴れている時が一番楽しい。

 

 そんな感じで村に慣れてきた俺とは違い、イリヤ達の方はあまり上手くいっておらず、進展がないようだ。一応、ルビーとサファイアの努力でこの辺りにクラスカードが眠っていることだけは突き止めた。正直、洒落になってない。もし、この村で解放されたら、そう思うと不安で仕方ない。

 

 

 

 

○月×日◇曜日

 それは本当にどうしようもなく突然で、唐突な出来事だった。今ではすっかり習慣となっている朝の鍛錬を、まだ朝霧が出ているような時間帯に子供達を起こさないよう外でしていたら、水汲みをしていたらしく両手にバケツを抱えたティファニアさんとばったり出くわしてしまった。ティファニアさんと出くわしたこと自体は何も問題じゃない。問題はティファニアさんがいつもしっかりと被っていた帽子を被っていなかった事。そして、深く被っていた帽子によって今まで隠されていた特徴的な耳。

 

 “エルフ”――――子供の頃から何度も言い聞かされ、常に教えられてきた貴族の天敵。大昔から人間と敵対してきた因縁の種族。見つけたらとりあえず殺しておけと言い聞かされてきた“吸血鬼”と似たような存在。

 

 物心がつく前から教えられてきたその存在。交流も無いのに何故悪だと言い切るのか、前世の記憶がある俺には理解出来なかった。しかし、だからと言って、エルフを良い種族と思っているかと聞かれたら答えに詰まる。少なくともトイリステインでエルフが犯人の事件が起きている。悪事を働くのはその人物の本質が悪かっただけで、一人一人は関係無いことを頭では理解している。それでも気にしないと言い切ることは出来なかった。

 

 俺とティファニアさんはお互いにどうする事も出来ず、接している子供達に心配させないように表面上は普通に接することが出来たが本当の所はお互いに距離を測り損ねていた。

 

 

 

 

○月×日◇曜日

 身体の上に誰かが乗っている。そんな重さと寝苦しさを感じて目を覚ました時、俺の上に馬乗りでいたティファニアさんと視線が合う。そして、ティファニアさんが構えていた杖を確認した俺は命の危険を感じて、ティファニアさんを思い切り突き飛ばして、体勢を崩した所を逆に飛び乗って押し倒すと、手に持った杖を奪って何をするつもりだったのか、警戒しながら尋ねた。本当ならすぐに急所へ一撃を叩き込んで拘束、その後尋問という段取りの筈だが、あまりに無抵抗だった為に、ティファニアさんを傷付けることを躊躇ってしまった。

 

 そんな俺の動揺を余所に目尻に涙を溜めたティファニアさんは何故、俺へ杖を向けていたのか、その理由を正直に答えてくれた。ハーフエルフであるティファニアさんが使える魔法の中に、記憶を消す魔法があるらしい。俺はそんな魔法聞いた事無かったが、エルフ系列の魔法ではあるのかもしれない。その魔法でティファニアさんがエルフだったことを忘れさせようとしたらしい。確かにティファニアさんがエルフだと知ってから、1枚の壁が出来ていたのは事実だった。

 

 本当に驚かせて悪い事をした、と今にも泣き出しそうなティファニアさんの表情に俺は溜息を吐いて拘束を解く。美人が涙を浮かべるとか卑怯です。

 

 色々とトラブルはあったものの、少しずつティファニアさんと分かりあえてきた日々の中で、アレがウエストウッド村に現れたのは本当に突然のことだった。ティファニアさんと子供達、皆で団欒しての昼食を済ませた後、再び村の広場で遊び始めた子供の一人が村の入口に佇むアレを見付けた。

 

 筋肉質で屈強な戦士の肉体を持つ黒い霧を纏った男性、その手には鮮血のごとき紅い一本の槍が握られていた。

 

 ――――男性の正体はランサーの英霊(サーヴァント)

 

 俺達と同じように外から訪れた人だと無邪気に近付いていく子供達に向けて、俺は全力で逃げろと叫びながら走り出す。俺の真剣な表情から男性が怖い人だと認識した子供達が慌ててランサーから逃げ出した。だからこそ、俺は最大の失態を犯した。俺が急いで逃げろと驚かせてしまったせいで、男の子の一人が転んでしまった。そしてランサーは最初の標的としてその男の子に狙いを絞った。

 

 その光景を目撃して、走り出した筈の足が恐怖に竦んで立ち止まっていた。イリヤ達は周辺の捜索に出掛けていて村にはいない。クラスカードから英霊(サーヴァント)が覚醒すれば、すぐに分かるとルビーが言っていたので、既に村へ引き返してきているだろうが、男の子を守るには間に合わない。俺が守らなければならない筈なのに、俺は恐怖で動けなかった。

 

 気付いた時にはそんな見っとも無い俺を抜き去って、黒い人影が横を通り過ぎていった。人影の人物はティファニアさんだった。男の子を守るように胸へ抱いて、ランサーは意志の強い視線を向けるティファニアさんの姿を見た時、無様な程に立ち竦んでいた俺の身体が無意識に動いていた。

 

 ――――心が震えた。自分の未熟さに、自分の無様さに。そして、憧れるほど眩しい、ティファニアさんの強さに。

 

 迫り来る槍を身体で受け止めた後のことを全く覚えていない。孤児院のベッドで目を覚ました俺は右肩を怪我した重傷状態で、ランサーが現れた時に外へ捜索に出掛けていたイリヤ達は間に合ったらしい。美遊の手にはランサーのクラスカードが握られていた。俺も多少活躍したそうだが、全く覚えていない。

 

 ティファニアさんから記憶を消す魔法の存在を聞いた時からずっと考えていた事がある。

 

 俺はまだ弱く、ティファニアさんの秘密を守る自信が無い。だからこそ、当初、ティファニアさんが思いついたように、記憶を消してもらうつもりだ。

 

 もし、俺がこの日記を読み返しているなら、この手紙を渡してくれたティファニアさんの事を絶対に信じろ。彼女はエルフなどの種族は関係無く、素晴らしい人物で、俺が一目惚れした人物だ。

 

 日記を書いた本人である俺が保障する。

 

 

 

 

◇ティファニアの記憶◇

 あの人との出会いはとても平凡であり、少し唐突、いつものように平和で穏やかな時間が流れている日々のちょっとしたイベントだった。私のお手伝いをしてくれる子供達へ指示を出して家事をしている時に、私の事を探していた子供達がいて、子供達から話を聞いてみるとマントを纏った若い貴族がメイド姿の少女を二人ほど連れて、村の入口で立ち往生しているとの話だった。

 

 “貴族”という言葉に反応した私はマチルダ姉さんに教えられた通り、“貴族”に見付からないように自宅に戻り、耳が隠れるまで深く帽子を被る。不自然じゃあないことを確認した私は貴族の人へ声を掛けた。

 

 あの人達は私の姿を認めて、安堵した表情を浮かべると村を見渡しながら宿泊する宿が無いか尋ねてきた。勿論、隠れ住むように暮らしているこの村に宿は無い。宿は無いけど、宿泊する場所としてなら孤児院がある。だけど、いくら世間知らずな私でも孤児院は貴族の方が泊まるような場所ではない事ぐらい知っている。

 

 宿泊施設が無いという私の言葉を聞いて、困った表情を浮かべたあの人達は手紙の人物に推薦されたと言って、マチルダ姉さんの文字で書かれた手紙を渡してくれた。手紙の内容はアルビオンを滅ぼしかねない危険な魔獣がアルビオンに潜んでいて、その退治をする為に、マチルダ姉さんの紹介を受けて、魔獣を捜索する拠点として、この村に滞在する事。色々と注意書きも書いてあったけど、簡単に纏めればそんな内容の手紙だった。マチルダ姉さんの紹介でこの村を訪れているなら、警戒する必要も無いと考えた私は自宅にあの人達を泊める事にした。

 

 元々、貴族である筈のあの人がこの村に馴染むのは本当に早かった。魔獣退治の専門家であるイリヤさん達が危険な魔獣を捜索している間、手持ち無沙汰なあの人は外の人間という事で興味津々の子供達を相手にしてくれた。本当に貴族の方とは思えない無邪気さで子供達と鬼ごっこやかくれんぼをして遊びまわり、森を駆け回るあの人の表情が本当に楽しそうで、私はあの人が貴族である事を忘れかけていた。

 

 だからこそ、あの人と遭遇する可能性があったにも関わらず、帽子で耳を隠す手間を省いてしまった私は外で汗を流していたであろうあの人と遭遇してしまい、あの人に私がエルフの血を引いている事がばれてしまった時はどうしたらいいか判らなかった。

 

 忘れられない記憶である騎士の方と違って、あの人は動揺して困ったような曖昧な笑みを浮かべるだけだった。だから、子供達が気付かないように表面上はいつもと変わらないように接してくれたけど、あの人との間に決定的な深い溝のようなモノが出来てしまったと感じた。私はその事が寂しくて、悲しくて、あの人が寝ている内に記憶を消す魔法を使おうとした。

 

 その結果は散々で、驚いたあの人に私は突き飛ばした後、押し倒されて杖を奪われた。いつも見せてくれた穏やかな表情と違う、息が荒く、緊張した面持ちで尋ねてきたあの人の質問に私は正直に答えた。

 

 私がエルフの血を引いている事を忘れれば、以前と同じように接してくれると思った事。私の言葉を聞いて、あの人は溜息を吐いて私の上から退くと拘束を解いて謝罪してくれた。

 

 元々は私のせいとはいえ、乱暴をした事。エルフというだけで動揺してしまった事。それでもまだ、割り切れていない事。少し悲しい。それでも私はあの人の本音を知る事が出来て嬉しかった。

 

 

「全員逃げろっ!」

 

 

 あの人の鬼気迫る切羽詰まった叫び声が村中に響いたのは子供達と一緒に昼食を済ませてから少しだけ時間が経った頃のことだった。あの人の鬼気迫る声に何事か、と視線を向ける。視線の先には黒い霧を身体に纏った男性が佇んでいた。悠然とその場に佇む男性の手には鮮やかな色の紅い槍。その光景を目撃した時、理性や理屈ではなく、生き残る為の本能で理解した。

 

 ――――あの悠然と佇む男性こそが、イリヤさん達が捜索していた魔獣なのだと。

 

 そして、あの男性から逃げ出そうとして転んだ男の子がいることに気付いた私は逃げ出せ、と命令する本能と震える身体を押しのけて走り出す。男性から守るように男の子を抱きしめて、男性を見る。視線の先では男性が紅い槍を振り上げている所だった。

 

 

「っ!」

 

 

 痛みを覚悟して瞳を閉じる。けれど、来る筈の痛みが訪れる事は無かった。ただ、苦悶するような吐き出す声にならない声と私達を守る為に前へ飛び出して右肩を紅い槍で突かれたあの人の温かい血が少しだけ飛んできた。

 

 

「俺は弱い……、だから、絶対に逃がさない!」

 

「――――ッ!」

 

「イリヤ、ぶちかませ!」

 

 

 自分の右肩を貫いた槍を両手で掴み、滴り落ちる血液に両手を赤く染めるあの人から槍を取り戻そうと男性が動き出すがもう遅い。あの人が叫ぶと同時に、イリヤさんが槍をあの人から引き抜こうとした男性の懐に潜り込んでいる。

 

 

『アハ~、お互いに禁忌として忌み嫌いあう異種族の、それも異性を身体張って助けるとか、何処の主人公ですか~。因みにナイス判断です。イリヤさん、こんなチャンスはありませんから物理極振りの全力全開でいきますよ!』

 

「当たり前! 行くよ、美遊!」

 

 

 目にも留まらない速さで突然現れたイリヤさんの衣装は見慣れたメイド服姿ではなく、見覚えの無いヒラヒラとした格好の服で、あの人が槍を握っているせいで動けない黒い霧を纏った男性を両手に持っていた杖で思い切り殴って空中へ吹き飛ばす。

 

 

『騎英の――ッ!』

 

 

 空中を一筋の閃光が駆け抜ける。

 

 

「勘違い、しないで下さい。俺はエルフを守った訳じゃありません。ティファニアさんと子供を守ろうとしただけです」

 

 

 自分に言い訳を聞かせるように呟いて、あの人は私の方へ倒れてきた。

 

 

 

 

 黒い霧を纏った男性の襲撃から数日が経ち、ようやく目を覚ましたあの人から頼まれた言葉に私はショックを受けた。私が持つ記憶を消す魔法で、この村で起きた出来事を忘れさせて欲しい。突然のことで戸惑っている私の代わりに、イリヤさんが何故そんな事をするのか尋ねてくれた。

 

 あの人は正直に答えてくれた。あの人は未熟である事。未熟だからこそ、ハーフとはいえ、エルフの血を引く私の存在を隠し通す自信が無い事。未熟で弱者であるあの人は何かの取引で私の情報を洩らしてしまうかも知れない事。なによりこの村には支配階級である貴族やトラブルの元となる争い事が必要ない事。

 

 色々な理由を並べて語るあの人の言葉に共通しているのは自分が未熟で弱い人間である事とこの村へ余計なトラブルを持ち込まない為の事だった。私へお願いしてくるあの人の瞳を見れば、その決意が簡単に見て取れる。本気の瞳だった。

 

 あの人は持っていた荷物の中から見覚えの無い文字で書かれた本を取り出すとその内の何枚かを破いて私に渡してくれた。

 

 

「また今度、ティファニアさんと出会えたその時に、その日記を俺に見せてもらっていいですか? 俺はもっとずっと沢山の力を得て、種族なんて関係ないって、自信満々に言い切れるようになったら、この日記を受け取りに来ます」

 

「――――ティファニアでいいですよ。呼び捨てにしてくれた方が私も嬉しいです」

 

「それじゃあ、今度からそう呼ばせてもらうよ、ティファニア」

 

 

 負傷した右肩が痛む筈なのに、柔和なまなざして微笑するあの人に向けて、胸が締め付けられる思いで杖を振る。ガクリと崩れるあの人の姿。私のことを忘れてしまったと思うと少しだけ涙が流れた。

 

 

『抜けている記憶の方は私達が勝手に補強しておきます。ですから、安心してください。でも、本当に良かったんですか? この人の事、少しぐらい好きだったんじゃないですか?』

 

「ちょっと、ルビー」

 

 

 喋る杖ことルビーさんと慌てた様子のイリヤさん。ルビーさんの指摘を受けてこの別れる事が悲しいこの感情が何だったのか、自覚した。

 

 

「…………今度会った時は、ティファニアって呼んでくれるそうなので。私は待ってます」

 

『折角、成立させたフラグを自分からへし折るとはこの人も大概馬鹿ですね~』

 

 

 気絶したあの人を抱えて去っていくイリヤさん達の姿を見届けながら、私は無意識の内にあの人から渡された日記らしい紙束をぎゅっと握り締めた。

 




主人公のヒロインはティファニアです。
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