月姫と異烏が出会った日の翌日の昼。オルガは昨日入った酒場の近くで朝早くからマサトを待っていた。
――……中々来ないな。
相手は戦姫かつ、病人だ。会談の予定をしてもらうのに、予想以上の時間が掛かっているのかも知れない。
もうしばらく待つことにし、オルガは店前で立っていると。
「――あっ、てめえ!」
「昨日のガキじゃねぇか!」
荒く呼ばれ、オルガがその声の発声箇所に振り向くと、昨日自分に声をかけ、何処かに連れ去ろうとした二人組がいた。
「……また貴方達ですか」
オルガは露骨に心底がっかりした表情を見せる。よりによって、何故この二人組なのだろうか。
「な、なんだその面は!」
「生意気なガキだぜ……。昨日の奴はいないようだし、今日は来てもら――」
「人様の連れに、またちょっかいかけるの止めてくれないかな?」
昨日聞いた声に、二人組はぎょっとして振り返ると、袋を持ったマサトがそこにいた。
「また痛い目に遭いたい? ――今度は容赦しねえぞ」
「私も、だ」
前後からの強烈な雰囲気に二人組はたじろぐと、負け惜しみを言って昨日同様、立ち去って行った。
「まったく、昨日ので少しは懲りないのかねえ」
「ああいう類のは難しいと思う」
「面倒が起きる前に、報告して置くか。それはそうと、話し合いのことだけど――今日、体調が安定してる。だから、そちらさえ良ければ、すぐ会談しようとアルシャーヴィン様は言ってる」
「分かった。そうさせてもらう」
「よし。じゃあ、一度何処かで変装してから行こう。良い場所無い?」
「私が借りている宿がある。そこなら、誰にも見られずに変装できる」
「じゃあ、ささっと済ませようか」
二人は直ぐに宿に行き、そこで変装してから公宮へと向かった。
――――――――――
黒髪に変装したオルガを連れ、公宮に戻ったマサトはザウルと一緒に客室に案内し、アレクサンドラの様子を見に行っていた。
一方、オルガはザウルと一緒に部屋で待っている。竜具は、アレクサンドラやザウルが信頼できる相手に預けていた。
「結構、掛かりますね」
「彼からも聞いたと思いますが、アレクサンドラ様は病弱なため、時間が掛かるのです。御待たせして申し訳ございません」
「いえ、こちらが急に頼んだ為もあります。気になさらず」
ザウルは相手が戦姫のために、オルガは自分の今の立場のために敬語を使っていた。
――まさか、本当に戦姫を連れて来るとは……。
しかも、相手は失踪したと言われている、オルガ=タム。今日、主から話を聞いたときも驚いたが、本人だったのもまた驚いた。
しかし、偶々の休日で偶々放浪していた戦姫と遭遇するとは、彼はどんな運をしているのだろうか。
これは単なる偶然なのか、運命が呼び寄せた必然なのかは分からない。だが、少なくともただの出会いで終わることは無い。それだけはザウルでも分かった。
「一つ、宜しいでしょうか?」
「何でしょうか?」
「彼――マサトは、どんな人なのですか?」
自分はマサトを知らない。今までの話で知ったのは、ジスタード人ではなく、特別な事情で公宮にいることになった者。それと奇妙な武器らしき何かを所持している。これだけ。
オルガとしては、どうにも気になる点が多いため、ザウルに聞いたのだ。
「誠に申し訳ありませんが、彼の事は言わないように口止めされていますので……」
――それほど、特別な人物という訳か。
口止めしているのは、自分の事情を話せているザウルの立場を考えても分かるように、この公宮の重臣か戦姫だけだろう。
となると、マサトはただの異国人ではあり得ない。そうするだけの価値か何かがある人物ということだ。
事情があると言っていたことを思い出すが、ザウルは勿論、マサトからも聞けないだろう。特に、他国の上に逃げた今の自分には。そう考えると、つい苦笑してしまった。
――本でも読もう。
ただ待つのも時間の無駄だ。政治の参考になりそうな本を探し、見付けるとゆっくりと読んでいく。
半分ほど目を通すと、コンコンと叩かれ、マサトの声がした。直後に彼が入り、念のため扉を閉めてから報告する。
「アルシャーヴィン様の容態に変化が無く、問題はないため、許可が出ました。如何されますか?」
――……なんだ、今の違和感?
さっきのマサトの発言が、オルガは少し引っ掛かった。口調とかではない。彼がまるで、アレクサンドラの体調を確認したかのような。そんな台詞だった気がする。
――いや、そんなことはどうでも良いか。
それよりも、アレクサンドラとの会談が出来るのだ。そちらに集中せねばならない。承知しましたと返すと、マサトとザウルと一緒に廊を歩いていく。
すれ違う人に奇妙な視線を向けられるも、オルガは気にしない。しばらく歩き、とある部屋の前に立つ。
扉前にいた従僕が刻限を半刻までと告げると扉が開かれ、オルガは騎士と兵士と共にレグニーツァの主の部屋へと入室する。
「ようこそ」
オルガの視線の先に、ベッドで身体を起こすアレクサンドラの姿が見える。どうぞと促され、近くの椅子に座る。
ザウルが前のマサトと時と同じ様に、アレクサンドラとオルガの間に。マサトは三人から離れた位置に立つと、話が始まる。
「初めまして、煌炎バルグレンに選ばれ、国王陛下からレグニーツァの地を賜りし、アレクサンドラ=アルシャーヴィンだ」
「……羅轟ムマに選ばれ、国王陛下からブレストの地を賜りし、オルガ=タムと申します」
アレクサンドラに比べ、現状からオルガには話すまでに少し間があった。
「こうして会うのは、初めてだね。僕は二年前から病にかかって公宮に籠る日々だったから」
「はい、私は昨年戦姫に選ばれたばかりなので」
名こそは知っているが、これが二人の初顔合わせになる。
「話は彼から聞いてる。先ずは――君が聞きたい話からしようか」
――……私に尋ねないのか?
先ずは、自分が統治すべき公国から逃げたこと。それについて聞かれるか批判されるかと、オルガは思っていた。
ただ、向こうがそう話すのなら、こちらはしっかりと聞かせてもらうだけだった。
「アレクサンドラ殿は、六年前に戦姫に選ばれ、以来勤めてきたとのことですが」
「うん。それまではただの平民だったから、最初の方は色々と苦労したよ」
特に文字は最低限だったので、政務をこなす為にも急いで全部を覚える必要があった。
他にも、統治者であり、戦姫でもある以上は兵を指揮する能力は勿論、政治をこなす能力、立場に似合う作法や教養を筆頭に様々なものを学ぶ必要があった。
最初は失敗が常に付きまとっており、成功の方が少なかった。決心したとはいえ、本当にやっていけるのか不安で一杯だった時など、何度も感じたものである。
「だけど、良き臣下達に恵まれたからね」
アレクサンドラが近くに立つザウルを見ると、彼は光栄ですと言いたげに無言で頭を下げる。
彼や、多くの臣下達が未熟な自分を頼もしく支え、時には厳しく教えてくれた。
ただの平民でしかなかった自分が戦姫へと成長したのは彼等の存在があってこそ。彼等がいなければ、今の自分はいないだろう。
「まぁ、今は二年前から病が本格的に発症したせいで、以前ほどは頑張れないけど。それでも、周りの彼等の助けもあって、何とかやって行けてるよ」
またザウルを見る。騎士はまたそれぐらい、当然ですと言いたげに頭を下げる。勿論、無言だ。
ただ、この事に関しては臣下に恵まれたと嬉しく思いつつも、彼等に負担を掛ける事への後ろめたさもあり、中々に複雑だ。
「貴女は……貴女は何故、そこまで頑張れるのですか?」
「どういう意味かな?」
「聞いた話では、病は非常に辛く重いものだと耳にしました。それなのに、どうしてそこまで公国の為に働けるのか。私はそれが知りたいのです」
何故、そんなに辛く厳しい状態にもかかわらず、まだ頑張れるのか。それこそがオルガが一番知りたいことだ。
勿論、当人の信念や想いが詰まった、重要な理由でもある。話せないと言われれば、素直に聞き入れる気だ。
「だからこそ、だよ」
「だからこそ……?」
「普通なら、拒絶されても何らおかしくない。だけど、彼等は受け入れてくれた。だから、頑張るのさ」
マサトと話した時と、似た台詞を黒髪の戦姫は告げる。
とはいえ、臣下達が受け入れた理由の中には戦姫だから、という理由も大きいだろう。現に、彼等と初めて会い、話した時もそうだった。
しかし、自分を拒絶しない彼等は、アレクサンドラにとって嬉しい存在だった。だからこそ、戦姫になることを受け入れ、今も頑張るのである。
――たったそれだけでは、ある。
しかし、それを貫き、辛い今も尚、戦姫としての勤めを全うしようとしているアレクサンドラと、重みから逃げた自分。
どちらが人としても戦姫としても立派なのかは、一目瞭然だった。朧姫との大きな差を、月姫は感じてしまう。
「もっと聞きたい?」
「……」
最初の話だけで、差を思い知らされてしまった。これ以上聞いても、劣等感に打ち拉がれるのは目に見えている。
――いや、だからこそ私は……。
話を聞かねばならないのだ。自分よりも遥かに上である彼女に。どれだけ差を突き付けられ、未熟さを叩き付けられようとも。
オルガは軽く息を吐き、内にある余計な迷いを払って意を決めると、続きを聞いていく。
その一つ一つの詳細を知る度に苦しくなっていくが、必死に抑えて気になる所は質問する。そうやって話を十ほど聞かせてもらった。
「さて、ある程度話したし、そろそろ今度はこっちが訪ねてもいいかな?」
――ついに来たか。
アレクサンドラが何を聞こうとするのか、オルガだけでなく、マサトやザウルも直ぐに気付いた。月姫は朧姫の提案を受け入れる。
「じゃあ。――もう少しで国を離れて約一年と聞く。どうして、僕との話し合いをしようと思ったのかな?」
アレクサンドラは姉のように優しげ表情ながらも、しっかりと尋ねる。話自体はマサトから聞いてある程度知っているが、オルガの口から改めて聞きたいのだ。
その問いに、オルガは意思を強く固めた上で答える。
「……私は、統治者や王についての答えを出すために旅をしていました」
――王。
その単語に、オルガを除く全員が少し意表を突かれた。昨日の話や報告では出なかったからだが、同時に出た理由を考えればそんなにおかしくはないだろう。
「しかし、昨日私は彼と出会い、話をし、その中で自分が時に任せてただ逃げているだけだと理解したのです。……もう手遅れでしょうが、それでもそんな自分を変えたい、前に進みたいと思い、貴女との話をお願いしました」
「そう。ところで、この後はどうする気かな?」
「簡単には許されないでしょうが、家族や臣下に会い、謝罪をしてから改めて戦姫としての役目を最低限は果たそうと思います」
マサトからの提案については、話さない。今のオルガには甘えと判断したからだ。
「出来るのかい?」
「出来るか、ではありません。やらねばならないのです。進むために」
――良い傾向ではあるんだけど。
一方で自棄気味にも、気負い過ぎているように見える。マサトが言っていたように、戦姫の重さに潰される可能性が高かった。
オルガが年若く、精神や経験が不足してそうなのも、アレクサンドラが悩む一因だ。そうすべきではあるも、先輩としては不安でもある。
アレクサンドラの選択肢は二つ。このままオルガの意思を尊重するか、マサトの提案を聞いてもらうか。
しかし、後者の場合、どうやって彼女を納得させるか。そんな都合の良い方法は――あるのである。
「ねぇ、君は昨日、確かマサトに危害を加えようとしたらしいけど――それについての謝罪はどうしてくれるのかな?」
「えっ、あっ、い、いやっ、それは申し訳ございませんでした!」
昨日、マサトを気絶させようとしたことを責められ、オルガは慌てて頭を下げる。
「悪いけど、マサトは非常に価値のある人物なんだ。その彼に危害を加えようとして置いて、謝罪だけで済ませるのは都合が良すぎるよ」
相手が戦姫とはいえ、他公国の公都で自分が抱える人物に害を加えようとした。
これが、オルガが何らかの役目を果たそうとしていた間でのなら、マサトとオルガの非は互いに五分五分と言ったところだろう。
しかし、今のオルガは己の役目を放棄した状態で国を出ている。これでは、非があるのはどう見ても彼女。その非に対する責任は取らねばならない。
「いや、自分は――」
「君は黙りなさい」
自分の価値に関しての認識が薄いマサトが口を挟もうとするも、アレクサンドラが一蹴する。
「話は戻すけど、彼が万一大きな怪我や後遺症が出来ていたりしてたら、レグニーツァの大きな損失になっていた。だから、その分の賠償をしてもらう」
「ど、どれだけ払えば……?」
「そうだね。ざっと――」
アレクサンドラがその金額を話すと、オルガだけでなく、マサトやザウルも口を開く。何しろ、その値段はマサトの借金の軽く数倍はあったのだから。
――これ、完全にぼったくりじゃね?
マサトからすれば、この値段は法外にしか見えないが、アレクサンドラからすれば、マサトは異界の発達した知識を大量に所持する人物。その価値は計り知れず、これでもかなり控え目だったりする。
「ま、待ってください! そんなにですか!?」
「そうだよ。ちなみに、彼が無傷だったことを考慮した上でこれね」
――か、彼はどれだけの価値があるんだ!?
月姫は唖然とする。この値段はどう考えても個人で払える範囲のではない。
となると、戦姫として払うしか無い訳だが、国を出た自分が他の公国に早速賠償金を支払う。批判や不満を受けるのは確実だ。
「――あと、これは全部、君個人で払ってもらうから」
「はい!?」
しかし、自分の責任であるため、オルガは仕方ないと納得しかけたが、次の台詞にまた驚愕する。
「いや、君個人で仕出かした事なのに、公国や他人が払うのは筋が通らないよね? だから、ただのオルガとして稼いで払ってもらう。それとも――向き合うと言いながら、自分の起こした事の責任を取るつもりが無いのかな?」
最早、オルガは呆然とするしかなかったが、若さゆえに後半の台詞でムッとなる。
「そんなつもりは一切ありません」
「一度逃げた人にそう言われても説得力が無いなあ」
アレクサンドラの挑発的な台詞と表情に、オルガは更に苛立ちを募らせる。
「しっかりと弁償します!」
「本当に? 大金だよ?」
「本当にです! 絶対に返済します!」
「本当の本当に?」
「本当の本当にです!」
徐々に乗せられていることに、オルガは気付いていない。
「じゃあ、君は明日からこの公宮で使用人兼、マサトの補助者として働くこと。名誉と契約の神、ラジガストの名に掛けて。宜しい?」
「――はい! …………あれ?」
オルガは力強く頷き――しばらく間を置いたあと、アレクサンドラの今の台詞を脳内で繰り返す。
さっき、彼女はこう言った。今日から公宮で使用人として、同時にマサトの補助者として働くことを、ジスタードの神々の一柱、名誉と契約を司る神、ラジガストの名に置いて、と。
つまり、自分とアレクサンドラはたった今、そう契約してしまったことになる。神の名の元の契約を。
「ザウル、この話が終わり次第、直ぐに契約書を作成するように」
「……は、はっ。承知しました」
困惑気味だが、主の命令のため、ザウルは相づちを打つ。
「ま、待ってください! さっきのは勢いでつい……!」
「でも、了承したよね?。直ぐに手の平返し? さっきはしっかりとすると言ったのに、直ぐに撤回するなんて――君の言葉と責任は随分と軽いんだね」
慌てて止めようとするオルガだが、にっこりしながらもそう告げるアレクサンドラの一言を前に硬直する。
「で、ですが、戦姫が使用人として働くなんて、外に知られたら……」
「契約はここにいる者達以外は極一部の者にしか話す気は無い。君がここにいることになった理由は、君はマサトが旅をしていた間に交遊を持つことになった知り合いで、彼が偶々外出した時に再会。話し合いをしたあとに、経験を学びたいと彼や公宮に頼んだ。こんな所かな」
これだと、臣下でもないマサトへの批判が一気に高まるが本人は気にしておらず、多少の対処もしてある。
「後、ここでの生活は簡単なものじゃない。心構えはしっかりとしておくように」
厳選された人物のみが入ることを許されたこの公宮に、赤の他人が戦姫の許可が与えられたとはいえ、いきなり入る。
不満や嫉妬の視線を向けられるのは当然だろう。ただ、その分、大きな経験にもなるが。
「沢山経験して、活かすようにね」
――……そうか。
これらの言葉で、オルガはアレクサンドラもマサト同様に自分を成長させる為の機会を与えてたのだと理解する。
マサトはともかく、公主であるアレクサンドラはそれだけではないだろうが、機会をくれた。
「……とりあえず、頑張ります」
月姫は少し間を置いて、そう返した。
「じゃあ、明日からマサトの元で頑張るように。部屋は今日は客室か彼と一緒の所に。ただ、明日からは彼と同室で暮らしてもうけど」
「問題ありません」
異性であるマサトと一緒だが、決めた設定を考えると仕方ない。それに自分はそんなことを気にしないし、万一襲ってくるなら力で対応するだけである。
「これで話は終わり。一生懸命励んでね」
「今日はありがとうございました。失礼します」
「ザウル、案内してあげて」
「こちらです」
「感謝致します」
ペコリと一礼すると、オルガはザウルと一緒に、礼儀正しく部屋から退室した。
「これで君の御希望には応えたかな?」
「……色々と言いたいのですが、それはともかく……よく、此処に置く判断をしましたね」
「あれ? 君が昨日言ったんじゃないか。どちらに転んでも、彼女に恩を売る良い機会だって」
先輩としてのお節介も無くはないが、ここで成長の機会を与えれば戦姫としても、オルガ個人としても、彼女に借りを作れる。そして、もう一つ理由がある。
「それに、彼女を雇えば、君は僕の臣下になる。忘れてないよね?」
「――はい」
昨日の話の時、アレクサンドラはオルガとの会談は受け入れたが、雇うことに関しては損得が半々なため、ある条件を出した。それこそがマサトが正式に自分の臣下となること。
オルガへの貸しだけでなく、マサトを自分の臣下に出来る。だからこそ、アレクサンドラはマサトの案を受け入れたのだ。契約書も直ぐに作る予定だ。
――忠誠心は欠片も無いって断言してるし、正直、何処まで効果が有るかも不明だけど。
それでも無いよりは良い。こちらのルールに反ったものである以上、マサトはレグニーツァに身を置き、益になるよう働かねばならない。これは絶対である。
――ただ……。
自分の臣下になってまで、マサトはオルガに時間を与えようとした。これだけは正直、意外だった。理由は分かるのだが、そこまでするとは流石に予想を超えていた。
これに関しては推測が二つある。一つはレグニーツァの臣下となり、情報を効率良く集めつつ、オルガに恩を売る。
もう一つは、彼が言っていた目的、一人でも多くの命を救う為と、純粋にオルガの為を思って行動した。たったそれだけ。
――見て聞いての限りだと、後者に見えるんだけど……。
そう断言するだけの根拠が無い。彼が全て計算ずくの可能性だって、十分あり得るのだから。
「概ね、君の望み通りには動いたかな?」
頭に浮かぶ思考は欠片も出さず、アレクサンドラはマサトに不敵な笑みでそう呼び掛ける。
「……ああなるのは、完全に想定外です」
マサトが考えていたのは精々、オルガを根気よく説得し、ここで学ぶようにする。それぐらいだった。借金の辺りは完全に想定外である。
「君はもっと自分の価値を理解するべきだよ。自身には無頓着なのかな?」
オルガが此処に置くなら、自分で言えば確実だったはず。なのに、そうしなかった。
さっき言ったように無頓着なのか、若しくは己ではなく、自分を動かすために敢えて言わなかったか。
「良いかい、君は発達した世界の知を持つ人物。その価値は非常に大きい」
「ですが、本を読める人がいれば別でしょう」
自分が持つ知識は、忘れないように全てノートや手帳に記してある。あれさえ読めれば、自分の価値は差ほど無い。
「文字を理解しても、その意味を理解出来なければ無駄。時間もかなり掛かるだろうね。そして、君は理解している人物。それなりの実力者であり、特殊な武器を所持し、僕の病を改善か治療出来るかもしれない。替えは効かないんだよ」
他にも、何らかの事態が起きて向こうの世界と交流するようになった時も彼の存在は大きい。大切にするべきなのだ。
「そんな人物に危害を加えようとした。だから、あの金額は正当な値だよ。寧ろ、もっと要求しても良いぐらいさ」
――怖っ。
あれ以上の金額を要求しようとしたアレクサンドラに、マサトは思わず引いた。
「……数年は離れられなくなると思うのですが」
「大丈夫。契約は後で君の要求通り、一年間の勤めの後、彼女は解放するようにするから」
何故、一年間なのかと言うと、マサトはそれが適切だと考えていたから。
一年以内では、学びが不足する恐れがあり、それ以上は良心からオルガが苦しむと思った。なので、一年にしたのである。
「ちなみに、残りはどうするんですか?」
「残りは何らかの借りとして、返してもらうよ。その辺りはしっかりと決めて置くのが、政治だからね」
この借りは金銭でも良いし、協力でも良い。とにかく、何かしらの方法でレグニーツァに利を与えてくれれば、アレクサンドラは構わない。
「万一、彼女が別人であるのを利用して、拒否、若しくは批判をした場合は?」
「重みに耐えきれずに出た者に、そんなことを出来る度胸があるとは思えないね。君はそう感じた?」
「いいえ」
昔のとある事情から、そういう悪意などには敏感だが、オルガからは一切感じなかった。だからこそ、手伝いをすると決めたのだ。
「僕も君もそう感じた。なら、それで充分。万一、そうしたのなら信頼に値しない人間だと分かるし、来るなら迎え撃つだけさ」
クスクスと微笑をアレクサンドラは浮かべる。普通なら魅力的な笑みの筈なのだが、マサトは背筋が冷えたのを感じた。
――その時に応じた対処をするんだろうな、この人なら。
発言はしてないが、そう言っているのは嫌でも分かる。態度も余裕に満ちたもので、焦りなど微塵も感じない。
「ちなみにさ、彼女には言ってないの?」
これは自分が異界人であることや、竜具に何らかの関係がある黒銃、ゼロの事を言っている。
「自分としては、向き合い出した彼女に正直に打ち明けたいところですが……。まぁ、立場がありますので」
複雑な時以外は、極力隠し事はしたくない。しかし、今の自分はレグニーツァの臣下。故に、問題になる発言は控えねばならない。
「良い心掛け。他に話したいことは?」
「もうありません。時間も迫っている様ですし、今日はこれで失礼します」
今日から主となった女性にペコリと頭を下げると、マサトも礼儀正しく退室。
部屋には、公宮の主であるアレクサンドラとその武器、煌炎バルグレンが残る。
「さて、どうなるのかな?」
これからを楽しむように、朧姫は微笑んだ。
――――――――――
話を終えたマサトは自分が寝泊まりしている部屋に戻り、ドアをノック。返事は無く、いないようだ。
『まだ終わっておらんようだな』
「なら、情報でも纏めるか」
部屋のルールなどを決めて置きたいため、治療に関する情報をしばらく目を通していく。
四半刻ほど経つと、ドアが叩かれた。
「誰ですか?」
『私です。入っても良いでしょうか?』
「構いませんよ」
許可を与えると、オルガが入室する。心なしか、少し疲れた様子だ。
「大丈夫ですか?」
「これぐらい問題ありません。それよりも、ここでは私はただのオルガ。敬語は止めてください」
「なら、そっちも敬語はしないで貰おうかな」
敬語を使わない以上は、使われるのは少し抵抗があった。
「分かった」
「オルガ。お前と俺は、ここで一緒に暮らすことになるわけだけど……やっぱり、抵抗やこうなったことへの不満や恨みはある?」
オルガは年は子供とはいえ、男の自分と共の生活には抵抗があって当然だろう。
そして、自分が呼んだせいで借金を背負う羽目にもなった。不満があっても何らおかしくはない。
「特に。こうなったのは私の自業自得だ。不満や恨みなど無い」
アレクサンドラに誘導された結果だが、元々は自分が逃げ出したり、危害を加えようとした結果がこの現状なのだ。恨むのなら、自分の未熟さや愚かさである。
――……それに。
正直なところ、オルガは時間が出来たことに安心していた。情けないことに。
覚悟を決めはしたが、それは強い意志を持つアレクサンドラやマサトに触れ合ったから行ける。そう言った、勢い任せな面があった。
なので、平常になった今では再度恐れが浮かんでいた。戻っても大丈夫だろうか、また逃げてしまうのでは無いのかと。
「まっ、仕方ないさ。経験が足りないんだから」
不安が顔に出ていたらしく、マサトにフォローの言葉を掛けられる。見事に当たっている上に、反論できないのが悔しい。やはり、自分は未熟だ。
「……マサト、私は立派な人物になれるだろうか?」
「さぁ」
「……冷たいな」
「だって、俺はお前の味方じゃないし、況してや未来を見透す予言者でもない。全然知らない相手に根拠の無い言葉は掛けれない」
――……尤もだな。
全く以て、その通りな台詞にオルガは納得せざるを得ない。第一、他人に評価を求める。己の未熟さや自信の無さを自分で示している証だ。
「ただ、これだけは言ってやる。特殊な例を除いて、なろうとしなければなれない。それが普通だ」
この特殊な例とは、王や戦姫だろう。血筋や、何かにより選ばれるため、例外にしている。
「またなれても、その後の努力も必須だ」
立派になれたからと言って、そこで終わる訳ではない。寧ろ、それに相応しい努力を維持せねばならないのだ。これは王や戦姫も変わらない。
「だから、全力で、死に物狂いで努力しろ。背を押すぐらいの手伝いや助言はしてやる」
「……ありがとう」
厳しさはある。だが、その中には確かな優しさがあるのをオルガは感じた。
「マサト。私は一応戦姫な訳だが、だからといって余計な気を使う必要は無い」
「その方が俺も助かる。じゃあ、共同生活に当たっての規則とかや、念のための偽名を決めて置こう」
オルガの名はそこまで特別な物でなく、多く使われてはいるが、正体を感付かれないためにも偽名は使った方が良い。
「私はそこまで気にしないが」
「そう? まぁ、俺もそれにはそんなに気にしないし、深くは考える必要は無いか」
とはいえ、オルガが道具などを見付けない為にも、最低限は決めた方が良い。オルガも頷き、簡単に話し合って一通りのルールやここで使う偽名を決める。
「あと、明日からは補佐や雑用を色々とお願いすることになるから頼むよ」
「戦姫の私が雑用か」
思わず苦笑する。勿論、不満などあるわけが無いが、国王の次の地位の自分が雑用をするという事実が可笑しくなっただけである。
「不満?」
「そんなことは無い。何でもする」
これも経験。言葉通り、何でもこなすつもりだ。
「なら、稽古や試合とかもお願いして良い? もっと強くなりたいからさ」
昨日の件から、マサトはオルガが自分よりも強いと見抜いていた。
向こうでも、身体を鍛えたりいざというときに備えて鍛錬はしてきたが、戦争や討伐が多いこちらでは足りない可能性が高い。
黒銃、ゼロも使いこなし、自分の心情を貫くためにも、強さと技をもっともっと磨いて置かねばならない。なので、彼女に教えを請いたいのだ。
「構わない。しかし、そっちは良いのか?」
「何が?」
「年下の私に鍛えられる訳だが」
自信や誇りなどを打ち砕かれるかもしれない。オルガは善意でそう言おうとしていた。
「そんなこと? 俺はまったく気にしないよ」
存在意義の為に強くなるこそが重要。中途半端な自信や誇りなど、マサトには不要な物でしかない。
「変わっている」
「よく言われる。だけど、これが俺だ。変えるつもりは無いし、変わるつもりも無い」
――堂々としている。
己が己であると、揺るぎない意志で告げているのをオルガは感じる。アレクサンドラもそうだった。今の自分にとって、羨望すら抱くほどの意志。
――……今はまだ。
経験が足りず、未熟な自分では、身に付けるのは到底叶わないだろう。かし、何時かは己の心に宿したい。
「マサト」
「ん? 何?」
「まだまだ未熟な私だが、宜しく頼む」
「こちらこそ」
オルガが頭を下げ、マサトもそれに応えて頭を下げた。
こうして、異烏と月姫の共同生活が始まったのである。