ジスタード、ブリューヌの戦い――後にディナントの戦いと呼ばれる一戦が終わってからの数日。初秋のある日。
世界の流れが大きく動き出したが、まだ知らないマサトにはお構い無し。知っていても、態度は変わらないだろう。そんな彼は今。
「……眠い」
「……寝るべきだと思う」
机に突っ伏していた。その目は気だるさを感じ、瞼が辛そうに上がる。
彼は三日前から一睡もしていないのだ。近くにいるオルガは、心配な表情で見ていた。
「……いや、まぁ、そうなんだけど。これを一刻も早く調べてたいし」
青年は顔を上げ、目の前にある物を見つめる。
そこには、赤い液体――血液が入った硝子管が箱に縦に納められた状態で幾つもある。
近くには、その血液を調べる為の道具である、木製に鏡、細長い棒らしき物、顕微鏡も置いてある。
これでマサトは血液を調べていたのだ。但し、この血液は自分の物ではない。一応の主、アレクサンドラのだ。
血の病を調べるため、三日前に彼女から採血した血液を、マサトは寝ずに調べていたので、結構眠いのだ。身体もかなりだるい。
「四半刻だけでも休むべきだと思う」
「その分の時間が勿体無い。今はとにかく、調べて調べて調べる。それだけ。成果が出るなら、多少の無茶は安いもんだ」
血の病を調べ、改善策さえ見付かれば、最低限の勝利になる。それに結果が出れば、本当の治療法が可能になる可能性もあるのだから。
ここで眠気ごときに負けるわけには行かない。乾いた音が鳴る。マサトが眠気を飛ばそうと自分の頬を両手で叩いたのだ。
威力を間違えたのか、手の痕が赤く残っているが、本人は気にもしない。
「調査再開」
顕微鏡を近くに置き、力を上手く使って状態を維持したまま血液を一滴取り出し、板に乗せて血をミクロのレベルで目視する。
「うん、よく見える。作った人達、良い腕してるなあ」
血液にある、赤血球、白血球、血小板。それらが完全に見える様子に、マサトはガラスを作ったここにいない職人達に賞賛を送る。流石は、アレクサンドラが推薦した職人達である。
「……やっぱ、これが原因か」
三日間の調査でマサトは血の病の原因が何かを見抜いてはいた。
問題は、その何かがどの様なメカニズムで血の病を引き起こしているか、である。それを解明しない限り、安全な治療は出来ない。
「……本当に何なんだ、これ。本に該当するのは無し」
おそらく変異したものだろう。しかし、それ故に本職ではないマサトは手こずらされていた。
――けど、関係ない。
少なくはない費用や、職人達の頑張りがある。知らない何かがある、だけの報告など出来るはずがない。最低限はこなさねばならないのだ。
一生懸命思考しながら、標準の物と未知の何かに対して目を通す。目の前のミクロの世界で見える物と、緊迫感に満ちた表情で対峙し続ける。
謎の物を、力をミクロレベルの細さにしたピンセットで潰さぬように取り出し、尚且つ血液を払って他のガラス管に集める。
次に、何が原因でこうなったのかを色々な方法で調べていくのだが。
「あー、くそ。駄目だ。分からない。何なんだ、あれ……?」
午前十時ほどから始めたが、現在窓を見てみると、空が黒に染まっていた。どうやら、五刻近くはぶっ通しでやっていたらしい。
少し休むと、抑えていた眠気で頭がくらくらする。しかし、ここで寝ては駄目だと頭に命令。同時に叩いてまた眠気を強引に飛ばした。
『入るが、大丈夫だろうか?』
オルガの声がした。声で彼女だと分かったマサトは、作業をしながらやり取りをする。
「身体はきちんと洗った?」
『勿論だ』
「なら、良いよ」
許可を与えると、オルガは入室し、直ぐ様扉を閉じた。直後に吸収で滅菌を行なう。
「……まだやってるのか」
感嘆が雑ざった声で、戦姫でもあり今は使用人でもある少女は呟く。もう四日目なのに、まだ止めていない。
「当たり前だ。それが俺の仕事なんだからな」
「……成果は、得れそうだろうか?」
ここまで頑張ってるのだ。出して欲しいと願わざるを得なかった。
「その質問は間違ってるな。得れそうじゃない。得なきゃならないんだよ」
「アレクサンドラ殿の病を治し、一つでも多くの人命を救うために?」
「よく分かってるじゃないか」
「しかし、無茶をするのは……」
「悠長にやって、アルシャーヴィン様の病が致命的な所にまで進んだら、何の意味も無い。だから、今の内に徹底的に無茶をする。それが最善なんだよ」
「……それは分かるが、やはり無理のし過ぎは良くない。医師の仕事はそれだけ無い。日々の診察も、マサトの仕事だ」
「……ふーん、ちょっとは言うようになったか?」
「私だって、ちょっとずつは進歩している。……はずと思いたい」
途中までは良い台詞だったのに、最後の一言が明らかに自信が無い。
「そこは自信を持って言えよ」
やれやれと、マサトは呆れた様子だ。
「ともあれ、無茶は駄目だ。それに考え続けても、頭がごちゃ混ぜになって混乱するだけだと思う」
「まぁ、それは一理――」
その時、マサトの頭に何が引っ掛かった。疑問符を浮かんだオルガを放って、色々と思考しているとある一つの仮想が思い付く。
――もしかして、あれ……?
まさかと思い、極小レベルでの付与を顕微鏡の板ガラスに謎の何か全てに、時間を掛けて加える。
その後、しばらく放置し、違う管から血を一滴出して調査を続行する。何かをしてないと、寝てしまいそうなのだ。
「そっちは放って良いのか?」
「あぁ、少し確かめたいことがあるからな」
「そう」
自分にはまったく分からないが、彼には何かの考えがあるのだろう。
途中、少し気になったのでマサトの近くにある顕微鏡が見る。
――しかし、あの道具、何なのだろう。
細い棒に、中央は小さな長方形の板とそれを止めるグリップ。下にはしっかりとした土台とその上に赤い点、血液がある円の板状のガラスがある。他には、三つの長さが違う出っ張りと、小さな丸いつまみ。
とまあ、オルガからすれば、この前の聴診器同様、よく分からない代物だった。詳細も聞いてないので疑問符を浮かべても、仕方ないだろう。
ただ、聴診器が必要な道具だった以上、あれもそうだと考えるのが自然だ。
――だが……。
治療に血液を調べる、という発想ははっきり言って驚いていた。何らかの痕跡としてならともかく、治療の為の調査は聞いたことが無い。
――マサトの国では、それが普通なのだろうか。
それとも、マサトを含めた少数のみの方法なのか。何れにせよ、謎だらけだ。
仕事も終わり、自習をしていると教育係のザウルが入ってきた。勿論、滅菌をしてからだ。
「……調子はどうですか?」
「……かなり疲れています。ですが、休もうとしません」
心配する二人だが、マサトは全く休まない。何故なら、答えが見え出したのだから。
まだそれで終わりではない。これは発生源が分かっただけ。自分の推測が正しいかの、裏付けを取らねばならない。
――そのためには……。
「レナータ、一つ頼みがあります」
「何でしょうか?」
「ちょっと言いにくい事ですか、――血か唾液を採らせてくれません?」
「…………」
「……何で、無言で距離を取るんですか?」
無言かつ、ジト目でオルガはマサトから少しずつ離れていた。
「流石に変態としか……」
血はまだ良いかもしれないが、女の唾液をくれなど、普通に考えれば変態以外の何者でもない。オルガもこれにはドン引きで、ザウルも少し引いていた。
「そんなつもりはまったくありません。調査の為には、必要なんです」
「……変な用途に使う気は一切無いと?」
「自分がそんなことする人なら、とっくに問題起きてるでしょうが」
自分と彼女は、同じ部屋で既に半月は暮らしているが、そんなことは未だに無い。欠片もだ。
「……溜まった欲を発散させようとしている、とも考えれる」
「どんな変態ですか、それ」
ただ、余程の変態ならあり得るかもしれないが、自分は違う。第一、女性に興味すら無いのだ。
「まぁ、嫌なら構いませんが」
これはあくまで頼み。オルガが嫌だと言うのなら、強要する気は無かった。しても、実力差から返り討ちに遭うだけだろうが。
「私の血か唾液があれば、アレクサンドラ殿の治療に役立つのか?」
「確証は無いけど、可能性は高いです」
「私のは?」
「今は、アルシャーヴィン様と同性――要するに女性のが欲しいんです」
ザウルの分も、価値が無いわけではないが、今は女性の方が最優先だ。
「分かりました。受けます」
自分の協力で、難病に苦しむ人が助かる。ならば、断る理由が無かった。
「どっちが良いですか?」
「どちらかと言えば、血液の方が――」
「なら、採ってください」
マサトとしては適応するのかも確かめたいので、血液の方が有り難い。自分でそう言って置いては何だが、あっさりと了承したオルガに驚く。
「痛いですよ?」
「子供じゃありません。その程度でわたしは躊躇いません」
「いや、子供でしょう。年齢的にも精神的にも」
容赦ない一言に、オルガはぐっと軽くたじろく。言い返せないのが悔しい。
「そんなことはともかく。本当に採血しますよ?」
オルガは頷く。痛いらしいが、それぐらい大した事ではない。
「では、準備して来るので少し待っててください」
採血の時は、安全に備えて道具を一式揃える必要がある。
四半刻でそれらを揃え、オルガの右腕に血管の形を把握し、同時に保護をするための付与を加える。
「……また見るが、奇妙な形です」
「確かに奇妙ですな……」
複雑な血管。見ても良い感じはしない光景だ。
「まぁ。――始めます」
オルガが再度頷くと、マサトは目をしっかりと覚ましてから吸収で滅菌を行なう。次に駆血帯を腕に巻き付け、オルガに掌を閉じさせ静脈を浮かび上がせる。
一旦深呼吸でリラックスしてから静脈に疑似注射器を刺し、力で真空状態を再現した管をホルダーにセット。オルガの血を抜いていく。
ある程度の量を確保をすると、注射器を抜き、駆血帯を外し、刺した所をアルコールを染み込ませたガーゼで止血。
止血が終わると、再出血を防ぐため、新しいガーゼと糊で接着させた包帯を腕に巻き付け、固定して終了。
「終わりましたよ」
「……変な感覚です」
血を抜かれる、注射器で刺されるの二つをオルガは初めて体験した。どちらも、中々に複雑な感覚だった。
「痛みは?」
「大したことは」
事実、その発言通り、オルガは終始表情を変えることは無かった。
「よく耐えました」
採血する際の注射に恐怖を抱く子供は多いが、おそらくこの世界で二人目の体験者となったオルガは難なく耐えた。なので、マサトは褒める。
「…………」
子供扱いするなと言い返したいが、さっきの二の舞になりそうなので、オルガは頬っぺたを空気で膨らませて不機嫌をアピールする。
「今日は出血を避けるためにも、鍛錬や風呂は控え、身体のために水分を少し取るように」
――無視!?
そのアピールをマサトはスルー。というか、見てすらもいないと言いたげに忠告され、オルガはガーンと軽くショックを受ける。ザウルも苦笑いしていた。
「……今日も鍛錬無しだろうか」
マサトはこの四日間、治療の時以外はひたすら調査をしていたので、鍛錬は一度もしてなかった。
「しばらくは、こちらに専念したかったので……」
自分の腕を衰えさせてでも、これをやる価値は高いのだ。
「……役に立ちますか?」
「さっきも言った通り、役立てますよ」
早速、採血したオルガの血液を合わせ、調査を再開。徹底的に調べていく。
「――持ってきました」
途中、オルガの声と食欲がそそる匂いがしたので振り向くと、彼女が右腕に負担を掛けぬよう、左腕で夕飯を乗せたトレーを持ってきていた。
「多分ですが、ほとんど食べてませんよね? しっかりとするためにも、食事はきちんと済ませた方が良いかと」
「頂きますね」
オルガの言うことに従い、生命の膜で道具や管を保護。彼女が使っている机で、遅い昼食であり、夕飯を頂く。
メニューは海藻を使ったスープに、海の幸をふんだんに使い、生地に潰したじゃがいもを混ぜた、溶けたチーズが食欲を強く刺激する、ピッツァ。デザートには、蜂蜜を塗ったリンゴがある。
ピッツァは潰したじゃがいもの不規則な食感と、魚や貝と混ざったチーズの組み合わせが良い。リンゴも蜂蜜は適度な量のため、程よいアクセントになっている。
ただ、海藻のスープだけは少し不満があった。味が自分がいつも味わっているのと違い、香りは良いのだが、味が劣る。
これは、料理人の腕が未熟とかではない。水の違いが理由だ。ここの付近のは味を引き出せる軟水ではなく、硬水なのが原因だろう。
そのせいで、風呂や身体を洗うときは感触が、飲水のときは味にかなりの差があった。
――国が違うって、やっぱり大変だ。
そんなことを考えつつ、日本の出汁を飲みたいと、ついつい思ってしまうマサトだった。
「――ごちそうさま」
とはいえ、腹が減っていたのと料理の充分な美味さから、マサトは数分ほどで夕飯を平らげ、水を飲み干す。続きに向けての、良い補給になった。
食事を終えると、トレーを厨房に運ぼうとしたマサトだが、彼が持つ前にオルガが手に取る。
「わたしが運びます。こういう手伝いならわたしにも出来ますから」
どう足掻いても、今の自分は知識面ではマサトの調査のサポートは叶わない。
しかし、材料運びなどの力仕事なら僅かでも力になれる。ならば、それをこなす。それが今の自分に出来る事だ。
「あと、欲しい物が有れば運びますが」
「うーん、今日は無いですね」
「そうですか……」
ちょっと残念な様子のオルガだが、直ぐに気を引き締めるとトレーを運んで行く。それを見送ると、マサトは作業を再開。
また一刻ほどの時間は有したが、その時になると、多少なりとも解明が出来た。それと知識を纏めた書物に記した内容と合わせ、推測をしていく。
「やっぱり、血の病って……」
マサトの脳裏に一つの推測が浮かぶ。もし、この考えが正しいとすれば、血の病とは自分やアレクサンドラ達が思ってるような複雑な病ではない。もっと単純なものだ。
――けど、それゆえに厄介、って訳か。
しかも、自分の推測が正しい場合、この病はあまりにも質が悪すぎる。女性に対してのみ起こる――『アレルギー』など。
――――――――――
それから半月近く。マサトは四度の調査である程度を把握したため、今日はその報告だ。
診察も終わり、オルガが作業に戻るべく退室した後、報告を始める。
しかし、その前に一つして置きたいことがある。
「アルシャーヴィン様、今日は身体を見させてももらえますか?」
「身体? 彼女に見てもらったけど、またするの?」
「はい。血の病のことについて、幾つか判明しましたが、確証を得るためにもその裏付けをしたいのです」
「……もう分かったの?」
始めてからまだ半月ちょっとなのに、今まで解明されなかった血の病の詳細を見抜いた。
「……凄いね」
アレクサンドラは顕微鏡や知識の凄さに思わず驚愕する。流石は、発達した世界の物だけある。
「本当に凄いですよ、向こうの知識は。素人の自分でさえ、最低限の道具と組み合わせれば、こうして分かるのですから。改めて聞きますが、中を拝見しても宜しいでしょうか?」
「構わない。けど、見れる?」
「勿論です」
機械の無いこちらでは、切開しない限りは不可能だ。しかし、マサトには特殊な力と、それを活かす知がある。
そして、アレクサンドラへの負担も、慣らしてきたおかげでかなり軽減されている。問題はなかった。
マサトは腰からポケットから菱形の石らしき物を取り出す。これは生命、しかも自分のを圧縮しながら構築した物体。それを身体に埋め込み、神経に接続する。
――相変わらず、気持ち悪……。
本来以上の生命を身体に取り込ませたせいか、気分が悪くなる。どうやら、もっと慣らせる必要があるらしい。
強いイメージを行い、力を腕や手に集めながら覆うようにガントレット状へと変化させる。
「面白い変化」
「自分は『リンク』と呼称してます。色々ときついのが、難点ですが」
テストに何回か使っているが、この負担は中々減らない。リンクしている為、痛みが発生するのも欠点だ。それでも色々な用途に使えるので重宝していた。
「アルシャーヴィン様、正確に知りたいので、服を捲ってお腹を出してもらえますか?」
「一応聞くけど、お腹だけ、だよね?」
「当たり前です。第一、自分はそういうのに興味ありません」
真顔でサラッと言ってのけたマサトに、アレクサンドラはからかう意味で乗っかる。
「へぇ、君ってあっち系の……」
「しばきますよ」
「冗談冗談」
じーっと非難する自分の視線を流しながらケラケラと笑うアレクサンドラに、マサトははぁと溜め息を吐いた。
「それより、構わないのか、駄目なのか、どちらなのですか?」
「僕は良いよ」
「では、横になってください。少し妙な感覚を感じますが、我慢してください」
「分かった」
指示通りに黒髪の戦姫が着ている服を捲ると、服よりも白い皮膚が臣下の目にはいる。
しかし、マサトはさっきの発言通り、特に気にとめずにガントレットと一体化した手を壊れ物に触れるように腹に乗せた。
神経に接続しているため、柔らかい腹の感触が伝わるも、やはり気にせずに目を閉じて集中する。
「――タイニーエンチャント」
「んっ……?」
――この、感じ……。
普段の身体全体に取り込むのと違い、これは部分的にかつ、少量だけが触れているような感覚を感じる。
目を閉じて集中すれば、触れている物の造形すらはっきりと認識出来そうだ。
これは、マサトがガントレットから体内の臓器に極小の粒子状にした生命で付与をしていたため。
それにより、マサトはアレクサンドラの臓器の外と内を認識していた。オルガに採血した時のと同じだ。
「…………」
――……やっぱり、か。
しばらくすると、マサト目を開く。その目には苦々しさが浮かんでいたが、直ぐに払って手を腹から離した。
「終わった?」
「はい、終わりました」
それを聞き、アレクサンドラは少し早めの動作で服を戻す。
「次は、血の病の詳細についてですが」
「聞きたい」
心臓を少し高鳴らせながら、黒髪の戦姫は異界の臣下に詳細について尋ね、青年は時間を掛けて疑問に答えつつ丁寧に話していく。
「――と言う訳です」
「つまり、僕の病は人の身体を守るための免疫。その過剰反応、アレルギーかな? その影響によって発症する病。これであってる?」
「大体、そんなところです」
但し、アレルギーの症状で悪くなる訳ではないので、厳密には少し違うが。
それはともかく、アレルギーが起こる要因は人によって様々。一つだけもあるし、沢山の原因を持つ人もいる。
そして、アレクサンドラの引き金は、ホルモンと呼ばれる体内で作られる物質。その内の女性をより女性らしくする、女性ホルモンが原因だ。
また、原因が判明した中で、血の病の本当の特性にも気付いた。これは女性だけに発症するのではなく、女性に強く影響する病。
男性にも少なからず女性ホルモンがあるため、年を取れば発症する可能性はあるのだ。
症状が異なる場合が考えられるため、別の物が原因だと誤認され、気付かれなかったのだろう。
ただ、そもそも反応自体は免疫を活発させて身体を丈夫する効果があるため、悪いことではない。
謎の物――変異した化学物質も、毒性は無い。ヒスタミンのような、神経に伝達する役割のものが活性度の増加と、炎症の抑制能力を得たのだろう。
これはおそらく、アレルギーに適応するために身体が変化を遂げたのだと思われ、効果だけを見れば寧ろ、歓迎すべきだった。
普通なら役割を果たしたあと、体内の臓器を通って体外に排出されてお終い、で済むのだから。問題なのは、それが限度を超えている点だ。
アレルギーで発生した物質は、血管から全身や臓器に送られるが、血の病を起こす要因を持つ女性は、同じ要因がある男性よりも、十倍前後の化学物質を常に発生させていることになる。
体内に溜まった毒素や、老廃物を排出する肝臓や腎臓。この二つを重点的に、神経の活性化により生命の維持に欠かせない心臓や肺にも、既にかなりの負荷を掛けている可能性が充分にあった。
そして、その推測は正しかった。さっきの付与で複数の臓器を調べていたが、幾つかは鈍っていたり、腎臓に至っては健康な自分と比べると六割手前の大きさしかない。負担により、消耗している証拠だった。
こうなると、血圧が増加したり、免疫力が落ちたりして、余計に身体中に負担が掛かってまた機能の低下を招く。すると、身体にまた負担が増していく。
この負の循環がどんどん進行していくことで、様々な病気を誘発させ、死に至らせるのが血の病の正体とマサトは推測していた。
身体を動かすと発作が出やすくなるのは、弱った肉体に負担を掛けるのと、血流が活発になることで白血球の活動もまた活発化。
あの特異な化学物質を急激に出してしまい、急に増えた化学物質が自律神経を乱してしまうためだろう。痛みが出たり、手足が重くなってしまうのも、おそらくは。
皮膚が白くなることについても、その影響だろう。尋常性白斑と言われる、皮膚の色素が免疫異常などの様々な作用によって失われ、白い斑点が出来る病がある。それが全体的にかつ緩やかに現れたとなれば、辻褄が合う。
血の病の症状を弱めるには、寝たきりなどの身体を大人しくするしか無いわけだが、免疫を抑えても、その分身体は筋肉が衰えて体力は低下。
外から入った細菌が活性化しやすくなり、病気にかかりやすくなる。症状も重症になりやすくなり、結果、亡くなってしまう。これが、調査から推測した血の病の正体だった。
向こうの機械が無いため、何処まで合っているかは不明だが、これ以外では考えにくい。
それらの説明を聞き終えると、アレクサンドラは何処か呆れた様子でため息を吐く。
「……悪質すぎない?」
「……自分もそう思います」
何せ、常時身体に負担を掛けているのだ。対処しようにも、免疫か体調を維持するためのホルモンを出す臓器を排除せねばならない。
そんなことをすれば、当然ながら身体には悪影響しかない。機械のないこちらでは数日も持たないだろう。
身体を大人しくさせようが、体力が低下して活動と負担を招き、結局は内が侵されていくだけ。
かといって動かせば、免疫は物質を大量に作り、神経や臓器に強い負担を掛ける。凶悪にも程があった。
「誰にも治療、改善ができない訳だよ……」
また溜め息が出る。根本的に、難度の次元が違う。今までの医師達が無理だと言っても仕方がなかった。
そうなった原因の先祖に、文句を言いたい気分だった。
「報告ありがとう。正体が分かって、色々と気分が楽になったよ」
嘘ではないが、虚勢でもある笑みを浮かべ、朧姫は異界の臣下に礼を告げた。
「では、これからは身体も楽にしていきましょう」
「……どういう意味?」
予想だにしなかった台詞に、主はぱちくりとする。
「言葉通りです。よりわかりやすく言えば、貴女の身体の負担を減らし、体調を改善するという意味です」
本当は、完全な治療法も無くはない。だが、それは数百から数万分の一の確率で、しかも、行なうための障害や危険も多い。なので、今日は改善だけしか話さないことにしている。
「出来るの?」
「そうでなければ、こんな発言はしません」
余程の時を除いて、確証がない限り、相手に無駄な希望を抱かせる気はない。
「どうやって?」
「血の病は、免疫が過剰に活動するのが原因で発生する病。ならば、その活動を抑制すれば、改善することに繋がります」
幸い、血の病の反応はアレルギーの反応と酷似している。そのことからアレルギーの対処法を流用すれば、大きく改善される可能性は高い。現に、幾つかのテストでも効果があった。
「期待、しても良いのかな?」
「はい。自分には、多くの人によって培われた知と、それを補助する力があります」
科学によって築かれたの現実の知と、人智を超えたものによる幻想の力。この二つが今の自分にはある。
「必ずや、成果を出して見せます」
口調に差こそはないが、普段よりも力強さがあり、アレクサンドラは心に掛かる重荷が軽くなった気がした。
「ただ、一つだけ貴女に頼みたいことが」
「何だい?」
「病は気から、という言葉があります。不安などの負の感情を抱いていると悪くなりますが、逆に安心など正の感情を抱くと良くなる、という意味です」
これは感情論に見えて、実は本当に意味があると科学的に証明されている。
「ですから、無茶を承知で申します。アルシャーヴィン様、病と立ち向かう意志を持ってください。自分は病に負けない、精一杯生きてみせると」
――病と立ち向かう意志、か。
それは、考えたことがなかった。いや、昔はあったかもしれないが、何時しか捨ててたのかもしれない。
何せ、この病を話した母や、多くの医師からは治らないと言われ、今まで僅かな改善すら無かったのだ。無理もないだろう。
しかし、これからは意志も必要と、原理を把握し、改善できると断言した彼が告げた。説得力は充分にあった。
「良い台詞だけど、無茶しそうな君に言われたくないかな。それに、反応が強くなりそうな気もするね」
「余計な一言はともかく、免疫については、確かに可能性はありますが、逆に抑制される場合も考えられます」
そこは何とも言えないのが現状。人間の身体というのは向こうでも多くの謎に満ちたものだから。治療の中で情報を集め、適した判断をするしかなかった。
「ただ、どちらにしても、闘病生活に置いて意志は必要不可欠と自分は思っています。弱腰で戦いに挑んでも勝てないように、弱気な態度で病と対峙しても良くなる訳では無いのですから」
「確かにね」
戦も病も、何もしないでいれば、打ち負かされるだけ。勝ちたいのならば、必死に抗うしかない。
「分かった。僕もまだ若いしね。全力でこの病と戦って見せるよ」
「こちらも全力で補助します。これで報告も終わりましたので、残り時間、聞きたいことがあれば何なりと言ってください」
「でも、すること沢山あるでしょ?」
「確かにあります」
特に、彼女の病に一番適した薬を作る必要がある。これにはかなりの手間が掛かるだろう。それは勿論重要だ。
「ですが、さっきも言った通り、貴女の気持ちも大切ですから」
精神的なケアも、必要不可欠である。
「これからは、必要な雑談の時間。どうなされますか?」
「必要な雑談、か。変なの」
くすくすと黒髪の戦姫は微笑する。マサトがこういってくれるのだ。終わるまでの間、甘んじても罰は当たらないだろう。
「じゃあ、頼もうかな」
「仰せのままに」
とはいえ、マサトとしては、あくまで目的を果たすための仕事でしかない。しかし、それゆえに必死にする。たったそれだけだ。
「内容はそうですね……。――難病と戦った人達の話、というのは?」
「――お願い」
残り時間、異界の烏は異界の姫のため、己の世界で見たことがある話を語る。
半刻未満の、決して長くはない間、煌炎の朧姫は多くの者の人生をしかと聞き、記憶に刻み込んだ。
――――――――――
「よっ、おっ、うわわっ」
移動による風を感じながら、振動から来る視界や身体の揺れを何とか制御しようと、マサトはバランスを整えようとする。
「焦らないでください。落ち着いて静かに動かしてください」
「こ、こうですか……? ――わわわっ!」
「危ない!」
近くにいるオルガにアドバイスを貰ったが、揺れが大きいせいで活かせず、その場所から降り下ろされてしまう。
「――よっと。ふぅ……」
マサトは足が地に触れる瞬間に膝を曲げ、衝撃を上手く吸収。体勢は微妙だが、無傷で地面に着地する。
――10、00。なんてな。
そんな下らないことを一瞬だけ考えたあと、心配そうな表情で近寄るオルガに大丈夫と告げる。
「今は惜しかったですよ」
「えぇ、良い感じでした」
少女以外にも、青年の安全を確かめようとザウルとマドウェイも来ていた。二人は彼が無事であることを確認すると安心する。
ただ、二人の男性は少女と違い、少し事情を含んでの心配だが。
「自分はまだまだだと思いますが」
まだ練習して一ヶ月の上、今までしたことも無いため、どうにも上手く出来た感じがしないのだ。
「お二人の言う通り、少しずつ上達してますよ」
「ありがとうございます、レナータ。それにしても――やはり難しいですね、騎乗と言うのは」
マサトが視線を動かす。三人も釣られ、そちらを向くと、逞しい身体を細かく動かし、嘶く四つ足の生物――馬がいた。
今マサトは、オルガの助言の元に乗馬の訓練をしていたのだ。この世界での主な移動手段である馬に上手く乗れるために。
オルガが来る前は、ザウルや乗馬が上手い人達に教わっていたが、今は彼女に頼んでいる。
何しろ、オルガは騎馬の民。族長の身内で年若いが、その扱いには非常に慣れていた。先生としてはこれ以上無い適任者である。
とはいえ、そんな優秀な教師がいても、急激には上達しない。馬も穏やかな性格の乗馬訓練にピッタリだが、それでも想像以上に難しい。少しずつ感覚を掴むのが精一杯だった。
「もう一度。――失礼します」
馬に告げ、真正面に立って静かに見る。気分に問題ないと自分も判断し、オルガも同意。
左手でたてがみを持ちながら左足を鐙に掛け、右手は鞍の後橋を掴む。そして、反動を付けて右足だけでジャンプ。
引っ掛けた左足を支えに身体を動いて静かに鞍に座り、右足を向かいの鐙にしっかりと掛ける。これで馬上完了だ。
「そちらはもう慣れたものですな」
「乗るだけですから。この馬も大人しいですし」
それに、何十回も繰り返している。流石に乗ることすら苦難していては、情けないにも程があった。
「じゃあ、お願いします」
馬に呼びかけ、腹を軽く蹴る。よく躾てある馬は意図を察し、前後の足を動かす。徐々にスピードが増していき、十秒も経つとかなりの速度で広場を駆け抜けていく。
「ととっ……! これぐらいの速度になるときつい……!」
今乗っている馬はまだ上の速度を出せるが、マサトが明らかに付いてこれてない。
バランスを取りづらくなるも、手綱は焦らずにしっかりと持つ。変に引っ張ると、暴れたりして危ないのだ。
「良い調子です。そのまま姿勢を上手く維持してください」
――それが一番難しいんだよねえ。
オルガは当たり前のように言うが、それが難しいのである。一番の基本であり重要なことなので、難しくて当然なのだが。こればかりは慣れるしかない。
気持ちはしがみつくつもりで。されど、手は静かに大人しく停止させ、身体に感覚を叩き込んでいく。
しかし、速さを更に一段階上げてしばらく経つと、バランスが大きく崩れ出す。
一分ほどは何とか持ちこたえられたが、そこで限界が迎える。
両脹ら脛で馬の腹を挟み、身体を引き起こして手綱を臍の方に引っ張って停止を伝えると、馬はゆっくりと速度を下げ、止まって行った。
「ありがとう」
首や肩を叩き、練習の終わりを馬に伝える。最後に、オルガ達に教わった手順を丁寧にこなして下馬。
両足が地面に付き、馬の前に立つとマサトは張り詰めた気持ちが消えたかのように大きく息を吐いた。
「お疲れさまです。今日も良かったです」
淡々としながらも、教え子の成果を誉めるようにオルガは告げる。
「まだまだですが」
「続ければ、その内自然とこなせます。筋も良いですから」
これは御世辞ではない。マサトは物事を理解するのが上手く、向上心も強い。今はまだ初心者よりも少し出来るぐらいだが、このまま続ければ直ぐに上達するだろう。
「しかし、レナータは凄く上手ですね」
「幼い頃から、乗馬は勿論、狩りの為の鍛錬をしてきたから当然です。……今も幼いですが」
えっへんと胸を張るが、オルガはちょっと自虐な台詞を吐いていた。
「また鍛錬に付き合ってくれますか?」
「勿論」
何時も通りの許可を貰うと、マサトは馬を小屋戻そうとしたが、マドウェイが折角なのでと代わりに受ける。
マドウェイと訓練に付き合ってくれた馬にありがとうと礼を述べる。その後は武器を構え、オルガとの鍛錬に励んだ。
「そちらは?」
「あんな感じだ」
四半刻ちょっとで馬を帰し、戻ってきたマドウェイ。見ると、オルガがマサトを圧倒していた。
「やはり、戦姫だけあって、桁外れの実力者だな。オルガ殿は」
マサトは弱くない。以前一度手合わせしたことがあるが、予想だにしない戦い方のせいもあったとは言え、ザウルにもマドウェイにも勝っている。
おそらく、この公宮にいる者の中では、最低でも平均以上はある。にもかかわらず、マサトはオルガに一度も勝ったことは愚か、掠りすらしてない。
「あれで何回目なのだ?」
「確か、八百三十ほど。全て、彼の完敗だけだ。触れることすら出来ていない」
「そんなに……」
短時間の試合を一日に三十以上こなしているがために、短期間でここまで膨れ上がっていたのだ。
そして、マサトはそれだけ負けている証でもある。それも、完敗のみ。
「それでも、まだ試合するのか?」
「あぁ、貫くものを最後まで貫きたい。そう言ってな」
「……凄いものだ」
それだけ負け続きなら、へこたれても何ら不思議ではない。戦姫とはいえ、十三の少女が相手なのだから。だが、マサトは挫けない。
彼の意志が、非常に強いものであることがよく伝わってくる。それは目を見れば、より一層理解出来る。
「……」
「やはり、そなたもそうなるか」
「……まぁな」
マドウェイが見る黒髪の青年の目、その瞳に宿る意志の光は最初からも強いが、鍛錬を重ねると更に増していくのだ。
見る者の目を離さず、心を昂らせ、思わず息を飲ませるほどに。
「純粋に高い技量と挫けぬ意志の強さ。どちらも見習う点があるな」
高い実力と、強い意志。両方共、強さに直結する要素。戦う者としては、見習うべき点だ。
「ただ、今の彼の戦いは力を温存しているが」
「銃、だったな。命を振るう武器」
そして、火薬という燃料を使い、鉄の弾を放つ武器の名でもある。向こうでは最も使われている。
此方でも作れないかと、アレクサンドラは考えてはいるが、火薬という危険物を扱うので、実装はまだまだ先である。
「まぁ、我等にとって重要なのは、あれが戦姫様の為の力になっていることだ。そして、それが大々的に広まるのは、戦姫様と彼の為にはならんということだ」
銃だけで延命している訳ではないが、銃が一因になっているのは事実。それを多くの人に広まれば、貴族や王族に狙われる可能性も高まってしまう。主の治療を円滑に進めるためにも、秘匿は必須だった。
「ちなみに、彼は鍛錬していても良いのか?」
これは、医師としての仕事に専念すべきではないかという意味だ。
「その事なのだが――」
「急いでも、成果が出る訳でもありませんから」
「おっと、いつの間に」
突然マサトの声が聞こえたので、二人が振り向くと、疲れた様子で汗だくの身体を布で拭いている彼がいた。
「とりあえず、今日やる分の試合が終わったので、こっちに来ました」
「丁度良かった。貴殿の事で話していたが、他をしてもアレクサンドラ様の治療に支障は来さないのか?」
「何かあれば、直ぐに駆け付けます。改善もし始めましたが、今はゆっくり進める時期。焦っても悪化させるだけなので」
「そういうものなのですか?」
「そういうものです」
「まぁ、そこらは貴殿にしか分かりませんな」
医師でもない自分達の手が届く範囲ではない以上、担当であるマサトに一任するしかなく、そのされた本人がそう言った以上、それが最善なのだろう。
もっと治療に専念すべきなのではと言う声もあるが、彼はその態度を崩さないので、様子を見るしか無いのが現状だ。
ただ、最近は主は少し調子が良いとの声もあり、彼も言っているため、成果は確かにあるのだろう。
「マサト殿、これからも我等が主をよろしく頼みます」
「勿論です」
「話は終わりましたか?」
「レナータ」
今度は、偽名で呼ばれたオルガが入り込む。試合でさっきのマサト同様汗だくで、ふぅと言いながら布で拭いている。
「あれだけすれば、少しは疲れましたか?」
「少しは。でも、まだまだやれます」
「流石です。けど、もう終わりですよ。明日も作業はあるんですから」
「分かっています」
オルガには使用人としての務めがある。雑用もあるし、鍛錬だけに専念させる訳には行かない。
「この後、勉強をお願いします」
「失礼します」
二人は同時に一礼し、一緒に公宮へ戻っていく。
「あの二人、仲が良さそうだな」
「年の差は少しあるが、意外と気が合うのかもしれん」
互いに勉強をしている。一緒に寝泊まりしている。協力や鍛錬などもだ。これらの点から、触れ合いが多くなる結果、親しくなったのかもしれない。
マサトは黒髪と黒い眼、オルガも変装で瞳は違うが、黒髪になっているので端から見れば、兄妹にも見えなくもない。
「では、私は一仕事のあとに彼等と話す必要があるので此処で」
「今日は私も混ざっても?」
「そなたも? ふむ……」
マドウェイは主の信頼が厚い人物。人柄も良いし、問題は無いだろう。
「ただ――誤解はせんようにな」
「……何の話だ?」
ザウルは前の一件――マッサージの事を言うが、マドウェイには何の事やらさっぱりだった。
――――――――――
「これは一番下。それは二段目」
「分かった」
深夜が近い時間帯。指示を受け、オルガは小柄な身体をてきぱきと動かして木製のファイルを次々と棚に入れる。
「終わった」
「ご苦労さん。もう頼むことも無いし、寝たらどう?」
「マサトの監視が必要。半月前みたいに、何時寝ずに数日働くか分からない」
「成果も出たし、しばらくは普通の範囲でやるさ」
嘘ではない。様々な方法で延命が可能になり、成果も現れ出した今、余裕が出てきたのだ。しばらくは無理をしない程度をやる気でいる。
「説得力がない」
「言ってくれる」
即答で信用ならないと言うオルガに、マサトは不敵な笑みを浮かべる。仕方なくはあるが。
「でも、本当だ。まぁ、少しは寝る時間が遅れるかもしれないけど」
「その少しも積み重なれば、確かな疲労になる」
「続けて行けば、身体が慣れるさ。人間ってのは、そう言う風に出来てる。現に、お前だって作業に慣れ出したろ?」
「……それとこれとは別だと思う。とはいえ、止める気は――」
「無いな」
「……やっぱり」
というか、ちょっと言われた程度でマサトが止めるとは思えないが。
「分かったら、子供は寝ろ。明日も仕事はあるぞ?」
「……ふんだ」
膨れっ面でそっぽを向くと、オルガはマサトに背を向けた体勢でベッドに身体を預け、数十秒後に寝始めると直ぐに熟睡した。
寝息の音でマサトがそれを確かめると、引き出しから二つの黒だけのと金と鳥の意匠が施された、一ヶ所に鎖と繋がった棒が付いた丸い何か、おそらくはこのジスタードで初めてかもしれない道具、懐中時計を取り出す。
竜頭を押して蓋を開かせると、十二の数字と三つの針がある。但し、金は中の機械がはっきり見える構造だ。
これらはアレクサンドラからお金を借り、部品をそれぞれ用意。ここで作った代物だ。本来はかなり値が張るが、部品として準備させることで出費を抑えていた。
「うーん、やっぱり誤差が大きいな……」
スマートフォンを取り出し、今の時間と差を見るが、二つとも擦れがあった。
とは言え、そんなに大きくも無く、初めての代物でこの程度なら充分である。三つ目も大した差は無いだろう。
――こっちはどこまで上手く行くか。
色々な方法で抑えようとしても、所詮は抑制。完治は出来ない。
適合者の発見さえ出来れば、他をする必要はない。しかし、そのためには多くの人達から採血が必須。なのだが。
――何人受けてくれるか。
この世界には、治療のために血を調べるという概念がまだない。しかも、自分はまだ新人。信頼は薄い。
現状では、主のためにと頼んでも、百人どころか十人集まるのがやっとだろう。
――俺のや、オルガのとは適合しなかったし……。
ただ、自分のとは少し妙な反応があった。調べたが、理由は不明。結局は合致してないので、放置している。
話を戻し、自分達のでは合わなかった以上、多くの人達から集める必要があるも、まだない方法、新人であることから、大々的には出来ない。
アレクサンドラに頼むのも一つの手ではあるが、不満や疑惑を刺激してしまう恐れもある。
主、同僚、どちらにしても頼むのは今の改善が一定の成果を出してからだろう。アレクサンドラへの採血も頻繁には行えない。今はゆっくりと進めるのが最善、焦りは禁物だ。
これからも頑張らねばと意を引き締め直すと、懐中時計が止まらぬよう、竜頭を三回回す。
金と黒の懐中時計の蓋を閉じ、同じく買った特性の革のケースに入れ、ベッドの隠しスペースに隠す。
それから布団で横になって、眠りに着いた。
「――良く寝た」
翌日の早朝、パチリと目を開き、マサトは窓を見る。空はすっかり青くなり、部屋にはまだ少し弱めながらも日の光が差し込む。
「起きた?」
「お早う、オルガ」
「お早う、マサト」
「体調はどう? 疲れが残ってたりしてない?」
「大丈夫だ。今日も一日頑張れる」
簡単な挨拶を済ませると、マサトは自分の身体の具合を確かめてからオルガを凝視する。問題は――無さそうだ。
「前にも言ったけど、無理はし過ぎないようにな。疲れを感じたら直ぐに言えよ」
「マサトも」
「分かった分かった」
適当に相槌を打つと、マサトが調整の為に取り出した初めて見る懐中時計を見つめる。
「それは?」
「これ? 試作品の道具。調整が必要だから、こうして見てる」
用途が気になるが、マサトが色々な作業に使うためのだろうと判断した。
マサトは蓋を閉じ、ケースに収納してポケットに仕舞い、金の懐中時計をもう片方のポケットに入れる。
「あとマサト、これ」
あるものを詰めた箱をオルガが渡す。
「上手く行った?」
「よく分からない作業だったが……まぁ、何とか。けど、これは? 金属みたいだが……」
オルガは不思議そうにその箱にある金属を見つめる。自分でしてなんだが、あることをすると見たことない代物が出てきたのである。
「良いもの。扱いも、形にするのも難しいけど」
少なくとも、その方面での経験の無い自分では作れないだろう。一流の職人でなければ駄目だ。
「これはどうする?」
「後で俺が他の人に渡す。それからは秘密だ」
何かに使うのだろう。それが何かは不明だが、気にする必要は無いとあっさり割り切った。
それから二人は、一日を頑張るための朝食を摂りに食堂へと歩を進めた。
――――――――――
「昨日の睡眠は?」
「中々寝れたよ」
「目覚めは?」
「悪くはないかな」
「身体に違和感は?」
「張り以外、特に」
幾度の繰り返しで、慣れたやり取りで情報を集める一応の臣下と、話していく主。その近くでは、補助の使用人が礼儀正しく待つ。
「痛み、気だるさ、発作は?」
「昨日の、夜の食事の一刻後ぐらいに、軽いのが一度」
「昨日の報告通りですね」
それは何時もと違い、軽く咳き込む程度と、数秒足らずの症状。しかし、貴重な情報を得れる可能性が高かったため、その時も細かな検査をした。結果、成果がしっかり出た事が分かった。
「発作が弱まったってことは、効果がしっかり出たきた証かな?」
「とはいえ、まだまだ先は長いです。やっと芽が出始めた頃。こういう時こそ、注意と地道な積み重ねが必要です」
尤も発言だった。第一、今やっているのはあくまで改善。それも、毎日続けることできちんとした効果を発揮するのだ。
たった一度、成果が出たから病への警戒を弱めるなど、馬鹿にも程がある。
「続けます」
「はい」
それから五分ほど経ち、マサトは全ての質問を終えた。
「次は診察です」
「お願いします」
黒髪の戦姫がベッドで横になると、同じく黒髪の臣下であり自分の専属医師が、主であり患者でもある女性の髪や皮膚、身体の状態を五感と力を使って診る。
「髪の具合、悪くはなし。皮膚も同様。次、触れます。レナータ」
「任せてください」
次は触診。今度は桃色の戦姫でもあり、今は使用人でもある少女が筋肉や皮膚、その上から臓器に軽く触れ、異常が無いかを調べる。仰向けでは全部は出来ないので、うつ伏せの状態でもやる。
「どう?」
「そうですね……。硬さを感じます」
寝たきりの上に、政務の仕事が合わさっているからか、余計になりやすいようだ。カチコチ、とまでではないが、かなりの張りがある。
解消しようにも、運動すれば身体に負荷が掛かるので、大きなのは出来ない。また、張りになっていると言うことは、血流が鈍っている。
つまり、免疫の過剰反応も少なからず抑制されている可能性があるので、簡単には解消させるわけにも行かないのが原状だ。
――血の病って、分からない点がまだ多いからな……。
力と知で、身体の中も調べてはいるが、機械が無いためにどうにも不透明な部分が多い。
一度に知れる部分は終わったため、今は一つ一つをゆっくりと知り、適切な対処をしてより良い改善を地道に進めるのが最善だ。
「次、服を捲ってください」
自然に言い放つマサトだが、これはあくまで触診の一環。捲るのも、心臓がある場所まで。下部は見えるが、そこまでだ。第一、マサトは欠片も意識してないし、担当はオルガだ。
オルガは触診で何ヵ所を軽く押し、次に聴診器で心臓や臓器の音を確かめる。それらの情報を紙に素早く記し、診察は終了する。
「終わりましたよ」
「二人とも、何時も通りありがとう」
「いえ、大したことではありません」
「自分は自分の役目をしているだけなので」
遠慮気味にオルガは、マサトは淡々とそう告げた。
「では、わたしはこれで」
何時も通りの作業が終わると、オルガは何時も通りに退室した。
「今日は何の話をしてくれるのかな?」
「その前にこれを」
臣下が腰から取り出した、ケースに仕舞われた金色のある装飾が施された懐中時計を受け取る。
「これが懐中時計? もう出来たんだ」
アレクサンドラは懐中時計のことを、勿論知っている。ある程度の時間を知り、予定を詳しく決めるため、金を出して欲しいと頼まれたのだ。
但し、ただで用意するつもりはまったくないので、結果、マサトの借金は膨らむ羽目になったが。
「ちなみに、この鳥は?」
「貴女が振るう竜具は炎の力を宿す武器。そして、何時かは病という檻から飛び立つを連想して鳥。その二つを合わせた、火の鳥――不死鳥の意匠を選びました」
「不死鳥」
昔、マトヴェイから聞いたことがある。確か、金と赤の翼を持つ鷲で、紅蓮の炎で敵を滅し、金色の炎で死者を蘇らせ、自身の死が近付くと、己の炎で灰となり、その灰から蘇生するので、不死鳥とも言われると。
その話を聞いたとき、アレクサンドラは己が持つ竜具、バルグレンは金と朱の炎を放つために、少しだけだが似ていると思ったことがあった。
そんなことを思い出したあと、アレクサンドラは受け取った懐中時計の蓋を押すと、二枚貝のように開く。
それはマサトのと違い、ガラス面で中のからくりが見えるタイプだった。
「わぁ……。すごい」
ガラスの面のおかげで、中の複雑な構造と動きが見える。見ているだけなのに、とても楽しい。
十二の数字と、常に動くのを含めた、三つの針。そしてカチカチと、機械が奏でる心地よい音。それらの組み合わせには、不思議な楽しさがあった。どういう構造、仕組みで針が動くのか、とても気になる。
マサトがアレクサンドラに渡した金の懐中時計はスケルトン。中を複雑な構造を見れる装飾性の面が強いタイプ。
そして、金は単純に金を使うと、かなり重い。アレクサンドラの病で衰えた身体を考慮し、メッキにしてある。
「それはお渡しします」
「僕よりも、君が持ってた方が役に立つと思うけど」
少なくとも、寝たきりの自分よりは、マサトか、オルガの方が遥かに役に立てれそうなものだが。
「大丈夫ですよ。自分のも有りますから」
金色の懐中時計を仕舞っていた反対側のポケットから、黒色の懐中時計を取り出す。
「それに今の正確な時間帯や、症状や何かが起きた場合の時間、どれだけ待てば良いのかを知れますよ? ……まぁ、正確ではありませんが」
「その辺りは仕方ないよ。初めての代物なんだし」
ある程度だが、時間は知れる。それは充分に有難い。折角用意してくれたので、有り難く受け取ることにした。
「今日はそうですね、時計の話を聞きますか?」
「聞きたい」
主が了承したので、臣下は時計の歴史について話す。勿論、自分が知っている範囲のだが。
その後は、少し間があったため、アレクサンドラはマサトに彼が知っている不死鳥の伝承を聞き、世界は異なってもほとんど同じなんだと思った。
不死鳥の話が終わると、時間を迎えたので、マサトは席を立つ。
最後に細かい話や、アレクサンドラにアレルギーに改善効果が見込めそうな茶は飲用しているかの確認をし、一礼して部屋を後にした。
「今日も楽しかったな」
昔の時計から、先の時計の全て。その中で意外だったのが、発達しても必要な物が昔と同じ、自然の物を利用したものがあることだった。ただ、差は歴然だが。
――確か、光を雷に変えるんだっけ?
どうすれば、そんなことが出来るのか驚愕したものである。
ただ、文明が進歩しても、必要な物はそんなに大差は無いのかもしれないとも思った。
「さて、今日も生きよう」
強い意志を持って、病と戦うために。
――僕はまだ、恵まれているんだから。
血の病の詳細を知った日や、その後の数日で知った、向こうにある様々な難病。
向こうの発展により、完治したものもいるが、中には、その医学を持ってしても、助からない人達もいる。
その中には自分の半分の時も経たない内に亡くなってしまった者もいた。
より残酷だと、五つ以下、物事も完全に判断出来なかった時期にその生が終わってしまった者だって、多くいる。
病気以外でも、災害や事件で早すぎる死を迎えた者もだ。
血の病は確かに辛く、苦しい病だ。しかし、決して自分だけが理不尽に苦しんでいる訳でない。他にも沢山の人が、難病や理不尽に苦しめられている。
死んだ者達に比べれば、自分は長い時を過ごし、まだ生きている。改善の余地も充分にある。
ならば、自分は生きねばならない。公国を統治する戦姫としても、それらの話を聞いた一人の人間としても。
「――負けない」
血の病には、決して。負けるにしても、最後の最後まで戦い、生きる意志を貫いてみせる。アレクサンドラはその決意を新たにする。
その意志に反応してか、彼女の膝の上にある双剣の竜具、バルグレンが光を放つ。主を応援しているのだ。
「ふふっ、ありがとう。バルグレン」
竜具の応援に、朧姫は双剣を刃、鍔、柄の順に撫でることで礼を示す。
「今日も一日、頑張ろう」
改善が少しずつ成果を出しているとは言え、政務のできるペースは今まで通りとマサトに制限されているが、自分のやるべき仕事。しっかりとこなさねばならない。
仕事を始めるべく、呼び鈴を鳴らして従者を呼ぶ。その音は、彼女の意志を表すかのように力強かった。