艦隊これくしょん~コクチョウは消えた~ 作:海軍試験課所属カピバラ課長
「あぁー、お茶がうまい……」
ことん、と食堂のテーブルに勇が湯呑みを置いた。渋めの緑茶が1番だと思っていたが、ほうじ茶も意外とありかもしれない。
艦娘たちは基本的に食堂で食事を済ませた後は休憩室に行くなり、各人の部屋へ行くなりするらしい。
つまり、食堂は食事提供の時間が過ぎてしまえば無人になることが多いのだ。
外は快晴。だが暑すぎるわけではなく、心地のよい風が窓から吹き込んでくる。
「提督、失礼してもいいですか?」
「間宮か。ああ、もちろんだ」
勇がほうじ茶を急須から注ぎながらうなづく。割烹着を脱いだ間宮が勇の正面にある椅子を引いてゆったりと腰を下ろした。
「休憩か?」
「はい。お昼時も終わりましたから一息つこうかと。提督も休憩ですか?」
「休憩っていうよりも上がりって感じだな。何せやることが少ないから」
勇の主な仕事は榛名が回してきた書類にサインをするだけ。細かく書類不備がないかチェックはしているが、それでもすることがサインだけでは仕事も早く終わるというものだ。それ以外にも清掃や食堂のシフト編成などはやっているが、それにしても1度いっぺんにやってしまえばしばらくやらなくてもいいものだ。
出撃や遠征、その他の雑務など1番ウェイトのあるところを榛名が一手にやると言って譲らないため、必然的に勇はさっさと仕事が終わってしまい、時間を持て余すことが多いのだ。
「間宮、明石はどうだ?」
「順調ですよ。元々から器用だったこともあって飲み込みも早いから助かってます」
口をつけた湯のみを間宮がことんと机に置いた。ほぅ、と温かい息を吐くと勇に目を合わせてから穏やかに笑う。
「これなら私がいなくなるまでになんとかなりそうです」
「まあ、それならよかったよ。さすがに永続でいてもらうことはできないからな」
あくまでも間宮は一時的な異動であって、永続でここにいてくれるわけではない。だからこそ、誰かしらに間宮の技術を受け継いでもらう必要があったのだ。
もし見つからなければ最悪の場合、出来合いの弁当を商店街に注文する形にしていくつもりだった。だが明石という代理を間宮が見出してくれたおかげでなんとかなりそうだ。
「とりあえずこれで食堂問題だけはクリアだな。今後もしっかりと食事を提供していけそうだ」
「他にどんな懸念事項があるんですか?」
「……榛名だな」
「榛名さんですか」
「あそこまで必死になっている理由がわからねぇ。それこそ身を削るくらいに、な」
「そうですね。そういえば榛名さんだけは未だに私のご飯を食べくれていませんし」
「ってことはまだレーションばっかりか」
「少なくとも私は榛名さんがレーション以外を食べている様子を見たことはありませんよ」
勇が溜息をつきながら頭を抱える。確かに榛名は食堂を認めはしたが、自分が利用するかどうかは自由だと言っていた。この場合、榛名は食堂を利用しない自由を行使しているというわけだ。
どうも最後の砦は榛名らしい。何かに囚われているようだということまではぼんやりと予想したが、何が榛名をここまでストイックに駆り立てるのか勇にはわからなかった。
「そもそも榛名はいつ寝てるんだよ。執務室に深夜まで電気がついてなかったことがないんだぞ?」
「それは私にもわかりませんよ。あ、でも……」
バタン! と間宮の言葉を遮るように食堂のドアが開いた。勇と間宮の視線が食堂へつかつかと入ってきたツインテール風の髪型の少女が勇の横まで歩み寄る。
「えっと……五十鈴、か?」
勇がおそるおそる話しかける。あまり接触のない艦娘だ。名前と顔は一通り覚えて一致させたおかげですぐに誰かはわかったが、なぜいきなり接触してきたのかわからず勇は困惑していた。
そしてその困惑は五十鈴が頭を下げたせいで余計に増した。
「どうしたんだよ……っておい、五十鈴! お前、怪我してるじゃねえか! 確か今日はお前の出撃シフトだったよな? 早く入渠して……」
「お願い」
慌てふためく勇に向かって五十鈴が頭を下げたまま、真剣味を込めた声でたったそれだけ言った。血の滲む五十鈴の右肩からためらいがちに視線を勇が外す。
「どういう……」
「あの子を……不知火を助けたいの」
「……何があった」
「対潜哨戒中に襲撃を受けたわ。明らかに逃げられるような状況じゃなかった。だから不知火が……」
そこまで言ってから五十鈴は口をつぐんだ。だがこれだけで何があったのか察するには十分すぎる情報量だった。
「まさか、もう不知火は……」
「まだ大丈夫。少なく見積もっても、あの子の技量ならギリギリで持ってる。それに鎮守府に着く直前に通信で確認してるわ。でも……」
「放っておけば時間の問題か。救援の到着予定時刻は?」
「……出てないのよ」
「は?」
「出しても手遅れだって……提督代理が」
五十鈴の言葉から察するに、不知火は囮になった。そして五十鈴はおそらく帰還してからすぐに救援を送るように具申したのだろう。
そして提督代理、ということは榛名がそれを突っぱねたのだ。
「五十鈴、報告ありがとう。怪我してるんだろ? ゆっくりと入渠してこい」
「でも私は……」
「いいから」
勇の声が低いものになる。ぞくっと五十鈴の背筋に冷たいものが走る。とても落ち着いた調子のはずなのに、まるで周囲を威圧するような声だった。
「間宮、悪いけど急須と湯呑みの片付けを任せてもいいか?」
「え、ええ。構いませんけど……」
「助かる」
短く言い残すと勇は食堂の扉を大きく押し開ける。そして大股に歩き始めた。向かう先は榛名のいる執務室だ。
道すがらにすれ違った艦娘がぎょっとした顔で飛び退り、勇に道を開ける。それを都合がいいと言わんばかりに勇はひたすらに突き進んだ。
ノックする手間すら惜しい。執務室の目の前までたどり着くと扉を強めに開けた。
「榛名、説明を」
今、いったい自分はどんな表情をしているのだろう。ふと勇はそれが気になった。それくらい自らの口から出た声は絶対零度を思わせるほど冷えきっていた。
「……対潜哨戒のために出撃中だった五十鈴さんの艦隊が敵水上打撃群に奇襲を受けました。初手で対応が遅れたこともあり、不知火さんが推定で中破弱程度の損害を受け、航行速度が低下。本人の意見具申もあって五十鈴さんたちは5隻で撤退をしました。その際に航行速度の低下が見られた不知火さんは……」
「そういうこと聞いてんじゃねえんだよ」
榛名が最後まで言い終わる前に勇が被せた。そんな起きたことを聞きに来たわけじゃない。起きたことはもう五十鈴から聞いている。
「救援艦隊を出さないのはなぜだ」
「……もう手遅れです。不知火さんは」
「ああそうかよ。それがお前の判断ってわけだ」
「いいえ、佐世保第三鎮守府の判断です」
「確かにここの出撃権を持ってるのはお前だ。だが生憎なことに俺も運営に携わる権利がある。その上で言うぞ。救援艦隊を出せ」
「お断りします」
「結局、お前は先代の野郎がやってたことと同じことを繰り返すつもりか」
「あなたに何がわかるんですか!」
バン! と榛名が机に両手を叩いて、勢いをつけると立ち上がった。勇を敵意でいっぱいに満ちた視線で榛名が射抜く。
「よく考えてみてください! 駆逐艦1隻と救援艦隊を出撃させる分の資材消費です! どっちが重いかなんてわざわざ言わなくてもわかるでしょう! 特例で救援艦隊を出撃させたら今までの資材消費報告書も新しく作りかえなくてはいけないんですよ! 練度くらいすぐに上がります! だから! だから新し、く……」
「榛名!」
だんだんと榛名の言葉が途切れていく中で、勇が大声で榛名の名を叫んだ。ビクッと榛名が震え、その瞳が驚愕に開かれていく。
「……俺はな、お前の中でここだけは変わってないと思ってたよ。残念だ、本当に」
「榛名は……はるな、は…………」
「放送だけ入れさせてもらう。不知火がやばいってこと。あと助けに行くってことを」
きっちりと執務室から鎮守府全体へ、今まさに言った通りの旨を話すと、勇は榛名に背を向けて執務室の出入口たる扉へ歩を進めた。軋むことなく執務室の扉がゆっくりと閉まり、廊下から執務室へ入り込む光を遮断する。
いつもなら大した音を立てることなく閉まるこの扉が今日はやけに大きいように榛名は感じた。
「榛名は……榛名は……榛名、は……は、るな、は……」
榛名がわなわなと震えながら両手に目線を下ろした。白く透き通った手だ。けれど真っ赤な手に見えた。
ーーあなたは不知火さんを、仲間をまた見殺しにしたんですよ。
「いや……」
榛名が両手で顔を覆う。聞きたくない。いやだ。だが頭の中の声はそんなことをしても無駄だ、と言うかのようにクスクスと嘲笑する。
ーーねぇ、これで
「あ、あ……うああああああああああ!!!!」
喉が張り裂けんばかりの慟哭が悲痛に響いた。
いかがでしょうか。この一連の話を銘打つのなら不知火救出編といったところですかね?
まあ、勇は本当なら手を出してはいけないんですけどね。曲がりなりにも組織のトップが最前線まで出てくるのはアウトですし。
つまり、行動を起こすと決めた時点で勇は首覚悟です。そこまでやれるってのはすごいですね。自分にはとてもできません。