艦隊これくしょん~コクチョウは消えた~ 作:海軍試験課所属カピバラ課長
経済速度、というものがある。
端的に説明するのならば、船にとってもっとも燃費のいい速度のことだ。
だがそれゆえに決して速くはない。少なくとも有事の際に駆けつける速度としては遅い。
「間に合え……」
缶が焼け付くギリギリ一歩手前の速度で勇がタグボートを操る。そこまで鎮守府から不知火のいる海域が離れていないとはいえ、5分で着くというくらい近いわけではない。
勇が奥歯を強く噛み締める。明石が改造してくれたおかげで、タグボートとは思えない速力が出ている。けれどそれすらも今は遅いと感じてしまう。
「そろそろのはずなんだが……」
周囲に勇が目を走らせる。もう結構な距離を来たはずだ。見つかってくれなくては困る。
見つからないということはつまり、不知火がもう手遅れになってしまったことを意味するのだから。
タグボートを走らせながら不知火を探し回る。その時、勇の耳がタグボートのエンジン音に混ざって爆発するような音を捉えた。
「あれは砲撃音……? まさか!」
舵を切って船首を音のした方向へ向ける。速力をさらに上げて前へ。急げ、急げとタグボートを逸る気持ちを隠すことなく駆る。
まず飛び込んできたのは煙幕だ。中で不知火がいるらしいことはわかる。なぜなら砲撃音が大まかに2つの地点から聞こえてくるからだ。
どうやら不知火は煙幕を展張することによって凌いでいたようだ。だがその煙幕もだんだんと薄れてきている。
タグボートに取り付けられた通信機を取り上げると勇はそれに向かって声をあげる。
「不知火、応答してくれ。不知火!」
《まだ、沈んでいません、よ……》
ザザ、とノイズまみれではあるが通信機が不知火の声を返す。しかし普段から声のトーンが上下しない不知火にしては、苦悶の色がありありと滲み出ていた。
「不知火、煙幕の中にいるんだよな?」
《はい》
「今からそっちに突っ込む。スリーカウントで煙幕から飛び出すんだ。一瞬だけ減速して不知火を拾う」
《待って、ください。司令、なぜここにいるんですか?》
途切れながらも不知火が咎めるような口調に変わる。
「説教なら後からいくらでも言ってくれ。だが今は不知火、お前が優先だ。いけるな?」
《……わかりました。どうぞ》
「3、2、1……行くぞ!」
タグボートの出せる限りの速度を超える勢いで出力を上昇させる。ガタガタと不気味な音を缶が鳴らした。
構うもんか!
煙幕の中から不知火が飛び出した。艤装の一部は抉れ飛び、制服を血染めにしているというボロボロ具合だ。
けれどまだ生きている。
「乗れ、不知火!」
声の限り叫んだ。同時にブレーキをかけて急激に減速させる。
体に慣性力がかかり、仰け反りそうになる。勇は足を踏ん張ってそれに耐えた。首の向きをかえて不知火を視界に収め続ける。
足取りもよろけていた不知火が近づくタグボートをきっと睨む。減速しているとはいえ、元々が相当なスピードを出していたタグボートだ。それに飛び乗るとなるとかなり難しい。
しかし不知火は絶対に成功できる自信があった。
残った力の全てを振り絞って不知火が海面を蹴る。艤装が一部でも吹き飛んでくれたおかげでいつもより軽い。
不知火が空中へと身を踊らせる。急に時間の進みがゆっくりになったような感覚。のろのろとタグボートが接近してくる。
そしてドサッと不知火がタグボートに倒れ込みながらも飛び乗った。
だがそれと同時に砲弾もタグボートの周辺に降り注ぐ。
「くそったれ、大人しく見逃してくれよ!」
勇が操縦席に明石が設置した機銃の掃射スイッチを入れる。全自動で目標に向かって25mm機銃が鉛弾を無数に吐き出した。
しかし機銃というのはそもそも水雷艇を破壊するための武器であって、艦艇に対して有効打にはなり得ない。
「弾かれるよな、やっぱり」
あってもなくても大きく変わるものではない。だからこの機銃はあくまでも気休めであってそれ以上ではない。
「不知火、ちょっと激しくなるが我慢してくれ」
大きく舵を切って着弾地点からタグボートを移動させる。海面に着弾した衝撃でタグボートが大きく横に煽られる。
「そう簡単に逃がしてはくれねえよ、なあ!」
だが沈んであげるつもりもない。不知火を助けに来たと言っておきながら一緒に沈んでいるようでは笑うに笑えない。
出し惜しみはなしだ。全速力でタグボートを飛ばし、残弾数を気にせずに機銃をばら撒きながら逃げ続ける。
けれどタグボートはそもそも速力の出るような船ではない。明石の改造により通常よりもはるかにスピードが出るようになっている。事実として深海棲艦を少しずつ引き離しているが、それでも遅すぎる。完全に撒くにはもっと時間がかかるだろう。
「砲撃の射程から完全に外れるまでにあと30分以上はかかるぞ」
そしてその30分はあまりにも長すぎる。
着実に追い詰められていく感覚に、手のひらが汗ばむ。控えめに言ってもかなり厳しい状況だ。
「司令……大丈夫、ですか?」
「不知火、お前は無茶しなくていい。何かに掴まって楽な姿勢でいてくれ」
「で、ですが……」
「お前は十分にやることやってくれたよ。だから休んでくれ」
不知火がよろめきながら操縦席まで来たようだが、勇に振り返る余裕はない。今まさに直撃コースで砲弾が飛んできているのだから。舌打ちしながら右に向かって大きく舵を取って、タグボートを旋回させる。
「司令!」
「無理すんな」
唐突に不知火が叫んだ。直後に不知火は咳き込みながら喀血する。
ぐるりと勇が首を回した。不知火を叫ばせるほどの何かがあったのだ。確認を怠るわけにはいかない。
「嘘だろ……」
勇の顔が驚愕に染まっていく。進行方向に新たな深海棲艦が一艦隊ぶん姿を現したからだ。
万事休す。挟まれてしまっては逃げるに逃げられない。徐々に離していたこともすべて水泡に帰してしまう。
「旗艦は重巡クラスか……」
本格的に状況が悪い方向へ傾いていく。ただでさえ明石が改造してくれたとはいえ、タグボートで逃げるというあまり好ましくはない事態。正直、逃げることすらかなり厳しかった。
そこに追手が増えた。しかも行く手を阻むような形で、だ。仕方なく取り舵をとって衝突だけは回避するが、こんなものは状況の打開ではなく時間稼ぎに他ならない。
「司令、不知火を置いていってください。少し休んだので時間稼ぎくらいはできます」
「だめだ。そんなボロボロで何ができる」
「司令を逃がせます」
いつ壊れるかわからない艤装を再び起動させると不知火が立ち上がる。よろよろとふらついているということは、かなりきついのだろう。だがそれでも不知火は気丈に振る舞い、立ち上がった。
「不知火は司令の護衛なんです。護衛対象に守られる護衛なんて意味がありません」
「……るせえ」
低い声で勇が唸る。荒く舵を切るとタグボートが左右に揺れた。
「お前が沈んだら誰が俺の護衛をするんだ? 受けた恩も俺はお前に返せてない。それにな……」
次は面舵を切って深海棲艦の砲撃コースから外す。爆風がタグボートを煽るが、決してコントロールを手放すようなヘマはしない。
ゆっくりと勇が口を開いていく。これから言おうとしていることは軍人ならば絶対に言ってはいけないことだ。それがわかっていながら勇はそれを口にする。
「俺はお前に沈んでほしくない」
どうしようもないくらいの本音だった。人は馬鹿だ愚かだと言うだろう。勇はここで首になる覚悟すら決めているのだから。
それでも見捨てることだけは許容できなかった。
「笑ってくれていい。馬鹿だと罵ってくれていい。それでもお前を見殺しにだけはしたくねえんだよ!」
なんのためにここまで来たと思っているのか。すべてを投げ打ってでも不知火を助けるためだ。
明石が全力で協力してくれた。五十鈴に助けてあげてくれと懇願された。だがそれ以前に勇が不知火に沈んでほしくなかった。
躊躇いなんて欠片も感じなかった。失敗して命を落とすリスクだって理解している。それでも迷うことなく不知火を助けに行くと決断できたのは、ただ護衛を不知火が務めてくれていたからだけではない。
一度は命を救われた。不知火自身が自覚していなくとも、何度だって背中を押してもらってきたのだ。
ここまで鎮守府の改革が成功を収めてきたは不知火のおかげだと勇は断言することができる。
1人だったら絶対にできなかった。けれど不知火がいたからできた。
その不知火が沈むことをみすみす見逃すことが正しいことだとは思えなかった。
「司令……?」
「絶対に助けてみせる。だから……」
勇が言い終わる前に、前方の海面がぐわっと盛り上がる。そして駆逐イ級がその顎門を開いて、タグボートを食らわんと待ち受ける。
「しまっーーーー」
だがイ級がタグボートを勇と不知火ごと飲み込むことはなかった。開かれた顎門の中に砲弾がいくつも叩き込まれ、爆炎に飲み込まれたからだ。
「まったく無茶するわね……まあ、間に合ったからいいけど」
砲口から硝煙を立ち上らせながらオレンジ色の髪を2つに括った少女が呆れたように言った。その背後に並ぶ少女たちも、それぞれが自らの主砲を油断なく構えて完全に臨戦態勢だ。
「陽炎以下陽炎型現着。これより戦闘に移る。総員、叩きのめせ!」
陽炎が吼える。その掛け声に呼応するようにして一斉に陽炎型が砲撃を開始した。
ほんのちょぴっとだけ状況が好転しました。何がきついっていくら陽炎型オールスターズがいても艦種的にただぶつかるだけでは絶対に勝てないんですよね。
とにかく不知火と合流することはできました。ここからは誰も死ぬことなく帰らなくてはいけません。わー、みんながんばれー(超他人事)