艦隊これくしょん~コクチョウは消えた~   作:海軍試験課所属カピバラ課長

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第n回 黒白のスピラ(最終回)

 

 重い工廠の鉄扉を不知火が力を込めて開く。薄暗い工廠の中へ入るとむっと立ち込める鉄臭さに顔をしかめた。

 

「ああ、不知火さんですか……」

 

 工廠の奥から明石がのっそりと現れた。不知火は小さく頭を下げてその言葉に答えた。

 

「艤装はどこにありますか?」

 

「そちらに。用事はこれだけですか?」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 無言で明石が不知火に背を向けると再び工廠の奥地を目指して歩き始める。明石の姿が完全に消えてから不知火は自らの艤装に近寄った。

 

 そっと艤装を撫でてから不知火は主砲を丁寧な手つきで取り外す。左手でそれを提げると工廠の鉄扉をゆっくりと閉めた。

 

 終着点は決まっている。そのはずなのに、不知火はすぐにその場所へ足を向ける気にならなかった。

 

「食堂、行きましょうか」

 

 周囲には誰もいない。けれど誰に言うわけでもなく不知火は独りごちた。

 

 目的地を定めたら、足の向きを変えるだけだ。ぽつぽつと不知火はゆっくりと歩き始めた。足を進めるたび、冷たい風に晒されたコンクリートが不知火の靴とぶつかって悲しげな音を立てる。

 

 それは廊下でも同じだった。乾いた空気は音をよく伝えるせいか、いつもより大きく音は聞こえる。

 

 食堂の扉の擦り減った取っ手を右手で掴む。そして不知火はドアを開けて食堂に踏み入った。

 

ーーーーまたレーションなのね……

 

ーーーーもう飽きたってば……

 

 天津風が露骨に顔をしかめながら目の前のトレーを見つめる。時津風がそれに賛同するようにスプーンで嫌そうにレーションをつつく。

 

ーーーー我慢しなさい。一番、苦しいのは提督なんだから

 

 2人を窘めるように五十鈴が言いながらレーションを口へ運ぶ。それを嚥下した直後に水をあおって飲み下した。

 

ーーーーうん、わかってるってぇ……

 

 時津風も顔をしかめながら嫌々レーションを飲み込む。天津風もそれに倣ってレーションを食べ始めた。

 

「あ……」

 

 不知火が手を伸ばす。しかし不知火の手が届く前に五十鈴の姿がぱっ、と消えた。続いてもぐもぐと口を動かしていた時津風と天津風の姿もまるで霧のように掻き消えた。古びた椅子は空っぽに、トレーの置いてあった机の上は何もない空間がぽっかりと口を開けている。

 

「そう、ですよね……」

 

 一度は上げた右手を緩やかな動きで下ろす。商店街は空爆で吹き飛んだ。そのせいで食糧供給が止まり、レーション体制に戻ったことはずいぶんと昔の話だ。

 

 食事の受け渡し口から厨房を覗き込む。火の気がないガスコンロに蜘蛛の巣が張った食器棚。うっすらと綿ホコリが積もった隅を見ながら不知火は食堂から出て行く。

 

 主砲を左手に提げたまま、不知火は歩く。次は一度、鎮守府から出て外へ。そうして出るとグラウンドに不知火は立った。

 

 ここではすべての艦娘を集めて集会にも使える場所だ。さすがにすべて集まるとなるとかなり騒がしくなる。

 

ーーーー司令、急に呼び出してすまない

 

 磯風が先頭に立って頭を下げると詫びる。勇が無言で磯風に目を合わせた。

 

ーーーーやけども聞いて欲しいことがあるんじゃ

 

 さらに浦風が進み出る。それに背中を押されたのか、浜風と谷風が勇の前へ。

 

ーーーー人類を守るのが谷風さんたち艦娘の役目ってもんだい

 

ーーーーしかし私たちは守れませんでした

 

 商店街は瓦礫の山となり、何人もの死傷者を出した。この事実は揺るがない。たとえ勇が被害を最小限で抑えることに成功した英雄と表彰されても。

 

ーーーー私たちは人類を守るための矛となり盾となる兵器だ。だから……

 

 磯風が、さらに浦風が。谷風に浜風が。そしてグラウンドに集まったすべての艦娘たちが、まっすぐに勇を決意の篭った瞳で見つめる。

 

ーーーー司令、この磯風たちを使()()()くれ

 

 磯風が頭を下げる。倣うようにして他の艦娘たちも頭を下げた。

 

 勇はただ、黙って小さくうなづいた。

 

「それは……っ」

 

 不知火が集会の中心である磯風と勇の間へ割り込む。だが無駄だった。不知火が手を伸ばした瞬間、集まっていた艦娘も、勇の姿も風に吹かれた灯火のようにふっと消えた。

 

 グラウンドは誰もいない。そう、不知火の目の前でじっと勇がさっきまでいた場所を見つめている『不知火』を除いて。

 

 不知火が手を横薙ぎに振った。目の前の『不知火』が雲のように千切れて空中に霧散する。

 

 見たくなかった。あの『不知火』なんて。ただ見ていただけの『不知火』なんて。

 

 今度こそ誰もいなくなったグラウンドに寒風が吹き荒ぶ。木の葉が舞い上がり、地面を這った。

 

「もしも、もしも……」

 

 口を突きかけた言葉を首を振って飲み込む。言っても詮無きことだ。あの時は自分だって輪の中にいたのだから。もしも、なんていくら言っても起こったことは変わらない。過去はどれだけ変えたいと願っても、変えることなど叶わないのだから。

 

「……海を見に行きましょうか」

 

 閑散としたグラウンドに不知火の囁きが虚しく響く。不知火は海を眺めることが好きだった。たまに勇とも見に行った。肩を寄せて何をするわけでもなくぼんやりとしていたあの時間が思い出されて、不知火は小さく笑った。

 

 そっと手袋の下にはめられた指輪を撫でる。何か取り立てて大きなことをしたわけではない。それでもあのなんでもない、ごくありふれた時間は温かかった。

 

 埠頭はそこまで離れていない。少し冷えてきたが、さしたる問題ではないだろう。元々から海風というものは寒々しいものだ。

 

ーーーー今日のツキはどうかしら?

 

 初風が艤装を装着した姿で海に立った。なめらかな髪の毛が風で揺れる。手袋に包まれた指が小石を弾いて跳ね上げた。ポチャン、とそれは海面をわずかに波立たせて消えていく。

 

ーーーーねえ、雪風

 

 教えてよ。

 

「……」

 

 不知火が静かに埠頭へ立つ。海上で水平線の向こう側をじっと見ていた初風の姿が蜃気楼のように霞みがかっていくと、波間に隠れた。

 

 同じように石を蹴って海へ落とす。鉛色の海面は小石をさざなみだけ残して飲み込んだ。小石の忘れ形見だったさざなみもすぐに打ち消えていく。

 

 ぶるり、と不知火の体が震える。さすがに艦娘とはいえ、寒くなってきた。そろそろ鎮守府の中に戻ろうか。廊下は暖房が効いていないが、外の吹き曝しにい続けるよりかはましだろう。

 

 実際に鎮守府の中に入ると、多少は寒さも和らいだ。それでも指先は冷え切っていたが、握ったり開いたりを繰り返していると固まりかけていた関節も動き始める。

 

 ギシギシと廊下の板が軋む。道筋は立てている。曲がり角をまがると、『ゆ』の文字が大きく書かれた青と赤の暖簾(のれん)。不知火は青の暖簾(のれん)をわざと選んでくぐった。

 

ーーーー生活環境っていうのは大事だろ? だからそこを整えているだけさ

 

 裾と袖を捲くった勇が苦笑しながらデッキブラシで浴室のタイルを擦る。擦ったところから磨かれて、汚れが落ちていく。同じように袖を捲くってソックスを脱いだ素足の『不知火』がその姿に疑問符を浮かべつつ、同じようにデッキブラシでタイルを擦っていく。

 

「本当にその通りでしたね」

 

 不知火が洗い場に靴のまま踏み込む。なにやら会話を続けていた勇と『不知火』が腰を曲げて掃除をしたまま、だんだんと透けていくと消えた。

 

「っ……」

 

 水垢のせいでぬめりのあるタイルに不知火の靴が取られかけた。滑りそうになって、不知火が足に力を入れて堪えると、なんとか転ばずに事なきを得る。

 

 今度は浴槽の中に、タオルを頭の上に乗せた勇が現れた。ほわほわと湯気の立ち上る風呂で機嫌がいいのか、暢気そうに勇が鼻歌を歌う。

 

 仕事の時はきっちりしようと心がけている人だった。だがオフの時はわりと気を抜いている。他の艦娘たちの前では司令官として見せるわけにはいかないと、律していた姿。だが不知火だけは知っていた。

 

 浴場の出入り口であるはめ込みガラスのスライド式ドアが開かれる。バスタオルを体に巻きつけた『不知火』が浴室に入ってきた。

 

 ワタワタと勇がわかりやすいくらいに慌てる。『不知火』が本当にどうして勇が慌てているのかわからない様子で首を傾げる。

 

 思えばあの頃はどうかしていたのではないかと不知火は頭を抱えた。どうしてほとんど裸同然の姿を晒して何も思わなかったのだろうか。今であったら、そんな迂闊なことは絶対にしない。

 

「意識していなかったから、でしょうね」

 

 絶対にできない。だがその理由は警戒ではなく、羞恥からだ。

 

 もし、誘われたのなら一緒に入ってもいいと思っている自分もいるが。

 

 少し身悶えしそうになる体を押さえつけているうちに、勇と不知火の会話はヒートアップしていく。そうしていると、出入り口から陽炎が浴室に飛び込んできた。

 

ーーーーこんの……ロリコン変態ペドフィリアァァァァ!!

 

 ごふっ、と勇が空気の塊を吐き出しながら仰向けに吹っ飛ぶ。そしてタイルの床に叩きつけられる直前に、幻のようになって消えた。振り返ると、バスタオル1枚のみを身に着けていた『不知火』も勇を殴り飛ばした陽炎も、影形すら残さずに消えていた。

 

 お湯が満たされていたはずの浴槽はわずかに水溜りを残すのみ。目地には黒いカビが詰まっている。タイルにはところどころヒビが入っていた。

 

 お世辞にもいいとは言えない黴臭さに、不知火が鼻にシワを寄せる。あくまで立ち寄っただけであって、ずっと居座るつもりはない。暖簾をくぐって風呂場を後にした。

 

「もう、いい時分でしょう」

 

 不知火が足を執務室に向ける。一度は破壊された執務室だが、その後に修復された部屋へ向かっていく。

 

 さして遠くもない執務室に不知火はすぐ辿り着いた。もう少しくらいゆっくりでもいいのに。そんなことを思えども、着いてしまったのだから仕方がない。

 

 遠くから甲高い叫び声が響いてくる。この方向は工廠からだ。明らかな悲鳴。誰が発した悲鳴かはわからないが、なぜ発された悲鳴かわかる。

 

ーーーー不知火です。ご指導ご鞭撻、よろしくです

 

 『不知火』が執務室に入っていく。閉ざされたドアの向こう側からそんな声が聞こえてくる。そういえば、会った当初は警戒していた。もちろん、命令ならば従わざるを得ないが、それでもある程度は敵意を持っていた。

 

 それが気づけば指輪まで受け取ってしまっている。我ながらずいぶんと変わったものだ。

 

 その変化を嫌に思うどころか、好意的に捉えている自分すらいるのだから。

 

 不知火が当初に定めた目的地である執務室。ゆっくりと不知火は持ち上げた右手をドアノブにかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆炎の中から陽炎がよろめきつつ、現れる。深海棲艦と艦娘。両者が同時に砲撃したせいで、両陣営に巨大な爆炎が屹立したのだ。

 

「えほっ……がふっ」

 

 陽炎の口から鮮血が溢れてこぼれる。体中が痛みを訴えていた。溢れる血液を拭おうと左手を口元へ持っていこうとして気づく。

 

「っ……ない、か……」

 

 左手で血を拭おうとした。だが問題の左腕が喪失していた。これでは血を拭うに拭えない。

 

「陽炎さんは無事でしたか」

 

「残ってるの、榛名さんだけ?」

 

「みたいですね」

 

 同じように少しふらつきながら現れた榛名が血の塊を海面に吐き捨てる。

 

「榛名さんも左腕なんだ」

 

「お揃いですね」

 

 苦し紛れに榛名が笑う。陽炎も髪を結っていたリボンで止血しながら強気に笑ってみせる。

 

「アラアラ、モウ私シカイナイワァ」

 

「余裕なことで」

 

 涼しい顔で戦艦棲姫が爆炎を割って出てくる。それ以外の随伴が出てくる様子がないところを見ると、随伴は落とすことに成功したらしい。

 

 だが問題である戦艦棲姫はほとんど無傷。対してこちらはもう、榛名と陽炎の2名が残っているのみ。

 

 どれだけ電探に目を凝らしても海上には3つの反応しかない。1つは戦艦棲姫、残りは榛名と陽炎。

 

 それ以外は、何もなかった。

 

「陽炎さん」

 

「そうね」

 

 短く言葉を交わす。艤装はまだ動く。体はガタガタだが、動くのならばいい。榛名がそっと陽炎に目配せすると、少しの逡巡を経た後に陽炎がうなづく。

 

「サア、残ッタモノヲ始末シナキャネエ」

 

「残り物を侮ると痛い目を見ます……よ!」

 

 榛名が一息に言い切ると戦艦棲姫に向かって突撃していく。なんの策もない、直線的な突進。フフ、と嗤う戦艦棲姫が榛名に向けて砲撃を始める。

 

 一斉射撃。榛名はステップなどで避けるようなことすらせずに、せいぜいが軽い蛇行のみでギリギリ回避する。ただでさえかなり近かった距離が、手を伸ばせば届くとまでは言えずとも近づく。

 

 続けて第二斉射。あまりに接近しすぎた榛名は動体視力の限界を迎えていた。無計画としか思えない砲撃のうち数発が命中し、榛名の両脚を吹き飛ばした。

 

 他愛もない。両脚を失って崩れていく榛名から意識を切り離した戦艦棲姫はふと思い出す。

 

「アノ駆逐艦ガイナイ……逃ゲタ?」

 

「んなわけないでしょ」

 

 タンッ! と軽やかに陽炎が榛名の艤装を足がかりに飛び上がる。そのまま砲弾の再装填をしている戦艦棲姫に取り付くと、背中に回り込んで足を胴体に回すとガッチリと体をホールドする。

 

 ずっと榛名の影に隠れていた。そして限界まで近づいた上で戦艦棲姫にゼロ距離まで近づくこと。それが目配せして決めた陽炎と榛名の作戦だった。

 

「ナ、ナニヲ……」

 

「へっ、駆逐艦を舐めんじゃないわよ。さすがに密着してて、さっきみたいな火力を自分に向かっては撃てないでしょう?」

 

 陽炎がにたり、と嗤いながら魚雷発射管を戦艦棲姫に向ける。

 

「キサマは撃テナイ。自分マデ……」

 

「自分まで巻き込んでお陀仏になるからって?」

 

 戦艦棲姫が言おうとしている内容を先読みして陽炎が嘲笑う。確かにここまで密着した状態でまだ1発たりと打っていない魚雷をすべて戦艦棲姫に向かって打ち込めば、陽炎の体はただて済むことはない。

 

「上等じゃない。この身を捧げれば敵が討てる。ならくれてやるってもんよ。ねえ、榛名さん?」

 

 唐突に戦艦棲姫の腰あたりを海面から伸びた手が、がっしりと掴む。唯一、残った右腕だけで榛名が掴んで離すまいとしているのだ。

 

「死人は……役に、立ちません。でも……腕の、1本さえ残っているなら……敵を、討てます」

 

 息も絶え絶えにさせ、流血に塗れた顔に濡れ羽色の髪を幾条かも貼り付け。ついには右腕を除いて四肢を喪失したにも関わらず。

 

 榛名は艤装の主砲を戦艦棲姫に向けて嗤った。あまりに鬼気迫る顔に戦艦棲姫をして後退りさせる。

 

「マサカ、始メカラ自爆スルツモリデ……!」

 

「そうだけど、それが?」

 

 陽炎が言い放つ。残っている片腕が魚雷発射管のスイッチへ伸びていく。

 

「たかだか駆逐艦と戦艦の1隻で姫級よ。安い買い物だと思わない?」

 

 逃げたところで戦艦棲姫は佐世保第三鎮守府の侵攻に加わるだけだ。通信機越しでしか聞いていないが、勇の様子から相当に厳しい戦いを強いられているのは陽炎とてわかっていた。

 

 逃げ場なんて最初からどこにもない。死ぬまでの時間が少し長いか短いかの違いがあるだけだ。

 

「「吹っ飛べ」」

 

 陽炎が魚雷を、榛名が艤装に残っている砲を。寸分の狂いもない、まったく同じタイミングで撃った。

 

 榛名、陽炎、戦艦棲姫。3人を大爆発が包み込む。体がバラバラになるような衝撃と、目もくらむような光量の中で陽炎が小さくつぶやいた。

 

ーーーーごめん、不知火。約束、守れそうにないや……

 

 爆炎が晴れる。そして、誰もいなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあっ、はあっ、はあっ……」

 

 勇が息も荒く跳ね起きる。嫌な夢だ。汗にじっとりと濡れた額を手の甲で拭う。起き上がった時に跳ね飛ばされたらしい毛布を回収すると、ベッドの上に安置させ直す。

 

 手近においてある報告書へ手を伸ばす。昨日の戦果と被害状況に目を走らせる。

 

 報告書の中にあった『轟沈』の文字と、そこに踊る数字の意味も理解した上で読みながら。

 

 報告書を眺めつつ、仮眠室から執務室へ。ドアを体で押し開けて執務室に入り込む。

 

 そこで勇は不知火が執務室にいることに気づく。その手に下げられている主砲を見て、硬直させたままだった表情をふっと和らげた。

 

「やはり俺を止めてくれるのはお前か、不知火」

 

 不知火が小さくうなずく。そんな不知火を見た勇は傍らの執務机に報告書を置いた。そして不知火に向き合う。

 

「不知火たちは間違えました。そしてあなたも」

 

「そうだな。俺たちは間違えた」

 

 勇が報告書を思い返しながら首肯する。

 

 あの空襲から結構な時間が経った。そして時間はそれだけ物事を変質させるだけの力がある。

 

 陽炎と榛名は、帰ってこなかった。

 

「もう、あの空襲を直接的に知る艦娘も不知火を含めて僅かしか残っていません」

 

「不知火の他には明石と霧島くらいか」

 

「そうですね」

 

 勇が目を細めながら思い返す。共に戦った艦娘たちはもう、いなくなってしまった。

 

「不知火、俺は止まれないんだ」

 

「知っています。不知火も止まれませんから」

 

 ここで止まること。それは勇を信じて自分たちを兵器として使ってくれと言ってくれた艦娘たちの犠牲をなかったことにしてしまう。

 

 もう止まれない。その手は艦娘たちが信じて託したものが握られているのだから。

 

 そしてその背中には信じて命を散らした艦娘たちが背負われている。

 

 ここで止まったら、信じてくれたものが無駄だと言うことになる。彼女たちの思いを、気持ちを、信念を。すべて塵芥と同然に扱うことと同義だ。

 

「なあ、不知火。コクチョウって知ってるか?」

 

「コクチョウ、ですか?」

 

「コクチョウ、つまりブラックスワン。黒い白鳥のことだ」

 

「黒い白鳥……そんなものがいるんですね」

 

 不知火が不思議そうに首を傾げる。真っ黒な白鳥なんて前提がおかしいとしか思えなかった。

 

「いないと思われていたんだよ。17世紀に発見されるまではな。そして以降は『ありえない』と思われていたことが本当に起きた場合を示す言い回しになった」

 

 勇が一度、言葉を切る。不知火は沈黙を守り続けた。次に続く勇の言葉。それをじっと不知火は待っている。

 

「不知火。コクチョウはいたよ。俺の中に」

 

 勇が自身の胸をトン、と指差す。その意味がわからない不知火ではない。

 

 艦娘を轟沈させてもいいから戦果を求める。食事は食品の購入先がなくなったので、レーションに戻った。そして浴槽を清掃している時間があるのなら深海棲艦を掃討することに集中する。

 

 自分は、自分だけはこうならない。そう思っていた。

 

 けれど、現実はどうだろう。勇のやっていることは先代と何一つ、変わらない。

 

「明石に建造直後の艦娘をすぐに戦線投入できるように、肉体改造をさせているのも俺だ。レーションにしたまま変えないのも俺だ。そして艦娘を使い潰しているのも俺だ」

 

 今でも聞こえるだろ、と勇が顎をしゃくって工廠の方角を示す。ついさっき、不知火が聞いた悲鳴。それの正体は肉体に手を加えられた艦娘があげたものだ。

 

「遅くなりました」

 

「……お互い、な」

 

 不知火が確かな足取りで勇に近づいていく。そして勇の腕の中にすっぽりと収まった。

 

 不知火が見上げ、勇が見下ろす。微笑んだ不知火に釣られて、勇も口角を緩める。

 

 勇が不知火の小柄な体に腕を回す。不知火も同じようにしてそっと手を勇の背中に当てた。主砲を握る左腕も勇の背後に回っていく。

 

 ゆっくりと顔をお互いに近づけていく。不知火が目を閉じた。

 

 それは最後のわがままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが俺の所属することになる鎮守府か……」

 

 男がそうつぶやきながら、手元の辞令を読み返す。確かに佐世保第三鎮守府とその書面には書いてある。目の前に堂々とあるその建築物は海軍が所有する鎮守府だ。

 

「えっと……先代の提督が艦娘によって殺害され、そいでもってその艦娘も自害。はぁ、これじゃあ事情はなんもわかんねえなぁ……」

 

 男に下された辞令は鎮守府の立て直しだ。

 

 件の提督が殺され、艦娘が自害してからというものの、佐世保第三鎮守府において艦娘が運営権を主張し始めた。だが戦果は低下の一途を辿り、このままでは本土防衛にも支障が出る可能性すら浮上したのだ。

 

「提督代理を名乗る金剛型戦艦の4番艦、霧島か。これが目下において最大の難関になりそうだな」

 

 こめかみに指を当てながら悩ましげに男がぼやく。まさか初めての着任先がここまで責任の重いものだとは思わなかった。

 

 けれど、艦娘たちが苦しんでいる事実に違いはない。ならばやってやろうという気持ちはある。

 

「さて、行くとしますか!」

 

 男が気力も十分に、佐世保第三鎮守府の敷地内へ最初の一歩を踏み入れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー提督が鎮守府に着任しました。これより、艦隊の指揮に入ります。

 






はい、いかがでしたか。これにて艦隊これくしょん~コクチョウは消えた~は完結となります。
半年もの間、ご愛読をありがとうございました。みなさまのアクセスとお気に入りがこの作品を完結に導いたといっても過言ではないでしょう。

ですが、いきなり完結とされてなにが起こったのかわからない方もいるはずです。なので以下はネタばらしと作者の愚痴のような別の何かとなります。

まず勇の先代がやったこと。それは「艦娘の轟沈を省みぬ出撃」「艦娘強化のための投薬実験」「生活環境の劣悪化」です。
ですが、これらは果たしてブラック鎮守府と言えるのでしょうか。
艦娘を兵器と定義するのならば、当然の使用方法でしょう。兵器は消耗品です。それを消費するのは至極、当たり前のことです。兵器を強化するために研究し、実験することも別になんら不自然なことではありません。そしてそもそも兵器のために寝床を用意するでしょうか。
答えは否だと私は考えました。そんな思考から生まれたのが今作品です。

よく思い返していただくと違和感は各所に散りばめてあるはずです。絶対に勇の先代を否定しない榛名などはその最たるものでしょう。

先代もコクチョウがいたことを知らず、そして最後になって気づいた。そんな人だったと知った状態でこの作品を読み返していただければ、辻褄が合う箇所がいくつも出てくるでしょう。

なにより、私はこの作品において「ブラック鎮守府」という表記をたった二度しかしておりません。そしてその表記が使われたのは商店街のチンピラたちのセリフと、彼らが張ったであろうビラのみです。

私はハーメルンの艦これ二次創作において「ブラック鎮守府」のタグを何作も読みました。当然、どれも大変おもしろく、楽しませていただきました。ですが、読み終わった後に私の中で何かが囁くのです。

「ねえ、ブラック鎮守府ってなに?」、と。

艦娘は兵器。であるのなら、そもそも艦娘を沈ませないためにという理由のみで撤退させることは果たして正しいことなのでしょうか。

ひとつ、命題を出してみましょう。
ここに1隻の軍艦があります。この軍艦を今から確実に沈む戦闘に出すか決定してください。
もし出さなかった場合、軍艦に乗っている人数の何倍もの国民が死にます。ですが、もし出撃させればそれが防げる。そうわかっていたら、みなさんはどうしますか?

私は出撃させる、でした。国を守るためには辛い選択ではありますが、そうするしかないでしょう。

これと艦娘は同じだと思ったのです。出撃させて当たり前。戦果を求めるということは、結果として人を守ることに繋がります。
なにより、これらのことは決して現実世界において罰されることではないでしょう。戦争で軍艦が壊れることなんてザラにあることです。近代化改修だって施すでしょう。そして必要である燃料と弾薬は供給されても、軍艦に食事を与えるでしょうか。しないでしょう?

よくあるブラック鎮守府もので見られるブラック提督の前提はこうした視点で考えると果たして悪だと言えるのでしょうか。
本作品では扱いませんでしたが、資材の横流しだって鎮守府の戦力を整えるための金額に充てていたら。ギリギリの戦いを強いられる中で必死になってやりくりして生み出した資材の余剰分を売っていたのだとしたら?
艦娘を慰安婦扱いする、という描写もまま見受けられます。しかし、これにしても女の子の姿をして、感情を持って行動する艦娘を兵器と見続け、あまつさえ沈ませるという選択をし続けた提督の磨耗した心が欲した人肌の温もりという逃げ道であったのならどうでしょうか。果たしてその提督を悪だと一方的に詰ることはできるでしょうか。

ご理解をいただきたいのは、私はブラック鎮守府を否定したいわけではないということです。楽しく読ませていただいていますし、更新を今か今かと待っていたりもします。

ではなにがしたかったんだ! と思われる方もいるでしょう。

私はこう、みなさんに問いかけたいのです。

「ねえ、ブラック鎮守府ってなんだと思う?」、と。

正解があるわけではありません。もちろん間違いがあるわけでもありません。

私はそれを否定するつもりは毛頭、ありません。ただ、一方的にブラック鎮守府と言われ、ブラック提督と呼称されたモノたち。

彼らは果たして本当にただ忌むべき存在であったのでしょうか。ただそれだけが問いかけてみたかったのです。

長い、本当に長いあとがきをここまで読んでいただいたみなさま、本当にありがとうございました。私がこんなことを主張するためだけに始めた本作品を読んでいただけたこと、感謝の言葉しかありません。

本当にありがとうございました!
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