その階層に足を踏み入れた途端感じたのは、柔らかい風と草の匂いだった。開けた視界にソコソコの大きさの草原が点在している、それが今感じたものの元凶と見て間違いはなさそうだ。
しかし、見える景色は異様の一言に尽きた。
ある場所を過ぎた瞬間そこは猛吹雪の空間となり、またある場所を過ぎれば砂塵が舞い上がる砂漠へ。またある場所は夜になっており、遺跡になっており、どこもかしこも天候どころか時間帯さえバラバラだ。まるでパッチワークされた様な環境は、極めて不自然で不気味としか言う他ない。
「うわぁ……」
しかもその区切られた環境内に、最低10匹のレアモンスターが出現していた。これが本来のこの階層の姿……と言うわけではない。本来であれば、1区画に数匹程度しかモンスターは配置されない。
しかし今の藜の装備には、『通常モンスターとの遭遇率を下げ、レアモンスターとの遭遇率を上げる』効果が備わっている。今までは攻略を容易くしていたその効果が、今ここでは完全に裏目に出ていた。
「ごめん、なさい。多分、私の装備のせい、です」
「今まで助けて貰ってたのに、今更そんな事言うわけないじゃん!」
肩を竦めしゅんとした藜に、笑顔でセナがそう声を掛ける。それに同意するように全員が頷き、れーちゃんはグッとサムズアップまでしている。そもそもユキと一緒に行動している時点で、爆破と奇行とレアな物は見慣れた光景でしかない。
そんなのが今更ちょっと増えただけで、あーだこうだ騒ぐ必要がどこにあると言うのだろうか? 確かに普通であれば大ごとではあるが。
「それに見た感じ、この階層の感じなら簡単に攻略出来そうだしね! まあ、この階に私たち以外誰もいないことが前提だけど」
むふーと胸を張って答えるセナの発言に皆が頭に?を浮かべる。上層への階段もどこにあるのか分からず、強力なモンスターが徘徊するここをどう簡単に攻略すると言うのだろうか?
それに最上階でこの映像を見ていたユキが気づき、爆弾の製作判定に失敗して最上階が吹き飛んだのはまた別の話。
「それって、どうやるのかしら?」
「私が分身して、モンスタートレインして、本人私とみんなでいつも通り駆け抜ける! かんっぺきでしょ!」
製作者側も想定外のごり押しを、自信満々にドヤ顔でセナは語る。確かに言ってる事は至極まともであり、他プレイヤーのいない現状では最善に近い選択肢だろう。
「それに、この層ってぶっちゃけ、うちのギルドにとってなんの旨味もないからね! ぱぱぱっと済ましちゃおうよ!」
「あー……確かに、言われてみればそうよね」
セナが言い放った身も蓋もないそんな言葉に、つららがなんとも言えない表情で頷く。レアモンスターしか出ない階層、確かにそれは厳しくも素晴らしい階層だ、普通であれば。
しかしぶっちゃけたセナの言う通り、蠢くレアモンスター達は全て、ギルドの倉庫にその素材が最低でも10個はぶち込まれているものばかり。たった今最上階で花火になった男がギルドから抜けでもしない限り、寧ろここはデメリットしかない階層だった。
「ちょっと、いい、ですか?」
そのまま出発し、哀れ描写全カットで終わると思われたその時。おずおずと手が挙げられた。その主である藜は、少し申し訳なさそうに言った。
「こんな状態にした、私が言うのも、あれ、ですけど……ちょっとだけ、その、狩りたい、モンスターが。良いです、か?」
「あれ? なんか足りない素材でも?」
「はい。その、ユキさんは今、動けない、ですから」
藜の言う通り、現在ボスとして拘束されているユキを連れ出すことは出来ない。故にこそ、この機会を逃せばレアモンスターのドロップ品は、イベント期間中は通常通り中々手に入らない物となる。
昨日倒した紫水晶の騎士から2つドロップしたアイテム。何時ぞや貰ったままの【太陽の指輪】の御礼になるかもしれない、ドロップ品の派生先。それを作るため少しずつ素材を捻出したものを、完成させられるチャンスが目の前に転がっているのだ。それを不意にするのは、少しばかり勿体ないと思ってしまうのは必然だった。
「それもそっか。それじゃあ、みんな欲しい素材があったら言ってね! 適当に狩りつつ進もー!」
「ありがとう、です」
「ん!」
「了解!」
「異議なしだ」
そうして、10分ほどで攻略される予定だった7層は、3倍の30分で攻略されたのだった。
◇
「さて、到着!」
特に何事もなく攻略された7層を超え、辿り着いた8層の扉。今回は1〜4、6階通りで何も変わらなかった階段の中、最後の扉だけに極めて僅かな変化があった。なんの変哲も無いドアノブと、蜂を模したドアノッカーが付いている。たったそれだけ。
「罠……だね、これ」
極めて自然に捻り兼ねないそれを、じっと見つめセナが呟く。いまいち確証が持てないのは、あくまでセナの罠発見能力は過去使っていて放置していただけの物だからである。
これまではその中途半端なスペックでも罠を看破できていたが、無駄に本気になった
「つららさん、お願い」
「はいはーい」
運営と極振り共の高笑いが聞こえてきそうなそれに、手持ちの銃ではなく氷の魔法が炸裂する。『どうせユキのことだから爆弾だろう』そんな予測の元いとも容易く行われたエゲツない行為は、入り口である門を全面的に凍結させた。
直後、氷の向こうで誤作動した罠により門が爆発する。あまりにもらしいソレには、今までのワンパターンな爆発と違い爆炎に七色の色が付いていた。そしてその煙が移動し、ある1つの文を作り出す。
歓迎しよう 盛大にな!
「「「……」」」
「ふっ」
「ん……」
空気がしんと静まり返った。ユキ渾身のネタは、ランとれーちゃんには伝わったが、全体的に見れば確実に滑っていた。因みに計3500ダメージという即死トラップであることも相まって、本格的に受けたのは数日後に到達したロボ系の装備を揃えたパーティだけであった。
後にユキと相対して『あんな物を浮かべて喜ぶか、変態共め』と発言したそのパーティは、上位ギルド【アーマード・コジマ】に成長するのだが、それはまだ遠い未来の話。
「とりあえず、進もっか」
「ん」
「そうだな」
比較的冷静なランとれーちゃんの兄妹が率先して発言し、凍りついた扉の残骸を開く。
「えっ、ここ、もしかして」
そうして解放された第8階層の光景は、この場にいる約1名を除きゲーム内で初めて見る光景だった。
頭上には蛍光灯が連続して道を照らし、綺麗に磨かれた床を照らしている。一直線に続く通路の左右には、謎の液体で満たされたガラスっぽい円筒が、無数に、延々と規則正しく並び淡い光に照らされている。そこから床に向かいコードが伸びており、未だにその何かが稼働してることが分かる。その奥には明らかに自動ドアと思われるドアが鎮座しており、まさに研究所といった感じだ。
そう、具体的にいうならば『第2回イベントで、ユキと藜がボス戦を行った研究所』の在りし日の姿だった。
「どしたの藜ちゃん? 置いてっちゃうよ?」
「あ、はい。ごめん、なさい」
動きを止めていた藜を追い抜き、自動ドアの向こうにいたセナが手招きする。それに従って歩く中、藜がその音に気づけたのはいくつかの偶然のお陰だった。
1つは、直前にあのイベントを思い返していたこと。
1つは、ソレとの初遭遇時にユキが壁ドン+密着という記憶に残りやすい行為をしていたこと。
最後は、それが余りにも特徴的な見た目と気配、そして音を立てていたこと。
通路に出ようとした藜を、氷を背筋に入れられたかのような、冷たい悪寒が襲う。そして、ゴヴォ……と粘度の高い液体が泡立つような薄気味悪い音が聞こえた。
「走って! 逃げる、です!」
そしてセナたちの進行方向から、かつて見た異形が姿を現した。
三脚を逆さにしたような三又に分かれた人の胴ほどの棒の中心に、金魚鉢を逆さにしたような悍ましい蒼をぼんやりと放つ物体が固定されている。そこに灯る黄色い1対の光はまるで人間の目のようで、先が三叉に分かれたしなる棒の下、胴体的な棒を中心に回転する、青白い生気を欠いた鬼火と相まって冒涜的な雰囲気を放っている。
回転しながら空中を滑るように移動するソレの名は、【The heavenly will‐o'‐the‐wisp】。
「うっそ」
「ん!」
「チィッ、行くぞつらら!」
セナがそんなことを言いながら銃剣を連射し、ランが舌打ちをしながらヴォルケインを纏い、ランの肩に登りながられーちゃんが魔法で通路を封鎖しようとし、目を見開き動きを止めたつららをランが担ぐ。
「ニクス!」
そして藜は自らのペットを呼び出しつつ、1つのアイテムを実体化させて投擲する。甲高い鳴き声を上げながら現れたペットの魔法により、藜が投げつけたアイテム……ユキが持つ物と同じ《スタングレネード》が封鎖されかけている通路の向こうに到達する。
直後発生した高音と閃光にニクスがダウンし、強烈すぎるそれによりつららが正気を取り戻す。直後に氷による通路の完全封鎖が行われ、ニクスを召喚前に戻した藜にセナが駆け寄る。
「藜ちゃん、何か知ってるの!?」
焦りを浮かべたセナの質問に、神妙な顔で藜は頷く。
「ここは、私とユキさんが、初めて攻略した、ダンジョン、です。それも、多分、その時より強い、です!」
焦りによって、事故は連続する。
藜がそう言い切った次の瞬間、ランがガコンという音と共になにかを踏み抜いた。ジリリリリリと緊急のベルが鳴り響き、通路に点在する赤色灯が回転を始める。
微かに、虫の羽音が聞こえた気がした。