空さんが泊まりに来て一悶着あった翌日。雨の勢いが弱まった朝方に、事前に連絡しておいた通り沙織がやってきた。
「おはよ、とーくん。言われてたもの、持ってきたよ」
「おはよう。とりあえず入って」
「はーい」
さしていた傘を慣れたように傘立てにいれ、雨を払うようにふるふると首を振る姿に、何故か犬の耳と尻尾を幻視した。
「それで、空ちゃんの様子はどう?」
「とりあえずまだ起きて来てないから、多分ぐっすり」
俺単独で寝ている女の子の部屋に忍び込むのは、やっぱり犯罪臭しかないから俺の部屋には入っていない。でも、1度も起きてきてないからそうなのだろうとは思っている。
「俺は距離がわからないからアレだけど、家からここまで台風の中来たらしいし。疲れてるんだと思うよ」
「そだね。家出って聞いてるけど、あの距離を歩きで来たのは凄いと思う」
キッチンに戻り手を洗ってから料理を再開しつつ、そんな話を聞いた。俺は空さんの家がどこにあるか詳しくは知らないけど、沙織がそう言うんだからそうなのだろう。
「あ、沙織は朝ご飯どうする?」
「食べて来たからだいじょーぶ。あ、でもその豪華なサラダは気になるかも」
ととと、と早足で駆け寄って来た沙織が、今盛り付けていたボールを覗き込んだ。思ったより早起きしてしまったので、気合いを入れて作っている力作だ。
「いや、朝から味気ない何時ものご飯じゃ、なんか申し訳ないじゃん? だから、少し豪華にしてみようかなって」
「えー、空ちゃんだけずるーい」
「沙織はもう、特別じゃないご飯を一緒に食える関係じゃん。でも、食べたいなら今度作るよ」
思った通りのことを言っただけなのに、沙織は顔を赤くして黙ってしまった。……何か変なこと言ったか? いや、言ってしまったのだろう。昨日からやらかしてばっかりだな……はぁ。
「そうだ。空さん起こして来てくれる? そろそろ9時だし、朝ご飯のタイミング逃しちゃう」
「え、うん。でも、それならとーくんも一緒に来た方がいいと思う」
「なんで?」
意味がわからない。沙織からは別にいいって言われてるけど、普通女子が異性に寝顔を見られるなんて最悪というほかないだろう。
「多分とーくんが考えてるようなことはないと思うよ。寧ろ空ちゃんからしたら、とーくんが起こしてくれる方がいいんじゃないかな?」
「えぇ……」
「そもそもとーくん、空ちゃんと会ったイベントで寝顔見てるじゃん」
「えぇ……」
寝癖とか色々あるだろうし、そんなことは絶対にないだろう。どれだけ親しくてもあくまでゲーム内の話なんだし、リアルとは分けて考えるべきだと思うのだが。
「いいから! 何かあっても私が責任取るって」
「……そこまで言うなら、行くけどさ」
料理の準備を一旦取りやめ、沙織に手を引かれるままに俺は自分の部屋へ向かう。出来るだけ音を立てないように入れば、そこでは予想通り空さんが静かに寝息を立てていた。
「すごく安心して寝てるよ。とーくん、信頼して貰ってるね」
「いやいや、昨日信頼は地の底に落ちたはず……」
小声でそんなことを話していても、空さんが起きる様子は一向にない。確かにこれは起こすほかなさそうだ。
なんて思っていたら、沙織が肘でこちらを突っついて来た。ニヤついている顔からして、やれということなのだろう。仕方ない。
「空さん、起きてください。朝ですよ」
そう言って軽く空さんを揺する。沙織よりも軽いその感覚に不安になるが数秒続けると、身じろぎする気配と共に空さんの目が開かれた。
「んぅ……ぁ、おはよぅ、ございます」
やっぱり空さんは朝に弱いのだろう。いつだったかと同じように、緩慢な動作で起き上がった。眠そうに目をこすり、段々と目が覚めていくに連れて、現状の認識が進んで行ったらしい。そうして空さんの目が完全に開いたところで──
「そう、でした……ここ、ユキさんの」
漫画とかUPO内なら顔が真っ赤に染まりそうな勢いで、声が小さくなるとともに完全に動きが止まった。
「えー……こんなタイミングで聞くのもアレですけど、よく眠れました?」
「そうそう。とーくんのベッドで寝た感想は?」
ひょっこりと顔を出した沙織が、起き抜けの空さんにそう話しかけた。それを見て一瞬悲しそうな表情を浮かべた空さんだったけど、すぐにそれは消え毅然とした表情に変わった。
「ぐっすり、でした。泊めて、くれて、ありがとう、です」
「いえ、それなら良かったです」
こんな時間まで寝ていたのが、寝れずに夜更かししてしまっていたとかじゃなくて本当に良かった。
「私は──んー!!」
「そういえば、空さんは朝ご飯はどうします? 時間はあるので、好みがあればそれにしますけど」
何故か張り合おうとしていた沙織の口を手で塞ぎつつ、そんなことを聞いてみた。今このタイミングで学校のことを聞くのは野暮だし、着替えとかもあるだろうしね。
「えと、あんまり、重くないもの、なら」
「了解です。それじゃあ俺はこれで」
そう言って俺は自分の部屋を後にした。正直に言えば、寝起きの顔を見てしまうという罪悪感と、このままここにいる事の不都合から逃げただけなのだが。
◇
降りて来たときの空さんが着ていた服が昨日貸した物のままだったこと以外、特に何か問題かあるわけでもなく。
要望通り軽めに作った朝ご飯は終わり、学校もないので結局ダラダラと3人で過ごすことになった。因みに豪華に盛り付けただけあってサラダは好評だった。何だかんだ沙織も摘んでたし。
そうして3人でボーッとしていることに違和感がないことに違和感を感じ出した頃、意を決したように空さんが口を開いた。
「あの、友樹さん、沙織さん。少し話を、聞いてくれません、か?」
その様子に、なんとなく話題の察しはついた。沙織が私がいて良いの?と目で聞いてきたけど、空さん自身が良いって言ってるんだから問題ないだろう。そう判断して頷きを返しておいた。
「無理をして話すなら……って思いましたけど、そういう訳じゃないみたいですね」
「はい。友樹さんの、好意に甘えてただけ、です。ごめんなさい」
「大丈夫だよ、とーくんから言ったことなんでしょ? 許してくれるよ。ね?」
「だね。俺から言ったことなんですから、謝るなら俺の方ですよ」
頭を下げた空さんに、2人でそう言った。自分が責任を持って言ったことを、相手に負わせるなんてとんでもない。そんな奴は屑だ。
「私が、家出をしてきた、原因を、聞いてもらえます、か?」
「ええ、どうぞ」
「うん、いいよ」
沙織とハモって答えたその言葉に、安心したように空さんは嘆息した。そしてありがとうございますと、もう一度だけ謝り、滔々と語り始めた。
「原因は、簡単に言うと、今の家族と、喧嘩したから、です」
今のという言葉がやけに気になったけれど、話を遮る訳にもいかないので頭の隅に留めておくだけにしておく。
「理由は?」
「ゲームを、UPOを、辞めろって、言われたこと、です」
沙織の質問に対して空さんが発した答えは、予想から大きく外れるようなものではなかった。でなければ、VRギアなんて家出の荷物に入れないだろうし。
「私も、一応受験生、です。だから、受験が終わるまでなら、覚悟してましたし、そうするつもり、でした」
「でも、それが違ったと」
コクリと空さんが頷いた。
「あんな野蛮なゲーム、2度とやるなって。VRゲームも、危ないから、これからずっと禁止するって」
「あー……そういう」
沙織は否定気味にそう言ったが、俺としては『同意は出来ないけど、理解出来ないこともない』という印象だった。
何せVRとはいえ、年端もいかない子供や未成年が、平然と武器を握り怪物を殺していると言えないことはない世界だ。それにPvPなんてその危険性を訴えるには、最もな例だろう。人と人とが、武器を持って殺しあう。見方を変えればゲームはそういう風に捉えることもできる。
危険性については、世間一般で言われてる「ネットに意識が取り残されて云々」は否定派だけど、それ以外は実体験がある。イレギュラー(何十倍もの思考加速)にイレギュラー(想定されてなかったシステム限界までの脳の酷使)が重なった結果だが、だばっと鼻血出してるわけですし。
「んー……私はそんなこと、ないと思うけどなぁ。とーくんはどう思う?」
「まあ、理解出来なくもない。同調は出来ないけど」
だからこそ、裏切られたような顔を向けられても、俺はそうとしか答えられなかった。
「そんな……」
「危険なことをやってたりやらかしてる1人としては、否定だけはしちゃいけないと思うんですよ」
「確かにとーくん、何でもかんでも爆破するもんね」
「そこまで節操なしじゃないつもりなんだけど?」
俺にだって、爆破するものを選ぶ権利がある。無論、拘りや好みだって。
「でもそれなら、『そんなこと嫌だー!』って反対すればいいんじゃないの? 話そうとしてみた方が、私は良い気がするけど」
「そこは同感です。ゲーム感覚とは言いませんけど、ボスをぶん殴る気分で言葉をぶつければ伝わるんじゃないでしょうか」
沙織のその言葉に同意した。ぶっちゃけ空……藜さんなら、それくらいは出来そうなものなのだけど。
「それは……いえ、秘密にしてる、訳にもいかない、ですね。今まで、誰にも言ったこと、なかったこと、です。絶対に秘密、ですよ?」
「とーぜん!」
「秘密をひけらかすほど、口の軽い男ではないですよ」
ほんの少しの逡巡の後、空さんは衝撃的な真実を口にした。
「私は、今の両親の、子供じゃない、です」
「それって……」
「はい、養子、みたいなものです。元々は、お爺ちゃんの所で、暮らして、ました。でも、お爺ちゃんが、大きな病気になって……」
空さんの顔が暗くなっていくのをみて、地雷を踏み抜いた感じがした。けれど死んでいく空気を察してか、空さんが言葉を続けた。
「今は、元気です、けど。万が一って、ことで、親戚に、引き取ってもらった、感じです」
思わず、沙織が口籠った。そこまで重い内容だとは思わなかった、そんな感じの雰囲気がありありと感じられる。
今までずっと仲良くしていた人の両親が既に故人か、親権を放棄してると聞いたのだからさもありなん。こういう時は、俺の出番である。
「えっと、つまり、だから強気に反対ができないと?」
「……はい。本当の、子供じゃない、のに、養って貰ってる、立場、ですから」
とても辛そうな表情で、空さんはそう言葉を零した。確かにそれは、俺や沙織では想像もつかない問題だ。平凡……うん、比較的平凡な家庭で育った俺たちにとっては。
「そう、ですか。でもそれを抜きにすると、空さんはどうしたいですか?」
「そんなの、勿論、続けたい、です……ゲーム自体、好き、ですし。勉強も、ゲーム内の方が、楽に沢山、出来ますもん」
空さんがそう言ったことで、沙織が再起動した。
「なら、真正面からそう言えばいいと思うよ! この中で、一番私は何も経験してないけど……絶対、そうに決まってるよ!」
そして、いつもの様に自信を持ってそう言った。堂々としたその態度は、根拠も無いはずなのに信じたくなる。
「でも、そんなの、言っていいことじゃ、ない、です」
「それは違います」
だからこそ俺も躊躇なく、そう告げることが出来た。
「ワガママは言っていいと思います。俺もまだガキなのでアレですけど、空さんはまだ子どもです。でも、だからと言って親の言うことを全部が全部、そのまま受け入れる必要なんて無いです」
親が受験期の子供からゲームを奪う。よくある話ではあるけれど、ぶっちゃけそれで勉強時間が増えるなんてないだろう。況してや空さんの場合、ゲーム内で勉強もしてるのだ。
そりゃあ印象は悪いだろうが、寧ろ奪い取ることのメリットより、そのまま使ってもらうメリットの方が大きい気がする。
「少しくらい反抗して、妥協点を見つけるくらいはしても許されます……というか、それを許さないならクソ親ですよ」
「でも……」
「昨日の話の通りなら、結果は十分以上に出てるんですよね? 自信を持っていきましょう」
昨日聞いた限りでは、志望校合格には十分以上の実力と実績がある。それを見せつければ、少しは向こうにも考える選択ができるだろう。
「とーくん、それってどういうこと?」
「いやね? 昨日聞いた限りだと、空さん凄いんだよ。来年のうちの推薦枠勝ち取ってるし、そもそも通常受験でも模試でA判定は取れてる」
「えっ、それ私より……うん、それなら絶対大丈夫! それに、いざってなったら私もとーくんも、説得の助けには入るよ。ね?」
「当然」
ここまで言った責任もあるし、家出先の提供だってしてるんだ。当然それくらいはするに決まってる。
「そういえば、全員から反対されてるの?」
「いえ、今のお母さんは、賛成、してくれて、ます」
どうやら味方は0ではないらしい。そう分かった時に、1つ昨日後回しにした大切なことを思い出した。
「あー……綺麗に纏まりそうなところ悪いんですけど、1つお願いしても良いですか?」
「? なんでしょう」
「保護者の同意なく未成年者を家に泊めた場合って、最悪犯罪になりまして……」
昨日は台風からの緊急避難ってことで、学生なこともプラスして平気だろうけど、流石に今日は誤魔化せない。その事を盾にされたらどうしようもないし、出来れば助けてほしいのが本音だった。
「んと、一応、昨日の夜、友達の家に泊まるって、連絡して、OK貰い、ました」
「よかった……それなら、安心して家出先として使ってください」
保護者からの同意が得られてる以上、恐れるものはあんまりない。これでこの問題は丸く収まるだろう、この時はそう思っていた。
元々藜はリクエストで、リクエストしてくれた人が設定(+2次創作?)で『養子』って言ってくれてたけど、調べれば調べるほど現代で『養子』が厳し過ぎたので、そこの変更だけは許してください……