「ほら爆破卿、お前の嫁だぞ。何かコメントはないのか?」
「いっそ殺して下さい……」
幸いにしてステージ上の言葉は、スタジアムでも一部の人にしか聞こえている様子はない。しかし配信画面、自分のチャンネルと大神さんのチャンネル両方で、読唇術でもしているのか実況している人間がいるのだ。アカウント名は『異世界人ニキ』、何時ぞやの掲示板でも見た名前だ。とんだ迷惑というか、ひどい羞恥プレイである。
「それにまあ、なんだ。《舞姫》も《オーバーロード》も、最後の一線だけは守ってるじゃないか。リアル割れの可能性がある以上強くは言わないが、ここでいっそ年貢を納めた方がいいと思うぞ?」
「確かに私が原因ですけど……」
「何なら、俺が実況してもいい。何、リスナーが付いてる以上翻訳の正確さは保証しよう」
「どうしてそんな酷いことできるんですかぁ!」
実況も放り出して大神さんに掴みかかろうとするも、頭をガッチリと掴まれ押さえ込まれてしまった。このTS体では絶対的にリーチが足りない。せめてもの抵抗として必殺ぐるぐるパンチをお見舞いするも、考えるまでもなく焼け石に水。リーチも能力も不足している以上、サービスショットを提供しているだけと気付いて即座に動きを止めた。
危なかった。アバターに合わせた軽いロールプレイのせいで、内なる女児が活性化していた。もう少し気づくのが遅れてたら、きっと手遅れだっただろう……これが本来とは異なる形と性のアバターを使う弊害か。*1
「えーと、気を取り直して。現在ステージ上での2人の会話音声を完全にシャットしている理由ですが、大神さんが指摘した通りリアルの情報をうっかり言いかねないと判断したためです。ご容赦下さい」
「うわぁ!いきなり落ち着くな、とでも反応すればいいのか俺は。それに、最近のコンプラに引っかかるような言葉も飛び交っている。良識ある者なら問題ないが、切り取られて炎上しても誰1人として喜ばない。許してくれ」
動きはどう見てもトッププレイヤーなのに、話している内容がなんというかこう、ただの悪口……いやそれ以前のチクチク言葉の応酬である。聞いている限り、ちゃんとラインは超えない様にしているっぽいが、しかしだ。
「この姿を晒してから、毎日10数件はセクハラとか下心満載のメッセージが送られてきてるので。大多数の人が善良な人だと信じては居ますが、万が一が怖いですからね」
「そのまあ、何だ。半分身から出た錆だろうが、ドンマイ」
「俺も一応男ですし気持ちは分からなくもないですよ。でもチャンネルから飛べるSNSのDMにそういう画像を送られるとですね。……困ります、この変態」
「そういうところだぞ爆破卿」
「ハッ!?」
またむざむざ素材を提供してしまった。元よりVtuberのリスナーとか創作者とかは、"そういう意味"のない言葉でも"そういう意味"に脳内変換できる種族だし、気をつけても意味がない気がするが。
「ともかく、理解はしても
「逆にそう言われると、爆破卿が許している1つがどんな物だったのか、実況するよりも気になるんだが?」
「こういう場で言うのはアレなんですが、30Pくらいの漫画の感想を求められまして」
送られてきたウス=異本は2冊。まさかの
今年末の冬コミ*2で頒布するらしい。因みに長文感想を返した後に、ちゃんとお金払って買わせて貰った。許せマイファザー……昔R指定のかかっている燃えゲーを買った時から使わせて貰っているマイファザー名義のアカウント、使わせて貰った。いつも通り、領収書通りに後でお金は払うから問題ないよね。*3
「……そうか、そうだな。実況に戻るか」
「ええ、そうですね。あ、新刊お待ちしています」
なんて言葉を、うっかり呟いた瞬間だった。響いたのはメッセージの着信音。嫌な予感がして開いてみれば、
宛先:PNユキ
差出人:PNナナナナナナナ
件名:新刊頑張る
本文:待って、供給過多!
あと5分、後5分ちょうだい!
いやいける、抱っこ、脱稿ー!!
あ、隣の人と一緒に見てね!
【画像添付】
とのこと。因みに名前は、ななせと読むらしい。
兎角、さては音声入力だな? と思いつつ画像を開けば、そこに鎮座していたのはしらゆき×大神本。全方位に喧嘩売ってるんじゃないだろうか、これ。筆が化物じみて速いのもそうだけど、無名女キャラと人気男Vカプとか燃えそうで怖い。
「とはいえ、だ。お互い削り合ってる現状、特に俺たちが解説できる点がないのは問題だな」
「近接系の技術に関してはどうですか?
「了解した。少しタイムラグが起きるのは許してくれ」
そういう解説は全く出来ないので本当に助かる。助かるので、大神さんにウス=異本を送信する。大神さんが噴き出した。恨めしい目で見られるけれど、炎上するかもしれないネタの提供だから許してほしい。
などと思っていると、またもやメッセージ。差出人は……目の前にいる筈の大神さん。
『なんてもの見せやがる!?』
『いま例の作家さんから、2人で見ろと送られてきたので。炎上しそうなネタですよ?』
『だから困るんだよなぁ!?』
口では冷静な実況を続けながらも、手元では高速のタイピングでこちらと筆談している。凄まじい……これが、本物のストリーマーの力か。
感心しながらも、大神さんの指示で簡易的な絵と図表を描きつつ、取り敢えず大神さんの所属事務所の二次創作ガイドライン的にグレーなので、頒布するなら注意して欲しいとのことを返信する。
宛先:PNユキ
差出人:PNナナナナナナナ
件名:なら売るわ
本文:それはそうと次の新刊ネタなんだけど、攻守逆転のユキゆき2ともう一冊。大人数でのわからせなんてどうかしら。今の私はランナーズハイで阿修羅すら凌駕する存在よ、あと1冊くらいならいけるわ。
秒速で返信が来た。手遅れだこの人。
この時の俺はまだ、このヤベー人が後にユニーク称号第3弾で文字通り【大先生】となることをまだ、知る由もなかった。
◇
実況席でユキと大神が、後のユニーク称号ホルダーに絡まれているそんな中。セナと藜は音声シャットが発動していることを知りながら、否、知っているからこそ激しい口論に発展していた。
「【自主規制】!」
「【自主規制】!」
「この、泥棒猫!」
「居直り、強盗!」
お互いの踏んではいけない地雷"だけ"は綺麗に避けながらも、最早公共の電波に乗せるには不適切な言葉の応酬がそこでは続いていた。口論のレベルは≒小学生低学年、だが戦闘のレベルは紛れもないUPOトップクラスというチグハグさ。そんな戦闘もしかし、終わりの時が遂にやってきた。
「はぁ……はぁ……随分、やる、じゃん。藜ちゃん」
「……そちら、こそ、です」
双銃剣の十字斬と、旋風槍の一文字がぶつかり合い、互いが大きく弾かれる。セナからすればどうにかして時間を作り分身を作りたい機会であり、逆に藜にとっては辛うじてて手放さないでいる勝機だ。
故にこそ、銃撃と爆撃の応酬も、双刃と一文字の衝突も終わらない。既に違いに瀕死、いつの間にかセナの背にあった尾も消え、互いに身1つの大喧嘩は佳境を迎えていた。
「《クロスブレイク》!」
「《レイ・ストライク》!」
そうして行われた、何度目かも分からない大火力と大火力のぶつかり合い。そこで、本来は発生し得ない事件が起きた。セナの両手にあった双銃剣と藜の投擲用ではない本来の槍が、ぶつかり合い同時に砕け散る。
アイテムの耐久値限界だ。本来ならば戦闘中に砕けるには、相当な整備不良か連戦を重ねるかでもなければ起こり得ない事象。故にこそ、パラパラと手元から崩れ落ちるポリゴン片に2人の動きが止まる。この戦闘が終われば復活するとはいえ、ずっと使い続けてきた相棒である得物の限界に思考に空白が生まれる。
しかし、相手のHPはあと少し。自分のHPは残り僅か。
目の前には憎……くはないが、上を取らないと気が済まない恋敵の姿。ならばやることはただ1つ!
「──せいッ!!」
「やぁっ!!」
腰の入った踏み込みから放たれた、握り締められた小さな拳が。
咄嗟ながらも力の込められた、すらりと伸びた白い脚が。
流星と彗星のように落ち、跳ね上がり、ぶつかり合う。
重なる重く鋭い打撃音。両者に伝わる鈍い痺れと痛みの感覚。武器による減衰が無くなったことで、僅かに削れる双方のHPゲージ。そうなってしまえば、もう早かった。
「喧嘩殺法!」
「お爺ちゃん、直伝!」
武器がなくても、心1つと身体1つ。
それだけあれば構わないとばかりに、かなりガチ目の肉弾戦が始まった。握った拳は硬く重く、跳ね上がる脚は切れ味鋭く。目潰しや膝の横蹴り、喉元への突きを始めとした禁じ手すら飛び交い始める。
「ほら、爆破卿。目を逸らすな、ちゃんと見ろ。浮気した瞬間あれが飛んでくるんだぞ」
「いやぁ……こわい……浮気なんてそもそもしませんが」
再び残虐ファイトが繰り広げられ始めたステージ上に、ユキはもう半分涙目になりながら実況を続けていた。直前まで同人誌について話していた時の雰囲気は何処へやら。ただ美少女の泣き顔である為、チャンネル視聴者やスタジアムの人からの人気は変わらず上がり続けていた。
「10年も、一緒に、いて、告白すら、してなかった、くせに!」
「私たちの関係に、いきなり割って入ってきた癖に!」
「私の、知らない、姿も、たくさん、知ってる、くせに!」
「私じゃ、ここまで笑って貰えなかったのに!」
「「どうして!!」」
ぶつかり合う頭突きと頭突き。響く鈍い衝撃音と共に2人がふらつき、一瞬だけインファイトの間合いが崩れる。そして、此処が勝負の分かれ目だった。
セナの方が抱えている感情が重かった。故に生まれた、ほんの僅かな空隙。それは藜が、投擲せずに残していた複製品の槍をアイテム欄から取り出すには、ギリギリ間に合うタイミングとして現出する。
「《串刺し》」
「ッ、まさかそんな──」
それは、槍系スキルの中で最も名称が短い
防具ごとセナの胸元を貫通し、空に向かって伸び上がる藜の槍。火薬切れのため爆発こそ起きはしないが、それがHPを削り取ったことは藜自身の手に伝わる手応えと頭上のHPバーが証明していた。
勝った。勝った。勝った!
上を取った、上回った、そんな確かな実感。全てに決着をつけることができた、そんな満足感と高揚感。そして、ずっと使い続けていた空間認識能力による疲労感。だからこそ、藜は気付くのが遅れた。
「私の、勝──」
「ざーんねん。私の勝ちだね」
「──ち?」
藜の耳元で囁かれた小さな声。そして、自分の胸から生える腕。
振り返ったそこには、たった今も串刺しとなっているセナの姿。
「どう、して……?」
「途中から尻尾、幻影で隠してたんだ。とはいえ、串刺しから復活して逃げられるかは、結構な大博打だったけど」
そう告げるセナには、今度こそ本当に尾の影も形も無くなっている。実際に、藜の槍の先端に存在するセナも本物には違いない。しかしそれは分身。バフが消えて尚出すことのできる最低人数のうちの1人でしかなった。
「意地でも、勝ちたかったからね。狐につままれた気分?」
「最悪、ですね。でも、今度は、負け、ません」
そうして、ハートキャッチ(物理)の要領でセナが腕を引き抜いた。UPOにモツ抜きの仕様はデフォルトでは存在しない。しかし凄まじい量のダメージエフェクトを撒き散らして藜が崩れ落ち、カシャンとポリゴン片を散らして砕け散った。
燦然と、
大惨事正妻戦争は、セナの勝利でその幕を閉じたのだった。