輝夜のいる屋敷に世話になることになった次の日から、家事やら何やらを手伝いつつ輝夜に話を聞かせるという生活が始まった。
この屋敷はそこそこ広いのに使用人は数人しかいないため、家事をこなすのはそれなりに大変だった。空いた時間のほとんどは輝夜と一緒にいるようにしていたため、都に出掛けることもあまりなくなっていた。
妖怪退治や医者の真似事をせず、家に引きこもっている状態になったわけだが、これはこれで新鮮で面白かった。これだけ聞くとダメ人間のように聞こえるかもしれないが、むしろ今までいろいろなところに移動しすぎだったのだ。これくらいは許してほしい。
それでも少し噂を聞く機会はあったのだが、俺が輝夜と同じ屋敷で暮らしているという噂は出回っていないようだ。確かに最初は輝夜直々に屋敷に入るように言われはしたが、そこから同居しているとまで考えがいくのは難しいかもしれない。事実、俺も最初は帰ろうとしたわけだし。
それに俺自身もそういう噂が出ないように気をつけていたというのもある。例えば外出する際は仙郷を使って直接目的地に移動するなどして、輝夜のいる屋敷から直接出ないようにしているのだ。
理由は単純。周りからいろいろ言われたくないからだ。絶世の美女と一つ屋根の下と聞いて、今まで輝夜に求婚していた男が黙っているはずもない。妬み嫉みを向けられるのは御免、というわけだ。
そんなこんなで、輝夜にこれまで俺が体験した出来事を語るようになってから約一年が経った。
それなりに長生きしているため簡単に話題が尽きることはなく、輝夜も飽きる様子はない。端的に言うと楽しい生活を送っていた。
しかし、最近輝夜の様子がどうもおかしい。話を聞いているときは変わらず楽しそうなのだが、たまにその表情に影が差す。
当然気になりはしたのだが、輝夜自身もどうするべきか考えているようだったので下手に聞きだしたりはしないほうがいいと思い、できるだけいつもと同じように過ごすことにしていた。
「―――と、この村で起こった出来事はこんなものだな。きりがいいから今日はここまでにするか」
「えー、もう少しいいじゃない。いつもより一時間も早いわ」
いつも通り、寝る前の数時間を使って輝夜に話を聞かせている。ただ今日はいつもと違い、早めに話を切り上げることにした。それを輝夜に伝えると頬を膨らませて如何にも不機嫌ですという顔をしている。
「たまにはこんな日があってもいいだろ。別に焦る必要もないし」
「…………そう、かもね、うん。それじゃ早いけど寝ましょうか、もう用意はしてあるし」
「よし、そうするか」
輝夜の返答が遅れたことに少し違和感を持ったが、俺の提案を素直に聞いてくれたのでとりあえずこの違和感は置いておくことにした。
すでに布団は敷いてあり、俺も輝夜も寝巻きに着替えているため、さっさと布団に入る。ロウソクの火を消し、目を閉じて眠ろうとしていると輝夜が袖を摘まんできた。
「ねぇ、ハクのお話はいつ終わるの?」
「何だ、さすがに一年も同じ視点からの話を聞き続けてきたから飽きたか?」
「あ、ううん、そうじゃないの。むしろその逆なのよ」
「逆?」
遠回しに飽きてきたと言われているのかと思ったがどうやら違うらしい。何気に心にダメージを負うところだった。
だが逆とはどういうことだ? 『話が面白いから早く終わってほしい』ということなら少しおかしい気がするが。
「ハクの話はすごく楽しいわ。それこそ一日、いえ、一年中聞いていても飽きないくらい。だから最後まで聞けないのが……」
「…………?」
「……ハクの話はたくさん聞かせてもらったものね。良ければ次は私の話を聞いてくれるかしら?」
「……もちろん」
そう言うと、輝夜は上を向いて語り出した。ほとんど聞いたことのない輝夜自身の物語りだ。俺も同じように上を向き、ゆっくりと語り出す輝夜の話に耳を傾けた。
輝夜の話を要約するとこうだ。
まず彼女はこの星出身ではなく、月からやって来た『月の民』、もしくは『月人』だそうだ。月の民とは、もともとは地上に住んでいたのだが寿命が発生すると言われる『穢れ』から逃れるために月に移住した人々のことだ。現在は穢れのない月にいるため、寿命はほとんど無限らしい。
輝夜も月に住んでいたのだが、不老不死となれる霊薬『蓬莱の薬』を飲んだことをきっかけに地上に落とされたとのことだ。
「蓬莱の薬は飲むと穢れが発生するの。穢れは月の民が最も忌避するもの。だから薬を飲んだ者は重罪となり地上へ流刑されるのよ。月の民から見た地上は罪人が堕ちる監獄だからね」
「……何でまたそんなものを」
「別に不老不死になりたかったわけじゃないわ。地上に来たかったから飲んだのよ」
「……なるほどな」
つまり彼女は流刑目的で不老不死となった、というわけだ。大胆なことをするお姫様である。
おじいさんとおばあさんの二人と輝夜が血縁関係にない理由もこれでわかったな。
「……でももうすぐ刑期が終わる。そうすれば月からお迎えが来て、私は月に戻されるわ。いい待遇はないでしょうね」
「もうすぐってどれくらいだ?」
「あと、三ヶ月」
「……もう時間がないな」
「ええ……。ハクの話は楽しかったから、最後まで聞けないのが残念だわ」
なるほど、さっきのはそういうことか。ある意味『話が面白いから早く終わってほしい』というのは間違いではなかったらしい。正確には『自分がいるうちに終わってほしい』ということらしいが。
「それでも、ここに来れて私は満足だわ。優しい人に会えて楽しい話を聞けて。でもおじいさんとおばあさんには迷惑ばかりかけちゃったわね、それも少し心残りだわ」
「……輝夜」
「なに?」
すでに月へ帰ることが決まっているというような輝夜の言葉を聞き、少しばかり胸がもやつく。
俺は袖を摘まんでいた輝夜の手を包むように握ると、横にいる輝夜と目を合わせた。少し顔が赤い気がするが体調が悪いわけではないようなのでこのまま話そう。
「は、ハク……?」
「これはまだ話していない出来事なんだが、ここに来る前に世話になったやつも少し問題を抱えていたんだ」
「え……?」
「そいつ曰く、俺ならその問題を解決することができたかもしれないらしい。でもそいつは助けを求めなかった。だから俺も助けなかった」
「…………」
「ではどうしてそいつは助けを求めなかったのか。それはそいつがその問題を自分自身で解決するべきものだと感じていたからだ。自分が望んで願って求めた想いだから自分自身で何とかしたかったんだろう」
「へぇ……」
「要するにそいつが自分でやりたかったから助けを求めなかったんだ。本当にすごいやつだと思ったよ」
俺が話しているのは聖のことだ。確かにあのとき、俺の名前を出して都の人たちを説得するなり騙すなりすれば、妖怪寺に退治人が来るという未来をかなり先延ばしにすることができたはずだ。
だが聖はそれをさせなかった。その問題は自分が解決したいと言い、俺はそれに納得しすべて任せることにした。その判断を俺は後悔していない。
「だけど、輝夜のそれは少し違うだろ?」
「え……?」
「俺には輝夜がここを離れて、あの二人とも別れて、月に帰ってしまうのを『仕方なく』しようとしているように感じる」
そう。聖は自分がやりたくてやった。だが輝夜はやりたくないことをやろうとしているようにしか見えないのだ。
輝夜にそう伝えると一瞬手を握る力が増した。
「もしお前がまだまだ地上にいたいというのなら、俺が全力で手助けしてやる。俺としても、まだ輝夜と別れたくないしな」
「……そう言ってくれるのは嬉しいけど…………でも無理よ……」
「無理? どうして?」
「月と地上では差がありすぎるのよ。戦闘能力も科学技術も格が違うわ。私も月人だけど複数人を相手にするのはさすがに厳しいの。それに貴方にも迷惑がかかる……」
「別に迷惑なんかじゃないさ。個人的にも月の民っていうやつらには思うところがあるしな」
「……ハク、何か怒ってる?」
「いや、全然」
恐る恐るといった感じで聞いてきた輝夜に小さく首を振って答える。どうして輝夜がそう思ったのか全然わからないなー、別に怒ってないのにー。
「まぁ任せておけ。どうすればお迎えとやらから逃げられるかはもう考えてある」
「え? も、もう?」
「ああ。さぁどうする? あとは輝夜がどうしたいか言うだけだぞ。月に帰りたいのか、ここに残りたいのか」
「あ…………」
「何だよ、もう俺と一緒にいるのは飽きたのか? 俺はまだまだ話し足りないんだがな」
「……そういう言い方、すごくずるいわ」
輝夜はそう言ってジト目で睨んできたかと思うと、自分の布団から出て俺の布団に入ってきた。そのまま俺の体に腕を回して額を胸元にくっ付けている。
「私はまだ地上にいたいわ。ハク、助けてくれる?」
「当然だ、任せろ」
「……今日は一緒の布団で寝てもいいかしら?」
「ああ、いいぞ」
「腕枕してくれる?」
「わがまま言うようになってきたな。そのほうが輝夜らしいぞ」
「むぅ……うるさいわよ」
抱き着いたままの輝夜の頭をなでながらそう言うと、輝夜は少し不機嫌そうな声を出しながら抱き着く腕の力を強めた。少しばかり苦しくなったが、それよりもその腕が微かに震えているように感じたのが印象的だった。
いつもより早めに寝るはずだったのだが、気付けばすでに空が白んできている。今から寝るとすると二人とも昼過ぎまで起きれなさそうだな。
ま、今日くらい寝坊してもいいだろう、輝夜も話し疲れているだろうしな。
俺はそう思い輝夜に腕枕をしながら頭をなでた。とりあえず、横から聞こえる押し殺したような泣き声が止むまでは続けることにしよう。
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そして三ヶ月後。輝夜の言う月からの使者がやってくるという日となった。時刻はすっかり夜で、空には煌々と輝く満月が浮かんでいる。
俺と輝夜は屋敷の中で月の使者を待っているわけだが、屋敷の外にも彼らを待っている人たち……というか軍勢がいる。未だ輝夜との婚約を諦めていない帝に送られた軍だ。
輝夜自身が今日この日に月から迎えが来ると広めていたからなのだが、彼女によると刀や弓では月の使者は倒せず、それどころか攻撃しようとも思えなくなるらしい。
俺は今のところ戦うつもりはなく、できれば話し合いで解決したいと思っている。月の民の考え方に少し思うところがあったのは事実だか、今それは些細なことだ。誰も血を流さない方法があるならそのほうがいい。
それでも念のため、ということで準備はしてある。おじいさんとおばあさんも別の場所に避難済みだ。この準備が無駄になることを願うね。
「そろそろよ」
「ああ」
目を閉じて意識を集中する。この屋敷の周辺に今のところおかしな気配はないが、何故か心がざわつくような感覚を感じていた。
緊張とはまた違うその感覚は、俺がここに来る要因となった勘によく似ている気がした。
「…………!」
ゾクッ。
広範囲に力の探知を行っていた俺は、屋敷の上から発せられる異常な力を感じて全身に鳥肌が立った。同時に屋敷の外にいる兵士たちがざわつき始めたようだ。
「……来たわね」
輝夜がぽつりとそう呟いたのを聞いて、小さく頷いた。
下りてくる気配は五つ。どれも強力だが、そのうちの一つが桁違いに大きい。リーダーか何かだろうか。これは俺では絶対に勝てないと断言できる。
ますます戦いたくないなと思いながら輝夜を見ると、目を見開き使者がいるであろう方向を見ていた。
「…………この感じ……もしかして……」
「どうした、輝夜?」
「……多分、知り合いが一緒に来てる。あの一際大きい力は
輝夜が驚いていた理由はどうやら月の使者の中に知り合いがいたかららしい。
永琳―――
輝夜と関係が深い人物か、どうしたものか。
「……ハク、まずは私に話をさせてくれないかしら? もしかしたら永琳なら……」
「大切な人なんだろ? 最終的にどうするにしても、話はすべきだと思う。だから気にせず行ってこい」
「……ありがとう、ハク」
輝夜はそう言うとゆっくりと立ち上がり、庭に出た。俺も輝夜のあとを追い、ゆっくりと下りてくる彼らを見る。
雲のようなものに乗ってきた月の使者は五人。そのうち四人は似たような服装をしているが、一人だけ服装も雰囲気もまるで違う女性がいる。他を圧倒する威圧感を持っているのはこの人だ。なるほどこれでは攻撃する気も失せるだろうな。事実、外にいるはずの兵士による攻撃はおろか、先程までは聞こえてきた話し声すら今はまともに聞こえない。
下りてきた彼らは地上に足をつけるわけではなく、地面から少し離れた場所で止まった。
「お迎えに参りました、かぐや姫。さあ、月に戻りましょう」
「その前に永琳に話がしたいわ。いるんでしょう?」
「……ええ、どうぞ」
一人の男が輝夜に話しかけている。話し方は丁寧なのだが、なんとなく見下しているというか嫌悪感を持った声に聞こえた。
輝夜が永琳に用件があるというと、五人の中心にいた女性が地面に下りてきた。長い銀髪に左右で色が分かれている特殊な配色の服を着ている、他の四人とは違う女性だ。彼女が輝夜の知り合いの永琳、ということだろう。
「輝夜……」
「永琳、貴方も来てたのね」
「ええ、もちろんよ。こうなってしまった原因は私にあるもの。来るのは当然だわ」
「何言っているのよ、私が頼んでこうなったのよ。これは私が望んだことなの、永琳が気に病む必要はまったくないわ」
「それでも……」
彼女はどうやら輝夜の今の状況に相当責任を感じているらしい。それが蓬莱の薬による不老不死のことなのか、地上に落とされるという処罰のことなのか、もしくはその両方のことなのかはわからないが。
「私が罪を作らせてしまったことには変わらないわ。だからこの罪を償うためなら私は―――」
「ほんと!? 話が早くて助かるわ、さすが永琳!」
「……え?」
俺たちの周りを漂っていた暗く重い雰囲気が、輝夜の歓声によって吹き飛ばされた。話していた女性はもちろん、他の使者四人も突然の雰囲気の変わりように口を半開きにして驚いている。
「えっと……輝夜?」
「ハク、私永琳とも一緒にいたいわ! 永琳も連れて行きましょうよ!」
「あー……彼女の意思は?」
「今何でもするって言ったじゃない! ね、永琳?」
「え、言ってないけど……でも輝夜が望むなら何でもするつもりよ」
大はしゃぎする輝夜に押され気味ではあるが、銀髪の女性が輝夜の言葉を肯定する。輝夜が帰りたくないと言えば、彼女は輝夜を逃がすことも簡単にしそうだな。
なら一緒に連れて行ってもいいかと考えていると、他の使者が二人に近づいた。
「お二人とも。何をするつもりか知りませんが、それが許されないことだとわかっているでしょう。我々は今すぐかぐや姫を連れて帰らねばならないのです」
「…………」
「勝手にここに送っておいて、今度は無理矢理連れ帰ろうってか。ちょっと自分勝手じゃないか?」
「……先程から気になっていたが、貴様は誰だ? 何故かぐや姫とともにいる?」
彼らの身勝手な発言が気になった俺は、月の使者に近づいた。今まで敬語で話していた彼らだが、どうやら俺相手には威圧感と嫌悪感をむき出しにして話すらしい。
「俺はただの地上人で輝夜の友人、それだけだ」
「友人? 貴様のような穢れた地の住人が、月の民であるかぐや姫と友人だと? 我ら月人もなめられたものだな」
「……こりゃ予想以上だ」
月の使者は心底馬鹿にしたような笑い声を上げ、鋭く睨みつけてきた。そんな彼らの様子を見て、怒りを通り越して呆れてしまった。
「争いたいわけじゃない。できれば話し合いで解決したいんだが……」
「話し合いだと? 地上の咎人と話すことなど何もない」
「そう言うと思った。じゃあ話し合いはなしだ。お前らはそこでそうしてろ」
これはダメだな。話も聞かないようなやつらの相手などするつもりはない。自尊心の高すぎるやつはこれだから困る。
俺は白孔雀を鞘から抜いて、溜め込んでいた生命力をすべて解放した。月の使者たちが反応するよりも速く彼らの周囲に結界を展開し、身動きできない状態にした。
「な、何だこれは!?」
「この結界は……!?」
「ふざけるな! すぐに破壊してやる!」
「いんや、お前らには無理だ」
「何だと!? なめるなよ下郎!」
四人仲良く結界に攻撃しているが、結界はびくともしない。当然だ、これまでに作ってきた結界とは格が違う。
「その結界は数百年分の俺の力に加えて、輝夜の力も借りて作った結界だ。お前ら四人でも破壊は不可能だ」
「な、に……!?」
「さて、俺たちはもう行くよ。実力行使になったのは残念だったがな」
「ま、待ちやがれ……!」
彼らの制止する声を無視して自分と輝夜、銀髪の女性の足元に仙郷の入り口を開く。
穏やかに終わらなかったのは残念だが、輝夜を月の使者から逃がすことには成功した。喜ぶのには十分な理由だろう。次にもし月の民と関わることがあったら、ゆっくり話したいものだがな。
そう思いながら結界内で暴れている月の使者を尻目に仙郷へと移動した。
「ハク、やっぱり何か怒ってたでしょ」
仙郷に着いて早々、輝夜がそう言った。三ヶ月前にも同じようなことを言われたが、今回は疑問形ではなく断定してきた。
「…………まぁ、少しだけ、な」
「やっぱり」
「ちなみに、どうしてそう思ったか聞いていいか?」
「いつものハクと違ったもの。いつものハクならもう少し相手と話そうとしたでしょ? なのに今回はさっさと話を切り上げて実力行使にでた。そんなの、今まで聞いてきたハクの話でもなかったわ」
確かに、いつもの俺と比べると少々短気だったかもしれない。怒ったり悲しんだりしてもそれを表に出さないようにしているのだが、まだまだ完璧とは程遠いらしい。
「でもどうして怒ってたのかはわからないわ。ハクがあんな挑発に乗るとも思えないし……」
「大した理由はない。ただ、俺の好きなものを貶されたからってだけだ。単純だろ?」
「え……す、好きなものって……も、もしかして……」
頭をぽりぽりとかきながら輝夜に簡単に説明をする。何故か輝夜が顔を赤くしてもじもじし始めたがどうしたんだろう。よくわからないが、放っておいても問題なさそうな気がする。
「俺は
今の人間の寿命は百年もない。その寿命の短さ故にあらゆる点で月の民に劣るものがある。不老である彼らは際限なく知識を蓄え、力をつけることができるからだ。
普通に考えれば地上人より月の民のほうが圧倒的に能力が高い。それでも地上が好きなのは、月の民より地上人のほうが勝っている部分もあるからだ。
「だが、地上人は月の民のように不老ではない故に未来に繋ぐ力を持っている。それに閉鎖的な彼らと比べてここは新鮮だ。記憶を共有している人がいなくなるのは寂しいが、それ以上に楽しいんだ」
寿命があるからこそ、誰かに託したり繋げたりすることは地上人のほうが上手いだろう。そして一人一人の力は弱いからこそ、周りから協力してもらって新しいものを発見するというのは見ていて楽しい。
「たとえそこに…………どうした輝夜?」
「べ・つ・にー? 何でもないですよーだ」
自分の考えを話していると先程までニヨニヨしていた輝夜が急に不機嫌になった。少し疑問に思ったが、今の俺の話だと月の民は嫌いで地上人のほうがいいと言っているように聞こえる。月の民である輝夜が聞けば不機嫌にもなるか。
「あー……いや、別に月の民が嫌いというわけではないぞ。輝夜のことは好きだし」
「むぅ、それはもう少し早く聞きたかったわね。まぁいいわ」
「はは……。……あ、悪い。すっかり忘れてた」
輝夜の機嫌がある程度直ったことに安心していると、ふと今のこの仙郷にはもう一人月の民がいることを思い出した。自分から呼んでおいて忘れるとか失礼すぎるな。
きちんと謝ろうと思い、輝夜の連れてきた月の民である銀髪の女性を見ると、彼女のほうもこちらを見ていた。
それだけならよかったのだが―――。
「…………あ、なた……は……」
両の目を大きく開き、手で隠した口から漏れ出た声は途切れ途切れで聞き取ることが難しい。呼吸することすら忘れてしまったのかとも思えるほど青ざめた表情は、誰がどう見ても『驚愕』の表情だった。
「え、永琳? どうしたの、大丈夫?」
「…………あ、か、輝夜……。え、ええ……大丈夫よ……」
「とてもそうは見えないけど……」
輝夜が銀髪の女性の背中をさすりながら、顔色をうかがっている。女性は大丈夫だと言うが、初対面の俺から見ても絶好調には見えない。
「悪いな。急にこんな場所に来てびっくりしただろう。現実味のない真っ白い空間だが害はないから心配いらないぞ」
「い、いえ……そうではないの……」
他の仙人の仙郷がどういうものかは知らないが、俺の仙郷は一面真っ白な空間である。今はそこらに大量の荷物があるため馴染みやすいが、初めてこの空間を見たときは上も下も真っ白なせいで軽くめまいがしたものだ。
彼女の不調もこの仙郷の現実離れした光景のせいかと思ったが、どうやらそういうわけではないらしい。
しばらくして、女性が一つ深呼吸をした。輝夜に背中をさすられていたおかげか大分落ち着いたらしく、顔色ももとに戻ってきている。
「……はぁ。ごめんなさい、取り乱してしまって。輝夜もありがとう」
「落ち着いてよかったわ。でも永琳があんなになるなんて珍しいわね」
「ええ、そうね。本当にそうだわ」
女性が苦笑しながら輝夜に礼を言う。輝夜の話では彼女があそこまで驚くのは珍しいようだ。確かに月の使者のリーダーのようだったし、彼女自身も落ち着いた雰囲気を持っているから、あまり驚くことがないというのも納得だ。
彼女が何に驚いていたのかは気になるが、その前にやることがある。
「自己紹介が遅れたな。俺はハク、白いって書いてハクだ。輝夜とは一年と少し前に会ってな、一緒に住んでたんだ」
「……ハク、ハクね。わかったわ」
落ち着いたのを見計らって自己紹介をする。女性は俺の名前を数回呟いてゆっくりと頷いた。しばらくすると女性は少し前に出ながら小さく口を開いた。
「私は……私の名前は、八意××、よ」
……え? 今何と言った?
「え、永琳? それは……」
彼女が言った自身の名前は聞きなれないもので、思わず呆けてしまった。今までたくさんの人と会ってきた俺だが、そんな発音は聞いたことがない。というか、名前は永琳ではなかったのか?
輝夜も戸惑っているようだが、それは彼女の名前が聞きなれないものだったから、というわけではないようだ。
ともかく、人の名前を間違えるのは失礼だ。いろいろな疑問は横に置いておいて確認をしようと思い、彼女に向かって口を開いた。
「えっと……八意××、で合ってるか?」
そう口にした瞬間、二人の表情が変わった。
「……は、ハク? 今、何て……」
「……やっぱり、ね……」
輝夜は驚愕の表情に、銀髪の女性は納得と悲痛の混じった表情になり、こちらを見てきた。その二人の突然の変わりように驚き、一歩後ずさってしまった。
「な、何だ? 何か変なこと言ったか?」
「……ハク。貴方、自覚がないの?」
「自覚? 一体何についてのだ?」
「貴方が今言ったことのよ」
俺が今言ったこと、それは銀髪の女性の名前だ。それ以外に考えられないが、この驚きようの理由がわからない。
「彼女の名前を言った、八意××と。……それが何かマズいのか?」
「何かおかしいと思わなかったの?」
「……名前は永琳ではないのかとは思った。あとは聞きなれない発音だとも……」
「でも貴方は発音できた。それが問題なのよ」
輝夜の質問に答えていると、銀髪の女性が会話に入ってきた。自然と彼女のほうを見ると小さく頭を下げてきた。
「私の名前は××で合っているわ。だけど八意永琳と名乗ることが多いから、貴方も私を呼ぶときはこっちでお願いするわ。それに前者だと地上では通じないから」
「あ、ああ、わかった。だが通じないとはどういうことだ?」
「言葉通りの意味よ。地上人にはこの発音は通じない。聞き取ることはできるけど何を言っているのか理解することはできないの。故に発音することもできない」
どういうことだ? 確かに彼女の名前は聞きなれない発音ではあったが、それはあくまで聞きなれないというだけだ。地上人には通じないと彼女は言ったが、永琳の別の名前だということは理解したし発音することもできる。今まで聞かなかったから馴染みがないというだけで、俺には普通に通じているわけで―――
いや、待て。『地上人には』?
「そう、地上人には発音できないの。このことに例外はないわ。逆に言えばこの発音ができる者は……」
俺の考えを察したように永琳が口を開く。目を閉じ、眉をひそめているその表情は何かをこらえているようにも見えた。
「……貴方が何故そのことを知らないのか、何があったのかは私にはわからない」
少し俯いていた顔をゆっくりと上げ、それと同じように瞼をゆっくりと開く。
「わからないけれど、これだけは断言できる」
彼女が俺を真っすぐに見据え、少しの間をおいてはっきりとこう告げた。
「貴方は、月人よ」
故に、月人編なのです。