幻想白徒録   作:カンゲン

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シリアスになりそう。いや、なる。

今更ですが、作者のシロのイメージです。
大人しいと思いきや、割と元気っ子。

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第三十三話 開戦の兆し

 

「貴方たちは月にも人がいるって知ってる?」

 

 妖怪の山で毎日のように行われていた宴会の最中、近くで飲んでいた紫の言葉に俺は思わず固まってしまった。

 急に動きを止めた俺が不審に思われなかったのは、他のやつらにとってもその内容は驚くようなことだったからだ。

 

「月って、あの空に浮かんでる月のこと?」

「少し想像したことぐらいはあったが……」

 

 俺が何か言うよりも早く反応したのは、満月に変身するということで月に対する考えが他よりも強い影狼と慧音だ。

 二人はこの話題に興味津々らしく、もともと近かった距離をさらに詰めて紫に続きを促している。

 

「少し昔にそんな話が出回っていたのよ。それで確かめてみようと思ってね、実際にスキマを使って月面を見てみたときがあったの」

「すごい行動力だな。そこで人を見つけたってことか?」

「いえ、私が見たところは誰もいなかったわ。誰かがいた痕跡もなかったし、そもそも人の住める環境じゃなかったしね」

 

 慧音の問いに軽く首を振りながら紫が答える。そのやり取りの間に周りにいた妖怪たちが集まってきていた。

 あっという間に増えた観客を見て肩をすくめた紫は、酒を一口飲んで話を続けた。

 

「ただ、月面の一部に私の能力が干渉しにくい場所があってね。目視でも何も見つからなかったけれども、確実に何かがあると断言できるような感じがしたわ」

「はー、紫の力でもって言うと確かに怪しいね。でもそれだけで人がいるとは思わなくない?」

「萃香さんの言う通りですね。根拠としては弱すぎるかと」

「いや、いるよ」

 

 萃香と天魔が紫の説に疑問を抱いていると、隣で静かに飲んでいた妹紅が口を挟んだ。どうやら今のは無意識に漏れてしまった言葉だったらしく、自然と集中する視線にハッとした妹紅だが、照れくさそうに頬をかいて話を続けた。

 

「月に人はいる。かぐや姫がそうだったから。私は会ったことないけど……」

「かぐや姫……聞いたことありますね。確かたくさんの貴族から求婚されるほどの絶世の美女……でしたっけ」

「ええ、妹紅に理由を話されちゃったけど、そういうこと。かぐや姫は月から来たと言われていて、実際月からの使者とともに月へ帰ったのを見た人もいるわ」

 

 妹紅の話に情報通の文が反応する。かぐや姫の話はかなり有名なのは知っていたが、ここまで届くほどとは。

 紫が月に人がいると考える根拠もわかった。あの場にはたくさんの兵士がいたから、目撃情報もたくさんあったのだろう。俺がその場にいたことは知らないようだが。

 

 それにしても、妹紅がかぐや姫のことを知っているのは不自然ではないが、話しているときの妙な雰囲気は少し気になる。寂しさ、後悔、罪悪感……のような感じがする。

 

「月に人がいるっていうのは確実だと思うわ。それで何とか接触できないかっていろいろ試行錯誤していたんだけど、先日やっとその方法が確立できたのよ。つまり、さっき言った干渉しにくいところに干渉する方法が見つかったってこと」

「へぇ、それは面白い! 月に住む人間かぁ、強いのかねぇ」

「勇儀さんはそればかりですね」

 

 未知の人間に会えるかもしれないという話にワクワクしている勇儀に天魔が呆れ気味に笑っている。周りのほとんどのやつらも楽しそう面白そうと笑っていたが、俺は自分でもわかるくらいに険しい顔をしていた。

 

「紫、月には何の目的で行くんだ?」

「幻想郷を豊かにするためによ。少なくともここと月を行き来できるくらいの技術力はあるんだから、何かしら役立つものがあるはずでしょう?」

「なるほど。ちなみにどうやって手に入れるんだ?」

「出来れば交渉で何とかしたいけど……」

「ふむ、それなら―――」

「そんな面倒なことしなくても、無理矢理ぶんどっちまえばいいだろ?」

 

 紫の平和的な案に安心していると、離れた場所で酒を飲んでいた妖怪が数人こちらに歩いてきた。前に俺がここにいたときはいなかった連中だ。何というか、ガラが悪い。

 

「相手はただの人間なんだろ? だったら少し脅せば欲しいもん何でもくれるんじゃねえか? 言うこと聞かないようなら殺せばいいだけだしな」

「……幻想郷は妖怪と人とが共存できる国よ。その国を作るために人に危害を加えるなんて本末転倒だわ。それに月の人間は妙な力を使うっていう話もある」

「はぁ? 俺たちじゃ月の連中には勝てないって言いたいのかぁ?」

「ああ、無理だろうな」

 

 その妖怪と紫の話を聞いていた俺はついつい本音を言ってしまった。まぁ仕方ないだろ、絶対勝てないんだから。

 だが突然の俺の発言を聞いた妖怪たちはかなり機嫌が悪くなったらしく、ニヤニヤした笑みを消して俺を睨みつけてきた。表情は違うが紫たちも驚いたようでこちらを見ている。

 

「あ? 人間風情が何か言ったか?」

「お前らじゃ月人には勝てない。というか勝負にもならない。万に一つも勝ち目はない。殺されるとしたらお前らのほうだ、と言った」

「なめてんのか、てめぇ!」

「別になめてるわけじゃない。ただ俺たちと月人では差がありすぎるって話だ。世界は広い、故に視野は広くしないと―――」

「ふざけんな!」

 

 警告の意味も含めて正直に話していると、最後まで言い切らないうちにいきなり殴りかかってきた。キレるの早すぎだろ。

 右手には酒を持っていたので、仕方なく向かってきた拳を左手で逸らして同じ手で妖怪の腹部に掌底を打ち込む。

 

「話聞けよ」

「ごふッ!?」

 

 力を少し強めに込めて放った掌底を受けた妖怪はくの字に折れ曲がりながら吹き飛んで、遠くに生えている巨木にぶつかって動かなくなった。

 妖力は感じるから死んではいないが……気絶してるな、ありゃ。ちょっと痛い目にあってもらったあとで説明しようとしていたのだが、予想以上に弱かったようだ。

 

「おいおい……たかが人間風情相手にその体たらくでよく大口叩けたな。で、お前らはどうする? やるか?」

「……い、いや、遠慮しとく」

「そうか。だったらあいつの介抱でもしてやってくれ。あと、増長しすぎだって伝えておけ」

「あ、ああ……」

 

 一緒に来ていた妖怪にそれだけ言って追い払う。まったく、宴会の最中だってのに。いや、俺も少し正直に言いすぎたけど。

 今のやり取りのせいで固まってしまっていた周りの妖怪たちに立ち上がって謝る。まぁお詫びとして仙郷から酒を取り出したら元通りの雰囲気に戻ったからよかった。こっちは単純すぎるだろ。

 

 腰を下ろして右手に持ちっぱなしだった酒を飲む。やれやれ。

 

「……悪いわね、ハク。幻想郷を作るにあたって妖怪を集めはしたんだけど、幻想郷を妖怪のためだけの国だと勘違いしている連中もいるのよ。さっきのはその一番わかりやすい例ね」

「いや、俺も悪かったな。あんまり調子に乗り過ぎてるといいことはないっていう警告のつもりだったんだが……意図が伝わらなかったかもしれない」

「それなんだけど、月人って月にいる人間のことよね? やけに詳しいけど、知ってるの?」

「あー、まぁな」

 

 月人という聞きなれない単語に反応する紫に苦笑する。彼女たちに輝夜や永琳の話はしたことがない。あの一件のことを知っているのはこの中では俺とシロだけだ。

 話さなかったのは、その内容が俺にかなり深く関わっているからだ。俺が元月人だということはあまり知られたくはないが……月人のことを知ってもらうには実体験を話すのが一番いいだろう。

 

 そこまで考えて後ろ頭をかきながら、簡単に月人について話すことにした。

 

「さっき妹紅が言っていたかぐや姫のことだが、俺は実際に会ったことがある」

「えっ!? 会ったことあるの!? い、いつ、どこでっ!?」

「お、落ち着け妹紅。どうしたんだ?」

 

 飛びつくような勢いで鼻と鼻がくっつきそうなくらいに近づき、話に食いつく妹紅に圧倒されてしまう。興味があるってだけでここまで反応するか……?

 俺が困惑しているとまたしてもハッとして、顔を少し赤くして元の位置に戻って行った。

 

「ご、ごめん……何でもないから話続けて……」

「う、うん、まぁいいか。話を続けるぞ……て言っても大した話はない。月人と会ったことがあるからその強さも知ってるってだけだ」

「それってそのかぐや姫が強かったってこと?」

「確かにそれもあるが、かぐや姫――輝夜って名前だが、そいつを迎えに来た月の使者の中にはもっと強いやつもいた」

「ほぉ! 強いやつがいたのか、それは楽しみだな!」

「勇儀さん、抑えてください」

 

 萃香の問いの答えに興奮した勇儀を天魔が抑えている光景は普段ならいつも通りだと安心するのだが、今回に限ってはハラハラする。

 本当に戦闘を始めないように縄でもつけておくべきだろうか、などと本気で考えていると、影狼がひょいと手を挙げて質問した。

 

「強いって、ハクさんくらい強いの?」

「俺よりも遥かに強い。というかこの場の全員が束になってかかっても恐らく勝てない」

『へ?』

 

 月人の強さを正直に話したところ、シロを除く全員がまったく同じ反応を返してきた。信じられないとか以前に言っている意味が理解できない、といった感じだ。

 

「……い、いやいや、それはないでしょう。ここにいるのは妖怪の中でも強力な鬼や天狗ですよ? その中でも天魔様や萃香さんに勇儀さんは群を抜いていますし、紫さんは妖力も能力もチート級、妹紅さんは不死、慧音さんは半分神獣、影狼さんは……かわいいです。シロさんは私の何倍も力を持っているそうですし、ハクさんだっているじゃないですか」

「私だけおかしかったような……」

 

 文が目を回しながら現状の戦力分析を行っている。確かに彼女の言う通り、この面子で勝てない相手など普通はいるはずがない。一人一人が最強クラスの力か一級品の能力を持っている。影狼はかわいい。

 

 だがそれはあくまで地上ではの話である。影狼はどこにいてもかわいいが。

 俺は確認の意味も込めて、月人と実際に会ったことのあるもう一人の人物に聞いてみた。

 

「シロはどう思う?」

「勝てません。絶対無理です。瞬殺です」

「だ、そうだ」

 

 いつものシロらしくなくきっぱりと言い放たれた現実は、まだ実際に月人に会ったことのない彼女らには受け入れ難いものだったらしく、呆けて固まってしまっているのがほとんどだ。

 そんな彼女たちに苦笑を漏らしつつ、しかしこれだけは言っておかなければならないと気を引き締めてはっきりと声を出した。

 

「月人と会うこと自体ほとんどないとは思うが一応言っておくぞ。月の人間とは争うな。特に勇儀」

「え~、ちょっと遊びくらいならいいじゃない」

「いや、月人も話のわかるやつばかりじゃないから、やめたほうがいい。俺も月の使者とは敵対しちゃったからな」

「え、さっき私たちより遥かに強いって言ってた相手と? 大丈夫だったの?」

「ああ、大丈夫だ、萃香。その強いやつは味方になってくれたし、俺たちはすぐに逃げたからな」

 

 不安そうな顔の萃香を安心させるため、ぽんぽんと頭をなでる。

 実際、月の使者からは何の危害を加えられていない。もちろんそれは相手が何かする前に結界に閉じ込め仙郷に逃げたからなのだが、終わり良ければ全て良しというやつだ。

 

「だが逃げなきゃならなかったのも事実だ。まぁさすがに交渉しに行くだけなら大丈夫だと思うが。とにかく月人とは戦うなよ、オーケー?」

『オーケー』

「うん。妙な空気にさせて悪かった。さ、せっかく宴会の場なんだから楽しもう」

『おー!』

 

 少し深刻な話をしてしまったのを詫びて元の雰囲気に戻るよう促すと、その瞬間にはもう酒を片手に思い思いの話を始めた。こいつらはこういう気持ちの切り替えが速いからありがたい。

 俺も一息吐いてから長話をしてカラカラになったのどを酒で潤していると、隣にいた妹紅が少し近づいてきた。

 

「あの、ハク。さっきのかぐや姫……輝夜のことだけど」

「ん?」

「その……月に帰ったの?」

「いや、帰ってない。今は地上にいるはずだ。どこにいるかはわからないけど」

「……そうなんだ。わかった、ありがとう」

「ん、よくわからんが、よかった」

 

 満足したような微笑みを浮かべながら礼を言う妹紅に頷いて答える。

 先程の妹紅の反応からしても、輝夜と何かあったのは間違いない。だが俺が突っ込んで聞く必要もないだろう。恐らくだが彼女の中では答えが出始めている。ならあとは見守るだけだ。

 

 

 

 

 

 

「……くそ、あの野郎。なめた真似しやがって……!」

 

 

 

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「うふふ、人と妖怪が暮らす国を作ってると思ったら、今度は月にお邪魔しに行こうとするなんて、相変わらず紫は面白いわね~」

 

 最近の紫の動向を聞いた彼女は持っていた湯呑を置いてくすくすと笑った。混じり気のないその笑顔に俺も釣られて笑う。

 

「私には魂の管理を任せるし、紫の近くにいると騒がしくて忙しくて死んじゃいそうだわ」

「亡霊のお前が死んじゃいそうとは、さぞかし大変なんだろうな」

 

 目の前にいる少女は西行寺幽々子だ。西行妖封印の一件以来、死に誘う能力は少し変異し、任意での発動が可能となっている。おかげで彼女は生前のような悲しい笑顔を見せることはなくなった。

 ちなみにだが、西行妖の封印の詳細は話していない。あれはすでに終わったことなのだから今の幽々子に話す必要はないと、俺と紫と妖忌はそう考えたからだ。

 

「私も月に行ってみたいけど、どうかしら?」

「ん? そうだな……。聞いた話によると月の民は穢れを嫌う。穢れは寿命をもたらすからだ」

「ふむふむ」

「それで穢れの発生条件は『生きるために殺すこと』とでも言えばいいのかな。そう考えると、すでに死んでいる幽々子には関係がないから、月に言っても悪いことは起きないかもな」

「へ~。なら紫について行ってもいいかしらね」

「まぁ話してみるくらいならいいんじゃないか? ついて行ってもいいかは話し合って決めるといい」

 

 幽々子の質問にすでに暗くなった空に浮かぶ月を見ながら輝夜や永琳から聞いた話を簡単にまとめて答える。

 生存競争が穢れの条件だとすると亡霊となった幽々子はそれに組み込まれていないため、月人も悪くは思わないかもしれない。あくまで『かもしれない』だが。

 

「それにしても、幽々子は自分に正直だな。あれがやりたい、これがやりたい、って」

「やりたいことをやるのが楽しく生きるコツなのよ」

「まったくもってその通り」

「うふふ」

 

 肩をすくめる俺を見て幽々子はまたくすくすと笑った。

 いろいろなわがままが言えるというのはいいことだ。一つのことに縛られておらず、広い視野を持っている証拠だからだ。それに心から信頼できる相手がいる証拠でもある。

 

 いい方向に向かっている彼女を喜ばしく思っていると、幽々子がところで、と話を切り出した。

 

「ハクは月には行かないの?」

「……俺か?」

 

 単なる世間話、興味があったから聞いただけであろうその質問に動きが止まる。そんな俺を見て首を傾げた幽々子は話を続ける。

 

「ハクも知り合いの月の人に話を聞いただけなんでしょ? 実際に行ってみたいとは思わないのかしら~?」

 

 持っていた湯呑をちゃぶ台に置いて考える。

 俺は月に行ってみたいと思っているのだろうか。

 

 月の使者の一件がなかったら迷わず行きたいと答えただろう。何せ自分の知らない未知の世界なのだ、興味を持つなというほうが難しい。

 だが問題なのは、俺が月からの逃亡者である輝夜と永琳と知り合いなどころか、二人の逃亡を手伝った共犯者だということだ。輝夜を月に連れ戻す際に邪魔する地上人がいたという報告は間違いなくされているだろうし、おまけにあのとき俺は網代笠を被っていなかったので面も割れているはずだ。

 紫が月に交渉をしに行って、話のわかる月人が応対したとしても、向こうでは犯罪者扱いのはずの俺がいたのではまとまる話もまとまらない。

 

 興味はあるが行かないほうがいいだろう。

 俺がそう結論づけたとき、ちゃぶ台に乗せていた右手に誰かの左手が添えられた。

 

「ハク、大丈夫? 何だか……様子が変だけど……」

 

 覗き込むように俺を見ている幽々子は心配そうな表情で、俺の右手に添えた左手をきゅっと握る。

 その左手をぼんやりと見ていた俺は先程までの自分の考えに恥じて、苦笑しながら首を左右に軽く振った。

 

「いや、大丈夫だ。ちょっと自分が情けなく感じてな」

 

 そうだ。今のは全部、ただの言い訳だ。月に行きたくないことを隠すためのもっともらしい隠れ蓑だ。

 

 俺が月へ行きたくない理由は他にある。今まではそれから目を逸らし、逃げ続けていた。

 それが間違っているということは、誰よりも俺がわかっていたはずなのに。

 

「だけど、それも潮時なのかな……」

「ハク……?」

 

 いつまでも見て見ぬふりはできない。俺も慧音を見習って、ちゃんと向き合わないとな。

 

「俺なら大丈夫だ。あまり心配するな」

「…………あ、え、ええ」

 

 幽々子の左手に自分の左手を乗せて、安心させるように彼女に微笑む。

 しばらくぼーっと俺の顔を見ていた幽々子だったが、じわじわと顔を赤くして少し俯いてしまった。どうしたのかと思っていると、幽々子は俯いたまま視線をこちらに向け、蚊の鳴くような声でぽつりと呟いた。

 

「無理はしないでね……?」

「! ……ああ。ありがとう」

 

 幽々子の言葉に少しばかり驚いて目を見開く。上目遣いでこちらを見ながら心配そうにそう言った彼女が、生前の幽々子と重なったからだ。

 心配するなと言ってもこうして気遣ってくれる優しい性格は変わらない。そう思いながら彼女に礼を言う。

 

「……私にできることがあるなら手伝うからね?」

「頼りにしてるよ」

「ふふ」

 

 取り合っていた手をはなして、幽々子の頭をぽんぽんとなでる。幽々子は少し照れくさそうにしながらもされるがままなでられている。かわいい。

 

 しばらく幽々子のふわふわした髪を楽しんだあと、先程ちゃぶ台に置いたお茶を飲み切ってしまおうと湯呑を持つ。その瞬間、いきなり俺と幽々子のすぐ近くにスキマが開き、青ざめた表情の紫が飛び出してきた。

 

「っ、ハク! 緊急事態よ!」

「な、何だ、どうした紫?」

 

 突然のことに驚いて少し手からはなれてしまった湯呑を何とか零さずに掴んで、現況たる少女を見る。紫にしては珍しくかなり動揺しているようだ。めったに見ない紫の様子に幽々子も驚いている。

 

「事情はこっちで話すわ! とにかく来てちょうだい!」

「うわっ」

 

 紫は俺の着物の袖をがっちりと掴むと、開いていたスキマの中に引きずり込んできた。有無を言わさないその調子に少し気圧されつつ素直についていくことにする。

 

 移動はすぐに終わり、地面に着地した俺はここは何処かと辺りを見渡すと見慣れた景色と見慣れた面々が目に入った。

 

「妖怪の山……それにお前らまで集まってるのか」

 

 暗くはあるが周りを見るとここが妖怪の山だということはすぐにわかった。それだけなら違和感はないが、シロや天魔、萃香や勇儀を筆頭に多くの妖怪たちが集まっていた。当然妹紅や慧音、影狼もいる。

 普段は仕事をしていたり、適当に遊んでいたり、眠りこけている連中がこうも一か所に集まるとは珍しい。紫の様子から見ても、面倒な何かが起きていることは明白だった。

 

 とりあえず話を聞かないことには始まらないので、近くにいた天魔に視線を向ける。

 

「何があったんだ?」

「少しマズいことになりまして、その……」

「いいわ、天魔。私が話す。私の責任だもの」

 

 言いにくそうに言葉を濁す天魔を制して紫が真正面に立つ。その表情は焦りと罪悪感が混ざり合ったような色をしていた。

 

「単刀直入に言うわ。月に妖怪が数十人、向かって行ってしまったの」

「……は?」

 

 突然告げられた現状に思わず呆けた声が漏れだす。様々な疑問が頭に浮かんできたが、俺がそれを問う前に紫が顔を俯けながら詳しい話を始めた。

 

「私が目をはなしている隙に、試験的に月に繋げていたスキマに入ったみたい。迂闊だったわ……」

「なっ……、誰が行ったんだ!?」

「この前の宴会――月の話をしたあのときに私たちに絡んできた連中と、そいつの部下どもよ。今ここにいない連中が全員向かっていたとすると、多分三十人ほど」

「……冗談じゃねーぞ」

 

 あンの馬鹿ども、俺の話を聞いていなかったのか……?

 いや、あの宴会のあと、直接あいつらに念押しして注意しておけばこんな事態にならずに済んだかもしれない。考えが甘かった俺にも責任があるか。

 

 だが今は後悔している暇はない。

 

「連中が向かってからどれくらい経った?」

「五分と十一秒よ。何かの能力でスキマの感覚が鈍って対応が遅れてしまったの」

「五分か……」

 

 紫の返答を聞いて、大きくため息を吐く。どうしたものかと考えていると、一応、と前置きをしてから天魔が話し始めた。

 

「月へ行った妖怪の妖力は下級天狗と同等レベルです。それが三十人ほど月へ向かったわけですが、まだ生きていると思いますか?」

「生きているかはわからないが、すでに制圧されているのは確かだ」

「たった五分で……それほどですか」

「だから手を出すなと言っておいたんだ」

 

 月人が相手ならあの程度の妖怪三十人程度を制圧するには五分どころか三十秒あれば十分だろう。

 慈悲のある相手なら殺されずに済んでいるかもしれないが、断言できるほど俺は月人の性格を知らない。むしろ地上を穢れた地と呼んでいる彼らが、その穢れた地からの侵攻を笑って許すとは思えない。ただの戦争行為でさえそうなのに、だ。

 

 しばらく天を仰いで黙考していたが、再度大きくため息を吐いてから今後の方針を話すことにした。

 

「冷たいだろうが、月に向かった連中のことは二の次に考える。最優先するのは月との戦争を回避すること、そして月との関係をこれ以上悪化させないことだ」

「手段は?」

「……月へ直接話をしに行くしかないだろうな」

 

 後ろ頭をかきながら自分の考えを話す。残酷と言われても仕方ないが、もしも戦争になった場合の犠牲者は三十人なんてちんけな数ではない。

 彼らが地上までやってきて、地上人を皆殺しに……なんてことはさすがにないとは思うが、それも断言はできない。せめて輝夜や永琳のように話のわかる相手がいればいいのだが。

 

 万が一の事態に内心で頭を抱えていると、真正面にいた紫が真っすぐ俺を見ながら宣言した。

 

「だったら私が行くわ」

「紫……」

 

 確かに、ここは幻想郷の代表たる彼女が行くのが道理だろう。だが向こうに行って無事に帰ってこれるとは限らない。

 俺がそう伝えると紫は小さく首を横に振った。

 

「こうなったのは私の責任よ。だから私が行く。これは私のやるべきことよ」

「やるべきこと、か……」

 

 凛とした声色でそういう紫。

 すでに覚悟を決めている。もう誰が何を言っても曲げないだろう。子供だと思っていた彼女だが、幽々子の件といい、今回といい、しばらく見ない間に本当に成長した。

 

「紫! 私も行くよ!」

「いえ、萃香はここに残っていて。戦いに行くわけじゃないから大勢はいらないわ。むしろ少人数のほうがいい」

「そっか……わかった。気を付けてね」

 

 心配そうな表情をした萃香が自分もついていくというが、紫にやんわりと断られる。他の連中も萃香と同じように紫について行こうと思っていたらしく、紫が断った理由を言った途端、気落ちした様子を見せた。

 

「紫、一人で行くつもりか?」

「……そのつもりよ」

「少人数で行くのは賛成だが、さすがに一人では荷が重いだろ。俺も行くよ。この中で一番月人のことを知っているのは俺だ」

「いえ、でも……」

「紫に責任があるというのなら、俺にもある。あいつらに詳しく説明していればこんな事態は防げたかもしれない」

「それはハクのせいじゃない。そもそもハクがいなかったら月人のことは何もわからなかったんだから」

「そうだ、俺がいなければ紫たちは月人のことを知らないままだった。だからこそ、知っている俺がちゃんとするべきだった。違うか?」

「それは……」

 

 俺がそう聞くと、紫は口ごもって俯いてしまった。違う、と言いたいのかもしれないが言い切れないのだろう。

 この事態を回避させられたかもしれないやつはこの場にたくさんいる。だがその大元は俺だ。俺がもっとも気を付けるべきだった。

 

 そこまで考え、俺は頭を軽く振る。反省は大事だが、今はそれよりも優先することがある。

 

「まぁ今は時間が惜しい。誰が悪いとか誰の責任とかはあとで考えよう。早く行ったほうが……」

「話は聞かせてもらったわ~」

 

 紫に道案内を頼もうとしたところで急に背後からのほほんとした声が届いた。何かと後ろを見てみると、この場にいるはずのない幽々子が先程ののほほんとした声にふさわしい表情で浮いていた。

 

「ゆ、幽々子? どうしてここに?」

「どうしても何も、紫ったらスキマを開きっぱなしにして行くんだもの。嫌でも話が耳に入るわ~」

「え? ……あっ」

 

 幽々子のその言葉に自分が出てきた場所を見ると、そこには相変わらず紫のスキマが開いていた。スキマを覗くと先程まで俺たちがいた白玉楼が見て取れる。紫の反応からして、どうやら慌てていたせいでスキマを閉じるのを忘れていたようだ。

 

「私も二人と一緒に行くわ~」

「なっ……幽々子はついてくる必要ないじゃない」

「必要はないかもしれないけど、行ってみたいのよ。大丈夫、邪魔はしないから」

「そういう問題じゃなくて……」

 

 幽々子のマイペースさに紫が頭を抱えている。紫としては関係のない幽々子を危険な場所に連れて行きたくないのだろう。それは俺も同じだ。

 

「それにハクがさっき言ってたわ。私なら月に行っても悪いことは起きないって」

「そ、そうなの、ハク?」

「まぁ、言ったが……」

 

 ここに来る前に白玉楼で話したことを思い出しながら頭をかく。

 

 あのとき話したことは決して嘘ではないが、それはあくまで最初から穏便に済まそうとしていたらの話だ。月人にとって宣戦布告と取れる行動をした今となっては、さすがに安全とは言い切れない。

 それを重々承知している紫は険しい顔をしながら幽々子をじっと見つめている。

 

「お願い紫、ちょっとだけだから」

「…………」

「ね?」

「……はぁ、わかったわ」

 

 説得ともいえないような幽々子のおねだりに意外にも紫は首を縦に振った。先程まで幽々子がついてくることに難色を示していた紫があっさり手のひらを返したことは疑問に感じたが、紫の決めたことに反対するつもりもない。

 まぁ幽々子は西行妖と繋がりがあった名残なのか、霊力の量はかなり多い。自分の身は自分で守れるだろうし、もしものときは紫が守ればいい。

 

 そして、もしも二人に何かあれば。そう考えたとき、いつの間にか隣にいたシロがぐいと顔を近づけてきた。

 

「ハク様、私も行きます!」

「え? いや、今回は戦いに行くわけじゃない。それに関係ないお前を巻き込むわけには……」

「輝夜さんのときだってハク様は戦うつもりはなかったのに戦闘になりかけました! それに私はハク様の刀、白孔雀です! 大いに関係があります!」

「だが……」

「いーえ、絶対についていきます!」

 

 仁王立ちをしながら断固とした意志を見せるシロ。普段は大人しい彼女だが意外に頑固なところがあり、こうなるとてこでも動かない。そんな彼女の様子を見た俺はため息を一つ吐いてシロの頭をぽんぽんとなでる。

 

「……そうだな、あのときもお前に助けられたからな。悪いが、今回も頼むよ」

「はい!」

 

 両手をぐっと握りながら笑顔を見せるシロにつられて俺も緊張していた頬が緩む。気を張らなければいけない場面ではあるが、張りつめすぎるのもよくはない。狙ってのことかはわからないが、緊張をほぐしてくれたシロに感謝しよう。

 

「……それじゃあ行きましょう。急がないと月への道が閉じてしまうわ」

「わかった。道案内を頼む」

 

 紫が手のひらを地面に向けると自分と俺、シロ、幽々子の足元に大きなスキマを開いた。急に感じる浮遊感に身を任せてしばらく落下すると、見たことのない場所に到着した。だがその場所は空中だったため、俺たちは慌てて自分を浮かせて地面との激突を回避する。

 到着地点が空中であることぐらい事前に説明してほしいんだが。

 

「紫、ここって何処なの?」

「妖怪の山からそんなに離れていないところにある湖の上よ」

 

 紫に言われて見ると確かに下は湖のようだ。となると飛ぶのが間に合わなくても体を地面に強打するということはなかったようだ。まぁだからと言って水浸しになるのも嫌なのだが。

 すでに真夜中ということで水の中など全く見えないほど真っ黒なわけだが、だからなのか、水面に映る月は本物よりも輝いているように見える。

 

「この湖に映っている月を利用して幻と本物の境界をいじって月に行くの。再調整するから少し待っててちょうだい」

 

 紫はそう言うと、境界を操る力を湖に映った月に使い始めた。何をしているのかは俺にはわからないが、彼女の言う通り再調整をしているのだろう。

 こちらも今のうちに、最後の警告をしておこう。

 

「何度も言うが戦闘力においては月人と俺たちじゃ格が違う。もし交渉の余地がない状態だったらすぐに逃げろ」

「わかったわ」

「はい」

「……よし、繋がった」

 

 再調整とやらは意外と早く終わったらしく、紫が俺たちのほうを向いて頷いた。水面の月を見ると真ん中に不自然な裂け目ができている。恐らくここに飛び込めば月へ行けるのだろう。

 俺は仙郷から網代笠を取り出し深めに被る。正体がばれないようにするための方法としては心許ないが、何もしないよりはマシだろう。

 

「行くわよ」

「ああ」

「は~い」

「はい!」

 

 紫の合図にそれぞれ返答した俺たちは、同時に裂け目に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

「う、動くな!」

 

 移動が終わり、一面灰色の地面に足をつけた瞬間にどこからか緊張した様子の声が聞こえた。見ると大きな兎耳をつけた見慣れない服装の少女が数人、おどおどしながらもこちらに銃剣を突き付けてきている。

 一瞬どうするか迷ったが紫がゆっくりと両手を上げたのを見て、俺たちも同じように両手を上げた。戦闘の意思はないということが伝わればいいが……。

 

「あら、懲りずにまた来たの?」

 

 ゾクッ。

 

 兎耳の少女たちの背後から聞こえたその声に俺は全身に鳥肌が立った。この感覚は、以前月人たちと会ったときに感じたのと同じものだ。俺以外の面々もその声に何かを感じ取ったらしく、一様に顔を強張らせている。

 声のほうを見ると、薄紫色の髪を後ろでまとめた女性が手に刀を持ちながらこちらに向かってゆっくりと歩いてきていた。

 

 これは……ちょっとマズいかも。

 

 そんな俺の内心を察したのか、女性は俺たちを一通り見たあとに小首を傾げながら小さな口を開いた。

 

「今度は少数精鋭というわけかしら? ですが残念ながら、地上人では月の民には勝てないわよ」

 

 後ろにあった紫のスキマがすーっと閉じる音がした。

 

 

 


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