ああ、神様なんて嫌いだ。 作:マレウス
「......頼みが、ある」
燃え盛る空港内。
崩れ落ちた瓦礫の山。
喉を焼く、息苦しい火炎の熱気。
正しく地獄とも呼べるその場所で、父親に言われた言葉。
酒好きかつ女好きのろくでなしではあるが、二歳下の妹への愛に溢れていたあの社畜が言った言葉は今でも忘れることが出来ない。
いや、忘れることなどあってはならない。
そんな言葉を幼いながらも自分は理解していた。
「俺はもう、駄目みたいだ......なあ、母さん......返事がないな。こんな時まで朝のことを引き摺らないでくれよ。俺が悪かったって」
目を焼かれ、既に光を失っている親父は気付いてない。
既に母親だったものは燃え尽き、炭素の塊に帰していた。
しかし、それでも親父はその過去形の物体を離さなかった。
人の身体において、手と呼ばれる箇所。
そこを親父は必死に掴んでいた。
いや、もう気づいているのだろうが。
「......お前は男だ。そして、兄だ。なら、やることは、分かっているだろ?_______小町を、頼む。情けない、親で悪いが、俺達はもう、守れない......」
喉が焼け、声も途切れ途切れ、遂には聞き取ることもままならなくなっている。
しかし、それでも俺は親父の最後の言葉を聞こうと耳を傾ける。
「だから。小町を、絶対に守れ。あの子を脅かす全ての害悪から。お前が、あの子の父親代わりになってくれ」
そして、親父は上から崩れ落ちた瓦礫に潰された。
泣き叫ぶ人々の絶叫。
自分のすぐ横で小町が泣いている。
ああ、そうだ。
小町を守らなくては。
こんな所にいたら小町も親父達のようになってしまう。
それだけは絶対に認めることはできない。
俺は泣き続ける小町を抱き抱え、燃え盛る空港を走ったのを覚えている。
その途中、何度も何度も死体を見た。
テレビドラマや映画で見るような死体はフィクションであるが故の綺麗なものなのだと思った。
「大丈夫だ。俺が絶対守るから。小町」
抱き抱えた小町は必死に俺にしがみついていた。
恐怖から逃れるように、力いっぱいだ。
「お兄、ちゃん......」
「任せとけ、俺が何とかするから......」
だから、泣かないでくれよ。
なあ、小町。
これが俺の人生の使い道が決まった瞬間であり、俺の生きる理由が生まれた瞬間でもあった。
油をフライパンに敷き、熱する。
程よく温まったところで卵を割り、そこにベーコンを落とし焼いていく。
作っているのはベーコンエッグで、朝食としては極々一般的なものであると言えるもので、調理も難しくない。
沸々と音がし、卵が良い頃合いになった。
「お兄ちゃん」
後ろから、ちょうど腰の辺りにギュッと力を込められた。
服越しに伝わる温かい体温が心地よくも、俺の動きを抑制する。
「おう、小町。おはよう」
「うん、おはよう」
ベーコンエッグが完成し、それを皿に移しながら抱き付いてきた人物である妹、比企谷小町に挨拶をした。
「随分と眠そうだな。夜更かしでもしたか?」
「ちょっと、友達と長話しちゃって......」
欠伸を噛み殺しながら、小町は俺の背中に顔を埋めて喋っているせいか、かなり聞き取りづらいものではあった。
しかし、長年一緒にいたためにすぐにそれも分かった_______というのは冗談で。
実際には、昨夜小町の部屋から楽しそうな話し声が聞こえていたためであるが。
「友達と話すのは良いけど、程ほどにな程ほどに」
「はーい」
小町の間延びした返事が背中に振動し、こそばゆい。
「ほら、朝飯だ。持ってくから座っとけ」
「ううん、小町も手伝うよ......」
ありがとさん。
しかし、小町。
そう言う割りには、腰から離れないけどどうしたの?
「小町。お兄ちゃん、動きづらいんだけど。あと、手伝ってくれるんじゃなかったの?」
「うーんとね。お兄ちゃん分補給中だから、もう少し待って......」
「何れくらい待てばいいんだよ」
「三時間......」
いや長いわ、と。
思わず口に出てしまった俺は悪くはない。
少なくともお兄ちゃん分という名の成分はどの栄養学の本にも記されていないので、小町のみが知る、未知の栄養価なのだろう。
いや、小町からすれば未知ではないのか。
「冷めるから駄目だ。ほら、お退きお退き」
小町の頭をポンポンと撫でるように軽く叩く。
その際、不満気な声がくぐもって聞こえたが今は無視を決め込もうとしよう。
何たって、朝は時間がないのだ。
「......小町。むくれないでさ、お兄ちゃんに可愛い顔を見せてくれよ。な?」
「むぅ......」
今日一番の愛妹の表情はとてもご機嫌斜めと言えた。
くりくりとした目に、チャーミングな八重歯。
そして、特徴的なぴょこりと出るアホ毛は代々家に伝わる特性のようなものだ。
「本当、甘えん坊だよな」
頭を撫で撫で。
最早癖になってしまっているその行為は小町を落ち着かせることの出来る方法の一つだ。
決して、小町は抵抗しない。
「ほら、流石に遅刻なんてしたら駄目だろ。確か日直だろ? それに折角の皆勤なんだからな。途切れるぞ」
今のところ、小町は中学三年になってから一度も遅刻、欠席をしていない。
容姿も身内贔屓を除いても可愛らしく、人当たりも良い。
これで成績も良ければ良いのだが、頭の方はまあ普通だ。
しかし、それでも学校からは優等生と評判なのは小町の人望の厚さによるものだろう。
俺の妹とは思えないが。
あ、ちなみに毎日小町を起こすのは俺である。
まあ、俺が早起きするだけで、小町の評判が上がるのなら万々歳だ。
「むっ......そうだった。分かった。準備する......」
漸くホールドを解除してくれた小町。
しかし、その表情はとても不服そうだ。
「今のうちに顔洗ってこい。タオルはいつものとこな」
「ん......」
返事は一文字で、てくてくと洗面所まで歩いていく小町。
取り合えず遅刻の心配は無さそうだ。
「......さて、並べますか」
湯気の立つ、ベーコンエッグの皿を手に取るとテーブルへ並べ始めた。
「お兄ちゃん。もしかして、また目悪くなった?」
「......どうしてだ?」
走らせる自転車の後ろで、小町はふとそんなことを口にした。
「いやね、何か最近お兄ちゃん、眼鏡かけてても目細める時あるからさ」
確かにこの眼鏡も度が合わなくなったのかもしれない。
良い子は暗いところで読書や勉強はしないように。
本当に目を悪くするから。
「なら、今週の日曜でも買いに行こうよ。小町がカッコいいの選んだげるから」
「......それは小町ちゃんが何処か出掛けたいだけでしょう」
バレたと、笑う小町は腹部に回す腕の力をほんの少し強めた。
ああ、バレバレだっつーの。
可愛いな、ちくしょう。
「ま、ちょうど良いかもな。この黒縁も、大分くたびれてきたし......」
「やったーっ! お兄ちゃん大好き!」
先程よりも更に力を込め、俺の背中に頬擦りをする小町。
こら、漕ぎづらくなるから止めなさい。
やるなら、もっとそふてぃに。
そんなこんなで、数分。
懐かしさを感じる中学校の校門に着いた。
二年前までは俺が通っていた県立中学校だ。
朝の割りと早い時間ではあるが、生徒がちらほらと視界に入る。
友人同士で歩いているもの達も居れば、一人で歩いているもの、または男女(恐らくはカップルだろう)で歩いているもの様々だ。
「じゃあ、行ってきます! お兄ちゃん」
自転車の後ろから降りた小町は、翻るようにくるりと俺の方へ振り向くと、笑顔を向けた。
むっ、眩しいな。
「ああ、行ってらっしゃい。小町」
軽く右手を上げ、返事をし、そのままペダルを漕ぎ始める。
しかし、そのペダルが妙に重く、よく見れば六段変速のギアが"6"になっている。
"3"に切り替え、ゆっくりと漕ぎ進め、安定し始めた。
「帰りに卵買わないとな......」
既に帰りのことを考えてしまっているが、今の時刻は午前七時十五分。
今朝のベーコンエッグで我が家の卵は無くなってしまったのだ。
近くには散歩をしている老人がいるくらい。
思わず口に出てしまったが、それも消え入るような程に小さいものであったため、聞こえているものはいないだろう。
まあ、聞かれても構わないものではあるが。
朝の一人きりの登校時間。
毎日小町を送り届けた後に確定発生するこの時間は酷く静かではあるが、嫌いではない。
小町が居れば絶え間なく喋り続けてくれるので、こうなることはない。
「......はぁ」
何故か溜め息が出てしまった。
特に意味はないが、何故出たのだろう?
機械とかロボットにありがちな排熱機構を俺も搭載しているのかもしれん。
「......はぁ」
また、溜め息が出てしまった。
本当に、何でだろう。
そんな中、憂鬱になりつつある俺の視界に写るものがあった。
それは犬を連れた老婆であった。
連れているのはミニチュアダックスフンド。
ピュアクリームの毛色だ。
そういえばと一年前のあの日を思い出してしまう。
あの時は大変だった。
危なく死ぬところだったし。
小町は泣くし。
小町は泣くし。
小町は泣くし。
「......あーあ。マジで_______」
_______
意味もなく呟いた。