義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第十話

 三好政長は与えられた淀城を見上げてほくそ笑んだ。

 淀は河内国や摂津国、大和国から京に入るための交通の要衝であり、桂川や宇治川に囲まれた地形によって古代から海産物や塩を陸揚げを集積する商業地として栄えていた。水陸の交通は、商業のみならず、軍事的にも非常に重要で、この土地をまかされたことが、細川政権内での政長の地位を格段に跳ね上げていた。

 それまでの政長も、細川政権内で重きを成していた事は周知の事実だ。

 三好家に生まれた政長は、従兄の元長とともに細川晴元に付き従い、細川家の内訌を平定した実績があるし、三好元長が晴元に反したときには、積極的にこれを排除する動きを見せた。

 河内十七箇所の代官職を返上せよ、と晴元から上意が下ったときは、一体何の冗談だと思ったものだ。

 河内十七箇所は石高としては決して大きくはない。とは言っても、この土地は政長にとっても重要な土地である。なにせ、政敵の三好元長から簒奪した地位なのだ。長年の宿敵であり、三好家の惣領の座を奪い合った男の土地。元長を陥れ、その命を絶ち、土地を奪い取ったときの邪悪な爽快感は今でも忘れていない。その土地を返上せよとの上意に、政長ははじめ反発しようとさえ思ったものだ。

 だが、変わりに与えられる代替地を聞いたとき、そんな考えは即座に斬り捨てた。

 ―――――――――河内十七箇所を召し上げる代わりとして、淀城を与える。

 政長は飛びついた。

 淀の重要性をこの男は正しく理解していたし、そこに入ることがどれほど自分の財力、軍事力を肥大化させることになるかわかっていたからだ。もはや、河内十七箇所の代官など小さい。淀城主になることで、三好家の惣領の地位を完全に手中に収めることができる。

 そう考えたのだ。

 また、商人などの目ざといものたちは飛ぶ鳥を落とす勢いの政長に近づこうと躍起になった。

 淀という大商業地を手に入れたことで、商人たちの中で三好政長の重要性は日増しに高まる一方となり、それが、政長の自信にもなった。

 政長が手に入れたものは多大な収入を見込める進展地だけでない。細川政権内での確固たる地位もともに手に入れた。

 晴元が交渉のために政長を石高を引き上げてまで転封したのは、政長と敵対したくないからだ。

 今回の一件で、周囲は晴元が政長のご機嫌を伺っていると見るだろう。

 また、彼のもともとの居城である摂津国の榎並城は、京から距離がかなりある。一方の淀はどうかと言えば、洛南に位置している。細川邸は目と鼻の先である。中央政権に干渉するのに、拠点が近いというのは大きなメリットである。遠方の勢力よりも近隣を頼ったほうが早いということや、もともと細川政権の重鎮だった事も重なって、以前よりも数割り増しで、政治的な職務に従事するようになった。

 また、組織の長である晴元が、最近になって遊行に耽るようになったことも政長が政治に関わる大きな要素となった。

「くくく、天下が転がり込んできたわ」

 そう思わずにはいられなかった。

 政長は今、誰よりも上にいる。高みからの視点は、彼の予想を超えて爽快で、耽美的だった。時として、主人の晴元すらも下にしているかのように思えることもあるくらいで、政長は着々と細川政権内で勢力を拡大して行った。

 

 

 当然なことではあるが、飛ぶ鳥を落とす勢いの政長のことを恨めしく思うものたちもいる。

 それは政権に近づけば近づくほどに顕著になって、今では政長につくのか、つかないのかで派閥が生まれつつあるほどだ。

 そのうちの反政長派の筆頭と見込まれているのが茨木城の茨木長隆だ。

 摂津国の有力国人であり、晴元政権の中枢に位置する重臣格の武将で、三好長慶の父、元長の殺害にも政長とともに一枚かんでいた。

 長隆はもともと親・政長派だった。

 晴元の下でともに数多くの合戦を経験し、晴元を管領にすえて強力な細川政権を打ち出した功労者なのだから。また、政治的なスタンスも似通っていて、荘園制度の維持などで一致を見ている。

 とはいうものの、長隆にとって政長は同輩、もしくは自分のほうが立場は上であるという意識があった。

 軍事力や政治力、功績は認めよう。それでも、これまで摂津の片田舎で代官をやっていた男がいきなり何の功もなく加増されて重要拠点を任されたあげくに政治的にも発言力を増しているとなれば、不愉快な思いにはなる。

 長隆自身は攝津東部を押さえる小領主であるが、主に京で寝起きしているし、細川政権内での重臣クラスはもとより、幕府奉公人にまで奉書を下すまでになっている。

 つまり、実質的に細川政権内でのナンバー2。管領の晴元に次ぐ権力を持っているに等しいのだ。

 これまでは大目に見てきたが、これから先はそうはいかない。

 そういう目で政長を見ているのも無理のないことだ。

 政長も長隆も手に入れた権力を手放したくはないのだから、何が何でもこれを死守しようと思うからだ。

 それがたとえかつての朋友であろうとも、自分の権益を冒すというのであれば敵視してしまうのが人の性だろうし、それが競争を生み社会を回す一助となるのだから、これ自体は自然なことで特別非難すべきことではない。ただ、それを的確にコントロールする事ができなければ、その社会は自壊することになるだろう。

 戦国乱世、下克上の世は人の競争心や野心を煽るのに絶好の環境と言えた。

「まずは、長隆よりも力をつけねばならぬ。できることならばこれを除きたいところだが、そうも行かぬからな」

 登城し、一頻り城内を見て回った政長は、側近にそう漏らした。

 細川政権の中枢を獲る。

 口にするとムクムクと野心が掻き立てられていく。

「やはり功だ。わしが淀を得るにふさわしき仕事がなければならぬ」

 今回は将軍家と細川家との対立からおこぼれを授かったに過ぎない。

 晴元が政長に気を使ったのは事実だが、それが、政長の力を証明するものと考えるにはまったく足りていない。

 有名無実と思われてはいけないのだから、政長自身の力を内外に見せ付ける機会が必要だ。

 今の政長で戦って勝てる相手。

 それでいて戦っても波風が立たないような。そう、例えば山城の国外の勢力で政長や幕府に敵対的な態度を見せている者たちが好ましい。

「おい、地図をここに」

「はッ」

 政長は側近に持ってこさせた地図をジロリと眺める。

 山城の勢力はダメだ。

 主人だけでなく、さらにその上の将軍まで今は洛中にいるのだ。彼らの目の前で事を起こしては心証が悪い。理由付けも面倒だ。

 摂津は問題外。それこそ茨木長隆がこれ幸いと反撃に出るに決まっている。

 和泉もダメ。守護の娘である細川藤孝を通して将軍家とつながりがある。堺を敵に回したくもない。政長と細川元常では堺への影響力がまったく違うし、元常を敵にせず、国人だけを狙ったとしても、それは元常のすることだとして横槍を入れられるのが落ちだ。 

 河内は畠山家が治めているし重臣の木沢長政は現在畿内でも最強クラスの武将だ。畠山家を飛び越えて晴元の下で重臣扱いを受けていることが何よりの証拠。手は出せない。

 大和は国人たちの力が強すぎる。

 侵入していけば彼らの結束を強める形となりかねないし興福寺が敵に回る。

 比叡山延暦寺とともに南都北嶺と呼ばれ平安の時代から強力な軍事力をもつ寺院で、その力が余りに強いために、幕府は守護を置く事ができなかった。

 事実上大和は興福寺の支配下にあるといっても過言ではない。

 近江と若狭は問題外。大名の領地だ。手を出せば自分の首が飛ぶだけではすまない。

 狙うとすれば丹後か丹波だが、一時期荒れていた丹後国内は今若狭武田家という共通の敵に結束している。これに付け入ろうとすれば、大名である武田家に全てを持っていかれる恐れがある。

「それならば丹波にするか」

 政長は扇で丹波国を指し示した。

 丹波の守護は細川家。だが、細川家は複数の国の守護を兼ねる大大名ながらもそのすべてを完璧に統治できているわけではない。

 これは政長にとっても頭の痛いことで、自分が寄って立つべき政権が磐石ではないということはとても恐ろしい事だ。

 特に丹波は国人達の台頭が激しい。

 丹波守護代の内藤家は今や衰退しつつある。 

 居城の八木城を中心とした丹波東部しか領していないのがその証。もともと分郡守護代の体制の下での守護代である内藤氏は丹波全体に勢力を持っていたわけではないし、領地を接し、近年力をつけてきた波多野氏によって年々圧迫され続けている。

 よって、政長が功を上げるために討つべきは内藤国貞となる。

「八上城の波多野家と結び内藤を討つ」

 政長は長い思案の末にそう結論を下した。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

「兵を動かすってのか。政長が」

 その報告を受けたとき、俺は遅めの夕食を摂っていた。

 味噌汁と焼き魚のにおいが室内を満たす中、報告を持ってきた忍の言葉に箸を止めた。

「義政。それは確かな情報なのか?」

「はい、間違いありません。若様の仰せの通り、政長殿が淀城に入られた際に紛れ込ませた伊賀の者から得た情報でございます」

「間違いないと断言できるということは、情報元は複数という事でいいな?」

「はい」

「ふーん……」

 三好政長は細川政権の要の一人。

 俺としては彼の動向を注視することで細川家の方向性をある程度把握できるかなと思っていろいろと探っていた。

 都合よく政長が加増されたので、それに伴う家臣の増員にあわせて伊賀者を複数人彼の配下に紛れ込ませていた。多くは小者で大した情報は得られない可能性は高かったが、城内での噂などを聞く機会もあろうし、ぽろっと誰かが口を滑らせてくれるかもしれない。

 それを期待していたのだが、うまく動いてくれているようだな。

 俺の持つ情報部隊は、伊賀守護の仁木義政の下で組織化されている。

 仁木家は国人の強い伊賀の中において影響力を維持するだけの力はない。それでも代々伊賀守護という肩書きを名乗ってきたために、伊賀者を使役する力と人脈は他勢力よりも持っていた。

 おまけに彼女は近江佐々木氏の一族。六角義賢の従姉妹にあたる。軍事力は心もとなくとも、血筋、人脈、権威は申し分ない。

「淀城にはすでに多くの兵が参集し始めております。武器の搬入も同時に始まりました。近く陣触れがあるものと思われます」

「晴元は許したと思うか?」

「恐らくは許可したものかと。早馬が芥川城に向かったという情報もありますので、そこで何かしらのやり取りがあったはずです」

 まあ、そうなんだろう。

 晴元に無許可で戦を仕掛けるわけにもいかないだろうから許可はすでに下りているのだろうな。

 しかし、仮にも守護代を相手にいきなり喧嘩を吹っかけるとはな。

「この戦、内藤の負けだな」

 俺は内藤家の実情を鑑みてそう結論付けた。

 内藤家の領地は船井郡の八木城を中心とした三郡ほどに留まってる。規模としては波多野氏とほぼ同じ。これに三好政長が襲い掛かるのだから内藤国貞の敗北はほぼ確実と見ていい。

 政長は波多野と組むだろう。

 国貞を目の敵にしているのが波多野だからである。

「義政、戦の大義名分はどうなっているんだ?」

 大義名分。

 これはかなり大切にしなければならないもので、有無によって士気が大きく変わる。

 幕府が未だに存続しているのも、大義名分を判断する基準のひとつが幕府の意向がどうか、ということだからでもある。

「はい、それが波多野家から救援を要請されたからとしています。内藤国貞が不当に波多野家の領地を侵したからだとか。近く、内外に公表されるかと思います」

「へえ、実際はどうなんだろうね。俺、内藤が軍を動かしたって話は聞いてないんだけど」

 丹波は隣国で、しかも内藤の領地は京から目と鼻の先なのだ。

 これが軍を起こせばすぐに情報が入ってくる。まかり間違ってこちらに飛び火しないとも限らないから目を光らせている勢力は多いのだ。

「虚偽か。まあ、そうだろうな」

 呟いてから、俺は膝を叩いて立ち上がった。

 羽織を羽織って歩き出した。

「若様? いったいどちらに?」

 義政が目を白黒させて尋ねてきた。

「ちょっと父上に目通りを、な」

「殿下に?」

 突然どうしたのだろうという表情をしている。

 義賢に似た顔立ちながら、こちらのほうが活発な性格で、比べてみると結構面白かったりする。

「ああ、そうだ」

 俺は義政の側に膝をついて彼女の肩に手を乗せる。

「いい仕事だった。これからも頼む」

「うあ、は、はい。おまかせください」

 ついでに照れ屋だ。簡単に紅くなる。

「せっかく来たんだ。食事を用意させるから、食べていってくれ」

 労いの意味も込めてそう言った。

 そして俺は部屋を後にし、父上の部屋に向かった。


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