義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第十四話

 内藤家は無事生き残り、三好政長の権威にはひびが入った。さらに、晴元に内藤攻めを考え直すように進言したのが長慶であると判明したことで、両者の間に横たわる溝はより深いものとなった。だが、互いに治めている領地が離れており、戦をするだけの大義名分がないために、対立は感情面に収まっており、現実的な武力闘争には発展していない。あくまでも細川家中での対立に終始している。

「晴元もさぞや頭を悩ませていることだろうな」

 という推測はしてみる。

 これはあくまでも希望的観測にすぎない。対立が発生していることは、十分に予想しうることであり、同時にその情報が流れてきているのだから間違いはない。しかし、そういった情報は、晴元がどのように考えているかということまで確認できるものではないのだ。

 よって、俺にできることは、晴元が頭を悩ませていてくれたらいいな、という希望的観測に止まるのだ。

 最悪なのは、まったく無頓着でいること。

 火種を火種と認識できず、放置している場合、後々それが大きな火災へと発展しかねないのだ。

 それが俺の懸念。現状、安定した状態にある中で、暴発されては困るのだ。細川家は俺にとって目の上の瘤ではあるが、同時に屋台骨の一つでもある。潰れられると、細川家が押さえ込んでいた諸将が独自に動きかねない。結局、細川家の影響力は否定できないのだ。

 いまだに父が健在のため、将軍職に就いてもいない若造である。ちなみに左馬頭に叙任されていることもあって、官職からしても将軍候補第一位である。

 畿内の兵乱も小康状態に突入し、仮初の平和を享受している今日この頃。命の危険はなくとも、頭を悩ませる案件はまだまだある。なんといっても、政長の内藤討伐に口を挟んだのが、実質的に俺だということを、父が大々的に公表していたことが大きい。 

「面倒だ」

「名が知れ渡るのはよいことではありませんか?」

「確かにな。だが、実際のところ動いたのは俺じゃない。そうだろ、義政」

「そんなことはありません。若様のお力がなければ此度の騒乱、終息に多大な時間を要したでしょう」

「そう言ってもらえると、嬉しい限りだな」

 仁木義政。伊賀守護家の跡継ぎで、六角義賢の従姉妹に当たる。彼女を通して、俺は伊賀者たちとコンタクトを取り、情報収集を行っているのだ。

「まあ、グチグチ言ってもしかたがないので、俺は俺で、できることを最大限に積み上げていくことにする」

 そう言って、俺は庭先にでた。 

 秋が深まり、澄み渡った空を見上げた。収穫期に入り、これから数ヶ月は全国的に戦が沈静化していく時期だ。その反面、餓えと寒さで、死亡率がグンと引きあがる季節でもある。餓えて死んだ人、寒さで倒れた人。そういった人々を何度も見てきた。そのたびに、人間の敵は戦争よりも環境なのだと実感させられるし、生活環境を整えることも、上に立つ者の責務だと思わされた。それは、きっとこの時代にはない発想なのかもしれないけれど。

 それでも、不特定多数の『彼ら』の死に対して、何もできない自分に腹が立つ。やりたいことと、できることが乖離していて、自分ではどうにもならないのだ。

「まずは、俺の知識で彼らの生活を助けられるかどうかだな」

 未来は、この時代からみれば楽園だ。

 しかし、その反面、自分たちが日常的に使っている器具がどのような仕組みなのかすら知らないという状況でもあり、その世界で生きていた俺が、この世界に活かせる知識は少ない。

「よし、それじゃ藤孝のところに行こう」

 とりあえず、畿内が治まった今の内に外を見てみたい、という思いもあって、俺は藤孝が治める榎並城に向かうことにした。

 政長が兵を引いたことを確認してから準備に取り掛かり、藤孝の予定を考えて日程を組んだ。

 将軍家の者が京を軽々しく出るというわけにも行かないので、それなりの準備を要したのだ。

「若様、馬の用意ができました」

 家臣の一人が、報告に来た。

「わかった。今行く」

 そうして、俺は、護衛のために武装した家臣たちを引き連れて、京を出たのであった。

 

 

 ゆるゆるとした行程で、およそ半日ほど馬に揺られる。

 この世界に生を受けてから、剣術以外にも乗馬や弓術などの武芸の基礎を一通り習得している。当然、遠方への移動もまた徒歩ではなく馬か輿で行うのが常である。

 それにしても、自動車や電車が懐かしい。

 京都大阪間の移動など、平成の世では大して時間もかからないというのに、この時代はそういうわけにもいかない。移動速度は、歩行速度に準じる。少し急いでも、ランニング程度の速度である。そして、馬に乗っている間に娯楽らしい娯楽がないので、会話をするか、無心になるかしかない。

 今回、俺に従う兵は三十人ばかり。この他、仁木義政、細川宗賢、一色藤長、三淵藤英が随行してくれている。数は少ないが、そのおかげで目立たない上に、俺の最も身近な家臣たちの寄せ集めである。

「それにしても、珍しいな。義藤が京を出るなんて」

 行軍中に、隣の騎馬武者――――一色藤長がにこやかにそう言った。

 名門一色家の血を引く男で、歳が近いことから気が置けない仲となった。その結果、呼び捨てで名前を呼び合うまでになったのだ。

「七郎よ。一応、人目があるからな」

「義藤サマ、藤孝のヤツんとこまでわざわざ出向く必要はあったんですか?」

 俺が嗜めると、藤長は呼び方を一応変えた。

 俺は別に構わないのだが、こういったことにうるさい者も少なくない。例えば、光秀とか、藤英とか。その光秀は、藤孝との調整のために、一足先に榎並城に向かっているから不在だ。そして、藤英は、射殺さんばかりの視線で藤長を睨みつけている。彼の額に冷や汗が浮かんでいるのは、なにも厚着の所為だけではあるまい。

「さて、俺が主導して手に入れた地を、実際に目で見てみたいという理由では不服か?」

「いえ、不服というわけではないですけどね。なんせ、国外に出るのは初めてのことでしょう。こういう形で」

「だからこそだよ。今、外に出なければ、おいそれと自由に行動できなくなるだろうが」

「そういうもんですか……」

 藤長は、それ以降、この話に興味を失ったようで、視線を前に向けた。

 先導する義政は、配下の忍を動かして旅の安全を保証してくれている。おそらく、現状で最も活躍している家臣だ。

「義藤様。少々よろしいでしょうか?」

「ん。どうした、藤英」

 スポーティーな印象を受ける女性。かつて、俺と共に幼少期を送り、藤孝と交代して父親の下に帰った三淵藤英である。年齢は四つ上なので、今まさに女性として最も輝いている年齢であろう。

 その藤英は、俺が六角家の下に居候していた際に京の情報を個人的に流してくれた人物であり、俺と細川昭元の中継ぎをしてくれた人物でもある。

 藤英は、俺の背中の辺りに視線を移し、

「その風呂敷は何でしょうか?」

「ああ、これ。大したものじゃない。向こうに着いたら見せることになるよ」

「はあ、そうですか」

 俺が始終大事にしているから、何かと思ったのだろう。特に重要なものではないのは事実であるが、それでも、今の日本にある程度の影響を与える物品だ。それを、藤孝の下に届けるのが、俺の目的の一つでもあった。

 

 

 

 ■

 

 

 

「義藤様。よくぞお越しくださいました。本当に、お久しぶりです」

 榎並城に到着した俺は、藤孝の屋敷に通された。そこで、光秀と藤孝に会った。光秀はつい最近まで、右腕として書状関係で世話になっていたが、藤孝とは数ヶ月ぶりである。簡単に連絡を取れる時代ではなく、書状のやり取りも、頻繁ではなかった。

 姉とは違い、長く伸ばした黒髪が淑やかな女性らしさを顕している。学問に秀で、特に和歌に関しては他の追随を許さない天才である。同じく秀才肌の光秀とは、非常に気が合うらしく、その点から言っても、光秀を藤孝への使者に立てたのは正解だった。その一方で、藤孝は剛勇でも知られ、すでに戦場で手柄を挙げている。

「最近は、よく冷える。大事無いか、藤孝」

「はい。おかげさまで元気にやっております」

「それは重畳。ここに来るまでに田畑を見たが、実りも良さそうだな」

 城の外には榎並荘がある。城外に広がるのは水田であり、黄金の稲穂がたわわに実っていた。

「今年は水害もなく、豊作だとのことです」

「そうか。……うむ。藤孝に任せて良かった」

 俺は万感の思いを込めて、そう言った。なんといっても、ここは俺が始めていた土地であり、城なのだから。京から離れているために、統治は藤孝に任せているが、彼女もいつかは細川家を継ぐ身である。その際この城の主を変えるか、また別の者に任せるかは追々考えていくとしよう。

「あ、ありがとうございます。もったいないお言葉です」

 藤孝はテレテレとしながら、頬をかいた。

 それが、妙に色っぽいので、こちらも落ち着かない。幼い頃から共に生活してきた相手が、歳を追うごとに女性らしさを高めていくのは、喜ばしいことであるが、同時に複雑な気持ちになってしまうことでもあった。

「義藤様」

「若様」

 二人に呼ばれて、何事かと思って振り返った。

 光秀と義政がそこにはいた。

「どうしたんだ。そんな風に鬼気迫って……」

「ご歓談のところ申し訳ありませんが、日が暮れる前にしておくことがあったのでは?」

 コホン、と咳払いをした光秀が、そんなことを言う。

 そうだった。ここに来るまでに、半日を消費してしまっていたのだ。秋が深まる季節。日が暮れるのも早い。

「すまない。藤孝との再会が喜ばしくてな、ついついはしゃぎすぎてしまった」

「用意はできておりますので、まだゆっくりしていただいてもいいのですが」

「いや、実際に民に使ってもらって初めて試す意味がある。日が暮れてからでは、彼らに悪い」

 俺は、馬の背に乗せてきた小箱を、この場にも運び込んでいた。小箱といっても、そこそこの大きさがあるため、藤英が気になったのであろう。

 俺は風呂敷を広げて、木箱の蓋を開けた。中に入っていたのは、木製の厚い板に無数の棘が生えたような奇抜な塊。棘を上に向ければ、華道に使う剣山を大型化したような物にも見える。

「それが、せんばこきという道具なのですか?」

 藤英が箱の中を覗き込んで、尋ねてきた。

「おう。といっても、まだ試作品だけどね」

 歴史の先取りは、俺のような人間に認められた特権であると同時に義務でもある、と思ってならない。俺にできることは少ない。それは、これまでの人生で嫌というほど実感したことだが、それでも、何かしたいと思うのが人間だ。

 その中で作ったのが千歯扱きだ。

 歴史の中では、長らく作業効率の悪い扱箸という大型の脱穀農具を使っていた。これが、非常に効率が悪く、脱穀作業は、農家にとって大きな負担となっていたのだ。

 その負担を千歯扱きは大幅に改善する。

 原理としては、とても簡単で、どうして江戸時代になるまで考えなかったのだと思わざるを得ない。

 台となる木の板に取り付けた歯に稲の束をたたきつけ、それを梳くことで脱穀する。麦だと、穂が落ちるだけなので、さらに叩く必要があるが、稲であれば、これで作業は大体終わる。そう、まるで髪を梳るように脱穀できるのである。

「確かに、原理としては納得のいく物ですね。さすがは義藤様です。民のことまで考えているなんて」

「はっはっは、そうだろう藤英。あまり誉めるなよ、調子に乗ってしまうぞ」

 昔から変わらない、俺を過大評価する嫌いのある藤英が、手を叩いて賞賛してくる。まあ、誉められて悪い気はしないし、嬉しいが、カンニングなので諸手を挙げて喜べない。

「しかし、義藤様。これは、大変な発明ですよ。これが普及すれば、農業の効率は大きく上がることでしょう」

 冷静に光秀が評価してくれる。この製作には、光秀も一枚噛んでいるので、彼女には驚きはない。俺がこそこそと製作しているところを、光秀に見られてしまったからだ。とても簡単に製作できるのだから、できれば、サプライズ披露をしたかった。

「それじゃ、城下に行ってみようかな」

 俺は、藤孝が用意してくれていた実験用の稲を求めて城下へ向かう。

「あれ、ところで七郎はどうした?」

「藤長殿であれば、宗賢殿に引っ張られていきました。いつものことですので、気になさらずともよいかと」

 義政が淡々と語る。藤長が俺に軽い口調で話しかけるのを聞き咎めた宗賢は、毎度のことながら苛烈な懲罰を行う。俺からしたら、仲のよい男女がいちゃついているようにしか見えないのだが、藤長からしたら命懸けらしい。他の者からも、『いつものこと』で済まされている辺り、本当にいつものことなのだ。

「まあ、いっか。とりあえず、仕事しよう」

 いつものことなので、俺も藤長を放っておくことにした。

 

 

 城下の広がる田の傍で、待機していたのは、藤孝の兵と三人の民。この田の所有者である。折りしも収穫が終わり、これから脱穀という頃である。

「義藤様。ここは、わたしが」

「いや、俺が直接話そう」

「え、あ、そんなことは……」

 藤孝の制止を振り切って、俺は彼らの下に向かった。

 俺の存在に気づいた兵が、驚いて膝をつく。そして、兵の尋常ならざる様子に驚いた彼らは、一様に平伏した。

「よい、面を上げよ」

「は、はい」

 三人の男は、汗にまみれた顔を上げた。

「俺は、足利義藤という者だ。忙しい時にわざわざ時間を貰って、すまなかったな」

「いえ、そのようなことは。……ご下命とあれば、なんとでも」

「ふむ、そうか。それならば都合がいい。今日、あなたたちに来てもらったのは、新しい農具を試させて欲しいからでね。ぜひとも協力してもらいたい」

 見ず知らずの他人にこのような命令を下すのは、非常に心苦しいところがあるのだが、それも二十年近い生活の中で、慣れてしまった。立場上、そう接しなければならないところがあるのだ。無論、その中でも暴力的な発言を封印し、できるかぎり威圧しないような口調と言葉を意識するようにしているが。

「新しい、農具……?」

「詳しい話は省くが、簡単に脱穀するための道具だ」

 一瞬、男たちは何を言われたのかわからないという顔をした。いぶかしみながら、俺の様子を窺っている。

「試作品ではあるがね。物は試しと持ってきたのだ。試すのであれば、実際に使う者に試してもらうのだよいだろう?」

 要領を得ないといった様子の男たちに、俺は千歯扱きの実物を見せて説明する。

 使うのに、特別な知識や技術が必要というわけではない。それが、技術の普及には重要なのだ。

 俺は、持ち込んだ本体の下に使いやすいように足を付け、その下に脱穀された米を受け止める箕を置いて実演を行った。

「髪を梳るように、それでいて大胆にだ」

 稲束を千歯扱きに叩きつけて、引き抜くとボロボロと稲籾が落ちていく。

 手作業に数倍する効率に、男たちは色めきたった。

「こんな感じで使うんだが、これが使い物になるかどうかを試して欲しい」

 そして、ぎこちなく男たちは用意していた稲束を持ってきて、千歯扱きを試す。初めは、戸惑っていたところもあったが、すぐになれたようで、作業のペースは上がっていく。

「お、おお……!」

 その効率の良さに、男たちは感嘆のため息を漏らした。

 四半刻と経たずして、用意していた稲束はなくなっていたのだ。

「して、それを使った感想はどうだろうか?」

「はい。これは、とてもすばらしい農具です! これまでは何日もかけていた脱穀が、これだけ早く進むのは、信じられないことです!」

「まったくです! これなら、わし等の仕事もずいぶんと楽になります!」

 評価は上々だった。皆口々に、千歯扱きの良いところを話してくれる。実際、重い脱穀の作業から解放されるのだから、万々歳なのだろう。

「これは使い物になるかな?」

「そりゃあもう」

 なるほど、商品開発としては大成功といったところだ。改良の余地はまだ残っているが、コンセプトとしてはこの方向で進めれば問題はなさそうだな。

「貴重な意見だった。感謝する。よければ、この千歯扱きをあなたたちで使って欲しい」

「よろしいんですか!?」

「ああ、此度の意見は、後々に大いに役立つものだったからな」

「ありがとうございます!」

 さて、感触は上々。これからが、本番か。

 今回得られた情報を頭の中で反芻しつつ、藤孝たちの下に向かった。

 

 

 慣れない仕事をすると肩がこる。

 思い返せば、俺が今までに話したことのある相手は、武士か公家、そして女中や小姓といった身辺に仕える者たちばかりだった。身分制社会の最下層に位置する農民たちとの接点は、皆無と言っていいだろう。それは、俺自身が最高位の身分を有しているからということもある。

 現実として、そうでなければならないということもあるのだ。感情と現実は違う。俺は、もっと様々な角度から世を見なければならないというのに。

「千歯扱きくらいは、なんということはない。どうせ、俺が作らなくても、何れ誰かが作っていただろうからな」

 構造は単純だ。だから、作ろうと思えば誰にでも作れる程度でしかない。

「とは言ってもよ、実際大したもんだと思うけどな」

「そうでもないさ。脱穀が速くなったからと言って、生産量が上がるわけではないからな。肥料やら何やらは今後の課題だよ、七郎」

 七郎は、藤長の幼名である。本来目上に当たる俺に対してあっけらかんとした態度を取ることへの当て付けだ。お互い、変えるつもりもなく、そのまま呼び方を定着させていた。

 夜は深まり、俺たちは酒を酌み交わしつつ、話を続けた。

「これから先、どうするつもりなんだ。この千歯扱き」

 七郎が床に置いた図案を指で叩きながら尋ねてきた。

「もちろん、普及を目指すさ。そのために、おまえの領地でも使ってくれないか?」

「そりゃ、喜んで使わせてもらうけどな。義藤に貰った土地だ。無碍にしたら首を飛ばされかねん」

 七郎は、首を摩りながらそんなことを言う。

「そんなあっさり人の首は刎ねん」

「おまえが刎ねなくても、誰かが刎ねるかもしれんぞ。おまえに心酔しているヤツは、おまえが思っている以上に多いんだ」

「そりゃ、嬉しい情報だけどな。俺に心酔しているヤツなら、猶のことおまえの首は刎ねないよ」

「なんで言いきれんだ?」

「友人に死なれるのは困る」

「…………大分酒が回ってんな」

「かもしれないな」

 俺は酒が苦手だから、それほど強くないものを選んでいる。しかし、それでも回るものは回るらしい。

「で、話を戻すがよ。あの農具は単なる思い付きか? それとも、先に繋がる何かがあんのか?」

 七郎は、一気に酒を呷って、渋い顔をした。そして、俺の空いた酒器に酒を注ぎいれた。俺は、仕方なしにそれを一息に飲み干す。

 灼熱が喉を焼き、胃に落ちて行くのを感じ、俺はぐぅ、と歯を噛み締めた。

「先に繋がる何か、ね。もちろん、あるにはある。実現させるために、藤孝のさらなる協力が必要だ」

 要するに、藤孝が治めるこの地は、俺の企図を実現させるための実験場でもあるのだ。

「藤孝殿に何をさせるんだ?」

「養蚕だ」

「何?」

「だから、養蚕だ。純国産の絹を作る。んで、それを明に負けない産業とする。そのために、人手がいる。脱穀に時間をかけているのはもったいない」

 そのための千歯扱きだ。

 後家倒しとも称せられたこの農具は、多くの未亡人たちから脱穀の仕事を奪ってしまったものでもある。ということで、千歯扱きを使って脱穀の作業効率を上げ、人手を養蚕にも費やせるようにしたかったのだ。

 俺は、この河内十七箇所を幕府主宰の養蚕業のモデルケースにしたい。

「それが、俺の理想。そのための準備を、今も進めている」

「一朝一夕にはいかねえな。そりゃ」

 七郎の言うとおり、俺たちにはノウハウがない。蚕をどのように育てるのか、どのように絹を取るのか。手探りの状況だ。もちろん、外部から有識者を招いているし、この手の技術に長けた明からは書物を入手している。さすがは大内家。対明貿易での印の偽造をつついたら結構簡単に送ってきてくれた。大量の金銀、その他と一緒にだ。

「向こう数年は試行錯誤をしなければならないな。まあ、別にいいんだ。これは長期的な目標でしかないし、農作業を効率化する上で、まだやらなければならないこともある。そのために、明日、堺に行くんだからな」

 俺は、酒器に残った最後の酒を呷る。

 頭に鈍痛が走った。

 やっぱり、アルコールはダメだな。

 


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