義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第十七話

 ――――これは荒れるな。

 

 軍議を終えて自室に戻る途中、俺は畿内で起こる騒乱を思った。

 細川晴元が軍を発したのは、前管領に就いた勢力を一掃するためだと思われる。

 軍議の場に集まった者たちの中にも、細川家を二分した戦いの際に、こちら側に寝返った者が多数いる。彼らからすれば、明日は我が身。放置できない問題である。

 塩川家に対して、幕府ができることは存外少なく、静観するしかないのが現状で、軍議で話し合われたのも晴元がこちらに剣を向けないようにするにはどうすべきかという情けない話だった。

 軍事力を持たない幕府では仕方がない。

 俺にしても藤孝が持つ榎並荘と河内十七箇所が最大の領地である。それ以外にもポツポツとあるにはあるが、とても戦力として加算するわけにはいかない。

 攻め取るにも力と大義がいるのだが、それも今は難しい。

 畠山家の内訌に、細川家と塩川家の対立。

 戦国乱世だから仕方ないのかもしれんが、幕府を無視して戦ってんじゃないと言いたい。

「塩川家の動向を逐一見ていかねばならんか」

 やはり軍師が欲しい。

 名のある軍師が、幕府に出仕してくれないだろうか。

 と、思っていたところに現れたのは茶髪の幼女。

 本を読みながら廊下を歩いている。

「幼女じゃない! きちんと元服してる!」

「どうどう」

 心を読んだかのようにすれ違い様にツッコミを入れてくる。

「は! あ、若様。申し訳ありません」

「今さら気付いたのか、黒田殿」

 俺よりも大分背の低い彼女は、あの黒田官兵衛である。名は孝高で、官兵衛はあくまでも通称。その通称も、今はまだ存在しない。

 俺も、彼女の存在は正直驚いたのだが、不思議戦国なので深く考えることは止めている。

「黒田殿も大変だな。本来は、小寺の家の者が出仕するはずだったのに」

「あたしが無理を言ってここに来たのだから、大変も何もありません」

 と、彼女は言う。

 しかし、その内実は黒田家の主である小寺家の当主が出仕を渋ったことから重臣の娘である彼女に白羽の矢が立ったというものである。

 それくらいは、黒田孝高の存在を知ったときに調べている。

「黒田殿は、仕事の最中か」

「ううん。今日は、妙に仕事が少ないから、手早く終わらせましたよ。管領様が軍を発したおかげで、回ってくる仕事が減りました」

「なるほど。では、今、手透きだな」

「そうですが」

「では、一つ話を聞いてもらいたい」

 話というのは、当然に管領晴元が発した軍のことである。

 この戦が畿内に齎す騒乱の影響について、孝高から意見を貰いたいのだ。

「まあ、茶でも飲みつつ、話といこうか」

 手が空いていると言った以上、孝高は断れない。

 目上は俺だし、そういうところで少し申し訳ないとは思うが、それも含めての仕事だと思ってもらえればと。

 と、そんな感じで孝高を伴って歩いていたところ、鉢合わせたのは光秀だった。

「あ、義藤様、とどちら様でしょうか」

 光秀は孝高を見て、尋ねた。

「黒田孝高です。若様が話を聞いて欲しいというのでご一緒してます」

 光秀は、ムム、と眉根を寄せてため息をつく。

「義藤様。またですか……」

「何がだ」

「いえ、誰彼構わず女子に声をかけるのはどうかと。英雄色を好むと申しますが、義藤様は飼い殺しの気が。それにしても、このような童女まで」

 責めるような光秀の口調。なんとなく気圧される。

 確かに、周りに女の子が多いのは事実だ。が、明智光秀やら細川藤孝やら六角義賢やら黒田孝高やらが皆女の子になっているのだから、仕方がないだろう。

 有名所に声をかけるのは、当然のことだ。ついでに如何に黒田孝高が俺の知識の中では高名だからといってこの娘まで同じように高い資質を持っている保証はない。だから、ちょっとばかりスネークしてみたり、こっそり仕事を多めに回してみたりして様子を探ったのである。まあ、それは光秀には関係のないことなのだが。

「あたしは童女じゃない。元服している!」

 孝高が光秀に反論した。

 さっきと同じようなやり取りだ。

「え、そうなのですか?」

「『え』ってなんだ! 小さいからか!? あたしが小さいからか!?」

「あ、その、申し訳ありません」

「否定してよ!」

 孝高が悲鳴のような声で訴えた。

「だ、だいたい大きさならそっちもあまり変わらないじゃん」

「今なんと?」

 光秀の表情が変わった。というか抜け落ちた。孝高が指差しているのは、光秀の顔より僅かに下の部分。

「義藤様。少々お時間を頂きます。この娘とは膝詰めで話をする必要があるようです」

「ふ、ふん。凄んだって怖くないからね」

 ゴゴゴという効果音が聞こえてきそうな光秀と、泣きそうな顔をしつつ言い返す孝高。

 見た感じ、光秀が小さいということはないと思うのだ。孝高もないというわけではないようだし、どちらも平均的なのでは? 

 まあ、そんなことは口が裂けても言えないけれど。

 ということで、話はそのくらいにしてもらわないと俺が困るので介入する。

「待て待て、光秀。コイツと膝詰めで話をするのは俺が先だぞ」

 孝高の頭を鷲掴みにして手元まで引っ張る。

「わととっ」

「むう、分かりました。出すぎたことを」

「いや、気にせんでくれ」

 物分りのいい光秀は、大抵のことは一言で収めてくれる。俺の知り合いには、真面目な者が多いが、彼女はその筆頭格だろう。

「そうだ。光秀も一緒に来るといい。大事な話に違いはないが、意見は多いに越したことはないからな」

 光秀もまた、俺にとっては頼れるブレーンなのだ。この機会に一緒に今後のことを考えてもらうのも悪くはないだろう。

 そう思って、二人を伴い私室へ入る。

 簡単に茶と茶菓子を用意し、二人に出す。

「楽にしてくれ。公の場でもない」

 そう言いながら、俺は摂津国と河内国の絵図を広げた。

 平成の地図に比べてなんとも雑だが、これがこの時代の限界だ。衛星なんて存在しないし測量技術も大したことがないので仕方がないだろう。

 今の技術で本格的な日本地図を作ろうと思えば、伊能忠敬のような神憑り的な根性を持った人間を必要とする。生憎とそれは不可能に近い。

「とりあえず、現状説明から。といってももう知っているかな」

「何の話かも聞いてないんですが、管領様のこと?」

「ああ」

 孝高は、情報通のようで、上層部にいない割には世情に明るかった。好奇心の塊のような少女だから、表にも積極的に出て情報収集をしているらしい。

「塩川殿の城を包囲しているのは、三好長慶殿を筆頭に、三好政長殿、波多野秀忠殿、池田信正殿。管領様も思い切りましたね」

 絵図に書き込まれた一庫城の周りにそれぞれの部隊に対応した碁石を置く。黒を管領側、白を塩川側とした。

 完全に白が黒に囲まれている状態だ。塩川家は篭城しているのだから当然だが。

「形勢はどう考えても塩川家が不利だ。このまま落ちたとすれば、管領家の威信が高まり、管領は後顧の憂いを取り去ることができるだろう」

「うーん。まあ、それだけじゃ終わらないと思いますけどね」

 孝高は腕を組みながら絵図を眺めた。

「そうですね。此度の戦は旧管領家の勢力を駆逐し、細川京兆家を安定させるのが狙いでしょう。しかし、そうすると塩川殿だけで終わるとは考えにくいですね」

 孝高に続いて光秀が言う。

「高国派の残党なりなんなりを駆逐していくことになるか」

「間違いなくそうなるよ。だって、恨み買っちゃうからね。塩川家が落ちれば、他の帰順していた勢力も不安になる。最悪、徒党を組んで叛旗を翻すかもしれない。その旗頭だって、まだ生きてるわけだからね」

「細川氏綱。確か、高国の養子だったか」

「行方が分かってない高国殿の子はその方だけ。えーと、他にもいたっけ?」

「実子は俺が産まれる前に病でなくなっているそうだ」

「ふうん」

 孝高、口調がずいぶんと砕けてきたな。楽にしてとは言ったけど、なるほどこれが素か。

「じゃ、最悪その氏綱殿が残党勢力と旧高国派を糾合する可能性はあるってことね」

「そこまでいくと、晴元もただでは済まんな。もちろん、この畿内全域が戦場となる」

 また乱だ。

 やっと、安定してきたというのに。晴元の気持ちも分からなくはないが、これはキツイぞ。

「それでは、もしも一庫城が落ちなかった場合は?」

「難しいわね。見てのとおりすっかり囲まれているし。でも、確か伊丹親興殿や三宅国村殿は、塩川政年殿と姻戚関係にあったはず。こちらが動くのなら状況を変えられるかもしれない」

 孝高は白い碁石を伊丹城と三宅城に置く。

「彼らだけではさすがに厳しいですね。後巻にしても、兵力では管領様のほうが圧倒的に上です」

「ああ。そうだ。だが、この戦に反発している者も多い。それこそ、さっきの旧高国派の勢力が伊丹殿や三宅殿に加担する可能性もある」

「どっちに転んでも戦いが大きくなることに変わりはないわ」

 塩川家が落ちて、それで終わりならば問題はない。塩川家の者たちには申し訳ないとは思うが。けれど、それで終わるほど浅い問題ではない。これは、両細川家の乱の延長であり、あの大乱に関わったすべての家に降りかかる火の粉なのである。

 京の近辺を中心に、どこに戦いが飛び火してもおかしくはないということだ。

「幕府としても、動きを考えておく必要ありか」

「そうね。まず、考えられる動きとしては、伊丹家か三宅家から訴えが来ると思うわ。管領様の行為が不当なものであるってね」

「ふむ、するとそこで上手く話を纏められればこの戦いを最小限の被害で収められるかもしれないわけか」

「かなり難しいけど、そういうことになるかな」

 孝高は頷いた。

 とはいえ、それは如何に晴元を説得できるかという点に関わってくる。あの男の面子にも影響を与えかねないことなので、そう簡単にはいかないだろう。いや、どちらかといえば、説得して兵を退かせるのはもはや不可能と言っていい。

 晴元ではなく娘のほうなら常識的なヤツなので、まだ話もできるのだが、こればかりはどうにもならない。

「最終的に判断を下すのは父上だが……大丈夫か」

 室内に重苦しい沈黙の帳が下りた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 それからおよそ一月が経った。

 戦は小競り合いに終始したまま動かない。

 厭戦気分が戦場に否応なく漂う中、ついに伊丹・三宅両家が動いた。

 この二家だけでは、どうあっても三好長慶や三好政長には歯が立たない。篭城兵と挟み撃ちにしても同じである。

 そこで、まずは幕府に晴元の不当性を訴え出たのである。

 どのような判断をするのかと、俺も注目していたのだが、結局、父上は判断すらしなかった。訴え自体を取り上げなかったのである。

 晴元の軍事力は将軍家であっても如何ともしがたい。それが分かっているから晴元の行動に口出しできない。合理的な政治的判断である。

 そうなることは分かっていたけれど、予想外なのはそこに木沢長政がいたことだ。

「ほぼ、君の言ったとおりになったな」

 孝高と碁を打ちながら話す。

 あの時から、彼女とは時折こうして話をする仲になっていた。

「ちょっと考えれば分かることよ。ところで、あの千歯扱きとかいう農具を考案したのが若様ってほんと?」

「ああ、そうだ」

 俺は白い碁石を置く。

「そう来るか……じゃあ、ここで」

 パチパチと碁石を置く音が響く。

「木沢殿が出てくることは分かってたか?」

「む。まあ、木沢殿の弟が、伊丹家に婿養子になっていたから。でも、本人が出てくるとはね」

「君でも想定外だったわけか」

「違うわ。あの時は塩川家に視点を置いて見てたから」

「戦は大局的に見ないといけないんじゃないのか」

「むむむ」

 口元を引き結ぶ孝高は、

「はい」

 パチ、と碁石を置いた。

「待った」

「待ったなし」

 視線が交差する。

 にやりと得意げに笑う孝高。

「戦は大局的に見ないとね」

「ぐぬぬ」

 現在通算十二戦一勝九敗一引き分け。ちなみに引き分けは勝負を決める前に時間がなくなった時である。

 孝高はこういった頭脳戦ではとことん容赦ないからな。

「参りました」

「うん! じゃあ、農具の話……」

「の前に木沢殿の話をしよう」

 孝高の言葉を遮るように言葉をかぶせた。

「えー、まあいいけど。木沢殿が出てきたことで、戦は動くよ」

「彼の軍事力を背景に、力押しができるか」

「そう。伊丹家と三宅家だけではどうにもならなかった兵数も、木沢殿が出てきたことで解決される。なんといっても今の彼は河内の北半国守護代であり、大和国の守護に近い立ち位置にいる。その気になれば畠山だけでなく、大和全域に号令をかけることができる」 

 そうなのだ。

 木沢長政が様々なところで好き勝手な行動が取れるのは、その背景に強大な軍事力があるからだ。

 長政は河内国の北半分を治める総州家の家臣でありながら晴元に接近し山城国内に城を持ち、大和国にまで勢力を広げている。

 もはやその力は大名と言っても過言ではなく、主である畠山在氏は傀儡状態にあると言える。

「木沢勢が援軍となれば、一庫城の攻囲は解くしかない。となれば、戦は仕切り直し。管領様も黙っていないでしょうね」

「管領対旧高国派の構図から管領対木沢の構図に変わるわけか」

「将軍家が乗るなら今」

「管領対旧高国派のままではこちら側にいる旧高国派がどう動くか分からないが、敵が木沢殿となれば話は別。木沢殿には悪いが、悪人になってもらうのが畿内の安定のためだな」

 討つべき敵が変わることで、政権内に漂っていた不安も落ち着くだろう。

 将軍家には、誰を天下の敵とするか定める権利がある。

 晴元も父上を利用するだろうが、木沢長政には天下の敵となってもらうことにしよう。


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