義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第二十話

 伊賀仁木家と筒井家の合同による笠置城攻略は失敗に終わった。

 仁木義政率いる伊賀者たちの活躍で、城方は城内に火を放たれて混乱したものの、筒井家による攻城作戦が失敗し、さらに木沢長政本隊が大和国内を伺ったことによって筒井家が領地へ引き返すことになったのである。

 この戦いで得られたものは特になく、無駄に人命が損なわれただけ。

 そのように世間は見ただろう。

 実際のところはどうであろうか。

 木沢家からすれば、柳生を初めとする大和国人衆と筒井家側の国人衆の選別ができたという意味では収穫だっただろう。少なくとも、これで敵味方ははっきりした。この戦いで味方についた柳生家などは、筒井家に領内を侵されたのだから、大きな恨みを抱いていることだろう。

 管領家からすれば、時間を稼ぐことができたと言える。なんにしても、強大な木沢長政を相対するのに準備はしなければならない。長政を討伐するという意思を天下に示したことで、新たな賛同者を集める時間を確保した。

 そして、将軍家。

 柳生家と簀川家に御内書を手渡すことができた。返答は行動次第とあるが、その後こちらに就くことを内々に知らせる密書が届いたことで、木沢方からこの二つの家を寝返らせることができた。現在の彼らは獅子身中の虫である。

「よく帰ってきてくれたな、義政。万事滞りなく進めてくれたおかげで、優位に立てた」

「はい」

 義政が無事帰ってきてくれた。

 俺の命令どおりに、任務をこなし、命を保っていてくれた。 

「若様。あの、一つご報告することが」

「ん、なんだ?」

「先ほど申し上げた、わたしの命の恩人なのですが、実は剣術に大分入れ込んでいるようでして」

「そうなのか」

 義政の命の恩人なる剣士は相当な剣の達人だという。

 柳生宗厳という剣士、後で確認したらこれもなかなかの達人だそうだが、これと打ち合い、首を獲るまでには至らなかったものの、圧倒したという。これは、その恩人が後で自己申告したもので正確ではないが、無傷で笠置城から帰ってきたことが、恐るべき剣の使い手だということを証明している。

「武者修行の旅でもしていたのか」

「そのようです。笠置城に侵入したのも、柳生殿と仕合をするためだとかで、元は越前の辺りから流れてきたのだと申しておりました」

「越前。朝倉か……」

 有力大名だけども、いまいち信用できない朝倉家。

 織田信長に滅ぼされたということと腰が重いということの二点しか、特に印象がない。金ヶ崎の退き口が一番輝いていた戦いか。それ以外の活躍は記憶にない。

 六角、浅井、朝倉は、俺の知る日本史では織田信長をよいしょするための踏み台でしかなかった。

「若様?」

「ああ、なんでもない。それで、その剣士がどうしたんだ?」

 思考が旅立ってしまったのを、義政に不審がられた。すぐに、話を戻す。

「はい。それで、義藤様に師を斡旋して貰えないかということなのですが」

「なるほど。だけど、師と言ってもな」

 俺は腕を組んで考えた。

 それくらいならと思ったが、この世界は本当に人間を辞めたような武将がいる。そういったレベルの剣士であれば、紹介した師が返り討ちにされかねない。そして、そのレベルの剣士といえば卜伝先生となるのだが、あの人は今どこをほっつき歩いているのかまったく分からない。上泉信綱という武将も凄腕と評判だが、上野国の長野家から出ようとしないらしい。北条家からの圧力が日々高まる中で、長野家随一の兵法家を遠くに行かせるわけにもいかないだろう。

「じゃあ、俺が直接会おうか」

「よろしいのですか? そのようなどこのものとも分からぬ輩とお会いしても」

「お前の命の恩人だろう。ならば、俺からも感謝の意を伝えないと。それに、凄腕の剣士なら、俺も興味がある」

 そう言うと、義政は複雑そうな顔をする。それから、すぐに連れてくると言って、一旦部屋を辞した。

 

 それから半刻ほどが経った。

 義政が連れてきたのは、小柄な少女だったことにまず驚いた。

 癖のある黒髪を肩の辺りまで伸ばし、瞳は大きく、顔立ちは幼さを残している。身長は義政以上光秀以下と言ったところか。それにしても、驚くべきは空気が違うということだろう。自然なのだ。目の前にいる彼女の周りは、空気がゆっくりと流れている。

 なるほど、これは強い。

 多少なりとも剣術に打ち込んできたから分かる。

「君が、義政の命を救ってくれたと聞いている。彼女の主として、改めて礼を言わせてくれ。ありがとう」

「いえいえ、あたしはただそこにいた敵を斬っただけですんで……もぐあ」

 後ろに控えていた義政が血相を変えて少女の口を塞いだ。

「も、申し訳ありません。若様。少々、口の利き方がよろしくない者でして」

 愛想笑いを浮かべて、義政は少女に耳打ちする。

「言葉遣いだけはしっかりしてくださいって言ったじゃないですか!」

「ですますはしましたが?」

「言い方がダメなんですよ!」

 ひそひそと、そんな感じのことを言っている。

「ああ、まあ、そう気にするなよ義政。ここは別に公の場ではないし、楽にしてくれればいい」

「で、ですが……」

「最低限のことはできているだろう。地方によっては言葉も変わるという。一日二日で言葉遣いをどうするというのは難しいだろう。それに、このままでは話も進まんからな」

「はい、分かりました」

 不承不承という感じで、義政は少女から身を離した。

 少女は正座をし直して、俺に向き直った。

「聞いての通りだ。ここは堅苦しい場ではないからな、話し方は自由にしてくれて構わない。まず、君の名を聞かせて欲しい」

「はい、それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます。あたしは、小次郎と言います。姓はないので、巌流と名乗ってます」

 その名を聞いた俺の心境は如何なるものであったか、正直分からない。混乱、していたとは思う。また、同時に納得もしていただろう。 

 巌流小次郎。またの名を佐々木小次郎。平成の世では知らぬ者のいない剣士の一人であり、宮本武蔵との巌流島の戦いは映画に本にと多くの媒体で取り上げられていた。

 義政の言によれば、この小次郎の実力もずば抜けているという。

「どうしたんで?」

「あ、ああ。すまない、少し考え事をしていた。それで、君の目的は剣術の師を見つけることだと聞いたけれど、相違ないかな?」

「そうですねえ。そんな感じです」

「そうか。とはいえ、君に教えられるほどの剣士となると、かなり数がなあ……。伊勢の北畠とかは、剣客に顔が広いというけどな……」

 佐々木小次郎に剣術を教えられるやつはいるのだろうか。卜伝先生よりも有名な剣士だぞ。

「なんであれば、お願いが」

 悩んでいると、小次郎がおもむろに口を開いた。

「なんだ」

「あたしと仕合をしてもらえませんかね?」

「うん?」

 何を言ってんですかね?

 

 

 

 □

 

 

 

 義政が連れてきた超一流の剣士と仕合をすることになってしまった。

 真剣はあまりに危険なので、もちろん木刀で行う。乗馬の練習も行える広場であれば、長柄の取り回しすらも余裕である。互いに得物が日本刀なので、十分すぎる広さがある。

 義政が本気で泣きそうな顔をして謝ってきたり、騒ぎを聞きつけた光秀が飛んできたり、面白がった孝高が囃し立てたりとあったが、仕合をするという事実が変わることはなかった。

「義藤様。お怪我だけは、しないでくださいね」

「ありがとう光秀」

 光秀から木刀を受け取って、俺は小次郎の前に出る。小次郎は、すでに木刀を持っている。彼女の大太刀に合わせて、俺の木刀よりも長い仕様だ。

「なんで、いきなり俺と仕合なんて言い出したんだ?」

「んー? 勘?」

 こてん、と首を傾ける小次郎。

「そうかい。理由はないか」

 彼女は、感覚の世界で生きているらしい。人というよりも、野生動物に近い感性なのだろう。

 まあ、いい。正直に言って、珍しく心が震えているのだ。

 性別の違いはもうどうでもいい。あの佐々木小次郎と剣を交わす機会を得たというだけで、最高ではないか。

 強いやつと戦いたいというのは、上昇志向のある者なら誰でも持つ本能的なものだ。

 自分の技を磨き、強敵を乗り越えることが、喜びである。

 自分が武芸者だなんて大きなことは言えないが、それでも佐々木小次郎という名剣士を相手に勝負する希少な機会を無駄にするわけにはいかない。

 俺は、正眼の構え。柄を握りつつ、程よく力を抜く。一方の小次郎は構えない。長すぎる木刀の切っ先は、地面スレスレで、小次郎の呼吸を反映するかのようにわずかに上下している。

「構えないのか」

「そうですね。あまり意識したことはねえです」

 それはまた、大したものだ。

 これほどの長さの木刀を片手で振るうのは相当な筋力が必要だ。なのに、彼女は実に軽々と木刀を持っている。

 見た目によらず、筋力が図抜けているのかもしれない。

「では、いくぞ」

「ん」

 俺は正眼のまま、一歩を踏み出した。

 小次郎の体勢からでは、太刀を振り上げることでしか俺を攻撃できない。いかに向こうのリーチが長くとも、速さではこちらが優位にある。

「ッ」

 驚異的だったのは、その太刀の速さ。信じがたい速度の逆袈裟切りを、俺は半歩下がることでやり過ごした。

 それから、さらに三合。小次郎が斬りかかり、俺が受けた。右に左に無駄なく太刀が踊る。

 ガッ、と鍔迫りあったところで、思い切り相手を押し退けて距離を取った。

「むう、攻めきれませんね」

「お互い様だ」

 冷や汗が流れる。

 小次郎の剣の真価は速さにある。重さはそれほどでもない。だが、速さは別格だ。受け止めたとしても、すぐに別の角度から剣閃が放たれる。それこそ、滑るように攻撃を繰り返し、防御もまたこちらの攻撃を受けとめず、受け流す。つねに流動的に太刀を動かし、力を流すことで、次の動きに自然と繋がるようにしているのだ。

 視線を交わし、同時に踏み出す。

 リーチと速度で勝る相手。激しい剣戟の応酬は、俺が攻めきれず、後退して様子を窺うという展開が続いた。

 今までにない強敵。

 なによりも、容赦がないのがいい。

 卜伝先生以外は、俺よりも弱いか、それとも俺に気を使って全力で打ち込んでこない連中ばかり。藤孝や光秀くらいのような気心の知れた相手くらいしかまとも剣術の仕合ができなかった。義政は技の方向性が違うので、より実戦的ではあるが、剣術というよりも相手を如何に倒すのかという勝負になった。

 そういったことを考えれば、同格かそれ以上の小次郎との仕合は楽しい。表情にこそ出さないが、心は浮かれている。

「ふッ」

 呼気を吐き出し、小次郎の剣にこちらの剣をぶつける。

 それによって僅かにぶれた剣先にもぐりこむようにするも、そこまでだ。もはや長柄武器とも見える長大な木刀は、慣性や遠心力といった常識を無視して切り返される。俺は再び剣の範囲外に逃れるしかなかった。

 彼女にとって、攻撃の重さなど意味がない。

 人の身体は脆い。

 鎧の隙間に一太刀入れば、それだけで死に至る。

 ならば、重さなどいらない。力もいらない。小次郎のように、只管に速い剣で肉を斬る。人を絶命させるのに、骨まで断つ必要はなく、血管さえ切ってしまえばいい。そんな思想を突き詰めた殺人剣が小次郎の剣なのだ。

「精神修養とかそういうの度外視してるな」

「最初の先生には、邪道って言われましたねえ」

「ふん。まあ、見る人からすればそうだろうな」

 軽口を叩きながらも剣を交わす。

 何合打ち合っただろうか。

 無言のまま木刀を打ち合う。かわしてもダメ、逸らしてもダメ。踏み込みに一歩が足りない。リーチが同じなら、俺が勝っているだろうに、二尺の差を零にできないでいる。

 ひゅん、と俺の頬を切先が掠めた。それに気を取られると、切り返しに襲われる。だから、下がらねばならず、こちらが意を決して詰め寄ると、向こうは軽く後方に下がる。

 暖簾に腕押しというようで、なかなか上手いように隙が作れない。

「これじゃ、キリがないですねぇ」

 その通り。

 俺は攻めきれないが小次郎の攻撃を見切りつつある。速いだけの攻撃は重さがないため鎧がない箇所を狙うしかない。癖がついているのか、今でも小次郎は、攻めに転じたとき、ほぼ必ず首か手首を中心に斬りつけてくる。

 受けるも逸らすも、最初に比べれば容易になりつつある。

 それでも、長さと速度が相変わらず厄介で、踏み込めないのである。一歩足りなかったのが、半歩足りないというところまで進んだ。ならば、残りの半歩を踏み出せれば勝てる。

「降参か?」

「まさか、まだまだやれます。ですが、どうにも勝てる気もしませんねえ」

 言いながら、感情を読み取れない無表情さの中で、小次郎は口の端を上げた。笑った、のだろうか。

 そして、右手で持っていた木刀の柄に左手を添えた。

 両手持ちだ。

 構えがなかった小次郎が始めて構えを取ったのだ。

 それは、太刀の切先を真上に上げ、身体を半身にするというもの。八双の構えにも似ている。本来は乱戦に際して使用する構えだというが、これは。

「行きます」

 ト、と軽い足音で、小次郎は俺の目の前まで迫る。疾風のように速く、影のように静か。

 そして、悟った。

 あの構えは、乱戦を重視しているわけではなく、両手持ちからの最速と、上段による振り下ろしを加えるというコンセプトでありながらも上段ほどの稼動範囲を必要としない。つまりは、最小最速の上段斬り。馬鹿みたいではあるが、小次郎の速度と技ならば、それが可能だ。

 速さは単純に倍。

 それでも、反応できなくはない。懐に入られたが、身体を逸らして袈裟切りとなる斬撃を避けた――――瞬間、怖気が走った。

「――――虎切」

 小次郎が捻じ曲がったように見えるのは、その身体が急速に捻られているからか。

 振り下ろしが最速ならば、切り返しもまた最速でなければならない。この技が、彼女の戦術を極限まで煮詰めたような剣術ならば、当然にそれは念頭に置くべきことだった。

「おおおおおおおおおおッ」

 俺は、崩れた体勢のまま全力で後方に跳んだ。体勢を整えている間はない。袈裟切りを避けた姿勢をそのまま利用するのだ。

 果たして、広場には呆然と目を見開く小次郎と荒く息を吐く俺の姿があった。

「避けた?」

「辛うじてな」

 焦りに焦ったが、肩口に切先が触れただけ。これなら当たり判定にはならない。

「目茶苦茶速い斬撃の二段構え。振り下ろしは囮で、体勢を崩した相手を下から狙うのが実ってところか」

「むむぅ」

 避けられたことが悔しいのか、小次郎は唇を噛んで眉根を寄せる。

「なら、またやればいいんで、気にしねえです」

 小次郎は斬りかかってくる。俺は右に左に斬りかかってくる木刀を受け止めながら、隙を探す。

 連続切りの中で、小次郎の目が変わった。

 二割り増しの速度の逆袈裟切り。本命はその直後、こちらが迎撃できないほどの早さでの袈裟切りに相違ない。

「虎切」

 それが小次郎の秘剣。

 その極意は最速の返し。

 今回は、さっきとは逆で、下から上の順で放たれた。

 小次郎の技は、常に流れを意識している。

 無駄な流れを省き、直前の動きを次の動きに繋げることで速度を維持している。だから、通常の剣は円を描くような軌道となる。

 ただし、この秘剣のときだけは、直角の軌跡を描く。

 それは、彼女の身体にも大きな負担となっているに違いない。

 ならば、対処のしようはある。

 首を目掛けて墜ちてくる木刀は、ギロチンのよう。

 だが、その軽さは羽毛を思わせる。

 ふわり、と俺は小次郎の太刀筋に木刀を添える。切先を斜め下に向けて、鍔の近くで受け止める。

 勢いに任せた小次郎の太刀は、そのまま流れるように下に向かう。勢いに対抗せず、こちらから圧すこともせず、ベクトルだけを変えて逃がす。それだけで、小次郎の太刀はするり、と下に向かって落ちていく。

「ッ」

 小次郎は大きな目を見開いて驚愕し、俺はさらに一歩を踏み出した。

 肩でぶつかり、小柄な小次郎を突き飛ばす。

 通常ならば受け流せたところだが、今は得意技を破られた直後。さらに、彼女自身が前進していた。

 そして、尻餅をついた小次郎の首筋に木刀を当てた。

「俺の勝ち」

「うい。あたしの負けですね」

 こくん、と頷いて小次郎はあっさりと負けを認めた。

 

 

 

 ギリギリの戦いというのはまさにこのことだ。

 小次郎と俺との戦いは、天の采配によるところも大きかっただろう。小次郎のソレは天賦の才だ。間違いない。この小次郎と真剣で戦って死ななかった柳生宗厳もきっとかなりの実力者なのだろう。

 聞けば、自ら先陣を切って筒井家に突撃し、一振りで三人の首を刎ねたという。

 宗厳とも何れ会ってみたいものだ。

「お疲れ様です。義藤様」

「ああ、すまないな、光秀」

 駆け寄ってきた光秀に木刀を渡す。

「すばらしい立会いでした。小次郎殿もお疲れ様でした」

 光秀は小次郎を労いながら、彼女の木刀を受け取った。

「世の中の剣術って、こんな感じなの?」

「この方たちだけですから、このお二人を基準にしないほうがいいかと」

「だよねえ」

 孝高と義政が話している。

「孝高。お前もやってみるか、剣術?」

「え、今のを見せられてやると言えるわけないじゃん」

「そうか。碁を教えてもらっているし、剣術くらい教えてやらんでもないと思ったんだけどな」

 そう言ったのだが、孝高は首を横に振るばかり。

 しかし、そこで服がくいくいと引っ張られた。

「ん?」

 振り向いてみれば小次郎が、何を考えているのか分からない無表情でこっちを見ている。

「弟子」

「あん?」

 小次郎が何か言った。

「弟子入りしたいんですが」

「弟子? 俺は取らんぞ、そんなのは。ほとんど互角だったんだ。お前に教えることはないじゃないか」

「でも、負けました。弟子でなくとも、傍に置いてくれれば、自分で学びます」

「傍に置いてって言われてもな」

 俺は困ったように頭を掻いた。

 確かに、小次郎の実力の高さは折紙つきだ。仕えてくれるというのであれば、越したことはない。

「俸禄とかそういうのもあるしな」

「高望みしねえです。正直、土地を持っても管理できんので」

 それは、学んで欲しいな。だが、この時代は行政能力以上に戦での槍働きが重視される風潮があるのは事実だ。さすがに、京の近辺では公家の影響もあって識字率は高いが、地方では重臣クラスでも読み書きできない場合もあったという。

「ちょっとお待ちください」

 義政がそこに割り込んできた。

「小次郎さん。土地の管理とかはまず脇に置いて、若様の傍にいて何ができるんですか? 剣術だけじゃなくて、お仕事という面もあるんですよ?」

「そうですね。うーん、用心棒とか? 義ちゃん、次の将軍様なんですよね?」

「ああ、その予定だけど。ってか義ちゃん」

 始めて呼ばれた。光秀と義政は目を見開いて固まっている。孝高は、無表情。ああ、これは必死に笑いを堪えているな。間違いない。

「小次郎さん! な、なんて呼び方をッ! 恐れ多い。こ、この上ない!」

 引きつるような叫びを上げながら、義政は小次郎の肩を揺さぶった。

「えー、でも公の場でなければ楽にしていいんですよね?」

 と、言いながらこっちを見てくる。小次郎は、ボケボケしながら要点はしっかりと押さえているようだ。

「そうだな。確かにそう言った。言った以上は、認めるしかないな」

「だそうです」

「若様ぁ!」

 実は、慣れ慣れしく話しかけてくれることが少し嬉しかったりする。

 公の場だと侮られることもあるのでまずいが、小次郎に政治的意図はまったくなく感性のままにそう呼んでいるだけだ。まあ、これが演技だったら俺の目が節穴ということだろう。なによりも、あの巌流の小次郎を名乗り、確かな実力を見せ付けた者を手放すほうが惜しい。

「じゃあ、まずは俺専門の用心棒ということでいいか。報酬は土地よりも銭でか」

 コクン、と小次郎は頷いた。

 これで、小次郎との契約が成立したことになる。

 後ろからため息が聞こえてくる。

「義藤様。またですか……」

 小次郎を見つつ、光秀は呆れたという表情である。

「昨日の今日とは言いませんが、さすがに時を置かなすぎなのでは?」

「こうなると思ったんですけど」

 つれてきた義政も萎縮したようにそう言って、こちらを見る。

「いーじゃん、凄腕が加わったんだから。でも、突出しすぎる力は扱いにくいのよねェ」

 孝高は歓迎の雰囲気。すでに頭の中では小次郎をどのように使うのか計算が始まっているに違いない。

「動いたので、小腹が空きましたね」

 話の流れを断ち切ってこちらを見つめてくる小次郎。

 どうにも、俺の周囲は一層賑やかになってしまったらしい。

 

 

 


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