義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第二十三話

 黒田孝高は播磨国の国人、小寺政職に仕える家老、黒田職隆の娘である。父は、姫路城の城代を任されるほどの器量で、娘である孝高は歳若いながらもその父を越える軍才に恵まれている。

 その孝高は、本来であれば姫路城にて父の補佐をしているべきなのであろうが、運命の悪戯か、将軍家で軍配者の真似事をしている。

 孝高は自分の能力に疑念を抱いたことはなく、この力で大事を為そうと言う夢を持っていた。主が息子を手放したくないと我侭を言って、幕府への出仕を拒んだときに、身代わりを申し出たのも、京の情勢に興味を抱いていたからである。

 表向きは、主の息子は病気がちで国許から出て働くなどとてもできない。家老の娘が代わりに出仕するということで手を打ち、孝高は念願の京での生活を手に入れた。

 もっとも、期待していたほど京は華やかでもなければ文化的でもなかった。一時よりはましになったのだろうが、それでも荒廃は隠しきれない。力ない将軍家。我が物顔の管領家。権力争いに耽る国人たち。どれも、地元で見てきたものと大して変わらない。貴重な書物が読めることと、人脈を築けることくらいしか、得られるものはなかった。

 だが、今は違う。

 自分の力を、大いに活用している実感がある。

 この数月の間、頭を使い、策を練ってきた。孝高は、大きな仕事を成し遂げようとしている。

 幕府の復権。

 彼女を引き抜いた義藤が掲げる目標であり、そのための第一歩。

 幕府が抱える問題は、直轄地が異常なまでに少ないこと。権力を失った幕府は、権威を利用されるために存在するようなもの。それが、権力を取り戻すには、それ相応の武力が必要だ。幸いにして、将軍家は正当性の塊のようなものである。その影に在る危険性は無視できないが、それでも、戦をする分にはやりやすい。

 義藤の進む先には、あまりにも多くの壁がある。

 その下で働くのは、相当に大変だ。

「ま、あたしにはどうでもいいことだけどねー」

 興味があるのは、幕府ではなく義藤の頭、思考性。意図して常識的に振舞っているようだが、本質的に『違う』と感じる。将軍家に生まれたから――――違う。武士だから――――違う。義藤は、孝高だけでなく、光秀や義政などとも異なる土台に立脚した思考をすることがままある。

 何かある、とただの勘ではあるが思うのだ。

「面白い」

 この戦、なんとしても勝たねばならない。

 義藤がこの先飛躍するために、そして、孝高が表舞台で力を振るうために、なんとしてでも自由にやれる土台は作っておきたいのである。

「本当に面白くなってきた」

 孝高は目的地を見上げる。

 山の上に立つ飯盛山城。複数の郭が連なる形で、規模が大きく頑強。だが、それは準備が整った上での篭城ができた場合である。今は、飯盛山城は完全に奇襲を受けている。城兵は少なく、守るには足りない。城の広大さと山城という地形を利用したことで何とか凌いでいるに過ぎない。

 大軍を投入したとしても、門に手をかけることができるのは先頭だけ。ならば、その一点に関して言えば千も一万も変わらない。

「黒田様!」

「何? 門は開いた?」

 前線から兵が駆けて来る。

「いえ、申し訳ありませぬ。敵の勢い、聊か以上に凄まじく、門の上から矢と石を降り注がせておりまする。寄せ手も臆して近づけず……」

「んなことは分かってたでしょ。無理して門に当たる必要はないよ。まずは門を守る兵を射落としてからゆるゆると事に当たって」

「はッ」

 そのとき、孝高の耳を大きな音が打ち抜いた。雷のような轟音に、思わず身体を小さくする。

 それが立て続けに五回も続いた。

「やってるね、光秀」

 鉄砲という武器がどれほどのものか、孝高はよく知らない。義藤が入れ込み、光秀が集中運用しているということしか分かっていない。なにせ、未だに実戦で使われたことのない武器だ。信頼性には劣る。話に聞くだけでも、付け入る弱点はすぐに思いついた。

 だが、この音は凄まじい。直接向けられていないこちらの兵にも動揺が広がっている。

「我が策なれり! この音は我等を利するものであって敵を利するものではない! 怖気づいた城兵をガツンと叩きのめしなさい!」

 鉄砲という未知の武器に対して、敵がどのように行動するのかは分からないが、この音を聞く限り、それだけでも相当の示威効果がある。

 よって、光秀の隊が鉄砲を使ったこの瞬間に、孝高は策を切り替える。「ゆるゆる」と事を運ぶのではなく、「閃電」の如く門を砕く。孝高の指示が前線に届く頃には、敵は本格的に戦力を二分していることだろう。

 

 

 

 □

 

 

 

 

 鉄砲――――火縄銃とも呼ばれるそれを、光秀は部隊に五十挺配備していた。特別の訓練を施した者たちで構成される専門部隊である。

 光秀は、まだそれほど大きな土地を持っているわけではない。五十人を常時鉄砲隊として組織することも光秀単独でできることではなく、幕府からの支援を取り付けているからこその所業である。いずれ、自分が大きな所領を手に入れた際に、本格的に家臣として取り立てるということにしている。

 現在、光秀の隊の役割は遊軍である。

 槍と弓を掲げて山道を登り、虎口に攻め入っては押し返されるということを繰り返す味方を横目に、敵の弱所を確実に「狙撃」するのが仕事だ。

 故に、明智隊は山道ではなく木々の間を抜ける。攻め入るのが目的ではない。虎口の隣にはそこを守るための南郭がある。そこに、外から鉛玉を打ち込んで、大いに士気を低下させることが最初の狙い。

 光秀たちが道を外れたことに気付いた守備兵が弓を構える。それに先んじて、光秀が鉄砲の引き金を引いた。

 雷鳴が鳴り響き、敵兵の頭が吹き飛んだ。

 百発百中。当てることが非常に難しい鉄砲も、光秀に掛かれば手足のようなものだ。弾丸が込められた鉄砲は構える必要がない分だけ弓に対して優位に立てる。

「一番、撃ちかけろ!」

 光秀の指示で、まず五つの銃口が火を噴いた。

 鉛玉は南郭の木壁を軽く貫通して内部の兵を殺傷する。鉄砲の威力は木の板では絶対に軽減しない。弓矢ならば防げても、これは防げない。鎧を着た敵兵を壁ごと撃ち抜けるのである。

 光秀の鉄砲隊は陣形を作らない。鉄砲は集中運用するべきだ、という基本方針は義藤と共有しているものの、山城を攻めている際に、集中的に運用するのは難しい。今の状況では、個別に敵を狙い定め狙撃するのが望ましい。

 二百五十人の兵は槍と弓で鉄砲部隊を援護する。単発式の鉄砲の最大の隙は、弾込めのときだ。その隙を埋めるため、弓矢による援護をさせるのである。

 戦場における鉄砲の威力は凄まじい。

 単純に鎧を貫けるということに加えて、あまりにも大きな音。未知の武器に対して、城兵はどうすることもできず、そうしている間にも鉄砲が撃ち掛けられる。結果、城門の守りは手薄になり、赤井勢の突破を許してしまったのである。

「赤井幸家、一番乗りじゃ! 者共、この顔、この槍、この兜。よくよく見て覚えておるのじゃ!」

 あれは、確か赤井直正の弟だったか。勇猛で策略家の兄に似て、大きな身体で敵を薙ぎ払いつつも、しっかりと戦況を見ている。

「一時、隊を下げます。功名心に囚われて勝手な行動をしないよう」

 光秀は部隊を下げさせる。まずは弾込めをしっかりとし、味方部隊の乱入に巻き込まれて不用意な発砲を強いられることがないようにしなければ。

「南郭にも義政殿が乱入しましたか。これで、ここは制圧したも同然」

 ここは、飯盛山城の南端。南北に長い飯盛山城の入口に過ぎない。だが、別に最北端まで行かなければならないわけではない。

 千畳敷郭と呼ばれる本丸は、中央にあり、南郭を攻略した今、目と鼻の先にある。

 準備が終わったのを確認して、光秀は指示を出す。

「そろそろ進みますよ。この次にあるのが本丸です」

 一旦城門が破られてしまえば、もはや抵抗などあってないようなもの。

 もとより多勢に無勢であったのが、鉄砲という未知によって生まれた隙から瓦解してしまった。

 虎口が破られた後、孝高率いる本隊が馬場郭を突破。本丸を挟み込むように軍を進めた。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 

 迅速果敢な戦闘の結果、瞬く間に城は落ちた。

 

 城主畠山在氏は虎口が破られた際に、本丸を捨て、北側の郭に逃れようとしたところを、反対側からやってきた孝高の部隊と遭遇、瞬く間に押し包まれて惨殺された。

 俺は惨劇の舞台となった場所を見る。名門畠山の血を吸った土が赤黒く変色している。

 畠山在氏に従った者たちは、皆最期の奮戦の後に首を刎ねられている。

 彼らの死の要因を作ったのは、間違いなく俺である。そう思うと、のっぺりとした黒いモノが、心の奥底に沈みこむような気持ちになる。

 人死を見るのは、初めてではない。首もそう。この世界に生きていれば、否応なく死に関わることになる。

 普通、こういった場面では泣くなり吐くなりするのだろう。だが、戦国時代の武家に生まれ、これまでずっと戦とはそういうものだと教え込まれ、時に肌で感じることもあったためか、知らずのうちに、血に慣れてしまっていたようだ。嫌悪感を感じながらも淡々と、自分の指示の結果を見つめることができた。

 それは、俯瞰的な感覚であった。

 自分が為したことを、高みから眺めているような感じだ。

 

「義藤様……」

「光秀か」

 背後に光秀が立っていた。

「鉄砲はどうだった?」

「山中での取り回しの良さと、壁を撃ち抜く威力は驚嘆すべきことかと。非常に大きな音が出るので、威圧効果も高いと思います。少なくとも、鉄砲がどのようなものか、知らぬ者にとっては音だけでも脅威でしょう」

「なるほど。よくやってくれた」

 光秀は知らぬ者にはと言ったが、おそらく鉄砲が普及した後でも十分に音による示威効果はあるはずだ。音が鳴れば、誰か死ぬ。そうと分かっていて、前に進むのは容易いことではない。 

 今回の山城攻めに於いて、鉄砲の取り回しのよさと壁を貫ける威力、そして、轟音による萎縮効果を確認できた。

「今の段階で、確実に運用できるのは五十挺。野戦ではまだまだだが、城攻めにはむしろちょうどいいか」

「はい。敵方の城兵に撃ち掛けるのであれば、これほど優れた武器もありません。矢に比べて修練は必要なく、確実に敵を討ち取れます」

 矢は修練を始めてから敵を射抜くまでが大変なのだ。鎧を貫くだけの威力を出すのは、それだけの筋力が必要だし、相手に当てるには長期の修練を必要とする。鉄砲は、その点、引き金さえ引けば威力は保証される。狙ったところに当てられるかどうかは別の問題としても、とにかく敵軍の中に撃ち込めば誰かが死ぬのだ。効率面では非常によい。

 山城ならば、狙撃がしやすい。弓兵で意識を逸らしている間に木陰から狙うという手も使えるかもしれない。

 俺が光秀からの報告を聞いているとき、義政が慌てた様子で駆けてきた。

「若様!」

「どうした、義政」

「管領様が山麓まで、一軍を率いていらっしゃいました! 使者を立てられておりますが?」

「使者。ふうん、誰だ?」

「三好長慶様です」

 三好長慶か。それは、また大物を送り込んできたものだ。

「いいだろう。通してくれ」

「はい」

 

 

 

 

 飯盛山城で最も高い位置にあるのは高櫓郭である。今回の戦闘の主戦場となった千畳敷郭は未だに血と屍で溢れているため、綺麗なこの郭で長慶を迎え入れた。

「お初にお目にかかります。三好長慶と申します」

 長慶は、俺と歳の近い女性だ。黒い艶やかな髪を、肩口で切り揃え、仰々しい戦装束に身を包んでいる。決して野卑ではない。華のような淑やかさに加えて、屹然とした強さを併せ持っている。向かい合ってみて、そのように思った。

「会えて嬉しく思う。三好長慶と言えば、畿内でも指折りの戦上手と聞いている。此度の戦でも、管領殿の軍勢の中で特に華々しい活躍をしたそうだね」

「は、ありがたきお言葉」

 長慶は頭を下げ、平伏する。

「それで、三好殿。何か、管領殿から言伝でもあるのかな?」

「はい。我が主より義藤様に、書状を持って参りました」

「書状か……」

 長慶が懐から取り出した一通の書状。

 手渡されたそれを見ると、何故、出陣したのか尋ねているものだった。特に、この戦は管領家と木沢家の間でのことで、将軍家とは関わりのないことだ、という内容の批判めいたことが書いてある。

 つまり、自分の戦に他人が口出しするなということだろう。それを遠まわしに言っているのだ。

「これを、管領殿が書いたのか?」

「いえ、わたくしどもで認めました。とても、わたしの口から申し上げられるものではありませぬゆえ」

「なるほど」

 俺は晴元からすれば主筋に当たり、長慶からしても目上の存在だ。その俺に向かって問責するような真似ができるはずもない。下手を打てば、長慶は俺に討たれてもおかしくはないわけで、そのリスクを軽減するために、晴元の言葉を書状に書き留め、自分の口からは伝えないと言う形をとったのだろう。

 俺は書状を、光秀たちにも渡した。

 反応は様々であるが、概ね憤慨した様子だ。俺自身は特になんとも思わなかったのだが、彼らがそういった感情を抱いてくれることが嬉しかった。

「無礼な」

 あからさまに怒りの表情を浮かべるのは光秀だった。

「まあまあ、こう言ってくるのは分かってたことじゃん。目くじら立てない、みっちゃん」

「誰がみっちゃんですか!」

 孝高が光秀をからかう。

「あんまり真面目が行き過ぎると息苦しくなっちゃうってぇ。それに、今は管領様方の無礼を問うような場合じゃない」

 孝高を変え、長慶を見て、次に昭元を見る。

 昭元は顔を青くして小さくなっていた。

「こちらの対応次第では、この城に攻めかかってくるかもしれないってことだよね」

「……それは、わたしにはなんとも。ですが、御公儀に剣を向けるなど愚行もいいところ。主とて、それは理解しておられることと思います」

「できれば、ないと返事して欲しいところだけどね」

 管領軍との戦か。

 数はほぼ互角。管領軍もこちらも度重なる戦で体力を消耗している。城を拠点とすることができるこちらが有利とはいえ、兵糧のことなども考えると長期戦は不可能。ならば、数を頼みに打って出るべきか。

 いや、落ち着け。城を攻め取ったことで好戦的になっているようだ。ここは冷静に、話し合いをするべきだろう。

 俺が思案していると、昭元がこちらに身体を向けて頭を下げる。

「申し訳ありません。お父様の非礼をお詫びします。もしも、お父様が攻め寄せてくるようなことがあれば、わたしがなんとしてでも説き伏せますので!」

「そういう問題じゃないよ」

 そこに口を挟んだのは孝高だった。

「もしも管領様が兵を動かせば、あなたはこちら側にとって人質になる立場なの。向こうとしてもあなたの身柄を確保したいと思うでしょうし、あなたを城の外に出すわけにはいかなくなるわ」

 冷たい口調で、孝高は言いきった。

 孝高が言うことは尤もだが、人質というのは俺の感覚にそぐわない。あまりいい言葉ではない。そう思う一方で、孝高の言葉の妥当性も分かるのが嫌なところだ。

「孝高。あまり、苛めてやるな。俺は管領殿と刃を交えるつもりはないし、向こうも今の俺たちと戦っても利益はない。それに、昭元がこちらにいるうちは手出しできんのだろう?」

「うん、まあ、向こうが娘の命はどうでもいいと思っていなければだけど」

 辛らつな孝高の言葉に昭元が身体を震わせる。

 もしも、晴元が兵を飯盛山城に向ければ、昭元は命を絶たれてもおかしくはなくなる。千五百の兵がそのまま敵方につけば内側からこの城は崩壊するからだ。それこそ、信貴山城や二上山城が内側から崩壊したように。

「今は争うべきときではない。お互いに削り合うのよくないだろう」

 俺には晴元と戦って得られるものがない。とにかく、今回の戦で三つの城を落としたのだ。これ以上に必要なものなど、今のところはない。

「三好殿。まず、俺たちの答えを言おう。俺が出陣したのは、木沢長政が父上の意向に従わず、さらには京へ兵を向けたことに対してだ。管領殿はまた別の理由から兵を挙げられたようだがな。何れにせよ、父上に仇為す賊を息子である俺が討つことになんの疑いがあるか。また、我等が信貴山城と二上山城を押さえたことで、木沢方に大きな動揺を与え、そちらの勝利にも貢献したはず。文句を言われる筋合いはない」

 それが、この戦いにおける俺たちの正当性。

 長慶は特に反論することもなかった。

「は、仰せのことはいちいちごもっともでございます」

「ふむ。まあ、君も今のを直接伝えるのは辛いだろう。――――光秀」

「はい」

「今のを書状に認め、三好殿にお渡ししてくれ」

「承知仕りました」

 俺の家臣で最も字が上手い光秀に代筆を頼む。

「ああ、それともう一つ」

 俺は光秀に書き添えることを追加する。

「はい」

「此度の戦において昭元殿の活躍が目覚しかったので、二上山城を与えることとした。また、彼女を逸早くこちらに就けた管領殿のご慧眼に感服した……まあ、こんなことを加えておいてくれ」

 ここに集ったすべての将が、呆然と俺を見た。

「え、は、えぇ!?」

 昭元は素っ頓狂な声を出して、驚いている。

「別におかしくはないだろう。彼女は我が軍に逸早く参加を表明したのだ。その功には報いねばならんだろう」

「あ、あの義藤様!」

「なんだ、昭元。言っておくが、これは決定だぞ」

 羨ましそうな視線を昭元に送る者もいれば、気に入らないとばかりにムスッとする者もいる。反応は様々だった。

「三好殿。そういうわけだ。光秀から書状を受け取り次第、管領殿の下に戻ってくれ」

「はい、承知いたしました」

 長慶は再び頭を下げて平伏した。

 

 

 それから、二刻ほどして、晴元の軍は飯盛山麓から去り、東高野街道を山城国へ向かって進んでいった。

 戦は終わり、木沢長政の十年に渡る勢力拡大に終止符が打たれた。

 晴元の軍勢が引き上げる様子を、俺は俯瞰していた。無数の蟻の群れが、ぞろぞろと移動しているようにも見える。

「やるわね、若様」

「突然どうした。孝高」

「昭元殿のことよ。二上山城を任せるってところ」

「ああ、それか」

 落としどころというのは大切だ。晴元にとって、俺たちを攻撃することはそもそも、相応の危険を伴う行為だが、現在の将軍家の状況からすれば、叩き潰せないこともない。俺の身柄を押さえられればよし、事故で死んでしまったとしても、義栄や会ったことのない妹が担ぎ上げられるだろ。

 そういうリスクは確かにあった。これ以上の戦に利を見出せないのだから、交渉によって退けるのがベストな選択なのである。

「ま、この戦いで晴元は何も手に入れられなかったかな。要所要所俺たちが押さえたから。一つくらいはくれてやってもいいだろうとな」

 あくまでもそれは晴元個人が得をするだけで、彼の下に集った諸将には恩賞が入るわけではない。銭や官職などで対応するのだろう。俺も、内藤家や赤井家などにはそうしなければならない。

「この後は?」

「論功行賞をしないといけない。まあ、大内家や大友家からの結構な献金があったし、なんとかなるだろ」

 土地に関しては、どう使うのか決めているのだ。

 

 

 

 □

 

 

 

 木沢長政が滅んでから一月ほどが経った。戦いの末、将軍家は新たな所領を獲得することに成功。特に、短期間で三つの城を落とした奇跡的な攻撃が話題を呼んだ……らしい。これに関しては状況が味方をしてくれたとしか言いようがない。

 そして、各々の戦功を鑑みて、論功行賞を行う。当然、そこには幕府の意向が大きく関わってくる。

「義政」

「はい」

「功第一と言ったな。お前には、飯盛山城と北河内の守護を与える。守護については父上から承諾を得ている」

「え……」

 また、呆然とする義政。

「長政と在氏が討たれたことで、畠山総州家は瓦解した。北河内は混乱に陥るかもしれん。だが、お前の伊賀者たちを使えば、不穏な動きをすぐに察知できるだろう。そういう点でも、お前には期待をしている」

「は、はい! ありがたき幸せ! この義政、ご期待にお応えすべく粉骨砕身、職務に励みます!」

 義政は頬を紅潮させて、力強く頷いた。

 俺の直臣を守護に付けたことで、将軍家自体の力が大きく底上げされる。今の河内国は南側こそ畠山尾州家牛耳っているものの、それは遊佐氏を中心とした専横状態だ。そして、北河内は守護が俺たちに討伐されたことに加えて、多くの有力者が木沢方だったことで没落してしまい、権力の空白状態が生じている。放って置けば尾州家が攻め込むはずなので、今のうちに幅広い策敵能力を持つ義政を守護につけることで有事に素早く対応したい。

 それに、仁木家の義政ならば、守護になるのに問題のない家格だということもある。これで義政は伊賀国と北河内国の二国の守護になったということである。

「次に光秀。……光秀には信貴山城と大和国平群郡を与える。信貴山城は二上山城と共に交通の要衝。お前の能力で大いに盛り立てて欲しい」

「ありがとうございます!」

 大和国平群郡は信貴山城の麓に位置する。そこを治めていたのは、島氏であるが、土地柄信貴山城の影響を受けずにはいられず、木沢方に組して没落した。

 主がいなくなった信貴山城と幕府に敵対した平群郡をそのまま飲み込んでしまおうという腹である。

 今までずっと苦労をかけてきた二人の働きに多少は報いることができているだろうか。

 

 

 二上山城には昭元がすでに入っている。

 彼女は、俺側なのか晴元側なのかはっきりししないこともあって俺が影響力を発揮できる範囲の外周部に送ったわけだ。

 仮に彼女がこちら側だったとすれば、光秀の信貴山城と昭元の二上山城、そして義政の飯盛山城で大和国と河内国の国境をがっちりと固めたことになる。また、飯盛山のすぐ西側には河内十七箇所と榎並荘があり、そこには細川藤孝がいる。つまり、義政が飯盛山城に入った時点で、北河内の大部分が自動的にこちら側に属することになるのである。そして、守護という役職を与えたことで、北河内のその他の地域に派兵することも可能となった。藤孝が攝津の一部と河内国十七箇所を領し、義政が大和国国境付近の飯盛山城に座す。すると、北河内でこの二つの勢力に属さない可能性があるのは、その間だけということになる。大半の有力国人が木沢方に立って没落した以上それほど大きな反乱はないはずだが、もしもあったとしても挟み撃ちができるのである。

 こうして、将軍家の北河内支配の布石が整った。

 

 


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