将軍は確かに日本最大の権力の保持者であるが、この戦国時代では武士政権の象徴的な役割に甘んじていた。それが、僅かに崩れかけたのが木沢長政を将軍家の力で討伐したことである。もちろん、直接木沢軍と戦ったのは細川晴元率いる管領軍である。しかし、その背後で将軍家直々に動いた軍が三つの城を短時間で陥れるという快挙を成し遂げたことで、晴元の活躍が薄まり、将軍家への注目が高まった。この戦い、実は晴元は将軍の命を受けて軍を発したということになっているのである。
それがまた、晴元には気に入らないことなのだ。
「将軍家は、我等管領家がいなければお一人で立つこともできぬ家。幕政は細川家が司るのが当然である」
などと豪語していただけに、義輝の行動は想定外であり、その結果が相対的に管領家の威光を貶めているというのが甚だ不愉快であった。
もとより、今の政権は磐石には程遠い。
旧管領の細川高国を追い落とし、自らの味方を配置して固めていた地盤であるが、その中に二心を持たない輩がいないかというとそうではないし、力で抑圧する晴元のやり方を気に入らないという連中も多い。
それだけならば、まだどうとでもなったのである。
戦争には、大義名分がいる。領地争いならばともかく、晴元に対抗するにはそれ相応の大義を用意しなければならない。将軍に次ぐ権力者である晴元を追い落とすとなれば、晴元と同格の相手を担ぎ上げる必要がある。
それが、この世界の原則だ。
血を絶やしても、勝者が軽々しく後釜に座ることは許されない。
大義のない戦も殺戮も許されないというのが、荒れ果てた戦国時代にあって武将たち、とりわけ国主並の武将が共通して認識している常識であったしその大義を与えてくれるのが将軍であり管領なのだから、管領に戦を仕掛けるということ自体が、ありえない発想ではあるのだ。
現に、応仁の乱以降、細川京兆家の敵は同格の細川家だけであった。
各地の武将が領土を巡って争っている中で、細川家だけは管領という立場を巡って争ってきたのである。
実に五十年。
それほどの時間を、細川家は権力争いに費やした。
そして、争いの火種は、晴元という勝者を決定した後も消えることなく燻っていた。
細川氏綱。
細川高国の養子であり跡継ぎである。なるほど、確かに旧管領の家を正式に継ぐことが許されている氏綱であれば、晴元と同格の家柄となり管領になることも不可能ではない。
晴元打倒を掲げた氏綱の挙兵は、その血筋だけでなく実父と養父を殺された仇討ちという大義名分もあって、庶民の関心を買っているのである。
それだけでなく、晴元の権力が目に見えて低下しているというのも大きな問題になっていた。
氏綱一人が挙兵しただけならば、晴元が兵力を集中することで軽く叩き潰せる。だが、将軍家が急速に力を取り戻しつつある中で、管領の力は衰えたと虚言が流布するようになっているのだ。おそらくは敵の草によるものだろうが、これが存外効果を発揮している。
それまで力で押さえつけていた諸侯の中から、氏綱に接近する者が続発したのである。
戦乱は、和泉国内だけに止まらなくなった。
丹波国に波及し、山城国内にも敵軍が入り込んだ。もはや、晴元も余裕を見せている場合ではなくなったのである。
「かくなる上は、ワシが徹底的に叩き潰してくれるわ!」
激怒した晴元は諸国に触れを出し、氏綱派の諸侯を殲滅する構えを見せた。
まずは足元を固めなければならない。
山城国内の敵勢力を掃討する必要がある。槇島に陣取る上野元治を叩き潰し、次いでその息子、上野元全を始末する。
幸いなことに、細川氏綱本隊は三好長慶たちによって打撃を受けておりすぐに勢力を盛り返すことはできそうにない。
今の内に氏綱派を減らしておくべきであろう。
そうして集った兵は、およそ七千といったところであろうか。当初は一万近い軍勢を予定していたのだが、北河内の仁木義政は南河内への備えが必要と言って拒否してきた上、大和勢も各国人の利害関係から呼びかけに応じる者が少なかった。ここで、将軍から御内書でも書いてもらえていたら話は別だったのだろうが、それでは将軍家の威光がますます強まるばかりで管領家としては面白くない。
集った兵は山城国、摂津国、播磨国、丹波国、近江国などからの寄せ集めである。その内最大兵力は南近江国から参じてくれた六角の手勢である。
六角家は、最近まで北近江国の京極家の楯として活躍する浅井家に苦しめられて北近江国を攻めきれていなかった。ここに晴元が介入し、一応の和議を取り付けたのであるから、六角家としてはその礼の意味も込めての派兵である。
しかし、四千の兵のうち、一千は将軍護衛という名目で晴元の指揮下を離れ、将軍義輝の下に就いている。権力争いで将軍の身柄は非常に重要で、将軍を味方につけているか否かで正当性を主張できるか否かが分かれるものだ。そのため、氏綱は将軍の身柄を狙ってくるだろうとは予想できる。それでも、六角家が将軍護衛に愛娘である義賢を寄越したというのが癪に障る。
「ヤツめ。まさか、将軍と娶わせる気ではあるまいな……」
中央の政治に一定の距離をおいてきた六角家は、それによって勢力争いに深入りせずに応仁の乱以降を乗り切ってきた。
しかし、それが一転して将軍家に取り入ろうとするならば、大きな問題だ。
晴元にとって、将軍家と六角家の繋がりが強まることは決してよいことではないのである。かといって、そこに介入するわけにもいかない。両者共に、晴元にとっては必要不可欠の存在であるからだ。
もちろん、六角家の正統な跡取りを将軍家に輿入れさせてしまえば、その時点で六角家が滅びることになる。そのため、そういった展開にはならないのは確実である。が、しかし、子どもを授かるだけならば、その限りではない。もしも、六角の狙いが種だけであるのなら、六角家の次代を将軍家の血を継ぐ者にするという手もある。
そして、そうなると、六角家は今以上に将軍家に近付くことになる。場合によっては、将軍を輩出することも可能になる。
ましてや、今の将軍家は急速に力を強めつつある。六角家との繋がりが今以上に強くなるのは好ましくないのである。
「定頼め、何を考えているか分からんが、そうそううまくことは運ばんぞ」
先に動かれるくらいなら、こちらから手を出しておいたほうがいい。幸い、管領家の跡取りも女であり、将軍と年齢も近い。将軍と面識もあり、母に似て、容貌も教養も文句ない。他勢力に先んじて、手を打っておくというのも、戦略としては有りだろう。
「まあ、まずは氏綱に味方する者を始末してからであるか」
それから一刻ほどしてから、晴元は、当初の予定通り山城国内の反乱分子を掃討するために、進軍を開始したのであった。
今、山城国内の反乱分子は、かなり深いところまで入り込んでいる。井出城の落城の後、時を置かず槇島にまで上野軍が進むことがで来たのは、彼らに宇治田原の在野勢力が組しているからである。よって、晴元は軍勢を南進させて、三好政長の淀城に入った。
「政長。兵はどの程度準備できておるか?」
「我が手勢は五百ほど。城の守りを考えますと、三百ほどが戦力となりましょうか」
さすがに、六角家のような大名が送り込める兵力には見劣りするところはある。が、政長は一族にも兵力を裂いているので、総計すれば、数倍といったところになる。
晴元は、政長に伴われて櫓に登った。
この当時、京の中心よりやや南側には巨椋池という池が広がっていた。ここは、池とは名ばかりで、その面積はとてつもなく大きく、湖と言うべき広大さである。
この巨椋池は京の中でも特に低い土地に形成されており、琵琶湖から流れ出る宇治川が流れ込み、下流は桂川と木津川との合流地点が重なっている。平安京と平城京との境目に位置していることもあり、水運に於いて重要な役割りを果たしていた。
晴元が入城した淀城は、この巨椋池のすぐ近くに築かれた城郭なのである。
「あれが、敵城の槇島城にございます」
政長が対岸を指差した。
「やはり湖上に建つ城か。ちと面倒か」
「攻め入るのであれば、この池を迂回し、対岸から攻め寄せねばなりませぬが、槇島は孤島に築かれし城郭故、手間取りましょう」
晴元側から見れば、対岸に築かれた城のようにも見えなくはないが、槇島城は、その名の通り島に築かれた城郭なのである。
「こういった手合いは周囲から落としていくのが得策かと。まずは、上野勢に組する在野勢力を駆逐すべきでしょう」
「具体的には、どこを攻める?」
晴元が尋ねると、政長は地図を広げた。
「現在、敵の手に落ちているのは槇島城以南の一帯。寺田、井出、宇治田原でございます。また、井出には敵主力上野元全が篭っており、これらの連絡を担っているようでございます。その一方で、寺田と宇治田原には僅かな手勢しかおらず、守りも手薄。この二箇所を制圧すれば、井出と槇島の連絡を絶つことも可能かと」
「なるほど。政長の言、甚だもっとも」
大いに納得した晴元は、軍勢の進める先を決定した。それから、親の仇でも見るような目で槇島城を睨みつけたのだった。
□
晴元が淀城から軍を南下させていたとき、三好長慶は丹波国に向かっているところであった。
細川氏綱の挙兵は畿内に動揺を齎し、当初の想定を越える形で燃え上がってしまっていた。
「事は氏綱殿を討ち果たすまで収まりません。管領様が、それだけ憎まれているということでしょう」
「久秀、あまり滅多なことを言うな」
長慶は久秀の的を射た発言を慎ませた。
晴元の政治が貧弱なのは傍から見ればよく分かる。まず、彼は信頼されていない。裏切りと利用を重ねてきた晴元のやり方に、多くの諸将が疑心暗鬼に囚われているからだ。塩川家を攻めたと思えば、同盟して木沢長政を攻め亡ぼしたように、同じような手法で今後も敵を作っては亡ぼしていくに違いない、と。
「内藤殿が激発されたのも、それが原因でしょうね」
内藤国貞はもともと高国派の武将だ。「国」の字も高国からの与えられたものである。かつては晴元に寝返り、高国に叛旗を翻したものの、塩川家の扱いを見れば今後に不安を抱えてもおかしくはない。さらに、晴元の寵臣である三好政長に攻められたりもしている。晴元に対する憤りは少なからずあったろう。
今、激発した国貞は、一軍を率いて関の山城に篭って、波多野家を攻め立てているという。
「わたしたちの手勢だけでは、内藤殿には勝てないが……」
「重要なのは三好長慶が駆けつけるということです。それだけでも、敵軍を押し留め、時間をかせぐことはできるでしょう。もう二、三日もすれば一存殿や義賢殿も到着するでしょうし、城攻めはそれからでも遅くありません」
長慶にとって、十河一存は弟、三好義賢は妹に当たる。
幼くして十河家を継いだ一存は武勇に秀で、明朗快活な性格、義賢は阿波国守護の細川持隆に仕え、四国における三好家の地盤形成に大いに役立っている。
四国への動乱の広がりは三好家の地盤を揺るがすことにも繋がるので、長慶は四国の三好一党にも招集をかけていたのである。
内藤国貞を威圧するように、長慶は進軍した。
迂闊に波多野家に攻め寄せれば、その後背を突くということを匂わせるのである。敢えて、自らの存在を曝しているのもそういった意味がある。
長慶の手勢は少なかったが、それでも内藤家が掻き集めた兵力とは均衡する。そこに波多野家を守る兵力を加算すれば、野戦で正面から戦っても敗北はない。
「厄介なのは、一点に兵力を集中させることができなかったことだが、それも六角殿のおかげでなんとかなったか」
今回の氏綱挙兵の厄介なところは、各地で諸将が激発したことである。氏綱だけであれば、彼を蹴散らした時点で勝敗が決していたのだが、彼に呼応する者が丹波を中心に現れたことで、晴元を圧迫した。
上野勢が山城国内にまで入り込んだことで、晴元はそちらに兵力を注がねばならなくなったが、その隙を突いて内藤勢が波多野家に襲い掛かった。おそらく、ここになんらかの密約が交わされていたのだろう。
晴元は兵力を分散せざるを得なかった。しかし、それでも晴元の地力の方が圧倒的に上だったというところだろうか。
長慶は、一応国貞が波多野家から一時的にとはいえ手を引き、世木城に入ったのを確認してから天幕に戻った。
「この後、アレを攻め落とさねばならないと思うと気が遠くなるな」
「世木城は要害ですから。この数では囲んだとしてもさほど効果を上げることができないでしょう。迂闊に攻めればこちらも手痛い被害を被ることになりますね」
国貞が篭る城は、中々強固だ。
「だが、それも八木城ほどではない。一存たちが来れば、なんとかなるだろう」
国貞にとっても、長慶の素早い来援は予想外だっただろう。
長慶は晴元勢の中でも中核を担う将である。これが、早々に晴元を離れて丹波に現れるとは思っていなかったのだから、慌てふためくのも仕方ない。長慶の実際の戦力が千五百少々であっても、その武名を恐れて野戦ではなく篭城戦を選択したのである。これが、彼の運の尽きであろうか。少なくとも、現在、内藤家に従っているのは、その近隣の領主たちだけである。波多野家だけならばまだしも、長慶が現れたからには赤井家などとも協力関係を築いていなければ勝ち目はない。そして、久秀の調査の結果、赤井家は内藤家に組する動きはない。
長慶が現れたことで、内藤家の丹波国内での立場も怪しくなっている。領主たちの心証が悪くなれば、ますます形勢は長慶に利する形になる。
波多野家から使者が来たのはその晩のことである。
「此度のご支援、真にありがとう存じます」
当主と同じ波多野の姓を持つ使者が口上を述べた。初老の男性武将であったが、彼もまた戦場で戦ったのか、頬に横一文字の刀傷が走っていた。
長慶はそんな彼を労い、疲労に効く薬湯を与えた。
「よくぞ、戦い抜いてくださいました。御当主様はご無事でしょうか?」
「はい。おかげさまで危難が去りまして、安堵しているところにございます」
「それはよかった。ですが、危難が去ったと油断するにはまだ早いでしょう。敵は和睦するでもなく、抵抗の意思を示しております」
いまだ、国貞から態度を明確にする使者は来ていない。しかし、城に篭っている様子を見れば、和睦も降伏もなく戦うつもりだというのは分かる。
「もっとも、それも時間の問題です。数日後には、更なる援軍が到着しますので、一息にあの城を攻め落としてしまいましょう」
「おお、真に力強いお言葉。我が主も、さぞ勇気付けられることでしょう」
時を置けば氏綱は再起することだろう。そうなった際に、できるだけ反乱分子の力をそぎ落としておかなければならない。内藤国貞があくまでも氏綱に組するのであれば、今潰す。
それが、今の長慶に求められている役目である。
□
現在、摂津国、和泉国、丹波国、山城国の四カ国で反晴元の気運が高まっている。
将軍職に就く俺にとっても、これは見過ごせる話ではなく、情報をひたすら集める日々が続いていた。
まず、第一に必要なのは自分の立場を明確化することである。氏綱の目的は、十中八九晴元を排して、自分が管領に就任することである。
俺は晴元か氏綱かどちらかを支持しなくてはならない。
そのため、俺は早急に晴元を支持するという立場を表明した。これで、晴元に正当性を与え、新たに氏綱に呼応する者が現れるのを抑制する効果を期待している。
晴元ではなく氏綱を味方につけるべきでは、とも思われたが、それは良策ではないのだ。
氏綱を管領にした場合、それは晴元を打ち倒すだけの力を氏綱が得たということであり、その際に俺が氏綱の手綱を握れるかと言うと怪しいと言わざるを得ない。
力を増した氏綱に天秤は一気に傾いていくだろう。氏綱を傀儡にするだけの自力が、将軍家にはまだない。それならば、地盤がガタガタの晴元の方が、表面上の友好関係を築いているということもあってまだ組みしやすい。氏綱よりも一世代上かつ、次代が気心の知れている昭元ということもあり、氏綱を支援する理由がない。
それに、下克上を軽々しく将軍が認めてやるわけにもいかない。これは、半ば意地である。
そして、晴元支持を明確にした後は、氏綱方の切り崩しに入る。
この動きを積極的に支援したのは、三好長慶であった。戦を有利に進めるために、彼女は将軍の力を利用しようと考えたらしい。
俺から内藤家と彼らに組する諸将に帰参を呼びかける書状を出して欲しいということで孝高と相談していた。
「で、結局国貞は長慶との和睦に応じたか?」
書状を出してしばらく経つが、未だに、各地の兵乱は収まっていない。俺は、気がかりな丹波の情勢を孝高に尋ねた。
「どうにも、うまくことが運ばないみたいだね。まあ、国貞も覚悟はしていたんだと思うけどさ」
孝高は、遂に国貞を呼び捨てた。
それはつまり、孝高の中で彼を敵と見なしたということである。
木沢長政の乱のときに、丹波から一軍を率いてやってきてくれた内藤国貞も、細川家の内乱の中で、将軍家とも決別する道を選んでしまったらしい。
国貞からの返書には、氏綱に呼応した理由が認めてあった。
・内藤家はもとより細川高国に仕えていた。
・それを理由に晴元から不当な扱いを受けている。これでは家運は細くなる一方である。
・これは晴元に対する陳情のようなもので、将軍家に対して弓を引いたわけではない。
最後を礼と謝罪の言葉で締めており、徹底抗戦の構えを崩すことはないという。
「説得が通じないのなら、攻め落としてもらうしかない。長慶に、大義を与えよう。逆賊として、内藤家を処断するべきだよ」
と、孝高は厳しい口調で言ってきた。
「救う手立ては、ないのか?」
かつて、共に戦場に出た仲間でもある。少なくとも、俺はそう認識している。関わった時間は僅かでも、内藤国貞という好々爺然とした武将に俺は好感を抱いていた。その人を殺せと命じなければならないのか。
「表立って助けるというわけにはいかないよ。もう、あの人は将軍家の面子を潰してる。許したら、それこそ弱腰に見られて付け入られる隙になる」
孝高は、表情のない顔でこちらを見つめてくる。
幼さの残る容貌に信じがたいほどの好奇心の塊という彼女は、一見して子どもに見える。しかし、その一方で軍師としての才覚は目覚しいものがある。
政治を動かし、軍を指揮して敵を討ち、計略を仕掛けて内応を引き出す。冷徹にして非情な判断を、瞬時に下せる恐ろしい一面が、彼女にはあるのだ。
「それが、必要か……」
赤の他人ならば、悩む必要もなかった。俺は、見ず知らずの人に対してまで同情できるほど人間ができていないから。だが、それが顔見知りともなれば、さすがに気が滅入るというものだ。
「将軍だからね、殿下は」
言葉を交わしたことのある者にすら、場合によっては死を命じなければならない。それが、統治者に求められる能力なのだろうか。
少なくとも、将軍たる俺には、逃れようのない役目だ。
「だあああああああああああっ!」
堪らず、頭を掻き毟った。
忌々しいことこの上ない。どうして、挙兵などしたのだ。まったく、大人しくしてくれていれば、このようなことにならなかったのに。
「長慶に書状だ。内藤国貞の篭る城を落とせってな」
吐き捨てるように言い放つ。
内藤国貞は面識があるだけでなく、かつて俺が仲介して命を救ったことがある。しかし彼は、今回の挙兵で将軍家からの仲介を拒否した。恩を仇で返した形になり、これを放置すれば将軍家の威信に傷がついてしまう。氏綱の挙兵で動揺した畿内で、将軍家が揺らぐのは避けねばならない事態だった。
「本当に、いいんだね?」
「二度は言わん」
「ん、分かった。じゃあ、すぐに認めるから」
そう言って、孝高は部屋を出て行った。
孝高が出て行ってから、俺はその場に寝転がって天井を見上げた。どっと疲れが出たような気がする。
「お疲れですかね?」
そんな俺の顔を覗きこむ、大きな瞳。
「小次郎……物音なく近付くなよ」
「んー? その辺、意識してないですんで」
無意識に足音を消すというのは、さすがだ。とはいえ、忍び寄られたほうは堪ったものではない。
起き上がって、文机の上を整理する。特に重要な資料もないのだが、眠気があるわけでもなく、手持ち無沙汰になっているから、片付けるだけ片付けようと思ったまでだ。
「ところで、何か用でも?」
筆を文箱に仕舞い、小次郎がいたほうを向く。
そして、小次郎が存外近くにいたので、驚いてしまった。
「だから、気配を消すなと」
小次郎は、俺の着物を掴んでくっ付いてきた。
「お、おい……」
小次郎の体温を感じる。当たってはいけないものの感触まではっきり分かってしまうので、戸惑わずにはいられない。それだけ、小次郎のものが立派だということだ。
「義ちゃん。殺したくないんですか?」
「なんだよ、いきなり」
「さっき、話してたのです。敵でも殺すのは嫌なんですかね?」
敵は殺すのが当たり前。無論、そこには慈悲もあろうし、敵を賞賛することもあろう。情けをかけるのは、相手にとって恥だという風潮すらある。
「それでも、人死は少ないほうがいい」
「そうですか」
それから小次郎は、何も言わずに俺の膝の上に倒れこみ、猫のように丸くなった。
「何がしたいんだよ」
呆れつつ、その頭をくしゃくしゃにしてやる。
小次郎は俺の手を握り、その動きを止めて見上げてくる。
「なんていうか、義ちゃんは武士に向いてねえですね」
「正直過ぎるだろ」
図星ではあるが、曲がりなりにも将軍に言うことではない。まあ、それが小次郎らしさではあるのだが、外では勘弁ねがいたいものだ。小次郎自身、外で口を開くことはほとんどないので、心配することもないと思うが、藤英辺りが聞きとがめたらまた暴れだすぞ。
「将軍辞めて、下野するって手も、あるんじぇねえですか?」
「はあ?」
とんでもないことを言い出した。
将軍を辞める。確かに、そうして寺にでも入れば、人を殺す必要もないし、俗世の責任からも逃れることができる。
「ありえないな。それは……」
ここで責任を放棄したら、それこそ歴史に名を残す愚将になってしまう。相応の混乱も起きるだろう。とにかく、かっこ悪いので、それだけはできない。
「ダセエだろ。逃げたりしたらさ」
小次郎は何を思ったのか、相変わらずの無表情で口を開く。
「なら、頑張んなきゃですね」
「そうだな」
そう言って、小次郎の頭を撫でる。小次郎は目を瞑って、猫が甘えるように身じろぎした。
京兆家を手元に置きながら実権を確保する裏技がさりげなく語られた回でした。