畠山稙長が病に倒れて死亡した影響は、非常に大きなモノとなった。
まず、彼の支援を受けて兵を興していた細川氏綱は、これによって戦力を維持できなくなり完全な撤退へと踏み切らざるを得なかった。また、南河内国内も、稙長の遺した遺言によって混乱が生じており、葬儀もきちんと行えない有様だったという。
どのような意図があって、家督を能登畠山家に継がせようとしたのか、真偽は分からない。だが、結局稙長の意に沿う家督継承は認められず、晴元の干渉によって畠山四郎という人物が当主の座に座った。
能登畠山家の血筋に当主の座を与えるのはもってのほか。しかし、だからと言って幕府の意のままに操られる傀儡政権など、重臣、とりわけ遊佐長教が認めるはずがなかった。
「今の御屋形様は幕府の言いなり。このままでは畠山家そのものが消えてなくなるやもしれぬ」
夜半、重臣の中のごく一部の者を自分の屋敷に呼び集めた長教は、ろうそくの灯りの下で幕府と主君への苛立ちを露にする。
「木沢の一件の後、幕府の畠山家に対する扱いは徐々に悪化しておる。河内一国を治めるべきは畠山でありながら、伊賀の仁木に守護を任せるなど正気の沙汰ではない」
「今の公方様は先代に比べて管領様との対立を避けるように立ち振る舞っているご様子」
「大方、再び流浪の身となるのを恐れておいでなのでしょう。結局、幕府は管領晴元の思いのままではござらんか」
この場にいる者たちは、皆長教と志を同じくする者である。密室での謀議に参加している。それだけで、強い連帯感を得て、独自の仲間意識を育んでいた。
畠山家は、三管領の一。本来、南河内国だけに止まるべき家柄ではなく、足利家の諸流でもあるが故に、同じ足利家の流れを汲む細川家や仁木家への反発心は強い。これまで、長教を中心にして当主を傀儡と化し、思うままに実権を振るってきた彼らにとって、主家が傾くというのは非常にまずい事態なのである。
最低でも、晴元の息がかかった今の当主ではなく、自分たちが操りやすい当主に実権を移さなければならない。
「しかし、どうします。管領様や公方様の反感を買うのは必至。戦となれば、現状の当家だけでは立ち行きませんぞ」
問われた長教は、腕を組んで思案した。
当主を除き、こちらの思惑通りに新たな当主を擁立したとして、幕府と敵対する事になるのは目に見えている。
そうなれば、河内半国しか領有していない畠山家では、晴元には及ばない。
だが、戦力は集めようと思えば、いくらでも集められるのは今の畿内の情勢だ。
「再び、紀伊から傭兵を集めればよい。此度の氏綱様の挙兵で、管領様への反抗心を持つ輩の多さが目立った故、そちらに今再び声をかければよかろう」
「今まで通り、氏綱様を支援し晴元を引き摺り下ろす、ということですか」
長教は、大きく頷いた。
「これも、御家のため。氏綱様には、早々に管領に就任していただこうぞ」
そして、氏綱を背後から操れば、畠山家が幕府の実権を握ることに繋がる。
さらには、その畠山家を内部で統率するのが遊佐長教を筆頭とする遊佐派の重臣たちである。
晴元を追い落とし、氏綱を畠山家の力で管領につければ、長教たちが幕府を動かす立場になることができるのである。
「公方様をどうにかせねばなりませんな」
「現状、畠山家への助力を頼んだとして、色よい返事をいただけるとは思えぬ」
「いっそ、こちらのほうも手を打たねばならぬのでは」
「うむ。将軍家への工作も、平行して行わねばな」
謀議の後、長教は氏綱へ書状を送り、今後も反晴元派として支えていくことを確約する。そして、期を見て、畠山四郎を排除して、新たに畠山政国を擁立するという方向で意見は一致した。
□
畿内の兵乱は、稙長の死を以て一時的にではあるが終息した。
しかし、北河内国の義政が届けてくれる情報によれば、決して状況は果々しくないようで、南河内国内に兵乱の兆しが見えるとのことである。
俺は久方ぶりに父親の下に向かった。
病を得て、臥せっていた父義晴であったが、最近は身体の調子もよいとのことで布団から起き上がっていた。
「お身体の具合もよくなってきたようで、安心しました」
「なんとか、ここまでにはなったがなぁ。寄る年波には勝てぬ」
以前にも増して皺の増えた顔。
疲労の色が濃くなっているように見える。
「好からぬ輩の噂が聞こえます。なんでも、父上を氏綱方に引き入れようとしているのだとか」
「耳が早いな。如何にも、その話ならばすでに密書が届いておる。今、お前に遣いをやろうと思っておったところだ」
「やはり、ですか」
父上から渡された書状を眺めると、そこには細川氏綱が父上を御輿として担ぎ上げようとしていることが見て取れた。
要するにこれは、
「幕府に対する挑戦と受け取ってもいいわけですね」
今までの戦は「将軍は敵に回さない」というのが鉄則であった。木沢長政も、将軍に刃を向けるつもりはないと、敢えて表明して戦っていたくらいだ。だが、今回は違う。この足利義輝を廃し、新たな将軍を就任させるつもりで戦を起こすつもりなのだ。
「それで、父上の返答は?」
「すでに将軍となった実子を廃して己がその座に座ってなんとする」
「まあ、確かに」
別の系統の者が将軍職に就いているのであればまだしも、自分の子に後を継がせたのだから今更将軍職に返り咲こうという意思はないのだ。
それに、父上は将軍の職に疲れている。頼まれても、首を縦に振ることはあるまい。
「おそらくは、晴元との確執に付けこむつもりであったのだろうが」
「父上は管領殿と仲がよろしくありませんからね」
「それこそ、今更よ。こちらに就いて、晴元を討たんと欲するのであれば、近江にいるうちに書状を寄越せばよかった。今になって兵を興しても遅きに失しておるわ」
吐き捨てるように、父上は言い放った。
かつて、俺と父上が晴元に追われて近江国で生活しているうちに挙兵して、父上を担ぎ上げていれば将軍の意向を復活させるために彼らの兵を頼みとしたかもしれない。
しかし、今はもうそのような時節ではない。
将軍家の力そのものが、右肩上がりになっている現状で、その体制を揺るがそうとする者に肩入れするわけがないのである。
「父上が如何様にされるのか。それだけが気がかりでしたので」
「気をつけよ、義輝。足利の命脈は、この血筋だけではない。大和にはお前の妹もおることだしな」
「はい。心しておきます」
俺は一礼して、父上の寝所を辞した。
大和国には仏道に励んでいる妹がおり、そして阿波国には父上と将軍の位階を巡って争った足利一門がいる。
氏綱がどれだけ本気になってこちらを害そうとするか分からないものの、対立候補がいる以上は予断を許す状況ではない。
「殿下」
背後から声をかけられた。
振り返る。そこにいたのは、黒い髪を短くそろえた少女であった。
「何かあったか惟政」
和田惟政。
近江国の甲賀出身の忍である。以前は六角家に仕えており、その縁もあって将軍家に入った。
口数少なく、表情の変化も乏しい。小次郎に似ているが、小次郎が茫洋とした感じならば、惟政は硬いという雰囲気である。
「一色式部少輔様がいらっしゃいました」
「七郎か。先に通してくれ」
「承知しました」
惟政が去ろうとするところに、思い出したように声をかける。
「そうだ、惟政。一つ頼まれてくれないか」
「頼み、ですか。承知しました。何なりとお申し付けください」
まだ何も言っていないうちから、そのように安請け合いしても大丈夫なのだろうか。もっとも、彼女は以前からこうだったし、俺が頼むのも彼女の力の及ぶ範囲内のことである。
「大和に俺の妹がいるのは知っているな?」
「はい。覚慶様ですね」
「ああ。君の手勢からいくらか割いて、あの娘の護衛に回せるか?」
「問題ありません。しかし、覚慶様がいらっしゃるのは興福寺。昨今は、力が衰えているとはいえ、多数の僧兵を擁した大寺院です。そこまでされる意味が……」
そう疑問を呈した途端、惟政は息を詰まらせたように言葉を切り、頭を下げた。
「あ、あぅ、申し訳ありません。出すぎた真似を」
「いや、構わない。君の疑問ももっともだからな。あの興福寺が氏綱に就くと思っているわけでもないが、敵が妹を擁立する可能性もある」
「擁立……つまり、殿下に刃を向けると?」
「すでに父上にも敵から書状が届いている。どうやら、氏綱方にとっては、俺は扱いづらい将軍らしい」
苦笑しながら、頬を掻く。
傀儡としては使えないと判断されたのは嬉しいが、だからといってこうも簡単に廃する動きを見せるとは。
「覚慶に敵の手が回るのはいいことではないし、覚慶に敵が接触するのなら、それは氏綱をこちらから攻める大義名分が増えることでもある」
「承知しました。わたしの手の者から選りすぐりを興福寺に向かわせます」
「そうしてくれると助かる」
「殿下。阿波にいらっしゃる方は如何しますか?」
「阿波か。そちらは気にしなくてもいい」
阿波国にいるのは、足利義冬。俺の叔父に当たる人物で、その息子の足利義栄と共に将軍になり得る血筋の者だ。
晴元に擁立され、父上と争った将軍候補であったが、晴元が父上の方に寝返ったために夢は頓挫。阿波守護の細川之持の下で三〇〇〇貫の所領を得て生活している。
しかし、阿波国は晴元の影響力の強い土地だ。そこに氏綱が介入するのは難しいだろう。
「南河内の動きも義政に探らせるから、惟政は山城の近辺に引き続き目を光らせてくれればいい」
「はい、承知しました」
そして、惟政は素早くその場を去った。
義政が手元を離れて本格的に大名として活動し始めたために、俺は情報を集めるための手を失ってしまったのだが、惟政が直属となって働いてくれるようになってずいぶんと楽になった。状況は、義政が直属の家臣であった頃に戻りつつある。伊賀忍が甲賀忍になったという点が異なるが、俺にとってはそれほど大きな問題ではないし、情報の収集力も高い。
そして、俺は茶室に向かう。
「待たせたな、七郎」
「おう、殿下」
どっかと畳みの上に座っていた悪友が居住まいを正す。姿勢だけは、礼儀正しくし、ふてぶてしい笑みを浮かべている。
「相変わらずだな。元気そうで何よりだ」
「俺は何も変わらずだ。こっちには大きな戦もないからな」
「羨ましい限りだ」
「言ってくれればいつでも兵も出す。腐っても御供衆だしな」
「腐られるのは困るな。頼りにはしているんだからな」
七郎は通称。一色藤長というのが彼の名だ。一色氏式部家の当主となり、御供衆として京で活動している。
「聞いたぞ、七郎。祝言を挙げるそうだな」
「耳が早いな……まだ、話が来ただけだぞ」
「将軍の俺に話が届かんわけがないだろう」
「それもそうか」
珍しく恥ずかしげに視線を彷徨わす。意外にも堅物のこの男は、周囲に女性の影がなかっただけに、突然の祝い事に俺も驚いたものである。
「いい加減に嫁を取れと、父に叱られてしまってな。歳も歳だ。そろそろ身を固めないととは思っていたところだったからな」
「目出度いことだ。俺からも何か祝いの品を送っておこう」
「そこまで大仰なものではないんだけどな……」
湯が沸いたので、その湯で茶を入れる。
わび茶が大成されるのは、まだ時を必要とするが、その下地となる文化は存在している。俺たちがいるこの茶室は俺の知識を下に作り上げたわびさびの茶室。四畳半もない部屋は、相手と向き合うのに適している。
立てた茶を飲み、七郎は再び口を開く。
「しかし、まさか相手が輝経とはな」
「言うな。俺だって、信じられんのだ」
細川輝経は、以前宗賢と名乗っていた七郎の喧嘩仲間のような姫武将である。何かと、輝経は七郎に突っかかり、苛烈な制裁を与えていたが、どうにも照れ隠しのようなものだったらしい。
「そもそも、俺のことはどうでもいいが、殿下のことはそうも言っていられないだろう。この国の先を背負う問題だ」
「婚儀のことか?」
「それ以外に何があるよ」
確かに、将軍である俺がいつまでも妻帯しないのは示しがつかない。その上、跡継ぎの問題もある。畿内の情勢が落ち着かない以上は、なかなか婚儀の話もしにくいところではあるが、いつかはしなければならないものでもある。
「まあ、実は話は来てんだけどな」
「本当か!?」
「そりゃ、将軍だからな。話は来るさ。正室だけじゃなくて側室にどうかなんてのは茶飯事だ」
しかし、下手に手を出すとそれはそれで跡継ぎ問題が発生して面倒なのだ。
「今、候補に上がっている中で一番有力なのは、昭元なんだよな」
「……昭元って、細川のか?」
「おう。晴元がそのような申し出をしてきているようだ」
「そりゃ、おいおい。結構な重大事じゃないか」
細川昭元は、現在二条山城に入ってその一帯を治めている晴元の娘である。
容姿端麗で、学問に秀でた才女であり、管領家の跡取りということもあって武家の中では将軍家に次ぐ格式ある家柄の次期当主でもある。よって、相手としては家柄、血筋、双方共にこの上ないものである。
が、問題はそれが晴元の娘であるという点である。
これまで、将軍家に入るのは公家からと相場が決まっていた。側室であれば、武家からも多数入っているが、正室となればその格式は重要だ。しかし、晴元はどうやら正室でと打診してきているらしい。
そして、それ以上に問題となるのが、将軍家と管領家の繋がりである。管領家の跡取りが将軍家に輿入れとなれば、管領家は消滅しかねない上にもしも俺と昭元の間に子ができたら、晴元は外祖父となる。それも藤原道長のような例があるだけに、快く思わない者も一定数いる。
まあ、そういった問題は、平成風に子は親が面倒を見るという方向にすればいい。厄介なのは晴元の人気のなさである。
「晴元の足元がぐらついている時に晴元と姻戚関係は結べない。最悪、氏綱の反抗を助長することにもなりかねん。この話を検討するにしても、すべては南河内以南の騒動を治めてからになる」
「気長なことで。まあ、殿下にも目出度い話があったってのは朗報だ」
「お前はとにもかくにも輝経とのことを第一に考えていればいい。戦もすぐには起こらないだろうしな」
稙長が死して、その混乱を終息させるのに南河内の畠山家はそれなりの時を必要としている。晴元の干渉も受けていることだし、氏綱を擁立して挙兵するのは確実であっても、その準備のために大きな動きを見せることだろう。
それを見極めてからでも、こちらの動き出しが遅くなることはない。