義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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終話

 戦を終えて京に凱旋した俺たちの軍は疲労を身に帯びながらも戦勝の喜びに満ちていた。

 長年の問題であった畠山家と細川氏綱の策謀が一挙に解決に向かったことで、俺自身の悩みも大きく減じることができたわけだ。

 戦国時代の幕開けとなった応仁の乱を引き起こした家の一つである畠山家。

 足利家と共に時代を駆け抜け、幕府の重鎮として長く権力の座にあった名家が、この度の戦いで完全に地に落ちることとなったのは恐らくは後世に戦国史を飾る一大事件として語られることとなるだろう。

 畠山家が没落してから一月が経ち、畿内は新しい体制で動き始めていた。

 この戦で権力の空白地帯となった南河内国は北河内国と統合して仁木義政の所領となった。畠山家に迎合した諸勢力を討伐し、その領土を功を立てたものに分配しつつ、新たな権力体制を整える形で物事を進めていく。

 俺の生活状況も変わった。

 人生で初の妻を娶ったのだ。細川昭元は父の代から何かと因縁のあった細川晴元の娘である。俺と父上が近江国に流浪の旅に出なければならなくなった原因が彼女の父であり、そして京に戻ってこれたのは彼女の働きかけがあったからでもある。そこから俺の幕府再興が始まったことを思い返せば、彼女こそが俺にとって人生の鍵、転換点となる人物であるようにも思えてくる。

「それにしても、本当にここまでやり果せるとは思わなかったのう」

 俺の目の前で涼やかな顔立ちの男が酒を煽った。

 細身で荒事から程遠い立ち位置におり、どことなく俗世から離れて世の中を俯瞰しているような目をしたこの男こそが、俺の親戚であり朝廷への橋渡し役を担っている者――――近衛前久だった。先日、名前を改めて前久と称した彼と俺は、慈照寺、つまり銀閣寺で話をしている。

「信じてなかったのか? 心外だな」

「そりゃ、そうじゃ」

 と、前久は呆れたような顔をするではないか。

「幕府を再興する。おお、大いにすばらしい目的ではあるが、あの状況でそれが叶うとは夢にも思わんからの」

 あの状況――――即ち、将軍すらも在京することができず地方に逃亡することを余儀なくされる状態を指すのだろう。

 かつて彼に語った話は子どもの戯言であり夢物語ではあった。

 しかし、畠山家を討ち、管領家を取り込んだ今の俺は間違いなく畿内最大の勢力と武士界最高の権威と権力を誇っているわけで、そうなれば周辺の大名ですら迂闊に上洛を狙うなどということはできなくなる。

「帝も畿内の安寧を喜ばしく思っておられる」

「安寧、と言えるだけの結果を残していきたいところだ」

 治安の悪化は経済を鈍化させる。経済が鈍化すれば、貴族や皇族の収入は減っていく一方となる。京が荒れ果てた戦国の世では、最上級の貴族ですら日々の油にも事欠く始末だ。夜盗は簡単に洛中で強盗を働けるほどに、この地の政情は悪くなっていた。

「あの交番なるものも、その一端を担うものじゃろう?」

「ああ、あれ」

 つい最近になって始めた取り組みの一つが治安維持のための交番だった。

 幕府による警察組織の最末端に位置するという点で平成の交番と同じものだ。彼らは人目でそれと分かる同一の羽織を着て、治安維持のための見回りと強盗、喧嘩などの暴力的事件に真っ先に対処することを主たる任務とする。

 京を俺の手で制御する。

 そのための手足としての活躍を、俺は期待している。

「効果があれば、今後各地に広めていく予定だ。まずは、京。その次は山城国内か、義政のところでさせて見るのもいいか」

「仁木殿もお前に振り回されて哀れな娘よ」

「振り回してる自覚はある」

 義政は能力は高いし配下に優秀な人材がいるために、何かと頼っているところはあるのだ。そして義政にはそれを適切にこなしてくだけの地力があるために、さらに頼ってしまう。

「ああ、そうだ。進めていた件は近く通りそうじゃ」

 思い出したかのように前久は言う。

 こちらから依頼していたことなので、彼が何のことを言っているのかすぐに察することができた。

「やっと、近衛大将に任官できるのか」

 俺は安心したようにほっと息を吐いた。

 現在の俺の官位は残念ながら高くはない。征夷大将軍が従四位下では、周囲に示しがつかないというのは以前から内々で言われていたことではあるのだ。

 これから政治を取り仕切っていくためにも、少なくとも三位以上には上がっているべきだろうと話を進めており、父から譲り受ける形で右近衛大将に任官されようと動いていたのである。

「ああ、いや。近衛大将はよくないという話になってな」

「ん?」

 喜びも束の間。俺は不安に煽られて前久を見る。

「近衛大将は官位相当では従三位だ。だが、これまでの幕府と違い、今の幕府は畿内全域を掌握している。資金力も軍事力もこれまでとは比較にならない。そんな今を輝く将軍殿下に従三位は如何なものかと私が言ったわけだ」

「あなたが言ったのか」

「そうだ。私が言ったのだ」

 自慢でもするかのように前久は胸を張る。

「いや、実を言うと以前大内にべらぼうに高い官位を出してしまっただろう」

「まさかの従二位な。俺はいいとして、父上が大層衝撃を受けていた」

 大内義隆が将軍を差し置いて極めて高い位に昇った件は、それだけ幕府の影響力が弱まっていることを示していた。大内家の経済力と軍事力は当時、中国地方最強であり、周辺の武将たちは挙って「隆」の一字を貰いその庇護を受けようとしていた。今、九州で勢力を広げ始めた龍造寺隆信や大内家に取って代わった毛利元就の娘、毛利隆元などが挙がるだろう。

 大内家の事実上最後の当主である義隆は、歴代当主と同様に権威と正当性を重視し、幕府と朝廷との仲を深めることに躍起になっていた。その過程で、彼は異例の従二位にまで昇進することができたのだ。

 義隆の父は半世紀ほど前の細川家の内訌の際に上洛し、京の治安を回復した実績がある。管領代にも就任するほど幕政への影響力を持った人物であり、その縁は中々切れない。彼らの献金が多額であることも手伝って、幕府も容認するしかなかった。

「あの一件を、今更に持ち出す輩もおってな。結局、将軍殿下から過去の過ちを突かれては堪らぬと」

「あなたが言ったわけだ」

「さてな」

 悪い笑みを浮かべる前久。

 大内の一件を持ち出した輩というのも、彼の息のかかった人物なのだろう。

 朝廷は今この男を中心に回っているも同然だ。

 先帝は清廉潔白な人物で献金を付き返すほどだったというが、今は現実的な判断をされるお方とのことだ。さらに周囲を前久の手勢に囲まれては、流れに逆らうことなどできないだろう。

「それで、結局俺の任官はどうなるんだ?」

「それなのだが、とりあえず内大臣に都合よく空きがある。従二位じゃ。大内が滅んだ今、武士の中将軍に並ぶ位階の者はいなくなろう」

「内大臣は」

 前久の役職ではなかったか。

 言葉にする前に、目の前の男は口角を吊り上げた。

 まるで狐だな、と思った。

「私は左大臣に昇進だ」

「それは目出度い、どころの騒ぎではないな。いや、初めから分かっていたことだが」

「そうなるように生きてきた。思っていたよりも早い出世は、偏に幕府の後ろ盾があったからよ」

「むしろこちらが後ろ盾になってもらっていたんだけどな」

 近衛家は藤原氏の中でも頂点を争う家柄だ。幕府に頼らずとも、相応の位は約束されているようなものだ。とはいえ貴族の経済基盤は脆弱で幕府のような大きな傘の下にいなければ到底生き延びることができないというのはあるだろう。将軍との血縁関係はそれだけで前久の力を高める働きをしたのは事実だ。

「近く正式に内大臣の就任の報せがあろう」

「恩に着る。色々と世話をかける」

「では一つ、頼みを聞いてもらいたい」

「内容にもよる」

「そちらにとっても悪いことではないぞ。近々越後に向かうつもりじゃ」

「越後に。長尾か?」

「お察しのとおり。私と景虎殿は、ちょっとした付き合いがあってな。京のことを伝えるついでに小旅行とな」

「この時代に越後くんだりまで下向か。よほど肩入れしていると見える」

「今時珍しいほどに私利私欲のない御仁よ。幕府にとっても重要な人物じゃぞ」

「そうだろうとは思っているところだ」

 幕府の権威は、実のところ遠国ほど強くなる。それは中央政権から遠いために、より一層中央との結びつきを欲する性質があるからだろうが、それでも越後国の長尾景虎は異様なまでに体制の守護に熱心だ。弱きを助け邪悪を挫く。彼女なりの方向性を持ってはいるが戦国を制覇するという在り方にはまったく興味を示していないとのことだ。

「以前、からむしの件で長尾ともめたじゃろう。未だに引き摺っておるところがある」

「もう過ぎたことじゃないか……長尾には我慢を強いたが」

「景虎殿は悪くは思ってはおらん。むしろ、将軍の心証を悪化させてはいないだろうかと不安になっておる」

「ならば、特に悪化していないということをだな」

「幕府から直々に伝えてはもらえんか?」

「使者を出せということか。それくらいなら……関東管領か」

「察しがよい。上杉家を正式に継ぎ、関東管領の役職を見事に果たす所存ぞ」

 その辺りは歴史の通りか。

 安心した。長尾景虎は今後上杉景虎として勇躍することだろう。東の押さえとしての活躍を期待してもいいだろう。

「では、前向きに取り計らう。上杉家が幕府にとって重要な家柄ということに変わりはないからな。日取りは決まっているのか? それまでには間に合わせるぞ」

「一月かそこらじゃろうの。あまり長く見積もっても冬になれば海が荒れるという」

「海路で行くのならば、確かに冬は外すべきだな」

 日本海は冬に大荒れする。

 海路でなくとも、冬の越後は雪に閉ざされて陸の孤島となるのだ。向かうのならば夏以外にありはしない。

「時間をかけてもいられないか」

「頼むぞ。色よい返事を景虎殿も待っておるゆえ」

 俺は頷いて、了承する。

 内々の話であっても、俺の一言は鶴の一声だ。関東管領も上杉家の名跡を継ぐことも反対されずに通るだろう。おまけにその背後に近衛前久がいるとなれば、中央で反発する声は皆無と言っていいはずだ。

 慈照寺での茶会と称した密談の後で、俺は屋敷に戻る。

 京の治安改善に伴って、復興がかなり進んでいる。こちらから支援することもあるが、基本的には民間からの努力によるものだ。

 ここ数年、京が戦火に曝されることもなくなっている。俺が将軍に就任してからは一度もないのだから、それは快挙といってもいいのではないだろうか。

 慈照寺を出た俺につき従うのは護衛の小次郎と光秀、そして光秀子飼の兵たちだ。

「義輝様。もう、よろしいのですか?」

 光秀が尋ねてくる。

「ああ、今話すべきことは話したからな」

 きらり、と光る陽光が反射する。

 それはまるで地上の太陽のようでもある、というと不謹慎か。頭を丸めた小柄な男。慈照寺の坊主で前久の弟が見送りに出てきたのだ。

「陽山坊主、読経は終わったのか?」

「昼時に抜け出すくらいは御仏も目を瞑ってくれましょう。できれば兄様の奥方にもお会いしとうございましたな」

「前に会ったときも似たようなことを言っていたな」

「申しましたな。寺の今後に関わりますゆえ」

 前に慈照寺に来たときに、連れていたのは誰だったか。光秀と義政、そして孝高だっただろうか。

「細川の姫を結ばれるとは思わなかったですよ。それで世子様はいつ頃で?」

「世俗に汚れすぎているな坊主。これは兄君に相談しないといけないか」

「いやいや、仏の道を後世に伝えるために不可欠な情報ですので俗世に汚れたわけではございませんぞ」

 まだ若い彼は妙に世の中の情報を集めたがる悪癖がある。彼の言うとおり慈照寺は鹿苑寺と共に将軍家所縁の寺社の一つであり、将軍家と命運を共にするものだ――――と彼は考えている。実際には、そのようなことはなくて将軍家が潰れたとしても慈照寺は次の為政者の庇護を受けることができるだけの格を有しているのだが、それは指摘しなくてもいいだろう。

「隠し立てをする必要はないからな、機会があれば伝えるよ」

 下世話な話を坊主とするつもりはない、と一方的に会話を打ち切る。無論、相手もそれを理解して笑っているので悪感情を抱くこともあるまい。

 慈照寺を出ると日は中天に差し掛かっている頃合だった。

 移動に用いる牛車に乗り込んで、周囲を光秀の兵が固める。とりあえずは屋敷に戻り、次の活動に備えなければならない。

「戻るか。夜までは、何もなかったよな?」

 光秀に尋ねると、彼女は頷いて、

「はい。強いて言えば政務がありますが、これはいつも通りです」

「政所、どうするかね」

「ご随意に。討てと仰れば、今からでも」

 声を小さくして光秀が言う。寺を出た直後にする話としては、下の下だろう。

 政所は財政と領地の訴訟を司る重要な職である。今は政所執事を伊勢氏が世襲している状況であり、ほぼ私有化されていると言ってもいいだろう。とりわけ現執事の伊勢貞孝は幕府に対する忠義心のない人物である。

 俺の婚儀を取り計らってくれたのが伊勢氏なので、少々気後れするところもあるが――――色々と幕府財政の負担になっている面が大きいのが実状であり、半ば機能不全に陥っている政所の機能を伊勢氏から将軍家に戻すためにも流血は避け得ないというのが俺たちの結論ではあった。

 孝高の内偵は、大義名分とするには十分すぎる政所の失政を明るみに出しているのだ。

 再び俺の元で働くようになった光秀は、ここしばらくは孝高と共に政所の調査に当たっていた。彼女の重臣である斉藤利三が政所代蜷川氏の娘を母にしているからである。

「いざ攻めるとなれば、蜷川殿が手を貸してくれるとのこと。禍根は残すことなく、手早く済ませるべきでしょう」

 光秀はこう言うときは恐ろしいほどに冷徹な判断を下す。正義心の強い彼女にとっては、幕府を蚕食する伊勢貞孝のような政治家は好ましくないのだろう。

「そうだな。分かった」

 政所執事には光秀をつけるか。政所代の蜷川親世は俺とも顔見知りであり、幾度か酒を交わしたこともあるよくできた人物だ。今回の内偵も彼の手を借りることで成功したようなものである。

「三日以内に伊勢を討ち取り、政所機能を回復しろ、光秀」

「御意」

 光秀は小さく頭を垂れた。

 これも一つの大きな動きだ。政所の機能の回復――――というよりも、時代に合わせた再編というべきだろう。

 彼女は与えられた任務を正しく遂行する。一片の瑕疵もなく、優秀な頭脳が導き出す策は戦の経験の少ない伊勢貞孝では逃れることなどできず、骸を晒すことになる。これは予想ではなく決定した未来の先取りだ。

「ところで、義輝様」

「ん?」

「その時は、小次郎殿の手をお借りしてもよろしいでしょうか?」

 光秀は隣を歩く小次郎を見て言う。

「んー? あたし?」

「ええ、そうです。あなたです小次郎殿」

 牛車がゆるゆると動き出す。慈照寺からそう遠くない御所まで、ゆったりとした散歩である。

「伊勢の屋敷を囲むにしても、首を取るのならば確実を期す必要があります。不意を突くという点で彼女の存在は大いに役立ちます」

「ああ、それは分かる」

 小次郎はある意味で武の頂点を極めた女だ。剣と共に行き続ける彼女は、隣にいても気付かないほどに存在感を薄くできる。暗殺向きの恐ろしい少女である。

「えー、でも」

「小次郎。その時は光秀の指揮下に入ってくれ。ま、たまには刃を振るう機会があってもいいだろう」

 以前、ある戦では城の内部に侵入して城主の首を落とす活躍をした小次郎だ。伊勢の屋敷に手間取ることもないだろう。

 小次郎は何か言いたげな視線を向けるが、すぐに頷いてくれた。物分りのよいところも彼女の美徳だろう。基本的に、俺の言うことに逆らうという発想がない。

 御所には幕政に参加する高位の武士や俺の側近達がしばしば出入りする。出入り口の辺りで話し込んでいるのは、藤孝――――ではなく、名を改めて幽斎。そして、長慶と義政の三人だ。互いに少数の従者を連れて、往来の真ん中で話し込んでいるではないか。

 牛車を降りた俺たちに、双方頭を下げる。俺は牛車を屋敷の中に先に戻して、彼女たちに話しかけた。

「どうしたんだ、こんなところで。大人数で屯していたら往来の邪魔だろう」

「も、申し訳ありません義輝様」

 幽斎が慌てて二度目のお辞儀をする。

「殿下、わたしが幽斎殿に歌のご指導をお願いしていたのです」

 長慶が幽斎を庇うように進み出て言った。

「いや、怒ってるわけじゃない。幽斎の指導を仰ぐのも正しい判断だろう」

 幽斎は和歌の道で天才を持っている。天皇家との繋がりを和歌で持ってしまうほどだ。公家社会と渡り合うのならば、彼女の知識は必要不可欠と断言できる。

「長慶、摂津守護は何かと忙しそうだが……まだ、さすがに慣れてはいないか」

「そのような……大任を任されて身が引き締まる思いではあります。ですので、仁木殿に守護の先達としてお話を伺っていたところだったのです」

「ああ、そういう」

 義政が継いだ仁木氏は、足利連枝として鎌倉時代から活躍してきた一門だ。応仁の乱以降は鳴かず飛ばずだったが、かつては日本でも最大級の勢力を誇る時代もあるなど中央に対する影響力を行使してた頃があり、六角家出身ということで、守護職については一家言ある、と思われたのだろう。

「わたしも人にお教えできるほどに精通しているわけではありません。見よう見まねで職務に食らいついている状態です」

 義政が恥ずかしげに俯く。髪を伸ばしているから六角義賢と見紛うことはないが、こうしてみると仕草が似通っている。

「では、今度勉強会でもしようか。俺も人と話をする機会は欲しい」

「勉強会?」

 義政が首を傾げる。

「幽斎の教えを請いたいという者は多い。歌を学ぶ会を催せばよい。守護についても、上の人間が各国の情報を共有したり、統治する上での相談をする顔合わせができればいいかと思ってな」

 皆忙しく、情報を交換するなどというのは戦国の世では難しいかもしれない。しかし、義政と長慶はそういった剣呑とした雰囲気はなく、意見交換会を催すのは難しくないのではないか。賛同する者だけ集めて少人数で話し合いの場をと思ったのだ。

「なるほど、面白いかもしれませんね。諸国の情報が手に入る場でもあり、自らの力を伸ばす場でもあると」

 別に他人の粗探しをする場所ではないということを正しく理解できる人間でないと政治的な話し合いは難しいかもしれないとふと思う。けれど、それは今後の課題でいいだろう。

「歌会ほど堅苦しくなく、ただ教え合える場があるというのは気楽でいいですね」

 幽斎がこくこくと頷いて言う。

「幽斎が講師なら、挙って人が集まるな。武家から貴族から……参加費取るか」

「義輝様、商魂逞しいですね」

 光秀が呆れたような声音で言う。

 商売を武家の仕事と切り離すのがこの国の認識だ。上級武家ほど、その傾向は強い。税金で生活しているからだろうか。商魂逞しいくらいが、国を富ますにはいいと思うが。

「ああ、立ち話を続けると本当に往来の邪魔だな。話があるのなら、中ですればいい。空き部屋なら、いくらでも使えるからな」

「あ、いえ、そこまでされなくても」

「なんだ、皆忙しいか?」

「忙しいというほどではありません。本日は、夜の歌会に備えて昼間は空けてありますので」

 と幽斎は言う。長慶も義政もそのつもりのようだ。

「ならいいだろう。どうせ、うちに集まるんだ。光秀、案内してあげてくれるか?」

「承知しました、さ、お三方、こちらへどうぞ」

 光秀は三人を控え室に案内するように屋敷に中に入っていく。幽斎、義政、長慶は彼女の後に続き、俺も屋敷に戻ってくる。

 光秀たちとは別の廊下を進むと、その途中で盆に書物を積み上げた孝高に会った。

「あ、殿下。収穫はあった?」

「おお、あったあった」

「ほんと? じゃあ、ついに近衛大将だね。これでさらに箔がついたからできることの幅も広がるってもんよ」

「ああ、その話なんだけどな。近衛大将じゃなくて、内大臣になる方向で進んでいるらしい。前久がな、自分の位を俺に譲る形にするとか言ってたんだよ」

「…………はあ? え、ええ? いきなり過ぎない? 三位を飛ばして二位なの?」

「おう。ま、朝廷が俺のこと怖がってるってところだろうな」

「そ、そうかもしれないけど、一足飛びに出世したね」

 さすがに驚いたのか孝高はぽかんとしている。超一級の軍配者である彼女でも、この結果は見通せなかったか。まあ、当然だろうとは思うが。そもそも近衛大将への任官交渉は孝高が進めてきたことだ。それを思えば、彼女からすれば自分の思惑が――――いい方にとはいえ――――ずれてしまったのだから驚愕するだろう。

「これも孝高が粉骨砕身してくれたおかげだ」

「何いってんのさ。内大臣が動いてくれたからでしょ。あ、いや、これからは内大臣じゃなくなるのね」

「ああ、出世するからな」

「朝廷の後ろ盾を得られるのはまたとない好機だね。殿下が武家の叙任に関われれば、諸国の統制にも使えるかも」

「それはいいとして、播磨の状態はどうだ?」

 俺は話を変えて、孝高に尋ねた。

「うん、まあいいとはいえないね。このまま尼子の圧力が強まれば、当然播磨はこっちかあっちに傾かざるを得ない……まあ、それが狙いなんでしょ」

「まあな」

「大丈夫。小寺が危なくなったら、それとなく救援を求めてくるように工作してるよ」

「悪いヤツだな、お前」

「殿下に言われたくないよ」

 小寺は彼女の本来の奉公先だ。そこから将軍家に一時的に出ている間に、完全に俺の子飼の軍配者になってしまっているのである。小寺家からも黒田家はよく思われていない節があるらしく、いざとなれば小寺家に対して孝高を理由に攻撃できる準備をしている。つまり、俺は播磨国を掌握する機会を窺っているのだ。

「あ、それと、半兵衛ちゃん、こっち来るって」

「お、本当か!? いつだ!?」

「次の満月までにはだって。わたし、そのころに迎えを出すよ」

「おお、出してくれ。彼女は身体が弱いと聞いているからな。何であれば医者の手配もしておくぞ」

「そこまでしなくてもいいよ。相変わらず殿下は半兵衛ちゃん高評価だね。まあ、当然だけど。半兵衛ちゃん、すっごく優秀だしね」

 孝高が前々から話に出していた美濃国の竹中半兵衛がついにこっちに来る覚悟を決めたと言う。孝高だけでなく、同郷の光秀からも誘わせた甲斐があったというものだ。今後の幕政、天下の有り様について、竹中半兵衛という知恵者が加わるのはよい傾向だろう。

「ああ、期待させてもらって大丈夫だな」

「もちろん。慣れるまではうちに暮らしてもらっていいよね?」

「いいぞ。竹中殿には心安く、幕府で働いてもらわないといけないからな」

「ありがとー!」

 孝高は飛び跳ねるようにして喜んで、それから仕事を思い出して走り去っていった。相変わらず忙しいやつだと笑って見送る。ほぼ智慧仕事は孝高に一任している状況だ。光秀が祐筆として戻ってくれたことで多少楽になったとのことだが、それでも膨大な仕事があるのは変わらない。竹中半兵衛が加われば、大きく彼女の負担が軽減されることだろう。

 一応、生活の場と仕事の場は切り離されている。

 屋敷の中を歩いていると以前とはまったく異なる華やかな空気に包まれているのが分かる。単純に人の数が増えたのだ。以前は最低限生活と警備を支える人員の出入りしかなかったところに、二十人弱の女中が増えた。俺ではなく妻に付き従う者たちで、管領細川家の家臣たちも時折出入りしている。俺も父上も公家的な華やかさを知らないで生きてきた人間だ。いや、知ってはいるが武辺者として今までやって来た。好き好んで生活に取り入れていなかったので、この変化は戸惑うこともある。

 自室に戻る。

「あ」

 と、亜麻色の髪の少女と視線が絡み合う。

「お帰りなさいませ……義輝様」

 少しばかり緊張した面持ちで、昭元が言った。

「まだ、慣れないか?」

「いいえ、そのようなことは」

 とことこと傍に歩み寄ってくる。

 衣服に香でも焚き込んでいるのだろうか。花のような甘い香りがする。

「ただ、まだ義輝様の妻になったという実感が湧かなくて」

「まだか。もう一月は経つだろう」

「はい。ですが、ふふ」

 何が面白いのだろうか。昭元は小さく微笑む。

「まさか、わたしとあなたが夫婦になるとは思わなくて。初めてお会いしたときは、お手打ちになる覚悟もしておりましたから」

「さすがにそこまではしないだろ。あのときの俺は、昭元もそうだったが子どもだったぞ」

「もう十は過ぎておりましたから、子どもというほどでもありませんよ」

 この時代十を過ぎれば一廉の大人の仲間入りをする者もいる。武器を手に取り戦うにはさらに五年の歳月は必要だろうが武家の子として命を賭ける覚悟をするくらいには、大人の扱いを受けるのだ。

「まあ、お前と一緒にした悪巧みが、ここまで幕府を発展させる礎になったような気もする。あれがなければ、俺がここにいることはなかっただろうからな」

 昭元が半ば命を賭けて晴元との間を取り持ったことで、俺と父上はここに戻ってくることができた。そこから得た領土や人脈を駆使して、将軍家を盛り返してきたのだ。まだ、道半ばではある。しかし、畿内の動乱を抑えたからには、諸国に目を向けることができるようになった。

「あ、お座りください。今、お茶をお淹れします」

「ああ、貰う」

 妻という立場に慣れていないと彼女は言う。

 正直に言えば、俺もそうだ。

 こうして、今まで誰も踏み入らなかった場所に女性がいるというのは、特別なことだ。もう初夜を終えて、そこそこの日にちが経過したというのに。

 昭元の淹れた茶をすすりながら、夜までの時間を過ごす。

「今夜の、冷泉様を招いての歌会。さすがに、緊張しますね」

 などと、昭元は言う。

「得意だろ。歌」

「そんなこと、ありません。それに、幽斎さんがおりますし、わたしは飾り程度です」

「幽斎がいれば、皆飾りだよ。それこそ、冷泉殿と幽斎の二強で、俺たちは感嘆のため息を漏らしていればいいんだよ」

 何とも適当な考え方。

 歌会とはいえ、正式なものではない。ただ、歌好きが集まってわいわいと酒を酌み交わすだけの宴会だ。しかし、参加するのが幽斎や名家の冷泉家、また先ほど会ったばかりの前久などという幕府、朝廷の要職にある者なので、自然に高尚さが求められてしまう。

「まあ、それまではゆっくり過ごすさ」

「はい。あ、お邪魔でしたらわたしは退席します」

「いいよ。一緒にいれば。いたくないなら、構わないけど」

「あ、いえそんな。ご一緒します」

 取りとめのない会話を繰り返す。もとより友人関係であり、会話をするということ自体に困ることはない。夫婦であるという確認作業のような問いが幾度か混じる程度の変化しかない。

「義輝様」

「ん?」

 ふと、会話が途切れたときのことだった。

 昭元は、何事かを考えた後で意を決した表情を浮かべて話しかけてきたのだ。

「父から、早々に義輝様の子を授かれと厳命されております」

「……どうしたんだ、藪から棒に。いや、それは何れはそうなるべきだろうが」

 今更のことだ。武家の人間ならば後継者は絶対に必要だ。女性には、武家の跡取りを産む責務があると言える。姫武将であってもそれは同じで、晴元からすれば自分の娘にこそ将軍家の跡取りを産んでほしいと思っているに違いない。

「言葉にするとやっぱり恥ずかしくて、今まで言えませんでした。けど、うん、わたしは将軍家と細川家双方の跡取りを産みたい。産まなければなりません、ので……最低でも二人」

「かなり頑張らないとな」

「はい、頑張ります」

 昭元は顔を紅くしながら、こちらを覗きこむように見上げてくる。

「一つ、お願いが」

「何だ?」

「一年……」

「一年?」

「一年の間に、義輝様の第一子をと思います」

 そんなことを言い出した。

「急ぎすぎじゃないか? もっと、長い目で目標を立てるべきだぞ」

「はい、そう都合よくいかないことは分かっています。ですが、義輝様の周囲には魅力的な女性が多いのが現状です。当然、側室を娶るというお話も、近く出てくるでしょう。そこで、例え側室を娶ることになるとしても、一年は猶予していただきたいのです。その一年の間に、わたしは頑張ります」

 ぎゅっと握り拳を作って昭元は一息に言い切った。

 要するに、一年以内に子どもを作って見せるから、別の女性と関係を持つのは一年後まで待てというのだ。

「そんなことでいいのか?」

 昭元は柔らかい笑みを浮かべて笑う。

「本当は、ずっとわたしだけを見て欲しいんですよ。ですが、世継ぎは義輝様の重要なお仕事の一つ。姻戚関係を結ぶことが政治的な意味を持つことも理解しています。ですから、一年と期間を区切らせていただきました」

 昭元なりの覚悟を示した、ということだろうか。

 彼女からすれば、突然夫婦になっただけの相手だ。政治的に自分が利用されたことも気づいている。真に愛と呼べる感情があるかどうか、俺ですら図りかねている状況でこの発言。

 異様なまでに彼女を愛おしく感じて、抱き寄せてしまいたくなる。

 しかし、それをしないのは障子戸の外に気配を感じたからだ。俺はすっと障子戸を開け放つ。そこには、聞き耳を立てていたと思しい家臣たちの姿があった。

 孝高、光秀、幽斎、長慶、義政、藤英までいる始末。小次郎は、と思えばちょっと離れたところに待機している。

 よくもまあ、この人数でここまで気配を殺せたものだと感心してしまう。

「え、あッ!?」

 昭元は聞かれていたことを知って顔を真っ赤に染め上げてしまう。

「あまりいい趣味じゃないぞ」

 俺がそう言うと、面々は決まり悪そうにする。

「いや、はは。まさか、こんな会話になるとは思ってなくてさ。話に来たはいいけど、入り難くて」

 孝高が言い訳がましいことを言う。

 政治的に重要な話をしていたわけではないから、別に怒りはしないのだけど。

「でも昭元も、一年といわず一生涯って言ってしまってよかったのに」

 孝高が話をそらすためか矛先を昭元に向けた。

「え?」

「大真面目な殿下のことだから、約束はきちんと履行しようとしてくれるはずだよ。まあ、一年って区切ってしまったのは、どうだったのかね」

「つまり、一年後なら義ちゃんと寝るのは解禁ということですかね?」

 小次郎がふらふらとやって来てそんなことを尋ねてくる。

「ほうら、こんなことを言い出す輩が絶対に出てくるんだから」

 孝高が言わんこっちゃないと肩を竦める。

「まさか、あの義輝様がこんなに、ご立派になられて。英雄色を好む。まさしくその通り。義輝様は今後、後継者のことも念頭に置いていただかないといけませんね」

 何に感激しているのか分からない藤英は、頭の上の二本の触角を揺らしながら呟く。

「一年ですか」

「一年」

 光秀と幽斎が昭元と俺との間に視線を行ったり来たりさせる。若干頬が紅くなっている。さらに、どこから現れたのか松永久秀が長慶に耳打ちして、

「長慶様、ここは好機。一年後に備えて、今から外堀を埋めていくべきです。御家のためにも」

「ば、馬鹿。いきなり出てきて何を言っている! というか久秀、どこから出てきたんだ!」

 小声で久秀をしかりつける長慶。

 昭元の隣に進み出た義政が声を殺して尋ねる。

「い、一年後なら正室の立場からも側室を認めてくださるんですね。いえ、これは幕政にとって重要な案件であって、決してわたしがどうとかではないのですが、あくまでも一般論として正室と側室の確執は何かと不都合も多いので、はっきりさせておくべきことかと思いまして」

「あ、いえ、一年というのは目安であって、あの、決して誰でもというわけでもなくですね。いえ、義政さんが悪いということではないのですが、今はまだ夫婦になったばかりで先のことはこれからの状態と言いますか」

 昭元は何をどういい繕おうかと頭を回転させているようだ。

 とはいえ、一年という約束を自分から言い出してしまったために、それを延長するようなことも言えないのだろう。真面目な彼女らしいドツボの嵌り方だ。

「ふふ、殿下大変だね」

「笑ってんな孝高」

 面白がる小娘にデコピンと食らわせて、俺はため息をついた。

 幕府の未来、日本の未来。それらを背負って、戦っていかなければならないというのに、さらに後継者や正室、側室の問題まで抱えることになるとは。将軍として仕方のないことではあるし、男としては嬉しい限りなのだが、ちょっと賑やか過ぎではないのかと。一年先にどうなるかは不透明ながら、先が思いやられると苦笑いするのだった。




恐らくはここが一番区切りのいいところ。
皆様のお引き立てで長く続いてきました義輝伝は、畿内を制圧し、幸せな結婚をしたところで幕引きとします。
本当に、ありがとうございました。
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