義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第五話

 さすがに山賊が出現するようなところで活動を続けることはできないと、俺たちはその場を後にし慌しく館へ戻ることとなってしまった。

 藤孝は未だに不満げに柳眉を立てているし、賢秀は戦の緊張から解き放たれたのかまた、人見知り状態へと戻ってしまっている。

 義賢もそうだが、近江人は公私の区別が極端すぎるのではないか、などと思わされる。

 いつも部屋の隅でおどおどとしている義賢も、いざ仕事なればまったくの別人になってしまうのである。 

 普段の様子が様子だけに、不安の種は尽きないのだが、それでも仕事人となった義賢は頼るに足る存在だ。

 居館に戻った俺たちを待っていたのは、恐ろしいまでの豪勢な食事だった。

 この山賊の一件を重く見た蒲生家や六角家が取り計らったものだろう。

 京にいたときですら、これほどの食事を見たことがない、というほどに。

 残念なことに、今や天皇ですら金がないのだ。 

 即位式が行えないほどに財政は逼迫し、大内氏や後北条氏らの献金でようやく即位できたというほどに。

 無論、幕府にも金はない。

 だから京にいても、大したものは喰えないのだ。

 もはや権威と名声のみとなってしまった幕府、そしてそんな看板を背負わなければならない我が身に苦笑を禁じえない。

 

「それで、義藤様」

 

「どうした、藤孝」

 

「こちらの方をどうなさるので?」 

 

「さあ、どうしようかな」

 

 藤孝が言うのは昼の間に助けた少女のことだ。

 名を尋ねて驚いた。

 明智光秀。少女ははっきりとそう名乗ったのだ。

 桔梗紋は特に美濃土岐源氏の家紋で有名だ。

 斉藤家の台頭で大名としての土岐氏は滅んだが、その傍流はいくつも残っている。

 そのうちの一つが、明智家だ。

 日本史上最も有名な戦国武将の一人である明智光秀を輩出した家であり、かの坂本竜馬も自称ながらこの明智に由来する出自だという。

 それは山崎の合戦のあと、敗れた明智軍の関係者が挙って縁のある長宗我部を頼ったということから出た話だろうが、日本史に与えた影響は計り知れない。

 しかし、この戦国中期においては明智家は風前の灯であり、光秀が再興しなければ歴史の闇に取り込まれて消えるしかないというほどに衰退していた。

 

「行くところがないというのなら、俺のところで雇ってもいい」

 

「え、お雇いになるのですか!?」

 

「ああ。問題ないだろう。明智家はもともと奉公衆を努める家柄だ。幕府にいたとしても不思議ではない」

 

「それは確かにそうですが」

 

 納得できない、という面持ちの藤孝だが、それ以上反論してくるようなことはなかった。

 問題がないと言いきりはしたが、実のところ頭を悩ませていることはいくつかある。

 俺の側に家臣を新たに置くということは簡単にできることではない。

 それは、将軍家の発言力や権威といったものの影響力を考えればわかることだが、俺の側にいるということはそれだけで相応の発言力を有する。

 諸大名を見ても祐筆という職種や小姓上がりの将が家中で大成するという話はよく聞く。

 それは、主人の側に常にいるというアドバンテージを存分に活かすことができた例だろう。

 だから、光秀を側に置く場合、周囲の反対がある可能性がある。

 それを抑える根回しを藤孝にしてもらうつもりだ。

 実父、義父ともに幕府の要職についており、彼らの協力を取り付けやすいからだ。

 召抱えるにあたって必要な給金は、彼女の年齢、実績の有無などから判断してなんとか支給できる程度のものだと判断した。

 金はないが、家臣に金をかけなければ一家は安定しないというのが俺のスタンスだ。

 最大の問題は、明智光秀という『名』に対する評価が俺と他人では大きく異なるということだ。

 俺の知っている明智光秀と、拾った明智光秀は別人だ。それは間違いない。が、どうしても光秀といえばこうだ、という先入観とも言えるものが俺の中にある。

 『本能寺の変』『射撃の名手』というのがそれだが、本来持っているそういった知識に引きずられて正しい判断ができなくなっている可能性は否定できない。

 六角義賢や細川藤孝であれば、俺の知識にそれほど関わりはしない。

 この時代に来るまで、あくまでも趣味の延長でしか歴史を勉強していなかったからだが、今後有名武将が現れたときに、既存の知識が大きな枷になることもあるだろう。気をつけなければ。

 

 

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 

 戦乱の世の中を、十を過ぎるか過ぎないかというくらいの少女が一人で切り抜けるのは無謀と言っても差し支えなく、刀を帯びただけで流浪の旅に出た神経に唖然とする一方で、そうしなければ生きていけなかったという追い込まれた状況に同情した。

 目前に座る少女がそれを体験したというのは、なんともやるせない世の中だという思いを抱かざるを得ない。生まれる時代が時代なら、子ども一人で命がけの旅路を行くこともなく、普通に学校に行って、就職し、日々せっせと働きながらも家庭を持って平和に過ごせただろうに、この時代に生まれたために、余計な苦労を背負い込むことになってしまった。

 考えても詮無いことだけれども、そういう時代とのギャップは至るところに遍在してしまっている。 

 

「怪我のほうは大事無いか?」

 

「はい。すっかり、よくなりました。命を救ってくださったばかりか、手当てまで。なんとお礼を申し上げてよいか」

  

「礼はいい。当然のことをしたまでだからな。光秀を診察したものが身体にいくつか傷を負っていたという話をしてな、気にはなっていたのだが、支障がないというのなら越したことはない」

 

 光秀は雷親父に一喝された悪がきどものように恐縮しきり、縮こまっている。

 将軍家の肩書きは、有名無実となってしまったようでいて今だ健在で、古い権威が意外にも役に立つ場面は多いのだが、腹を割って話をしようという場面では、なかなか相手との心理的な距離が離れすぎてしまって難しいのだ。

 

「聞くに、諸国を流浪の旅をしていたのだとか。近江に入る以前はどこに」

 

「近江以前でしたら加賀や越前などに向かいました。渡りの商人に紛れることで国を行き来していたのです」

 

 取りとめのない会話を続けることで、相手の警戒心を崩していこう、と思って、まず聞き及んでいた身の上話から入り、ここに至るまでのことを聞いていった。

 それが功を奏し、光秀の口調も軽く、内容もなかなか面白いものだったので、話に花が咲いたように続いてしまった。

 それがどうということではないが、話の本筋からはずれている。

 あくまでも、会話のしやすい状況作りのために始めたものなので、これから本題にはることにする。 

 

「これから光秀はどうするつもりでいる?」

 

「・・・それは」

 

 光秀の表情が俄かに曇った。

 先行きの見えない旅に出る、という選択は、彼女にとっても辛いものになるだろう。

 何かしらの伝手があるのならばまだしも、彼女にはなにもない。

 心中の不安を推し量ることは逃げた飼い猫を捕らえるよりもずっと容易だ。

 

「いくところはない、か?」

 

「はい」

 

「なるほど。そこで提案だ。これ以降、俺に仕えてみるというのはどうだろう。俺は今、信頼できる者を手元におきたいと常々思っていたところでな。光秀と話をして、是非とも俺の下に来て欲しいと思ったのだが、どうだろうか?」

 

「は!?」

 

 吐き出すはずの息がどこかでつっかえたかのような声だった。

 働き場のない光秀からしたら渡りに船という申し出に、彼女は完全に硬直していた。それも、ほんの数秒という僅かな時間で回復し、思案している。

 一族の復興という生半可な努力では成し遂げられない事業を前に、仕えるべき主はそれなりの力を持っていなければならない、というのは大前提だ。

 それを考えるのなら、将軍家はすでに形だけのもので、軍事力、経済力は細川氏のほうが明らかに上である。しかしながら、将軍という肩書きは侮れず、政治に深く関わっている細川晴元ですら軽々しく扱えない重みは健在だ。今、俺たちが京から離れてしまったのは、ちょっとした政治上の行き違いで、現将軍の無言の圧力は京の政治を確かに圧迫している。

 というところを加味して、光秀がとる手段。

 まず、今後将軍家に仕えることによる明智家の展望だが、これには不安がある。

 滅びるとかそういうことではなく、家臣団が畿内の名家ぞろいで、新参者の入り込む余地がないのだ。

 名家がそろった大名家はその重職を家柄で決めざるを得ないことが多く、将軍家も多分に漏れずそうなるだろう。特に、細川の近縁の者ならば出世コースに乗れるだろうが、光秀のような没落した地方武士がここでやりぬくには非常に多くの武功をあげるなどの貢献が必要になる。

 しかし、この誘いを断ったとして次に雇ってくれるところに出会えるのはいつになることか。

 将軍家は日本で最も顔が広い家であり、そこに仕えるということが一つのアドバンテージになり得るというのは間違いなく、多くの大名と顔を合わせる機会も多いだろう。

 それは、諸国を渡り歩くよりもずっと効率よく情報を得て、自分を売り込むことができるのではないか。

 俺が提示することのできるのはこうしたメリットだった。

 よその家に将来的に厄介になるにしても、ここで働いたのだということが仕官する家での自己アピールの要素になる。また、他家の大名に顔を売る機会を作ることができる。なによりも、在野の武将が欲している功名を立てる機会。それを与えることもできる。

 光秀の中でもこうしたメリットとデメリットが鬩ぎあっているのだろう。

 リスクが少ないとは言えない。

 だが、メリットも同時に大きい。

 時間にしてはほんの僅かだがその間に多くの情報が脳裏を飛び交ったことだろう。

 そして、伏し目がちの目を上げた光秀は決心したように鋭い視線を送ってきた。

 

「わかりました。義藤様にお仕えいたします」

 

 

 光秀が取った選択は、俺の下で働くことだった。

 


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