義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第七話

 晴元との和睦を進めるに当たって、最初の障害となるのは他でもない現将軍義晴だった。我が父である彼は、前管領細川高国によって擁立された将軍であり、細川晴元とはその根っこの部分からして敵対関係にあった。

 晴元の政治は、はっきり言うならばブレル政治だった。

 細川家の家督を継いで管領という職務に取り立てられていた高国は晴元にとっては父親の仇であり、今後の展望をよりよいものとするためには、これを打倒しなければならなかった。

 そこで晴元は足利義維を擁立し賊軍の汚名を避けると共に、各方面へ手を回して離間工作を行った。新たな将軍を擁立しなければ保身に走る者たちが離れていく可能性があったからであり、大義名分を立てたことで初めて高国に対抗することができるようになるのである。

 これは功を奏し、高国を見事撃破。亡き父の仇をとることに成功する。

 この直後から、晴元の迷走は始まる。

 これまで擁立していた義維を十三代将軍に就け、自らは管領のポストを得る。それが目的で戦ってきたというのに、ここでなんと晴元は義晴と和睦を結んでしまう。とどのつまりは細川家の家督と管領のポジションが欲しかっただけなのだろう。

 将軍のことなど歯牙にもかけない態度、かねてからの約定を反故にすることにも多くの異論が上がったが、その代表格である三好元長を排除。その後、自らにとって反抗的な勢力を見つけると、それに勝る勢力に声をかけてけしかけるということを繰り返しているのだ。

 元長に対抗するために一向宗を焚きつけ、その一向宗が手に負えなくなると今度は、法華宗を一向宗にぶつける。そして、法華宗が京で大暴れすると比叡山延暦寺と六角定頼に手を回してこれを撃滅。これではいつまでたっても信用を得ることなどできるはずがない。

 そんな晴元だから、父上との折り合いは悪い。

 父上も頑固なものだから、晴元相手に譲るということを知らない。何度もぶつかっては、お互いに排除できないものだから喧嘩別れを繰り返す。

 巻き込まれるのも迷惑な話だ。

 俺は、父上の部屋を訪れたのは、そんな負のスパイラルから解放されるためなのだ。昭元から頼まれ、引き受けた和睦の斡旋をなんとか成功させたい。

「なぜ、こちらから頭を下げねばならぬ」

「父上。頭を下げるのではなく、あくまでも譲歩するというだけ」

「義藤。これは、対等な大名同士の和睦とは違う。晴元めはわしの家臣も同然の男。それが、驕り、君臣の道理すらも忘れて好き放題しているというのに、それを認めるようなことをするわけにはいかぬ」

 まあ、普通はそうだろうな。

 父上の言っていることが正しいのだ。悪いのは晴元のほうであり、こちらから和睦をするということは、彼の増長を促すことにつながりかねない。

 しかし、将軍が長らく京を留守にしておくわけにもいかないという切実な理由もあるのだから、まずは京に戻る。これが大切だ。

「しかし、このまま京を留守にしておくわけにもいきません。将軍不在のまま専横を放置するとなれば、畿内はおろか日本の大名への示しがつきません。民の気持ちは移ろうもの。これ以上の不在は、民草から将軍の威光すらも忘れ去られせてしまうでしょう」

「そんなことはわかっておるのだ」

 俺が言っていることは自明の理であり、長らく将軍職を務めている父上とて、わかっていることだった。だが、それでも、弱みを見せるわけにはいかないという意地が父上を押し留めている。

「父上。確かに将軍とは人に弱みを見せられぬもの。父上のお気持ちはこの義藤もよくわかるつもりです。しかし、政治とは、強硬な姿勢ばかりで行えるものでもないでしょう。時に相手を持ち上げ、時に受け流す、強弱を使い分けるものではありませんか?今は、雌伏の時です。京を回復し、そこから誰がこの国をまとめるべきかを天下に知らしめるのです」

 柔よく剛を制す。今の細川政権はそれができない。

 なぜかと言えば、細川家は高国、晴元の二代のうちに、自らの軍事的基盤を失っているからだ。三十年に渡る内乱は、細川家に抑圧されていた国人たちの自立を促し、細川家に仕える内衆(在京して政務に当たる重臣)は、戦で討たれ、また、自領の国人を制御するために京を離れていった。

 高国も晴元も、自らの軍事力を補うために外様の家臣を重用し、外部の勢力の助けを請う必要が生じたのだ。

 これが、晴元の揺れる政治の原因とも言えるだろう。

 今や細川家は強権的な手法を持ってしか権威を維持できない。

 だから、現状は多少管領側に天秤が傾きかけてはいるが、それは完全ではなく逆転の目はあるのだ。

「父上。この和睦は、表向きはこちらから和睦を申し入れはしますが、その内実は細川家からの働きかけによるものです」

「どういうことだ?」

 言うべきか否か判断しかねたが、ここは言うべきだと判断した。父上の晴元への対抗心はいかんともし難いが、晴元の現状と晴元の娘から話が来たのだということは、大いに興味をそそるものだろう。

 俺は、父上の側に近づき、いかにもナイショ話をするというような格好をとる。

「実のところ、晴元の政治は非常に行き詰っているようでして、父上の帰京を願っているのですが、彼にも彼なりの誇りがあり、それが邪魔をして言い出せないという状況のようです。この話は、先日六角殿をお訪ねされた昭元殿から伺ったことゆえ間違いございません」

「ふむ。なるほど、それでか」

 父上の瞳に理解の色が浮かぶ。

 俺は再び居住まいを正して話を続けた。

「我々は京に戻りたい、向こうは我々を迎え入れたい。しかし、互いの利害が一致していながら誇りが邪魔をして前に進めないなどバカバカしい話。ここは我等から話を持ち出し、晴元に恩を売るところかと」

「言い出したのはヤツの娘か」

「はい。こちらから条件を提示することにも異存はないとのこと」

「信用できるのか?」

「もはや向こうも背に腹は変えられぬ状況ですので。後は、昭元殿が晴元を説得できるか否かでしょう」

「できると思うか」

「難しいでしょう。ゆえにこちらから提示する条件を彼らにとっても利であると思わせることにしませんと」

 晴元は外に対しては強気に出ているが、内心は将軍の帰京を欲しているはずである。今、彼の手元の配下に自らの権勢を示威するためにも、将軍との敵対関係は早急に解消すべき問題だからだ。

 注目すべきは、三好長慶。

 現在越水城を拠点とする細川政権の武を支える武将である。聞くところによると長慶も女性武将だという。強い武将はみんな女性でないといけないルールでもあるのだろうか。

 その彼女が心のそこから欲している役職が存在する。

 それが河内国の十七箇所の代官職である。

 具体的な位置は河内国茨田郡西部。ここにある十七箇所の元荘園・現惣村を言う。

 ここは今現在三好政長の統治下にあるが、もともとは長慶の父、三好元長が任じられていた役職であるため、未だに長慶と政長との間に深い溝を生じさせている。

 長慶は軍事力で言えば晴元にとってなくてはならない存在であり、政長もまた、晴元の寵愛する重臣である。この二人の対立は晴元にとっても頭の痛いところであろう。

「河内十七箇所の代官職を私たちで押さえます。ここは元来足利氏一族料所です。今の政長は不当にこれを管理しているようなもの。政長には、また別の土地に移ってもらいましょう」

「それもまた難しいだろう」

「ですが、そこを通します。晴元の現状は決してよいものではありません。多少の無理は通せます」

 晴元にとってはギリギリの綱渡りなのだろう。特に政長との対立は避けられない。そこは代替地を用意するなどして対処すればよいし、そこまでのことを俺たちが気にしてもしょうがない。

 単純に晴元の裁量によるものだからだ。

 晴元が政長さえ説得できれば、長慶との直接的な対立は回避できる。これは、長慶と政長、敵に回すならどちらだ、ということなのだが、はたして晴元はどちらを選ぶだろうか。

 俺の予想では、今の晴元であれば長慶を選ぶだろう。

 長慶の父親は晴元によって命を絶たれている。長慶も晴元の覚えはよくないはずであるし、一方の政長は晴元に大分気に入られている。だから、この案を提示するだけでは弱い。

 さらに一手必要だ。 

「この交渉を私ではなく、六角殿にお預けいたします。そのための話はすでに通してありますのでご心配なく」

 六角殿に借りを作ることになってしまったが、それは仕方のないことだ。

 もともと、講和を結ぶときは、両者の間に立つ存在が必要だ。

 本来、日本各地で行われている合戦の講和、和睦の仲介を行うのも幕府の仕事なのだが、今回は幕府の中でのこと。将軍家の俺が、仲介というわけにもいかないのだ。そもそも、俺に軍事力はない。仲介するなれば、両者を脅かすだけの軍事力を背景にするしかない。和睦に応じなければ、敵の側につく、ということを暗に示してもらうことで、スムーズに事を運ぶことになるのだ。

 晴元とて、南近江の守護大名を敵に回したくはないだろう。それは、長慶や政長と敵することよりも恐ろしいはず。

 おまけに、こちらには昭元がついている。彼女がどこまで他勢力に働きかけられるかだが、管領の娘でありながら、意思を別にしているということが、すでに家中の和を乱している。

 細川政権は脆弱、付け入る隙はまだある。

「河内十七箇所が条件、ということでよろしいでしょうか?」

「…わかった、お前の好きにするがいい。もともとワシにはなんの腹案もない。それに、この交渉が拗れたところで何も変わらんからな。成功を祈っているぞ」

「はっ!」

 父上が認めてくれたことで、こちら側の準備は整った。

 後は、昭元のほうがなんとか調整をつけ、六角家を間に挟んで詰めの交渉としよう。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 義藤が将軍の説得に成功し、その旨を昭元に伝えると、昭元は、いっそうの覚悟を持って父親に挑まなければならなかった。

 正直、将軍家側からもたらされた条件には息を呑んだ。

 河内十七箇所の代官職及び統括のため隣接する摂津国東成郡榎並荘と榎並城を将軍家の者に割譲すること。

 かなり大きな要求といわざるを得ない。しかし、昭元はこの土地がもともと将軍家の土地であり、細川家の家臣が管理してはいるけれども、それが横領であることも理解していた。

 父親ほどの度量もない昭元にしては、ここを返還することに否やはない。

「ありえぬ!」

 しかし、和睦案を見たときの晴元の怒りは凄まじいかった。

 それもそうだろう。将軍家から和睦案が提示されたことが、政治上の勝利だと考えていたところに、領土をよこせといわれたのだから、これではどちらが勝者かわかったものではない。

 むしろ、これは晴元側の敗北と受け取られてもおかしくはない。

「貴様、いったいどういうつもりだ。このようなものを持ち込みおって!」

 その怒声に昭元は肩を震わせて、平伏する。そうでもしなければ晴元の怒りは収まらず、話をすることもできないからだ。

「し、しかし、このまま将軍殿下を追放したままですと、外聞が悪く外交にも影響がでてしまいます。せっかく将軍殿下から和睦を申し入れていただいたのに、それを突き返すわけにもいきません。なによりも、六角様が仲介に入られております…何卒」

「チッ、あやつめ」

 あからさまに舌打ちをして脇息に肘を置いた。

 確かに、将軍家の権威を手中に収めた六角家と敵対することになれば苦戦は免れない。なによりも、大義がこちらになくなってしまう。

 肥沃な土地に、豊かな経済力、それらに裏打ちされた強大な軍事力をもつ南近江の雄。

 正面から戦えるはずもない。とはいえ、たとえこの和睦を蹴ったとしても、六角家との仲がこじれるとは思っていなかった。

 晴元と六角家当主定頼は姻戚関係も結ぶ仲なのだ。彼の政治手腕によって政権が支えられていた時期もある。

 しかし-----------------次世代がどうなるか。

 晴元の頭痛の種でもある足利義藤と六角義賢と関わり。

 ともに次代の将軍家と六角家を担う人物であり、長き近江での生活によって仲も良好だという。さすがに男女の仲ではないにしても、他大名にくらべ、将軍家と六角家との交わりがより親密になるのは自明の理。

 いまや細川家を差し置いて結びつつあるこの二つに危機感を覚えないというほど、晴元は疎くない。

 苦虫を噛み潰したような表情をする晴元の心中にあるのは、より光彩を帯びた焦りの色だった。

「ワシがこの和睦を飲んだとしよう。それで政長はどうなる。なんぞ腹案でもあるか?」

 昭元は、思わず顔を上げた。

 信じられない、とでも言いたげな表情である。

 それは、晴元が将軍家との和睦を前向きに考えようとする、という意思表示でもあったからだ。昭元は、可能な限り頭脳を使い、政長との衝突回避の方法を探った。

「はい。ございます」

「申してみよ」

 晴元に促されるままに、昭元は考えを述べた。

「政長殿には、山城国淀城に移っていただきたいと存じます」

「ふむ。なるほどな」

「淀は商業にも恵まれた経済の土地。また、細川家に仕える守護代級の家臣によって守護されてきた城ですし、薬師寺家の没落とともに、明確な城主がいないまま、当家の被官によって治められてきました。政長殿には殿下との同盟のために移封となる以上、加増がなければなりませんから、淀城に移っていただくのがよいかと」

 晴元は昭元の話を聞き、和睦案を再度確かめた。

 痛いところを突く。

 えげつない和睦案だと、晴元は思う。

 それでも、長慶との不毛な争いを避ける上でも、この案は使える。河内十七箇所が将軍家のものとなれば、律義者のことだ、何もいえなくなるに違いない。 

 そもそも、長慶にとって親の仇である政長は、同時に三好家総帥の座を巡る相手。それが、河内十七箇所という長慶の父親由来の土地に入ったものだから反発心を仰ぐ結果となったのだ。

 この和睦案は、晴元にとってもそれなりに利のあるものだ。

 それに、天下にはこちらが身を削って将軍を迎え入れたと喧伝することも不可能ではない。

「これでよかろう。すこしでも早く、殿下とご子息をお迎えするのだ」

「は、はい!」

 こうして、昭元の努力の末に、将軍家は実に五年にも渡る流浪の生活から解放される事となったのだった。


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