艦隊これくしょん―コンコルディアの落日― 作:GF-FleGirAnS
発砲、たったの二発だけ。
瀬戸内海と日本海を結ぶ関門海峡。太平洋を失った現在関門海峡は瀬戸内海と外洋をつなぐ唯一の海上交通路であり、本州の生活を支えるほとんどの物資がここを通る。発砲が聞こえれば海峡両岸に栄える二都市は大混乱に陥るに違いなかったが、それは耳をつんざく様な貨物船の汽笛にかき消された。
薄黒く濁った曇天の中、遠くまで響いていく汽笛。それはいやにゆっくりな音速で伝わり、反響し、そして拡散して消えてしまう。
「……よかったのかい?」
そう聞かれたとき、どんな顔をしていいのか分からなかったし、どんな顔をしていたのか覚えていない。ぽっかりと何か穴が開いてしまったような気持ちをかき消したくて、少し格好をつけて紫煙より暴力的な煙を吐き出す銃口に息を吹きかけた。
「司令官がそれを聞くんだ」
「悪かったね」
「いや……」
いつも通りの銃のはずなのに、少し重い。それでも自らを守る為のこの銃を落とす訳にはいかなかった。だから背中側に回したホルスタにそれを仕舞う。
「よかったのかな?」
「それを決めるのは、少なくとも私たちじゃない」
目を細めるだけの間はあったが、即答に近い答えを聞いて、じっと目の前のモノを見る。同じ制服を着、同じ釜の飯を食らった間柄。時代が良ければ、友とも家族とも呼べた間柄だった『モノ』。
今この場にいられるのは、Верныйのわがままだ。
「
「そのはずだ」
その即答は菊澤桜花憲兵中佐なりの優しさなのだろう。せめて最後の最後まで国家に忠誠を誓った英雄としての扱いを受けられるように、Верныйの仲間が反逆者だという誹りを受けることがないように。暁型を名乗る彼女がそれを最後まで誇れるように。――――その優しさが痛い。
いくら事件の解決に尽力したとはいえ、関係者を身内に抱える菊澤とВерныйをここに送ることは本来ならば許されないはずだ。
あの事件から、早数ヶ月が経っていた。
佐世保鎮守府の機能の大半は大きく損壊を受けた。弾薬庫や燃料保管庫に損傷が生じた。沢山の倉庫群が倒壊し、被害は数億円規模に及ぶが、それは軍にとっては
やっと状況が落ち着いて彼らを公式に慰霊できたのは、たった5日前だ。喪章を下げた吉井翼中尉が英霊の名前が刻まれた真新しい御影石の前で『悲しんでやれないまま終わっちまったな』と呟いたのをВерныйはよく覚えていた。彼に対して一瞬
彼にとっては終わったのだ。乗機を
それに、そのときに涙の一滴も出なかったのは、Верныйにとっても同じ事だ。
「悲しいかい?」
「悲しいのかな」
そう返せば、菊澤はくすりと笑った。
「本当はそうじゃないんだろう?」
「……どう返すのが正解なんだい?」
「星新一に敬意を表するなら『本当はそうじゃないの』かな。でも今は君の意見が聞きたい、ヴェル。君はどう思うんだい?」
そう言われ、言葉を詰める。
「……最後の最後まで、理解できなかった」
「何をだい?」
「天羽月彦を」
目の前に転がっているふたつのカタマリを見下ろして、Верныйはぽつりと続けた。
「優秀な医者だった。知識があった。教養があった。大切なものだってあったはずだ。……天羽月彦はきっと、愛国者だった。それなのに、どうしてこうなったんだろう」
「さぁ? それを判断するのも私たちじゃないわ。亡霊の言霊に惑わされる余裕は現場にはない。わかってるでしょう」
「嫌になるよ。狂えてしまえば楽だったのかな」
「深雪みたいにかい」
その言葉に首を横に振って答えに代えた。
あの日から、深雪はずっと気丈に振る舞い続けた。それは自分の殻に閉じこもることで自己を保つための術だった。雅柚穂軍医大尉や大鯨がよってたかって彼女を癒やそうとした。それでも彼女はそれを拒み、何度も何度も海に出続けた。
まるで、陸にいるのを拒むかのように。
それもある意味当然だったのかもしれない。万が一にも軍関係者
「まぁ、彼は軍医よりアイドルかなにかのプロデューサーにでもなるべきだったよね。深雪をあそこまで悲劇のヒロインに仕立て上げたんだからさ」
「皮肉にしては笑えない」
「そもそも皮肉は笑えないものだよ、ヴェル」
菊澤はそう言って腰に手を当て笑って見せた。それを横目で見て、目を伏せた。
天羽月彦元軍医中尉の残した『遺産』は驚くほど強く作用した。
大手動画投稿サイトでストリーミング配信された彼の犯行声明はこの国を駆け巡り、艦娘システムへの世論の批判を誘発、国会に海軍やら軍需産業やらのお偉いさんが呼び出されるまでに発展した。艦娘の人権を守れ、戦場に二度と子供を送るな、とシュプレヒコールがそこかしこで聞こえるようになり、この国の政権は頭を抱えているらしい。
Верныйたちにとってはそれは雲の上の話だが、もっと近々に重大な問題として艦娘の脱柵――要は脱走だ――や謀反が頻発してしまったことだった。
「やれやれだよね、たった一本の動画で世界を変えてしまったんだから」
「褒めるようなことかい?」
「褒めるつもりなんてこれっぽっちもないさ。それでも残した結果は大きい」
菊澤はそう言ってどこか演技臭く続ける。泣き出しそうな曇天はその声をどこにも反響させないつもりらしく、彼女の声にはどこか空虚さが帯びる。
「彼を屠らんとした人間は皆さんざんだ。雅柚穂大尉には殺害予告が相次ぐし、大宙中佐は勝手に他部隊を動かしたせいで軍事裁判行きの特急券が手配済だ。航空隊の吉井中尉は部下を全部失った戦犯として冷や飯を喰わされているし……あれ? まともにお咎めなしなの伏宮君しかいないのか。良くも悪くも冷静だからね、彼。うまいことやったよ、ほんと」
「お咎めなしなのがもう一人ここにいるんじゃないのかい?」
「さぁ誰のことだろう?」
菊澤はそう言って肩をすくめた。
「私には権限があった、大義名分もあった、それを支える公的な後ろ盾があった。そして、能力のある
「皮肉かな」
「褒めてるんだよ」
「褒めるようなことかい?」
「私にとっては、ね」
菊澤はそう言って帽子越しにВерныйの頭を撫でた。
「まぁ、それでもきっとこれが最善だったさ」
「慰めてる?」
「必要ない?」
質問に質問で返され、Верныйは黙る。否定できないのが自分でも歯がゆい。
「彼がやったのは矮小な独善をカメラの前で崇高そうに演説しただけ、問題はそんな動画の一本で変わってしまうほど脆弱な基盤の上に自分たちが立っていたなんて思いもしなかった。せいぜい変わるのは人程度だと思っていたよ」
頭を撫でられ続けながらВерныйはそれを聞いていたが、彼女の手を払ってため息。
「人が変われば社会も変わるさ」
「おや、赤が大好きな君らしくない。資本主義の王国にようこそ、かな」
「赤色思想は民主主義だよ。人が変われば国家も変わるさ」
「フフン、一理ある」
菊澤はそう言ってから表情を引き締めた。
「ヴェル、深雪が好きだったのかい?」
「好きでも嫌いでもないよ。……ただ」
「ただ?」
「……私は彼女を救えたかもしれない」
「ばーか」
それを聞いて、Верныйは弾かれたように振り返る。
「なんで熱くなる、ヴェル。君らしくない」
菊澤がそう言ってわざとらしく頭を掻いて見せた。軽薄な笑顔。
「救えたかも『しれない』、そんな可能性は君も私も『知らない』はずだ。守れたかもしれない? 救えたかもしれない? 確かにその瞬間にはその可能性は確かにゼロじゃなかったかもしれない。でも、今はそんなもの存在しない。ゼロだ。
何を言いたいのかはВерныйは既に痛いほど知っていて、それはすでに深雪に対して振りかざした理論で、未来だ。
「……だとしたら、この気持ちにどう処理をつければいいんだろう」
「人によりけりね。でも私なら祈るかな」
「祈る?」
彼女らしくない言葉が返ってきてとっさに聞き返した。
「現実を変えるのは行動だ。その行動のカタマリの世界が間違わないように法と力でこの世界のロジックを守っている。その力を扱う軍人はロジカルでなければならない。だけど個人の内面は別だ。ロジックだけでは縛れない。心は誰もが自由だから。でも自由すぎて指針を失う」
そう言ってため息を付いた菊澤。その笑みはどこか優しい。
「だから人は祈るのさ。だから誰かを頼るのさ。船乗りが狂った羅針盤の針を捨て、灯台を求めるように、ね。その指針を得るために、言葉に耳を傾け、祈る中で答えを探す。その時間稼ぎに祈りや儀式はちょうどいい」
そう言われ、Верныйは視線を落とした。
「……少し、ひとりにしてくれないかい?」
「完全には無理だ。遠くから見させてもらう」
「それでいい」
「なら、心ゆくまで祈るといい」
菊澤はそう言ってそっと距離をとった。それを見送って、Верныйは二つのカタマリの前にゆっくりと膝をついた。今にも泣き出しそうな空がじっと彼女を見つめている。
「……私は、思ったより人間を捨てられていなかったのかな」
そう言ってВерныйは悲しげな笑みを浮かべる。
「君たちが彼に期待するのも、どこか分かってしまえた自分がいるんだ。全く、度し難いが。彼なら風穴を開けてくれるかもしれないと思えてしまったんだろう? どうしようもなく続くこのクソッタレな戦場から離れられると思えたんだろう?」
Верныйに言わせてみれば、それはただの妄想だ。それでもそれは妄想であるがゆえに輝いて見えてしまう。
「佐世保の外の人間は、あの惨状を知らない。だから素直に彼の言葉を信じていられる。さすがに摩耶や大鯨は信じられないようだけど、あの惨状を知らなければ、なんと言っていたやら」
これはさすがに皮肉が過ぎるか。そう思えども、そうとしか言えなかった自分がどこか煤けて見えた。
「あぁ……長生きは、しないものなのかもしれないな。長生きをすればするほど、大切なものが重くなる」
愛している、愛してますとも。……それはわたしの頸に結わえつけられた重石で、その道連れになってわたしは、ぐんぐん沈んで行くけれど。やっぱりその重石が思いきれず、それがないじゃ生きていけないの。……チェーホフのそれを諳んじたら、自称淑女が難しそうな顔をしていたっけ。
嫌な兆候だ。あまりに湿ったことを言い過ぎている。帽子のつばに雨粒が当たる音がした。――――――きっと今なら、ばれるまい。
「どうして、どうして私たちは、艦娘だったのかな」
そんなことを言っては私が私である意味がない。艦娘は艦娘であるが故にこの国の防人たることができ、この世界を救う英雄たることができるというのに。ソレをなぜ否定してしまうのだろう。Верныйは自分でもそれが理解出来なかった。
「ねぇ、どうして、どうして私たちは、誰かを傷つけないと、理解できないのかな」
天羽月彦の言の葉は、確かに力を持った。それは彼の行動が彼の言葉を大衆に、艦娘に、世界に届けたからだ。わかりやすい暴力と、権力に使い潰される艦娘という構図を切り取り、世界に見せつけることで艦娘を救おうとした。彼こそが暴力の権化であることは明白なはずなのに、回っているカメラの前で彼が射殺されるその刹那、信念と艦娘を慮るような言葉を述べたせいで、彼を擁護する意見が上がってしまったのだ。
「これじゃ、深雪を笑えないか」
艦娘は常に死と隣り合わせの生き物だ。否、正確にはいつでも隣にある死を直視しなければならない生き物だ。その死の世界から逃れられる希望はそれはとても甘美に響く。それは麻薬のように今も艦娘を蝕んでいるのだ。
「……だから、終わりにしなくちゃね」
降り出した雨を仰ぐようにしてВерныйはそう言う。帽子が落ちたが拾う気にはなれなかった。生温い下関の雨を浴びながら速く流れる雲を見る。
いつまでそうしていただろうか。Верныйはそっと視線を戻し。目の前の二人の瞳を閉じさせた。
「……終わらせたら、話しに行くよ」
そう言って立ち上がる。少し離れたところで菊澤が腕を組んで待っていた。
「終わり?」
「終わったよ」
「帽子は?」
「いらない」
「そう」
菊澤はそれだけ言って歩き出した。
「全くやれやれだ、これで一応佐世保周辺は終わりだね」
「……でも、これで終わりなんだよね」
「残念」
そう言いながら指でとんとんと耳たぶを叩いて見せる菊澤。わざわざ引っかけられていたインカムを示す様に嗤う。
「次の任務だ」
「場所は?」
「ん? 舞鶴。管区変わるから
「そう」
「――――ヴェル」
菊澤が名前を呼んで脚を止めた。数歩進んだВерныйが振り返る。
「なんだい?」
「変わったね、アンタ」
「……なにがだい?」
「いや、ひとりごとさ」
足を止めたВерныйの代わりに、菊澤は先導するように前に歩き出す。
「……ホント変わったよ、佐世保のあの落日からね。君もそう思わない?
「ーーーー今更戻れないよ」
「……そうだね、悪かった」
菊澤が歩き出す。その後ろを白髪の少女が追いかける。
あの忌まわしき。そして、日本国海軍の権威を失墜させるまでに爪痕を残した事件から数ヶ月。
彼女たちの戦いは、まだ終わっていない。
<登場キャラクター>
「伏宮扇」「明石」
エーデリカ
「天羽月彦」「深雪」
オーバードライヴ
「吉井翼」「隼鷹」
提海 蓮
「菊澤桜花」「Верный」
帝都造営
「雅柚穂」「大鯨」
プレリュード
「大宙哲也」「摩耶」
山南修
最後までお付き合い頂きありがとうございました!
これからも「艦隊これくしょん~艦これ~」をどうぞよろしくお願いいたします!