艦隊これくしょん―コンコルディアの落日―   作:GF-FleGirAnS

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メルクリウスの当惑

 佐世保鎮守府沖に一機のヘリが爆音をあげ飛んでいく。ギリシャ神話におけるヘルメスが持っていたというケリュケイオンの杖をイメージしたエンブレムが、その白色の機体の尾翼で日光を反射し光っていた。

 

「佐世保分遣隊飛行隊司令部、メルクリウス1。敵影なし、哨戒飛行終了する」

《了解、哨戒艦隊に引き継ぎ後帰投せよ》

 

 そのヘリの機長、吉井 翼(よしい つばさ)中尉は司令部からの指示通りに通信を切り替え周辺海域で航行している哨戒艦隊を呼び出す。

 

「こちら佐世保分遣隊飛行隊所属哨戒ヘリメルクリウス1。哨戒任務中の艦隊応答せよ」

《はいよーこちら艦隊旗艦隼鷹だぜぇ! よs……じゃくてバッカス。ボイスクリアー》

 

 快活な声が通信機から響き、それを聞いた吉井は眼を細める。

 

「なんだ、隼鷹か。呼び方には気をつけろよ、作戦行動中の俺はメルクリウス1だ」

《わかってるってーで、何か異常は?》

 

 本当にわかっているのか、わかっていないのかわからない陽気さで吉井の小さな抗議を受け流す。いつもの事だという様に吉井は肩を竦めてから通信に答える。

 

「あいよ。対空対潜水上共に敵影なし、特記事項は哨戒ポイントデルタ付近に冷水塊あり。注意されたし」

《佐世保所属定期哨戒任務臨時編成艦隊旗艦軽空母隼鷹了解、これより哨戒任務を受け継ぐ》

「任務の引き継ぎを確認、良い航海を」

《そちらも、無事の帰投を祈る》

 

 再び操縦桿を倒す。海面にて片手を挙げている紫髪の艦娘が先行していくのを見てから、その風景をコックピットの下へと潜り込ませる。通信を切ろうとしたところでまた通信が飛んでくる。

 

《バッカスゥ! 明日は、オフだろ? 呑みに出ようぜ!》

「おま、馬鹿野郎! 部隊無線を私用すんなよっ!」

《ヘッヘッヘじゃあな!》

 

 「ったく」と呟きつつも心から憤怒している様子はなく、通信を切る。彼等の眼下にはまだ空襲の焼け跡が痛々しい佐世保市街が横たわっており、破れた水道管を修理したり瓦礫を撤去して道を作ったりと人々がせわしなく復旧作業を続けている。

 吉井は回線を開いた。呼び出すのは佐世保鎮守府の向かいにある航空基地。

「Sasebo Tower, Mercur1. Request landing with Sasebo base.」

 

 

 ここの航空基地も管制塔(タワー)も、深海棲艦との戦いが始まる以前には存在しないものだった。吉井はサングラスを上げつつ佐世保タワーの応答を待つ。

 

 

《Mercur1, Sasebo Tower. Cleared for landing wind 3 at North》

「Roger.」

 

 

 着陸の許可を受けて吉井は機体を短めの滑走路へとアプローチ。こちらは市街地と対象的に被害を受けてない。対空防備さえ怠っていなければ深海棲艦の攻撃を防ぐことは出来るが、その肝心の対空砲が足りないのだ。

 

 吉井は安全確認の為ぐるっと周囲を見渡す。烏帽子山や将冠山といった佐世保近辺の山を目でなぞっていく。

 

――――いつもと変わらねぇな。

 

 そんなことを考えつつ、吉井は地上要員の管制に従い降下。そのまま何事もなく着地、それから格納庫へと機体を戻す。

 航空機というのは重力に逆らうだけあって非常にデリケートで、一回飛ぶだけで損耗してしまう部品もあるくらいだ。整備員と言葉を交わしたり、面倒な報告書をちゃっちゃと片付けていれば、基地中に鳴り響く終業ラッパ。

「めっし、めっし、ふっろ、ふっろ、あとはねるだけー……っとな」

 そんな誰が思いついたかも知らない語呂合わせを口ずさみながら吉井は格納庫を出る。仕事が終われば酒だ。酒は美味いぞ。いや、これじゃ唯の酔っ払いおじさんになってしまう

か? しかし美味いものはいいものだ。

「それにしても、さっき隼鷹は出て行っちまったのか……参ったな」

 今日は本当なら隼鷹と飲む約束をしていたのだが、今日も今日とて深海棲艦の襲撃を受けたせいで彼女は出撃してしまったところだ。まあ明日飲めばいい話なのだが、一人だけで飲むんじゃつまらない。飲み相手を探さねばならない。

「おう少尉、今日飲もうぜ?」

「すみません中尉殿……これから会議に出席しないといけないので」

「おーそりゃあ大変だな。頑張れよ!」

 吉井が次の日がオフの時飲むのはお天道様が昼に出るのと同じくらいの常識だが、彼は「一人酒は寂しい」と他に飲めそうな士官を探しては誘う、一種の佐世保の名物となっていた。

 

 

「ん……? アレは天羽君じゃないか」

 白衣に眼鏡。どこの博士キャラだよと突っ込みたくなるような奴は佐世保にゃ一人だけ、最近佐世保にやって来たばかりの天羽中尉だ。たしか医官で、中央から派遣されてきたと聞いている。実際堅物で、いつ飲みに誘っても「数値が悪くなりますよ」となんでだが説教してくるのだ。付き合ってくれるかは微妙だ。

 しかし誘ってみて損はないだろう

「おぉい! 天羽君!」

「吉井中尉ですか。どうされたんですか」

 しまった。中尉をつけた方がよかったか。まあこちらの方が先任だし許してもらうこととしよう。

「いやあ丁度晩酌の友を探していてね。一緒に飲もうじゃないか」

「いえ、自分は……」

 今日の天羽はどうにも調子が悪そうだ。なにかあったのだろうか。

「ほらいいから行くぞ」

「は、はぁ……」

 戦いに明け暮れる軍人の癒しは少ない。娯楽のトランプは手榴弾で吹き飛ぶし、電源がないからテレビもラジオもナシ。女なんて前線配備の艦娘以外は誰もいない。

 結局のところ、戦場で頼れるのは酒かクスリ、後者は法律がうるさいから酒だけだ。せっかくだから鎮守府の外に飲みに行きたいところだが、つい先日に輸送艇の襲撃があったばかりだ。そのためあまり外へ出て行くのも気が引けたために宅飲みならぬ寮飲みだ。

「天羽君、君は何を飲むかい? とはいってもワインと日本酒しかないけどな」

「……では日本酒で」

「飲み方は?」

「冷で」

「あいよ」

 それを受けて天羽は日本酒をチョイスした。天羽らしいと言えばらしいと思った吉井は内心で苦笑。グラスに日本酒を注いで和らぎ水も用意。小さめのお盆に載せると天羽の前に差し出した。

 そして大事なのはツマミだ。しかし残念ながら吉井の料理の腕はないのでツマミは市販品のカルパスとさきいかしかない。

「市販品で悪いね」

「いえ、構いません」

 味気ないといえば味気ないがないよりはマシだ。それに酒とはただそれのみで飲むものではない。ツマミと併せて楽しむものだ。まあ、今回のツマミに関してクオリティはお察しだが。

「さぁて、いい加減佐世保には慣れたかい?」

「ええ、まぁ」

「ここはいい場所だぞ、適度に暖かいし魚はうまい。まあ最近はちと砲弾が飛んでくるが、それでもいい場所だ」

「は、はぁ」

 ヒトとのコミュニケーションにおいて最も重要なのはノリだ。波長を合わせることだ。しかし天羽のノリはイマイチ。ここまで冗談の通じないやつだっただろうか。というか今日はどうにも変だ。

「いやぁそれにしても天羽君とだけで飲むのは初めてじゃないか? 普段はどのくらい飲むんだ」

「週に一、二回ですかね。中尉は毎日飲まれているようですが」

「なあに朝から飛ぶときは飲まないさ、飲酒運転はしない主義なんでな」

 コルク抜きでボトルを開ける。ワイングラスの8分目少々まで深紅の液体を注ぎ込む。くるりとグラスを回すとワインの涙がゆっくりとグラスを伝った。

「いよぉし、では宴と行こう」

 吉井は自分の酒に手を付ける。タンニンの渋みがありながらも柔らかい飲み口。力強くインパクトがありながらも、優しく包み込むような感覚は上物だと思わせた。多少、値が張ったものを買ってみたが、安酒とは比べ物にならない。吉井が堪能している最中に一瞬だけ天羽がこちらを見てきたようだったが、彼もそのまま飲み始める。

 適当な会話に適度なお酒。ここにうまいツマミと最高の美女でもいれば完璧だ。

「なぁ、天羽君、君は艦娘をどんな存在だと考えているか?」

 ふと気になった吉井は、酒を飲みつつ言う。

 

「艦娘を、ですか……」

 それだけ言って言葉尻を濁してしまう天羽。誘ったとき彼が特になにも言わずに乗ってきた時点でなにかあるとは思っていたが……案外ドンピシャなのかもしれない。

「おうどうした天羽君、思うとこがあるなら言っちまえ」

「……いえ、大丈夫です」

「なんだよ水臭い。同じ階級で似たようなおっさんじゃないか、ほら本音を言え」

 

 カルパスの皮を剥く。それを口に放り込みながら天羽に問いかけを投げかける。

 天羽は目の前に置かれた日本酒に手を付けることもなく、俯いたまましばらく間を取った。

「私は精神科医ではありませんし、主観としてしか語れないのですが」

「おう、言え言え」

「……やはり見た目相応な部分も多いかと。この言い方は嫌いなんですが、お上の言い方をするなら『未熟』というのが妥当でしょう。良くも悪くも見た目通りの少女です」

 

 吉井はそれを聞いてうなづく。

 

「やっぱり君はそう言うと思っていたぜ。上の方には艦娘を未だに唯の道具と考える奴が多くいるからなぁ……」

「単なる兵装とみるのは、技術的にも感情的にも難しいでしょう。ミサイルや機関銃とはわけが違います。彼女らには一人一人感情があって、一人一人に夢を持っている。戦いたいと願って前線まで出てくるならいざ知らず、戦場に居る必要のない夢を語っている子も多い」

 駆逐艦娘などはその傾向が顕著なんですけど、と天羽は続ける。

「ご存知ですか? 艦娘を輩出した家族や親族には莫大な補償金が出るそうです。国家ぐるみの人身売買マーケットの運営なんて、口の悪い人間は騒ぎ立てているようですよ」

「……やるせねぇなぁ」

 赤のワインを僅かに口に含んで、吉井は目を伏せた。上物のワインのはずなのに妙に渋みだけが目立った。

「まぁなあ……だが、こればっかは現場じゃどうしようもねぇ。悲しいけど、これ戦争なのよね」

 

 そう軽くおどけるように言ってから、自嘲の笑みを浮かべる吉井。天羽はグラスを飲むでもなく揺らすだけだ。

 

「大問題だし腸が煮えくり返る。だが、深海棲艦(れんちゅう)が攻めてくるんじゃどうしようもねぇ ……俺は指揮官じゃねぇから、戦争がどうなるかなんて分からねぇが、俺は彼女たちを唯の道具とは絶対に思わない。共に酒飲んで、笑える。人間臭いじゃねえか。今はそれだけで、それだけ思ってればいいんだよ」

 ほら、とりあえず飲むぞ。それだけ言うと吉井は自らのグラスにワインを注いだ。

「中尉は本当にお酒がお好きですね」

「あぁそうだとも、なんせ俺はバッカスだからな」

「ローマ神話に出てくるワインの神でしたね……ギリシア神話のディオニューソス、ヘーラーの狂気」

 

 その天羽の言葉に、軽く吉井は頭を掻いた。

 

「かっあぁーーなんだい天羽君、お前は知ってくるクチか」

「まあ、一応は……」

 

 

 一度、吉井は背を伸ばす。

 

「じゃっ、酔っ払いの昔話に付き合ってくれるか?……俺は昔海軍の特殊部隊に居たのさ」

「海軍の特殊部隊?」

 

 初耳と言った感じで天羽は聞き返す。

 

「主戦力は通常兵器と海軍軍人の部隊だ……待てよ、これ機密事項だったか」

 

 

 ボソッと吉井が言った言葉に天羽は呆れるようにため息。

 

「まっ、冗談よ。話を元に戻すと俺はそこでヘリの副機長とスナイパーやってたのさ。既に部隊は解体されたがな」

「狙撃手?」

 

 真っ白な手袋を外し直ぐ近くに置き、目の前には酒やツマミ。軍人の体裁を保っているのは腰にぶら下げた正式採用されている拳銃だけ……そんな吉井だが、確かに体つきなかなか良く、唯の酒飲みの体つきではない。

 

「あぁ、そうだ……知ってるか? 撃つ時、相手の顔がしっかりと見える。これから消える奴の顔がな」

 

 吉井の目はしばし目を伏せる。

 

「俺の両手は血だらけだ。国家の為にな……そして人殺しをした金でのうのうと酒を飲んでる奴さ。俺は」

「では中尉は、この現状をどうお考えですか」

「俺が酒をよく呑む様になったのは部隊が解体されてからだぞ? それで察してくれよ」

 吉井はチラリと机の上に投げ出してある手袋を見る。

「そしてこの手袋は俺の過去の隠す為に着けている……艦娘にはこの()()()の両手を見せたくないからな」

「なぜ艦娘には?」

「恥ずかしいじゃねぇか、昔この国を護ってたのは俺たちだったんだ。その証拠であるこの手を晒しながらやる仕事はなんだ? 安全な後方勤務さ」

「……」

 黙ったままの天羽。

「若い時にはいろいろ考えるものだ。そりゃいいことだ。考えて考えて、それで答えを出せばいい……って、天羽とは同年代だったか。はっはっはっは」

 自分で自分にツッコミ。天羽も力なくはははと笑う。

「ですけど……今はつけてないですよね。手袋」

「酒の席と公の場では外すようにしてる」

「なぜ酒の席では外すんです?」

「おう、いい質問だな」

 

 再び吉井は酒を呷り始める。

 

「まだ、俺が手袋して酒を飲んでいた時にあいつが……隼鷹が、『酒の席ぐらいそんなもん外そうぜ? 酒は嫌な事も全部忘れられる。全てを切り離してくれるからよ』ってなだから、俺は今も外している。いやぁ駄目だなぁ。酔っ払って変な話聞かせちゃってさ」

 

 吉井はスッと盃を掲げる。

 

「今日、酒を飲み交わせた事について乾杯だ、天羽」

 

 

 応じるように、天羽も盃を掲げる。

「乾杯」 

 ぐいっと天羽と吉井がグラスを傾ける。これだから酒はやめられない。酔いはまだ回ってこない。この様子だとボトル一本くらいは空けてしまいそうだ。

 バタン! と吉井の部屋のドアが大きく開け放たれた。機敏な動きで天羽と吉井が振り返る。

「オーイオイオイ! なんで勝手に始めちゃってるのさぁ!」

 隼鷹が陽気そうな調子で吉井の隣を占領した。その後ろからどこか呆れ顔の大鯨が手提げの編み籠を持ってきっちりとした正座をした。

「せっかく捕鯨してきたんだよ!」

「隼鷹さんはおつまみなしです」

「すいませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 隼鷹が全力で土下座をする傍らで大鯨が膨れながら編み籠を開ける。それを見てケラケラと吉井が笑う。

「おう隼鷹。遅かったな」

「悪かったねえ、こちとら十分前まで哨戒任務さ。間に合わせただけ感謝して欲しいぐらいだって。どーせ市販品のツマミで一杯やってると思ったから大鯨さんにお願いしたってのにさあ……」

「拗ねるな、拗ねるな。ほれ、お前も飲め」

「あ、じゃあ私はワインー」

「あいよ」

 吉井がワイングラスをもう一つ用意するとまだ半分くらい残っているボトルから注いだ。この様子だともう一本くらいは開けることになるだろう。

「隼鷹さんから日本酒とワインだって聞いていたのでこんなものですけど」

「わざわざ作ってくれたのか?」

「出来合いは化学調味料だらけですから。それにちょっとの工夫と時間をかけるだけで簡単に作れますから」

 そう言いながら大鯨がツマミを広げ始める。日本酒用に用意したのはイカそうめんとカワハギの刺身。ワイン用にはカナッペ。カナッペはスモークサーモンとクリームチーズの上に実山椒が乗せられたもの、そしてオイルサーディンとパセリの乗せられたタイプの2種類だ。さらにマグロと短冊切りにされた山芋が和えられたものが盛られた小鉢が2つ。

「イカそうめんはしょうが醤油か酢味噌でどうぞ。あ、山葵もありますからお好きな方で。カワハギは今朝に水揚げされたものをさっき捌いたのですが、新鮮だったので肝醤油も作らせていただきました」

「肝醤油とは贅沢だねえ」

「なかなかいいカワハギだったんですよ」

 透き通ったイカと美しい光沢を持ったカワハギの刺身を大鯨が指差す。隼鷹がきらりと目を光らせた。

「カナッペは2種類ほど用意しました。さっぱりさせたい時は実山椒が乗っている方を、がつんとしたものがいい時はオイルサーディンの方を召し上がってください」

「これ、手作りなのか?」

「ええ、まあ。さすがにクラッカーは市販ですけど」

「それまで手作りって言われたら卒倒してたな」

 わざわざ実山椒なんてどこで調達してきたんだ、と吉井は思った。少なくとも吉井の知る限りで佐世保周辺で売ってる店はないはずだ。

「こちらの山芋とマグロの小鉢ですが、下味は薄めにつけてあるので日本酒を飲まれる方は出汁醤油で、ワインを飲まれる方はオリーブオイルを好みの量かけてからいただいてください」

「こんだけくるともはや食の暴力だね」

「まったくだな、隼鷹。大鯨を呼んでくれたのはいい仕事したぜ」

 というかこのレベルをさらっと作る大鯨は何者だと吉井は思わずにいられなかった。簡単なもの、と言ってはいるが普通に店で出されても不思議ではない。

「あ、大鯨は何か飲むか?」

「え、でも……」

「そう硬いこと言うなよ。ささ、ほら一杯だけ」

「……じゃあ日本酒で」

「あいよ」

 もう一つグラスを用意して大鯨のぶんを注ぐ。5分目あたりまで注いだ段階で大鯨がストップをかけた。

「んじゃあ人数も増えたところで……乾杯!」

「かんぱーい!」

「か、乾杯」

「……乾杯」

 それぞれがグラスを持ち上げる。カチン、とグラス同士はぶつけずに乾杯をするとグラスを傾けてくいっと煽った。

「くぅー、このカナッペいけるなぁ! 酒が進むったらありゃしねえ!」

「この山芋とマグロのマリネもいいねぇ!」

 隼鷹と吉井がツマミを食べながら盛り上がる。うまいツマミは酒の量を加速させる。まさにそのとおりだ。吉井と隼鷹はもう新しいボトルを開け始めていた。

「珍しいですね、天羽中尉」

「断りきれなかっただけですよ。そちらこそ珍しい」

「ええ。まあ、そうかもしれませんね。私は」

 透明な日本酒の表面に映った揺れる自分の顔を大鯨はじっと見つめた。大鯨は滅多に飲まない。それくらい自覚していた。

「私たちってなんでしょうね?」

 ぽつりと大鯨が漏らす。天羽が口元まで持ち上げたグラスをゆっくりと戻した。

「私たち、とは?」

「艦娘、という意味で捉えてください」

「ならばそれがどうしたので?」

 また大鯨が日本酒を口に含むとすっきりとした辛味が口の中を満たした。残り続けようとする辛味を押し流すように肝醤油をつけたカワハギを箸で口へ運ぶ。

「天羽中尉、私が戦ってると言ったら笑いますか?」

「笑いますかと聞く者が求めるのは本気で冗談にして笑って欲しいか、慰めが欲しいかの2択です」

「じゃあたぶんどっちもですよ」

 大鯨が自虐的に笑う。酔いが回っているのかもしれない。だが止めるものはいなかった。

「私は私の信じているものがあります。それだけは譲らない。それを侮辱されたらきっと私は激怒します。でも本当に正しいことってなんでしょうね?」

「……」

「艦娘が戦場に出ることは当たり前。沈んで当たり前。頭でわかってはいるんです。でも私はそこまでリアリストになれない」

 天羽は黙って大鯨を見続けた。話を聞くことに徹すると決めたのだろう。吉井と隼鷹、そして天羽と大鯨。この2組同士は同じ空間にいながら間には大きな隔たりがあった。

「本物の戦闘に馴染めない子をいっぱい見てきました。足が竦んでしまう子、震えて立てない子。沈んでしまった子も見てきたし、処置が間に合わずに命を散らした子もいた」

 くい、と大鯨がまたグラスを傾ける。ピリピリと喉にアルコールが通って胃に落ちていくとじわじわと熱いものがわだかまる。

「できることならもう見たくないし、出て欲しくない」

「それを私に言ってどうしたいんですか」

「ただの愚痴、と言うには露骨すぎますか?」

「まあ、そうですね」

 大鯨は自身が戦えと言われてもいいとすら思っている。望んで入った道だ。ここに骨を埋める覚悟くらいとっくの昔に決めている。

 なら他の子はどうだ。仮に望んで入ったとしても彼女たちの手に握らされているのは引き返せない片道切符だ。

 長々と意味のないことを言い続けた。遠回り過ぎだったかもしれない。だが大鯨は言いたことは伝わったはずと思いたかった。

 深雪ちゃんから目を離さないで。

 すべてはこれに集約している。

 深雪はずっと迷っている。わんぱくそうに振舞うその内側でどうしようもない寂しさを抱えているのも気づいていた。だから何度か接触してみたし、会話も試みた。けれど深雪が大鯨に見せたのは『元気一杯の仮面』をつけた深雪だった。

 天羽中尉ならあるいは。深雪が唯一、懐いている天羽中尉なら何か変わるかもしれない。仮面のない深雪をさらけ出せるかもしれない。だから頼むしかなかった。

「これくらいでお酒はやめておきます」

「そうですか。では、おやすみなさい。ツマミ、おいしかったですよ」

「……それならよかったです」

 まったく摘んでいなかったくせに、と口の中だけで言いながら大鯨は天羽に背を向けた。

 洗面所に水が流れる音が響く。口の中に残った胃酸の痛いような酸っぱいような感覚は、嫌でもこれが現実であることを示していた。口を(ゆす)いだ程度では消えてはくれないらしい。顔を洗えば少しは楽になるかと思ったが、濡れた前髪が重く束になるだけだった。

「――――思ひつつぬればや人の見えつらん 夢と知りせばさめざらましを

 そんな歌を詠んだのは小野小町だったか、天羽はそんなことを考えながら、洗面所の鏡を見る。乱視のせいもあり、ぼやけた輪郭。水音だけが鮮明だ。

「……夢であったなら、どれだけ良かったか、言ったところで変わらんか」

 呟いて思う。らしくない。1人呟くのも、これしきのアルコールで戻してしまうのも、患者(あいて)に分を超えて踏み込むのも。全くもってらしくない。

「こんな痛みが、夢であってたまるか」

 喉の奥に引っかかったような刺激臭に嫌気を感じながら、天羽は両手をシンクの脇に就いた、排水口に渦になる水はそしらぬ顔で吸い込まれていく。

 昔話に付き合うことはよくあることであり、よく聞いてきたが、吉井ほどほどお似合いな話があっただろうかと思う。

「神の血を引きながら、神と認められなかったバッカスは、人を陶酔させ狂わせるワインの作り方を武器に、狂信者を抱え込み、やがて神と成る。酔いを知らない人々を善意で狂わせながら、バッカスは破滅と共に成り上った」

 アルコールを大分吐き出したおかげで思考は比較的クリアだ。まだ、飲まれてはいない。

「吉井中尉。あなたの善意、あなたの好意は、艦娘にとっては美酒かもしれない。それでも彼女たちを混酒器の信奉者(マイデナス)にするわけにはいかないのです」

 狂ってしまえたらどれだけ楽だろう。酔えていたならどれだけ楽だろう。しかしながら、前後不覚に酔うことは軍人には許されないのだ。

 こんな神話があった。バッカスを信頼し、狂信したバッカスの信奉者(マイデナス)の一人、アガウエーはその酩酊のうちに息子のテンペウスを八つ裂きにして、その首を杖に刺し、バッカスの下へと戻る。

「四六時中狂っていられるのならば、世界は平和に満ちている。しかしワインには限りがあり、酔いが覚める時が来る。現実が襲ってくれば、もう、そこまでだ」

 軍人はいかなる時も現実に則し、冷静な判断を下せねばならない。それは操縦士だろうと軍医だろうと差はないはずだ。軍人の基本的な原則だ。それができないものは軍人としてふさわしくないとまで言える。

「だからこそ、酔うわけにはいかないんだがな……」

「よう、大丈夫かー? 吐いてないかー?」

 ひょっこりと顔を出す吉井に微笑みかけながら、天羽は笑みを浮かべた。

「大丈夫ですよ。少しばかりぼんやりしてしまったようです」

「疲れてるのか? いや、疲れてるか」

「疲れてないといえば嘘になってしまいますね」

 そう答え天羽は肩を竦めた。

「先に戻っています」

「おう、隼鷹が絡んでくるだろうが適当に処置しといてくれよ、お医者様。そろそろ出来上がり始めてる」

「適度に諫めておきます」

 そう笑いあってすれ違い、洗面所を出る。鼻につく、赤ワインの渋い香り。それが先ほどの会話を引きずりだす。

――――――お前ならそう言うと思っていたぜ。上の方には艦娘を未だに唯の道具と考える奴が多くいるからなぁ……。

 

 

 彼女たちを使い続けるつもりの癖によく言う、と毒を吐きかけて、口を噤んだ。

 すでに杯には口を付けた。嗤える立場にすでに無いのは明白だ。

 狂気がうごめく気配をひたひたと感じながら、天羽はいつもの表情を取り繕い、席に戻る。

 

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