隆広は自分の軍勢三百兵を連れ、陣から出た。騎馬武者一人と、三百の歩兵隊がゆっくりと七里勢に歩んだ。そして鉄砲の射程外に十分に余裕があるところに止まり、万一の弾除けのため竹束盾を並べた。
「うまい具合に追い風か。しかもゆるやか。声もよく届くだろう」
「そのようですね。しかし織田家の我々が信玄公の策を使うとは妙な話ですね」
と、松山矩三郎。
「かもしれないな。信玄公もあの世で苦笑していよう。もし失敗でもしたらあの世に行ったときお叱りを受けるだろうが、成功すればきっとお褒めの言葉もいただける。あの世の信玄公の御名に恥じないよう、この作戦を成功させよう」
「「ハッ!」」
「では、ジョウゴを左右で支えていてくれ。大声を出すには両手も使うんだ。しっかり持っていてくれよ」
「「お任せください!」」
「すう~」
隆広は思い切り、息を吸い、腹にチカラを込め両手をみぞおちに当てた。そしてノドが張り裂けんばかりに吼えた!
「一向衆門徒たちに告ぐ!」
「…!?」
「なんだなんだ?」
突然敵方から大きな声が聞こえてきた。しかも自分たちを呼んでいる。陣場に座っていた門徒たちは声のする方角を向き、立ち上がった。
「門徒たちよ! そなたたちが加賀の国を奪ったのは自由を求めてであろう! それがどうだ! 強欲荒淫の坊官、七里頼周の支配を受けて、結局そなたたちの境遇は変わっておらぬではないか! この戦は愚劣卑怯の七里頼周が本願寺への点数稼ぎのために起こしたもので、そなたらには何の実りもない戦である! さあ武器を捨てて逃げよ!」
ジョウゴを当てているとはいえ、隆広の声は七里勢、柴田勢にもよく響いた。強欲荒淫と言われた七里頼周が陣から出てきて側近に尋ねた。
「敵はなんであんな大声を出せるのだ?」
「大きなジョウゴを当てて叫んでおる様子」
「虚言に惑わされるなと全軍に…」
「南無阿弥陀仏と唱えているだけでは何も得られぬ! 唱えるだけで極楽に行けるなどと云うのは虚言以外の何物でもない! そなたたちはだまされておるのだ! 仏にだまされておるのではない! そこにいるハゲ頭の愚物に踊らされているのだ! そなたらはそんな能無し僧侶のために命を捨てて戦うのか! げにも無意味で愚か! 死に場所を間違えてはならぬ! 武器を捨てて逃げよ! もう加賀の国境に我らが大殿、織田信長が五万の兵を率いてこちらに向かっている! 戦場の露となるなかれ! 故郷の田畑の土になるを望め! 七里頼周ごときのイヌに成り下がって死にたいのか! さあ武器を捨てて逃げるのだ!」
七里頼周の顔は怒りのあまり、どんどん赤くなっていった。
「言わせておけば…ッ!」
「そなたらは、元を辿れば加賀国守護の富樫氏の圧政に苦しみやむをえずに蜂起した民の子孫だ。邪宗を忘れ矛を収めるのならば、そなたたちは後に我ら織田家の愛するべき民になるであろう! しかし! その厚顔無恥の破戒僧の呪詛どおりに我らと戦うとあらば容赦はせぬ! だが武器を捨てて逃げるのならば追いはせぬゆえ、早々に引き返すがいい!」
「だまらせろ!」
「僧正様、敵は鉄砲の射程外で言っておりまするゆえ…」
「ならば近づいて狙撃しろ!」
もはや、七里頼周は怒りにより極度に興奮して周りが見えなくなっている。
「よくまあ、あれだけの悪口を思いつくものですな」
後方で備えている可児才蔵は苦笑し、同じく苦笑している前田利家に言った。
「まったくだ。隆広は門徒の士気を下げると同時に七里頼周を挑発している。今ごろ七里頼周の坊主頭はゆでだこになっているだろう」
可児才蔵と前田利家は、隆広を認めて評価もしているが、佐久間盛政は違う。忌々しそうに隆広の背を見つめていた。
「下策を用いよって! 武士ならば弓と槍で戦場を駆けるものよ! …まあよいわ、いざ合戦が始まれば誰が柴田家髄一の武将が伯父上もお分かりいただけるはずだわい」
「それにそなたたちは今に我々と戦っている場合ではないだろう! この時期は収穫期ではないか。そなたらが丹精込めて作った稲穂や麦が待っているのではないか? もしこの戦に駆り出されたことにより収穫が減ったとしても、暴虐の悪鬼羅刹であるタコ入道が年貢の軽減などを言うと思うか! そなたらはそんな者の盾になって我らと戦うか! 七里頼周ごとき小者の情け容赦ない搾取に甘んじるのか! 今なら生きて帰られる! 収穫に間に合うぞ! 武器を捨てて逃げよ!」
布陣前に隆広が見込んだとおり、大半の門徒は渋々戦いに参加していた。領主というべき七里頼周は民を省みない坊官。他国の門徒たちは顕如の指示どおり『信長憎し』であろうが、皮肉にも一向宗の国となった加賀においては、むしろ信長より領主の七里頼周の方がより怨嗟を受けていたのではないだろうか。
隆広が発した声に、門徒たちは元から少なかった戦意が、さらになくなってしまった。陣の後方で、一人が武器を捨てて逃げ出した。こうなると、もう歯止めが利かない。
「こら! 逃げるでない!」
大将の七里頼周の叱咤も届かない。
「逃げると仏の罰が下るぞ! 逃げたものは加賀に帰った後に死罪にするぞ!」
脅してももはや止まらない。門徒は次から次へと逃げていった。
隆広は最後の仕上げに入った。
「ジョウゴはもうよい、鉄砲をかせ」
「ハッ」
一丁だけ本隊から借りて持ってきていたのである。そして
ドーンッ!
空に向けて発砲した。これが完全にとどめとなった。門徒たちは武器を捨てて我先に逃げていった。
「御大将! 見てください! 門徒たち逃げていきますよ! 作戦大成功! やったぁ―ッ!」
隆広の兵、松山矩三郎と高橋紀二郎は子供のように飛び上がって喜んだ。痛快だった。他の兵たちも大喜びである。中には泣いている者さえいた。
「よし、みんな。本隊に戻る。このスキに乗じれば、この戦の勝ちは目前。急ぎ戻るぞ」
「「ハハッ!」」
兵たちは歓喜の興奮を抑えつつ、隊列を組んだ。この時に隆広は声を発するときに使ったジョウゴもちゃんと拾って持っていた。馬に乗る前、それを共に作った矩三郎に言った。
「矩三郎、そなたと夜なべして作ったこのジョウゴで一向宗の万の兵を追い払えた」
「もったいないお言葉にございます」
「これは味方を鼓舞するのにも使えるな、大事にするよ」
「は、はい!」
柴田勝家も、そして他の諸将もあぜんとしていた。敵方の四分の三の兵が、つまり三万強の一向宗門徒がたった一人の男の言葉で戦意を失い次々と逃げ出してしまった。
兵法に『城を攻めるは下策、心を攻めるは上策』と記されているが、こんなにそれが分かりやすい展開はなかった。
「殿、戻りました」
「うむ、見事な働きであった。褒めてとらすぞ」
「はい!」
「見よ、門徒どもが逃げ出したおかげで、七里本隊も士気が落ち混乱しておる。全軍で一気に攻める!」
「「ハハッ!」」
「全軍、蜂矢の陣にて突撃じゃ!」
「「ハッ!!」」
「かかれえ――ッッ!!」
勝家の軍配が七里隊に向けられた。一万二千の柴田隊は一斉にときの声をあげて怒涛のごとく七里本軍に襲い掛かる!
勝家の寄騎である才蔵と隆広は布陣した場所から動かず、勝家の傍らで待機している。そして誰の目から見ても、柴田勢の優位さは変わらなかった。残る本願寺の僧兵たちも大量に門徒たちが逃げた事から士気は無きに等しく、次々と討ち取られていった。戦況はもはや本隊が動くまでもない。さすがは織田家最強軍団と呼ばれる柴田勝家の軍勢である。この合戦においての隆広の出番はもうなかった。
しばらくすると、七里頼周を討ち取ったと云う報告が入った。柴田軍大勝利である。加えて門徒たちが捨てていった鉄砲の数は千五百丁以上。あまり鉄砲の収集が得意ではない柴田家にはこの上ない戦利品だった。思わぬ置き土産に柴田勝家は歓喜した。
加賀大聖寺城の戦いは、こうして柴田勝家の大勝利で終わった。水沢隆広と云う戦国武将の名が始めて歴史に登場した合戦でもある。一番手柄は佐久間盛政、二番手柄は前田利家、三番手柄が水沢隆広となっている。隆広は実際には戦場で戦ってはいない上に初陣。控えめにしたのも勝家の気配りとも言える。
だが、隆広はこの戦の手柄と、先日の城普請の功も合わさり、足軽大将に昇進した。上限千五百の兵を任される将となったのである。陪臣(君主の家臣の家臣)とは云え、隆広はこの時点で織田家の若君たちを除けば織田家最年少の部隊長となったのである。佐久間盛政、柴田勝豊、佐々成政は不満であったが、普請と、この戦での功績は認めざるをえなかった。
しかし、この合戦で前田利家があることに気づいていた。隆広は門徒に訴えている時、五度も『武器を捨てて逃げよ』と言った。つまり隆広はあわよくば門徒たちの持つ鉄砲もいただいてしまおうと考えていたのではないかと利家は見た。翌日に大聖寺城にて戦勝を祝った日、利家は隆広の隣で飲み、それとなく尋ねてみた。
『ただの偶然です』と隆広は笑っていたが、やはりあの鉄砲の放置の多さは、隆広の五度の『武器を捨てて逃げよ』が効いていたとしか思えない。利家はそら恐ろしさすら感じた。
そして利家は誰にもそれは言わなかった。隆広は柴田家幹部数名から激しい妬みも受けている。
かつて利家は羽柴秀吉の破格の出世を目の辺りにして、秀吉が常に諸将の妬みを一心に受けていたのを見ている。秀吉は生来の豪放磊落の性格をしていたからそれを歯牙にもかけなかったかもしれないが隆広は違う。まだ十五の少年で、しかも性格は繊細に思える。秀吉と同じような嫉妬の念に耐えられるか疑問である。今回の鉄砲の思わぬ収穫の功を一切主君勝家に主張しなかったのも、それから身を守る術だったのかもしれない。
才蔵が『案や策があるなら言うべき。言わぬは不忠』と隆広に釘を刺したとは聞いた。だが現実、それをバカ正直に毎度実行しては僭越にもなるし、他者には増長とも取られてしまう。秀吉のようにオレがオレがとスキあらば主君信長に自分を売り込むようなマネは、おそらく隆広にはできない。
だから隆広は鉄砲を接収できる策だけを実行して、その手柄は他者に譲ったのだろう。秀吉が聞けば、なんとお人よしと笑うかもしれないが、それも一つの処世術。初陣から隆広は声一つで破格の手柄を立てた。仕官して一ヶ月も経たないうちに足軽大将である。
明智光秀や滝川一益のように、最初から侍大将や部将として召抱えられた例もあるものの、彼らはそれなりに名が通った武将であった。隆広はまったくの無名で秀吉以上の破格の出世を成した。これから隆広には常に嫉妬の念がついてまわるだろう。そして勝家も立場上、かばうことが出来ないこともあるかもしれない。
幸いな事は、柴田家重臣たちである毛受勝照、拝郷家嘉、中村文荷斎、金森長近、不破光治が隆広に好意的なことである。この面々まで佐久間盛政や柴田勝豊同様に隆広を毛嫌いしていたらどうしようもないが、主なるこれらの将が隆広に好意的ならば自分がかばえば何とかなると利家は思った。
無論、年若く勝家の寵愛を受ける隆広を快く思っていない者は他に数え切れないほどにいるであろうが、幹部にこれだけ好意的な者の方が多いことが幸運なのは確かである。
「しかし、いかに才がある養子候補だろうと隆広に対する殿の寵愛は異状だ。あのエコヒイキぶりでは逆に隆広はつぶれかねないし、家臣団に不和が生じるのもお分かりになるはず。何か考えがあっての事か…」
色々と思案した利家だが、最後にこの答えへ達した。
「とにかく、オレが隆広を勝家様に会わせたのも何かの縁だ。あれほどの若者を小者の嫉妬でつぶしとうもない。しばらくはそれとなくオレがかばっていこう。それに君臣に不和が生じる前に何とかするのも家老の務めだ。忙しくなりそうだな」
その言葉を記し、利家の本日の日記は締めくくられた。
勝家隊は北ノ庄城に凱旋した。味方大勝利の報は城下町にも伝わっていた。領民たちは喝采をあげて勝家を出迎えた。城下町の中央通りを威風堂々に進む柴田軍に拍手は鳴り止まない。
通りの両脇で人混みに圧倒されながらも、さえは隆広を見つけていた。そして最後尾の本隊。領主勝家の寄騎として堂々と主君の傍らにいる隆広を見つけた。
「隆広様―ッ!」
さえの声に気付いた隆広は、恋焦がれている少女の歓喜の声に疲れが癒されていくようだった。隊から離れて抱きしめたいくらいだが、そうもいかない。ニコリと笑ってさえの笑顔に答えた。
(ああ、よくぞご無事で!)
凛々しい隆広の凱旋姿にさえの胸は高鳴った。
城下の娘たちも、さえが発した言葉で隆広を見つけた。彼女たちもずっと探していたのだが、全軍が同じような兜と鎧をつけているため見つけられなかった。見つけたら我先にと黄色い声を上げた。
「「キャ―ッ! 隆広様―ッッ!」」
「「こっちをお向き下さ―い!」」
あまり女に慣れていない隆広は顔を赤くした。
「ま、まいったな…」
隆広の後ろを歩く兵たちはすこぶる面白くない。
「ちぇっ 誰もオレたちの名前なんて呼ばねえや」
「グチりなさんな。これから武功を立てていけば物好きな女が一人ぐらいお前を呼ぶよ」
「オレたちは城下の鼻つまみ者だったからな、仕方ねえさ。でもこれからは違うもんな!」
「おうよ! 御大将の元で華々しい戦ばたらきしてやるさ。そうすりゃ向こうから寄ってくるってモンだ!」
「隆広」
「はい、殿」
「今、お前に黄色い声をあげた娘たちを泣かせたり憎まれるような将にはなるなよ。あの娘たちや、この北ノ庄の人々の笑顔を守っていくのが我らの仕事だ。ずっと黄色い声を受けられるような、そんな大将となれ。お前の父、隆家殿は女子に不器用ではあったが、斉藤の武将の中で領内の女子供にもっとも慕われていた。それは強くて優しい武将であったからに他ならない。お前も見習うのだぞ」
「そうとも隆広、ガキのころ隆家様の騎馬姿にオレはどんなに憧れたか。子供が憧れるような大将になれよ」
隆広と同じ、美濃育ちの可児才蔵が背中を叩いた。
「はい!」
無事に合戦を終えて、軍勢の解散が城の錬兵所で勝家から言い渡された。隆広は兵士たちに城下で一杯やりましょうと誘われたが、そこに勝家が来て紹介したい者がいると言われ部下たちに後日の約束をして勝家についていった。
城内の勝家の私宅に連れて行かれると、そこには勝家の愛妻の市がいた。そして娘三人も。市と三姉妹は勝家を出迎えた。
「殿、お疲れ様でございました。お味方見事な大勝利と聞き及んでいます。謹んでお祝い申し上げます」
「うむ、市も留守ご苦労であった」
「父上、お帰なさ…」
と、茶々が父の勝家に言おうとしたときだった。茶々は勝家の後ろにいる若武者を見て眼が飛び出るほどに驚いた。
「ああッ!」
「は?」
「あ、姉上! こないだ城下で見た美男子だよ!」
また、お初が余計な事を言うので茶々は慌ててお初の口を押さえた。茶々は顔を真っ赤にしていた。
「茶々? どうしたの?」
「な、なんでもありません!」
「母上、父上の後ろにいる殿方が」
「だあああッッ! お黙りなさいよ! お江与!」
「まさか…?」
市と勝家は顔を見合わせた。そして勝家は大笑いした。
「あっはははははッ! そうか! 前に言っていた若侍というのはこいつの事か!」
「ち、ちがいます! ちがいますってばあッ!」
「は?」
隆広には話が見えなかった。しかし、目の前にいるのが市と三人の姫君というのは理解できた。
「市、この男が前に話していた水沢隆家殿の養子、水沢隆広だ」
「まあ、りりしい男児。初めまして、勝家の室の市です」
「お初に御意を得ます、奥方様」
ひざまずき、眼をふせる隆広。
「顔をおあげなさい。わらわに顔をよう見せてください」
「は、はい」
市はじっと隆広の顔を見た。隆広も市を見た。市は優しく微笑む。
「隆広殿、そなたの父上は我が織田家を震え上がらせた猛将。夫の勝家、兄の信長さえ恐れ、そして尊敬した武将です。そんな偉大な養父を持ち、誇りと思うと同時に、その名が重荷と感じるかもしれません。ですが隆広殿は隆広殿です。父のように、父のようにと、あまり根をつめてはなりませんよ」
「は、はい! ありがとうございます」
「隆広殿、私と勝家の姫たちです。三人ともおてんばですから、色々と貴方にも苦労をかけるでしょうが、よろしくお願いいたします」
「ハッ」
隆広は三姉妹にもひざまずいた。
「茶々姫様、初姫様、江与姫様、お初に御意をえます。水沢隆広です」
「初です」
「江与です」
次女と三女の姫は隆広の丁寧な挨拶に、初々しくも答えた。だが長女の茶々は隆広の顔が見られなかった。胸は高鳴り、恥ずかしくてたまらない。
「ちゃ、ちゃ、茶々です! こ、こちらこそよろしくお願いしますです!」
と言って屋敷に逃げてしまった。その反応に勝家は笑いをかみ殺していた。小声で市がやんわり叱り付けた。
(殿、笑い事ではございませぬ。茶々と隆広は…)
(ん? まあ、そういうことになるが、まだ十五と十三ではないか。気にすることもなかろう)
(だといいのですが…)
茶々が自分の前から走って消えてしまったので、隆広は市に尋ねた。
「な、何かそれがしは茶々姫様に変な事でも言いましたでしょうか?」
お初が代わりに答えた。
「姉上は色々と難しい年頃なのです。隆広殿も女心を理解しないと!」
「は、はあ…」
(マセた事を言う姫だな)
「隆広殿には、もう奥さんいるのですか?」
と、お江与。
「い、いえ。まだ独り者ですが」
「聞いたお初姉さん! 茶々姉さんにもまだ勝機ありよ!」
「そうねそうね!」
「は?」
「いやいや、隆広、あまり娘たちの言う事は気にするな。今回は市に会わせたかった。柴田家はみな家族じゃ。たまには市と娘たちに顔を見せてやってくれ」
「はい!」
「必ずですよ、隆広殿」
「「浮気しちゃだめです」」
「は?」
「初に江与、マセた事を言ってはなりません! ごめんなさい、隆広殿」
「はあ」
「ははは、さて、さえもお前の帰りを待っていよう。今回はこの辺で帰るが良い」
「はい!」
「では明日な」
隆広は城を出て、城下町の自分の屋敷へと走った。
「腹へったなぁ…」
自分の屋敷から炊煙が上がっていた。美味しそうな焼き魚の匂いが鼻をくすぐる
「さえ殿! ただいま戻りました!」
「お帰りなさい! 隆広様!」
優しく迎えてくれるさえの声を、隆広は言いようのない歓喜の中で聞いた。
「いいよなあ…。こういうのが幸せっていうのかな」
隆広の初陣はこうして終わった。十分に勝家を満足させ、他の将兵も一目置かざるを得ない英才を示した。
また、後日談であるが、門徒数万を一斉に退かせた隆広の言葉を発したジョウゴは後に松山矩久と云う名の武将になった松山矩三郎が大切に預かり、今日に至るまで松山家の家宝として現存し、国宝にも指定され大切に保存されている。万の兵を一斉に退かせた声を発したジョウゴ。後の人はこのジョウゴを見て堂々と口上を言った水沢隆広の勇姿を思い浮かべた。