天地燃ゆ   作:越路遼介

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奥州仕置

 小田原攻めが終わると明家は大坂に帰ったが、彼はその前に武州恩方(東京都八王子市)に向かい松姫を訊ねた。信松院と云う庵で、かつて婚約者であった亡き織田信忠を弔い生き信松尼と号し尼僧となっていた松姫。彼女は明家の訪問を心から喜び、茶室で明家をもてなしていた。

「聞きました。小田原が落ち、北条氏が降伏したと」

「はい」

「豊臣秀吉とはすごいですね。父の信玄、そして謙信公さえ落とせなかったお城を」

「合戦の仕方が違いますからな…」

 松姫は美しくなっていた。尼僧姿で静かに微笑む姿は女神さながら見えた。

「…?どうなさいました竜之介殿」

「い、いえ…。しばらく見ぬうちに美しくなってと思い…」

「まあ、相変わらず口がお上手で」

「いやあ本当です。もしかすると徳川殿は松姫様を側室にしたいと申すかもしれませんなァ。馬場美濃殿の娘を欲したほど武田ゆかりの娘に興味をお持ちゆえに」

 松姫はクスッと笑い答えた。

「実は徳川殿にそれは要望されました。使いを寄こさず、ご自分でここに参られて」

「じかにここまで?」

「はい、でも私は信忠様に操を立てると断りました」

「一度であきらめましたか?」

「いいえ二度も三度も。やむなく『しつこい殿方は嫌いです』と申すと、さすがに諦めて下されたようで」

「あっははは!なんと徳川家康を袖にしましたか」

「徳川殿が関東入府となった時、文も届きました。北条氏と変わらず恩方に住む武田遺臣を厚遇して下さるそうです」

「さすがですな。徳川殿は武田遺臣をずいぶんと召抱えています。信玄公を師と思っていますし、何より自分をふった女にも厚遇を約束されるとは中々出来ることではございません。むしろそういう経緯があれば徳川殿は松姫様の一行もいっそう丁重に遇されましょう」

 その通りである。この松姫と共にあった武田遺臣たちは後に家康から『八王子千人同心』と呼ばれ、江戸の西方の守備を委ねられる。この千人同心の末裔にあたるのが新撰組の近藤勇、土方歳三である。

 かく言う明家もまた武田遺臣を多く召し抱えていた。代表的なのは投石で有名な小山田家であるが、父の正直と袂を分けた保科正光も明家に召し抱えられた。

 だが、しばらくして徳川に仕えていた正直と和解。やがて正直が死去すると保科家の跡取りがいないため、家康を介して明家に正光が徳川に来るように要望された。お家断絶は母や妹たちに申し訳ないと正光は柴田家に暇乞いして保科家を継いだ。彼に養育されるのが治世の賢君と名高い保科正之である。

「そうだ松姫様、今度それがしの領国である丹後若狭に参って下さいませ。小山田の者たちも喜ぶし、美味しい海や山の恵みもございますぞ」

「それは…ありがたくご招待を受けます」

「もうしばらくすれば、この国から戦はなくなります。安心して来られますよ」

「そこまで来ているのですね、戦のない世が」

「はい」

 感慨深く微笑む松姫、本人は罪のない事に自覚していないが男盛りの明家から見て、たまらない色っぽさであった。その美しさと色っぽさに明家は惚けて松姫を見つめる。

「どうしたのですか竜之介殿、何か変ですよ?」

「い、いや、あっはははは!」

 

 さて、豊臣秀吉は小田原北条氏を滅ぼし、奥羽平定に乗り出し、そして宇都宮城に到着した。そこには伊達政宗と最上義光が出迎えていた。城門で膝を屈し秀吉を迎えた。

 余談だが政宗と義光にはこの前日に一悶着あった。母の保春院を裏で糸ひき、息子へ毒を盛らせたに至るのは伯父の貴方の差配だと激しく罵ったのである。

「何の話だ」

「すっとぼけるな!水面下でしか動けぬ腰抜けが!」

 最上家臣は激怒、伊達家臣も一歩も退かない。しかし義光は政宗の相手をしなかった。

「何とか申したらどうか!黙っていると云う事は我が毒殺を差配したのはやはり伯父上か!」

「だとしたらどうする?関白殿下が発布された『日ノ本惣無事』に逆らい、儂と戦でもするか?儂は一向にかまわんがな」

「居直るか!」

「ふん、確たる証もなしに伯父を罵るとは短慮も良いところだ。まあ父の輝宗を鉄砲で撃ち殺す外道だからな」

「何だと!」

「殿、もうその辺りで!」

 必死になって止める片倉小十郎。

「ともあれ伯父御殿は明日共に関白殿下をお迎えする者同士、ご短慮はなりませぬ!」

 小十郎の諫言を忌々しそうに聞き、そして部屋から出て行った。

「お前も色々と大変だな」

 笑って義光は言った。その義光をキッと睨み小十郎も退室した。そんな経緯もあるが二人は城門に並び秀吉を出迎え、そして彼らが先導し会津黒川城に入城し、小田原の役の論功行賞を発表。政宗への処遇は苛烈だった。会津を召し上げられてしまった。論功行賞を終えると秀吉は随行してきた蒲生氏郷を召した。

「氏郷よ、会津・仙道四十二万石とこの黒川城を与える」

「はっ!」

「ところで氏郷、伊達をどう思う?あの若僧は中々したたかじゃ」

「彼はまだまだ若僧にございます」

「いや、それはどうかのう。彼奴、儂の事など内心屁とも思っておらん」

「若さゆえでしょう」

「それよ、だからこそ儂につまらん事も考える」

「謀反でも?」

「それほど愚かではあるまいが、あの男が会津と黒川城をあっさり明け渡した事が気になる。彼奴が心底儂に心服しておらぬ事は目を見れば分かる。あの若僧、会津を明け渡す腹いせにきっと何かしでかす。氏郷が政宗の性格をしていたらいかがする?」

「そうですな、一揆の火種を残していきましょう」

「具体的には?」

「会津の豪農や庄屋に『新領主が気に入らぬ統治をしたのなら、その時は儂が後ろ盾になろう。いつでも力を貸すゆえ、このたびの領地明け渡しを許せ』と書き残しまする」

「ふっははは!なるほど政宗ならやるかもしれんな」

(ふふ…。いや、やってもらわねばならぬ)

 秀吉は奥羽諸大名の仕置を明らかにした。大崎、葛西、石川、田村の諸氏は所領没収となった。理由は小田原に参陣しなかったからである。そして今まで政宗が治めていた旧芦名領の会津、岩瀬、安積の旧芦名領は蒲生氏郷に与えられ、大崎、葛西両氏の旧領は木村吉清と清久親子に与えられた。

 

 米沢城、伊達政宗の居城。片倉小十郎と政宗が話していた。

「愛姫様は聚楽第に向かいましたか」

「ああ」

 伊達政宗の正室愛姫は三春城主田村清顕の娘である。後に賢夫人として夫の政宗を支えた彼女であるが、この時は最悪の不仲の状態であった。彼女の父の清顕が急死すると世継ぎの男児がいなかったゆえお家騒動が起き、やがてこれが皮切りとなって相馬・佐竹・芦名・二階堂連合軍と伊達・田村が激突すると云う郡山合戦が勃発し、勝利した政宗が三春に入城。妻の実家を実質併呑したのだ。

 しかしまだ伊達家の傘下であっても独立性を保っていたが豊臣秀吉の奥州仕置で田村の領地はすべて没収。しかし田村が参戦しなかったのは清顕の甥である当時の田村当主宗顕の出陣を『田村の采配は清顕の娘婿である自分にある』と言い差し止めたからである。政宗は秀吉の奥州仕置を逆用して妻の実家を完全に乗っ取ってしまった。

 この仕打ちに田村宗顕は激怒し隠棲し、伊達に田村遺臣を組み入れようとした政宗であるが、見向きもされず、ほとんどの遺臣たちは上杉、最上、蒲生に仕官してしまい、何より田村清顕の娘である愛姫の夫への怒りは並大抵ではなかった。政宗は『田村の当主は俺とそなたの子でなくてはならない』と言ったが、政宗の側室猫御前が愛姫より先に男子を生んで胸中穏やかでないところに、この夫の仕打ちである。

 しかし政宗とて好きでやったわけではない。自分がしなければ他の奥州勢力に田村は飲み込まれる。妻をわざわざ悲しませる事など誰がしよう。しかしまだ若い愛姫には分かる事ではなかった。分かりたくもなかったが。

 政宗が夜閨を求めても『ご容赦下さい』と違う部屋に行ってしまい、正室として奥向きの仕事は勤めるものの、夫とは社交辞令的な言葉しか交わさない。かつて愛情一杯の笑顔を向けてくれた妻が憎悪と侮蔑の眼差しを向けてくる。政宗もほとほと参った。そこへ秀吉から正室を京の聚楽第に越させ、人質とするようにと勧告があった。少し距離を置いた方が良いと思い、政宗は快諾した。そして愛姫に話を切り出した。

「私を京に?」

「そうだ」

「…秀吉は我が実家を滅ぼした男、その男の元へ行けと?」

「田村を滅ぼしたのは秀吉ではない。俺だ」

「……」

「しばらくそなたは俺と離れた方が良い。また…俺は人質に出すとは思っていない。伊達の先陣として送り出す気でいる」

「先陣?」

「上方の情報を逐一俺に知らせろ。女にしかできぬ事もある」

「秀吉と寝ろと?」

「そんな事は言っていない。上方にいる諸大名の妻と積極的に付き合い、様々な情報を掴み、俺に送れと云うのだ」

「殿を殺すため、偽情報を送るかもしれませんよ」

「それもよい。俺はそなたの言葉を信じて動くしかないのだからな」

「……」

「愛」

「はい」

「田村は必ず再興させ、三春も返す。そなたや遺臣たちもいずれ分かろう。俺がやらねば秀吉か他の大名に田村は飲み込まれていた。さすれば田村の家名は断絶、伊達はああするしか、そなたの父上に報いられなかったと云う事を今にわかる」

「……」

「侍女に喜多(小十郎の姉)をつける。早々に旅支度を整えておけ」

 政宗は愛姫の部屋を去っていった。その喜多もその場にいたが…。

「愛姫様…」

 フッと笑う愛姫。

「…分かっているのです。殿のお気持ちは。でも、だからと云って割り切れるものではなくて…」

「今に昔のように仲の良いお二人に戻れる事を願わずにはおれません」

「そうね…。だからしばらく離れるのは良い事かもしれません」

「聚楽第に行かれるのですか?」

「私は伊達家の正室、殿との不仲は別問題です。さあ準備にかかりましょう」

 こうして愛姫は京の聚楽第へと向かって行った。

 

「さて小十郎、にわか大名の木村吉清殿は検地を実施し年貢も厳しく取り立てているそうだな」

「御意、いきなり三十万石の大名となり有頂天になったのでございましょう」

「木村吉清と清久の親子は知らんとみえる。男にとって一国一城の主になるのは大望。しかしそれで終わりではない。それからが大事だと云う事をな」

 そればかりではなく、木村吉清は旧大崎と葛西家臣の地侍などを家臣に登用せず、さらに刀狩まで行った。

「今に一揆が起こりましょう。殿の望むように運んでおりますな」

「人聞きの悪い事を言うな。木村親子が仁政を敷けば、俺が旧領の豪農や名主に残してきた書置きなど空手形になっていたのだからな。苛政は虎より恐し、すべて木村親子が悪い。あっははは!」

 やがて一揆が起きた。政宗の小田原参陣時において大崎と葛西両氏は戦国大名としての体制を整えられておらず、政宗に半ば属していた状態であった。ゆえに彼らが独自に出陣し小田原参陣をできるはずがなかった。大崎と葛西の領地と云っても、それは南奥州諸大名の頭領とも云うべき立場であった政宗の領地でもあるのだ。

 この一揆は小田原参陣後の論功行賞で領土の大半を削られた政宗が、失地回復の方策として旧領に対して一揆の火種を残し新領主の追い落としを図り、蒲生氏郷より御しやすい木村親子を策の成就のために狙ったとも云える。政宗はこれが秀吉と蒲生氏郷にとって想定内と想像もしていないだろう。秀吉もやはり恐ろしい男である。大崎と葛西の一揆を逆用して政宗を葬ろうとしていたのである。

 やがて一揆の追討令が秀吉から蒲生氏郷と伊達政宗に下命された。氏郷はまだ現地の地形に不慣れ。伊達家に案内役を要請。政宗もそれを引き受けた。しかし伊達勢はいつになっても蒲生軍と合流しようとしない。所定の場所で滞陣している氏郷。事前に伊達家から手渡されていた地形図を見て失笑した。

「ふん、やはりの。地形は出鱈目じゃ」

 その地形図を傍らにいた家臣に放った。

「では殿、伊達はやはり」

「ふむ…。しかし哀れよの。味方の密告で事が完全に露見するとは」

 もう一つ、氏郷の手には地形図があった。この数日前、氏郷の陣屋に伊達家から密告者が駆け込んだ。須田伯耆なる人物である。その男が所持していたのは政宗が一揆の扇動者である大崎と葛西の旧臣たちに宛てた書状、そして正確な地形図である。加えて、その須田伯耆が道案内をしていたため、事実上伊達勢の加勢は必要なくなっている。

「殿、殿のお見込みではそろそろ…」

「ふむ、儂が政宗なら、この合流を約定した地に奇襲をかけるが…」

「殿―ッ!右手より一揆勢!」

「よし、迎撃し、その後に一揆勢の篭る名生城に攻撃開始だ」

「「ははっ!」」

 その合流地点に政宗は数日後に到着した。周囲は静かだった。

「いやに静かですな…」

「ふむ、小十郎。我らが出張るまでもなく蒲生は撃破されたかもしれんな」

 伊達成実が笑った。

「何が“蒲生の麒麟児”か。笑わせよるわ!あっははは!」

 そのまま進軍する伊達勢は名生城を見て愕然。蒲生の旗が立っていた。

「な…!?」

「殿!名生城はすでに蒲生に!!」

「あっはははは!」

「氏郷…!」

 名生城の櫓で氏郷が豪快に笑っていた。

「ずいぶん遅い到着だな政宗、もう手柄は残っていないぞ」

「く…ッ!」

「儂につまらん策を弄している暇があったら家中の融和にもう少し気を使え。そんな事だから譜代の家臣に背かれるのだ」

「なに?」

 氏郷は矢文を政宗の馬前に放った。片倉小十郎がそれを拾った。

「と、殿…!こ、これは一揆の扇動者に当てた殿の密書にございますぞ!」

「なんだと!」

「須田伯耆が寝返ったようにござる!」

「しまった…!!」

「あっははは!それは写し、本物はもう関白殿下の元へ行っておる。困ったな?あっはははは!」

「おのれ氏郷…!」

 城門の上から鉄砲隊が一斉に姿を現した。

「来るなら迎え撃つ!」

「…退け!」

「殿!」

「退かんか成実!」

「は、はは!」

「おのれ氏郷、この仕返しは必ずするぞ!」

 

 事の顛末を聞いた秀吉は、予想の範疇であったゆえか、さして政宗に怒気を示さず葛西大崎一揆の鎮圧の総大将を甥の秀次に下命し、その参謀に柴田明家をつけ奥羽鎮定軍が編成された。謀反が露見した今、その鎮定軍の矛先は伊達に向かってくる。政宗は矛先を逸らすため一揆軍に包囲されている佐沼城に向かい木村親子を救出した。その直後、秀吉から政宗に使いが来た。

『儂の代理で奥羽を固めようとしている氏郷に楯突くとは不届き』

 と云うものであった。木村親子を救出した事は何の評価もされず免罪符にもならなかった。政宗は一揆扇動、すなわち謀反の罪に問われ上坂を下命された。死に装束をまとい、黄金の磔柱を持参して京を訪れ秀吉のいる聚楽第に向かった。石田三成がその様子を秀吉に報告した。

「なに?政宗が黄金の磔柱を持参してきたと?」

「はい、政宗自身も死に装束でございます」

「死に装束とな…?」

「京の町はその磔柱を一目見ようと大騒ぎにございます」

「むう、それでは儂は政宗を斬れぬではないか!」

「何故にございますか」

「磔は覚悟のうえとこれ見よがしに担いで出てきた者を斬れば、儂は器の小さな人物と揶揄されようが」

「殿下、それでも謀反は謀反、政宗は小細工を弄しているに過ぎませぬ」

「ふむう、越前はどう思うか」

「一揆勢に宛てた密書についてどのような言い訳をするか、それを聞いてからでも遅くはないかと存じますが」

「それもそうよな、よし政宗が訪れたら待たせておけ」

「はっ」

 伊達政宗は聚楽第に到着、一室に通されて待たせた。

「ふん秀吉め、待たせてじらすつもりのようだな。こんな事は童のころから鍛えられているわ」

 しばらくして秀吉、三成、秀次、そして柴田明家がやってきた。前口上もなく秀吉はいきなり怒鳴った。

「政宗、その方磔台など持参したからには死の覚悟は出来ておろうな!」

「死ぬ覚悟はいつでも出来ておりまする。それが伊達家の家風でござる」

「よう申した。治部、政宗の謀反が証をこれに」

「はっ」

 三成は文箱を開けて書簡を二通出した。

「コホン、伊達殿。これは一揆の輩にそこもとが配ったもの、もう一通は殿下や蒲生殿に寄こされたそこもとの書簡、筆跡花押も寸分違わぬ同じものにござる。そのワケをご説明願おう」

「どれどれ、ほう~よく似せて書いてござるな」

「似せてあるだと?」

「左様でござる殿下、ここまでそれがしの文字が書けるものは不都合あって当家から放逐した不忠の須田伯耆の倅だけ」

「筆跡から花押までことごとく同じだと云うのに覚えがないと言われるのか!?」

「治部殿、覚えがあればノコノコと出てくるわけがないであろう。一方は本物、一方は偽書状だ。第一、その偽書状を蒲生殿に持ち込んだ須田伯耆なる者、我が父の輝宗が戦死した時に殉死した忠臣の息子。しかしながら倅は父より器量が劣り、それがしは家老に取り立てなかった。己が無能を逆恨みして伯耆はそれがしの花押を盗用して蒲生殿の陣中に駆け込んだのでござろう」

 政宗は二つの書簡を改めて秀吉に突き出した。

「殿下、この双方の書付にある鶺鴒の花押。眼の先へかざしてご覧なされば一目で真贋か分かりまする」

「花押を透かしてみろと?」

「御意、花押としている鶺鴒の眼には針の穴の眼を入れてござる。ところが須田のせがれが蒲生殿に渡した鶺鴒の眼はみな盲目にござる」

「どれどれ」

 秀吉は蝋燭の灯に政宗の書簡を照らしてみた。すると秀吉に宛てた公式文書にある鶺鴒の花押には確かに針の穴ほどの眼があり、一揆衆に宛てた檄文にはそれがなかった。

「なるほどのう…」

「この鶺鴒の花押の眼は政宗より他の家中の誰も知りませぬ。これも乱世の武将の心掛けと思っておりまする」

 このように、政宗は鮮やかな弁明を弄して何とか追及をかわした。秀吉には政宗の叛意は分かっていただろうが、殺すより生かして使った方が得と考えたのである。

(この男、針の穴を通って命拾いしたわ)

 秀吉と明家は心の中で苦笑していた。

 

 さて、一揆の扇動者ではないと言い切った政宗には、もう一揆を掃討するしかない。すぐに政宗は米沢に戻り精鋭を集めて出陣した。それと同時に豊臣秀次を総大将に奥羽鎮定軍が出陣した。秀次の参謀には柴田明家が付き、大軍で北上した。政宗は鎮定軍が到着する前に片付けておくつもりであったが、行き場を失った一揆軍の牢人たちは頑強に抵抗した。伊達勢一隊だけでは無理であった。そして鎮定軍が到着。柴田明家が伊達本陣に到着。秀吉から越前の采配に従うようと下命されている。政宗は不満だが概ねの戦況を尋ねる明家の質問に答えた。

「政宗殿、この城を兵糧攻めをしてどれだけ経っておりまする?」

「二ヶ月近くになりまする。すでに備蓄していた兵糧は枯渇しており飢餓に陥っておりますが、敵勢はこちらの説得に応じず意地になって降りません」

「飢餓に陥り、どれだけ経つ?」

「十日にはなろうと。無論、水の手も断ちましてござる」

「よし秀次様、城内に兵糧と水を運びましょう」

 伊達政宗、片倉小十郎、伊達成実はあぜんとした。だが秀次は快諾。

「分かった。越前に任せる」

 片倉小十郎は猛反対。

「とんでもない!ここまでして敵勢を追い詰めたと云うのに、豊臣から救いの手が伸びれば兵糧攻めをした我らだけが憎悪されるではござらぬか!」

「政宗殿の名前で贈れば問題あるまい。単なる博愛精神で言っているわけではございませぬ」

「しかし…」

「これ以上に一揆勢を窮鼠たらしめるは得策ではない。ちょっと心を攻めてみます。駄目なら次の手を考えましょう」

 かくして一揆勢に兵糧と水が届けられた。その後『民を討つ一揆鎮圧は我らとて望むところではない。首謀者の首は差し出していただくが他の者は罪に問わぬゆえ降伏してくれぬか』と使者を出すと一揆勢はあっさり降伏したのである。その後も柴田明家の硬軟両面の作戦で大崎・葛西一揆はほどなく鎮圧された。

 だが政宗の胸中は煮えくり返っていた。伊達の面目は丸つぶれである。政宗は恥を忍んで、どうしてこんなにあっさり一揆を鎮定できたのか明家に訊ねた。明家は答えた。

「城を攻めるは下策、心を攻めるのは上策、人は敵にもなるが味方にもなる。殺さねば恨みも買わず、無用の抵抗も生まない。それだけにござる」

「……」

 政宗は父の復讐戦だと怒りに任せて二本松に攻め入ろうとして大敗を喫したが、その後に外交調略をもってあっさり落としている。チカラ攻めは得策ではないと分かっていたはずであるのに秀吉の奥羽鎮定軍到着前に一揆勢を片付けたかった政宗は焦ってしまった。それが裏目に出て一揆勢の頑強な抵抗を生んでしまったのだ。米沢城に帰り、一人酒を煽っていた。そこへ小十郎が入ってきた。

「悔しいですか殿…」

「小十郎…」

「わずか七つしか違わない男があれだけの手並み、悔しいでしょう。それがしもです。越前殿はそれがしより三つ若いのに、あれほどの器の違いを見せ付けられ、いささか気落ちしました」

「……」

「思えば越前殿ほど『人を見かけで判断するな』の良い見本はないですな。殿が小田原で言われたとおり、彼は一見、何の苦労も知らない御曹司のように見えますが、その実は智勇兼備の一級の将帥。外見で損をされているのか得をされているのか」

「底が計り知れない男だ。どこまでも静かで涼しげな男であるが、同時にすさまじき激しさを秘めている。目標とする男が出来た。今はチカラの差がありすぎる。だが見ていよ、今にあの男を越えてやる」

 

 奥羽平定後の論功行賞が発表された。伊達は七十二万石あった領地が五十八万石に減らされ、蒲生氏郷は会津黒川を故郷蒲生郡の『若松の森』にちなみ会津若松と改名。その手腕により日野と松阪同様に商工業を発展させ大天守閣も造営し『鶴ヶ城』と名づけるに至る。

 政宗の旧領をそっくり受け継ぎ実質九十六万石。三十六歳にして徳川家康・毛利輝元に次ぐ天下の大大名となったのである。政宗は面白くない。そんな政宗に文が届いた。政宗の次の居城とされる岩手沢城にいる柴田明家が政宗を茶席に招待したのである。明家は奥羽の一揆鎮圧の際、岩手沢を居城としていた。政宗は片倉小十郎を連れて、その招待に応じた。城門に近づくと出迎えの者が歩いてきた。政宗は下馬し言った。

「伊達政宗、越前守殿のお招きよりまかりこしました」

「お待ちしておりました。どうぞこちらに」

「出迎えかたじけない」

「さあ、主人がお待ちです。どうぞ」

 門番に案内され城門をくぐり、政宗は驚いた。すっかり堅城に改修されている。途中で兵の詰め所を通ったが各々が戦稽古に余念がない。

(さすがだな…)

 そして茶席に通された政宗と小十郎。明家と高橋紀茂が出迎えた。

「ようこそ伊達殿」

「お招き恐縮にござる越前殿」

 茶を点てた明家、政宗に茶を差し出した。片倉小十郎が

「失礼、それがし毒見をさせていただく」

「ご随意に」

 毒見が済むと政宗も飲んだ。すると明家、

「政宗殿、加封祝着に存ずる」

 もろに政宗の神経を逆撫でする言葉を吐いた。

「何だと!」

「殿!」

 政宗の膝を抑えた小十郎。

「越前殿、加封とはどういう意味でござるか。七十二万石を五十八万石に減らされて祝着とは何事か!」

「頭の良い伊達殿、説明には及ぶまい。こんなに運が開ける事はそうないと存ずる」

「埒もなき事を!それがし石田治部を斬ってくれんかと思っていたところ!」

「ほう、治部が何かしましたか?」

「越前殿、こたびの論功行賞は治部と関白殿下の仕組んだ小細工であろう!伊達の力を落すがためと!」

「その差配は治部にあらず、それがしです」

「な、なんだとォ!」

「それがしが関白殿下にこたびの伊達の論功行賞を進言しました」

「伊達に何の怨みがある!七十二万石から五十八万石に減俸されて、それがしどうやって家臣たちを食わしていけば良いのか!」

「ほう、この城、米沢より劣りますかな」

「は?」

「それがし、歳の近い事もあり、かつ分別もある伊達殿と懇意にしていきたいと思っているゆえ、この城も手入れしておいたと云うのに、そんなケンカ腰はなかろう」

「ではお訊ねいたす。七十二から五十八になれば十四減っている!それのどこが祝着と言うのか!」

「あっはははは、政宗殿は当面の石高しか目に入らないのか?」

「な、なぬ?」

「政宗殿は生まれた頃から伊達の御曹司、それゆえ気付かないのかもしれませんな」

 顔を見合う政宗と小十郎。

「どういう事でござる?」

「新田開発にござる」

「新田開発?」

「左様、それがしは父の勝家に武将と同時に内政官としても重用されましたゆえ分かる。その五十八万石、すぐに八十万石にする事はできる」

 ハッと政宗は気付く。明家の領地の丹後若狭はかつて合算二十万五千石、しかし明家は三十二万石に開発していると云う事を。しかも海から入る財を合わせればどれほどになるか。

「越前、ここに来てよく歩いて調べました。蒲生の九十二万石は治部や刑部(大谷吉継)が関白殿下の下命で細かく調べ直した。しかも一段は三百歩と云うケチな新定規。ところが貴殿の新領地は昔のままで伸びが十分期待できる。表高こそ五十八万石でも大崎耕土は広い。少し手を入れれば八十万石にはなろう。それがしなら九十万石にしてみせるが」

「…その計算も初めから」

「無論、しかも新領地の宮城郡には海がある。葛西には金山もある。政宗殿の器量次第では富はどんどん入ってくる。それがしならありがたく米沢から移りますがどうでござろう」

(…確かに越前殿の申す通り、検地の終わった九十二万石より山と川、そして海ありの五十八万石では比較にならない。しかしそこまで分かっていて城まで作り変えてくれた越前殿の魂胆は何か…)

「奥州が治まれば天下に戦はなくなる」

「は…?」

「それがしが父母の仇である関白殿下に仕えたのは、ただその大望のみ」

「戦のない世にござるか…」

「戦ほど愚かなものはない。たった一度の合戦が民の作った汗と脂の結晶である稲穂を台無しにする」

「では合戦好きのそれがしは越前殿からすれば愚かですかな?」

「そうですな…。こんな小細工も弄するのでは」

 明家は懐から何枚かの書状を取り出して放った。それは政宗が会津明け渡しのおり、豪農や名主に書き残した伊達の後ろ盾を約束する書面である。

「どうしてこれを…」

「またぞろ火種としないため、各々を説得して提出させ申した。心配無用、氏郷殿や関白殿下にも述べておりません」

 政宗がそれを掴もうとした時、明家はそれをサッと取り、茶席の炉に放り焼いてしまった。

「あ…!」

「政宗殿、旧領を失う腹いせに一揆の火種を残していくと云う事、関白殿下は無論、氏郷殿も察していた。目はクチほどに物を言う。目で心服に到底いたっていないと看破されていたのでござる」

「……」

「今回の事でよく分かったでござろう。貴殿の野心のために犠牲になったのは他ならぬ貴殿旧領の民たち。今後は二度とかような真似はせず、この肥沃な土地に移り民政に励まれよ。それが戦のない世を作るためでござるぞ」

「……」

「合戦が好きで、合戦を終わらせる世など来させるものか、そう思っているのなら、好きになされよ。伊達は滅ぶだけでござる」

「いや、戦のない世の到来は伊達も望むところ」

 政宗と小十郎は改めて明家に頭を垂れた。

「恐れ入り申した越前殿。この政宗、喜んで米沢からここに移りましょう」

 政宗は岩手沢城を後にした。片倉小十郎が政宗に訊ねた。

「殿、小田原でも同じ事を伺いましたが越前殿を改めて見てどう思いますか」

「最良の友となるか、最大の敵となるか、そのいずれかだな」

「なるほど…」

「前者であって欲しいものだ」

 

「殿、伊達政宗をどう見ましたか」

 と、高橋紀茂。

「最良の友となるか、最大の敵となるか、そのいずれかだろう」

 言い得て妙と思う紀茂。

「前者であって欲しいものだ」

 

 ここで豊臣秀吉の天下統一は完了したかのように見えた。だが北の地である男が挙兵した。男の名前は九戸政実と云う。


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