太閤豊臣秀吉没す。秀吉が生前に残した遺命に従い石田三成が大急ぎで日本軍の帰国の準備を手配した。同じく戦場にいる明家は朝鮮と明の和議に動いた。明家は全緒将を集めて秀吉の死を知らせ、総退却を号令し小西行長を和議の使者に指名。明と朝鮮軍は日本軍からの和議を受けた。明は国内に内乱が起きており、朝鮮側もすでに余力が乏しく、何より柴田明家采配の勝つためではなく負けないための合戦に李氏王朝も明もほとほと手を焼き疲弊を重ねていた。明家が負けないための戦を心掛けていたのは朝鮮と明が日本からの和議に応じてもらうためであった。
しかし朝鮮水軍を率いる李舜臣が和議を認めず、撤退を開始した日本軍を待ち構えた。接触すれば間違いなく、朝鮮の役最大の海戦となっただろう。和議の使者から戻った小西行長から『李舜臣は王朝が可決した和議を無視して日本軍を攻撃する気でいる』と報告を受けた日本軍総大将柴田明家。李舜臣の智勇を警戒し、朝鮮水軍に偽りの情報を流して、大急ぎで他の海路を用いて撤退した。殿軍は総大将の柴田明家、そして島津義弘が受け持った。無論、『朝鮮軍に背を向けるのか』と云う緒将の抗議を受けたが、
『今まで異国の地で戦い続けた我らではないか。誰がこの退きようを臆病と言おうか。我ら将の務めは一兵でも多く故国の土を踏ませて、親兄弟や女房子供に会わせてやることではないのか』
島津義弘が添える。
『越前殿の申されるとおりだ。我らは負けて逃げるのではない。第一和議の締結後に戦うことは無意味である。無意味な海戦で大事な部下を死なせるわけにはいかん。儂と越前殿が殿軍に立つゆえ、全軍疾く引くべし』
明家は朝鮮水軍が一枚岩でないことを知っていた。ゆえに出鱈目な日本軍の撤退路の情報を流すだけでなく、水軍幹部に裏切り者がいるような情報も流し、かつ李舜臣が李氏王朝に反乱を企んでいるとまで流布させた。朝鮮水軍を倒す必要はない。撤退の時間が稼げれば良いのである。
日本軍は柴田明家と島津義弘の言葉で、気持ちを総引き揚げに切り替え、全速力で逃げた。柴田明家の仕掛けた偽りの情報は朝鮮水軍と李氏王朝に動揺と疑心暗鬼を生じさせ、撤退の時間を十分に稼げた。日本軍は朝鮮水軍の船影を見ることなく日本へとたどり着いた。柴田軍と島津軍も無事に帰国、名護屋城に到着した。明家は日本の土を握り締め、万感の思いでそれを抱いた。
◆ ◆ ◆
ここは石田三成の居城である佐和山城。三成の重臣である島左近と蒲生郷舎が話していた。
「今ごろ殿は唐入りの諸将と対面している頃であろうか」
と、島左近。
「ふむ…」
静かに頷く蒲生郷舎。
「諸将の心中察するにあまりある。地獄のごとき戦場からようやく戻ってみれば恩賞となる土地もなし…。太閤殿下も関白殿下もすでにあの世に行っている」
「最初から報われようのない戦じゃ。しかし命がけで戦ってきた者たちはそれを認められまいのォ…」
「憤怒の矛先は間違いなく主君三成…。何事もなければ良いが…」
名護屋城の大広間、石田三成を筆頭とする五奉行が唐入りの諸将を労った。そして三成が発した。
「方々…。長年の戦陣、誠にご苦労でござった。諸侯におかれては伏見に上がり太閤殿下のご霊前、並びに秀頼様にご挨拶の後に国許に帰られ、ゆっくりと静養なされますよう。その後に我ら奉行が茶会などを催し、諸侯の労をお慰めする所存に…」
「ふざけるな!」
加藤清正が怒鳴った。
「…清正」
「茶会だと!?おうおうよく言ったわ!国許にいて安穏と蓄財や風流にうつつをぬかしていた貴様ならではの言葉よな!我らの国は唐入りによって疲弊し、多くの兵も失い家中には何も残っておらんわ!茶会の答礼も出来ん我らを指差して笑う気でいるのか!」
「……」
「よされよ主計頭(清正)治部に当たっても仕方あるまいが」
「越前殿、取り成し無用!」
「……」
「こやつは文禄の時も、丁稚(小西行長)と共謀して儂を殿下に讒言しおった!儂はけしてこやつを許さん!」
「左様か…。さて治部少殿」
「はっ」
「全軍引き揚げが成せたのも、そなたの働きによるものだ。かたじけなく思う」
「いえ、太閤殿下のご遺命に従ったまでにございます」
「だが少々疲れた…。湯と酒、床が欲しい」
「用意整えてございます」
「ありがたい、方々まずは汗を流し、酒といたそう」
「「はっ…」」
大老である明家が場を収めてしまった。明家の態度に不満を覚えるも、渋々ながら清正や正則も明家と共に憎悪の込められた目を三成に向けながら広間を出て行った。
そして湯のあとの酒宴。諸将は三成への不満を声高に発しながら酒を飲む。明家はそれを黙って聞きながら酒を口に運び、横目で部屋の外を伺う。三成が廊下にいることを悟る。
(憎まれるのも仕事か…。つらいな佐吉)
自分を悪し様に罵る言葉が三成の耳に届く。その三成の肩をポンと叩く男。
「刑部(大谷吉継)」
「治部、こらえよ」
「分かっている。恨まれるのも俺の仕事だ」
三成の悪口が酒の肴の席に嫌気がさしたか、明家は酒宴から中座した。そして用意された部屋に向かっている時、三成が明家を呼び止めた。
「越前殿」
「なんだ治部」
「お疲れのところ申し訳ございませぬ。お話がございます」
静かに明家に寄り、耳元でささやく。
「来るべき時…それがしに力を貸して下さいませぬか?」
「なに?」
明家に平伏する三成。
「太閤殿下亡き後、天下はこのまま治まりがつきますまい。この石田治部少輔三成、豊臣家の御ために旗を揚げる覚悟!そのためには何としても越前殿の力を貸して欲しいのでござる!」
「……」
「本性寺で越前殿を殺そうとしておいて虫の良いことは承知しております。しかし」
「虫のいいのはお互い様だ。謀反を帳消しにさせるため俺はそなたを利用した。それに本性寺での腹の読みあいは俺とお前の堂々の戦だ。恨みなどない」
改めて三成に訊ねる明家。
「で、旗を揚げて立ち向かう相手は誰なのか?」
「内府(徳川家康)にございます」
「ほう、何かやったのか内府殿は」
「このまま内府が大人しくしているとは思えませぬ」
「…戦のない世を作る、太閤殿下と我らで成し遂げた『日之本惣無事』を五奉行のそなたが破る気なのか。唐入りが終えた今、やっと訪れた『日之本惣無事』であると云うのに」
「しかし…!」
「とにかく廊下の立ち話では何だ。部屋に来てくれ。そこで話そう」
「はっ」
明家とて家康がこのまま黙って豊臣政権の大老のままでいるとは思っていない。二人は要談を始めた。
「…治部、政権交代には『みそぎ』が必要だ。無血で行われるなら戦国の世は百三十年も続いていない。ゆえに内府殿はあの手この手で合戦を仕掛けよう。内府殿は豊臣家の大老筆頭。合戦の大義名分は『君側の奸を除く』しかない。その『奸』と指定されるのがそなたであろう」
「それがしが?」
「俺が内府殿なら間違いなくそなたを狙う。そなたは当家の武断派の者から嫌われている。そなたを敵とすれば、そなたを嫌う加藤や福島らが徳川につく」
「単にそれがしが嫌いなだけで秀頼様に矛を向けると云うのですか!」
「秀頼様ではない。言ったであろう『君側の奸を除く』だ。秀頼様の横にいる奸臣治部を討つ。これが名分となる」
「……」
「だから治部、内府殿の挑発を徹底的に無視せよ。お前が乗らなければ何も出来ない。必要なら家督を重家(三成嫡子)に譲り、隠居するのも良かろう。内府殿は五十六、秀頼様は七つ、俺とお前は三十八。黙っていても内府殿は勝手に我らより先に逝く」
「越前殿…」
「唐土の呉起、商鞅のようになりたいのか?身の進退どころを知るのも将の器量であろう」
呉起、商鞅とは先代に重用されたか、次代の当主になると殺されてしまった。商鞅に至っては牛裂きの刑と云う残酷なものであった。古今東西、吏僚と武断は仲が悪い。前述の二名のとおり、先代に頭脳明晰を重宝がられ、武断派の妬みをかい、そして君主が死んだ直後に殺されたのである。三成もその立場に立ちつつある。
しかし家康は静かなるも内面に激しさも持つ三成の気性を知っている。無視などさせない。
『天下の格は定まりたることなきものなり』
徳川家康は『天下は実力のある者が取るべきなのだ』と家臣たちに力説した。我慢と忍耐を重ねてきた老獪な古狸がいよいよ牙を露わにする。
朝鮮出兵の諸将が秀吉の御霊に拝謁し、秀頼に帰陣の報告を済ませた。柴田軍の将兵は丹後若狭に引き返したが、明家は大坂に向かい他の大名と同じく秀頼への帰陣の報告をした。それを済ませると明家は大坂屋敷に駆けた。明家の謀反の罪が解消された後、改めて正室のさえには御掟に従い伏見の柴田屋敷に留まるように通達されており、そして秀吉死後は大坂に移っていたのだ。明家はさえと抱き合い、無事の再会を喜んだ。
「ああ殿、もうさえを置いてどこにもいかないで下さいませ…」
「さえ、さえ、会いたかった…!」
その夜は夢中になって愛を確かめ合う二人だった。
「明日には舞鶴に帰る」
「はい」
「今回の役にて死んだ者たちを丁重に弔わないとな…」
「はい、勝秀がその準備を進めているそうですね」
「うむ」
明家の嫡男の柴田勝秀、次男の藤林隆茂も朝鮮の役に出陣した。次男隆茂は初陣であった。当初明家は息子二人を連れて行こうとしなかったが、二人とその守役たちや家臣たちがどうしてもと懇願するので連れて行った。次男の隆茂は忍びとして功を立て、長男の勝秀は兵站や軍務で父の明家を補佐した。師の石田三成から様々な知識を叩き込まれていたが兵站の技は特に仕込まれていた。柴田本陣を守り、前線の父に兵糧物資を届けた。地味であるが重要な任務である。前線部隊にただの一度も飢えを経験させない見事な手腕だった。かつて水沢隆広が柴田勝家の兵糧奉行を務めた時のように。
次男隆茂は藤林忍軍の頭領であり、幼年期から父と兄の影であるように教育されてきた。朝鮮の役では祖父銅蔵の補佐を得て忍軍を率い情報収集や破壊工作などで功を立てている。
「二人も本当の戦場を見て、戸惑い、悲しみを覚えた。まったく無為な合戦ではあったが…良き経験にはなったかもしれないな」
「はい」
「我らの孫には…そんな思いを一つもさせたくないものだ」
「私も願わずにはおれませぬ…」
「もう一度しようか。また盛ってきた」
「…あっ、もう殿ったら!」
翌日、帰国の準備をしていると…。
「殿」
「ん?」
「大坂城の高台院様がお召しとのことです」
「北政所様(ねね)が?」
「はっ」
「分かった、では城に上がる。他の者は国帰りの準備を進めておいてくれ」
「「ははっ」」
高台院とは秀吉の妻の北政所である。秀吉が亡き後は落飾し高台院と号していた。大坂城内、高台院の部屋。
「高台院様、越前にございます」
「おお、よう参られた。こちらへ」
「はっ」
「舞鶴に帰られるそうでございますね」
「はい、しかし舞鶴と大坂は目鼻、何かことあらばすぐに戻りまする」
「越前殿…まずお詫びしなければなりませぬ」
「…何をでしょう」
「奥方より聞いておりませんか?」
「ああ…。醍醐の花見の件にございますか」
さえは明家が帰宅すると醍醐の花見で起きたことの一部始終を良人に伝えていた。告げ口ではない。報告すべきことをさえは言っただけである。
一代の風雲児、豊臣秀吉の栄華を締め括る醍醐の花見、ここには徳川家康、前田利家、伊達政宗などのそうそうたる武将たちも招待されていたが伏見屋敷に人質として滞在していた大名の正室たちも招待された。柴田明家正室のさえも招待されたと云うわけである。さえは良人と息子が朝鮮において命がけで戦っていると云うのに、そんな気分になれないと断ったのだが、秀吉自身がさえを招待しているに加えて謀反を許されたばかりで拒絶してはと危惧する家臣たちの気持ちも分かるので渋々参加した。三成の正室の伊呂波と一緒に宴の中を歩いた。笑顔を浮かべるさえ、来た以上は不快な顔をしていては伊呂波に失礼なので顔には出さず歩いていた。
今や丹後若狭三十二万石の大名の正室さえと佐和山十九万石の大名の正室伊呂波、北ノ庄の小さな屋敷でかまどの前ですすをかぶっていたころと違う。しかし二人はそのころの思い出話をしながら歩いていた。
「さえ様、太閤殿下ですよ」
「え…!」
秀吉の一行が歩いてきた。ねね、茶々、加賀、松の丸、三の丸、甲斐姫、そして秀頼も一緒である。
「おお、越前が内儀ではないか。よう来てくれたな」
「太閤殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
「ところで先日の越前が謀反、あれはそなたの入れ知恵か?」
「は?」
「殿下!」
ねねが止めようとしたが秀吉は黙らない。
「いや、すでに許したゆえ、もう越前を咎めやせぬが聞いておきたいと思ってな。そなたの父を使い捨てにした儂への意趣返しか?」
「…お戯れを、良人が私の言葉ごときで太閤殿下に叛旗を翻しましょうか。ご自分で決断されたのです」
「そうであるかな、越前は女房の言うことなら何でも聞くらしいではないか。そなたの看病をするため、あの男は儂の命令さえ無視したぞ」
「殿下、どうされたのですか、今日はおかしいですよ」
「しかし茶々、そうであろう。そなたの兄上はこの裏切り者の娘に骨を抜かれておる」
さえの顔が変わる。目が据わった。
「いま何と申されましたか」
「柴田越前守は裏切り者朝倉景鏡の娘に骨抜きにされていると申したのだ」
さえは秀吉の頬を力任せにひっぱたいた。醍醐の花見は騒然となった。さえは秀吉を睨みつけて言い放った。
「私のことはいくらでも罵られるが良いでしょう。笑って済ませて差し上げます。しかし良人と父の悪口はたとえ天下人であろうと許しません!」
秀吉はフッと笑い
「さようか、これは悪かった。ねね、参るぞ」
と言って何ごともなかったようにさえの前から歩き去った。茶々は義姉に頭を下げて立ち去った。
「さえ様…。何と云うことを…」
心配そうに言う伊呂波。
「仕方ないでしょ!我慢できなかったんだから!」
「ま、まあ…確かに言葉が過ぎましたが…」
「ああまで言われて下を向いていたら私は良人に会わせる顔がございません!」
鼻息の荒いさえ、視線に気づいた。
「……?」
秀吉の側室、甲斐姫がさえを見つめていた。微笑を浮かべている。彼女自身、武州忍城の戦いでは先頭に立って石田三成二万に立ち向かった女傑である。秀吉を叩いたさえの胆力に好感を抱いたのだろう。彼女はさえに浅く頭を垂れてその場を立ち去った。苦笑して頬を撫でている秀吉にねねは言った。
「叩かれて当然です。何であんな無礼なことを!」
「越前が女房から一矢受けただけよ」
「は?」
「そして無残な死を一層彩る老醜も付け加えた。家臣の女房に衆目の前で叩かれた。無様であっただろう」
「…?」
「越前ならこう言うか」
「ことは何ごとも一石二鳥にせよ…と」
再び高台院と明家、秀吉がさえに叩かれた後に発した言葉を明家が言った。
「その通りです。私には意味が分からなかったのですが越前殿には」
「はい、それがしの妻が父、朝倉景鏡殿は殿下に利用された挙句に見殺しにされました。少なからず妻には殿下へ怨みがあったでしょう。あえて挑発して叩かせたと思います」
「……」
「もう一つ、殿下は内心本性寺でそれがしに討たれたがっていた。しかしそれが叶わなくなった。ゆえに高台院様より言われました『後に続く者のため、無残な死に方を迎えるのが最後の務め』をより際立たせるため、晴れの舞台の花見において家臣の妻に叩かれるなんて醜態をしてみせたのでしょう」
「そうでしたか…」
高台院は悲しそうに笑った。さえは腹の虫が収まらなかったように明家にそれを報告したが、明家には秀吉の意図がすぐに分かった。あえてさえに秀吉の真意を話さなかったが一言だけ『お父上の無念、一矢報いられたな』とだけ言った。その場ではさえも気づかなかったが、後日にそれを察し改めて秀吉の位牌に手を合わせたという。
「越前殿にも秀吉の死に様は伝わっていましょう。何か得るものはございましたか?」
「…引き際を見極めなくてはならぬ、と云うことでしょうか」
「…そうですね。簡単なそうで何と困難なことか。越前殿は何でも出来る優れた武将。ゆえに引き際を秀吉同様に誤るかもしれません。どうか最期に笑って死ねる人生を全うしてくださいませ。それでこそ秀吉の無残な死も意味のあったものとなります」
「お言葉、生涯の教訓といたします」
「そして…よくぞ秀次の妻子を助けてくれました。亡き秀吉は本当にそれを感謝していた。自分が押さえきれなくなり、そんな自分が持っている権力と云う凶器…。甥をそれで殺してしまったと死の床ですごく悔やんでいました。そして…よくぞ我に逆らいあれの妻子を救ってくれたと…泣いて越前殿に感謝しておりました。秀吉の妻としてお礼申し上げまする…」
「いえそんな…」
「また本性寺、あの時の秀吉は木下藤吉郎に戻っていました。私が大好きであった藤吉郎に。これも越前殿が秀吉に死の覚悟をさせるに至らせて下されたからです。陰険頑固な権力の亡者の豊臣秀吉から木下藤吉郎に戻れたのです。あれがなければ私は秀吉の死に何の感慨も湧かなかったかもしれませぬ。ありがとうございまする」
「北政所様…」
「もう私には何の実権もございません。領地は差し上げられませぬが亡き秀吉からこれを渡すようにと…」
高台院が手を叩くと隣室の戸が開いた。そこには山のように置かれた黄金が置いてあった。
「と、とんでもございません!殿下にはすでに名刀一振りをいただいておりますれば…」
「これは今まで越前殿が当家に献上して下された金銀と、豊臣家の内政と軍事のために柴田家が使われたであろう金銀、それを合わせた同額の黄金にございます。殿下は『越前に返すように』と仰せでした」
「え…!?」
どう見てもその金額の三倍はある。あえて秀吉と高台院は同額としたのであろう。
「慎んでご返却いたします。私の顔を立てると思い、だまって受け取って下さいませ」
「は…」
高台院に平伏し、礼を述べる明家。
「慎んでお受け取りいたします」
とても一人で持ち帰れないため、明家は家臣たちを呼んだ。明家直臣の高橋紀茂は多量の黄金に圧倒される。
「すごい黄金ですな殿」
「そうよな紀茂、正直助かる。これを唐入りで戦死した者の家族たちに当てようと思う」
「それがようございましょう。あ、殿」
「ん?」
「お屋敷に最上義光殿が参っております。殿に折り入って話があると」
「出羽守殿が?何であろう」
「こちらはそれがしが指揮してお屋敷に運びます。殿は一足先に」
「そうしよう」
急ぎ屋敷に戻った明家。客間に走った。
「これは義光殿、せっかくお越し下されたのに不在で申し訳ない」
「いえ、こちらも何の連絡もしておらず急に訪ねて申し訳ございませぬ」
しばらく世間話をしていたが、義光がとうとう切り出した。
「で…本日、お訊ねした理由ですが」
「はい」
「越前殿のご嫡男の勝秀殿には側室はおるのですかな?」
「は?」
「いやだから…越前殿のご嫡男の勝秀殿には側室はおるのですかな?」
「息子に側室はおりませぬ。正室一人だけです。それが何か?」
「そうか、側室はまだいないのか、良かった」
「さきほどから何のお話をされておられるのです?」
「手前の娘、駒をぜひ勝秀殿の側室としていただきたい」
「え、ええ!」
「この通りにござる」
頭を下げて頼み込む義光。秀吉の小田原攻めの際、妹の保春院に政宗を殺せと云う冷酷な命令をした彼であるが、娘のことになると弱い。彼は駒姫を溺愛している。
「三条河原の虎口からお救いして下された日から、駒は勝秀殿に夢中で…手前の用意した縁談ことごとく拒否…。ほとほと弱り果てました次第で…」
舞鶴から山形に帰った駒姫を父の義光は感涙して迎えた。その後しばらくして、家臣の優れた若者に嫁がせようかと考えたが駒姫は頑なに拒否。弱り果てた義光が妻の大崎夫人に相談し、娘に心中を訊ねた。駒姫は柴田勝秀様の側室になりたいと言い出し、驚いた母は夫にそれを話した。娘の恩人の息子になら嫁がせても良いと思う義光であるが、勝秀にはすでに正室の姫蝶がいる。愛娘を正室ならまだしも側室に…と悩む義光であるが、勝秀様が大好きだと云う娘の願いも叶えてやりたい。勝秀は朝鮮の役で父親を補佐した中々の若者と聞く。正室なら諸手をあげて大賛成だが側室は…と踏ん切りがつかなかった。
だが勝秀を想う娘の心に打たれた大崎夫人も駒の味方となり『側室でも良いではないですか』と義光に迫る。しまいには駒姫、伊達家から戻っていた叔母の保春院(義姫、政宗生母)まで味方につけて父の義光に勝秀様でなければイヤだと言い切り、ついに折れた義光は明家の屋敷を訪れて、それを申し出たのだ。
「義光殿、息子にはまだ側室は早い。まして駒姫殿のような美女ならばなおのことです」
「これは異なことを申される。美女一人側室にしたごときで堕落する息子を貴殿は育てたのでござるか」
「痛いことを…」
さすがは年の功、加えて娘のために懸命にもなる父親の執念に明家はとうとう根負けし、駒姫の側室輿入れを認めたのだ。
「しかし太閤殿下のご遺命で大名同士の婚姻は禁じられております。いかに我らが同意しても」
「心得てござる。今は駒を勝秀殿の側室にして下さると云うお約束だけで結構」
「と、申されますと?」
「人の世は流れの止まらない川と同じ、と云うことでござる」
つまり義光は秀吉の定めたそんな掟など、もうしばらくすれば有名無実化すると読んでいたのである。明家もそれは理解したが互いにそれは口にしなかった。
「いや、お聞き入れかたじけのうござる。儂も娘に顔が立ちましたわい」
大坂を後にして、国許の舞鶴に向かう明家。正室のさえもいる。本来、正室のさえは人質として大坂にいなければならないが、高台院のはからいによってさえの帰国も許された。さえは輿に乗って窓を開けて国許までの景観を楽しんでいた。
「わあ殿、梅の花がきれいですよ」
舞鶴への道中、梅が満開に咲く街道に入っていた。
「本当だ」
梅の花の香りを胸いっぱいに吸う明家。
「しかしさえほどじゃないな」
「んもう殿ったら!」
「ははは」
太閤秀吉没して、世は再び激動の時代に突入する。明家とさえにまだ静かな日々は訪れないのであった。