天地燃ゆ   作:越路遼介

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明家としづ

 舞鶴に戻り、柴田家では朝鮮の役の戦死者の葬儀を行われた。明家は戦死者の家族たちに慰問金を送った。秀吉から返された黄金が大いに役立った。遺族には手厚く遇し、かつ子がいれば父と同じ禄で召抱えることを約束した。葬儀の後、戦死した家臣の家族に誠心誠意に詫びる明家。

 しかし柴田家は半農半士でなく兵農分離体勢、いったん柴田家の兵となったからには当人は無論、家族も討ち死には覚悟のうえのこと。悲しいことは間違いない。だが、たいていの大将は末端の兵の死など眼中にないと云うのに明家は違う。亡骸も野ざらしにせず、現地で荼毘に付して遺品と共に持ち帰る。戦死者を無上なほどに丁重に弔う君主の思いやりに遺族の者は胸を熱くする。

『お気になさらず、せがれも覚悟の上のことです』

『お殿様のために死ねたのは当家の誉れ、詫びるには及びませぬ』

 逆に明家を労うほどである。柴田軍の強さは、この明家の部下への思いやりと家臣たちが明家に寄せる信頼であると言えよう。秀吉への謀反とも言える秀次妻子救出の刑場荒らしの時でさえ伏見屋敷にいた家臣たちは一人残らず付き従っている。明家は生涯一度も部下に裏切られていないのである。

 そしてこの朝鮮の役で明家に古くから仕えている男が死んでいた。工兵隊頭領の鳶吉である。砦作りなどに大いに貢献した工兵隊。しかし頭領の鳶吉は朝鮮の地で病に襲われ陣没した。その遺骨と遺品を持ち、明家は鳶吉の家に訪れた。娘のしづに二度と来ないでくれと言われていたが事情が事情なので明家は訪れた。しづも私怨は捨て明家と会った。

「これが遺骨だ…」

 妻のみよは骨壷を抱き、泣いた。しづも涙を落とした。

「あんた…!」

「父さん…!」

「すまん…。生きて返してやることができなかった…」

「「……」」

「すまん、しづ」

「……」

「これが遺品、病床のうえでも道具の手入れを怠らない男だった…」

 鳶吉の汗が染み付いた大工道具、研ぎ澄まされた鋸やかんな、父の命と云うべき道具。しづは愛しむように一つ一つに触れた。

「あと文を預かっている」

 明家は文に一礼して、それを差し出した。受け取るしづ。

「なお、鳶吉は戦地の陣場作り、砦造りで功を上げている。これはその恩賞、そして今まで俺を助けてくれたことに対して報奨も合わせ、そなたらに贈る」

 銭袋が感状と共に置かれた。

「こんなもので済むとは思っていない。鳶吉の誠忠に報いるため、みよとしづの生活は俺が保証する。安心いたせ」

「ありがとうございます…」

 涙を拭い、明家に平伏するみよ。

「みよは今後も城の調理場を頼むぞ」

「はい…務めさせていただきます」

「しづ」

「…はい」

「すまんな…」

「…父はお殿様に仕えられたことをとても誇りに思っていました。最後までお役に立てたのなら…本望であったと思います」

「ありがとう…」

 しづも母親と共に舞鶴城の調理を仕事としていた。料理が上手で美人のしづを見初め求婚する者もいたが、しづは頑なに拒絶していた。明家に手篭めにされたことでしづは男を信じられなくなっていたのだ。

「ところでな、しづ…」

「はい」

「…いや、何でもない」

(鳶吉に帰国後しづを口説き落とすと言っていたが…やはり無理だ。どこに自分を手篭めにした男の側室になる女がおるか)

「…申してください。卑怯です」

「本当に何でもない」

「…ならば思い出したときで良いので申してください」

「分かった。じゃあ今日は失礼する」

 明家は鳶吉の家を後にした。みよとしづは玄関先まで見送り、明家の背が見えなくなるまで頭を垂れていた。鳶吉からの文をみよとしづは読んだ。最期を悟ったか、妻への礼の言葉と、娘に贈る言葉に溢れる夫と父の愛に満ちた手紙だった。そしてしづに

『しづ、殿に無理やり手篭めにされた怒り、父も同じ気持ちだ。だが何故かな、どうしても殿に怨みを抱けない。責任を取りたいと云う気持ちにウソはなかった。何度も話しているが、父は辰五郎親方の率いる職人衆の中で一番不器用だった。いっこうに上達しなかった。それでも越前の職人かと罵られ仲間はずれにされた。だから仕事は遅くとも、一つのことを一生懸命にやるしかなかった。そしてその遅さを笑われた。悔しかったが父の仕事は土木職人しかなかった。だがそんなある日、殿が現れた。そして父の仕事を認めてくれた。不器用者は一流への原石だと言ってくれた。嬉しかった。殿の工兵隊となり、多くの戦場へと向かったが、父は殿のためなら死んでも良いと働いてきた。そして殿を慕うお前が、いつか殿の側室となれたらと思っていた。

 しづよ、父を生還させなかったことで殿を断じて怨んではならない。悲しんでもいけない。工兵とはいえ、父は柴田軍の一人。いつでも覚悟はできていた。母さんにもそれは伝えてある。そしてしづ、殿を許してやってくれないか。殿はいつもお前のことを気にかけていて下されていた。本心から悔やみ、しづに申しわけないことをしたと思っている。しづも苦しかっただろうが、殿もまた苦しんだ。そろそろ許してやり、そして殿の側室となれ。うんと大事にしてくださるだろう。幸せにしてくれる。父の望みはしづの幸せだけなのだ』

「父さん…」

 とめどなく涙が落ちるしづだった。

「母さん…」

「ん?」

「…さっきお殿様は私を側室にしたい、そう言おうとしていたのだと思います」

「…そうね」

「そろそろ許してあげるべきなのかな…」

「お殿様のことを今も憎い…?」

「やっぱり、一生忘れないと思う」

「同じ女ですもの、分かるわよ」

「でも母さん、もしお殿様が異国で戦死していたら…私は一生後悔していた。どうして許してあげなかったのかと」

「しづ…」

「こうしていつまでも無言の怒りをお殿様に示していたら、私は独り者のまま、いびつで嫌な女になると思う」

「では、どうするの」

「お殿様に責任をとってもらいます。女子が一生で一番大事なものを奪われたのだから」

 みよは歓喜した。やっとその気になったかと。

「お父さんもあの世で喜んでくれているわよ、しづ!」

「でも武家娘でもないのに…国主の側室ってなれるのかな…」

「何を言うのです。あなたのお父さんは柴田軍の工兵隊頭領だったのですよ。誰に遠慮がいりますか」

 工兵隊は戦闘行為が免除され、かつ大将は野戦にて彼らを守る義務がある。だから士分ではないのだ。だが並の士分より禄は厚い。明家の工兵隊は秀吉さえうらやましがった匠揃いで現代風に言えば明家の裏方を支えた土木のプロ集団である。頭領の鳶吉は家老級の待遇であったが家は質素であり、妻子にも贅沢をさせなかった。彼は収入のほとんどを工兵隊の建築技術の開発や部下育成のために使ってしまい、妻の手元に渡される生活費は家族三人慎ましく暮らしていける程度であったと云う。

「お父さんの清廉さは柴田家誰でも知っているわ。胸を張って『側室になってあげる』とお殿様に言いなさい」

「うん、じゃあ明日、登城してお殿様に言うわ!」

 晴れやかな顔のしづ。城の方角を向いて言った。

「お殿様、私も職人の娘、もう過去は振り返りません。だから殿もお忘れ下さい。そして私を幸せにしてください!」

 

「へっくち!」

 大きなくしゃみを一つした明家。

「さて…どうしたものか」

 自室の中で明家は考えていた。死んだ鳶吉との約束は絶対に果たさなければならないと思う。何よりしづを愛しいとも思うのも確かだった。久しぶりに見たしづは美しかった。責任を取りたいことは無論、さえやすずのようにこの後の人生を一緒に歩きたいと思う。明日に求婚しよう、そう思った。だがその前に難攻不落の巨大な城がある。さえとすずだ。明家は舞鶴城の奥に行った。真剣な面持ちの良人を見たさえは

「そなたたちは下がっていなさい」

 と侍女に命じた。

「姫蝶、そなたもです」

「分かりました義母上様」

 部屋にはさえとすず、そして明家が残った。一つ咳払いをして座った明家。

「殿、何か」

「数年に渡り、そなたらに隠していたことがある」

「「……」」

「ゴホッゴホッ」

 すずがぬるめの白湯を出した。一気に飲み干す明家。目をつぶり、腹を括って言った。

「…数年前、工兵隊頭領だった鳶吉の娘、しづを手篭めにした」

 沈黙、さえとすずは言葉を発さない。言うや雨あられと叩かれると思っていた明家は薄目を開けた。さえは不気味な微笑を浮かべている。

「…やっと申しましたね殿」

 と、さえ。

「え…!?」

「私と御台様が知らないと思ったのですか?」

 すずも知っていた。さえとすず、二人とも目が据わりだした。

「そ、そうか、しづが訴えていたか。そりゃそうだよな…」

「「いいえ」」

「え?」

「しづは私たちに一言も訴えていません。せめてもの情けと思っていたのでしょう」

 では誰が、なんて明家は言わない。そんなことはどうでも良い。

「まあ、知ったのはつい最近です。二度目の唐入りが終わってほどなくでした」

「そうか、知っていたか」

「申した以上は覚悟していますね?」

「…うん」

「では歯を食いしばって下さい」

 言葉は静かだが迫力はすさまじい。さえは心中よほど激怒していたのか明家を叩く叩く。すずは黙って見ていた。と云うよりさえがやらなきゃすずがやっていただろう。

「空閨とお勤めの鬱憤に負けて生娘を毒牙にかけるなど君主たる者のすることですか!!無理やり手篭めにするなんて女の敵です!!」

 当時、日本一女性を大事にする政治を領内にしいている殿様であった明家だが、私生活でこんなことをしていては何にもならない。相手が同意の上なら、さえは今まで一度も明家を責めたことはないが、これはさすがに腹に据えかねたようだ。明家はひたすら謝った。

「すまん、本当に反省している。二度とあんな恥知らずな所業はしないと誓う!」

「しづにはどう許しを請うのですか!どう償うつもりなのですか!いまもって殿方を信じられず独りとのこと!殿は一人の女子の人生を目茶苦茶にしたのですよ!」

「あのあと、すぐに側室にしたいと申し出たが、しづに女を馬鹿にするのもいい加減にしろと断られた」

「当たり前です!」

「今も独りなら、俺はもう一度しづに求婚して側室になってもらう。そして一生償う!償わせてもらう!鳶吉とも約束した。唐入りから帰ったら側室にすると」

「鳶吉殿との約束だから」

「違う!無論それもあるが、しづを愛しいと思うのも確かなのだ。さえ、すず!」

「「はい」」

「しづを側室に迎えることを許してくれ!養父が命を落してまで助けた娘の一生を目茶苦茶にしたままにおけようか!頼む!認めてくれ!」

 さえは一通の封書を明家に差し出した。『御台様へ』と表書きには記されている。裏書を見ると

「鳶吉から?」

「はい、ご覧になって下さい」

「そなたあての書であろう」

「かまいません、どうぞお読みを」

 鳶吉は朝鮮の役のさなか病魔に冒され死を悟った。だから親しい松山矩久へさえに文を手渡してくれるよう頼んでいた。どうか殿を怒らず、しづのことをお頼みしたいと云う内容だった。

「鳶吉…」

「殿、すずにも鳶吉殿から同様の書が届きました」

「そうだったのか…」

 さえとすずが明家のしでかしたことをすでに知っていたのはこういうことである。つまり二人の激しい怒りは元より予定されていた良人へのお灸である。黙っていたら、さらにすさまじいお灸の予定を立てていたそうだが。

「殿、すずとも話し合いました。認めます」

「さえ…」

「鳶吉殿は殿を支えた忠臣です。その娘御ならば異存ありません。何より…」

「何より?」

「私も柴田家御台所として責任を取らなければなりませぬ。殿の過失はさえの過失です。私も償いにご助力します」

「ありがとう…」

 にこりと笑うさえとすず。正直に話したので、さえとすずは翌日には怒りを残しておらずケロッとしていたらしい。さえも良人の初主命から共に働く鳶吉のことはよく知っている。最初で最後の頼みのように書かれてあってはさえも受け入れるしかなかったのだろう。工兵隊鳶吉、主君明家顔負けの根回しである。苦笑するさえ。これで反対すれば悪者じゃない、鳶吉殿はずるいなあ…と思いつつ、さえはしづの側室を認めたのである。

 しかし、ただで許すわけにはいかない。鳶吉の『殿を怒らないでほしい』と云う頼みは聞いてやりたいが、女としてこれは許してはならないと良人を激しく叱ったのである。でも翌日に残さないところはさすがである。明家がとうぶんさえとすずに頭の上がらなかったのは言うまでもないが。

 さて翌朝、手鏡を見て苦笑する明家。

「腫れが少し目立つかな…」

 さえに叩かれたあとが痛々しい。

「手加減なしだったからな…」

「当たり前です。いま忍びの化粧術で腫れを隠しますのでジッとしていて下さい」

 と、すず。木箱から化粧術の用具を取り出し、明家に施した。

「問題はしづが求婚を受けてくれるかだが…」

「そればかりは御台様も私も助太刀はできませぬゆえ…」

「そうだな、何とかしよう」

「おはようございます殿」

「おはよう、さえ」

「あら、腫れ痕が分からない。大したものねすず」

「元くノ一ですから」

 にこりと笑うすず。

「汗をかいても落ちませんから大丈夫ですよ殿」

 手鏡を見て満足する明家。

「ありがとう、すず」

「はい」

「ところでさえ」

「はい」

「明々後日に大坂へ出発する」

「もうですか?」

「うん、ただでさえ太閤殿下存命のおりに謀反している当家だ。大坂に人質を残していないまま国許にいつまでもいるといらぬ疑念を招く。唐入り戦死者の葬儀も終えたし、溜まっていた文書決裁もじき終わる。戻るよ」

「そうですね…」

「もう少し舞鶴にいたかったが仕方あるまい。小浜に助右衛門、舞鶴には勝秀と慶次を残していく」

「分かりました」

「もう大坂に行ってしまわれるのですか…」

 肩を落としたすず、やっと朝鮮から帰ってきたと思えばと席をろくに暖める暇もない。寂しいと思う。一緒に行きたいが輿では傷痕が痛むし、側室は国許にいるものだ。

「すず、そなたも一緒に参れ」

「え?」

「寝て行ける輿を作らせた」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ、久しく舞鶴を出ていないだろうし、京の曲直瀬家に行き治療の経過も診てもらった方がいいだろう」

「う、嬉しい!殿ありがとうございます!」

「殿、しづは連れて行くのですか?」

「おいおい、まだしづは側室になってくれたわけじゃないぞ」

 三人は顔を合わせて笑った。

 

 明家はしづに求婚するため城を出た。城門まで見送ったさえとすず。

「おかしな話ですね、他の女子に求婚する良人をこうして笑顔で見送るなんて」

 と、すず。

「そういえばそうね」

 さえは苦笑した。

「後の女子は何と言いましょう。越前守の女房二人はずいぶんと人が好いと言いましょうか」

「でも本来なら殿には側室はまだ何人もいたはずです。小山田の月姫殿、若狭水軍の那美姫殿、他にも殿はずいぶんと女子から求愛を受けています。でもすべて断りました。いずれも美人なのに」

「確かに…」

「亡き太閤殿下の嫉妬を被りかねないので側室を増やして子はたくさん作らない方が良い、殿はそう申したけれどそれだけじゃないと思う。同じ太閤殿下に仕えている武将で幾人もの側室を持つ殿方は多いのですから。殿は女子が大好きですが、たくさん側室を増やして私やすずを悲しませたくないのです。二ヶ国の大名が妻二人ですものね。それに側室一人作るのにいちいち正室に許しを請う武将なんて聞いたことがありません」

 クスクスと笑いながらさえは言った。確かに二ヶ国の国主として妻二人は少ないと云えた。十人以上いても何ら不道徳ではない時代であるのだから。明家が丸岡五万石の大名となり、そして朝鮮の役が終わったこの時期までの間、記録により分かっているだけでも明家に側室となりたいと求愛した女性は五人いる。その中に与禰姫は含まれていないので、少なくとも六人以上いたと云うことだ。しかし明家は全部断っている。必要以上に子を成して秀吉の不興を買いたくないと云う思惑もあったろうが、糟糠の妻のさえと自分を庇って満足に歩けなくなったすずを悲しませたくないと思っていたのかもしれない。

「でも外に何人か」

「確か四人でしたね」

「はい」

「良いではないですか。外に女の一人二人作れない男に大きいことができますか」

「何だかんだ、殿が一番愛しているのは御台様ですものね」

「その通り!」

 さえとすずは笑いあって城の中に入っていった。

 

 一方のしづ、一番良い着物を着て、母のみよに髪も整えてもらい、さあ城に行くぞと思えば

「ごめん」

 しづとみよは顔を見合わせ

「あの声は…」

 これからしづが訊ねる予定であった明家の方からやってきた。手に花束を持っている。城を出てから手ぶらではなんだと思い購ったらしい。しづが着飾っていたので

「な、なんだ、出かけるのか。では出直して」

「い、いえ良いのです。いまお城にお殿様を訊ねようとしていたところですので」

「お、俺を?」

「はい、とにかくどうぞ」

 みよが呼び止め、家に入れた。

「あの、しづ、これを…」

 花束を贈る明家。

「あ、ありがとうございます…」

「は、話があるんだ。いいか」

「はい、伺います」

 みよは席を外した。明家はガバと平伏した。

「お、お殿様?」

「本当にあの時はすまなかった。ちゃんと理由を言う」

「理由?」

「正直に言う。あのおり、俺は長く空閨の状態で、かつ豊臣家へのお勤めで色々と鬱憤も溜まっていた。そこにまあ…美しく成長したそなたを見て、もう我慢できなくて…どうしても抱きたくなって…。すまなかった!」

「本当に正直に仰せです…」

 やっと顔を上げた明家。

「やってしまったことをやり直しにできない。だから責任を取らせてほしい。男を信用できなくなっているのは分かる。だから俺のこともいきなり信じろとは言わない。じっくり見て、そして信じ、やがて本当に俺のことを愛してほしい」

「しづに愛人になれと?」

 明家の側室と愛人の違いは何か。平たく言えば側室にしたくてもできない状況にある女性を指す。しづの場合はそういうものはない。

「いや、俺の側室となってほしい。うんと大事にする。さえとすずと同じくらい大事にする」

「……」

「一生かけて、そなたに償う。償わせてほしい」

「一つ、聞かせて下さい」

「…なんだ?」

「お殿様は御台様が病に倒れたとき、亡き太閤殿下の出陣命令さえ断りましたね」

「そうだ」

「私が側室になったとします。そして大病に倒れました。同時に柴田にとって存亡の危機に遭遇したとします。私と柴田どっちをとりますか」

 明家は困った。しばらくしづを見つめ、やがて目をつぶり思案を重ねた。額に汗もにじんでいる。苦悩に顔がゆがむ。真剣に考えた。しづも付き合い、明家の思案中は動かなかった。一刻(二時間)考えたすえ、やっと明家は答えを言った。

「柴田家をとる」

 するとしづ、にこりと笑い、三つ指を立ててかしずいた。

「分かりました。お殿様に責任を取っていただきます」

「しづ…」

「試すようなことを申してすみません。でもお殿様にとっては三人目の妻でも私には生涯ただ一人の良人となる方。その方の心底を見たかったのでございます」

 しづにとって答えは正直どちらでも良かった。ただこの二択を思い切り悩んだうえで出して欲しかっただけなのだ。ただ熟慮のうえ『しづを取る』と言ったら、『それは駄目です』と言うつもりだった。そんなことは自分を手篭めにした負い目から言うに過ぎないからである。自分は正室さえには及ばないし、及んでもまたいけない。いざと云うときには私よりも国や家を選択してほしい。父の鳶吉の背中を見て育ち、しづはそう思える女に長じたのである。そして再び三つ指立ててかしずいた。

「しづはお殿様の側室とならせていただきます。ふつつかものですが、懸命にお尽くしいたします。よろしくお願いします」

 しづを抱きしめた明家。

「うんと大事にするぞ…」

「殿…」

 こうしてしづは柴田明家の三人目の妻となったのである。母親のみよも城に上がり、娘であるしづの侍女頭となり、後にしづが生む孫たちの世話に追われる忙しくも楽しい日々を送ることになる。




本編では亡くなってしまったしづですが、史実編では側室となります。
デメタシデメタシ

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