天地燃ゆ   作:越路遼介

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利家の死

 しづを娶ってから二日ほど経った舞鶴城、城内に作った朝鮮出兵戦死者の慰霊廟、その位牌に合掌する明家に小姓が来た。

「殿、大坂の治部少様から書にございます」

「ふむ」

 その書状には徳川家康が秀吉の定めた御掟である大名同士の私婚を無視して伊達家、福島家、蜂須賀家と婚姻を約定したと述べてあった。家康の六男辰千代(忠輝)に伊達政宗の娘の五郎八姫が嫁ぎ、福島正則の子の正之、蜂須賀家政の嫡子至鎮に家康の養女が嫁いだ。秀吉の定めた掟を破ったことで豊臣家の奉行は家康を訪ねて詰問した。家康はただ『一時の失念であった』と、とぼけた返事をするばかりか凄みを利かせて逆襲し使者を追い返して、けして非を認めようとはしなかった。これには温厚な前田利家も激怒。

「儂の前でも同じことが言えようか!態度によってはその場で討ち果たしてくれる!」

 三成の書には、その一連の流れが記され『とうとう内府は尻尾をあらわにした』と忌々しそうに書かれてあった。豊臣家に忠誠を尽くす三成には我慢のならないことであったのだろう。

「…あれほど無視をしろと言ったのに」

 このころ大坂城の秀頼には前田利家が後見役としてついていた。伏見城の家康とは一触即発状態、利家の存在が家康の独走をかろうじて押さえている状態であった。

「やっぱりゆっくりはしていられないな。旅支度を整えておいて良かった」

 

 続けて小姓がやってきた。

「殿」

「うむ、どうした」

「お迎えに参りました」

「ああ、もうそんな時間か。すぐに行く」

 明家は城内の広間に行った。今日は尼子再興の日なのだ。先代勝久の一人娘の美酒姫、鹿介に厳しくも優しく養育され、立派な女子となっていた。その婿養子となる男が本日美酒姫と婚儀を結ぶ。新たな尼子当主となる若者は元柴田明家の馬廻り衆の若者で名を遠山景清と云った。遠山氏は明家養父水沢隆家の妻の家である。その遠山氏の居城である美濃岩村城を織田信忠の寄騎として攻め落とした時、明家、当時水沢隆広は遠山氏の嫡男の遠山千寿丸を救出している。現在その千寿丸は遠山景輝を名乗り明家に仕えている。景清はその甥である。

 水沢隆広の下命を受けた藤林忍軍はその千寿丸の姉も助けていた。名を美々と云うその娘が当時の城主秋山信友の連れ子だったのか、前城主遠山景任の子であるのか、いまだ不明である。分かっているのはその娘が景清の生母と云うことだ。未婚の身でありながら男子を生んだ。

 しかし景清を生んですぐに亡くなってしまったと云う。生まれた景清は柴田家で養育され明家は大変慈しみ、そして早いうちから景清を尼子の婿養子と考えていたようで、かなりの英才教育も施しており加えて彼の母である美々を明家は丁重に弔っている。以上から景清の父親は明家ではないか、と歴史家は言っている。景清は剛勇の士であったが、大変な美男子で性格も温和だったと言われている。

「遠山景清、本日をもって尼子清久を名乗れ」

「はっ」

「美酒」

「はい」

「似合いの夫婦だ。亡き勝久殿も冥府で喜んでいよう」

「はい、ありがとうございます!」

 景清が婿養子になることに山中鹿介と尼子遺臣はまったく反対しなかったと言われている。それは景清が優れた若者であるに加えて当主明家のご落胤と知っていたからではないだろうか。悲願の尼子再興、その当主となる婿に無位無官の若者を迎えるはずがない。

 晴れて鹿介悲願であった尼子の再興は成った。柴田家に新生尼子家が誕生した。これを後尼子家と云う。凛々しき若き尼子当主を微笑み見つめる鹿介。

「俺の役目はこれで終わった…」

 美酒姫は育ての親とも云うべき鹿介にようやく恩返しできると思っていた。だが後尼子家再興の翌日、鹿介は尼子家に暇乞いを願った。

「そんな鹿介、今まで労に私は何も…」

「良いのです姫」

「山中殿、それがしには貴殿の補佐が欲しい」

「いえ清久様、ここまでがそれがしの仕事です。それがしは今まで尼子と柴田に仕える兼帯と云う方法を執っていました。よくそんな身勝手を明家様は許してくれました。これからは柴田明家直臣として、外から尼子を支えて行きたいと存じます」

「鹿介…」

「姫、何が困ったことがありましたらいつでもそれがしに。尼子から離れてもそれがしは姫と清久様のお味方にございます」

 こうして山中鹿介は兼帯ではなく、柴田明家直臣となったのであった。尼子再興に尽力した自分がいては、いつか姫と清久の重荷になる。鹿介はそう考えていた。育てた果実を自分で食べなかった鹿介。見事な退きぶりと言えよう。

 

 翌日、明家に山中鹿介、吉村直賢、そして一人の若者が目通りした。若者の名前は山中新六と云い、鹿介の嫡男である。まず直賢が切り出した。

「殿、手前は商人司を隠居したく存じます」

「そなたに隠居されると困るのであるが…」

「いえ、余人をもって代えられぬと云う人間は存在しませぬ。ちゃんと後継者はございまする」

「ふむ、誰か」

「はい、ここにある…」

「し、新六だと?」

「はい」

「冗談はよせ。新六は山中家の嫡男ではないか!」

 山中新六、父の鹿介が毛利の吉川元春に攻め寄せられた時にはまだ幼く、乳母に連れられて難を逃れていた。同じく鹿介も死の直前に部下たちに救出された。やがて父と合流して共に柴田家に仕えることになった。

 長じた彼は自分の得意分野で父の鹿介を支えてきた。尼子の遺臣を含め、多くの家臣を養っていた父の懐は火の車。新六は武技が苦手であった。合戦で父の役に立てないなら財で役立とうとしたのである。

 彼が目をつけたのは酒造であるが、当時は白濁の酒であるのが一般的だが彼はまったく透明な酒を作り出したのである。これが清酒である。新六は清酒を山中家の産業として売り出すことに大成功。商才も飛びぬけていたのだ。これによって鹿介は大いに潤い主家を助けることが出来た。嫡男新六が頼りになり嬉しい鹿介であるが跡取り息子をいつまでも酒造家の頭領として位置させるわけにもいかない。そろそろ酒造は他者に委ねて武将にと考えていた矢先、吉村直賢が新六を次代の商人司頭領としたいと鹿介に申し出たのだ。当家の一人息子をとんでもないと鹿介は固辞したが、いくら断ってもあきらめる様子がない。何度も鹿介を訪れて頼んだ。さすが直賢、将来に新六が自分以上の商将となりうると見抜いていたのである。自分の息子をその座につけずに新六に譲りたいと願う直賢にやがて根負けした鹿介は直賢の要望を受けて、山中家嫡男でありながらも柴田家商人司頭領に新六を据えることを了承した。

「待て鹿介、と云うことは…」

「はい、新六は廃嫡します」

「は、廃嫡、簡単に言うが山中家はどうするのだ!?」

「養子でももらいます。新六がお家のために役立つのならば当家の世継ぎとしてではなく、柴田家商人司の頭領として働かせようと存ずる」

「新六」

「はい」

「廃嫡と言われているが、そなたも得心しているのか?」

「もちろん最初は驚きました。しかしそれがしを後釜に据えられると決まった時の吉村様の感涙を見まして決意しました」

「ふむ…」

「合戦は苦手ですが、経営と算術ならば自負するところがございます。吉村様の働きに及ぶことはしばらく無理でしょうが、いつか必ず越えてみます」

「隠居と申しましても、三年ほどはこの二代目育成のため商人司の本陣にいるつもりです。三年後には私など足元に及ばない稀代の商将となりましょう」

「分かった。直賢がそこまで推すのならば間違いあるまい。新六、期待しているぞ」

「はっ!」

「しかし鹿介、本当に良いのか?」

「良いのです。それにまあそれがしもまだまだ現役でござるし」

 これで鹿介には自分の後を継ぐ男児がいなくなってしまったが、息子は自分に一番見合った役目についた。鹿介は養子をもらえば良いと考えた。彼は今まで二人妻を娶ったが、二人とも死別してしまい、後妻も娶らず、今は正室と側室もいないヤモメであった。

 しかしこれから数年後に明家の仲立ちで三人目の妻を娶り、その妻が鹿介の男児を生むことになる。そして新六もまた明家、直賢、鹿介の期待に応えた。柴田明家、勝秀、勝隆三代に仕え、そしてその三代にただの一度も金の心配をさせなかったと言われている。

 

 さて、柴田明家は正室さえと側室のすずとしづを連れて大坂へ向かった。ところでこのころ明家に嬉しい知らせがあった。勝秀の妻の姫蝶は先日に懐妊した。明家とさえは三十代で祖父と祖母となる。初孫の誕生に胸をときめかせながら、明家とさえは大坂への道のりを歩いた。ただ、さえは『せめて五十になるまでおばあ様と呼ばせない』と内心決めているらしいが。途中、丹波の柴田の宿舎。

「輿って腰が痛くなります」

 初めて輿に乗る旅路のしづは腰を押さえて苦笑して言った。食事をしていた明家、さえ、すずはあっけに取られてしづを見た。

「……?何か変なことを私言いました?」

「しづ、今の洒落か?」

「え?」

「輿って腰が痛くなるって…」

 ドッと笑うさえとすず。

「ち、違います!本当に腰が痛くなって!もう知りません!」

「あっははは、そう拗ねるなよ。さて、大まかなことを言っておくか」

「「はい」」

「と、言っても…さっきの俺の怒鳴り声は聞こえたろうから知っていると思うが…」

 明家一行が泊まった宿には時間差を置いて二人の使者が来た。石田三成家臣の舞兵庫と徳川家康家臣の本多正純である。

「前田と徳川が一触即発とは聞いていた。だから双方の陣営は俺を味方に入れようと説得に来た」

「そのようですね。で、殿はどちらにも…?」

 さえの言葉に明家はうなずいた。

「双方に『俺の国は唐入りの損害を補填するために手一杯なのだ。どこと戦うかは知らないが、とても兵なぞ出せるか。俺には部下たちと領国の民の暮らしがすべてだ。帰れ!』そして『今回の大坂行きとて他意はない。唐入りの後始末と豊臣の内政の雑務をしにいくだけ。かような話は迷惑千万』と言って追い返した」

「でも殿、前田様には先の謀反のおりに助力してもらった恩義がございます」

「無論、いよいよになったら前田につく。しかし俺がそれを明らかにすれば戦になる。心ならずもどっちつかずを今は通し、前田と徳川の戦を止める。そなたらもそのつもりでいてくれ」

「「はい」」

 しづはあっけに取られていた。

「しづ、ちゃんと聞いていたのか?」

「そ、それはもちろんですが、妻にそんな大事な話を聞かせても良いのですか?」

「ははは、他の大名は知らないが、俺は話すことにしている。その方がそなたらも安心するだろ?」

「え、ええまあ」

「では明日の旅路に備えてよく眠っておいてくれ。俺は家臣と少し話がある」

「「はい」」

 明家は妻たちのいる部屋から出て行った。

「しづ」

「はい」

「なかなか良い駄洒落でしたね。戦の合力を要望する使者により、殿は神経がピリピリしていたようですが一気にほぐれたようです。大事な方針を私たちにお話して下さいましたし」

 しづが明家の気持ちをほぐす意図で駄洒落を発したのをさえとすずも分かっていた。知らぬは明家だけと云うことだ。ペロと舌を出して赤面するしづ。

「殿は寒くなるような駄洒落を逆に好むとすず様に聞いていたもので…」

 笑いあう明家の妻たちだった。

 

 二日後、明家一行は大坂屋敷に到着した。

「そなたも長旅、ご苦労であった」

 大坂屋敷に到着し、刀の大小を渡しながら、共に来た正室さえを労う明家。

「殿も」

「さて、明日は秀頼様に目通りだからな。早めに休もう。風呂は湧いているか?」

「沸いてあります」

「よし、一緒に入ろう」

「はい(ポッ)」

「殿」

 小姓が来た。

「なんだ?」

「前田利家様がお越しにございます」

「大納言殿(利家)が?」

「はい」

「分かった。さえ、先に入りなさい」

「あ、はい!」

(残念…。前田様の馬鹿)

 部屋を出て行く明家の背を残念そうに見るさえ。立ち去る小姓を呼びとめて言った。

「私と殿が二人っきりで部屋にいる時は留守と言って下さい。そう頼んでおいたのに」

「い、いや前田様にそれは…」

「たとえ天皇陛下が来ても留守と言って下さい」

「そんな無茶な…」

 そろそろおばあちゃんになろうと云うさえなのに、気持ちはまだ新妻のようだ。

 

 前田利家が来た。明家は茶席でもてなす。

「結構なお手前で」

「恐縮です」

 しばらく昔話などをしていたが、それが落ち着き出すと利家は言った。

「のお越前」

「はい」

「前田と徳川が戦ったとしたら、お前はどちらにつく?」

「…恐れながら、どちらにもつきません」

「……」

「先の謀反のおりには…」

「かようなものを切り札に味方につけと言う気はない。お前の謀反の時、儂は名前を少し貸しただけにすぎん」

「大納言殿、それがしは…」

「分かっている。お前は舞鶴から前田と徳川の戦を止めに来たのであろう」

「…その通りです」

「できることなら儂とて戦はしたくない。しかし家康の専横を見過ごすわけにもいかん…」

「避けられないのですか…」

「そうでもない。前田と徳川、決定的な合戦の大義名分がない」

「確かに…」

「だから儂がそれを作る」

「待ってください。作るとは…」

「家康に我が身を討たせる」

「馬鹿な!」

「秀吉の遺命ことごとく無視したことを怒鳴りつけてくれる。罵ってやる。家康が怒り、儂を斬れば合戦の大義名分は立つ」

「しばらく!それがしは舞鶴から戦を止めに来たのでございますぞ!」

「戦は避けられない!前田と徳川は戦わずとも済むかもしれぬが、豊臣と徳川の戦は絶対に避けられんぞ!それを分からんお前ではなかろう!家康の天下への野望は明らかだ。無血で政権交代が行われるようならこの乱世は百三十年も続いておらん!前政権を駆逐する『みそぎ』が不可欠なのだ。だから家康は戦を仕掛けている!!」

 興奮した利家は胸を押さえて咳をしだした。

「前田と徳川の喧嘩を止めにのこのこと出てくる暇があったら舞鶴に帰り戦支度を…ゴホッ!ゴホッゴホッ!」

「大納言殿…!?」

 吐血が手ぬぐいにあった。ひどい汗もかいている。

「病を…」

「もう長くないわ。だからこの身を家康追討の大義名分を勝ちうるために捨ててやる」

「もし…内府がその挑発に乗ったら…」

「お前が家康を討て」

「な…!」

「お前なら勝てる。天下を取れ…!」

 利家はそのまま倒れた。

「大納言殿!誰か医者を!医者を呼んで参れ!」

 前田利家は明家の屋敷で治療を受けた。しばらくして目覚めた。利家の妻まつが呼ばれて来ていた。少し涙ぐんでいる。

「来ていたのか…」

「はい…」

「越前に礼を申しておいてくれ。体がだいぶ楽になっている。良い医師を呼んでくれたのであろう…」

「それは無論のこと私でやっておきます。とにかく殿は快癒のことだけを」

「明日、内府の屋敷に向かう」

「殿…!」

「言うことはそれだけだ。朝まで眠る」

 一方、明家は自室に篭り、腕を組んで考えことをしていた。そして月を見ながら思った。

(大納言殿…。内府はその挑発に絶対に乗りますまい…。それを一番分かっているのは大納言殿、貴方ご当人でしょう。貴方の真意は前田屋敷に内府殿を呼応して討ち果たすこと。だが内府の側近が命がけで止めようし利長にその覚悟はない。すべて徒労に終わりまする。それも貴方は分かっている。だから俺は止めません)

『天下を取れ…!』

 利家の言葉を思い出し、静かに首を振る明家。俺はそれを望んではいけない。そう思った。

(しかしやはり…豊臣と徳川の戦は避けられないであろう…。豊臣政権が存続するにはその戦をして勝つ必要があり、徳川もまた然り…。今回のように中立は無理だ。俺はどちらにつけば良いのであろうか…)

 

 翌日、前田利家は病身を押して徳川家康のもとを訪問して、毅然と彼の約定違反を叱り付けた。これは『儂の死後、法度に背く者があれば単身で当事者を訪ねて意見せよ。それで斬られるのは儂に殉じる事と同じ忠義の現れである』と云う生前の秀吉の言葉からだった。利家は家康に自分を斬らせて討伐の大義名分を得るつもりだった。しかし家康は誘いに乗らず、利家に詫びた。

 やがて柴田明家の仲裁により誓書を交換して武力衝突は避けられた。家康も政権中枢で孤立するのは得策ではないと見ており前田利家と和解に至る。それから一ヶ月後、利家の病状は重くなり、家康が大坂の前田屋敷で伏せる利家を見舞った。この時、利家が長男の利長に『心得ているな』と念を押すと、利長は『もてなしの準備は整っています』と答えた。利家は家康に後事を託した。家康が帰ると、利家は蒲団の中から刀を取り出し、差し違えてでも家康を斬るつもりだったことを利長に告げた。そして機を読みとれなかった息子に『お前に器量が有れば家康を生かして帰しはしなかったのに…!』と告げたと云う。利家は明家を枕元に呼んだ。

「二人だけにせよ」

「「はっ」」

 まつや利長、前田家臣は部屋から出て行った。

「越前…」

「はい」

「儂の自己満足となろうが…。一度お前に詫びたかった」

「詫びる?」

「賤ヶ岳よ…。儂はお前の父を裏切った…」

「大納言殿…それはもう申さぬ約束ではございませぬか」

「怨んだことだろう。だがお前は変わらず儂に接してくれた。嬉しかった…」

「…父の勝家は大納言殿を許していたではないですか」

 賤ヶ岳の敗戦後、柴田勝家は前田利家の居城である府中城に立ち寄り、利家の戦線離脱を一言も責めず、ただ湯漬けと馬を所望して去っていった。前田家から預かっていた人質の麻亜姫も返すことを約束した。

「今でも悔いる。なぜ戦場を離脱したか…!あの戦、玄蕃(佐久間盛政)の勇み足があったとはいえ、お前の軍勢は秀吉の大軍にも負けていなかった。儂さえ留まっていれば勝敗は違ったかもしれぬ。親父様(勝家)が勝ち、お前が柴田家を継ぎ、秀吉と同じく天下人の道を歩んでいれば、今の世はもっと良きものだったのではないかと…この頃よく考える」

「それがしが天下人とは大それた…」

「いや…お前なら、朝鮮への出兵など絶対にしなかったであろうし、統一後も円滑に緒大名をまとめていったであろう。だが秀吉にはできなかった。創造は出来ても守成ができない男であった…」

「大納言殿…」

「だが、今となっては無意味な仮説よな…。ふははは」

 空虚な笑いの利家。

「お前が秀吉に叛旗を翻したとき、もし秀吉がどうしても許さぬ場合、儂はお前につき秀吉を倒すつもりだった。それも秀吉への情けとも思ってな」

「……」

「お前は秀吉を本性寺で討つべきであったのだ」

「大納言殿…!」

「光秀の謀反とは違う。前田がついた。お前は天下が取れたのだ」

「それは違います。取れたとしても大殿(信長)や太閤殿下と同じくにわか天下でした。大殿は破壊、太閤殿下は創造をしました。これを引き継ぐのは守成の天下人でなければなりません。漢の劉邦のような自然に、そう天に選ばれたような方が天下人にならなければならない。破壊と創造を経てきた今、今度こそ長き泰平の世を作れる人物が天下人となるべきなのです。それがしが本性寺で殿下を討ち天下を取り、大納言殿と共に歩んだとしても、結局劉邦に敗れた項羽の役割が訪れる結果と相成りましょう」

「そういうものかな」

「そういうものと思います。反乱は反乱にすぎません」

「反乱は反乱にのう…」

「それがしは大殿や太閤殿下と同じ、自分一代かぎりの天下ならいりません」

「では何代にもわたり天下を治められる人物は誰なのか」

「恐れながら…徳川家康殿でしょう」

 利家は笑った。

「ふっははは、儂やお前は番頭止まりと云うことか」

「番頭も必要不可欠な存在です」

「相変わらず口の達者な男だな」

「恐悦に存じます」

 笑いあう二人。

「だがのう越前、秀吉の奴、儂に秀頼様を頼むと言いおった」

「伺っています」

「遺児を託されたからには願いを聞いてやりたい。あんな阿呆猿に成り果てたとは云え、あいつは儂の親友だからな…。何とか立派な君主にお育てしたかった…」

「何を…まるでこの世で最後の別れのように」

「そうなろう…。もう十分に生きた…」

「……」

「人間五十年…下天のうちを比ぶれば夢まぼろしの如くなり…」

 信長の好む『敦盛』を歌う利家、明家が続けた。

「ひとたび生を享け、滅せぬもののあるべきか…」

 フッと笑う利家。

「…秀頼様を頼むぞ」

「…承知しました」

「隆広…」

「…?はい」

 利家は明家を旧名の隆広と云う名で呼んだ。

「お前が家康と戦うか、それとも味方につくのかは知らん…。前者であるのならば今さら儂が言うことは何もない。もし後者ならば、秀吉に仕えたときと同様に用心深くせよ。家康とてお前が恐ろしいはずだ。『もったいない越前』は続けよ。そしてどんなに我慢ならぬことがあっても三条河原のような真似はするな。家康は絶対に許さんぞ。そういう男だ」

「利家殿…」

「家康の天下統一後に一大名として生き残りたければ、献身的に家康に尽くせ。さすれば家康はお前を無上に重用しよう。そういう男でもある」

「お言葉、生涯の教訓とします!」

「分かればいい…。さて、親父様に詫びに参ろうか」

 慶長四年三月、前田利家は没した。

「親父様…!」

 明家は利家をそう呼び、号泣した。

 

 ここは小浜城、奥村助右衛門の居城である。助右衛門の元に慶次が訪れた。慶次の用件は明家からの知らせを助右衛門に伝えることだ。家老の慶次がやることではない仕事だが、その内容から自分でやってきた。

「利家様が亡くなった…?」

「うむ…」

「そうか…」

 奥村助右衛門と前田慶次は元々前田家の出である。利家の兄である利久に助右衛門は仕え、慶次は利久の養子である。織田信長が鶴の一声で前田の家名を利久の子である慶次ではなく利家に継がせたのだ。

 利久の居城である荒子城の譲渡を助右衛門と慶次は拒絶。彼らはたった二人で前田利家五百と戦った。結果利久の明け渡し勧告により荒子城は利家のものとなったが助右衛門と慶次はそれを不服として出奔。助右衛門はその後に諸国を流浪して越前攻めで前田家ではなく織田家に帰参。その後に信長の人事で水沢隆広、後の柴田明家に仕えた。

 慶次はそのまま実父の滝川益氏の元に身を寄せて滝川の陣で戦っていたが、柴田勝家寄騎となった利家の元に帰参することになった。利家は兄の利久を厚遇していた。利久は武将としての才覚は乏しいが清廉な人柄で、ある意味利家よりも人望があり、利家もそれを慕っていた。だが人の好い兄では前田は立ち行かぬとあえて家督簒奪と云う挙におよんだ。利久もそれを分かったのか弟利家を憎まず、剛勇の養子が弟の支えになればと慶次を呼び戻した。人の意見など聞かぬ慶次だが利久だけには素直で、渋々だが利家の元に帰参した。

 しかしやっぱり反りが合わない。やがて利久が没すると、もう軍議にも呼集されない。再び出奔しようと思っていたところ朋友の奥村助右衛門を経て水沢隆広に仕えることになった。

 

 色々とあった。賤ヶ岳の戦いでは前田利家は羽柴秀吉に転身し、こともあろうに親父様と呼んだ柴田勝家の息子に降伏をすすめる。なんたる腰抜け、返り忠と助右衛門と慶次は唾棄していた。しかしそれももう過ぎたこと。黒田如水や蒲生氏郷のように明家がその才覚を秀吉に恐れられながらも遠ざけられなかったのは利家が影ながら庇っていたからである。あの謀反のときも利家の助力を得られなければ柴田は滅ぼされただろう。

「そういえば我ら一度も利家様にお礼を申さなんだな…」

 と、助右衛門。

「そうだな」

 慶次は返答しながら酒を飲んだ。

「丸岡ではすまないことを言ってしまった。『若い我が主につまらん処世術を吹き込むな。害になるだけ』と…」

「気にしていたのか」

「…まあな」

「ならば、召される叔父御に共に言おうではないか」

「何を?」

 今まで酒は慶次しか飲んでいなかったが、慶次は助右衛門の前の膳に杯を置いてなみなみと酒を注いだ。そして誰もいない上座に杯を置いて酒を注いだ。利家への酒であろう。慶次の意図を察した助右衛門は杯をとった。そして何も慶次と申し合わせていないのに、二人は同じ言葉を発して召される利家に言った。

「「お見事でござる、前田利家殿」」

 酒盃を一気に飲み干す助右衛門と慶次。彼らの耳には利家の『その方らも大義であった』と云う言葉が聞こえてくるかのようだった。


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