天地燃ゆ   作:越路遼介

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直江状

 上杉景勝の居城、会津若松城。その城主の間で景勝と直江兼続が話していた。

「殿、とうとう内府めが本性を剥きだしにしてまいりましたな」

「ふむ、太閤殿下が亡くなられたことを良いことにあのタヌキめが!大坂城を乗っ取ったうえ、その西の丸に本丸同様の天守閣を築く横暴は目に余る。あれは我ら豊臣家の大老への侮りじゃ!」

「まさに」

「しかも前田利長殿に不穏な動きありと言いがかりをつけて前田を攻めると脅しをかけた。何たる傲慢ぶりじゃ」

「仰せの通りにございます。しかし利長殿にはがっかりさせられましたな。父の利家殿とは比べ物にならない腰抜け。戦わずして降参し母親を人質に出すとは」

「儂もガッカリしたわ。利家殿の亡き後は利長殿が反家康の先鋒であろうと思っていただけに裏切られたわ。しかも豊臣家の異心なきことを示す人質がなぜ江戸に行く。おかげで諸大名は内府(家康)の顔色を伺うばかり。内府は図に乗り細川からも人質をとりおった。しかも正月には太閤殿下と同じ作法で参賀をさせ天下人気取り、まったくはらわたが煮えくり返るわ。それにしても越前、城門まで内府を出迎えたと云うではないか。越前も豊臣家の大老だぞ。内府や儂とも同格ではないか!それが恥知らずにも尻尾を振りよって!かつて父の謙信に挑んだ男も家畜になったわ」

「上泉の同門のそれがしも失望しました」

「徳川家康、何するものぞ!」

“失望した”と言ったものの、兼続には明家の意図が分かった。何とかして現時点における徳川と豊臣の合戦を避けさせようとしていると云うことを。

(無理だ竜之介…。もう合戦は避けられない。なるほど内府死後なら合戦でも勝算は多分にあり、秀忠の義兄のお前なら豊臣と徳川の融和させることも出来ない話じゃない。お前はそれを狙い、ひいては秀頼様と淀の方を守ろうと言うのであろう。だが甘いぞ。絶対に内府が避けさせない…)

 秀吉に天下執政の器量人と呼ばれた直江兼続は軍備に余念がない。大量に兵器を仕入れ、多くの牢人を雇った。

 会津の軍備増強が進むに連れて脅威を感じたのが上杉に代わり越後に入った堀秀治であった。上杉を慕う民の一揆に悩まされ続けていたうえに隣国上杉の軍備。ついに堀秀治は上杉に豊臣への異心ありと徳川家康に訴えた。かつ上杉家より出奔した藤田信吉により徳川秀忠に『上杉では若松城西に神指城を築き、街道を整え架橋し多くの牢人を雇うに至る。これすなわち謀反の支度』と訴えられた。家康にとっては渡りに船。これで上杉を討つ大義名分が整った。大坂城西の丸、徳川家康が諸大名に言った。

「上杉の謀反は疑いなし。会津征伐すべし」

 諸大名がどよめく。そこに

「内府殿」

「何かな越前殿」

「まずは書状をもって真意を質してはいかがにござろうか」

「ふむ、そうよな」

 数日後、上杉景勝宛に僧侶の西笑承兌がしたためた詰問状が届いた。内容は

『景勝が上洛しないので家康は不審に思っている。よくよく考えて以下に答えよ。

一.景勝に別心無くば起請文を以て申し開きをせよ。

一.景勝の律儀さは太閤以来家康も知っているので起請文を以てその証とせよ。

一.前田利長の異心は家康の裁量で収まった。利長に倣え。

一.会津では武具を集め道を造り橋を架けているとか。こちらでは高麗に使者を送り降参しなければ再出兵の相談をせねばならぬ。よって急ぎ上洛せよ』

「山城(兼続)」

「はっ」

「儂はこんな言いがかりに屈するつもりはない。しかし今、この会津に天下の軍を迎え『謙信の家』の名に恥じぬ戦いが出来ようか、そして勝てようか」

「勝てまする」

「あいわかった、上杉の意地を存分に示すが良い」

 その夜、直江兼続は文机に向かい、しばらく腕を組んで目をつぶっていた。やがてカッと目を開き、筆を走らせた。世に有名な『直江状』である。(現代用語にて要約)

『徳川家康様、ご機嫌麗しゅう。さて、潔白の誓紙を差し出せとのことでしたが、いくら出しても大した意味はありません。これまでもさんざん出してきましたが徳川殿は読んでもいないのですか。太閤殿下の死後に色々と心変わりしている大名がいるようですが、当上杉家をそんな連中と同じに思われては甚だ迷惑至極。

 こちらも大名ですから、武器は確かに集めておりますが、これは人たらしの好きな上方大名が茶道具を集めることと同じでして、我々田舎武士は武器を集めることしか出来ないのです。謀反の疑いをかけられるのは誰か密告者がいるのでございましょう。その密告者を詮議もしないでそのまま鵜呑みにするとはそちらの手落ちと云うしかござらん。

 最近は前田家と細川家まで処罰されているようで、いやいや内府殿の御威光は大したものでございますな。高麗が降伏しなければ再征など、そんな話は子供でも信じますまい。あまりの妄言は笑われましょう。とにかく我々の方から出向かずとも、近々内府殿がご子息秀忠公と会津征伐に来られると云う噂も入っておりますので、我々は国境に布陣してお待ちしております。どうぞいつでもお越し下さい。それでは失礼いたす』

 大坂城の徳川家康に届けられた直江兼続の返書。それを読み、家康は激怒。この文は明らかに『来るなら来い!!』そう言っている。

「この歳までこれほど無礼な書状は読んだことがないわ!」

 怒りに任せて『直江状』を破く家康。

「許せん上杉!出陣じゃあーッ!」

「「ハハーッ!」」

 

 このころ、柴田屋敷には嬉しい知らせが届いていた。

「さ、さえーッッ!!」

 廊下をけたたましく走ってくる良人明家の声。部屋で花を活けていたさえは手を止めた。

「どうしたのです殿、そんなに慌てて」

「生まれたぞ!!」

「え?」

「姫蝶が見事元気な男子を生んだぞ!!」

「ほ、本当に!!」

 国許の息子勝秀からの便りを広げて見せる明家。大喜びして良人と抱き合うさえ。しまいには二人で踊りだした。この生まれた男児が柴田家三代勝隆である。

「これで我らはおじいちゃんとおばあちゃんだなぁ!まさか齢四十でじじいになるとは思わなかった!あっはははは!!」

「はい!」

 側室のしづ、甲斐、そして侍女たちも祝福を述べた。

「「おめでとうございます殿、御台様!!」」

「ありがとう、みんな!」

 感涙しているさえ。朝倉家の滅亡と父の死で絶望し、身投げすら考えた自分が、まさか祖母になれる日が来るなんて。嬉しくて仕方がなかった。

「殿、大坂のお勤めはいつごろメドが立ちます?さえは孫の顔が早く見たいです」

「俺もだ。秀頼様に願って夫婦そろって国許に」

「申し上げます」

 小姓が来た。

「なんだ?」

「徳川家の本多正純様が内府様の使者としてお越しにございます」

 明家の顔が曇った。

「殿、本多様は何を…」

「あまり良い知らせではないと思うな」

 

 大坂の柴田屋敷、ここに徳川家康からの使者が来た。本多正純である。

「…上杉家を討つ戦に当家も参戦してほしいと?」

「はっ、上杉景勝殿の謀反は明白、これは徳川と上杉の合戦にあらず。我が殿は豊臣家の大老として討ちに参るのです。すでに秀頼様から追討令と軍資金もちょうだいしてございます」

「正純、なぜ『出陣だーッ!』の前に同じ大老の俺に一言の相談もないのだ?」

「それは簡単至極、越前殿は必ず止めたでござろうから」

 明家は吹き出した。その通りである。

「なるほど、俺に相談すれば出兵まで長くなる。秀頼様に直接追討令を発布してもらえば早くて済む。兵は神速を尊ぶべしか」

「左様、かつ上杉と二度も戦っている越前殿には色々と協力願いたいとのこと。朝鮮との和議交渉はしばらく宗氏に委ね、豊臣の内政は留守居の者たちに任せて出陣されたし」

「虫の良いことを言う…」

「悪いことは申しませぬ。そろそろ旗幟を明確にせねばなりますまい。吏僚派か武断派かを」

「……」

「ご貴殿は軍事と内政、どちらも並外れた才覚の持ち主にございます。ゆえにどちらの閥にも属する必要がなかった。閥を好まぬとは聞いておりますが、今度ばかりはそうもいきませぬ」

「吏僚と武断?回りくどい言い方はよせ正純、豊臣か徳川と言いたいのであろう」

「…さて」

「まあいい、秀忠殿は俺の妹婿でもあるし、何より内府殿は俺の謀反に怒る太閤殿下を上手くなだめてくれた恩義もあるゆえ、出兵には応じよう」

「はっ、ではそれがしはこれで」

「ふむ」

「殿、会津に向かわれるのですか」

 と、山中鹿介。

「正直、いま内府殿に逆らうのはまずいのも確かだ。秀頼様の上杉追討令さえ得たとあらば俺は断れない。丹後若狭の領民のため、ここは従おう。だが戦うためではない」

「は?」

「何とか現地で和議を結ばせる。上杉と戦うことになれば戦は拡大してしまい、治部がいらんことをしでかすかもしれない。俺と山城が会えば何とかなろう。国許に帰るぞ鹿介」

「はっ!」

 明家は妻たちと会った。

「さえ、すまんがそなたが孫に対面できるのはしばらく先となりそうだ」

「そうですか…」

 孫に会いたい気持ちを抑えるさえ。

「大老の俺が御掟に背けない。正室のその方は大坂に残らなければならん。すまんな」

「いえ、それも正室のつとめです」

「すずも残った方が良いだろう。しづと甲斐は一緒に帰るぞ」

「「はい」」

「甲斐は俺の国は初めてだな」

「はい、美観と呼ばれる天橋立と三方五湖、ぜひ見てみとうございます」

「甲斐殿、殿は物見遊山に国許に帰るのではないのですよ」

「も、申し訳ございません」

 さえの叱責に恐縮する甲斐姫。

「まあまあいいじゃないか。そうだな今は無理だが、今度お弁当をもって五人で行こう」

「「はい!」」

「明日には発つ、しづと甲斐は帰国の用意をしておくのだぞ」

 明家はすずの部屋に行った。すずは風邪をこじらせて伏せていたが、快癒に向かいだしていた。

「殿…」

「そのまま、そのまま」

 昼は大坂城に出仕しなければならないが、夜はずっとすずに付き添っていた明家。すずは嬉しくてならず、このまま風邪をひいていたいと思っていたが、くノ一の体力はいまだ健在で生憎だが治り出している。

「殿、お孫さまの誕生、まことに祝着至極」

「隆茂の妻の双樹(前田慶次四女)も懐妊している。そなたももうしばらくすれば婆様だぞ」

「五十まではおばば様と呼ばせません」

「さえと同じことを。じゃあ孫はすずを何て呼べば良いのだ?」

「こ、これから考えます」

「ははは、どれ、すず。寝込んでいたので体の節々が凝っているだろ。揉んでやるよ」

 カアッと顔を赤くしたすず。侍女たちがそそくさと部屋から出て行った。

「だ、だめです。ここ数日はお風呂に入っておりません。殿に汗でにおう身を預けられません」

「違う、凝っている箇所を手で揉んでやると言っている」

「あ、さようで(残念…)」

「ほら、うつぶせになって」

「はい」

 明家はすずの背中を手のひらで押すように揉んだ。側室の身を揉んでほぐしてやる戦国大名なんて明家くらいだろう。

「凝っているな、侍女たちにやってもらったのか?」

「はい、でも何度は悪いし…」

「遠慮深いな」

 時に整体のように骨の湾曲も直していく明家。一瞬すずに痛みはあるが、終わると一気に凝りが取れる。明家も心得たものだ。

「気持ちいい…」

「これが終わったら朝飯だ。柴田粥が出来ているぞ」

「ありがとう殿…」

「すず、そのままで聞いてほしい」

「はい」

「内府殿から出陣を要請された。会津の上杉を攻めるらしい」

「上杉を?」

「三度目になるな柴田と上杉が戦うのは。しかし過去二度とは事情が違う。何とか現地で和議を結ばせようと思う」

「はい、それが良いとすずも思います」

「出陣のため舞鶴に帰らなければならない」

「そうですね…」

「御掟により正室のさえは残ってもらうのは当たり前だが、すず、そなたも残れ。病み上がりでは輿の旅はキツいだろう」

「仰せのとおりに…。無事のご帰還を待っております」

「無事に帰るさ。すずを抱きたいし」

 さっきからすずのお尻も撫でている明家。

「もう、そこは凝っていませんよ助平!」

「あははは、出陣の餞別としてかわいいお尻の感触を受け取っておいた」

 侍女が柴田粥を持ってきた。れんげで粥をすくう明家。熱いので冷ますように息を吹きかける。

「美味しそうだ、すず、アーン」

「自分で食べられますよ」

「いいからいいから」

「アーン」

 美味しそうに食べるすず。それを見て微笑む明家。しばしの別れを惜しんだ。

(しかし…この会津攻め。ある意味治部への挑発とも取れる。伏見城以外の徳川の勢力が畿内からいなくなる。治部がこの機会を逃すであろうか…。いや失脚した身で内府殿に対抗など出来るはずもない。左近殿を経て動くなと伝えたことだし考えすぎか)

 

 柴田明家は舞鶴城に帰り、孫に対面。満面の笑みで孫を抱く明家。

「おお、めんこいな。姫蝶、大手柄だぞ」

「ありがとうございます」

「『竜之介』の名前を与える。水沢家の世継ぎの名だが、今では柴田の世継ぎの名だ。すこやかに育てるのだぞ。そなたも母親としてはまだ赤子。この子と一緒に成長し良き母親となれよ」

「はい義父上様!」

「父上、舅殿から(仙石秀久)山のように産着が贈られてまいりました。それと父上宛の文です」

 孫を抱きながら文を見る明家。

(相変わらず、汚い字だな…)

 苦笑する明家。字は汚いが初孫の誕生に秀久も歓喜している様子が伺える。

「舅殿は義叔父御(秀忠)の部隊に組み入れられたそうです」

「そうか、我らもぐずぐずしておられないな。明日には出陣だ」

「はっ!」 

 

 翌朝、柴田軍は出陣。一万二千の軍勢を率いて東進を開始した。その途中、近江に陣を敷いていた明家のもとに石田三成から使者が来た。茶を馳走したいと云う。明家も話したいことがあったのでちょうど良かった。数名の供を連れて石田三成の居城の佐和山城に向かった。茶席で明家は三成に話しを切り出した。

「嫡子の重家を人質に出せですと?」

「そうだ、そなたが内府殿と和解するにはそれしかない」

 三成の点てた茶を飲み、茶器を差しかえす明家。

「……」

「重家を俺に預け出陣させよ。さすれば俺がそなたと内府殿の仲を何とかする」

「……」

「聞いているのか治部」

「はい」

「今は内府殿と和を講じ、時間を稼ぐのだ。秀頼様に必要なのは何ごとも起きない、ただの時間だぞ」

「おっしゃることは分かります。だが内府がそれを黙って見過ごすとは思えません」

「そうさせるのが俺とお前の仕事だ。唐入りの後始末も終えていないと云うのに国内で政権争いの合戦などしている場合か。そなたは内府殿と和解し…」

「内府との和解など、なぜ今のそれがしに必要がありましょう」

「なに?」

「もう遅いのです」

「どういうことだ?」

「上杉は起ちました。どうしてそれがしが後戻りできましょうか」

 明家は絶句した。

「…治部、まさかお前、山城と謀りおったのか!?」

「……」

「なぜもっと早く俺に言わなかった!」

「申せば止めたでございましょう」

「当たり前だ!」

「上杉が立ち、会津に向かった今が千載一遇の好機。むざむざ逃すものですか」

 石田三成と直江兼続は豊臣政権下で友誼を交わしており、親しかった。しかしながら現在の歴史小説にあるような両名が挙兵を示し合わせたと云う事実は現在に伝わっていない。もっとも秘密裏に行われた謀議の形跡が残る方がおかしいのであるが。

「無理だ治部、とうてい成功しない!十九万石のお前が二百五十万石の内府殿に勝てるはずがないであろうが!いったいどれだけの将がお前についてきてくれると思うのだ!」

 三成は明家に平伏した。

「それがしに人望がないことは分かっております。確かにそれがしに従う者は少のうございます。だからこそ越前殿の力を借りたいのです!」

「……」

「どうか!」

「…なぜ一番簡単な方法で、もっとも確実な『内府を放っておく』が出来ないのだ」

「越前殿とて分かっておりましょう。今ここで内府を討たなければ、いずれ秀頼様を廃して天下を我が物に」

「馬鹿な、お前が挑発に乗らず大義名分を与えなければ内府殿とて何もできないであろうが!確かに内府殿は専横だが今のところ秀頼様を立てている。何より我らが太閤殿下と成し遂げた日之本惣無事をお前が破ってどうするのだ!戦などダメだ!」

「ならば越前殿はどうして一万二千もの軍勢を連れて会津攻めに!」

「内府殿への加勢ではなく、上杉と徳川を和睦させるためだ」

「和睦ですと?」

「そうだ、何とかして戦を止めさせて、時期を待つ」

 時期、つまり家康の寿命が尽きる時、と云うことだ。家康の死後ならば戦うにしても勝機はあり、豊臣と徳川との融和も出来ない話ではない。明家にとって秀頼とその生母である妹の茶々を守るためにはこの方法が最善と思っていた。何より日本が二分しての天下分け目の大合戦を避けるためにも。

「だが、そんな盟約があるのならもう戦を止めようがない…!」

「越前殿!」

 明家は席を立ち、佐和山城から去った。

 

 陣に戻り、一人考える明家。柴田勝家に仕えていた時に三成と二人で成し遂げた数々の仕事が浮かんできた。手取川の戦い、九頭竜川治水。そして新田開発や築城、道路拡張などを一緒に汗だくになって働いていた日々。

 陣屋の蝋燭の炎がゆらめく。明家は考える。徳川家康の寿命待ち、それが明家の考えていた秀頼と茶々を守り、かつ合戦を避けて豊臣と徳川との融和も図る構想。しかし情勢はそんな明家の構想を消し飛ばし合戦へと動き出した。もう合戦は避けられない。ならばどうする。

 本心では三成の加勢をしてやりたい。武将として徳川家康に戦いを挑むのも本懐。だが父母の仇である豊臣秀吉に仕えてきたのは『戦のない世の構築』の大望があればこそ。それを思うと三成が勝っても何になろう。わずか七歳の秀頼に天下を治めることは無理で石田三成が実権を握る。全国の諸大名がこれを黙っているはずもなく、再び群雄割拠となる。徳川が天下を握れば戦はなくなる。『戦のない世の構築』こそ我が大願。明家の長考は続き、やがて

「誰かある」

 小姓を呼んだ明家。

「はっ」

「翌朝、佐和山に…」

「佐和山に…?」

「いや、いい。また用があったら呼ぶゆえ下がっていよ」

「はっ」

(…だめだ、佐和山には行けない。行けば間違いなく俺は佐吉に加勢を選ぶ)

 立ち上がり、陣屋の戸を開け佐和山城の方角を見つめる明家。

「すまん佐吉、加勢は出来ない…。またお前とは敵となる」

 そして先ほどの小姓を再び呼んだ。

「家老の奥村を呼んで参れ」

「ははっ」

 明家は側近の奥村助右衛門を召した。陣屋に二人だけである。

「殿、お呼びにございますか」

「うん、頼みがある」

「これは嬉しいことを。何でござろう」

 翌日、奥村助右衛門は息子たちも伴い、四千の兵を率いて丹後若狭に引き返した。不思議に思う前田慶次、山中鹿介。嫡子の勝秀も同じである。

「父上、なぜ奥村殿を国許にお返しになるのですか?」

「後で話す」

「はあ」

「さて、我らも江戸に行き、会津に向かうぞ」

「「はっ!!」」

 

 翌日、佐和山城。徳川の出陣要請で同じく会津攻めに向かっていた大谷吉継も明家と同様に城に招かれた。茶席の後、吉継も明家と同じことを言った。

「重家殿を徳川に人質に出せ。今ならまだ間に合う。俺が間に立つ」

「もう遅い」

「なに?」

「上杉は起った。なぜ俺が引き返せる」

「なんだと…!」

「豊臣政権は今や徳川に乗っ取られ天下は家康のものになろうとしている。この状況を傍観しているわけにはいかぬ。挙兵して家康を討つしかない」

「考えを改めろ佐吉!豊臣政権を守ることを大義名分としても負け戦では意味がなかろうが!」

「多少の危険をおかさずして目に見える成果はない!断固挙兵すべし!」

 しばらく見つめ合う吉継と三成。吉継が切り出す。

「いいか、お前には挙兵するに五つ不利がある。一つ、内府は現在すでに五大老の筆頭であり勢威は日々に高まっている。天下の諸将の多くはその下に従っている。これに比べるとお前は領地も少なく位も低いので人心はつかない。

 二つ、現在天下で大国を持っている者と言えば徳川と毛利で、とくに内府の経済は強大で対抗できる者がおらず内府自身の人望も高い。

 三つ、内府は若い頃から甲斐や駿河で歴戦し、用兵にも通じ、戦のかけひきに長じている。現在ではこれに挑戦して勝てる者はいない。太閤殿下とて敗れた。

 四つ、内府の家臣には本多正信や本多忠勝と云った優れた者が揃い補佐している。三河時代から良い家臣が多かった。大身となった今ではどのくらいになるか分からない。それに比較すればお前はとてもかなわない。

 五つ、内府は部下の掌握にきわめて卓越している。人として自分の子供を思わない者はいないが、内府は部下の者で戦死する者があれば、その者にどんな小さい子供がいる場合であっても、長くその子孫に至るまで面倒を見てやっている。ゆえに家臣たちは本当の親のような気持ちで慕っている。

 以上の五点、これはどれも人として揃えるのは難しいことばかりだが内府はこのすべてを兼ね備えている。とても勝算はない。今なら間に合う。挙兵を止めるのだ!」

「おぬしには釈迦に説法であろうが兵の運用に定石はない。どう変化するのかはやってみなければ分からない。反徳川の者、すべてが心を合わせて内府に当たれば、どうして敗れることがあるか」

 と、三成は反論。

「西国の毛利、島津、小西も内府には腹を据えかねている。彼らを味方につければ勝算は十分にある。関東の各地にも佐竹や相馬のように上杉と腹を合わせている大名もいる。内府と合戦する時には関西勢が箱根まで進軍して、東国の諸将たちと共同して関東に押し入り、一挙に江戸を占拠する計画だ」

 吉継は目をつぶり落胆の溜息を出し、首を振った。

「お前が言っているのは諸大名納得の決定された作戦ではなく、お前の単なる願望に過ぎない。朝鮮の戦で越前はお前に何と言った?負けた時のための手も打たねばならないと言っただろう!お前は全部忘れて勝つためだけの作戦しか立てていない。しかもその勝つための作戦とて相手が内府なら全部看破されるであろう。しかもやることなすことみんな時期が遅れている。ことを図るのならばもっと早く、内府が大坂を離れる前にやらなければならなかったのだ。内府はすでに江戸に帰っている。これは虎を野に放ったようなもの。それが分からないのか!」

「刑部(吉継)、もう後には退けぬ」

「どうあっても考えは変えぬか」

「変えぬ」

「俺がこれほど言ってもか!」

「誰が何と言おうとだ!」

「この馬鹿野郎が…!」

 拳を握り殴りかかる吉継。しかし三成は真っ直ぐに吉継を見つめ避ける仕草さえしない。拳を引っ込めた吉継。

「どうあっても賛同してはくれぬか刑部…」

「……」

「そうか、そなたと俺の縁、今さらくどくどとは言うまい。このうえは戦場で合間見えよう」

 

 吉継は垂井の自陣に戻り、一人陣屋に篭った。吉継はふと少年の時を思い出した。幼馴染の石田佐吉が仕官を成就したと。しかも仕官した男は織田家で頭角を現し、長浜城主の羽柴秀吉。当時、紀之介と云う名の少年だった吉継。彼は幼少から武将になりたかった。紀之介は佐吉に秀吉様に推挙をと頼み込んだ。佐吉は快諾し、主君秀吉が長浜領内を視察する道筋を教えた。そして秀吉が来るのを待ち、道の脇に平伏した。その視察に同行していた佐吉がそこへ止まり、

『親父様、この者はそれがしの幼馴染の大谷紀之介です』

(ホレ、顔を上げろ紀之介)

 紀之介の顔を見た秀吉。

『ほう、いい面構えをしているのう!』 

『は、はい!』

『佐吉の推挙ならば間違いあるまい!励め!』

『はい!』

『良かったな、紀之介』

『ありがとう佐吉!俺嬉しいよ!』

 そんな思い出を脳裏に浮かべ微笑む吉継。そしてあの日、秀吉の茶会に招待された時だった。大谷吉継は病のために顔が崩れ、普段から覆面をしていた。ハンセン病に侵されていた吉継はめったに茶会に出ないが秀吉の主催では断るに断れず出席した。そして茶を飲み、隣に茶器を渡す時だった。顔の膿汁が茶の中に垂れてしまった。茶席の空気は凍りついた。吉継は隣に渡すに渡せない。業病の膿汁の入った茶など誰が飲めるか。その時だった。

『いや~刑部、今日は喉が乾いてかなわん。それをくれ』

 と、石田三成が茶碗を取り一気に飲み干してしまった。三成は吉継の飲んだ茶碗を悠々と飲み干した後、お代わりを催促し、しかもわざと手をすべらせて茶碗を落とし

『これは失礼、皆様に転げた茶碗では恐れ多い。茶碗のお取替えを』

 と言い、居並ぶ諸大名は安心し、吉継は恥をかかずに済んだ。吉継は涙が出るほどに嬉しかった。この男のためなら死んでも良いと思った。その男が自分を頼って、誰もが恐れる徳川家康に挑もうとしている。すでに死期の近いことを悟っていた吉継は三成との友情のため命を捨てる覚悟をした。

「…俺は病の身、そう長生きは出来ん。病で死ぬより戦場で死ぬ方が良かろう。この命、佐吉にくれてやろう…」

 翌日、大谷吉継は佐和山城に入城。石田三成は感涙して出迎えた。私室に迎えて話した。吉継は言う。

「治部、そなたの才覚は天下に比類ない。しかし嫌われている。承知か?」

「…承知しているつもりだ」

「俺は何度か言ったな。『もう少し好かれるように立ち回れぬものか』と。だがお前はいつもこう答えた。『誰もが嫌われるのを避けていたら政治は出来ない』と。だから嫌われているのはお前自身か卑怯でもなく、小人でもなく、お前自身が本来は太閤殿下に向けられていたであろう憎悪をかぶっていたからだ」

「刑部…!」

「大名に口うるさく、あれこれ統制を加える内府の機嫌をとって質素に暮らすのはつまらん。一か八か賭けてみる」

「その賭け、当たらせてみせるぞ」

「なら佐吉、お前はあまり前面に出ぬことだ。毛利輝元殿や宇喜多秀家殿を立てることだ。さすればお前のところに参じる者も出てこよう。この俺のようにな」

「ああ…!」

 

 柴田明家は依然、会津攻めに向かう徳川軍の中にいた。江戸に到着し家康と合流して一路北へ。一方、真田昌幸の軍勢は徳川秀忠の軍勢に属していた。そして下野犬伏の村落に陣を敷いた時だった。

「殿!」

「いかがした?」

 使いが昌幸に耳打ちした。

「なに?治部より密使じゃと?」

「御意」

「よし会おう、別の部屋にお通しせよ」

 石田三成の使者に会った昌幸。

「治部殿より密書を預かってこられたそうじゃが」

「御意、これが主人の書状にございます」

「拝見いたす」

 それは徳川打倒挙兵の知らせだった。そして真田に味方についてほしいと云うことだった。

「ふむ…」

 使者からもたらされた書状を読んだあと、昌幸は嫡男の真田信幸、次男の信繁(幸村)を呼んだ。誰も近づけるなと見張りに命じて、別室で息子二人と要談に入った。

「実は今しがた治部小輔殿より密使が来ての、かねてより予測していた通り家康打倒の兵を上げるとの事じゃ」

「なんですと!」

「治部小輔殿が!」

「それで…治部殿より真田に味方につけと?」

「その通りじゃ信幸、これを読んでみよ」

「はっ」

 真田信幸は明家の書状を読んだ。無論信繁も読んだ。

「さて、おぬしらの考えを聞こうか、信幸はどうか?」

「……」

「信繁は?」

「それがしは大谷吉継殿の娘である安岐を妻に迎えております…。吉継殿の性格なら治部殿に助勢すると存じます。ゆえにそれがしは…」

 一方、長男の信幸は家康の家臣、本多忠勝の娘の稲姫を妻にしている。真田が豊臣に臣従した時、秀吉は信幸に徳川に仕えるよう指示されていた。家康は信幸の才能を愛した。寡兵で徳川を撃破したことのある真田。父親は嫌いであるが、息子の信幸は一本気な性格をしているので、その性格と才能を愛して重用した。徳川との繋がりは深い。

「父上、それがしは…内府につきます」

「…信繁は治部か」

「はっ、父上は?」

「治部につき、反徳川となる。我らのごとき、小大名はこういう危急を活用せねば大身になることはできん。それに儂は家康に嫌われている。あやつに加担して手柄を立てても恩賞はたかが知れている。今回の治部の挙兵は真田にとって千載一遇の好機なのじゃ」

「父上の申すこと、信幸にも分かります。しかしながら内府は日の出の勢い、他の大名が束になってもかないますまい」

「家康の力は分かる。じゃが前方に上杉軍、後方に上方の大軍、いかな家康でもこれだけの敵を相手にして勝つとしても数ヶ月はかかるであろう。儂はその間に甲信を切り取り家康が手出しできないほどに真田を強大なものにする!」

「父上…」

「どうじゃ信幸、儂の軍略に賭けてみぬか?」

「兄上、やりましょう!」

「……」

 信幸の顔が苦悩にゆがむ。昌幸は静かに頷いた。

「…仕方あるまい、信幸そなたは内府に忠節を尽くすが良い」

「父上…!」

「父と子が敵味方におれば勝敗がどちらに転んでも真田家は保てる。家のためにはむしろ良きこと」

 昌幸は立ち上がった。

「これより軍を二つに分けて我らは上田に戻る。信幸、次に会うのは戦場かもしれぬが堂々と合間見えようぞ!」

「ち、父上…!」

「我らの離反はそなたから秀忠に申し付けておけ。では兵の半数を連れて行くぞ」

「信繁…!父上を頼むぞ!」

「お任せを、兄上もご武運を!」

 これが世に云う『犬伏の別れ』である。

 

 徳川陣を離脱し、上田に引き返した真田昌幸と信繁はその途中にある信幸の城である沼田城に立ち寄ることにした。今、沼田城には当然信幸はいない。信幸正室の稲姫と子ら、そしてわずかな兵しかいない。昌幸は敵味方になったのなら、もう孫の顔も見られないかもしれないと思い立ち寄ることにしたのだが、もしかしたら『ついでに沼田城を取っておくか』と考えていたかもしれない。そして昌幸一行が沼田城の前にやってきた。

「開門せよ!真田安房守である!」

 すると櫓に一人の女武者が登ってきて昌幸に言った。

「引き返されよ!もはや敵味方、いかに大殿とて開門なりませぬ!」

「稲…?」

「義姉上!かようなことを申さず開けて下され!父は孫の顔が見たいだけにございます!」

「くどい信繁殿!私は夫の信幸より留守を預かる正室!断じて敵に開門ならぬ!」

 真田信幸正室の稲姫(小松姫とも)、あの本多忠勝の娘である。徳川家康の養女として真田信幸に嫁いだ。こんな逸話がある。徳川家康は年頃になった稲姫の婿を誰にするか探していた。若い侍衆が集められ、家康はそこへ稲姫を連れてきた。稲姫は一人一人のマゲを掴んで顔を覗き込んだ。とんでもない振る舞いであるが、相手は徳川家康の養女である。家康の機嫌を損ねるわけにもいかず、されるがままであった。かつ稲姫は本多忠勝の娘だけあり気が強く、美しくも形相から出る威圧に若い侍たちは気圧されていた。

 そして信幸にも同じことをしようとしたら信幸は髷を掴もうとした稲姫の手を鉄扇で打ち『無礼でござろう!』と一喝した。稲姫はその場で家康に『この方の妻になる』と言った。驚いた家康であるが、それを認め嫁がせた。十七歳の花嫁であった。

 気が強くて有名であるが筋の通った女傑である。ある時、本多家からの使いが遅滞して訪れたことがあった。関白秀吉の下命が上田に先に到着し、昌幸がすでに信幸に伝え置いていた。その同じ下命が家康を経由して沼田に来たゆえ二日遅れたのであるが、稲姫は激怒して使いの者に言った。

『上田本家より先に徳川家から沼田へ知らせが参るべきところであるのに、この遅れは何たる醜態ぞ!こんなことでは私は夫に顔向けが出来ませぬ!私の顔に泥を塗ることは本多平八の顔に泥を塗るも同じこと!ひいては徳川家康の顔に泥を塗るも同じこと!そなた、この場で腹を召されよ!』

 その場に居合わせていた信幸は驚いた。かつその使者は

『姫様のお言葉、御もっともにござります。されば』

 と言って使いの者は切腹の姿勢をとり脇差を腹へ突き刺そうとした。信幸が慌てて止めて『切腹には及ばぬ』と使者を説得、次の瞬間、稲姫は床に美しい顔をつけて平伏し『殿、お許し下さりかたじけのうござります!』と泣いて信幸に礼を述べたと云う。

 筋を通す豪胆な女傑の稲姫。昨日まで大殿と呼んでいた真田昌幸を櫓から見下ろす。

「どうでも入ると申されるなら、私を討ち取ってからお入りなされよ」

 どうしても開けようとしない沼田城の留守隊に怒り出した昌幸の部下たち。力づくで開門し押し通ろうとする。すると稲姫、百発百中と呼ばれる剛弓を構えた。

「狼藉を働く者どもは容赦なく討て!」

 号令一喝。困り果てた信繁が昌幸に

「どうなさいます?」

 と聞いた。昌幸は苦笑して馬を返した。そして

「さすがは本多平八が娘。武家の妻女はこうあるべきじゃのォ」

 と言い、入城を諦めた。立ち去る昌幸の背に稲姫は剛弓を置いて、頭を垂れた。

「大殿…。申し訳ございません」

 ふと、信繁の言った『父は孫の顔が見たいだけにございます』を思い出した稲姫。

「そうだわ!」

 昌幸一行はその後に正覚寺に陣を敷き休息した。そこへ稲姫は子供たちを連れてやってきたのである。

「義姉上…!」

「孫を見たいと云う大殿のお願いだけ叶えに来ました」

「これはありがたい!」

 知らせを聞いた昌幸が来た。

「おお、これは!」

「爺様~」

「お爺様~」

 孫たちを抱きしめる昌幸。

「おうおう、爺じゃ。みんな元気そうじゃのう~」

 その様子に微笑む稲姫。真田親子が徳川秀忠の大軍と戦うのはこれより間もない。小大名の真田昌幸。徳川に意地を見せる。


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