天地燃ゆ   作:越路遼介

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兵どもの夢のあと

 まだ沈黙を守っていた軍勢があった。島津義弘の軍である。三成の再三にわたる出陣要請も

『我が軍は島津の戦いをする。治部殿もそのつもりでおられよ』

 と応じなかった。千五百の軍勢で参じた義弘。しかし陣を守る戦いで三百まで兵数は減少していた。状況は絶望的であった。

「伯父上、退却を」

 と、甥の島津豊久。

「もう遅い、囲まれておるわ」

 義弘は考える。ここで討ち死にしてはならない。島津は元々東軍につくつもりであったが伏見入城を拒否され、かつ義弘の正室が三成に人質に取られ、やむをえず西軍に与したと申し開きをしなければならない。勝敗が決した今、島津家の事を第一に考えれば、これ以上の家康と敵対するのは愚か。申し開きして和を図るのが得策。

 それより今はこの関ヶ原の離脱をどうするか。敵に背を向けての敗走は島津の名折れ、ずっと思案し目をつぶっていた義弘は決断。

(天下に島津の意気を示す道は一つ!)

 家臣に訊ねた。

「敵はいずれが猛勢か」

「東の敵勢、ことのほか猛勢にございます」

 義弘は床机を立ち、軍配を東、関ヶ原を突っ切った先にある烏頭坂に向けた。

「その猛勢の中に相かけよ!!」

 世界の戦史でも例がない、敵の真正面に突撃し、中央突破を敢行すると云う前代未聞の退却戦が始まった。世に言う『島津の退き口』である。先頭を駆ける義弘が吼える!

「敵に後ろを見せるなああああ――ッッッ!!!」

「「「オオオオオオオオオオオオッッッッ!!!」」」

 島津豊久、猛獣のごとき咆哮!全軍を鼓舞させる。

「チェストォォォォ――ッッ!!」

「「「チェストォォォォ―――ッッッ!!!」」」

 

「維新様(義弘)を守るのじゃあ!」

「維新様に近づけるなああッ!」

「進め進め進めぇぇッッ!!」

 島津軍一丸となり東軍の真っ只中を駆ける!

「なんと凄まじき…!」

 柴田軍を率いる山中鹿介は呆然として島津勢が過ぎるのを見た。

「山中様!島津を追いましょう!」

 と、侍大将の小野田幸猛が訴えたが

「死兵には挑むものではない。勝敗が決した今は無駄な戦よ。我らは退くぞ」

「は、ははっ!」

 島津は走る。

「烏頭坂は目前ぞ!駆け抜けよ!」

 家康は全軍に命じた。

「島津を逃がしてはならん!」

 烏頭坂に入った頃には半数の百五十名になっていた島津軍。

「まだ追ってくるか、しつこい連中め!すてがまりじゃ!」

 島津豊久が追撃する徳川勢を前に踏みとどまった。兵たちは鉄砲を構えた。捨て身の戦法『すてがまり』敵の追撃を遅らせようと一人まち一人とその役を買って出て命を落とした。豊久もそうである。

(伯父上、ご無事で!)

「撃てーッ!!」

 鉄砲でひるませ、豊久は突撃、将来を嘱望された若き英傑であったが多勢に無勢、豊久は討たれた。

「こんな寡兵相手に何を手こずっておるか!儂が討ち取ってくれる!」

 徳川四天王の一人、井伊直政が島津を追う。その時だった。直政に鉄砲が撃たれた。右肩を撃ち抜かれ落馬。島津鉄砲隊、意地を見せた一撃である。その知らせが家康に届いた。島津のすさまじい抵抗にさしもの家康も

「もうよい、追撃をやめさせよ」

 と、下命した。やがて島津義弘は伊賀を越えて堺の港まで脱出に成功。ようやく船で薩摩にたどり着いた頃にはわずか八十人であったと云う。

 

◆  ◆  ◆

 

 天下分け目の関ヶ原の戦いは勝敗が決した。一人の男がやれやれと腰を伸ばした。もはや周囲に敵もいなくなったので清水を飲みに河原に行った。藤堂高虎の家臣で藤堂仁右衛門と云う男だ。藤堂高虎の甥であり高虎が信頼する猛将である。河原に行き清水を飲んだ。生きた心地がした。そして馬に乗り、藤堂の陣に帰ろうとした時、河原横の森林から気配を感じた。槍を向けて

「誰か!」

 と大声で言った。すると出て来たのは湯浅五助、大谷吉継の猛将である。これは良き敵、仁右衛門は槍をしごいた。

「それがしは藤堂高虎が配下、藤堂仁右衛門と申す。尋常に勝負されよ!」

 すると五助は右手を広げ、仁右衛門を制して言った。

「仁右衛門殿、貴殿と勝負をするのは良いが一つ頼みがある」

「何でござるか?」

「実はたった今、主君吉継の首を埋めておりました」

「刑部殿の!?」

 槍の構えを解き、その方向に合掌し頭を垂れた仁右衛門。

「この場を貴殿に見つかってしまったのは甚だ残念であるが、これも我が武運ゆえ仕方ない。だが武人の情けあらば、この場所をけして言わないで欲しい。ご承知の通り主人の顔は悪疾で崩れている。その首を掘り出され、衆目にさらされるのは家臣として耐えがたい。よろしく供養をしてもらいたい」

 そう五助は仁右衛門に頼んだ。五助の主君を思う心に打たれた仁右衛門は一旦槍を収め五助に対して片膝をつき、脇差をとり金打を示した。武士が約束を違えぬ誓いである。

「しかと心得申した。藤堂仁右衛門、神仏に誓い他言いたさぬ。供養も欠かさぬ」

「かたじけない。では槍を合わせ申そう」

 かくして二人は槍を交え、そして五助は仁右衛門に討たれた。合戦は終わり、諸将は各々取った首を持ち、家康が首実検を行っている陣に向かった。藤堂家の番になり仁右衛門も湯浅五助の首をもち、家康に見せた。

「これは大手柄ぞ。しかしながら大谷刑部が側近である湯浅五助が主君の死を見届けずに討たれる筈はない。自刃した刑部の首は見つかっていない。その方、何か知っておらぬか?」

 と訊ねた。すると仁右衛門は

「いかにもそれがし、刑部殿の首が埋められている場所を存じております」

 と、答えた。家康は上機嫌となり訊ねた。

「左様か、ならばその場所を申せ」

 仁右衛門は首を振った。

「それは出来かねます。それがし五助殿と戦う前に約束いたしました。けしてその場所を他言せぬと」

 家康の顔は一気に不機嫌となった。

「どうしても言わぬか」

「申せませぬ」

「成敗するぞ」

「成敗されても教えることはできませぬ。ご随意に」

「よし、成敗いたす」

 仁右衛門は頭をたれて首を出した。その姿を睨み付けていた家康、だがしばらくして微笑み

「なんとも律儀な若者よ、藤堂高虎殿は良き甥御を持たれた。大手柄より敵将との約束を守りよる」

 そして家康、仁右衛門に槍を与え

「仁右衛門、その心意気、いつまでも忘れてはならぬぞ」

 と言い、褒めた。敵将との約束を命がけで守った仁右衛門、それを許した家康、見事な男ぶりであった。後日談となるが仁右衛門は五助との約束を守り、吉継の墓をつくって毎年の供養を欠かさなかったと云われる。

 

 さて、柴田明家本陣。首実検の場で起きたその藤堂仁右衛門の見事な男ぶりが伝わっていた。

「たいしたものだ。藤堂殿はよい家臣を持っているな」

「はい、首実検の場に居並んでいた諸大名たちも見事に男をあげた仁右衛門殿の背を感心して眺めていたとか」

 と、山中鹿介。

「それゆえ、小早川秀秋殿の行動がより顕著に浮き出るな。当人は元々東軍に参じていたつもりであろうが、戸田、平塚、大谷の将兵の怒りを見るに西軍にも色々と通じていたと見られる。本人が裏切ったつもりはなくても、そう評価されよう」

「御意」

「前田様の帰陣にございます」

 使い番が知らせた。

「うむ」

「ただいま戻りましてございます」

「…巡り合えたようだな、最後の合戦を締め括る敵手に」

「はい」

 豪傑の慶次が所々負傷している。しばらく見つめ合う明家と慶次。手傷は痛々しいが清々しい顔をしている慶次。

「手当ては無用にござる。しばしこの痛みを味わいとうござるゆえ」

「分かった。関ヶ原を退陣するまで、しばらく休んでいるがいい」

「はっ!」

 慶次は立ち去った。うらやましそうに慶次の背中を見る鹿介。

「そんな敵とは会いたくとも中々会えぬもの。前田殿がうらやましい」

「そういえば鹿介も若き頃に毛利方の品川大膳殿と一騎打ちをしたと聞いたが」

「はい、よく勝てたものにございます。大膳殿との一騎打ちはそれがしの宝にござる」

「その品川大膳殿しかり、鹿介は一番毛利が強い時に戦ったかもしれないな」

「かもしれませぬ。当主の元就殿、かつその息子の三兄弟、家臣も精強揃い、大膳殿の主君の益田藤兼殿もまた名将でござった。それに引き換え尼子は四分五裂、当主の尼子義久様は戦意乏しく勝てるはずがございませんでした。今こうして振り返ってみれば、それがしも血気にはやっていたのは否めず、何だかんだと降伏を決めていた義久様が正しかったと思えます」

「そうだな、俺も太閤殿下に降伏した当時は悔しかったが、今にして思うと正解だったと思える」

「同感にござる」

「しかし、今日の毛利をどう思う」

「いささか浅慮ですな。かような天下分け目の大戦において、あのような中途半端な出処進退が許されるはずがございませぬ」

「俺もそう思う。まあ東軍に加勢せず我らが助かったのは確かであるがな。さて、俺はそろそろ内府殿のご機嫌伺いに行くゆえ、鹿介は退陣に備えていてくれ」

「はっ」

「頼む。おい弥助、冬弥参るぞ」

「「はっ!」」

 弥助と冬弥は吉村直賢の次男と三男である。兄弟は明家の小姓を勤めている。二人とも背は明家よりも大きく筋骨たくましく護衛に適している。そして鹿介、

「天鬼坊」

「ははっ」

 部下の忍びを呼んだ。スッと姿を現した天鬼坊。

「西軍敗退のうえは大坂は不穏となろう。その方、大坂屋敷の防備にあたれ」

「承知しました」

 

 そして明家が家康本陣に到着した。

「柴田越前守様、お越しにございます」

「お通しいたせ」

 すでに家康への戦勝祝いに多くの大名が訪れており、明家は遅い方であった。

「柴田越前にございます」

「おお、越前殿。よき働きに家康感謝の言葉もございませぬ」

 明家の手を握り、感謝を示す家康。

「小西勢を敗走させたそうにございますな。さすがにござる」

「恐縮にございます」

 明家も諸大名の列に座った。上位の席が開けられており、そこが明家のために設けられていた席であった。

「しかし、松尾山に鉄砲を撃てと言われた時は驚きました」

「もう尻に火を着けるしかないと思ったのでござるよ。越前殿なら儂の心中を察しやってくれると思いましたぞ」

「申し上げます。小早川秀秋殿がお越しにございます」

「おっと越前殿、うわさをすればでござるぞ」

 小早川秀秋、脇坂安治、赤座直保、朽木元網、小川祐忠などの西軍から東軍寝返り組が家康本陣に来た。石田治部の佐和山城攻めを任せてほしいと申し出ている。

「此度は心ならずも…ふ、ふ、伏見城攻めに加わり…また本日…お味方に加勢いたすこと甚だ遅れ…このうえは石田治部が居城である佐和山城攻めの先手をお命じ下さりとう存じまする。何とぞその働きをもって!必ず攻め落としますれば!」

 秀秋が言うと、他の四将も共に懇願する。裏切り組の汚名を晴らそうと必死である。この必死さを利用しない手はない。

「ほう、それは頼もしい。お願いしよう」

「「ははっ!」」

「信頼回復に必死だな」

 黒田長政が言うとドッと笑いが湧いた。他の東軍諸将が彼らを嘲笑する。彼らは嘲笑と罵声に耐えた。たとえ騙しあいと裏切りが公然と横行していた戦国時代であっても、やはり寝返りは褒められたものではない。特に小早川秀秋の平身低頭ぶりは逆に見ていて恥ずかしくなる。明家は思う。

(きっと彼らはなりふり構わず、一刻も早く落とそうと必死に佐和山城を攻めるであろう。しかし佐和山城とて治部の家族や家臣たちもいて必死に抵抗してこよう。攻めるも犠牲甚大。彼のような者に仕える兵はたまったものじゃない…。その兵一人一人に女房子供もおろうに)

「では軍備がございますので」

 と脇坂安治が言い出し、寝返り諸将は陣を出た。

「ちょっと失礼」

 明家が中座して安治を呼び止めた。

「甚内(安治)」

「越前…」

 脇坂安治は賤ヶ岳七本槍と呼ばれる武将で、賤ヶ岳の戦いにおいて柴田勝政(佐久間盛政実弟で勝家養子)を討ち取っている。その後に明家の殿軍部隊に散々に蹴散らされたものの、その武名は今日に残る。明家は秀吉に仕えてから安治と親しくしていた。

「こたびは不運であったな。そなたが大坂滞在中に治部が挙兵したばかりに…」

「いや、それを言い訳にはしたくない。それを言ってくれるな」

 脇坂安治は秀吉の死後、徳川家康と前田利家が対立した時に徳川へ参じた。この関ヶ原の戦いでも家康に与するつもりであったが、安治が大坂に滞在していた時に石田三成が挙兵したため、やむなく西軍に与することになってしまったのだ。そして本戦で小早川秀秋が裏切ったのに便乗して寝返り、大谷吉継隊を壊滅させた。寝返り組と揶揄されるが、彼は明家よりも早く徳川に付くことを明らかにしていた。家康からは裏切り者ではなく当初からの味方と見なされてはいるが、今それは主張できない立場にある。ここは佐和山城を取るしかない。

「甚内、そなたは…」

「『賤ヶ岳で柴田勝政を討ち取った男、大きい男になってもらわねば困るのだ』か?もう聞き飽きたぞ」

「もう一度くらい言わせろ」

「騒ぎが終わったら一杯やろう。その時にいくらでも聞く。じゃ急ぐのでな!」

 脇坂安治は立ち去った。佐和山城の方角を見つめる明家。ふと三成の妻、伊呂波の顔が明家の脳裏に浮かんだ。できることなら助けたい。さえの親友でもある伊呂波。しかしこの後に及んで敵となった柴田にすがることはするまい。

 東軍はそのまま佐和山城に進軍。まさか石田三成の居城を攻める時が来るとは…覚悟していたとはいえ無念であった明家。前線は小早川を始めとする寝返り武将たち。柴田陣はずっと後方である。いつ炎上するのか、明家は陣に立ち佐和山城を見つめていた。その時に柴田軍が歓喜する知らせが陣にもたらされた。

「申し上げます!」

「うん」

「舞鶴城、小浜城、双方とも見事西軍を撃退いたしました!」

 柴田陣がドッと湧いた。明家もずっと気になってはいたが自分が動揺していては士気に影響するので、ずっと黙していた。ついに待ちに待った知らせが来たのだ。柴田将兵は自分たちの国が無事であることを喜び、感涙し肩を抱き合って喜んだ。

「さすがは助右衛門だ!」

 明家も満面の笑みである。

「なお、大坂屋敷は山中様の家臣団に護衛され、西軍がもし寄せてきた場合には堺の港に逃れる準備を整え終えたとのこと」

「何よりの知らせだ。我らはまだとうぶん帰れそうにないが、西軍への注意を怠るなと念を押して伝えよ」

「はっ!」

 使い番は去っていった。

「ようございましたな父上」

「ああ勝秀、お互い早く女房に会いたいものだな」

「はい!」

 

◆  ◆  ◆

 

 東軍勝利と明家と勝秀の無事の知らせは舞鶴にも届いた。歓喜するしづと甲斐。勝秀の妻の姫蝶も大喜びだった。

「さすが殿!早く帰って来て姫蝶にお顔を見せてください!」

「良かった…」

 感極まって泣き出すしづ。良人の決断を鈍らせるくらいなら死を覚悟したしづにとっては何より嬉しい知らせだ。無論、甲斐も。

「殿、おめでとうございまする!早く帰って来てください。甲斐と子作りをするために!」

 東軍勝利の知らせに安堵する奥村助右衛門。

「そうか!殿や若殿はご無事か?」

「はっ!」

「ご家老、殿にはつらい選択でありましたが、やはり東軍について良かったですな」

「そうよな矩久、俺もこれで安心して隠居できる」

「隠居を?」

「そろそろ六十ぞ。楽隠居してもばちは当たるまい。はは…は…」

「ご家老?顔色が…」

 矩久が言い終わるのを待たずに助右衛門は倒れた。

「ご家老!」

 助右衛門を抱きかかえる矩久。すごい熱である。

「いかん!先の鉄砲傷が膿んでおられる!至急に医者を呼べ!」

 

 大坂屋敷にいるさえに鹿介の忍びの天鬼坊が伝えた。

「お味方勝利!?」

「はっ!」

「すず!聞いた!?」

「はい!」

「おめでとうございます御台様!」

「「おめでとうございます!」」

 大坂屋敷の女たちがさえを祝福した。

「大坂屋敷は我ら山中勢が命にかけて守りますが、もし西軍が寄せてきた時には堺の港より脱出する手はずを整えてございます。まだ予断は許しませぬ」

「分かりました。みんな、まだ油断は禁物、引き続き防備に当たりなさい」

「「はっ!!」」

 

 柴田軍の歓喜とは別に、佐和山城の石田軍は地獄の様相、援軍が来ることはなく、敵方に内応者も続出。家康は城内に降伏を勧告させた。佐和山を守るのは三成の嫡子重家。重家とその弟の重成は我ら兄弟の首を差し出すから、城の兵や女子供は助命して欲しいと要望。家康はそれを受けた。明家の耳にもそれは入り、何とか皆殺しは避けられそうだと安堵したが、この和議成立は東軍の大軍が災いしてか全軍に伝達されるに時間がかかり、それを知らされていない田中吉政の軍勢が佐和山城の攻撃を開始。それを伝え聞いた明家は激怒。

「馬鹿が田兵(吉政)!そなたは治部と友であろうに何たる有様か!」

 何としても佐和山城を落として手柄を立てなければと焦る小早川軍も遅れてなるかと攻撃を開始。城から聞こえる敵味方の鬨の声を聞く明家。無念に拳を握った。

「殿!」

「六郎…」

「それがしに佐和山へ行けとお命じあれ」

「私情で大事なそなたを敵城に潜り込ませるなどできるか!」

「私情おおいに結構!なるほど治部殿が内儀を救うのは無理でしょう。受け入れるはずがございませぬ。しかし子らならば!かつて水魚の君臣であった佐吉殿の子を助けたいのではございませぬか?重家殿と重成殿は無理かもしれませぬが、治部殿の幼い子らは助けられると存じます。頭で考えた命令はいりませぬ。腹で思ったことをお命じあれ!」

「六郎すまぬ…!」

「さあ殿!」

「六郎、伊呂波殿と会い、子らを大切に預かると申せ!」

「はっ!」

 この任は白か六郎しか頼めない。この二人は石田三成が明家に仕えていた頃から伊呂波と旧知であり気心が知れている。白は明家の影武者だから明家のそばを離れられない。だから六郎が行く。六郎は主人の気持ちをくみ、敵城侵入の危険な任務を引き受けた。明家の言伝を預かり、佐和山城へと走った。さすがは熟練の忍び六郎。敵味方の喧騒を潜り抜け佐和山城に入った。素早く動き、三成正室の伊呂波を探す。しかしその時、

「何者か!」

 小太刀を構えるくノ一が六郎を見つけた。しかしさすが六郎、石田が用いる忍びにしてはおかしいと気づいた。伊賀流忍術の小太刀の構えだからである。

(なぜ徳川の忍びが佐和山城の中にいる…!?)

「貴様東軍の忍びだな!」

 くノ一は襲い掛かってきた。凄まじい小太刀攻撃の連続、六郎も圧倒される。

(強い…!しかし倒せぬほどではない。なぜ伊賀忍者が治部のために働くのか分からんが、敵と見なすならやむなし!)

 蹴り技でくノ一を転倒させ、顎を掴んだ六郎。

「覚悟!」

「お待ちを!」

 伊呂波だった。鉢巻きを締めて薙刀を持つ。

「奥方様…!」

「六郎殿、その者は当家のくノ一、ご無礼しました」

「いえ…」

 六郎はくノ一を離した。

「奥方様!この者は東軍の!」

「存じています。お久しぶりですね六郎殿」

 伊呂波にかしずく六郎。

「はい、伊呂波殿もお元気そうで」

「六郎殿は越前殿の使いで来て下されたのですね?」

「御意、主君越前は…」

「治部が子らを連れて来い、そう申して下されたのですね」

「…恐れ入りました。お見込みの通りです」

「すでに出立の準備は整えさせています。石田の子供らを越前殿に託しまする」

「はっ!」

「きっと六郎殿か白殿が来てくれると思っていました。待っていて良かった…」

 伊呂波の後に童子四人を連れた老僕が来た。嫡男重家と次男重成はこのまま戦い続けるが、幼い三男四男、そして二人の娘たちは城から逃れることになった。

「御台様、若たちと姫様たちを連れてきました」

「ご苦労でした。六郎殿、越前殿に子供たちをよろしくお願いしますとお伝え下さいませ」

「しかと」

「「母上―ッ!」」

「みんな強く生きるのよ。今日から柴田明家様のご正室、さえ様がお母上。孝行するのですよ」

「いやだ!母上とはなれたくない!」

「泣いてはなりませぬ!そなたらは石田三成が子なのですよ!」

「「母上…」」

「初芽、貴女も行きなさい。童子四人連れていては六郎殿も大変にございますから」

「奥方様、私も一緒にご最期を!」

「初芽、主従ではない。同じ殿方を愛した女同士としての頼みです」

「奥方様…」

「貴女には貴女の石田三成があるでしょう。その想い、大事にして下さい」

「はい…!」

「伊呂波殿、御台…さえ様に何かありましたら…」

 六郎が言うと伊呂波はニコリと笑って言った。

「時が経ち、さえ様が冥土に参った時、また良人自慢の戦をしましょう。そう申して下さい」

「承知しました」

 伊呂波は去った。老僕も一緒に行った。

「さあ、石田治部の女房が力!東軍に見せつけてくれるわ!」

「「母上――ッ!!」」

 子供たちの母の背中を泣いて呼ぶ。しかし伊呂波は振り向かなかった。

(隆広様、さえ様、伊呂波は先に参ります。佐吉殿と私の子をよろしくお頼みします)

 初芽は六郎を睨む。

「六郎と言ったな」

「ああ」

「柴田明家は嫌いだ。三成様の旧主であるのに徳川に尻尾を振った」

「…治部殿と戦わなければならなかった主人のつらさ…いや言うまい」

「それに柴田明家は奸智に長けた謀将と聞く。謀将に善人なぞいるものではない。本当に信用できるのか」

「馬鹿かお前は」

「なに?」

「悪人に伊呂波殿が遺児を託すわけがないであろうが」

「…まあ確かに」

「では子らを柴田陣に連れて行く!しっかりついて参れ!」

「えらそうに…!」

 六郎と初芽が石田三成の四人の子供を連れて佐和山を脱出。無事に柴田陣に連れてこられた。四人の幼子は震えて明家を見ている。

「怯えることはない。俺はそなたの父上と親友だ。親友の子なら我が子も同じ」

「「……」」

「名前を聞かせてくれないか」

「三男の万吉です」

「四男の峰吉です」

「長女のみちです」

「次女のさとです」

「そうか、すぐには無理であろうが、俺を父と思って欲しい。そなたの父上とは残念ながら敵味方となったが、今でも一番の友だ。その子らを託されたからには大事にいたすぞ」

 その様子を見ている初芽。

「…どうやら奥方様の見込みどおりの方なようだ」

「当たり前だ」

「じゃ私の仕事はここで終わりだ。ここからは私の好きなようにやる」

「…何をする気だ」

「言わん、じゃあな」

 初芽の瞳に走った殺気を六郎は見逃さなかった。追いかけて止めた。

「お前、徳川家康を討つ気だな!」

「お前には関係ない!私は柴田明家と違う。誰が徳川に尻尾を振るもんか。家康の首を取る!」

「なぜ内府の首を狙う。お前は伊賀忍者であろう?」

 六郎を見る初芽。

「…何で分かった」

「…何でも何も、お前の小太刀は伊賀流ではないか」

「なるほどね…。まあいいわ話してやる。私は元徳川家康に仕えるくノ一初芽。伊賀の忍びさ」

「……」

「三成様の動向を調べろと命令され佐和山城に入った。そこで私…しちゃいけない恋をしちまった。あまりに豊臣に一途な三成様を見ていて惚れちゃったんだ」

「そうだったのか…」

「三成様は私が徳川の忍びと分かっていた。だから関ヶ原に行く前『城を出なさい。もし西軍が敗れれば、東軍は大挙して佐和山に押し寄せよう。今なら佐和山で幽閉でもされていたと言えば言い訳も立つ』とおっしゃって下された。だけど私は断った。惚れた男のためなら死んでやると思った」

「お前も一途だな」

「なに?」

「惚れたぞ、俺の女房になれ」

 顔を赤くした初芽。

「な、な、なに言っているんだお前は!私の親父くらいの歳して!」

「本気だ。妻をなくして二十年近いが、俺もお前に心を奪われた」

「ふん、これでもかい?」

 初芽は上着を脱いだ。胸には痛々しい血染めのさらしが巻かれていた。

「私には片方の乳房がないんだ。戦闘中に東軍兵に切られちまった。こんな女のどこがいい?こんな醜い私のどこが…!」

「醜いだと?」

 初芽の顎を思い切り掴んだ六郎。怒る形相。

「それは伊呂波殿や治部殿の子らを守ろうとして負った傷であろうが!醜いはずがあるか!」

「……!?」

「美しいぞ!」

 感極まり涙が出てきた初芽。顎を掴んでいた六郎の手を噛んだ。

「いたっ!」

「馬鹿野郎、私みたいな生娘に殺し文句言いやがって…。三成様に女の操を捧げて尼僧として生きようと思っていた私の人生計画が台無しじゃないか!」

「そ、そりゃあすまなかった…」

「そこまで言うなら女房になってやる。ありがたく思え!」

 婚約者の舞と死別して十八年。やっと六郎は妻を娶った。

 

◆  ◆  ◆

 

 話は少し時間を戻る。中央では天下分け目の大合戦が始まろうと云うころ九州では一人の男が動いていた。黒田如水である。彼が羽柴秀吉の天下取りに重要な働きをしたことは誰もが認めることであった。しかし、そのわりに如水が得たのは、豊前十二万石だけであった。豊臣秀吉に、ある者が『なぜ黒田殿に高禄をお与えにならないのか』と質問したところ秀吉は『あの男に肥沃な領地でも与えたら、儂の天下など瞬く間に乗っ取られてしまう』と言ったという逸話が残っている。秀吉から見て黒田如水は竹中半兵衛や柴田明家と異なり、単なる参謀に満足しない野心家に思えたのかもしれない。

 朝鮮の役の頃には秀吉の如水への寵愛や信頼はうすれ、完全に干されていた。そのことに彼は大変不満だったらしい。前線から悪い報告が次々に届いたときに如水は大きな声でこんな独り言を発した。

『国をあげて、これほどの大合戦をすると云うのに総大将に養子を据えるとは何事か。こんな大合戦を仕切れるのは、柴田明家殿か徳川家康殿、そして黒田如水のみである』

 周囲は聞こえない振りをしたらしい。あまりにも無用心な発言である。この発言は秀吉の耳にも届き、秀吉は激怒。如水は『如水円清』と号して出家し、引退してしまった。

 そして太閤秀吉没して二年、天下分け目の大合戦が起きようとしていた時、如水は人生最後の勝負に出た。今まで貯え込んだ財産を投げ打ち、浪人を集めてにわか軍勢を作る。周囲の国はほとんど軍勢が出払っていて空白地帯だったのだ。黒田軍は瞬く間に薩摩・大隅を除く九州一円を制圧してしまった。

 彼の狙いは九州を統一し、その兵力を率いて東上し、天下分け目の合戦の勝者に決戦を挑んで天下を取ることにあったとも言われる。現に彼はそれに伴い息子長政が討たれようがかまわないと言い切っている。しかしその討たれてもかまわないと言った息子の長政が活躍したことによって、関ヶ原の合戦が短期に終結したのは、皮肉と云えるかも知れない。

「ちと…時が足らなかったか」

 ここからは後日談となる。関ヶ原の戦いのあと、帰郷した長政が父の如水に報告した。如水は城の庭で盆栽いじりに興じていた。

「父上、長政戻りましてございます」

「大義であったな、此度の八面六臂の活躍は聞いておるぞ」

「すべて父上の薫陶の賜にございます」

「謙遜はよせ、その方の働きがなくば此度の大合戦、かように早い決着は見られなかったであろう。関ヶ原で毛利と吉川が動かず、小早川が東軍に寝返ったこと、西軍の総大将の輝元殿が大坂城を早々に明け渡したこと、これらすべてにそちの調略が及んでいたそうじゃな」

「はい」

 いつになくご機嫌な顔で微笑みながら自分を褒めてくれる父が嬉しい長政。

「さぞ内府の覚えもめでたいであろうな」

「はい、ことのほかご機嫌麗しく、内府はそれがしの手を両手で取り、大変なお褒めの言葉を下さいました」

「ほう…内府は両手でそちの手を握ってのう…」

「はい」

「内府はそちのどちらの手を両手で握ったのだ?」

「…?右手でございますが…」

「なるほど…では…」

 さきほどまでの笑みが鬼のごとき面相となった。

「その時、そちの左手は何をしておったのだ?」

「え…!?」

 如水の目は明らかに“何故空いている手で家康を殺さなかったのか”と示していた。これを聞いて長政は絶句した。

「…疲れたであろう。ゆっくり休むがよい」

「父上…」

 如水は何も答えず、再び盆栽いじりに興じ出した。如水はこれより四年後に京都伏見屋敷で息を引き取る。遺訓『人に媚びず、富貴を望まず』


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