佐和山城は落ちた。炎が佐和山を包む。明家は静かにその炎を見つめていた。
「伊呂波殿、この越前、子らを健やかに育てることを約束いたす…」
三成の嫡男重家、次男の重成は高潔な人物で領民や兵たちにも慕われていた。一度東軍が降伏勧告をしてきた時、重家は自分と弟の首を差し出すことを申し出ていた。しかし結局東軍は総攻撃を開始。和議と見せて油断させたか、それとも本当に伝達漏れか。
必死に抵抗を示すが多勢に無勢、やがて重家と重成は自決した。そして石田三成正室の伊呂波。炎上する城の最上階にいた。白装束である。
「殿…。殿はきっとこれからの世で奸臣や佞臣と名が残るのでしょうね。でも私は貴方の妻であることを誇りに思います。生まれ変わっても、きっと伊呂波を見つけて下さい。私はまた貴方の妻として生まれます」
自決用の小刀を抜き、そして胸を突いた。石田三成正室の伊呂波姫、享年四十歳。辞世の句は無い。
この知らせは三成の耳にも届いた。彼は伊香郡古橋村の山中にある洞窟の中に潜んでいた。近隣の村の民に匿われている。三成は賤ヶ岳の合戦以後、その村一帯の領主だったころがある。凶作で苦しんでいた領民より年貢を免除して逆に百石の米を与えた。村人はその恩義を忘れず、東軍より『匿ったら当人のみならず家族も皆殺し』と発布されているのに三成を匿った。与次郎なる農民男が佐和山落城を知らせた。
「奥方様はご自害、お子たちもおそらく…」
「そうか…」
三成は数日前から激しい下痢に苦しんでいた。憔悴しきっている。
「もう逃げ切れまい。与次郎、私の居場所を東軍に知らせよ」
「三成様…!」
田中吉政の隊が三成を捕らえた。家康は京極高次の居城である大津城を東軍の本陣としていたので、大津城に連行されていった。
このころ徳川秀忠も大津城に到着していた。遅参した秀忠はようやく父の家康と目通りが許されて大変な叱責を受けた。
「こたびの遅参、儂の息子にあるまじき失態じゃ!」
「は、ははーッ!」
「二度とかような失態は許さん!儂の後継者に相応しき将器を持てるよう、日々精進いたせ!分かったな!」
「は、はい!」
何とか一命は免れ安堵した秀忠。彼の遅参は家康にとって別な意味での痛手となった。いかに西軍諸将から領地を召し上げようと、論功行賞では豊臣恩顧の武将たちに配分するしかないからである。徳川一族や譜代に配分して統一政権の基盤を確固たるものにすると云う彼の思惑は頓挫してしまったのだ。
そして石田三成が大津城に到着、城門に畳一枚の上に座らされていた。西軍事実上の総大将であった三成をさらしたのである。各東軍諸将も三成の首実験のために訪れていたが、やはり豊臣方ではなく徳川についた後ろめたさか、三成と目を合わせられない。浅く会釈して城に入っていった。そして福島正則、
「見苦しいぞ治部、敗れたならば何故自害せなんだ」
「…私は再起するつもりでいた」
「……」
正則も城に入っていった。そして柴田明家、彼は首実験に欠席の旨を伝えたが、本多忠勝に『最後まで見届けるのが、旧主としての筋ではございませぬか』と諭され出席、大津城門にさしかかり、さらされている三成を見つけた。
「……」
三成も気付いた。
「……」
明家は下馬し、三成に歩み、その前に座り頭を垂れた。二人の間に静寂が流れた。そして頭を上げた明家はフッと笑い言った。
「なんだその髪は」
三成の髪は乱れていた。明家は櫛を取り出し、三成の頭を梳いて整え髷を結った。そして水筒に入っていた清水を三成に飲ませた。
「済まなかったな…」
「…いえ、是非もございませぬ」
「これより、そなたは徳川政権が続く限り、悪臣や奸物と謗られよう。だがそなたがやった九頭竜川の治水の偉業は未来永劫この国に残る。九頭竜川沿岸に数多くある美田もな。たとえ日ノ本六十四州がそなたを奸物と謗ろうと越前の民たちだけはそなたを讃えよう。そして我が柴田家も」
「越前殿…」
そして明家は小声で三成に言った。
「万吉、峰吉、みち、さとは俺の子とした。後は任せよ」
「……!?」
「くノ一の初芽とやらは、六郎が妻とした。安堵いたせ」
「え、越前殿…」
ポロポロと涙が落ちる三成。その涙を拭き、汚れていた三成の顔も拭いた明家。最後に
「少し冷えるな」
と、三成に陣羽織をかけた。
「かたじけのうござる…」
「うん、では…」
「隆広様」
旧主明家をかつての名で呼ぶ三成。
「ん?」
「何とぞ、何とぞ秀頼様を!」
「……」
「天下の孤児、秀頼様をどうかお守り下さい!お頼み申す!」
死の直前にまで秀頼を案じる三成を見つめる明家。
「安心しろ。秀頼様は俺の甥でもある。愛する妹の子、言われずとも守る」
「ありがとうございまする…!」
首実検が始まった。捕縛されていた三成を見て家康、
「綱を解け」
と命じた。久しぶりに自由の体となりフウと安堵の息を出す三成。やがてその席に小早川秀秋が座ると三成はキッと秀秋を睨んだ。
「裏切り者めが!貴様のような男を二股膏薬と言うのだ!」
「…せ、西軍につくとしかと確約した覚えは…」
「金吾(秀秋)ごときを信じた貴様が甘いのだ」
笑う福島正則、秀秋にも屈辱的な言葉だが秀秋は堪えるしかなかった。
「お静かに!」
と、本多忠勝。
「秀忠」
「はっ」
父に命令されて秀忠が書面を持って立った。
「石田治部少殿に申し上げる。佐和山城は落城し城兵ことごとく討ち死に、奥方は自害され申した。ご嫡子の重家殿、ご次男重成殿、いずれも自決してございます」
「……」
「なお、他の治部殿の子息、姫たちは行方不明。見つけたとしても当方で仏門に入るよう差配いたす予定。ご安心あれ、仏門にある者に危害を加える気はござらぬゆえ」
「過分な処置、いたみ入ります」
「何か申し残すことはないか治部殿」
家康が聞いた。
「されば内府殿、何とぞ秀頼様に無体な仕打ちをされぬよう!」
「何をいけ図々しく申すか!秀頼様と淀の方に取り入り、豊臣の実権を握ろうとした貴様ごとき『わんさん者(こそこそと告げ口をする者)』がよく言えたものよ!」
と、床几から立ち上がり三成を謗る福島正則。
「福島殿!」
明家が一喝、正則は座った。家康が三成に答えた。
「その点は任されよ治部殿、亡き太閤殿下とのお約束で我が孫娘の千姫を秀頼様に嫁がせることと相成っている。後に義理の孫となる者にどうして無体な仕打ちをしようか。安心されるが良い」
「…は」
「では治部殿、さらばにござる」
徳川家康、そして東軍諸将は去っていった。最後に明家が残り、ゆっくりと立ち上がった。
「佐吉」
「はい」
「俺は一生そなたの名を背負おう。そしてそなたの生き様を伝える」
「隆広様…」
「さらばだ」
「はっ…!」
明家も去っていった。そして三成は刑場へと連行された。その時のことである。連行している兵に三成が言った。
「少し喉が渇いた。白湯を所望したい」
「白湯?」
しかしそんな気の利いたものはない。民家に吊られていた干し柿を取り、
「これで我慢なされよ」
「柿は痰の毒だ。食わぬ」
すると兵や見物人も大爆笑した。
「これから死ぬ人間が腹の具合を気にしてどうする」
嘲笑の中、三成は微笑み、堂々と言った。
「大義を志す者は首を刎ねられる瞬間まで命を大事にするものぞ」
笑っていた者は一言もなく黙ったと云う。
(お前らしいな…)
刑場に連行される三成を見つめる明家。明家は友であり、かつて忠臣であった三成の最期を息子勝秀と共に見届けに来た。刑場に着き斬首の時を迎える時、三成は僧侶の念仏を拒否した。
しかし、その三成に向けて刑場の外からお経を唱えている者がいた。三成はそれに気づき、その男を見て驚いた顔をしていた。明家がその三成と念仏男の様子に気づいた。刑場の役人が念仏男に
「貴様、治部に経を唱えるとは石田の者か」
と袈裟を掴んで凄むも男は経を唱えることをやめなかった。
「貴様!」
「よされよ」
明家が笠の下から鋭い目つきで役人を睨んだ。
「こ、これは越前守様…」
役人たちは去っていった。男は明家に礼も言わず、そのまま経を唱えた。三成はその男に軽く頭を下げた。そして斬首、享年四十歳。整然と首を刎ねられた。明家は三成の最期を見届けた。勝秀は師の三成の姿を見た。あの死に様こそ師の三成が最後に教えてくれた武士の生き様と胸に刻んだ。
「御坊、礼を申す」
「好きでやったことでございます。ご貴殿に礼を申されることではございません」
「それがし、柴田越前守明家と申します」
「それはご丁寧に。だが愚僧は名乗るほどの者ではございませぬ」
明家は強いて名前を聞こうとせず、立ち去る僧侶の背に手を合わせた。
「あ…」
僧侶は立ち止まった。
「甲斐姫様に良くして下さっているようで…」
「は?」
「礼を申します」
「…?」
ここから後日談となるが、しばらく後に明家が僧侶の特徴を甲斐姫に話すと
「そ、それは長親殿です!」
と、驚いて言った。長親とは石田三成の忍城攻めの時に忍城の城代だった成田長親のことである。
それで話が繋がった。忍城落城の時、総大将だった三成は自ら城代の成田長親と会い城明け渡しの儀を取り結んでいるので面識はある。三成は水攻めから兵糧攻めに切り替えたが、それゆえ甲斐姫は三成を憎んでいるのだ。堂々と戦わずに卑怯極まる兵糧攻めをした。仲間たちを次々と飢死寸前にさせていき、自分を秀吉に売った許せぬ男。甲斐は秀吉の側室になったあと、大坂城で三成に会えば『悪逆非道の恥知らず』と罵っていた。
それゆえ城代であった長親がどうして斬首される三成にお経を唱えたのか理解できなかった。明家は訊ねた。
「確か、兵糧攻めにも関わらず餓死者は出ていないらしいな」
「寸前でした。戦う力を奪いとり、ジワジワと死んでいくのを楽しんでいたに違いないのです」
「なぜ絶望的な飢餓に陥らなかったのだ?」
「忍の民が決死の覚悟で届けてくれた兵糧で何とか食い繋げていた次第で」
「甲斐、二万以上の敵兵に包囲されている城へどうやって民が兵糧を運び込むのだ」
「しかし長親殿はそう申して…まさか!」
「たぶん治部が現地の民に与えて届けさせたのだろう。そしてそれを知るのは長親殿だけだったのではないか」
「嘘です!」
「確かにこれが真実とは言い切れない。だがそうでなければ長親殿の行為は説明が付かないではないか。何より治部にそういう兵糧攻めを教えたのは俺だ」
「殿が…!」
「飢餓に陥る寸前に兵糧を届けよ。わが師竹中半兵衛より学んだことだ。坂東武者は敵のほどこしは受けぬ。だから治部は…」
その通りであった。三成は半ば飢餓状態に陥りつつあった忍城にこっそり兵糧を送っていた。敵のほどこしは受けない坂東武者の性根を鑑み忍領の民を雇い、運び込ませていた。三成が水沢隆広のもとにいた時に学んでいた『心攻め』である。やがて、その民から敵方から送られていると知らされ、成田長親は忍城将兵を説得して降伏に応じたのである。ただ甲斐姫は受け入れず自害しようとしたが、三成の手によって救出されている。
石田三成の忍城総攻めを幾度も退けた大将である成田長親、三成はその顔を忘れていなかった。己が最後の時、送るように経を唱えてくれたのが、かつての敵将であるとは。三成は感無量であったろう。
「…だとしたら、どうして治部は大坂で私に罵られても、そのことを」
「言うはずがない。そういう男だ」
成田長親のその後は分かっていない。
三成斬首の夜、五十人ほどの農民たちが三成のさらし首と体の番をしていた兵士を蹴散らし、三成の首と体を奪ってしまった。それを聞いた家康は警護していた兵にその一団のことを訊ねた。すると兵は
「越前訛りのひどい百姓たちだった」
と述べた。すると家康は
「その者たちは九頭竜川沿岸に住む民たちであろう。彼らは九頭竜川の治水を成し遂げ、その沿岸に美田をもたらしてくれた治部への恩を二十年経った今でも忘れず、命がけで治部の首を奪いに来た。恩人がそんなみじめな姿をさらすのが耐えられなかったのだろう。儂が死んでもそんな民は一人としておらん。さすがは治部よ。その越前の民たちを罰してはならん。九つの頭を持った龍神様に食われてはかなわん」
そう述べて一切罪に問わなかったのである。
“石田の三成さんの悪口を言ってはいけないよ。言ったら九つの頭を持った龍神様に食われてしまうよ”
家康の見込みどおり、三成の首と胴体を奪取したのは九頭竜川沿岸に住む民百姓だった。長年に渡り九頭竜川の氾濫に悩まされてきた人々にとって、水害を無くし、かつ沿岸に美田をもたらしてくれた三成は神仏同然の存在だった。無論、この治水は柴田勝家と水沢隆広の下命によって三成が遂行したのだが、命令した者より実行した者が尊敬されるのは当然である。三成が地元の人々から丁重に弔われた地が現在の福井県指定公園の九頭竜川公園である。石田三成は現地では豊作の神とされ、現在でも彼の命日には法要が行われている。
◆ ◆ ◆
大坂に向かう東軍の本陣。秀忠についていた仙石権兵衛秀久と酒を酌み交す明家。
「姫蝶も竜之介殿(明家嫡孫、後の勝隆)も何とか無事だったようで、それがしホッとしております」
「それがしもですよ」
「しかし正直、越前殿が東軍についたのは意外でございましたよ。治部とは仲が良うござったゆえ」
「つらい選択でしたが、家臣や家族のことを思うと私情で旗幟は決められませんからな」
「でも無念でござる。もう戦はござらぬゆえ、関ヶ原では最後の戦働きをしたかったのですが遅参と相成りました」
仙石秀久は徳川秀忠に従い、上田城攻めに参陣していた。老獪な真田昌幸に大苦戦する秀忠に対して『自分を人質に送り先へ進軍していただきたい。自分が死んでも東軍が勝利すれば満足である』と進言。秀忠は大いに喜ぶが、結局実行はされなかった。しかしこの時の秀久は秀忠の信頼を得ている。何ともしたたかなものである。
「と、云うわけで関ヶ原の合戦の流れ、ぜひ越前殿に聞きたくて参った次第で」
「お安い御用です。その代わりと云っては何ですが、上田攻めについても権兵衛殿から伺いたいです。真田昌幸殿が戦ぶり、聞きとうございますから」
「承知しました。いや長い夜になりそうですな。あっははは」
翌日、秀忠とも会った明家。
「いや面目ない義兄上、まんまと遅参と相成りました」
「でも秀忠殿は生きている。挽回の好機はいかようにもございましょう」
「かような失態の挽回などできましょうか。もう合戦はないから、手柄を立てる機会もございません」
「何も挽回は合戦だけで行うことではございませんぞ。徳川政権は創造の段階、創造は易し守成は難し。その守成を秀忠殿がやり遂げれば、それでもう十分な挽回にございます」
「はは、江与も同じことを言うかもしれないですな。それにしても義兄上はすごい、あの真田昌幸に勝った武将は義兄上だけと聞いています」
明家は武田攻めで真田昌幸に二度勝っている。鳥居峠の合戦と津笠山の遭遇戦である。
「あれはたまたま雪が味方してくれたからです。武運があっただけのこと。三度目はないと思っています」
「武運か…」
「かの漢の高祖である劉邦は闘将項羽に負けっぱなしでしたが、最後に勝ちました。秀忠殿、戦いは百回戦い九十九回負けようが、最後の一勝をすれば勝ちです」
「うまいことを言います。何かこう元気が出てきます」
「かわいい妹のご亭主殿が肩を落としていれば気になりますから」
秀忠の家臣がやってきた。
「殿、そろそろ大坂へ向かうご準備を」
「ふむ、ああ義兄上、紹介します。手前の家臣、柳生宗矩にございます」
「おお、ご貴殿が」
「柳生宗矩にございます」
(義兄上…。となるとこの男は柴田明家か…)
「柴田明家にござる。今後よしなに」
「はっ」
「そう云えば義兄上は新陰流の使い手とか」
「いえいえ、昔のことです」
「宗矩は柳生新陰流の達人です。ちょうど木刀があるので立ち合ってみては?」
「面白そうだな、宗矩殿、ちょっと一手立ち合ってみますか」
「ご所望ならば」
秀忠の陣で明家と宗矩は木刀で立ち合った。
(ほう…。虫も殺さぬような面体なのに大したものだ)
宗矩ほどなら向かい合っただけで相手の技量も分かる。
(何と静かな剣気を持つ。この男、面白い)
見届け人は秀忠だけ。真剣勝負ではないものの、何とも勿体無い。一寸にらみ合い、明家が静かに動く。そして突きの一閃、宗矩は辛うじてかわし、そして横薙ぎの一閃を放つが明家もかろうじてかわした。
「ふう、それがしの負けです。あの突きをかわされては」
確かにすさまじい突きの一閃、明家が静かに動くと同時にもう木刀の切っ先は宗矩の目の前にあった。宗矩でなければ食らっていただろう。その突きで体が伸びきった隙に横薙ぎを入れたが、それをかわされたのは宗矩にも意外だった。
「いえ、あの横薙ぎをかわされては、負けはむしろそれがし」
「ははは、では引き分けと云うことで」
「よろしゅうございます」
名勝負に手を打ち喜ぶ秀忠。
「いいものを見せてもらいました。観客がそれがしだけとは何とも勿体無い」
「ははは、しかし越前殿、最初に突きとは正直驚きましたな」
「新陰流ではそうある先制攻撃ではないですからな」
「その通りです」
「上泉信綱先生は膂力の無いそれがしに適した剣技を教えてくれたのです」
「膂力の無い越前殿に適した?」
「はい『膂力の無いお前では刀を振り下ろしてもはじかれる。敵と対した時は迷わず突け』と。そのおかげで今まで生き残っています」
「「なるほど…」」
秀忠と宗矩、二人揃って『いいことを聞いた』と云うような顔。
「ははは、ではそろそろ大坂に行く準備をしますか」
毛利輝元は大坂城を退去して木津の下屋敷へと移った。この時点で他の西軍諸将が思っていた挽回戦も挑めなくなったのだ。家康は大坂城に到着し、秀頼に戦勝を報告、西の丸に入った。明家はすぐに大坂屋敷に駆けて行った。
「さえーッ!!」
「殿!」
お互いの無事を喜び抱き合い、口づけをする明家とさえ。
「無事でよかった。そなたに万一のことがあらば戦に勝っても何の意味もない!」
「嬉しゅうございます。さえも殿のご無事な姿をどんなに待っていたか」
「さえが無事を祈っていてくれたからだ」
「さあ、殿の無事と関ヶ原の戦勝を祝い、ご馳走を用意しましたよ」
「それはさえのことか?」
とても孫がいる夫婦の会話と思えない。後に控えていた家臣たちは全身が痒い。さえは顔を赤め、
「んもう助平!さえは夜までお預けです!」
「早く食べたいな~♪」
すずの出迎えも受け、大坂屋敷では宴が催された。久しぶりに愛妻との情事を堪能した翌朝、明家に助右衛門が倒れたと云う知らせが入った。すぐに領国に帰ると言い出す明家。しかし
「まだ関ヶ原が終わり間もありませぬ。ここで領国に帰るのは徳川殿に疑念を抱かせますぞ」
鹿介が諌めた。やむなく明家は堺で手に入れられるだけの傷に効く薬を用立て、慶次に持たせて丹後若狭に引き揚げさせた。その一行を見送る明家。
(甲斐をかばって銃弾を受けただと…。そなたはまだ気にしていたのか…)
武州忍城を攻めた石田三成に『成田氏長殿の息女の甲斐姫に殿下は興味を持たれていた。殺してはならぬ』と云う甲斐姫を生き地獄に誘うキッカケとなった文。これは明家ではなく助右衛門が主君のためを考えて加筆したものだった。助右衛門はたとえ主君のためとは云え十八歳の乙女を生き地獄に突き落としたことを大変悔やんでいた。それが行動で出てしまったのだろう。
その銃弾で受けた傷は腰であった。骨は砕けずにいたから数日は立てていた。いや精神力で立っていたのだろう。しかし舞鶴も小浜も無事で、かつ東軍勝利を聞いて緊張が緩んだのか助右衛門は倒れた。津禰と甲斐がつきっきりで看病していると云う。
「なあ鹿介」
「はっ」
「西軍の立花宗茂と鍋島勝茂と云えば精強だ。関ヶ原に来ればどうなったか知れない。それを食い止めた助右衛門の武勲、報いてやらなければ」
「御意」
「死ぬのは許さんぞ助右衛門!」
毛利退去して合戦の危険は回避され、かつ関ヶ原の戦勝を祝い、諸大名たちが家康の元を訪れ、酒宴を開いていた。
「ん?越前殿がおらんな」
「妹御の淀の方と会われています」
小姓が答えた。
「左様か…」
(…柴田明家がいるかぎり、大坂には手を出せまいな。秀吉へ質に出すと云う犠牲を強いた妹の茶々を彼奴は溺愛している。関ヶ原では治部との友誼を断ったが茶々にはそうすまいて。まあ良い、儂に豊臣は討つ気はない。越前なら豊臣と徳川の橋渡しをしてくれるかもしれぬ。豊臣を討つのは容易いが、その戦勝に伴い、これ以上西国大名に恩賞を渡し領地を与えるわけにはいかん。豊臣が恭順してくれるのが一番良い。他の土地を与え、大坂城と秀吉が蓄えた金銀が手に入る。これが一番良い展開と越前も分かっていよう。何とかせえよ越前)
ふと、信長の言葉を思い出す家康。安土城に招待された時の酒宴の中で信長は言った。
『ネコは冷酷非情にならずとも戦に勝てるかもしれぬ』
家康は訊ねた。
『その勝者となった時の敗者は誰でござろうか』
信長は笑って言った。
『儂かそなたであろう』
ふと思い浮かべた信長の予言めいた言葉。
(大坂と戦えばそうなろうな。世代交代が進み、もう徳川は秀吉を小牧の役で討ち破った力はなく、反して越前が軍勢は朝鮮の戦を潜り抜けた猛者ばかり。強情と我慢の三河武士も今や高禄を食み、戦の機会はなく、もはや往年の力はない。越前が立てば西軍が再び誕生する。戦えば負ける。ならば戦わなければ良いのだ。味方につければな。関ヶ原を無にはできん)
家康の判断は正しい。柴田軍は関ヶ原当時、おそらく最強の軍勢であったろう。何より野戦を得意とする家康でさえ明家の用兵は自分を凌駕すると分かっていた。戦うべきではない。家康は思った。
「兄上…。やはり聞かせて下さい。どうして徳川についたのか」
茶々の私室に明家は通されていた。
「兄上が治部についたとして、そして兄上が秀頼の出馬を要望されても私は断っていたかもしれませぬ。でも兄上は不識庵殿(上杉謙信)や太閤殿下にも事実上お勝ちになられた方です。兄上が治部についていれば勝ったかもしれない…。勝っていれば豊臣の政権は磐石となっていたのに…」
「磐石になどならない。騒乱の種になっただけだ」
「え?」
「戦の無い世の到来のために内府殿についた」
「それを秀頼では作れないと?」
「今は無理と言うしかない。まだ幼い秀頼様に何ができるのだ。結局は徳川打倒の狼煙を最初に上げた治部が実権を握らざるをえない。俺はそれでも一向にかまわんが加藤や福島が黙っていると思うか?そして治部で伊達や上杉、毛利や島津を抑えられるか?亡き太閤殿下が成し遂げた日ノ本総無事など消し飛んでしまい、また天下は騒乱となる。戦の世は続き、何千何万の民が死ぬ。しかし徳川家康なら全国の大名を抑えられる。だから俺は治部との友誼を捨て、徳川についたのだ」
「……」
「茶々、もう一度言う。柴田家に戻れ。秀頼様のことは豊臣家に任せて、お前は当家で新しい縁を得て、女の幸せを得よ。そうさせてほしい。兄を安心させてくれ」
「…いやです」
「茶々…。兄を困らせるなよ…」
「徳川は絶対に秀頼を討ちます。母親の私だけ実家に帰り、新しい伴侶を得て幸せになるなんて出来るはずがありません!私は豊臣の茶々です!」
「茶々…」
「たとえ歴史に稀代の悪女として名が残ろうとかまいません。私は絶対に秀頼を守ります!」
「どうあってもか…」
「どうあってもです。たとえ兄上でも秀頼を討とうとするのなら、その時は兄妹の縁を切り、茶々は兄上と戦います!」
「茶々…。ちょっと訊ねる」
「…なんです?」
「お前は秀頼様を守りたいのか。それとも天下人豊臣秀頼の生母として、豊臣の茶々として女帝さながらに君臨し、栄華を欲しいままにしたいのか。それとも徳川に恭順して妹の江与の風下に立つのがイヤなのか?」
「兄上は私が私利私欲で秀頼に天下を取らせたいと思っていると!?」
「天下は強い者が継承しなければ乱世はいつになっても終わらない。唐土の王朝興亡において、次の支配者に何人かはつくが、結局天下はそれなりの器量を持った人物に自然と収まる。もはや内府殿が天下をお取りになるのは自然の成り行きなのだ」
「兄上!私が羽柴の質になったのは兄上に天下を取らせるためです!子のいない秀吉の世継ぎを生めば、兄上と私で秀吉の天下を乗っ取れる!そう思ったから!」
「まだそんなことを言っているのか!たとえそれで天下をとったとて世に受け入れられると思うのか?唐土の三国志で似たようなことをやって国を乗っ取った者がいる。荊州の劉表に仕えた蔡瑁と云う者だ。次男劉琮を生んだ妹と謀り、劉表の死後の家督争いに乗じて荊州を乗っ取った。しかし結局他者の支持を得られずに兄妹ともに悲惨な末路を辿っている。天地人に逆らって乱を起こした者に大成はない。それどころか自滅に近い末路が待つのみである。我ら二人が死ぬのはいい。だがそれによってそなたの実父の浅井長政殿、我が父勝家、我らが母のお市様が嘲笑されるのだぞ!!」
「じゃあ私のしてきたことは何なのですか!私は、私は兄上のために父母の浅井長政とお市、そして柴田勝家を殺した男にこの身をくれてやったのに!女が一生一度しか捧げられないものをこの世で一番憎悪する男にくれてやった私は何なのですか!」
「茶々…」
「兄上を天下人にさせようと思えばこそ…私は…!」
泣き出してしまった茶々。
「お前の気持ちを叶えてやれずすまなく思う、だが茶々、俺は天下人になる気はない」
「兄上…!」
「俺が望むのは妹たち、家族、家臣、領民の幸せだ。そのためには生き残らなければならない。柴田と豊臣が手を組めば、あるいは内府殿を倒せるかもしれない。俺も内府殿の歳ほどになれば同格の器量を身につけられるかもしれない。しかし、それに至るまで何千何万の命が散る。ここでやめなければならないのだ…戦の世を。それがお前のご実父の浅井長政殿が願いでもあり、父上と母上、そして大殿(信長)、太閤殿下、内府殿の願いでもあると思う…」
「……」
「天下の大望を捨てた牙の抜けた兄と笑うなら笑うがいい。だが人の命は尊い!この大坂城下が火の海になれば、頑是無い子供たちが孤児になり、奴隷として売り飛ばされる。大坂の娘たちが東軍の兵士に息絶えるまで陵辱される!そんな地獄絵図を避けるためなら、そしてお前と秀頼様の命を救うためなら、俺はナンボでも内府殿に頭を下げる」
「私にどうせよと…」
「内府殿に豊臣を攻める口実を与えてはならない。遠からず内府殿は江戸に幕府を開くであろう。そのおりは恭順し、織田が豊臣に仕えたようにせよ」
「……」
「さすれば大坂城は召し上げられるであろうが、他に領地は拝領できて、豊臣は大名として生き残れよう。地方大名となる道、もう一つは公家となり関白家となる道、これで良いではないか」
「戦わずして…」
「戦ったら間違いなく敗れる。お前の意地一つで何千何万が死ぬぞ!」
「私と徳川が戦ったとして、兄上は内府につくのですか!」
「茶々、俺はそういうことを言っているのではない!お前は今まで小谷、北ノ庄、丸岡と三度も落城を経験しているのにまだ分からないのか!なるほど弓矢を避けて我が身の安泰を図るのは武士ではないと云う理念もある。だが匹夫の勇と云う言葉もある。お前は大坂城で秀頼様生母として豊臣家で重きを成している。一人でも多く助けることを第一とすべきであろう!いま何千何万と言ったが、その者にも家族がいる。友もいる!それを含めれば何十万の民たちが嘆き悲しむのだぞ!」
「兄上たち東軍が討った西軍戦死者にも同じ計算が成り立ちます!」
「だからこそ戦の世を終わらせなければならないのだ!二度と繰り返さぬために!」
「……」
「後世に悪女と呼ばれようがかまわない、そんなことを軽々しく口にするのではない!戦うのはお前ではない。豊臣の将兵なのだ。前田のまつ様のように息子の助命と家の存続を考えよ。それはけして敗北ではない。選択なのだ」
「…選択」
「古今東西、権力にしがみつき執着する者は破滅する。お前は息子と共にその道を辿るつもりなのか。すぐにとは言わない。大坂を火の海にしないためには、そして息子のために自分はどうすべきなのか、それをよく考えよ」
「……」
明家は去っていった。
「兄上…」
明家が縛についていた三成の髪を梳く場面は、幕末、禁門の変にて久坂玄瑞が最期を迎える時、同志の入江九一が玄瑞の髪を梳いたと云うのを参考にしました。
そして、三成刑死の時、のぼう様登場です。忍城攻め以降、三成とのぼう様に何か縁があってもいいですよね。