天地燃ゆ   作:越路遼介

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開戦か恭順か

 舞鶴を出て数日後、明家一行は大坂に到着した。京橋の柴田屋敷に入り、身を清め、髪も整えた。妹の常高院(初姫)が明家の部屋に来た。

「兄上、登城の準備が整いました」

「わかった。行くぞ初」

「はい!」

 柴田明家と常高院、二人だけで大坂城に乗り込んでいった。大坂城の城主の間、君主の席には秀頼と茶々が鎮座していた。

「徳川の使者として参られたのですか兄上」

「そうでもあり、お前の兄としても来た」

「……」

 加藤清正と秀吉の正室である高台院も立ち会った。豊臣家の重臣たちが居並ぶ中、明家は切り出した。

「もはや内府の天下は揺るがない。いや揺るがせてはいけないのだ。内府が天下を取れば戦はなくなる。天下泰平の世が訪れる」

「大納言殿は徳川に天下を譲れば、永遠の天下泰平が到来するとでも?」

 加藤清正が言った。

「…主計頭(清正)、古今東西、永遠の天下泰平などない」

「なに?」

「この国とて、開闢以来より陸奥から薩摩にかけて戦は数え切れぬほどあった。その戦の発端ほとんどが後世の我々から見れば呆れかえるようなくだらん理由ばかりだ。戦と云うものがどれだけ馬鹿馬鹿しいものか分かるであろう。たった一つのその馬鹿馬鹿しい戦が民百姓の汗と脂の結晶の稲穂を台無しにする。

 そして今、応仁の乱から百三十年続いたこの戦国乱世に終止符を打てる段階に来ている。内府の作る幕府が何年に渡り天下泰平を続けられるかは知らん。たとえ三十年であっても、この国から戦がなければ万々歳ではないか。三十年後にまた乱れたとしても、今から三十年戦国乱世が続くより幾万倍も意義のあることだ!内府に天下泰平を築いてもらうため、ここで豊臣が屈するのは何の恥でもない」

「詭弁である!大納言は徳川の走狗となり、豊臣を説いて恩賞をいただくため得意の弁舌を振り回しているだけである!」

「この大坂城は難攻不落であるぞ!内府が攻めてきたら逆襲し、我らが江戸に攻め入り、秀頼様が大坂幕府初代将軍となるべきなのだ!」

 明家の意見を退けようとする豊臣重臣たち。関ヶ原以来、家康が豊臣に何の接触もしていなかったため、逆に豊臣家臣団の緊張は大変なものだった。やっと接触してきたと思えば降伏勧告。拒否反応は当然である。明家は大野治長を見た。

「お前もそう思うのか貫一郎」

「……」

「どうなのだ!言わぬは卑怯ぞ!」

 治長は茶々を一瞥し、明家に頭を垂れて言った。

「貫一郎、大納言殿の申すことは正しいと思います。しかし…」

「しかし?」

「だからと云って割り切れるものではないのです」

 かつて丸岡城の戦いの時、降伏の使者に来た前田利家に明家が言った言葉を治長は明家に返した。しかし『気持ちは分かるぞ』と退くわけにもいかない。常高院が言った。

「姉上、江与と戦うのですか?」

 そう言うと、茶々は常高院から目を逸らした。

「我々三姉妹は小谷、北ノ庄、丸岡と三度も落城を経験しました。敗者のみじめさは骨身に染みています。姉妹争うことは絶対にすまい、助け合おうと丸岡落城前日に三人で誓ったことをお忘れなのですか!?」

「…忘れておるものか」

「ならどうして、そう意地を張るのですか!徳川と戦うのではなく!共存を図ることが豊臣百年の大計ではないのですか!?」

「……」

「初の言う通りだ茶々、不本意であろうが、そなたが徳川に人質に参り、大坂城を明け渡せば内府の側にいる豊臣討つべしと意気を上げている連中も沈黙する。内府は豊臣を討とうと思えば関ヶ原の折に出来た。なぜそうしなかったか考えよ。内府は豊臣を討ちたくはないのだ」

「そんなことは信じられませぬ」

 言い返す茶々。

「内府はただの人情論だけで豊臣を討ちたくないと考えているのではない。豊臣と戦うとならば、また全国の諸大名を動員する必要がある。しかしもはやこの国に恩賞を与えるだけの土地など残っていない。二度目の蒙古襲来よろしく恩賞が出せず、諸大名の憤懣やるかたなく再び世は乱れる。内府はそれを危惧しているのだ。しかし豊臣が恭順すれば大乱もなく幕府が構築できる。だから豊臣は討ちたくない。そう思っているのだ」

 しかし豊臣重臣たちは揃って恭順に反対。

「大坂城は難攻不落!たとえ内府が何万と寄せようが退ける!」

「そうじゃ!攻めあぐねたところを奇襲して内府の首をとってやる!」

「不落城など存在しない。そなたらは篭城戦のもっとも多き敗因を知らないのか。味方同士の疑心暗鬼だ。武田信玄公や上杉謙信公さえ落とせなかった小田原城がどんな末路を辿ったか知らぬとは言わせないぞ」

「我らを北条と一緒にするでない!秀頼様のもと一丸となり、不和など生じさせぬ!」

 加藤清正が言うと、明家は着物を脱いだ。下にあったのは死に装束であった。

「死の覚悟なくてそなたらを説けるとは思っておらぬ」

 そして切腹用の太刀を前に置いた。明家の死、これがそのまま豊臣と徳川の戦いの端となるのは明白だった。

「恭順しないかぎり、徳川は豊臣を討つしかない。太閤殿下が築いた大坂の町は火の海となり、血に飢えた雑兵に大坂の娘たちは息絶えるまで陵辱される。合戦後も徹底した残党狩りが行われ、なぶり殺しとなる。武士が合戦で死ぬのはいいだろう。だが巻き添えとなる家族と領民はどうなる。まさかどうでもいいなんて考えてはおらんだろうな」

「「……」」

「俺とて丸岡で太閤殿下に降伏した。今でもその悔しさは忘れてはいないが後悔はしていない。何故なら家臣と家族、丸岡の民を守れたからだ。その方ら、討ち破った敵将の首を誇るよりも、守った家族と領民の笑顔こそ誇れ!戦いとはそれによって何を得たかではなく、何を守ったかで価値が決まると心得よ!」

 明家は床をドンと拳で叩いた。

「そもそも武士のおこりとは何か。公家の圧政に対抗するために生まれた者たちであろう。その者たちは何を公家の圧政から守ろうとしたか。自分の国の女子供を、家族を守ろうとしたのだ。武士の誇りとやらではない。豊臣家の誇りなど兵と民の命に比べれば取るに足らぬと知れ!将とは何のためにいる?戦に勝つためではない。兵を待つ者の元へ帰してやるためにあり、君主とは兵や民百姓のためにいるのだ!」

「「……」」

「徳川と戦えば負ける。大坂は蹂躙されて秀頼様も討たれる。ならば豊臣家の身の立つやり方で戦わなければよい。確かに人には負けると分かっていても、死ぬと分かっていても行動しなければならない時があるだろう。だがそれは己一人の命のみで済む場合だ。何ごともなく幸せに暮らしている民百姓を巻き添えにしてまですべきではないのだ。天下を取ると云うことは戦に勝てば良いというだけではない。民の本当の安寧を目指すものに自然と収まる。

 織田信長の破壊、豊臣秀吉の創造、そして徳川家康の守成の世がやってこようとしているのだ。もう万民は戦に疲れている。旧勢力の豊臣がいたずらに意地を張って平地に段を築いて何とするか!前に出るのも勇気であるが、退くもまた勇気、生き延びよ!そして徳川がどんな世を作るのか見届けよ!」

 柴田明家の訴えに豊臣家臣団は黙った。正論であるのは誰もが分かっていた。しかし人間は感情の生き物。割り切れることと割り切れないものがある。

「一同、よう聞け!!」

 それは秀頼が発した言葉だった。いつも母親の横にいるだけの秀頼が凛と立ち上がり発した一喝であった。明家の説得を黙って聞いていた高台院も驚いた。

「ひ、秀頼…」

「母上、清正、高台院様、そして皆も聞け」

「「ははっ」」

「伯父、柴田大納言の言葉こそ正しい」

「若…!」

「この大坂を戦火にさらしたくはない。内府殿に降り共存の道を選ぼう」

「「は…っ!」」

「伯父上」

「はっ」

「伯父上の言うとおりにいたします」

「秀頼様…!」

「秀頼…」

「母上、それがし幼くても、豊臣秀吉の息子です」

「……」

「母上も伯父上の言うことに従うと言って下さい。お願いです」

 城主の間が静まり返った。

「茶々殿」

「高台院様…」

「秀吉の最期を覚えていますか。見るも無残なものでした。あれが天下人の最期なのかと誰もが思ったであろう。退け時を誤った男の哀れな末路です」

「急に何を…」

「豊臣家は同じ末路に歩み出しています」

「……!」

「せめて、あの方が残してくれたこの家の退け時は見極めてくれぬか。さもなければ我らは秀吉の最期から何も学んでいない愚か者ぞ…!」

「……」

「秀吉は皆に何と言い続けた。『秀頼を頼む、秀頼を頼む』と云う哀願。『豊臣家を頼む』とは一言も言っていない。分かっていたのです秀吉は!豊臣家が己一代のものと!ならば残された我らの務めは、秀頼を生かし、そして豊臣家をどう上手に倒れさせるかにあるのではないのですか。秀頼の決意、母親のそなたが誤ってはならぬ!」

 茶々は目をつぶり、溜息を吐き、そして言った。

「…分かりました」

「茶々…!」

「姉上、よくぞ、よくぞご決断下さいました!」

「それでよい茶々殿、ああ…あの人のみじめな最期が…ようやく報われた!」

 

◆  ◆  ◆

 

 豊臣秀頼、徳川に恭順。この知らせに徳川家康は歓喜して喜んだ。その後、柴田明家は豊臣家臣団や恩顧の大名たちに、豊臣が六十五万石の大名で畿内にあり、大金城の大坂城と多大な金銀を持つのは今後の災いにしかならない。一番の方法は城と財もすべて明け渡し、豊臣は関白家として公家になり、徳川と融和を図ること。それが豊臣家の存続と秀頼の命を保証するものとなると懸命に説いた。

 大坂城の明け渡しについては説得が困難を極めた。城は武家の象徴。戦わずに明け渡すなど武門の恥。しかし明家はあきらめなかった。大坂城が豊臣のものであるかぎり徳川は必ず滅ぼす。そうせざるを得ないからだ。高台院も明家の味方について必死に説得した。やがて明家と高台院に同調する大名も増え、ついに開城となる。

 その間に徳川家康は江戸に幕府を開いた。家康は江戸幕府初代将軍となった。そして柴田明家と加藤清正が秀頼の後見について家康と二条城で会見。秀頼は恭順の姿勢を示し家康に平伏し、母親の淀の方を人質として差し出すことを約束。大坂城は徳川家康に明け渡された。豊臣恩顧の大名たちはこの時点をもって独立し、幕府外様大名として生きていくこととなり、秀頼は関白となり、京の聚楽第跡地に屋敷を構え、豊臣家の存続を許された。片桐且元、大野治長も公家となり秀頼に仕えることを選んだのだった。柴田明家と常高院は徳川と豊臣の合戦を見事防いだのである。明家の妻子たちも歓喜した。今まで明家が遺言めいたことを残していくことはなかった。本心から明家は死を覚悟してことに当たったのだ。だが生きのび、かつ大役を無事に果たしたのだ。

 

「ご苦労にございました大納言殿」

 京における高台院の住居である『高台院』に招待されていた明家。高台院に礼を受けた。

「いえ、高台院様の助力あらばこそにございます」

「『みなが笑って暮らせる世の中を作るのじゃあ!』」

「…?」

「豊臣秀吉が羽柴秀吉であったころ、よう言っていました。でも、そんな世は神仏でも作れません。天下を取った秀吉はそれを痛感したことでしょう」

「高台院様…」

「だけど今回、豊臣と徳川の戦が避けられたことで、この国の一隅だけでも『笑って暮らせる世』が出来たのではないかと私は思います。それを叶えてくれたのは内府殿ではない。大納言殿、貴方です」

「いえ、それがしはただ無我夢中で…」

「ありがとうございます。秀吉もあの世で喜んでいるでしょう」

「ありがたきお言葉にございます」

 

 大坂屋敷に帰った明家を伊達政宗が訊ねた。

「徳川と豊臣の戦、阻止の儀、まことに祝着にございます」

「かたじけのうござる」

「今だから申せますが、それがし柴田と豊臣が手を組み徳川に挑むとなれば、豊臣につく気でございました」

「ほう」

「東軍のお味方をすることによって、伊達家は百万石への加増のお墨付きをいただきました」

「百万石!」

「それを反故にされまして、もうついていけぬと」

「どうして反故に?」

「南部の一揆に加勢しまして、関ヶ原のドサクサに乗じて領土拡大を図りましてございます。それが筒抜けでござった。抗弁の余地はないものの何とも悔しくてならず」

 関ヶ原後の論功行賞において政宗は仙台を中心とした約六十二万石と定められた。

「それがしは戦国大名として天下の覇者になる。その野望を持ちつつ今まで生きてきました。しかしもはやそういう世の中ではなくなりました。これからは泰平の世、戦で領地を奪ったり奪われたりする時代ではござらぬ」

「その通りです」

「だが百万石の夢だけは捨ててはおりませぬ。戦ではなく、平和のうちに我が領地を百万石にしてみせようと腹を括りました」

「それは新田開発に?」

「左様、今にご覧あれ。江戸城の米倉を伊達の米で満載にしてみせまする」

「それがしも荒地はどんどん田畑にしていくつもりにございます。あ、それはもう手前の息子の仕事でござった。いかんいかん。あはは」

「最上の駒姫がご子息の側室として輿入れされるそうですな」

「いかにも」

「その駒姫にそれがしの母である保春院が侍女頭として随行いたします」

「ご母堂が?」

「はい、何とぞよしなに」

 政宗は砂金の入った袋を差し出した。

「これは受け取れませぬ。せがれの妻に仕える方ならば、厚遇するのは当然にござれば」

「その厚遇のため、お使いしていただきたい。それがしの顔を立てると思い受け取っていただけまいか」

「政宗殿…」

 明家は受け取った。

「まだ、不仲なのでござるか?ご母堂と」

「なかなか、良い切っ掛けがござらぬゆえ」

「政宗殿、それがしにはもう母がおりませぬ。親孝行したくても出来ない。余計なお世話かもしれませぬが、ご母堂がご存命の貴殿には孝行をしてもらいたいと思う」

「……」

「ご母堂をお預かりするのも縁。伊達と柴田のよき縁となりましょう。それゆえ一つ述べさせていただきたいと存じますが」

「何でござろう」

「その百万石の御墨付きですが焼かれたほうが良いと存ずる。災いにしかなりませぬぞ」

「これは異なことを。大納言殿とて関ヶ原前に上様(家康)から丹後若狭を保証する御墨付きを得ておられるではないか」

「あれはもう焼きました」

「な…!?」

「御墨付きを要望したのは上様へ柴田家に天下への野心なしを示すためと丹後若狭から動きたくないゆえにやったこと。それがしも息子も御墨付き一枚で領地安泰と確信するほどめでたくはございません」

「そ、それゆえ褒美は金銀でよいと申されたのか」

「いかにも。家臣たちに与える金銀は欲しかったですから」

「なんとしたたかな…」

「我が義兄、竹中半兵衛も太閤殿下からの感状はすべて燃やしてしまったそうです。また黒田如水殿が厚き恩賞を約束する太閤殿下の感状を持っていると聞き、それを取り上げて焼いたと言います」

「聞いたことがございます。身を滅ぼす要因となる。子孫のためにもならぬと」

「その通り。政宗殿、もはや果たされない約定の証文などあっても無意味。まして発行されたのが上様では災いになるだけにござる。焼いてしまわれたほうが良い」

「千金に勝る金言、恐悦に存ずる」

『最良の友となるか最大の敵となる』かつて政宗が明家に対して思ったこと。それは前者になったようである。こののち政宗は百万石の御墨付きを焼いてしまった。家康にもそのことは伝わり、『あの男もようやく心得てきたようだ』と静かに笑ったと云う。

 

◆  ◆  ◆

 

 初代将軍徳川家康によって着々と天下が平定されていく中、上杉家と徳川家はまだ不穏であった。

 小山会議によって東軍は関ヶ原に転進、追撃を主張する直江兼続の意見は退けられた。景勝は関ヶ原で東西両軍が長期戦になることを見越し、領土の拡大を図り最上領に進攻した。しかし関ヶ原の戦いはわずか一日で終わった。壮絶な撤退戦のすえ上杉勢は会津へと帰還した。その後、徳川との和平を模索。上杉景勝と直江兼続は柴田家に和平の仲介を要望した。

 柴田家と上杉家、過去二度熾烈な戦いを繰り広げている。手取川の戦い、そして御館の乱に乗じて柴田勝家が攻め込んだ能登越中の戦いである。後者は本能寺の変が発生したため柴田勢は撤退を余儀なくされた。追撃に出た上杉勢。その殿軍に立ったのは手取川の戦い同様水沢隆広だった。熾烈な撤退戦であった。隆広自身が討ち死にさえ覚悟したと云う。

 だが勝利に乗ってきた上杉勢の前に立ちはだかった六騎がいた。前田慶次、松山矩久、小野田幸猛、高橋紀茂、高崎吉兼、星野重鉄と云う隆広の精鋭たちである。慶次を先頭に六騎は突撃を敢行。死を覚悟して突撃した六騎は鬼神の強さを示し、勝利を確信していた上杉勢は命を惜しんで後退してしまったのだ。景勝と兼続は追撃を断念、柴田勢は急ぎ明智光秀を討たんと京に進軍するが秀吉によって光秀は討たれた。清洲会議でも後手に回り、秀吉との戦いが避けられないと確信した柴田勝家は背後の憂いを断つため上杉家に和平を持ち込む。この時の使者が隆広と慶次である。

 武勇を尊ぶ上杉家は敵であろうと勇猛果敢な男を愛する。しかし御館の乱に乗じて攻め入った勝家を景勝は許さず、殿軍を務めていた隆広と慶次を丁重に持て成すも和議は決裂。ゆえに賤ヶ岳の戦いでは佐々成政を上杉に備えて配置せざるを得なかった。柴田家と上杉家の和平はその後秀吉が仲立ちして行われたのだ。以後は過去の確執は忘れて親密にしていた。

 家康の会津攻めにおいて、柴田明家は家康に属するが現地で上杉と徳川の和平をするつもりであった。しかしそれは果たせず関ヶ原の戦いとなってしまったのだ。まだ上杉と徳川が交戦状態であるのは変わらない。上杉家には主戦論を唱える者も多いが、豊臣が矛を収めたこの状況で戦えば上杉は滅ぶ。すぐに景勝が家康の元へ出向くのは危険である。だからその前に徳川が上杉との和議を受け付ける状態に仕向けなければならない。それを上杉家から要望されたのが柴田家と云うわけである。柴田家としては幕府家老として迎えたいと申し出ている家康の心証を害したくないが断るのは武人として恥である。明家は引き受けた。慶次を副使に家康と会った。

「大納言」

「はっ」

「本能寺の変のおり、上杉が追撃せねば光秀の首を取ったのは柴田であったやもしれぬのに、何故上杉を庇う?」

「退却する敵を追撃するのは戦場のならい。柴田に上杉へ怨みはございませぬ」

「ふむ…。その方と直江山城は上泉信綱の同門と聞く。それゆえか?」

「それもございます」

「それも、ほう他には?」

「それがし、先代謙信公に命を救われました」

「不識庵殿に?」

「手取川の戦いのおり、手前は信玄公のいでたちをして謙信公に突撃しました」

「聞いておる」

「兵法でも何でもない。心理作戦でした。謙信公はその後我らに追撃をしませんでした。あえてそれがしの二流の芝居に乗って下されたのでしょう」

「ふむ」

「世間はそれがしが唯一不敗の謙信公に土をつけたと申していますが、それは違います。見逃してもらったのです」

「なるほど。それで次代の景勝も助けたいと思うわけか」

「殿」

「うむ」

  明家は慶次の発言を頷き許す。家康に対して慶次は

「はっ、上様、それがしも同じ気持ちにございます。手前二度主君大納言と共に上杉勢と戦い申したが、手強い相手にございました。その後当家が太閤殿下に組し、景勝殿と山城殿とお会いしましたが、何とも惚れ惚れする武人」

「……」

「先の上杉攻め、元は上様の単なる誤解から生じたもの。かようなことでそれがし友二人を失いたくございませぬ」

 暗に、あれはお前の言いがかりだと慶次は言っている。家康は苦笑した。

「相変わらず歯切れの良い男だ。和平の使者とは思えないわ」

「慶次」

「はっ」

「上様、廊下を拝借します」

「ん?」

 明家と慶次は廊下に出て、小刀を取り出し髷を切り落とし、髪を剃った。やがて丸坊主となった二人。

「「和平の使者、これで相務まりしょうや」」

 見つめあう家康と明家、慶次。

「相分かった。和議の条件に入るとしよう」

 ニコリと笑った三者。

「しかし坊主になったとて出家は許さんぞ大納言、そなたには働いてもらわんとな」

「はっ」

 ここで明家は幕府家老就任を承知したことを家康に示した。

「慶次殿」

「はっ」

「大納言から柴田の兵権を取り上げることになるゆえ、警護が手薄になるかもしれぬ。これからの徳川幕府に貴殿の主君は欠かせぬ人物、よう守って下されよ」

「承知しました」

 かくして上杉家と徳川家の和議は成った。会津百二十万石から米沢三十万石に減封された。しかし上杉景勝と直江兼続は少しも悪びれず、堂々としていたと云う。

 

◆  ◆  ◆

 

 丸坊主になった良人を見てくすくすと笑うさえ。

「そんなに可笑しいか」

「はい、かわいい」

「丸坊主になったのは竜之介と名乗っていたころ以来だな。何か洒落た頭巾でも買うか」

「そうなさった方が良いかもしれませんね。でもさえは嬉しいです」

「何が?」

「口づけできるところが増えましたから」

 デレと微笑む明家。

「じゃさっそく」

「ダーメ、夜までお預けです」

 

 前田慶次は隠居を明家に申し出た。愛馬松風もすでに世を去り、慶次は頭を丸め、名を『一夢庵ひょっとこ斎』と改めた。前田の家督は彼の嫡男の正虎が継ぎ、明家嫡男の勝秀に仕える。他の子はすべて女子であるため、すでに嫁いでいる。戦でも最後を締め括る良き敵と仕合え、主君と共に上杉家のために尽力もできた。もう我が役目は終えたと彼も思ったのだろう。

 慶次は屋敷の縁側でのんびり加奈の膝枕で横になっていた。丸坊主の良人の頭を撫でる加奈。そこへ使用人が伝えた。

「申し上げます、直江兼続様がお越しにございます」

「そうか」

 慶次は起きて、背中を伸ばした。兼続と会った慶次。

「大納言殿も頭を…!」

「いかにも。これからは号を名乗られる。快斎と云う」

「何と出家を?」

「いやいや、快斎と言う名は法名ではなく雅号でござるよ。出家はするなと上様に言われておるし、髪もまた伸ばせと命じられたらしい」

「雅号でござるか…」

 柴田明家は当時の文化の代名詞とも言える茶の湯は嗜む程度だったが、能・和歌・書画の名人としても評価されている。それに伴い朝廷から贈られた号が快斎である。師の快川和尚の名の一字があり、明家は大変気に入っていたと言われている。

「ちなみにそれがしは『ひょっとこ斎』と改めましてござる」

「ひょ…」

「前々から決めていましてな」

「失礼ながら、どのような由緒が?」

「そんなものはござらぬ。思いつきにござる」

「おかしな名前で…」

「同感でござる。しかし気に入っていましてな。あっははは」

「ですが、そう言われると何か慶次殿に相応しい気がするのだから不思議ですな」

「ははは、しかし殿は坊主頭になり、奥方には『口づけできる場所が増えて嬉しい』と喜ばれているらしい。それをまあ自慢げに話されるから嫌になるぞ。山城殿は殿の髪がある程度伸びるまで会わない方がいい。ここぞとばかり捕まって嫁自慢されるぞ。あっははは!」

「そうもまいりませぬ。覚悟して参ることにいたしましょう」

 苦笑する兼続。後日その災難に遭うのだが。

「して、ひょっとこ斎殿、柴田家には尽力していただきました。さりながらどう答礼するか悩んでおりまする。何せ進物と賄賂を嫌う御仁ゆえ。かと言って何もせぬのは主君景勝の恥、何か大納言殿が慶んで受け取って下される礼はないでしょうか」

「なに簡単にござる。景勝殿の内儀の菊姫様と殿は武田の松姫を経て知己でござるし、山城殿の内儀のお船殿と御台様(さえ)は友。上杉と柴田の幹部とその内儀を招待しての宴を催してはいかがですかな?」

「それは名案にござるな!」

「ははは、それがしその席でお船殿を口説いてみようと思う」

「はっははは、ではお船にちゃんと最後まで聞いてあげるよう伝えておきましょう」

「お?自信たっぷりですな。それがしの口説きを甘く見られるなよ」

 笑いあう慶次と兼続だった。さて兼続はすぐに宴の招待状を柴田明家に届けた。場所はかつて明家嫡子の勝秀が治水した宇治川の河川敷。そこで桟敷を広げて上杉と柴田の君主と幹部たち、その夫人たちが招待されて宴を開いた。川のせせらぎを聞きながら、とても風流で賑やかな宴になった。これで十分なのである。明家と慶次は何も上杉家から大きな見返りを期待して和平交渉の使者になったのではない。明家はこの席で少年期に恵林寺で習った武田家の陣中食『ほうとう』を作りふるまったと云う。笑わない君主と言われた上杉景勝であるが、一度だけ笑ったと云う話がある。いつどこでとは伝わってはいないが歴史家はこの柴田家と上杉家の宴にて、明家の作った『ほうとう』を食べた時ではないか、と述べている。

 

◆  ◆  ◆

 

 さて、江戸に来た茶々を家康は厚遇し、やがて秀頼の恭順が本物であると見て、その立役者となった明家と常高院に労いの証として秀頼の元には行ってはいけないと釘を刺されているものの茶々を返したのであった。茶々は兄の領国に行ったことがなかった。美観と名高い天橋立を見たいと言うので明家は連れて行った。今まで辛苦を強いていた妹の頼みは何でも聞いてあげたい。

「きれい…」

「そうだろう。俺もいつ来ても飽きない」

「ねえ兄上」

「ん?」

「少々歳を食ってしまって、かつ気の強い淀の方と見られていた私だけれど、再婚相手いるかな」

「え?」

「ギリギリもう一人くらい生めると思うのです」

「そうだな…。誰がいいだろう」

「その前に兄上、茶々の願いことを聞いて下さい」

「おお、何でも言え。俺に出来ることなら何でもしてやるぞ」

「じゃあ…」

 茶々は顔を赤めた。

「何だよ」

「茶々を思いっきり抱きしめてもらえないですか」

「え、ええ?」

「…同腹の兄と知る前、茶々は兄上をお慕いしておりました」

「……」

「だから、今からほんの一瞬だけ。妹ではなく一人の女として抱きしめてほしい…」

 明家も顔を赤めた。コホンと咳払いし、茶々の手を掴んで抱き寄せた。

「ああ…隆広様、嬉しゅうございます…」

「茶々…」

 これから数日後の舞鶴城、家老の山中鹿介が明家に呼ばれた。

「殿、お呼びで」

「うん、まあ座ってくれ」

「はっ」

「ゴホゴホッ」

 鹿介は直感であまり良い知らせではないことを悟った。明家は言いにくいことを言う時にはこうして風邪をひいてもいないのに咳をする。

「あ~、その方いくつに相成った?」

「は?」

「歳だよ」

「な、何でござるか急に?」

「ゴホッゴホッ」

「…五十三にござる」

「先妻をなくしてどれだけ経つ?」

「四年ですが…」

「そなたもまあ~あれだ。柴田の重鎮としてだな。四年も独り者ではまあ~格好がつかんかなと思って」

 鹿介は今まで二人の妻を娶っている。最初の妻は合戦のさなか討たれ、二人目の妻は柴田家臣になってから娶ったが彼の言うとおり四年前に死別した。

「後添いの話ですか」

「そうそう」

「この歳で若い妻を娶るのは毒にしかなりませぬ。失礼ながらご辞退をば」

「そう若くはない。三十七歳、いや三十八か?」

「ほほう、女盛りですな。前の御亭主とは死別でも」

「まあそういうことだ。しかも美しいぞ」

 興味を示し出した鹿介。

「ま、まあ無下に断るのも殿の顔を潰しますれば、会うだけ会おうと思いますが」

「ありがたい、入れ!」

「はい」

「え?」

 部屋に入ってきた女を見て驚いた鹿介。何と茶々姫である。

「茶々姫様!!」

 慌てて平伏する鹿介。

「そんな必要はありません。私はもう豊臣の茶々ではございません」

「は、はあ…」

「鹿介、そなたの最後の伴侶として妹を娶ってくれないか」

 明家の横に座った茶々。

「私から山中様が良いと兄に要望しました」

「茶々姫様から…」

「はい、山中様と私が会ったのは丸岡が最初です。勝機のない兄の援軍に来て下された山中様を見た時、どれほど嬉しかったことか…。嫁ぐなら山中様のような損得で動かない殿方に嫁ぎたいと思っていました。その後も兄の重臣として、私にも良くして下されました。嬉しかった…」

「……」

「少し寄り道をしましたが私に妻として、そして母としての幸せを下さいませんか」

「…苦労しますぞ」

「かまいません」

「うん、では殿、妹御をちょうだいします」

「ああ、茶々、よく仕えよ」

「はい兄上」

 こうして茶々は山中鹿介に嫁ぎ、この後は丹後の国で幸せに暮らしたと云う。

 

 一方、柴田勝秀。彼の元に一人の女が輿入れに来た。最上義光の娘の駒姫である。駒姫には待ちに待った輿入れのとき。その数日前、明家は息子に訊ねた。

「姫蝶は駒姫輿入れを納得したのか?」

「ええ、何とか」

 姫蝶はかつてのさえのように泣いて嫌がったが、さえが何とか『側室を設けて子をたくさん成すのは当主の務め』だと説得。渋々だが姫蝶は認めたと云う。

「そなたも母上の助力なしで側室一人作れないようでは先が思いやられるぞ。男なら女房にバシッと言えバシッと!」

「は、はぁ…」

(父上に言われたくない!)

 最上義光の娘、駒姫が舞鶴に到着。舞鶴港で勝秀に迎えられた。船から降りてきた駒姫。刑場荒らしの時よりさらに美貌に磨きがかかり、勝秀は惚けた。みちのく娘の彼女は肌が白く美しい。

「勝秀様…。駒にございます」

「あ、いや、柴田勝秀にございます。ははは…」

「勝秀様…。三条河原で見た凛々しいお姿、駒は忘れたことはございません」

「そ、そりゃあどうも…」

「何よ何よ、鼻の下伸ばして!」

 後方で見ていた姫蝶は面白くない。隣にいた明家、姫蝶に訊ねた。

「おい姫蝶、なんで後ろ姿しか見えないのに勝秀が鼻の下伸ばしていると分かる」

「勘です」

「ほう、勘か。しかしずいぶんときれいになったものだ。女子は化けるなあ」

「うまくやっていけるのかな…。駒姫殿は私より年も上だし…」

「そんなことを気にしているのか。駒姫も同じことを考えているだろう」

「え?」

「年下のご正室様とうまくやっていけるのかとな。そなたも駒姫も親父の俺が政略的に娶わせたのではなく、二人が息子を好きになってくれたから娶わせた。同じ男を愛した者同士。あまり難しく考えるな。きっとうまくいく」

「はい…義父上様」

「ほら、生涯の友となる女をお前も迎えてやれ」

「はい!」

 一人の老女が明家に歩んできた。

「柴田大納言様にございますね」

「左様」

「私は保春院と申します」

「政宗殿のご生母殿でございますね」

「はい、こたびは姪の駒の侍女頭として柴田家に参りました」

 穏やかな顔をした方だ、明家は思った。

「改めて御礼を申し上げます。駒を三条河原からお助けしたことを」

「その代わりにお願いと申しては何ですが」

「…?」

「ご子息の政宗殿と和解いたしませぬか」

 保春院は首を振った。

「政宗は私を一生許しますまい…。先の長谷堂の戦で援軍に来てくれたのも、伊達にとって上杉の勢力拡大は脅威だったからにすぎませぬ」

「ご母堂…」

 政宗が明家に母をよしなにと頼んできたことを告げようと思ったが、それを言っても保春院は信じようとしないだろう。

「ご母堂はおやめ下さい。私は駒の侍女に過ぎませぬ。本日より柴田家にご奉公させていただきます」

 母親と息子だからこそ、深い亀裂が生じたら修復は困難なものだ。

「まだ時が必要であるな…」

 と、明家は思った。

 

 そして数日後、明家は正式に勝秀に家督を譲った。この日より明家は『柴田快斎』を名乗ることになる。舞鶴城で家督相続の儀を終えた後、父母と話す勝秀。

「父上、長い間、お疲れ様でした」

「ああ、肩の荷が下りた。これから俺は徳川家に属するが、柴田家については顔も出さないし口も出す気もない。やりたいようにやれ」

「はっ!」

 さえは良人に申し訳なさそうに言った。

「殿…」

「ん?」

「私は江戸に行かず舞鶴にいたい」

 快斎は驚いた。舞鶴と江戸では一度離れたらそうは会えない。だが母親としては当然だろう。快斎は駄目だと云うのを堪え言った。

「そ、そりゃあ息子と一緒にいたいと思うのは当然だ。そんな申し訳なさそうな顔することない」

「でも…殿とも離れたくない。どうしたらいいの…」

「おいおい、いい歳して泣くなよ…」

「心配無用です」

 と、勝秀。

「「え?」」

「母上には徳川への人質になっていただきます。だから江戸に行ってもらいます」

「勝秀…」

「母上、それがしは童のころから母上と父上の睦み合いを邪魔するまいと心掛けてきました。それがしももう子供ではありません。安心して父上と江戸でお過ごしあるよう。それにそれがしとて江戸での務めが多くなりましょうから、いつでもお会いできます」

「よく言った勝秀!父は嬉しいぞ。女房を息子から勝ち得る亭主などそうはいまい」

「勝ち負けではないと思いますが…」

 苦笑する勝秀。

「じゃあ江戸で会えるのね勝秀」

「はい、その時は孝行させていただきます母上」

 かくしてさえも江戸行きに決まり、すず、しづ、甲斐も無論行く。快斎は柴田家当主としてではなく、個人の資格で徳川幕府に家老として仕える。家臣は山中鹿介を始め息子に委ねた。江戸で用いる人材も徳川家の者とするつもりだ。快斎の家臣で付いてきたのは一夢庵ひょっとこ斎だけである。あとは一行を警備する兵士二百、その二百の兵の妻たちが快斎の妻たちの侍女や下女を務める。以上を連れて快斎は江戸を目指した。途中に京に寄り、西教寺にある明智光秀の墓に参拝、その後に関白豊臣家を訪れ秀頼に会った。

「母上が山中殿に」

「はい」

「よかった…。母上にはこの秀頼のことなど忘れて、山中殿と幸せにとお伝え下さい」

「分かりました」

「これから江戸に参られると伺いましたが」

「はっ、家督は息子の勝秀に委ねました。これからは徳川の幕僚の柴田快斎です」

「ならば、もうここには来ない方が良いでしょう。いらぬ誤解を持たれます」

「お言葉、かたじけなく」

「伯父上」

「はい」

「伯父上のおかげで豊臣は生き残れた。豊臣はそれを代々伝えていきます。柴田と豊臣に何の盟約がなくても、それがしは柴田明家の甥と云うことに誇りを持ちます」

「それがしも良き甥を持ったと誇りに思います」

 快斎と秀頼が会ったのはこれが最後と言われている。快斎は家督を息子に譲り、江戸に向かい、そして江戸城で丁重に迎えられた。徳川幕府家老として第二の人生がこれから始まるのだ。


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