天地燃ゆ   作:越路遼介

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幕府家老

 柴田明家一行は江戸入りした。まだ江戸の城も町も創造期にある。やる気が出てくる明家。さっそく江戸城に登城、家康に目通りした。

「おお大納言、よう来たな」

 上機嫌の初代将軍家康。

「おっと、今は快斎と云う名前だったな」

 ちなみに大納言と云う官位は息子に家督を譲ると共に徳川家に返上していた。彼が大納言と名乗ったのはほんのわずかであった。

「上様(家康)におかれましてはご機嫌麗しゅう」

「ははは、そなたのおかげで大坂方は恭順するし、無用な戦をせずに済んだ」

「それがしも安堵いたしました」

「しかし…交渉成立の功を本当にいらぬと申すのか。そなたは張儀さながらの外交術で豊臣を徳川に下したのだぞ」

 張儀とは中国の戦国時代に活躍した縦横家と呼ばれるほどの論客である。

「欲しいのは山々なれど、お受けできない事情が起こりまして」

「事情?」

「豊臣方を説得中に『内府殿からの恩賞が欲しくて使者になったのではない』と啖呵を切ってしまったのでござる」

 城主の間はドッと笑いで沸いた。

「ははは、それは貴殿にしてはうかつだったな。そう言った手前、受けたくても受けられないと云うことか」

「はい」

 嘘だった。快斎は本心から恩賞欲しさにやったわけではないのだ。家康が茶々と秀頼に何の危害を及ぼさないこと。これが彼にとっては恩賞である。何よりそれほどの大功を厚い恩賞で報いられれば徳川幕僚に妬まれるだけである。命がけの外交交渉であったが実行したのは自分と常高院だけ。将兵を養う立場でなくなった今、そんなに金は必要でもない。災いになるのならば受けないほうがいい。

「とはいえ当家としてそちに何一つ報いないわけにもいかない。そちの江戸屋敷を用意したゆえ、それだけは受け取ってくれ」

「はっ」

「しかし色々と仕事が溜まっている。唐入りの和議締結の詰め、そして江戸の町づくりや法度の発布など山積みじゃ。しばらくは屋敷に戻れまいぞ」

「承知しています」

「うむ、でもまあ今日のところは屋敷でゆっくりするといい。明日からこき使うぞ」

 さて、快斎に随伴してきた家臣はと言うと一夢庵ひょっとこ斎こと前田慶次だけである。あとは快斎の屋敷や移動を警護する番兵二百だけであった。快斎は江戸屋敷に向かった。柴田快斎の屋敷は現在の新橋にあったと云われている。番兵と侍女たちの家も敷地内にあり、快斎の住む屋敷も中々ひろい。

「殿、大坂や伏見の屋敷より大きいです」

 と、満足気のさえ。

「うん、ずいぶんと奮発してくれたなァ上様は」

「この厚遇に応えないとなりませんね殿」

「そうだな、幕府はまだ創造期だ。働き甲斐があるぞ。そなたらも内助を頼むぞ」

「「はい!」」

 ひょっとこ斎の屋敷も敷地内にある。

「加奈と二人だけでは手に余るな。私塾でも開くか」

「槍を教えるのですか?」

 と、加奈。

「俺の武技は誰も学べまい」

「まあ、すごい自信。じゃあ私がお庭で冨田流小太刀を江戸の町娘に教えようかしら」

「それがいい、俺は古典でも教えよう」

「そうですね。お互い副収入にもなるし、家計が助かります」

「しかし殿と俺、第二の人生だ。加奈、今後も頼むぞ」

「はい、子供たちも独立しましたし、私も第二の人生を楽しみます」

 

◆  ◆  ◆

 

 柴田明家は柴田勝秀に家督を譲り、名も快斎と改めた。小浜城主も奥村助右衛門から奥村兵馬となり、世代交代したのである。明家はかなり早いうちから勝秀を後継者と指名しており、帝王学なども仕込んでいた。勝秀は父の明家のように飛び抜けた才能はないが、人の話は謙虚に聞き、信賞必罰も不正がなかった。先代重臣と当代重臣も分け隔てせず、家臣の息子が初めて目通りすると、父親の今までの功績すべて息子に述べ、父上と同じく俺を助けてくれよと督励した。

 これは島津義弘や明智光秀が家臣たちに行っていたことで、勝秀はそれを真似したと云うことだ。良いことは真似る、こういうところは父親と似ている。自分は父と比べ才覚は乏しい、家臣や領民たちに助けてもらわなければと考えていた。

 快斎が勝秀の仕事で口を挟んだのは後にも先にも宇治川の治水だけで、あとは全部任せ、そして家督を譲ってからは顔も口も出さなかったのである。

 

 さて、幕府家老となった柴田快斎は本多正信と共にすぐに朝鮮出兵の後始末を始めた。対馬の宗氏を外交大使として李氏朝鮮との和議を進めて無事に締結させ、そして明王朝を滅ぼした清王朝にも親善大使を送り、和平が成った。

 朝鮮の役の後始末を済ませ、ますます快斎は家康に重用されていき本多正信と共に家康の参謀を務めた。家康は自分の死後に再び世が乱れないために色んな法度を作った。『武家諸法度』『禁中及び公家法度』『諸方本山本寺法度』家康はその下書きを快斎に見せて意見を訊ねた。その一つ一つの法度などを見ていくうちに快斎は天下の政治とは分かり出した。その法度すべてが民に安寧をもたらすものであったのだ。快斎は秀忠とも政治を論じ合い、二代目のとるべき道はと語り合った。

 

 江与も大好きな兄が城内にいてくれて嬉しい。江与は花が大好きで、最近は庭に花檀を作り世話していた。快斎はその花檀の前に訪れ、江与とよく話していた。

「兄上、いつまで江戸にいてくれるのですか?」

「そうだな、竹千代君(家光)が一人前になったらかな」

「ずいぶん先ですよ」

 苦笑する江与。

「おう、そうだ。江与、茶々が鹿介の男児を生んだらしい」

「まあ、それはめでたきことに」

「うん、よくがんばったと思う」

「茶々姉さんも初姉さんも丹後、たまに無性に会いたくなります。天橋立や三方五湖も一度見てみたい」

「上様はたまの里帰りを許してくれないのか」

「良人としては、たまに帰してあげたいと思っているようですが、私も一応将軍正室、奥の務めがございますから」

「えらくなどなるものではないな」

「まったくです」

 笑いあう快斎と江与だった。

 

 しばらくして快斎は甲斐姫の故郷である忍城(埼玉県行田市)に向かった。今は成田氏が城主ではないが、幕府家老の快斎には入ることが許される。しかし私事で来たのにそんな強権を使う気はない。甲斐姫もすでに他人の家になった城に入る気はなかった。

 舞鶴城の攻防戦で活躍してくれた忍衆たちのいる村へと快斎は向かった。合戦のおり甲斐姫の右腕を務めた正木丹波が出迎えた。

「元成田家家老、正木丹波です。いまは孫六と名乗っていますが」

「柴田快斎にござる」

「よされよ幕府家老が農民に頭を下げるものではないですぞ」

「いや、貴殿たちのおかげで舞鶴城は持ちこたえられた。礼を申しまする」

「なんの、姫と共に豊臣へ一矢報いられましたからな。満足しています。のうみんな!」

 丹波の家に集まっていたあの時の忍衆たちは笑顔で頷いた。

「ついては礼の品を持ってまいった次第」

「いや礼など」

「いや受け取ってもらえないと帰りに荷物になるので困る」

「は?」

 丹波の家の戸口が開くと美酒が二十斗置かれていた。柴田家の産業である清酒、それを国許から運んでもらったのだ。

「柴田家を隠居している身ですし、これぐらいしかお贈りできず申し訳ない」

「と、とんでもない!丹後若狭の清酒は美酒で有名!舞鶴に行った時にはまあ~我々は夢中になったものです!また飲めるとは!」

 丹波やその仲間たちは大喜びで酒樽に走った。

「んまーい!」

「この味を忘れられなかったんだ~」

 忍衆たちは舌鼓して美酒を飲む。

「また良い知らせも、これ」

「はい」

 すると侍女が赤子を抱いて丹波の屋敷に入ってきた。そしてそれを甲斐姫が抱く。

「丹波、私の息子の才介です」

「お、おおおッ!」

 丹波は赤子に感涙して平伏した。仲間たちも感涙した。

「それが姫と快斎殿の!」

「そうよ、かわいいでしょ」

「おお…。今日は我ら忍衆最高の日にござる…!」

「して丹波、そなたらへの褒美、これからしに行くつもりです。父の氏長(正史ではすでに故人。本作では存命とする)に会います。もう時も経たし、確執もありません。丹波も一緒に来てくれますか」

「喜んで同道いたします。これで我ら忍衆、肩の荷が降りましてございます」

 その日は忍城下に泊まり、快斎は正木丹波も連れて下野烏山城に向かい到着。甲斐姫は久しぶりに父と対面。甲斐の言うとおり年月は確執を消していた。丹波も感涙して親子の再会を見守った。快斎は親子対面に自分がいてはと席を外し、城下の居酒屋で家臣たちと一杯やっていた。

 

「さすが湯波(下野の国では湯葉をこう書く)の本場、美味いな」

「「まことに」」

「酒がすすみまする。大殿、どうぞ一献」

「うん、ありゃもう湯波なくなっちゃった。女将、三皿持ってきてくれ」

「これはお侍さんたち、下野の人じゃないね」

「ああ、噂には聞いていたが下野の湯波は美味いなあ」

「ウチはさらに特別よ、この味が分かるなんて中々の目利き、いや舌利きね。いい男だし」

「じゃ勘定少しおまけしてくれ」

「ダーメ、あっははは!」

 女将はお代わりの湯波を置いた。盛り上がっている快斎の席。そこへ

「快斎殿!」

 正木丹波が城から戻り居酒屋にやってきた。

「おお丹波殿、貴公も湯波をつまみに一献どうですかな」

「そ、それどころじゃ…」

「ん?」

 丹波から事情を聞いた。

「では…氏長殿は甲斐の生んだ子を成田家の世継ぎにしたいと?」

「はい、しかし姫は『すでに叔父御が跡継ぎと決まっているのに、我が息子が家督争いに巻き込まれるなど冗談では無い』と言い張り、また喧嘩に…」

 彼女の父、氏長の息子たちはすでに亡くなり実子で生きているのは甲斐姫だけであった。よって弟の長忠を養子として世継ぎとしていた。

「世話のやける親子だな…」

「そう言わず、取り成して下さいませんか」

「分かりました」

 

「ふん!結局父上は私など子を生む道具としか思っていないのね!だから死んだ母上にも嫌われていたのです!」

「なんだと!」

「あ、兄上、あまり興奮するとまた倒れますぞ」

「うるさい長忠!」

「甲斐、せっかく父上との再会ではないか、なぜそう尖がるのだ」

「叔父御、私はただ父上に孫を見せに来ただけです。また才介と江戸に帰る。それだけで来たのに父上が才介を世継ぎにしたいなど理不尽を言うからです!」

「理不尽を言っているのは甲斐お前だ!その男児は成田当主が儂のただ一人の孫だぞ!そんな我が儘が通ると思うのか!」

 氏長はむしろ娘が喜んでくれると思っていたから余計に腹が立つ。しかし甲斐姫の危惧ももっともだった。彼女の叔父である成田長忠が養子となり氏長に世継ぎと指名されて久しい。当然成田長忠に仕える者たちは次代当主として主君を盛り立てている。主君が大名となれば自分も出世できるのだから当然である。

 それを今さら孫に継がせると言う。筋は通っているからとはいえ長忠の家臣たちは納得できるだろうか。主君を大名としたいために赤子を暗殺することだってありうるのだ。ようやく授かった大事な息子をそんな目に遭わせたくないと思う甲斐姫を誰が責められるだろうか。何より現当主の氏長も父の長泰を放逐して家督を継いだという経緯がある。家督相続に伴う醜い争いを甲斐は知っている。

「叔父御はどうなのですか。成田の世継ぎでなくなって良いのですか」

「養子と申しても儂と兄上の年齢差はさほどない。儂が兄上より先に逝くことだってありうる。加えて儂にもまだ子供がおらんし、大名になることに未練がないと言えば嘘になるが成田家の存続を思うと兄上のお考えは正しい。また俗な申しようであるが、成田にとって柴田家先代で、幕府家老でもある快斎殿とそなたの子ならば願ってもないことだ。立場上儂はそなたの味方はできぬ」

「何より、お前はその子を将来何に据えたいのか」

 と、氏長。

「長じて兄君の勝秀様に仕えることが決まっています。丹後成田家の旗揚げも認めるとの仰せに」

「丹後成田家じゃと!別家を立ち上げると申すのか!そんなことは許さんぞ!」

「それが舞鶴城の攻防戦にて命がけで戦った忍衆への礼と殿はおっしゃって下さった!父上にとやかく言われる筋合いはありません!」

「暫時、暫時、それ以上は水掛け論、甲斐、城下に快斎殿はいるとのこと」

 と、成田長忠。

「…居酒屋で家臣と宴の最中じゃ」

「兄上、婿殿に会ってみてはいかがか。そして幕府家老として裁定してもらえばよい」

「…そうしよう、しかし飲酒している男にこんな大事を論じるつもりはない。明日に会う」

「では私は城下の宿に帰る」

「ここにいよ」

「え?」

「快斎殿に猫なで声で自分の味方についてほしい、なんて根回しされてはかなわんからな」

 ばれている。甲斐は頬を膨らませて拗ねた。

「分かりました、ふん!」

 

 翌朝、快斎が烏山城を訪ねた。氏長は上座を退き、座るよう促す。

「正直困りましたな…。今回烏山に訪れたのは甲斐と氏長殿の久しぶりの対面を遂げに来ただけですのに」

「快斎殿には私でも成田にとっては公も公の大事にござる。幕府家老として裁定をいただきたい。どうぞ上座に」

 長忠が言うので快斎は座った。

「ええと…だいたいの話は聞きました。氏長殿は才介を成田の世継ぎにしたい。そして甲斐はそれが嫌だと」

「その通りです」

「それでは双方の言い分を聞かせてください」

「では父のそれがしから。それがしは男子三人女子二人に恵まれましたが、長女の甲斐以外はすべて死にました。亡き太閤殿下との間に子も出来ませんでしたし、実子や孫での世継ぎはあきらめ弟を養子として世継ぎに指名しましたが、甲斐は快斎殿の側室となり、そして男子を生みました。それがしにとって初孫、たった一人の孫、世継ぎにしたいと思うのは自然でございましょう」

「ふむ…。では甲斐姫」

「はい、私は先代の長泰と当代の氏長の醜い家督争いも存じています。ゆえに父も早いうちに弟の叔父長忠を養嗣子としたのでしょう。そこへ孫が出来たからと申して叔父の跡目を取り消しては、どんな災いが才介に降りかかるか分かりません。才介が成人している男子ならば、母として父の氏長も叔父の長忠も噛み破って当主の座を掴めと尻も叩きましょう。

 しかしまだ才介は乳飲み子。母親の私が守ってやらねばなりません。次代当主に指名されている叔父の長忠は姪である私の子が世継ぎでも良いとの考えですが、はたして叔父の家臣たちが黙っているか疑問でございます。主君が大名になれるはずだったのに、いきなり孫に取って代わられては心中穏やかではないでしょう。私は才介に大名になってもらいたい気持ちはありません。後年に兄君の丹後守様(勝秀)の良き家臣となってくれればそれに過ぎる嬉しさはありません」

 両方筋は通っている。成田長忠と正木丹波は頭を抱えた。快斎は言った。

「よく分かりました。幕府家老の前に快斎個人で甲斐姫に伝え置くことがあります」

「はい」

「甲斐、しばらくこの快斎から暇をとらす」

「え、えええ!!」

「孫を世継ぎにしたいと思うのは当然だ。そなたは俺から離れ、この烏山にいて息子を育てよ」

「私を離縁すると!?」

「しばらくと言っただろう。それに才介が成田家世継ぎと幕府に認められれば生母のそなたは嫌でも江戸へ人質として出なければならない」

「確かにそうなりましょう。でも叔父御の家臣たちが黙っているかどうか…」

「頭から叔父の家臣たちを疑うものではない」

「でも…」

「母親としてその危惧も分かるが、息子かわいさにそなたは見落としていることがあるぞ」

「な、なんです?」

「成田家の士は坂東武者であろう」

「う…」

「俺は大坂城を築城していたので北条攻めにほとんど参加していないが、攻め入った者たちから、そのすさまじさは聞いている。みな坂東武者たちの戦いぶりを讃えていた。敵方に賞賛される坂東武者たちが当主の孫を己が欲望のために殺すか?」

「殿はずるい…」

「褒め言葉として受け取ろう。では幕府家老として裁定いたす。柴田才介を本日もって成田才介とし次代成田家当主として認める。甲斐姫は生母として才介を父の氏長殿と共に養育し、母親の手から離れだしたころ江戸の柴田屋敷にて幕府人質となること。以上!」

 成田長忠は膝を叩いた。

「これは名裁き!感服いたした!」

「氏長殿」

「はっ」

「我が息子、託しまする」

「我が孫、しかと託されました」

「甲斐」

「は、はい」

「しばらく褥を共に出来ぬのはつらいが元気でな。再会を楽しみにしているぞ」

「はい…。殿もお体に気をつけて。お酒と女子はほどほどに」

「分かったよ」

 ニコリと快斎は笑った。その夜、氏長と酒を酌み交わした快斎。

「思えば舅と婿なのに、こうして酒を酌み交わすのは初めてですな」

「まことに」

「娘御を側室にしておいて今までご挨拶が遅れて申し訳なく思います」

「いや、関ヶ原に柴田の家督相続、そんな時間などなかったことぐらい察しております」

「そういっていただくとありがたい」

「快斎殿、娘をあんなに幸せにしてもらい、父として本当に嬉しく思う」

「氏長殿…」

「なるべく早く江戸にお返しする所存、また可愛がってあげて下され」

「はい」

 

◆  ◆  ◆

 

 しばらく歳月が流れ、徳川家康がこの世を去る時が来た。

「のう快斎」

「はい」

「そなたには感謝しておる。豊臣家と我らを戦わせずに導いてくれたのはそちぞ」

「もったいのうございます」

「そして江戸の町づくりや幕藩体制の政治、本当に尽力してくれた」

「大御所(家康)のご指導があればでございます」

「ふ、ふはは…」

「どうなさいました?」

「いや思い出し笑いをしていた。覚えているか、亡き太閤殿下から各々宝物を訊ねられたことがあっただろう」

「ああ、あれですか」

 

『内府殿も関八州の国主だ。儂も今まで名物を色々と蒐集したが、内府殿にはどんな宝がおありか?』

 と、ある日聚楽第で秀吉が家康に訊ねた。

『いえ、手前はやりくりが下手でそんな宝物は手に入れておりませぬ』

『そう、謙遜されず。何かこれはと云うものがあろう』

『強いて申せば…』

『うんうん』

『家臣たちにございます』

 場は静まり返った。当時名物を掻き集めていた秀吉に対して部下が宝と云うのはとんでもない皮肉である。しかしその静寂を破ったのもまた家康であった。柴田明家に話を振った。

『越前殿は何かあるのかな?丹後若狭は豊かと聞くが』

『いえ、それがしにはそんなもったいぶる宝物はございません』

『はたしてそうかの?いつも宝、宝と言っているものがあると聞くが』

 家康の意図を読んだ明家は返した。

『ここで言うのは少し照れくさいのですが…それがしの宝は妻のさえです』

 明家が言うや、場はドッと笑いの渦となった。家康も笑い、そして秀吉も笑いに乗って家康の皮肉を流した。

『いや~熱い熱い、まったく熱いのォ、あっははは!』

 

「そんなこともありました…」

「うらやましいと思った…。儂も正室築山を宝のように愛していた。だが息子信康と共に殺すしかなかった…」

「大御所様…」

「のう快斎、もう二度と儂のようにどんな理由があろうとも夫が妻を、親が子を殺すなんて天魔の所業をせざるをえん世の中ではならぬ」

「仰せのとおりです」

「秀忠を儂同様に立ててくれ、頼みましたぞ」

「心得ました」

「最後に言おう隆広殿」

 旧名の隆広と呼ぶ家康。

「はい」

「そなたはの…。儂の長男信康にそっくりなのだ。顔ではない。しぐさや言動がな…」

「え…!」

 快斎はかつて信康正室の五徳が自分を信康と見間違えたことを思い出した。

「長じておれば、こんな武将になっていただろうと思うこと何度もあった」

「大御所様…」

「だからといって儂はそなたを重用したのではない。そなたの才が天下の才であるからだ。しかし信康の面影がある者が儂の最大の味方になってくれた喜びを感じずにはおれぬ…」

「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は我が人生が師、師といえば父も同じ、息子のように思っていただけたこと、心より誇りに思いまする!」

「左様か、嬉しいわい…」

 家康は秀忠を見た。

「秀忠」

「はい」

「何事も義兄上と相談してな。義兄上を儂と思い、頼りとせよ」

「父上…!秀忠しかと!」

「ふむ…」

 そして徳川家康は波乱に富んだ人生に幕を閉じた。

 

 家康の死から数日後、快斎は二代将軍秀忠に進言した。

「九度山に蟄居させている真田を許せと!?」

「はい」

 秀忠は露骨に不快な顔をして快斎から顔を背けた。

「上様は関ヶ原遅参の原因を作った真田昌幸と信繁親子が今でも憎いですか」

「当然であろう」

 関ヶ原の合戦のあと、家康は真田親子を処刑しようとしたが、昌幸嫡男の信之(信幸から改名)の助命嘆願を受け、紀伊の九度山閉門蟄居で許した。秀忠はそれでも気がすまなかったのか、信之を真田長年の地である上田から松代に移封させている。すでに父の昌幸は他界しているが、息子信繁は健在である。

「上様、かの唐土の斉の桓公は自分の命を狙った管仲を宰相に抜擢しました。処刑を待つだけであった管仲は桓公の計らいに感動し、その後は名補佐役として、やがて桓公を春秋一覇(中国春秋時代、最初の覇者)とさせました」

「…ならば快斎はその管仲を推薦した鮑叔牙と?」

 鮑叔牙とは桓公の学問の師で、管仲と親友であった。鮑叔牙は弟子であり主君である小白(桓公)の命を狙った管仲を宰相に推薦したのである。最初は固辞した桓公だが、やがて鮑叔牙の意見を入れ宰相とした。それが名宰相管仲である。

「仰せのとおり、手前が鮑叔牙の立場と相成りますか」

「真田信繁は戦人、管仲にはならぬ者と見るが?」

「確かに信繁殿は策士や行政官の人ではありません。しかし権現様(家康)や上様に苦杯を飲ませた真田昌幸の教えをもっとも色濃く継承している方です」

「もうこの国に戦はない。そんな男など不要ではないか」

「戦がないからこそ、武の気概を将軍家が無くしてはなりません。徳川はこの国を束ねるため、強い武家でなくてはならないのです。勇猛果敢な信繁殿を召抱えることは徳川の強さとなり、またかつての敵将を厚遇すると云う上様の度量を示すことも適います」

「なるほど、それが『ことは何ごとも一石二鳥でなくてはならぬ』と云う快斎の持論か」

「その通りです」

「うーむ、しかし真田は少なからず余を侮っていよう。従うであろうか」

「『男子三日会わざれば括目して見よ』と云います。上様は関ヶ原当時とは違います。私の知る真田信繁ならば、一目でそれは分かるはずです」

「ふむ…」

 秀忠は立ち上がり、城の間口から景色を見た。遠くを見つめながら考え、やがて言った。

「父の家康も完敗した信玄公の遺臣を用いた。余にとって真田昌幸は信玄公にあたる」

「確かに」

 フッと笑う秀忠。

「父に倣ってみるか」

 静かに微笑み、うなずく快斎であった。紀伊の九度山で悶々とした日々を送っていた真田信繁は秀忠の申し出に感涙し、やがて江戸城に召され、関八州に二万石を与えられた。真田信之と別家の大名として再興され、そればかりか信繁は幕閣に取り立てられた。

 信繁と改めて会った秀忠はその見識と器量に惚れこんだ。信繁もまた、とても関ヶ原の戦いに遅参し醜態をさらした者と思えないと秀忠を認めて仕え、やがて『備前守』の官位を与えられた。真田備前守信繁である。

 真田信繁の功績で大きいのは幕府創造期の治安維持であった。二代秀忠の時代にはまだ関ヶ原の戦いで主家が取り潰され、禄を失った武士が山ほどいた。その武士は夜盗と化し、村や町を襲う。それに毅然と立ち向かったのが信繁である。信繁は各大名に仕え活躍の場がなくなった忍者たちを召し抱え幕府の警察機構とした。これが『火付け盗賊改め方』の走りであり、その初代長官が真田信繁と云うわけであるが、このころは江戸の町だけではなく徳川の領地内すべてに及んだ。

 こんな話が残っている。二百人ほどの海賊がある漁村を襲うと云う情報を得た信繁はそれを待ち受けて鉄砲隊で皆殺しにした。生き残った者が信繁の前に連行され

「俺たちはこうするしか生きていけないんだ。主家が幕府に潰されさえしなければ、こんなことをせずに済んだ。女房子供を食わせていくには奪うしかなかったんだ!」

 と、憎しみを込めて信繁に言った。しかし信繁は

「ならば幕府と戦って奪え。弱い者から奪おうとする貴様らに同情の余地はない。ましてや食料や財貨だけならまだしも女たちを奪うなら今の貴様の論は説得力のかけらもない」

 と冷徹に言ってのけた。信繁は徹底した賊徒討伐を行い、やがて信繁は賊徒のたぐいから鬼のように恐れられた。ある山賊にはこう言っている。

「奪う前に努力はしたのか。武士でいられなくなったのなら何故帰農しない。商人として出直すなり漁師になるなり、いかようにも女房子供を食わせていくすべはあったはずだ。その努力をせずに安易に略奪に走るお前らにかける情けはない」

 まさに鬼のように情け容赦なかった。これを秀忠は黙認していたのだから、あえて憎まれ役を買って出ている信繁を認めていたのだろう。しかし、この信繁の厳しさが幕府創造時の犯罪を激減させ、農民や町民たちは安心して仕事に励むことが出来たのである。召抱えられた忍びたちはやがて現在の警察や消防の仕事を担当するようになり、真田信繁は警察史や消防史にもその名を残すこととなる。

 

「だいぶ夜盗のたぐいが減ったと聞く」

 真田信繁と酒を酌み交わす柴田快斎。二人だけだと気さくに話す約束だった。

「そのようだな。しかし一歩間違えれば俺も夜盗になっていたかもしれないわ。食うためには盗むしかない、これもまた道理だ」

「でも聞いているぞ。備前は徒党を組んで村や町に押し込んで強盗を働いた者には容赦なかったが、一方での老婆が病気の孫に食べさせたいと作物を盗んだ時は見逃したとか」

「…強い者が弱い者から奪う世は終りにしなければならない。弱肉強食は畜生の道理。人の世は強い者は弱い者を守ってやる。絵空事かもしれぬが戦国乱世に散っていった男たちを思えば…そんな世にしたいではないか」

「そのために『火盗改め』と云う損なお役目を引き受けたのか」

「誰かがやらなければならないことだ」

「ふふ、治部と同じようなことを」

「ははは」

 

 数日後、快斎の息子の勝秀が快斎の屋敷に訪れた。現当主の勝秀の江戸屋敷は別にあるが父母を訪ねてきたのだ。

「元気そうだな勝秀」

「はい、父上もお変わりなく」

「家の様子はどうか」

「柴田家に名古屋城の築城が命じられました」

「どの箇所だ?」

「本丸です」

「そうか、柴田家の築城の腕前を評価されてのことだ。他の大名に後れを取るでないぞ」

「はい」

「しかし名古屋か…」

「確か、殿が信長公より与えられかけた地にございますね」

 と、さえ。

「うん、もしあの時にその下命を受けていたら、俺はどうなっていたかなあ…」

「織田軍東海方面の軍団長となっていたのですから、もしかすると太閤殿下にも勝っていたかも」

 さえが言うと勝秀が続けて言った。

「いや、父上なら本能寺の変も阻止できたかも!」

「そんなことにはなるまいさ。しかし信長公が死ななかったら、今ごろ天皇は生きていなかったろう。あの方は征朝(天皇を討つ)を本気で考えていた」

「恐ろしい方でしたね…。じゃあもし、征朝がもし実行されていたら、殿も参加しましたか?」

 さえが聞いた。

「なんだ、話が変な方に逸れているな」

「うふ、確かに。でももし信長公が生きていたら…なんて話すのは面白いではないですか」

「征朝への参加は…まあ父勝家の決断によってだったろうな。隣の唐土などは王朝が何度も変わっているんだ。日本は神武天皇の時代から変わっていない。信長公が新しい王朝を作ると言い、父も従うと言うのなら俺も征朝に加担していただろう」

「それが成就していたら…」

「さあなあ…。新時代を作り上げた功臣の一人となったか、または稀代の極悪人の手下となったかのいずれかだろう」

「しかし父上」

「ん?」

「そのどちらになっていたとしても、まだ乱世は続いていたと存じます」

「その通りだ。あやうく孫の、いや下手すれば曾孫の代まで戦の世を続けてしまうところであったが、幸いそうはならず、戦がない天下泰平の今の世が訪れた。俺はそれが嬉しい。そして」

 フッと笑う快斎。

「その世を作るに尽力できたことが何より誇りだ」




次回、最終回です。

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