木曽川の石投げ合戦(前編)
織田軍の武田攻め、あの武田信玄が作り上げた武田家が織田と徳川の猛攻に風前の灯火である。武田勝頼にとって最後の合戦になる鳥居峠の合戦。織田軍の大将は織田信長の嫡男の織田信忠である。その寄騎を務めるのは滝川一益と水沢隆広であった。信忠軍は信濃を進軍していた。その信忠軍に美濃金山城主の森長可が合流、軍議となった。
「当方は武田軍の三倍に近うございます。そしてこの鳥居峠の地形を見ますに、挟撃策を用いるのが得策かと存じます」
と、水沢隆広。
「待たれよ、それでは兵力分散の愚となるではないか」
森長可が反論。しかし結局信忠は隆広の策を入れた。長可は隆広と共に別働隊となった。しかも信忠は長可に『隆広の差配に従うように』と釘を刺した。頭に湯気を出して長可は自陣に戻った。
「何であんな若僧の采配に従わなければならないのだ。儂は信長様の直臣!水沢は柴田家臣で織田の陪臣であろう!」
老臣が諌めた。
「殿、お気持ちは分かりますが総大将の下命にござる。森は従うしかございませんぞ」
「分かっているわ!」
「滝川様は何も言われなかったので?」
他の家臣が問う。
「岩村攻めから同道していたので情でも移ったのではないか。『ふむふむ、さすが隆広じゃ』と来たもんだ!」
滝川一益はこの武田攻めにおいて主君信長の下命により若殿信忠の寄騎武将を務める事となった。若殿の寄騎は良い。しかし自分と共に信忠の両翼を担うのが、まだ十九歳の若者で、かつ陪臣の身である水沢隆広と云う事が最初は気に入らなかった。
美濃岩村城を陥落させた後、信濃の大小の砦や城を落としつつ進軍していたが、隆広は何やら信忠の軍師のよう。気に入らない。ある小城を攻める時であった。信忠は城攻めの陣構えを隆広に任せた。とうとうヘソを曲げた一益は『あんな小僧の差配に従えるか』と好きなように陣を構えた。そこにいそいそと一益の気に入らない水沢隆広がやってきた。上将の一益に慇懃に、しかもニコニコしながら歩み
「さすがは伊予様(一益)、備えの場所、旗の立て方、兵の配置など、それがし大変勉強になります。中将(信忠)様も感服しておりました」
と、大絶賛した。意固地になっていた一益も気をよくして
「ははは、明日の織田を担う若い二人の手本となれれば幸いじゃ。うわははははは」
そう上機嫌で返した。そして水沢隆広はさりげなく、
「あの一隊をもう少し右方、そして、あちらの三隊をもう少し後方に下がらせれば、なお一層見事な陣立てになるのではないか、と中将様は述べていましたが…」
と呟いた。一益にはそれが隆広の考えと分かったが、先に褒められていた手前もあって文句もつけられず、承知してその通りに陣替えの指示を出した。隆広が去った後に一益は家老に
「あの小僧、中々やるものだ。あれでは反対もできぬわ」
と言って苦笑した。褒めながら従ってもらうと云うこの方法は彼の師である竹中半兵衛が妙手で巧みであった。竹中半兵衛譲りの『褒めて従ってもらう』を活用していた隆広、さしもの一益も隆広を認め、鳥居峠での作戦にはほとんど異論を挟まず『ウンウン』と頷いているだけであった。長可は不満であったが軍議で決まった作戦には従わなくてはならない。老臣が
「水沢殿はおいくつでしたかの」
と長可に訊ねた。
「十九と聞いている」
「ほうう~。かようなお若さで大したものですな」
「感心している場合か!ああ面白くない」
「申し上げます」
使い番が来た。
「何か」
「水沢隆広殿、当陣にお越しにございます」
「…適当なトコにお連れし待たせておけ」
「は?」
「儂は軍議中じゃ!」
「は、ははっ!」
隆広は使い番に案内され、そこで長可を待った。
「…武蔵殿(長可)は隆広様の見越したとおりヘソを曲げておられる様子ですな」
と、奥村助右衛門。
「うん」
「まあ無理もありますまい。自分は信長様直臣なのに、采配を執るのは陪臣で十九の若者、隆広様の事をよく知らない武蔵殿では腹に据えかねるのも仕方ないかと」
「でも別働隊の指揮は俺が執る事になってしまった。武蔵殿がヘソを曲げたままでは勝てる戦も勝てない。とても困る」
「確かに。何とかせねばなりますまいなぁ」
一刻(二時間)、隆広主従は待ちぼうけを食わされた。申し訳なく思った先ほどの使い番が酒を持ってきた。今の信濃は寒い。暖を取ってもらおうと云う事だ。
「酒など…」
「遠慮なさらず、ただいま火も熾しますゆえ」
「かたじけない」
「……」
使い番の若者は隆広をジロジロ見つめる。
「…何か?」
「…間違えたら申し訳ございませんが…貴殿は竜之介殿か?」
「ええ、幼名竜之介ですが…あ!」
「やっぱりそうか!つるピカはげ丸でないから分からなかったよ!」
「耕太じゃないか!久しぶりだな!」
肩を抱き合う二人、予期せぬ展開に戸惑う奥村助右衛門に紹介した。
「助右衛門、彼は俺が金山にいた時に友となった男なんだ!」
「ほう、ではあの石投げ合戦の?」
「そうなんだ、懐かしいなぁ」
「そうだな、まったく勝ち逃げしやがってお前はズルいぜ」
「い、いや、あっははは!」
「ちょっと待っていろよ!みんな呼んでくるから!」
「え?」
「石投げ合戦の敵味方、みんな揃っているぜ!」
しばらくすると森家の若者たちが隆広のところへやってきた。
「おおお!竜之介!」
「あ、鮎助!なんでお前が森の陣にいるんだ?」
「そりゃこっちが言いたいぜ!懐かしいなあ、長庵禅師様はご達者か?」
「い、いや、亡くなった…」
「え、あ…。す、すまん」
「いいんだ、しかし鮎助、一領民だったお前がどうして?」
「ああ、あの後に可成様に足軽として召抱えられたんだ。で、可成様亡き後は長可様に仕えているんだ」
「そうだったのか」
しばらくして長可はやっと隆広のいるところへと向かった。すると隆広のいる場は何か宴会のように騒がしい。
「なんだ?」
長可が陣幕を払い入っていった。
「おい、殿だ!」
若者たちは平伏した。
「何をしていたのだ?」
「武蔵殿、彼らはそれがしと幼馴染でしたゆえ、昔話に花を咲かせていたのでございます」
と、隆広。
「幼馴染?」
「はい」
「意味が分からん、ではその方、金山にいた事があるのか?」
「ええ、十歳の時に」
「十歳…?もしや貴殿は乱(森蘭丸)と木曽川で石投げ合戦をした小坊主か?」
隆広は照れ笑いを浮かべ、答えた。
「ええ、そうです」
「水沢殿が…!これは驚いた」
「そして、彼らはその石投げ合戦をした仲間たちです。敵も味方も、みんな仲間です」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
美濃金山城、織田信長に仕える森可成の居城である。後年の柴田明家がこの城を訪れたのは十歳の時であった。養父長庵は金山城下に庵を持っていた。しばらく正徳寺から離れ、人が多い城下町で養子竜之介の教育をしようと思ったのだ。そして長庵と竜之介が金山を通る木曽川のほとりを歩いていたら河原で泣き叫んでいる少年がいた。
「ふみ、ふみーッ!!」
「父上、何かあったのでしょうか」
「ふむ…」
僧侶二人が歩いてきたのを少年が気付いた。兄は竜之介と同年ほどの少年で、妹は七歳くらいであった。
「お坊様!妹を助けて下さい!」
少女はすでに息をしていなかった。心臓も止まっていた。兄妹はずぶぬれであった。そしてケガもしていた。今の美濃国は冷えて川の水は冷たく流れも急である。それなのに木曽川に飛び込む事になったのはよほどの事情があったのか。
「竜之介、儂は火を焚くゆえ、女童の治療をやってみよ」
「はい」
竜之介は少女を仰向けに寝かせて着物を脱がせた。
「確か…乳首と乳首の真ん中だったな」
少女の着物を脱がせた竜之介に怒る兄。
「何すんだ!」
「まあ、見ておれ。見たところ心の臓が止まり、まだ一寸しか経っておらん。うまくいくかもしれん」
横たわる少女の真横に折り膝で座る竜之介。
(そこに右手を置いて垂直に押す…。それを二十から三十続けて…)
竜之介は首を持ち上げ、ふみの口に口を合わせて息を吹き込んだ。
「ああ!ふみにせっぷんするなんて!」
「いいから見ておれと云うに」
今日で言う心肺蘇生法である。水沢隆家に仕えていた藤林忍びが持っていた医療技術で、それが隆家に、そして竜之介に伝わっていた。
「ゴホッ!」
「やった!おい分かるか?」
「う、うう…痛いよ…寒いよ…」
「ちょっと待っていろよ」
そして自分の着物を脱いで少女に着せた。
「少し汗臭いかもしれないがガマンして」
「は、はい」
「ふみーッ!!」
「あんちゃん!」
兄妹は抱き合った。少年は涙が止まらなかった。心臓が止まった妹が蘇生したのである。竜之介に何度も平伏して礼を言った。
「ありがとう、ありがとう!」
「いえ、困った時はお互い様です」
「こちらにこい、火が焚けたぞ」
長庵が呼んだ。まだ歩けない女童を竜之介は両腕で抱き上げた。女童は頬を染めた。
「あ、ありがとう(ポッ)」
暖をとり、ようやく落ち着いた兄妹。少年は話した。金山城下で食べ物を盗み、棒を持った大人たちに追いかけられ殴打された。しかしそれであきらめていたら腹を空かせた妹に何も食べさせられない。しかし再び見つかり追いかけられた。何とか振り切ったが、大人たちは兄妹が雨露をしのいでいる橋の下にやってきて襲ってきた。やむをえず兄妹は冷たい木曽川に飛び込むしかなかったのだと。
何とか岸にたどり着いた頃には幼い妹はチカラ尽きていた。それを長庵親子に助けられたと云うワケだ。
「ぐすっ…。父ちゃんは森家の戦に借り出され討ち死にしたけど…森の家は何もしちゃくれない。母ちゃんは俺たちを育てるために無理をして死んじまった。神も仏もあるもんか」
「そうか、つらき目にあったな」
と、長庵。
「よし、何かの縁だ。儂と一緒に来い」
「え?」
「下働きで置いてあげよう。望めば学問も教えてやる」
「ほ、本当ですか!」
織田家を震撼させた猛将の水沢隆家であるが、斉藤家中でもっとも女子供に慕われた大将であった。それは何より女子供に優しい男であったからである。それを受け継ぐ竜之介。
「家族が増えて嬉しいや。二人とも、一緒に来なよ」
「あんちゃん!」
泣き出す少年。
「う、うう、こんな世の中に生き仏のような方に出会えて嬉しい…」
「儂は長庵と申す」
「俺は竜之介!」
幼き兄妹も名乗った。
「俺は鮎助と言います」
「わたしはふみ」
こうして兄妹は長庵の庵に居候となった。兄の鮎助と妹のふみは下男下女として働いた。下働きだけど楽しかった。三度の食事は食べられたし、何より学問ができるのが喜びだった。鮎助は竜之介の鍛錬の相手を務め、ふみは幼い頃に父親を亡くしていたので父の面影を見たか長庵に甘えられるのが嬉しくてたまらなかった。
鮎助は勉強熱心だった。文字も知らなかったが真綿が水を吸収するかのように学問を身につけていった。後に森家に仕える鮎助は、長庵より受けた学問が武将となった時に大きな財となっている。
学識ある僧が子供に学問を教えている。それを聞いた金山城下の民が私の子にも、と頼みに来た。大人数の中に養子を置くのも竜之介への修行。長庵は受け入れたのだった。そんなある日…。
「キャー!乱法師様よ~♪」
「いつ見てもお美しい…」
金山城下、徒党を連れて歩く大将気取りの少年。名は乱法師、後の森蘭丸である。乱法師は美少女と見まごうばかりの美童で、城下の娘の人気を独り占めだった。城下町に住む少年たちは極めて面白くない。城下の茶屋で一服していた竜之介は乱法師の徒党を見た。
「なんだアレ」
「おや、知らないのかい小坊主さん、あれが可成様の三男乱法師様よ♪ ああ、なんて美しい…」
茶店のいい歳した女主人までが胸をときめかせている。
「あれが森の乱法師か…」
乱法師は得意そうに歩いている。その後ろ姿を見て竜之介。
(顔は女子のようにキレイだが性格は悪いようだな、あの若君)
『教うるは学ぶの半ば』と云う。竜之介は時に養父に代わって講義などを任された。教える事が出来て、初めてその知識は本物と云うのが長庵の持論である。最初は侮っていた少年たちだが、中々に弁舌巧みで講義に引き込まれてしまう。少年たちは長庵を禅師様と呼び、竜之介を小禅師様と呼ぶ。鮎助は外で薪割りをしていた。それを手伝う妹ふみ。
「あんちゃん」
「何だよ、よいしょ!」
斧で薪を割る鮎助、中々手並みがいい。そしてふみが割る薪を切り株に置く。
「ねーあんちゃん、聞いて」
「何だよ」
「ふみ、竜之介さんのお嫁さんになりたい」
「はあ?」
「だってふみの命の恩人だし…」
顔を赤らめて恥ずかしそうに言うふみ。
「ふみの命を救う時にふみにせっぷんしたんでしょう竜之介さん、責任とってもらわないと」
「ありゃせっぷんじゃない、治療って言うんだ」
「ずいぶん難しい言葉を知っているね、あんちゃん」
「まあな、禅師様に色々と教えてもらっているから」
「あ、話を逸らさないでよ!ふみ竜之介さんのお嫁さんになるの」
『なりたい』から『なる』に発展してしまっていた。
「だって竜之介さんカッコいいし頭もいいし優しいもん」
「竜之介は仏門にある男、妻はもらわん。あきらめろ」
「やだ」
「やだでもまだでも無理なんだよバカ!」
「あんちゃんのバカ!」
拗ねて庭から走り去るふみ。
「あ、おい薪割りを手伝えよ!」
ポリポリと頭を掻く鮎助。
「そりゃあ俺だってふみと竜之介が夫婦になりゃ嬉しいさ…」
城下の中央広場から祭囃子が聞こえてきた。
「そういえば今日は夏祭りか…」
この金山城下の夏祭りが、日本史史上において一番有名な『子供のケンカ』となる『木曽川の石投げ合戦』の発端となる。
竜之介は鮎助やふみと一緒に夏祭りに出かけた。乱法師も子分たちを連れて出かけた。乱法師が出てくるとまたぞろその場にいた女たちが色めき立つ。竜之介も後年に絶世の美男子と言われるが、いかんせん今は坊主頭。女の黒髪のような鮮やかな長髪をなびかす乱法師に当時とうてい及ぶものではなかったのである。『容姿端麗と云う形容すらあたわず』とも言われた乱法師の美貌は相当なものでなかったのではないか。齢十歳ほどだが幼女から老婆までとりこにする美貌である。だが性格は悪かった。
「乱法師様あ~♪」
「一緒に踊りましょう♪」
「あははは、女たちよ、共に夏を楽しもうぞ」
こう一声出すだけで女たちはメロメロ、乱法師は声もまた透き通るような美声だった。大名の息子で美男美声、天は二物を与えずと云うのがウソつけといいたくなるほどに乱法師はみんな持っている。
隣の家の愛しい娘も、やっとの思いで今回の夏祭りに誘えた恋しい娘も、みんな乱法師へと行ってしまった。いくら領主の息子だからと云って、もう我慢の限界。モテない男のヒガミと言われようととっちめてやろうと思う。
だが乱法師は十歳、いくら何でも袋叩きにしたら親父が許さないだろう。同じ世代なら問題ないが…と青年たちが歯軋りしていると、乱法師のモテモテぶりに不愉快感を持っているのは乱法師と同世代の少年たちも同じ。
「俺のみよちゃんがァ…」
「俺のさきちゃんが乱法師に…」
と、ベソをかくがだんだん怒りが湧き出て、ついに爆発。一人、長庵から教えを受けている早苗介が踊る乱法師に
「果し合いだあ!」
と怒鳴った。つまり日本史で一番有名な子供のケンカ『木曽川の石投げ合戦』はこういう経緯で端を発したのだ。森家と柴田家の家伝にもこのケンカは記されているのだから、歴史に残る子供のケンカなのである。だが乱法師は無視。踊りながら町娘の豊満な乳房の間に顔をうずめている。
「こ、このヤロ~ッ!」
齢十歳のくせして女の尻も触りまくる乱法師、それをまた女が喜んでいる。
「酒を飲める歳でもなかろうに…あの乱れぶりはある意味スゴいな」
遠目で見て苦笑する竜之介。
「おい!人が果し合いを申し込んでいるんだ無視するな!」
「あーん?何か不細工が言っているな」
ドッと笑う女たち。もう早苗介だけの怒りではない。長庵に教えを受けている彼の同門の少年たちも果し合いだと乱法師に迫る。
「竜之介さん、面白そう」
「確かに。なあ鮎助…。と、いない…て、おお!?」
いつの間にか鮎助も乱法師に果し合いを申し込んでいた。
「何してんだお前!」
「何もさってもあるか!こいつ許せねえ!」
「しかし美男子なんだから仕方ないだろ」
「ア、アホッ!そんなんでコイツが気に入らないのじゃない!ちまたにゃ俺たち兄妹みたいに二親も家も無くした子供がたくさんいるってのに何だあれは!」
「あんちゃんがんばれーッ!」
事情を全然分かっていないふみは兄を応援。
「おお任せろふみ、あんちゃんの雄姿を覚えておけよ!」
「おい」
乱法師の徒党の一人である耕太が鮎助にすごんだ。
「それは殿のご政道への批判と取れるが?」
「ああ、そう取ってもらっていいさ、俺のオヤジは森の兵に借り出され討ち死にした。オフクロは俺たち兄妹を育てるため苦労して死んじまった!なのに何だあの若君は!顔がきれいなだけのロクデナシだ!」
「きさま!」
耕太が鮎助を殴打。
「やりやがったな!」
鮎助も耕太に飛び掛るが、あっさりかわされた。
「ふん、あっけなく討ち死にした者の息子など、しょせん腑抜け。己が非力を当家の責任にするな!」
そして刀を抜いて肩を峰打ち。
「あう!」
「あんちゃん!」
ふみが鮎助に駆け寄り、耕太を睨む。
「おいおい、妹に助けてもらう腰抜けかアイツは」
乱法師が言うと徒党の者は大爆笑、激怒した早苗介は持っていた刀に手をかけた。だがその時。
「やめよ!」
長庵が来て怒鳴った。
「禅師様…」
乱法師に喧嘩を売っていた少年たちは長庵に叩かれた。
「ならぬ堪忍、するが堪忍であるぞ!短慮を起こしおって!」
「「は、はい…」」
早苗介たちは引き下がった。
「乱法師殿、愚僧は彼らの学問の師である長庵。監督不行き届きを詫びまする。弟子たちの短慮、お許し下さい」
地に平伏する長庵。
「「禅師様、おやめ下さい!」」
弟子たちは居たたまれなくなり止めたが、長庵は弟子の短慮は自分の責任として童子の乱法師に平伏して謝る。かつて織田家を震え上がらせた猛将水沢隆家。その平伏にさえ威厳がある。乱法師は気圧され、
「い、いえ、それがしこそ言葉が過ぎました。お手を上げて下さい」
と、返した。
「かたじけない」
立ち上がり、養子と弟子たちに一喝した。
「さあ帰るのだ!」
「「はい…」」
帰る長庵の背を見る乱法師。
「すげえ迫力…。ただもんじゃないぜ、あの坊さん…」
そのまま竜之介も帰っていった。目には怒り。許せない、親友を腰抜けと呼んだ男を。そして討ち死にした親友の父を侮辱した事を。
「このままでは済まさない…」
ついに堪忍袋の緒が切れた竜之介だった。