金山城下の夏祭りから数日後、乱法師宛に文が届いていた。毎日のように乱法師には女たちから恋文が届く。竜之介はその情報を掴み、乱法師が直接目を通す文を送れる事を可能である事を知り、『さよ』と云う女名前で乱法師に文を送った。
「なんだ、ずいぶんと達筆な恋文だ…」
と読み出したところ、内容は恋文ではなく挑戦状だった。
『乱法師殿、三男とはいえ、いずれは森の家を背負う男でございましょう。民の目線でものを見る事が出来ない者がどうして人の上に立てますのか。お父君の可成様は信長様の信頼厚き名将であり、兄君の長可殿は信長様に将来を期待されているお方でございますが貴殿はとうていそれに及ぶ事は出来ますまい。いにしえの唐土に伝わる阿斗がごとき者である』
阿斗とは三国志にある劉備玄徳の息子劉禅の事で、中国ではダメな二代目の代名詞となっている。無論、乱法師もそれは知っている。ダメな二代目の象徴のような男と例えられ、乱法師は激怒。文はまだ続く。
『我々は先日に貴殿に謝罪を請いし長庵が弟子たち。師がああ申しても怒りは収まりません。貴殿が女子に過剰な好意を持たれる事を妬んでではございません。一人が言った“ちまたには二親と家を無くした子供も多いと云うのに”が理由にございます。貴殿は森家の若君に関わらず、その民の苦しみと悲しみも知ろうとしていない。我々は森家の民として非常識な三男坊に鉄槌を下す事にいたしました。何より森家のために討ち死にした兵を侮辱するとは何たる振る舞いにございますか。貴殿が発した言葉ではないものの家臣の不心得な発言は主君の責任です。その責任を取ってもらいます。我々は貴殿に戦を申し込む』
「上等だコノヤロ!」
「兄上、どうしたのです、そんなに怒って」
弟の坊丸と力丸が来た。
「おお!見ろこれを!」
挑戦状を読む坊丸と力丸。
「うひゃあ、当たっているだけにキツい」
「何か言ったか力丸!」
「いえ別に…」
「でも兄上、戦って…。この石投げ合戦でやるの?」
と、坊丸。文には戦の指定もあった。
『当方は町民と農民、そちらと異なり武術の訓練は受けていないから不利、一つだけ指定させていただきます。この合戦は『石投げ合戦』としたい。陣地から石を投げあい、戦闘不能になるか、本陣に立てた旗を取られたら負けと云う事にしたい。これなら条件は同じ。よもや断るとは申しますまいな。決戦は三日後の正午、木曽川の河川敷、乱法師殿のご武運を祈る』
「石投げ合戦だろうと何でも良い!ギッタギタにしてやる!」
まさか自分たちも参加せよと言われるのではと危惧した坊丸と力丸。それは的中する。この日から乱法師は手下を集めて石投げ合戦の訓練を始めた。
一方、長庵の庵。机上に乱法師への挑戦状の写しがあり、かつ乱法師から挑戦を受ける旨が知らされてきた。長庵も知る事となったが、堂々とした戦なら別に文句ないと考えたのか、特に何も言わなかった。
少し時間をさかのぼるが乱法師に喧嘩を売る事を決めたのは鮎助である。鮎助が同門の少年たちに戦を挑もうと言った。この時に長庵の教えを受けていた者はふみを入れれば十五人ほどであった。鮎助の檄に応える早苗介。
「よおし!乱法師に目にもの見せてやるぞ!」
戦意が高まる一同。
「小禅師様、貴方も加勢してくれるな!」
竜之介が云うより早く早苗介が言った。竜之介は長庵に変わり教鞭を執る時があるため『小禅師様』と呼ばれていた。
「当たり前だよ、あの態度には頭に来た。ところでみんな、戦を挑むと云うが具体的にどうやって?まさかあのアホ(乱法師)が城下町を徒党連れて歩いて得意顔している時に奇襲でもすると?」
「それもいいな、オイラたちの桶狭間だ」
庵助と云う少年が頷いた。
「庵助はそれもいいらしいが、鮎助や早苗介はどう思う?」
「いや、それじゃダメだよ。たとえそれで勝っても禅師様のお顔に泥を塗る。やはり堂々と戦って勝ちたい。そうでなければ俺はさきちゃんに『卑怯者』って嫌われちゃうよ。堂々とやって勝ったら、さきちゃんも俺の事を見直すと思う」
「早苗介の片想いが上手くいくためにやるんじゃないぞ!」
「分かっているよ鮎助、でも俺にはこれが戦う理由なんだよ!さきちゃんは乱法師が好きなんだ。だから俺負けたくないんだ!」
「分かるぞ早苗介!小禅師様、さっき俺が奇襲に同意した事は無しにしてくれ!やっぱり俺もみよちゃんのために堂々と戦って勝ちたい!」
庵助も堂々と戦う事を決めた。奇襲ではなく正々堂々と戦おうと云う意見に落ち着いた。他の者も恋しい娘にいいとこ見せたい気持ちでいっぱいだ。
竜之介、この当時からしたたかなもの。奇襲を軽く持ちかけ、仲間たちにそれを拒絶させ堂々の合戦をさせる事に至らせた。そうこの喧嘩は大人たちのように領地の奪い合いじゃない。それはやったモン勝ちの大人の戦。しかしこの竜之介対乱法師の戦は子供の喧嘩とは云え自分たちの誇りを賭けた戦い。卑怯な奇襲では意味が無いのだ。
「竜之介さんはふみのためよね!」
「え?」
「ふみにイイトコを見せて!あんちゃんどうせダメだから」
「おい、ふみ!」
「だって夏祭りの時に刀で打たれたじゃない。カッコ悪い」
そう言いながら倒れた兄の元に行き、打った耕太を睨んだふみ。何だかんだと仲の良い兄妹だ。
「じゃあ見ていろ!あんちゃんの雄姿を見せてやる!」
「がんばってあんちゃん!」
「おおよ!」
「よし、ではみんな堂々と戦おう」
と、竜之介。
「「おおっ!」」
「しかし、相手は武家の子弟、みんな武芸の心得は?」
全員首を振る。武家の子は幼少より武芸の手ほどきを受ける。乱法師とて刀槍の心得は十分。武士の子には喧嘩を売るな、これが町民農民の子の常識である。
「では正面から戦っても勝ち目はない。とはいえ奇襲も卑怯。となれば…」
そこで竜之介が提案したのが『石投げ合戦』であった。
「作戦を説明する」
目の前で図面を広げて、丁寧に説明する竜之介。
「それなら勝てるかも!」
「さすが小禅師様だ」
早苗介と庵助も頷いた。
「では石投げ合戦でやろうと乱法師に挑戦状を送るぞ!」
「「おおっ!」」
「ではみんな、挑戦状を書くのは竜之介、ではなく総大将にお任せして我らは道具作りと訓練だ!」
と、鮎助。
「「よしっ!」」
「総大将ォ?」
「そうとも竜之介!お前は小禅師様としてみなの師でもあり、作戦を立てた男、総大将になってもらうぞ、頼むぞ!」
「わ、分かったよ…」
日本史一番有名な子供の喧嘩、『木曽川の石投げ合戦』まで三日!竜之介の作戦とはどんなものであったのだろうか。
「ほう、石投げ合戦としたか」
「はい、我らは武士の子弟ではないので武芸の心得は私以外ありません。ならば道具と工夫で行くしかありません」
「ふむ」
「父上に教わりました小山田投石部隊の技を使おうと思います」
「そうか、まあ子供の喧嘩だ。儂は何も云う事はない。好きにやるがいい」
「はい!」
当時の鉄砲の射程距離は三十メートル、小山田投石部隊の投石距離は二百メートルであった。開戦初頭に二百から三百メートル遠距離から風を切ったうなりと共に無数の投石がどこからともなく打ち込まれるのだから、敵兵たちは恐怖のため防御のすべがない。
小山田投石部隊は普段から投石の練習と工夫を怠らなかった。投石の道具も研究し、三十センチメートルほどの布に石を挟み込んで頭上で回転させ最大の加速になったときに布の一端を放すと素手で投石するより数倍の距離まで石を飛ばす事ができた。この道具を『もっこ』と言った。その他に一メートルくらいの竹筒を半分ほど割り、その先端に石を挟み、加速時間を長くして投石する『おっぱさみ』と云う道具を利用した。
長庵こと水沢隆家は鉄砲の収集で隣国織田家に大きく後れを取った斉藤家のため、この小山田投石部隊のような組織を作ろうと考え、その訓練に励み本家本元の小山田投石部隊には一歩譲ろうが投石部隊を作り上げる事に成功している。斉藤道三と斉藤義龍が戦った『長良川の戦い』で劣勢の道三軍の中で唯一水沢軍だけが勝ち戦をしていたのは、この投石隊によるものと言われている。織田家相手ではなく斉藤家同士の戦いでその威力を発揮したのは皮肉な事であったが。
水沢隆家が投石部隊を活用していたと云う記録は乏しいが、この『石投げ合戦』の結果を見てみると、竜之介は長庵からかなり詳細な投石による戦法を伝授されていたと見て間違いない。だから後に水沢隆広となった竜之介は投石部隊を重く見て小山田信茂の家臣たちを召抱えたのであろう。
一方、乱法師の部隊は拳にすっぽり入り、そして肩に負担にならない程度の石を投げる事に励んだ。けんめいに的へ当てる事に励む。
そして竜之介は道具と戦法を秘守するため、こちらは訓練に励まず、意見がバラバラでとても訓練になっていないと乱法師側に情報を流した。乱法師はそれを鵜呑みにして敵の情報を得る事を怠った。竜之介陣営の十四人、みなまだ童子ゆえに道具の使い方の習得も早い。作戦も全員が把握した。だが当日、思わぬ事が起きた。
「三人だけだって!?」
なんと十四人いた仲間たちが三人にまで減ってしまった。激しく落胆する鮎助。総大将の竜之介も心中落胆著しかったが、自分までゲンナリしていては戦う前に負けである。
「みんな親に止められたんだ。森家の若君と喧嘩してもしケガでもさせたら後が怖いって!」
涙ぐむ庵助。
「俺だって止められたさ。でも退けない。みよちゃんの心を掴むためだけじゃない。日ごろ威張りくさっている武士たちをギャフンと言わせる好機じゃないか。小禅師様の立てた作戦ならそれが出来る!だから親を振り切って俺は出てきたんだ!みんな腰抜けだ!」
「よせ庵助、聞けば柱に縛り付けられた者もいるらしい。出られない者もつらいんだ」
「小禅師様…」
「この四人で勝つしかない!」
「無理だよ竜之介、乱法師がどれだけ手下連れてくるか分からないのに…」
「あんちゃんヘタレ!一人でも戦うって言っていたじゃん!」
「そういうなよ、ふみ…」
「乱法師の人数は分かっている。二十六人だ。調べておいた」
「さすが竜之介さん!あんちゃんも竜之介さんを見習ってよ!」
二十六対四、無謀とも云える。さしもの鮎助たちも腰が引けてきた。
「鮎助、早苗介、庵助、耳を貸してくれ」
「「…?」」
作戦を説明した竜之介。
「これしかない。幸い乱法師は俺がこっちの総大将とは知らない。そこにつけ込むんだ」
「そうだな、それしかない」
鮎助は同意。早苗介と庵介にも異存は無い。
「よし、では行くぞ!木曽川へ!」
竜之介たちは早めに約束の場所に到着、そして二枚の畳を盾として置いた。旗を立てる。長庵門下なので『長』と書いた旗だった。そしてやってきた乱法師一党。森家の旗を誇らしげに持っている。乱法師は敵陣を見て笑った。
「おいおい何だあれ!たった三人だけだぞ!」
「あれでよくまあ兄上に鉄槌を下せると言ったものです」
「まあまあ若君、一応あれでも当家の民、自力で歩いて帰られる程度にしておいてやりましょう。うわはははは!」
乱法師の徒党の一人、耕太は大笑い。
「うるさい!お前らには俺たち三人で十分だと云う事だ!」
鮎助が言い返した。
「お前が城下の女たちにチヤホヤされるのも今日が最後だぞ!ヘッヘーンだ!」
同じく早苗介。
「口だけは達者のようだ。相手があれでは陣を作る必要もない。では行くぞ!」
見届け人が森家から来ていた。しかし乱法師はそれを来ているのを知らない。息子の乱法師が石投げ合戦をすると云うので父の森可成がこっそりつけさせた。森家奉行の篠田帯刀と云う人物である。彼の息子があの耕太である。乱法師に見つからない所で合戦を見る。
竜之介は鮎助たちと乱法師が対峙するちょうど真ん中の位置くらいの土手に座った。両軍が一望できてちょうどいい。その横にふみが座った。
「あんちゃーん!がんばれーッ!」
「おお、見ていろよふみ!あんちゃんの勇姿を目に焼き付けておけよ!」
そこへ一人の騎馬武者が通りかかった。巨馬に乗り、煙管を咥えて煙をフゥと噴き出す。土手の下で石投げ合戦が始まりそうなのを見つけた。土手に座る小坊主も。
「ほう…。石投げ合戦か。おい坊主、どっちが勝つと思う?」
「……」
「おい坊主、聞こえないのか?」
竜之介は振り向いて言った。
「…人にものを訊ねるのなら、まず馬を降りるのが礼儀ではないですか」
面食らった騎馬武者。漆黒の巨馬に乗り、七尺近い自分の体躯を見ても物怖じするどころか、降りてから聞けと言ってきた。
「竜之介さんカッコいい!」
「いや、ふみちゃん、別に俺はカッコつけているわけじゃ…」
(しかしなんて美しい馬だろう…。乗っている方も威風堂々とされておられる。派手な服も男ぶりをあげている。そうとうなもののふだぞ)
「ははは、いやいや、これはすまなかった。許されよ」
騎馬武者は素直に降りた。この潔い態度に竜之介は思った。
(幼い俺にも素直に落ち度を認めて謝る。この方はすごい人だ)
「手前は前田慶次と申す。ご貴殿のご尊名は?」
「はい、竜之介と申します」
「ほう、勇ましい名前ですな。では竜之介殿」
慶次は竜之介の横に座った。
「どちらが勝ちましょうか」
「数が少ない方が勝ちます」
「それは何故でございますか?」
「多勢は小勢を侮り油断しますが、小勢は少数ゆえ必死になります。だから少数が勝ちます」
「なるほど、でもそれではまだ勝つ理由になりませんな」
「今に分かります」
「それでは賭けをしませんかな?手前は多勢が勝つほうに賭けます」
「良いですよ。もし竜之介が勝ったら、その馬に乗せてもらえますか?」
「ま、松風に?うーむ」
それは危険だと思った慶次。落馬したら命を落としかねない馬である。
「まあ良いでしょう。手前も一緒に乗りますれば」
「いえ、一人で乗せていただきたいのです」
「ははは、では手前が勝ったら?」
「私は修行中の僧侶で何も持っていません。何も差し上げられません。ただ私は養父に武将となるべく養育されています。成長してひとかどの武将になれましたなら、貴方を私の側近として召抱えましょう」
「は、はあ?」
何を言っているのだこの子供は、そう慶次は思ったがまさか後に現実になるとは想像もしていないだろう。
「竜之介さん、始まったよ!」
「さあ一緒に見届けましょう!」
石投げ合戦が始まった。乱法師陣から石が飛んできた。すぐに後退する鮎助たち。
「追え追え!そして旗を取ってしまえ!」
乱法師の指示で十名ほどが出た。だが
「うわあ!」
「いてぇ!」
落とし穴が掘られていた。乱法師一党は戦場を指定されたと云うのにその地理をまったく把握しようとせず、当日初めてやってきた。竜之介勢の十五人は戦場に事前にやってきて地理を把握して、かつ落とし穴を作っておいたのだ。中は泥水でいっぱい。十人全員が落ちたわけではないが、前進が止まった。そしてそこへ石が飛んできた。
最初にいた陣から後方にもう一つ畳の防壁仕立ての陣がある。そして三人は拳大の石を連続して投げてきた。投石具『もっこ』を活用しての投石。三人は開戦と同時に乱法師勢の投石の射程距離から後退して、あらかじめ用意しておいた副陣に旗を立てた。石と投石具もそこに用意しておき、迫る乱法師勢の少年たちを迎撃した。乱法師たちは手のひらに入る石を投げているのに対して、竜之介勢の方は成人の拳大。驚いた乱法師たち。こんなのが直撃したら大ケガだと腰が退ける。しかも投石具を使っているため投げられる石礫もかなりの速さで投げられてくる。何より乱法師側からの投石は三人まで届かない。三人は投石具を使用して投げているのだから乱法師まで届く。竜之介勢の陣に近づけない乱法師勢、前田慶次の予想に反して二十六人の多勢は劣勢。
「これは驚いたな…。寡兵の三人の息はピッタリで投石も三人同時ではなくつるべ打ちで放ち隙を作らない。何よりあの拳大の石ならば敵に当たらずとも腰を退かせるに十分だ」
「兄上!近づけないよこれじゃ!」
頭を守るため、両腕で頭を覆う坊丸。
「一度、射程外に退いて立て直そうよ!」
坊丸と力丸が兄の乱法師に訴える。
「バカ言え!町民農民の、しかもこっちの五分の一の敵にどうして退けるんだよ!」
「兄上、二十六対三ではおよそ九分の一だよ!!」
「何か言ったか力丸!!」
「いえ別に…」
乱法師は算術が苦手だった。算術もそうだが乱法師は相手の善戦に大誤算。見届け人の篠田帯刀は驚く。
「あれは武田家に仕える小山田投石隊の技…。なぜ当家の民があんな事をできるのか…」
「こうなれば敵陣に突撃しかない!若君!それがし篠田耕太が先陣つかまつる!」
と、耕太は抜刀して突撃。初めて真剣を抜いた相手に腰が退けた早苗介と庵助、鮎助も耕太の必死の形相に怯え、
「ひ、ひええ!来るな来るな!」
と、無我夢中で投げた投石が耕太の額に命中。耕太はひっくり返り気を失った。しかし抜刀した耕太を見て鮎助たちが怯えたのを乱法師は見逃さなかった。
「全員、抜刀して行くぞ!」
「でも兄上、それでは石投げ合戦に」
「無論力丸、斬る必要はない。いや斬るなよ間違っても!旗だけ取ればいいんだ。石投げ合戦で負けても旗を取れば勝ちだ!」
「勝負で勝って喧嘩で負けるってヤツ?」
「つまらん言葉を知っているな坊丸。でもそれでも勝ちは勝ちだ!では行くぞ、みんな刀を抜け!」
「その必要はございません」
「え?」
乱法師の旗が竜之介の手にあった。
「申し遅れた、手前が『さよ』でございます」
その女名前で書かれていた文が挑戦状だった。
「私が彼らの大将です。竜之介と申します」
呆然とする乱法師、そして坊丸と力丸。乱法師たちは前方に気を取られ勝敗の帰趨を握る旗を立てた後方がまったくおろそかになった。それを見て竜之介は乱法師一党の背後へ静かに回りこみ、乱法師の旗を取ってしまったのである。乱法師は歯軋りするが後の祭りである。
「きったねえぞ!一人だけ分かれて見物のふりしているなんて!」
「チカラのないものは智恵で。多勢に小勢で対するときは作戦をもって!それが工夫と云うものですよ、乱法師殿」
鮎助、庵助、早苗介は竜之介に駆け寄った。
「やったやった―ッ!武士の子に勝ったぞ―ッッ!」
「さすがは俺たちの見込んだ大将だ!」
「竜之介さーん!」
ふみが竜之介に抱きつき頬に口づけ、大喜びの竜之介軍だった。反して乱法師は悔しくて悔しくて地に拳を何度も叩き付けた。悔し涙が止まらなかった。石投げ合戦を見届けていた篠田帯刀は苦笑した。
「完敗じゃのう乱法師様…。耕太にもよい薬となったわ」
そして竜之介は慶次に歩んでいった。
「はっははははッ!まさか竜之介殿が小勢の大将だったとは。この慶次、してやられましたな」
「では、その馬に少し乗せてもらいますが、よろしいですか?」
「どうぞ」
(大した小僧だ。本当に松風に乗れるかもしれぬ)
「少し高いな…」
竜之介は松風の横腹をポンポンと軽く叩いた。すると松風は四本の足を折り曲げた。つまり竜之介が乗りやすいように馬体を低くしたのである。これはさすがの慶次もあぜんとした。こんなしおらしい松風を見た事なかったからである。自分と初めて会った時は手のつけられない暴れ馬だった松風がすすんで背中を委ねたのである。
「よしよし…」
竜之介は松風に乗った。そして走り出した。慶次が落馬の心配をしたのが馬鹿らしくなるほどに竜之介の馬術は巧みだった。
「もはや漢の顔よ、あの漢、面白い」
奥村助右衛門と石田三成と共に竜之介、後の柴田明家に仕え、明家三傑と呼ばれる前田慶次。彼が成長した竜之介と再会し、そして仕える事になるのはこれより六年後の事である。
乱法師の父の森可成はこの『石投げ合戦』の顛末を篠田帯刀より報告を受けて激怒。二十六対四で後れをとり、旗まで取られたとは大恥である。かつ相手は武士ではなく町民農民。たっぷり灸を据えてやらねばと乱法師を呼びつけ激しく叱責。母親の葉月(後の妙向尼)も呆れ果てたのか、庇ってくれない。
「で?敵はどんな作戦を使ってきたのか?」
訊ねる可成。乱法師は竜之介の執った作戦を父に話した。すると可成は息子の醜態より竜之介の方に興味を示した。十歳の童子にそんな采配が執れるのかと驚いた。
翌日、可成は領主と云う身分を隠して竜之介に会った。多く語る事もなかった。可成はすぐに竜之介を見抜いた。これは大変な才能の持ち主と分かった。『昔神童、今はただの人』程度の浅い才覚ではない。将来どれほどの昇竜に化けるか見当もつかない大器と見た。すぐに養父長庵にかけあった。ぜひ当家で養育して長じて家臣に取り立てたいと。
しかし長庵は拒絶。妻の葉月も竜之介の才に惚れこんだ良人のためにと竜之介を城に招き、たくさんのご馳走を出したが竜之介に山のように飯を食べられたあげくに逃げられてしまった。可成は乱法師に
「敗因のない敗北はない。どうして負けたのか、よく考え、それを父に報告せよ」
と、命じた。数日後、乱法師はどうして負けたかを自分なりに分析して可成に報告した。それはいたって単純明快な言葉であった。『驕りと油断』であったと。その報告をしに来た時の乱法師はもうお山の大将を気取る顔ではなかった。可成と葉月は乱法師の成長を喜んだ。可成は息子の鼻っ柱をヘシ折ってくれた竜之介に感謝し、関の名工の脇差を与えた。
それからと云うものの、乱法師と竜之介は仲間たちと共に遊び、いくさごっこに興じたものだった。石投げ合戦を親に制止され参加できず涙を飲んだ者たちも加わり、毎日泥だらけになって遊び、そして認め合っていった。乱法師もまた長庵より教えを受け、学問を身につける。
そして乱法師はもう一度改めて、同じ条件で石投げ合戦を竜之介に挑もうとした。しかし別れは突然にやってきた。竜之介は長庵と共に金山を去っていった。
今まで使っていた庵は可成の計らいで長庵が安価で購入したものであるが、長庵はその庵をそのまま鮎助とふみに与えた。長庵は正徳寺に帰り、竜之介は清洲に赴き竹中半兵衛より指導を受ける。それが終えたら旅に出て、竜之介が元服となる頃に美濃に戻るのだ。ふみは長庵と竜之介との別れを惜しみ、金山からついてきてしまったが竜之介は泣く泣く追い払う。何より乱法師たちは『勝ち逃げか』と悔しがり、そして別れを惜しんだ。
可成はたった四人で物怖じする事なく多勢に挑むは勇気ある者たちと鮎助、庵助、早苗介を足軽として召抱えた。石投げ合戦を親に止められて参加できなかった者たちも長庵の教えを受けた者ならばと可成は足軽として登用したのだ。
しばらくして彼らは初陣を迎えた。あの宇佐山城の戦いである。浅井朝倉連合軍の猛攻の前に可成は討ち死にするが、宇佐山城を守る城兵たちは必死に抗戦し、見事に防ぎきったのである。その中には石投げ合戦を敵味方として戦った少年たち、泣く泣く参戦できなかった少年たちも心一つにして浅井朝倉に立ち向かった。可成亡き後は森長可が森家を継ぎ、少年たちは長可に誠忠を尽くす。
一方、乱法師は森蘭丸と名を変え、織田信長の小姓として仕える事になった。信長に宝とまで言われるまで信頼される小姓となった。そして…。
「森様、三の丸鶴の間に水沢隆広殿をお通ししました」
ここは織田信長居城安土城、柴田勝家家臣の水沢隆広が柴田勝家の書状を持ってやってきた。
「承知しました。それがしが大殿の元へ案内いたす」
蘭丸は現在水沢隆広と云う名前になった竜之介の器量を見るべく、あえて長時間待たせる。そして頃合を見て鶴の間に歩いた。子供のように胸がときめく。懐かしい親友との再会なのだ。
だが勤めは勤め。信長への取り次ぎ役として任務がある。たとえ親友でも三流の男となっていたなら信長と会わせない。蘭丸は息を潜め鶴の間に近づき、そして刀を握り、座る水沢隆広の背後に一閃!水沢隆広は振り向き抜刀し、蘭丸の一閃を跳ね返した!
「いきなり何をする!待たせた挙句に斬り捨てるとはそれが大殿のやりようか!」
やっぱりお前は俺を完膚無きに打ち破った男だ、蘭丸は嬉しかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
話は信濃の森長可の陣に戻る。
「まさか水沢殿が乱(蘭丸)を石投げ合戦で倒した坊主だったとはなァ」
感心したように云う森長可。
「いえ、それがしは策を鮎助たちに授けただけで」
「あっははは、では貴公が俺とこの若者たちを合わせるきっかけを作ってくれたとも言えるな」
「殿、我々とだけではありませんよ」
と、鮎助。
「ん?」
「竜之介、俺の妹のふみ、あの洟垂れの汚れが今どうしていると思う?」
「いや知らんが」
「長可様の側室となっている」
「うそォ!!」
「いや本当だ水沢殿。今それがしがもっとも愛しく思う女、それが鮎助、いや野村可和の妹のふみだ」
鮎助は森家の足軽大将となっており野村可和と名乗っていた。
「わが妹ながら美人になっているぞ。もうお前が言い寄っても無駄だけどな」
「そんなつもりはないよ」
ドッと笑いが起きる陣中。
「となれば水沢殿はふみの命の恩人でもあるのだな。それではこの戦では采配に従うしかあるまい。弟の乱を完膚なき破ったお手並み、しかと拝見いたそう!」
「長可殿!」
「ようございましたなあ隆広様!」
「ああ助右衛門!これで勝頼殿に勝てるぞ!」
月日は流れ、やがて本能寺の変が起き、親友の森蘭丸があの世へ旅立った。水沢隆広は明智光秀、羽柴秀吉を討ち、父の柴田勝家から家督を譲り受け、天下人に一番近しい男となり、名を柴田明家としていた。
そして関ヶ原の戦いで徳川家康を破り、大坂に幕府を開き大将軍となった。諸大名の正室や側室も上坂してくる。大坂城の城主の間、そこでふみと明家は再会した。天下人明家と従属大名側室ふみ、二人の背景は大きく変わっていた。
「きれいになって…」
「竜之介さんもカッコよくて素敵だよ」
「ははは、相変わらずな口ぶりだ」
「竜之介さんは…」
「ん?」
「うん、やっぱり変わっていないね」
「そうか、いや実を言うとな」
「え?」
「なんで俺がここにいるのか、よう分からない」
笑いあう明家とふみだった。明家は七十七歳まで生き、当時では長命の人間であったが、ふみの良人の長可と兄の可和はそうもいかず、両名五十代で世を去る。
森家を出て落飾していたふみを明家は江戸に招いた。ふみは明家の妻たちとも仲良く付き合い、明家とは趣味の時間を共に楽しんだと云う。ふみは明家の吹く笛の音で踊るのが大好きだった。男女の仲にはならなかったものの、老いてから金山にいた時と同様に笑いあう時間を過ごし、ふみは明家より一年早く亡くなった。明家に出会わなければ七歳で死んでいたふみ。その最期も明家に看取られて逝く幸せなものであった。
ここに登場の鮎助とふみは史実編でも登場しますので楽しみにしていて下さいね。史実編ではふみと良い仲となってしまうかも。
ホームページにて連載時『石投げ合戦』は外伝としてリクエストが多かったお話です。本編では森蘭丸と前田慶次との出会いもある重要な場面ですが、回想シーンでもあまり詳しくは書いていませんでしたから、どんなものだったのだろうと思われた方もおられたようです。