隆広三百騎の次席、小野田幸之助、後の幸猛。彼は主君柴田明家と比肩する美男子であった。赤母衣衆筆頭として戦場で活躍し、内政においても主君から学び優秀な奉行となり、やがて美作守と云う官位も得て、丹波の篠山城の城主ともなった。彼は英主柴田明家と巡り合い、運が開けた。
女を大切にすると云う柴田家の気風、幸之助は主君明家と同じく女好きであった。側室は最大十二人に及び、外で作った女は数えきれない。明家も似たようなものだが明家は正室のさえを一番とし大切にした。
しかし幸之助は真逆で正室を一番下とした。彼は正室蘭姫と大変不仲だったのだ。
小野田幸之助は婿養子である。旧姓は北山と云い、朝倉家の下級武士の次男として生まれた。彼が婿入りした小野田家は朝倉氏が日下部氏を名乗っているころから仕え、応仁の乱で武功をあげて越前国大名となった時には上級武士に取りたてられた。幸之助の生家はそんな名誉ある家と比べ物にならないほどに下の位置にあった。
そんな上級武士の家に婿養子として入られるのならば幸運なこと。平和な世ではそれでめでたしだったろう。しかし幸之助が婿養子となって間もなく、織田信長の越前攻めが始まったのだ。織田と朝倉が激突した刀根坂の戦い、これが小野田幸之助の初陣だった。
だが敗戦必至と見た幸之助は寄せていた柴田勝家に帰順してしまった。これが妻と義父母の怒りに触れたのだ。義父の幸実は
「これでは先祖に合わせる顔がない!一戦も交えずに敵に屈するとは!」
と罵る。しかし連れていた農兵は誰ひとり犠牲になっていない。
「朝倉をあんな勝ち目のない戦に誘った義景の阿呆は責められず、兵を生還させた私が責められるのですか」
「お殿様に対してなんだその言いようは!」
幸之助を殴る義父。ふん、と笑う幸之助。
「そこまで朝倉に誠忠示したくば、落ちた大野に行けば良いでしょう。私は知りません」
「幸之助殿、貴方はそれでももののふなのですか?」
妻の蘭が侮蔑を込めて言った。
「ならば蘭は俺があの馬鹿大将に殉じて死んだ方が良かったのか?ああ、そうか、死ねば良かったと思っているんだったな。何を今さら、ふはは」
「……」
「君、君に足りんずれば何とやら。女のお前に言っても分からないだろうがな。ああ、悪かったな、生きて帰ってきて」
婿養子となって以来、幸之助と蘭は不仲だった。蘭は家柄が劣り、二つ年下の幸之助を蔑んできたからだ。何かと云えば『応仁の乱で大功をあげし小野田の家』と言い続けた。笑顔で出迎えたこともない。武芸の修行で疲れた時も何一つ労いの言葉もかけなかった。
しかも容姿は不美人。そんな女房に幸之助はウンザリしていたのだ。女は大好きだが、幸之助は蘭に触れようともしなかった。
「何て情けない言いよう。それでも」
「はいはい、応仁の乱で大功あげし小野田の当主か、だろ。信長の前に風前の灯である朝倉において、そんな過去の栄光は糞だ」
「先祖の武功を糞ですって!」
「ふん、そんな言い方をしちゃ糞に失礼か」
「貴様!!」
さらに殴りかかってきた義父に対して殴り返す幸之助。
「父上!」
壁まで吹っ飛ばされた幸実。蘭が駆け寄り、そして幸之助を睨む。
「先祖の栄光にしがみついた結果がこれだ。何が名家の小野田か。笑わせるな」
その後に幸之助は柴田勝家の越前入府に伴い、その兵となった。
後に柴田明家幕僚の中核となる彼だが、この当時はまだ若く、大変な暴れん坊であった。越前一向一揆の掃討では暴れまくったが軍律は守らないし命令は聞かない。どんなに武功をあげても握りつぶされた。
しかし幸之助は特に不満はなかった。出世はしないが織田家は給金が良いし生活は困らない。何より彼は戦が好きなのだ。北ノ庄にある小野田家。一乗谷にあった時と比べ物にならないほど貧相な家だ。
「おかえりなさいませ」
「ああ」
妻を一瞥もせず家に入る幸之助。
「織田の走狗となって越前の民を殺す気持ちはどんなものですか」
「ああ、ものすごく気持ちいいぞ」
妻の皮肉に対して、同じく皮肉で返す幸之助。
「俺には郷土愛なんてものはない。女と酒だけだ」
「あなたって人は!」
「女と言ってもお前は別だがな」
飯を済ませたら出かけていく幸之助。女のところだ。もう朝倉は滅んだので義父母も幸之助に何も言えない。
「合戦から帰ってきたその日に女の家ですか。私は小野田家の世継ぎを生まなくてはならないのに」
驚くことに祝言より一度も幸之助は妻を抱いていない。
「だったら、どこぞの男を引っ張り込んで種をもらえ。お前なんぞ抱く気も起こらない」
冷やかに言い切る幸之助。拳を握ってその罵りを聞く蘭。
「幸之助様~♪」
いずこから小野田家の門まで来た女。
「なんだ待ち切れなかったか」
「だって一刻も早く幸之助様に抱かれたくて」
「俺もお前の肢体を楽しみにしていた。今宵は寝かせないぞ」
女を抱き寄せて尻を撫でながら言う幸之助。正妻の目の前で平気でやっている。
「……」
「次の合戦までは帰る。じゃあな」
女を肩に抱きながら幸之助は出て行った。悔し涙を浮かべて家に入る蘭。結婚したての頃に幸之助を軽く見たことが一遍にツケとなって返ってきている。自分が悪かったのだ、そう言い聞かせているが幸之助の仕打ちはあんまりと言えるものだ。
「父上、母上、私もう耐えられません!」
「我慢せよ、婿殿の働きがあるから我らは食べていけるのだから」
「男が女遊びするくらい当たり前でしょう」
諭す父母。幸之助は金銭にあまり固執しない性格をしているので柴田家からの給金は蘭の母に渡していた。裕福ではないが不自由はない暮らし。それは婿の幸之助あってのことだった。
この乱世、老いた夫婦は放逐されたら飢え死にするしかない。それを恐れる蘭の父母はもう幸之助に逆らえなかった。もはや父は頼りにならない。母はその父の言いなりだ。
「違う方を良人にします。もうあの人は嫌です。顔も見たくありませんっ!」
しかし彼女はおせじにも美人と言えない。もらい手があるわけない。蘭は容姿を良人に毛嫌いされていたのだ。それでも幸之助は家長としては務めを果たしている。
父母は忍耐を娘に課すしかなかった。
「辛抱せよ」
「もう少し大人になれば婿殿も心を開くわよ」
「……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
やがて柴田家に一人の若者が仕官してきた。水沢隆広と云う少年だった。
そしてこのころの幸之助はと云うと、どこの部隊からも敬遠されつつあった。強いことは強いが、あまりに自分勝手で上役を敬うことはせず、盾てつくことは日常茶飯事。いきつくところは不良少年の集まりしかなかった。その中でも幸之助は顔役となり北ノ庄では札付の悪党となっていた。美男子なのに町娘からは怖がられ、城下町では毛嫌いされた。
酒場で酌婦をはべらしながら飲んでいると同じ不良仲間の松山矩三郎がやってきた。
「おい、水沢何たら云う小僧がわずか二日で城壁を直したって話し聞いたか?」
「ああ聞いた」
「それは大したことと思うが面白くねえよなあ。一足飛びで組頭だもんな」
「十五と聞いている。織田家最年少の組頭だろうな」
「女どもにも人気がある。面白くない。おい、俺にも酒!」
「水沢隆広か…」
それから数日後、陣ぶれがあった。加賀の大聖寺城に赴き、一向宗門徒をせん滅すると云う戦だった。無論、幸之助も出陣する。その当日の朝に幸之助は家に帰った。
「出陣と云うのに朝帰りですか」
「昨日の女は良かったのでな」
「……」
「さて、行くか」
出かける前には武具を入念に改めた。たとえ女遊びが過ぎようと幸之助は戦人、武具の手入れは怠らなかった。
「ご武運を。無事のお帰りをお待ちしています」
「心にもないことを言うな」
ふん、と吐き捨てて幸之助は出陣して行った。
「そうまで……信用されていないのですね」
あの武具の手入れも自分が細工したのではと疑っているからではないかと思ってしまう蘭だった。
進軍に備え、柴田軍は北ノ庄練兵場に集結。
しかし幸之助を始め、悪友の矩三郎もいずれの軍にも居場所はない。自然に軍からあぶれた若者が練兵場の隅に集まりだす。
「おうおう、越前の狂犬どもも徒党を組む術は身につけたと見えるな」
柴田勝豊が嫌味を言いながら若者たちの前を通り過ぎた。拳骨を地に叩きつけた矩三郎。
「あの野郎、殿の養子でなければブッ殺しているところだ!」
いつからか、北ノ庄のはじき者と呼ばれるようになった三百人だった。村々の街道を馬で暴走し、怒った農民たちと喧嘩するのは日常茶飯事。現在の暴走族のようなものか。誰が決めたわけでもないが、この三百を自然とまとめるようになったのが松山矩三郎、小野田幸之助、高橋紀二郎と云う若者である。素行悪く武功は握りつぶされてはいるが、なまじの武将より腕は立つ。矩三郎が筆頭で幸之助は次席というところだ。
「そう、いきりなさんな」
その筆頭の矩三郎をたしなめる幸之助。じき出陣と云うのに女づれである。着物に手を入れて乳房を楽しんでいる。
はじき者三百人を遠方で見ている中村武利と云う将、彼は柴田勝家老臣である中村文荷斎の嫡男で、専門は戦奉行と目付である。
「分からんな、なんで勝家様はあんな連中をのさばらせておくのか」
彼は勝家に何度も『あのはじき者を追放しましょう』と戦場での専横ぶりを報告したうえで進言した。しかし勝家は『まあ待て、罰するのはいつでも出来る』と言うばかり。父の文荷斎が言うには、
『殿は素行不良と云うだけで信長様の器量を見抜けなかった、かつての自分を恥じておられる。それゆえ短気を起こさず安易に罰せず、待っておられるのだろう。ものになる男が出てくると云うことを』
そう言っていた。しかし武利は
「あんな者たちから、逸材がいようものか」
と、唾棄して陣列に加わった。まさか全員が逸材だったとは想像もしていないだろう。
当のはじき者の面々も正直言うと内心は不思議だった。
武功は帳消しにされるものの、家族が暮らしていけるほどの給金はちゃんと支給してくれたからである。それゆえ出陣命令だけはいくら彼らでも逆らわない。
「なんで俺たちを連れて行くんだろうな。どこの隊にも嫌わているのに」
「いざって時は弾除けに使うんだろ」
ヤケッパチな愚痴をこぼしていると軍奉行の役人が矩三郎に文書を渡して立ち去った。
「何て書かれてあるんだ?」
と、紀二郎が書をのぞきこんだ。
「おいおい幸之助!俺たち水沢隆広の兵になれってよ!」
自嘲気味に矩三郎は笑った。
「ほう、あの城壁を直した少年か?それは気の毒に」
「誰が気の毒なんだ幸之助」
後年、水沢家料理番筆頭になる星岡茶之助が訊ねた。
「水沢と言えば当年十五くらいと聞く。我らはだいたい十八か十九、しかも札付きだ。さぞや扱いづらかろうに」
「ははは、確かに」
「どんな経緯があったか知らないが、戦も経験しておらぬのに俺たちを飛び越して足軽組頭だ。我らは城壁と違う。腰を引かせていたら笑ってやろうじゃないか」
と、矩三郎。
「矩三郎、俺は少し期待しているんだがな」
「なにをだ幸之助」
「その書、よく見てみろ。勝家様の命令書じゃないか」
「あっ…!」
急ぎ書に頭を垂れた矩三郎。
「どういう意図で十五の小僧を俺たちの大将に据えたのか、見ものじゃないか」
しばらくすると、一人の少年が矩三郎たち三百人のいる場所に歩いてきた。美男子、城下の娘たちの人気を独り占め、一足飛びで足軽組頭、受けいられる方がおかしい。敵意込めて少年を睨み、ある者は冷笑して見つめる。
(おいおい、まるっきり女子じゃないかコイツ)
(小さいし細いな、こんなんで戦が出来るのか)
腰を引かせていたら笑ってやろうと思ったが、あまりにも将として頼りない外見の少年にそんな気も無くなってきた。
しかし、その頼りない少年は北ノ庄の札付き三百人を目の前にしても臆している様子はない。幸之助はそれに気付いた。
(ほう、なかなかの胆力じゃないか)
そして予想外のことを言ってきた。
「時間がない、我と思うものはかかってくるがいい」
何とたった一人で札付き三百に喧嘩を売ってきた。これには幸之助も腹が立った。肩に抱いていた女を放して立ちあがった。矩三郎が念を押して聞く。
「俺たち三人でやってやる。殺されても文句はねえな」
「ない」
少年は刀を抜いた。
「柴田家足軽組頭、水沢隆広」
矩三郎、幸之助、紀二郎も名乗りを上げた。しかし次の瞬間、三人は隆広の一太刀を浴びていた。
「新陰流、月影…」
これは隆広が強いのではない。矩三郎たちの完全な油断である。初陣も迎えておらず、かつ女性のような顔立ちに細くて小さな体躯。隆広の容貌そのものが油断を誘う最大の兵法である。
「しかし二度目はこうはいかない。今度は彼らも油断はないだろう。そうなったら俺に勝ち目はないが…ともあれ勝ちは勝ちだ」
隆広も心得ているもの。負けて仲間たちの信頼揺らいでいよう時、即座に二度目は自分が負けると矩三郎たちを立てている。そして隆広は気迫を込めて自分の兵となってほしいと三百人に訴えた。自分は何も持っていない。何も与えられない。でも必ず皆に誇りを与えられる大将となってみせる。そのためには皆の力が必要なのだと。
戸惑う仲間たちを余所に幸之助は
(誇りか…。確かに俺たちにはないものだ。賭けてみるか、この少年に)
最後、隆広は頭を垂れた。
「およしなされ、大将がそう簡単に兵に頭を下げるものではござらんぞ」
幸之助が最初切り出した。
「幸之助殿」
もう名前を覚えてくれたかと嬉しい幸之助は
「幸之助とお呼び下さい」
矩三郎が何か言いたそうだったが
「こいつのことも矩三郎と」
そして幸之助は隆広に膝をつき、頭を垂れた。
「我ら喜んで水沢隆広様の兵となりましょう」
他の者たちも同様に膝を屈し頭を垂れた。もはや札付きの不良少年ではなく全員がいくさ人の顔であった。後年に『隆広三百騎』として名を馳せる一隊は幸之助が口火を開いて忠誠を誓うことになったのだ。
そして水沢隆広初陣の加賀大聖寺城の戦いは隆広の大声作戦が成功して大勝利。兵たちは大喜び、こんな痛快は初めてだった。兵たちにもみくちゃにされながら勝利を喜ぶ隆広の横顔を見て幸之助は
「やっと巡り合えた運命の主君」
そう心から思った。幸之助は心から隆広に忠義を尽くすことを誓った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
蘭にも良人が変わっていくことが分かった。自分への冷たさは相変わらずだが顔に覇気があり、性根が真っ直ぐになっていった。主君は内政家臣でもあるので開墾や治水に伴い書を集めて熱心に勉強したり、土木をやっていると聞けば、その現場に行き学んでいた。
そんなある日のことだった。
「御免」
客が来たので蘭が出てみると
「幸之助殿はご在宅か」
「い、いいえ…。主人は城の文庫(図書館)に出かけていますが…」
(すごい美男子…)
「そうですか。それがしは幸之助殿が上司の水沢隆広です」
「こ、これは!」
急ぎ平伏する蘭。
「いえ、今日は私的なことで来たのですから。顔をあげて下さい奥さん」
「お、奥さん…?」
初めて言われた言葉だった。
「この本、以前に彼が貸してほしいと要望していたものです。帰ってきたら渡して下さい」
本を受け取った蘭。
「では」
「お待ちを、主君が訊ねてきたのにお茶も出さなかったとあれば主人に叱られます。どうかお上がりを」
囲炉裏の前に通された隆広。蘭の父母も挨拶に来た。
「いつも婿殿がお世話になっています」
「いえいえ、年若なそれがしをよく補佐してくれています」
蘭が出した茶を飲む隆広。
「うまい」
「良かった…」
「あ、ちょうどいい。蘭殿にも伝えておくことが」
「何でしょう?」
「それがしは内政家臣でもあります」
「はい、存じています」
「幸之助殿を始め、兵や職人を工事で使いますが女手も給仕などで必要なんです。それがしの妻さえの元で従事していただきたい」
「分かりました。務めさせていただきます」
「それがしの妻は蘭殿より若い。主君の妻とて遠慮はいりません。誤っていたら叱り飛ばして下さい」
「はい、それでは遠慮なく」
「ははは、懐が大きく優しい顔をされている。幸之助殿も良い妻をお持ちだ」
「え…?」
「ではこれで。お茶御馳走様でした」
隆広が帰ったあと、蘭は嬉しくて涙が出てきた。『懐が大きく優しい顔をしている』『良い妻をお持ちだ』初めて言われたことばかり。この後も続く幸之助の仕打ちに蘭が耐えられたのは主君隆広とさえ夫婦の存在であった。
水沢軍にはこの後に奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉と加わり、ますます充実していく。小野田幸之助は水沢軍の赤母衣衆筆頭となり、戦場の騎馬武者として武功を重ねて行った。
主君隆広は柴田家に領地で遇されず高額な金銭で召し抱えられていた。これは常に柴田勝家の側におり、己が領地経営に忙殺されぬようと云う特殊な遇され方であった。だから隆広に仕える将兵も金銭で召し抱えられている。
小野田家も手厚く遇され、今では大きな武家屋敷に移り住んだ。それをよいことに幸之助は屋敷に堂々と何人もの女を連れ込んで楽しんでいた。
しかし蘭はぐっと耐えた。
蘭は一計を案じた。伝え聞いたことがあった。羽柴秀吉の妻ねねが主君信長に良人の女癖の悪さを注意して欲しいと直訴したということ。本来家臣の妻が主君に直訴なんて考えられない。かつ、信長はねねに対して実に思いやりに溢れた丁寧な返事を届けている。直訴も、かつ主君がそれに律儀に返事を出したと云うのも前代未聞である。
良人である小野田幸之助は水沢家三番目の美男と云われたほどの美丈夫である。一番は隆広、二番目は安土夜戦以降隆広の影武者を務める白である。幸之助はそれに継ぐ美男と云われた。だが女癖の悪さは主君隆広をゆうに越えた。
しかし蘭は醜女だった。幸之助はそれを嫌い、夫婦になって、もはや十年が経とうと云うのに一度も抱いていないのだ。蘭自身にも落ち度はあった。結婚当初、幸之助の家柄を軽んじ、何かといえば先祖の武功をひけらかした。だが仕えていた朝倉家が滅んだのであれば、小野田の家柄もあったものではない。幸之助が早々と朝倉を見限ったのは今を見れば英断であった。
水沢家に仕えて頭角を現し、もはや家長としてゆるぎなくなった良人に蘭の父母はもう何も言えなくなった。蘭自身も良人がどれだけ他の女と遊ぼうとも文句が言えなかった。だが、自分にだって意地がある。このまま嫌われたまま、飾りだけの正室なんてごめんだ。朝倉滅んで久しく、もういいはずだ。まだ過去のことを根に持つのならば、それは良人が狭量なのだ。
今に良人から謝らせ、良人から己が正室でいて欲しいと言わせて見せる。必ず名実共に水沢家武将小野田幸之助の正室となってやる。そう決めた。主君隆広は女を大事にする性格である。国の根本、そう言っている。必ず味方についてくれると思った。それには隆広とその正室さえの信頼を勝ち取ることだ。隆広夫妻の信頼を得て味方につけ、良人を正してもらう。蘭の静かな反乱が始まった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
手取川の戦い、松永攻め、武田攻めを経て、水沢家は大規模な内政工事が下命された。武田攻めと並行して行われた加賀一向一揆攻め、柴田勝家を大将とする織田軍は勝利して加賀一国を手に入れた。戦後処理も苛烈を極めたため織田家を恐れる加賀の民に迅速な内政を行う必要があるので、勝家は鳥越城を隆広に預けて加賀内政を実行させた。
水沢家は主君隆広が大規模な内政主命を受けると兵とその家族も現地入りすると云う特殊な体制を整えている。幸之助は加賀に妻の蘭を連れて行こうとしなかったが蘭は無理やりついてきた。
今まで主君隆広の内政の女手として活躍してきた自負はあるが、この加賀内政こそ隆広とさえ夫妻から絶対の信頼を勝ちうる好機と見ていた。
幸猛と名を改めた良人が常日頃から武士として書を学んでいるように、蘭もまた武士の妻として家臣の妻として主家に対してどうあるべきか、歴史に賢妻として名を残した女たちの事績から学んでいった。
今に見ていろ、良人にそう思っていると忙しい最中の合間にやる勉強も苦にならなかった。
自分は美しい女ではない、蘭はそれを分かっていた。だからこそ他者に親しみを感じさせることがある。さえも遠慮せず蘭には物事を頼めた。そんなある日、隆広が血相変えて台所に来て、料理人筆頭の星岡茶之助に
「急きょ、土豪の伊勢谷家を招いて酒宴を開くことになった!」
茶之助は真っ青になった。何の用意もしていない。だが
「殿、茶之助さん、心配は無用、こんなこともあろうかと酒と材料は整えてあります」
「本当か、蘭!」
「はい、水沢家の女はけして殿に恥をかかせません。ご安心を」
「本当に幸猛はよい女房を持っているなぁ!」
蘭の両手を握って感謝を示す隆広。
「ふふっ、嬉しきお言葉です殿」
また隆広嫡子の竜之介が風邪をこじらせたことがあった。隆広とさえも懸命に看護する。蘭はタライに水をひたして持ってきた。竜之介が呼吸を苦しそうにしていた。
「かっ、かは」
「竜之介!」
「ああ…どうしたら…」
我が子のことだから二人は気が動転して、どうしていいか分からない。
「鼻水が詰まって苦しいと思います」
蘭が言った。
「鼻水…。ではチーンさせれば」
「いえ、奥方様、私に任せて下さい」
蘭は竜之介の鼻の穴二つを口に含んで、鼻水を吸い取った。驚いた隆広とさえ、さえはその方法を思いつかなかったことも母親として恥ずかしかったが、何より蘭がそれをためらいなく行ったのに驚き、そして感動したのだ。
竜之介の呼吸は落ち着き、スヤスヤと眠っていった。
「ありがとう、蘭!」
「いえ殿、私は無我夢中で」
いかに主家の若君であっても鼻水を直接口で吸い取るなんて誰が出来よう。蘭は隆広とさえの絶対の信頼をこの瞬間勝ちとった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
水沢家は動乱の戦国の世に否が応でも巻き込まれていく。加賀内政に目処が立ったころには上杉攻めに向かい、そして本能寺の変が発生して織田信長は死んだ。水沢軍は北陸から返して、一気に京都に爆進して明智光秀を討ち、賤ヶ岳の地で羽柴秀吉を倒して姫路城で討った。
水沢隆広は柴田明家と名を改め、日本最大勢力大名となった。一連の戦いで幸猛も武功を重ねた。柴田家は人事を刷新した。幸猛の朋友である矩久が丹波柏原城の城主となった。だが幸猛は報奨金を得て終わりであった。
額面に不足はない。十分すぎるほどだ。しかし欲張りと言われようが、やはり男たるもの一国一城の主にと思う。朋友の矩久と武功は変わらないのに、どうして殿は自分に城と領地を下さらないのか…。そう思いながら屋敷に帰った。
屋敷に帰り、廊下を歩いていると二通の書が壁に貼られてあった。
「ん…」
見た瞬間、幸猛は目が飛び出るほど驚いた。
「げ…っ!」
主君明家が蘭に宛てた書であった。蘭が信長とねねの書のやり取りの再現を持ちこんできたことは明家にはすぐに分かった。だから
『久しぶりに見た蘭殿は相変わらず懐大きく、人を包み込む美しく優しい笑顔をされていた。竜之介も貴女のおかげで元気でいる。大納言、とても嬉しく思う。それなのに美作(幸猛)ときたら、貴女のような賢妻を嫌い、若い娘の尻を追いかけているとのこと。まことにけしからん。今は美作も美男ゆえ、若い娘に好まれようが、もう少しすれば腹も出てきて若い娘に相手にされますまい。その時に笑ってやればよろしい。美作に貴女以上の妻は絶対に得られないのだから堂々としていればよろしい』
こうして、かつて信長がねねに送った書と文面を少し似せて返事をしたのだ。幸猛は呆然として空いた口が塞がらなかった。筆跡花押、間違いなく主君明家のものである。
「な、な、な…」
(ひ、人のこと言えた義理ですか殿!)
信長と違った点は正室の添え書きもあったことだ。
『腹が出てきて、美男の見る影もなくなった美作殿を私も一緒に指差して笑ってあげます。だから今のうちは好きにさせておきなさい。どうせ最後は正室に泣きついてくるのですから』
「み、御台様まで…」
肩を落とす幸猛。主君夫妻は完全に妻の味方であった。そこに蘭が来た。
「どうですか殿」
「蘭…」
「主君が家臣の妻に書を届けて下されるのは、かの信長公以来」
「殿に何を訴えたのだ…」
「特に何も、ただ『私の良人に何か言って下さい』と。別に叱ってくれとは言っていません」
「……」
「大納言様も女好きですが、ご家族を大切にされ、何より正室を一番としています。そこが殿との決定的な違いです。大納言様と御台様はこれを殿に見せるようにと。そしてこれ以上、正室の蘭にひどい仕打ちをすればただではおかぬと」
「…参ったな」
矩久と自分の違いを悟った。矩久は幼妻の春乃を愛し、息子の貞吉も厳しくも温かく育てている。『家族を大事にしない者に、どうして安心して我が愛民を任せられるか』明家の持論の一つだ。
「まこと、おおせのとおりにございます殿…」
貼られた書に深々と頭を垂れた幸猛。そして蘭に向き
「こ、これから小野田の家は色々と大変な時だ。しっかり頼むぞ」
「はい、お任せ下さい殿」
結婚して十数年、ようやく幸猛と蘭は夫婦となったのであった。
その後、紀州攻めを経て、幸猛は丹波篠山城を拝領、大名となった。それから間もなく、蘭は男児を出産、それは大変な喜びようであった。
幸猛はその後も戦にあけくれた。四国攻め、九州攻め、そして関ヶ原…。
篠山から松山矩久居城の柏原城は関ヶ原への進軍で通りかかる。病魔に侵された戦友を見舞う幸猛。
「美作…俺は悔しい…」
「……」
「こんな天下分け目の戦に出られないなんて!」
「阿波(矩久)…」
逆の立場なら自分とて無念でたまらない。柴田明家対徳川家康、まさに天下分け目、日本中の大名が美濃関ヶ原に集結し東西に分かれて戦う。まさにいくさ人の晴れ舞台。幸猛とて子供のように胸が高まる。
「何を言う阿波、今は体を厭え。たとえ関ヶ原で家康を討ったとしても…まだ乱世は終わってくれぬ。殿の理想の『戦のない世の構築』のためにおぬしは必要な将だぞ…」
「美作…」
「松山の軍旗は呉子の『可を見て進み、難きを見て退く』であろう。今のおぬしの体は『難き』の時。大人しく退くべきであろう。息子と家臣たちの武功を願っていよ。そして息子が大功を立てし時は褒めてやるのだぞ」
「分かった…。美作、おぬしも生き残れよ」
「ああ」
柏原城を出た幸猛、もう二度と生きて会えまい、そう思った。関ヶ原に着陣したその日、幸猛に矩久の訃報が届いた。
『関ヶ原に行けぬは無念、無念極まる』
と、己が病躯に悔し涙を流したと云う。
「矩三郎、這ってでも関ヶ原に来たかったであろうな…」
若きころからの悪友の死に落涙する幸猛であった。
そして幸猛はこの時、国許の娘を思っていた。彼の次女の智姫が高熱を数日出していた。智姫は体に重い障害を持って生まれており病弱であった。重い障害を持つ娘、だからこそ幸猛は智を溺愛した。
病の娘を置いて出陣、武将の業とは云え、幸猛は後ろ髪引かれる思いで出陣した。蘭に
『智の容体については逐一知らせよ』
そう言って城を出たのだった。
「殿、半刻後に柴田本隊の軍議です。そろそろ笹尾山本陣に行かれるご用意を」
「……」
家臣の呼びかけに気付かない。娘のいる丹波篠山の方向を見つめている幸猛。
「殿!」
「え、ああ…何だ?」
「そろそろ笹尾山に向かいませぬと」
「そうであったな…」
「申し上げます」
使い番が来た。
「ん?」
「篠山の奥方様から文が届いています」
「蘭から?見せよ」
そこには智姫の死が書かれていた。墨の字がところどころ涙でにじんでいた。蘭は落涙しながら書いたのだろう。同封されていた文がある。四歳の智姫が父の幸猛に最初で最後の文を書いた。稚拙な字で父を慕う気持ちで溢れていた。
『ともはおおきくなったら ちちうえのおよめさんになりたい』
堪えきれない涙が娘からの書に落ちる。最期を看取ってやることができなかった我が身を呪い、そして娘の死に落涙する幸猛。彼の周りにいた家臣たちは主人の気持ちを察し、その場から席を外した。幸猛の娘の死は明家の耳にも入った。
「そうか…。美作の悲しみを思うと我が身が裂かれるようだ…」
と、思っていたところに当の幸猛本人が来た。
「時間ぎりぎりの到着、申し訳ございません殿!」
「美作…?」
悲しみをみじんも感じさせない顔で柴田本陣に姿をあらわした。
「ふう、間に合ってよかった」
評定衆の席に腰を下ろす幸猛。
「美作…」
「?何か、殿」
「い、いや何でもない。では軍議を始めるぞ」
そして翌朝、死を賭した前田慶次の知らせにより、柴田明家は徳川家康の仕掛けた啄木鳥戦法を看破。天下分け目の関ヶ原の戦いは一日で決着がついた。明家率いる西軍の大勝利であった。小野田勢は奥平勢を破り、敵将信昌を生け捕る手柄を立てた。
松山勢は伊達を追撃したが殿軍を務めた片倉景綱に逆に打ち破られてしまった。
しかし矩久の息子だけあり、矩孝は初陣の身で百戦錬磨の片倉景綱に敗れたことを悔しがる気概を主君明家と父の朋友幸猛に示した。
戦は終わり、笹尾山本陣でしばらく戦場を見つめる明家。もはや夕暮れ時である。
「殿、冷えてまいりした。そろそろ陣屋にお戻りを」
と、幸猛
「うん、なあ美作…」
「はっ」
「阿波と関ヶ原を戦いたかった…」
「…と、殿!」
「助右衛門や慶次の活躍に隠れていたが、俺が戦場を駆ける時はいつも俺の傍らにいて守ってくれた…。あいつは手柄首を追うより、俺を守ることを誇りにしてくれた」
「仰せの通りにございます」
「惜しい男を…!」
肩を震わせている明家。
(見ているか矩三郎…!殿がお前の死に泣いておられる!うらやましいぞ!)
「…智姫は残念であったな」
「…はい」
「成長すれば、さぞや美しい姫となったろうにな…。蘭もさぞや嘆いていよう」
「殿…かたじけのうございます」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
小野田勢はこの後、前田利家を総大将にした徳川領進攻戦、小田原北条攻めにも参戦した。
そして小野田家は小田原城を中心とした相州一国を与えられたのだ。すぐ北には後に柴田家にとり重要な城となる江戸城を作る予定もあるため、いかに小野田家が明家に信頼されていたか推察出来る。
蘭は三十代で初産を迎えたが、その後は戦の合間に帰ってくる良人とせっせと子作りに励み、四十半ばになるまで子を成し続けた。男子三人、女子三人。次女の夭折と云う悲劇はあったが、他の子らは健やかに育っていった。
側室の生んだ子や蘭と不仲であった当時に外で出来た子も入れれば、幸猛は主君明家には一歩譲るが子沢山であった。小田原拝領と同時に幸猛は外で出来た子や生んだ愛人も呼びよせ、ちゃんと面倒を見た。そのころには蘭の父母とも和解しており、実の父母がすでに亡くなっている幸猛は妻の両親に孝行を尽くした。
日欧の役と日清の役を経て、柴田明家は完全に天下統一を果たした。もはや戦はない。息子に戦ではなく政治を学ばせておいて良かった。
これからは石田三成や大野治長のような能吏が台頭する世、自分のような武だけの男が必要ない世になるのだと思い、優れた師を付けて学ばせた。
幸猛嫡男の隆幸は日清の役が初陣であったが戦闘行為はしていない。でもそれでよいのだ。戦場の風に吹かれただけでも、よき経験となる。
幸猛は息子に家督を譲り、小野田久斎を名乗った。『久』の字は朋友矩久よりいただいた字だ。隠居には少し早いとも言われたが長年の武将暮らしが祟ったのか、久斎は病んでいた。
大坂の小野田屋敷、久斎は妻と過ごしていた。彼はもう臥所から出られないほどに弱っていた。
「本当に腹が出てきてしまったの…」
「はい、水沢家三番目の美男子もそうなっては形無しですね」
「頼むから御台様と指差して笑わないでくれよ…」
「まあ、ふふっ」
「しかし本当に御台様の予言通りになったのう…。どうせ最後は正室に泣きついてくると」
「はい、御台様は私より若いのに…。さすが天下様の正室は先見の明がありますね」
「今さら言っても始まらぬが…ずいぶんとそなたを泣かせてきた…。すまなかったのう」
「お前さま…」
蘭の手を握った久斎
「子もいっぱい生んでくれた。何でそんなそなたを若い時の儂は粗末にしたのか…。今も時々申し訳なく思えてのう…」
「もう過ぎたことです、お前さま…」
「ありがとう…。そんな儂を見捨てず最後まで一緒にいてくれて…ありがとう。そなたと夫婦となれて…本当に良かった」
「礼を言うのは私の方…。ありがとう殿」
「さて、智に会いに参るかのう…」
久斎はそれから数日後に息を引き取った。蘭と主君明家に看取られて逝った。その数日後、良人の遺骨と共に蘭が明家に拝謁した。
「良人が死ぬ思いで掴み取った地…。小田原に埋めてあげようと思います」
「蘭殿、いや今は水桐院殿でしたな…。一つ伺いたい」
「はい」
「久斎はどんな良人でしたか」
「…ずっと最低最悪の良人でした。しかし上様と御台様の叱責から襟を正して、最高最良の良人に変わりました。最初が最低だったのですから、それからは好きになる一方でした。こんな優しかったんだ、こんなに子供に温かい人だったんだと、もう新発見の毎日で本当に楽しかった。最愛の人です」
明家とさえは水桐院の言葉を聞き、微笑んだ。そして明家
「久斎は幸せ者だ。そして貴女も」
「はい」
「蘭、大儀であった」
「はい、これにて長のお暇を」
水桐院は小田原に行き、亡夫を弔い生きていたが、ある朝に仏前で倒れていた。すでに息を引き取っていたが笑みを浮かべていたと云う。
ホームページ掲載時から、多少の手直しをしてハーメルンに掲載していますが、原稿の日付を見ると平成24年とか書かれていてビックリ。そんな昔にこれ書いたのかと。いや~、時が流れるのは早いものですね…。