天地燃ゆ   作:越路遼介

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このお話はホームページに連載中に読者さんから『こういうのどうでしょうか』とアイデアが出されたのでノベル化したものでした。


志士隊

 織田信長は武田攻めと加賀一向宗門徒の討伐を二面作戦で行い、そしてそれを成した。水沢隆広は武田攻めにおいて織田中将信忠に付き従い武功も立て無事に帰還し、かつ加賀攻めを担当した柴田勝家も加賀より一向宗門徒を駆逐して、加賀御殿を金沢城と名を改め、かつ改修し佐久間盛政に与えた。

 

 水沢隆広は武田攻めから帰るとすぐに金沢城の改修を任され、その目処が立つと佐久間盛政に城代を明け渡し、引き続き鳥越城に入り加賀領内の検地、新田開発、治水、民心掌握に取り掛かった。

 

 水沢勢は大将隆広が大掛かりな内政主命を受けると兵も、その家族もすべて現地に移動すると言う特異の形を執っている。それは隆広自身が妻子と離れたくないのもあったが、部下やその家族も離れ離れにして寂しがらせたくないと云う気持ちもあった。水沢勢は平均二十二歳と云う若者ばかりなので、ほとんどが新婚である。粋な計らいとも云えるだろう。

 

 

 鳥越城に入り、隆広と石田佐吉の指揮の元、加賀領内の新田開発、治水、検地も円滑に行われ、名工辰五郎の手腕により鳥越城の改修も滞りなく進んでいた。そんなある日の事だった。

「あれ?赤兎がいないな」

 鳥越城の厩舎に隆広は来て、愛馬ト金と共に、乗り換え用に大事に乗っている馬がなかった。武田攻めにおいて武田勝頼自刃の地の天目山。ここに主人たちの死を嘆くようにポツンと立っていた一頭の駒を隆広は連れ帰ったのである。隆広は赤兎と唐土の関羽の愛馬名を付けて愛しんでいた。厩舎の部下が申し訳なさそうに

「申し訳ございません。本日の朝になったら消えていまして…」

 と、報告した。

「……」

「今、探させております!」

「いや、いい」

「え?」

「赤兎が逃げたのは、彼にとり俺が旧主より魅力のない主人だったからだ。そなたのせいではない」

「殿…」

 

 隆広は顔に出さないが、内心悔しいに決まっている。それを汲み取った部下は捜索を続けた。やがてやっと見つけるに至ったが、それは無残な結果だった。

 

 加賀の西の集落、稲垣村。ここに住む農民たちが赤兎を捕まえて食べてしまったのである。轡の輪には水沢家家紋の梅の花がある。間違いなかった。部下が見つけた時にはすでに解体されて焼かれている時だった。

「殿はどれだけ激怒されるか…」

 と、厩舎の部下は包み隠さず全て報告した。

 

 温和な隆広もさすがに愛馬を食われては怒る。拳を握り震わせる。部下は顔を上げられない。

「も、申し訳ございません!手前、腹を切ってお詫びを!」

「よさんか馬鹿者!」

 天目山で哀れにと思って拾ってきた赤兎。それゆえ隆広は時に愛馬ト金が妬くほどに愛しんだ。それが最悪の結末を迎えてしまった。

 傍らにいた奥村助右衛門、前田慶次も馬を愛しむ事には人後に落ちない。隆広の胸中を思うと嘆きを禁じられない。

 

「隆広様、その村人どうしますか。知らなかったでは済みませんぞ。当家の駿馬を殺して食ったなど!」

 と、助右衛門。

「ふう…。もはや取り返しのつかない事を責めても仕方ない」

「と言うと?」

 と、慶次。

「『善馬を喰らっても、美酒を飲まねば体を損なう』と云う。唐土の秦の穆公(ぼくこう)に倣おう」

「は?」

「慶次、越前の旨酒三斗、稲垣村に届けよ。そしてこう言え。美味な馬を食べても、酒を飲まねば体を損なうとな」

「馬を食われた上に酒を届けると!?」

「大将たるもの、民の出来心を咎めるような狭量であってはならない。ましてや柴田は加賀に入府したばかり。門徒数万を虐殺した柴田に加賀の民は少なからず怯えている。それに追い討ちをかけるような愚はしたくない」

 

 

 馬を愛する慶次は渋々ながらも、主命に従い、稲垣村を訪れた。村人は巨漢の武将の来訪に戸惑い怯えた。柴田家の武将たちは加賀の民のすべてを一向宗門徒と思っている傾向がある。それで我らを殺しに来たのかと恐怖した。

 

 稲垣村の民は一向宗門徒ではない。無論のこと誘いはあったが、彼らは固辞したのである。しかし、そんな事情を柴田家が知っているとは思えない。慶次は柴田家の水沢家の家紋が描かれた旗印を持っている。かつ数名の兵を連れていて、いかにも強そう。村人は逃げ出そうとした。逃げようとする村人を制して慶次は言った。

 

「コホン、先日にそなたたちが食べた馬は鳥越城城代の水沢隆広様の愛馬である」

「「えええ―――ッッ!!」」

 

 もう駄目だ。殺される。村人は怯えた。

「主人は『馬を食べても、酒を飲まなければ健康を損なう』と申した。よってそなたらに美酒を賜れた。受け取るがいい」

 慶次の兵が引いていた車を指した。それは越前の美酒である。普段、目が飛び出るような不味い酒しか飲んでいない彼らには無上の美酒である。

「心配せんでも毒など入っておらん!飲むがいい」

 慶次は槍の石突で樽の蓋を叩き割った。美酒の芳香が漂うと村人はたまらない。

 

「ご、ご馳走になります!」

「うまーい!」

「こんな美味い酒初めてだ!」

「もはや取り返しのつかない事を責めても仕方なし…か。なるほどな」

 慶次はフッと笑い、その場を後にした。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 それから数日後だった。一向宗門徒の残党が佐久間盛政の金沢城と水沢隆広の鳥越城を攻めた。門徒の残党は多勢だった。鳥越城の水沢勢に四千、金沢城の佐久間勢にも六千が攻め込んできた。

 

 水面下に潜み機会を伺っていたか、門徒の動きは素早かった。しかもまだ鳥越城は改修中、防御力も乏しい。隆広は寡兵を指揮して戦った。越前の柴田勝家も援軍に向かったと云う知らせも入り、士気も落ちていない。背後に援軍が迫り焦ってきた門徒たちは総攻めを敢行してきた。数に勝る門徒に押され、ついに大手門が破られ城内に雪崩れ込んできた。そしてその時だった。

 

 門徒たちの背後を突如に襲い掛かった一団があった。勝家の援軍が来るにはまだ間があるはずと見込んでいた門徒たちは浮き足だった。兵数はわずか四百ほどであるが、その一団は統率が執れ、真一文字に門徒の総大将の元に突き進む。

 その隙に隆広も討って出た。やがて申し合わせてもいなかった理想的な挟撃がなり、見事に門徒を打ち破り、敵の総大将も討ち取ったのである。

 

「エイエイ、オーッ!」

「「エイエイ、オオーッッ!!」」

 

 勝どきをあげると、隆広はその一団に走り寄った。一団は隆広に一斉に平伏した。

「かような態度は無用だ。ありがとう!礼の言葉もない。そなたたちは何者なのか?」

「オラたちは稲垣村の者ですだ、水沢様の馬を食べた者たちにごぜえます」

「なんと!」

「あの美酒の恩義に答えるため、オラたち参じた次第ですだ」

 隆広は涙が止まらなかった。隆広が秦の穆公に倣ったように、彼らも穆公に恩義を受けた民たちのように自分の危急の時に馳せ参じてくれたのだから。

 

「ありがとう、ありがとう…!そなたらの加勢なくば我らは今ごろ…!」

 今日に名高い、日本版『善馬を喰らっても、美酒を飲まねば体を損なう』である。この故事は優れた大将の粋な許す弁として伝えられている。まこと、このような出方をされると施された方は恐れ入るしかない。そして村人たちは見事それに答えたのである。

 

 隆広は村人たちに役職や恩賞を渡そうとしたが、村人は固辞した。それでは気のすまない隆広は、再び彼らに美酒を五斗贈った。村人たちは『これで十分ですだ』と、嬉々として帰っていった。

 

 しばらくして鳥越城にやってきた勝家も、その村人に感謝を示し、同じく美酒五斗を稲垣村に送り届けたと言う。中国の『善馬を喰らっても、美酒を飲まねば体を損なう』の故事はこの時点で終わっているが、日本版はこれで終わらなかった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 翌年、天災で加賀の西部が凶作になった。隆広を嫌う佐久間盛政も、さすがにそれどころではなく建て直しの協力を主家に要請した。

 柴田家内政官筆頭である水沢隆広はすぐに救済の準備にかかった。稲垣村はその中でも最たるひどさだった。田畑は深刻な水不足で涸れはて、割れ目がひどかった。隆広はすぐに大量の食糧と物資を村人に施したが、窮状は若い娘の身売りさえ考えなければならない状態。

 柴田家の援助で何とか飢えはしのげるが、この田畑の有様では来年さ来年も同じである。数年後、再び美田に作りかえる隆広であるが、この時点ではさしもの農耕達者の隆広もお手上げの状態だった。隆広はあの四百人の大将を務めていた野太郎を呼び出した。

 

「野太郎、結論から言う」

「へえ」

「稲垣村、すべての住人を北ノ庄に移住させる」

「……」

「住み慣れたところを離れるのはつらかろう。しかし、この地は時を置かねば人は住めん」

「しかし、あっしら北ノ庄に行っても暮らすあてがねえずら…」

「俺が何とかする。とにかく移住案を村人に受け入れてもらわなくてはならない。だから最初にそなたの賛同がほしい」

「…分かりやした。水沢様のご指示に従いますだ」

 

『事は何事も一石二鳥にせよ』の養父隆家の教え。隆広の頭には、あの四百人の統率の取れた戦いぶりも忘れてはいなかった。彼のこれからの考えは当時の世では斬新的な事だったのである。

 

 数日後、北ノ庄城の評定の間。主君勝家に対する隆広。

「隆広、稲垣村の移住が完了したそうじゃな」

「はっ」

「ふむ、城外に村を作る事を許すゆえそこに」

「恐れながら殿、彼らを使ってある事を試したいのでございますが」

 評定の間にいた者が隆広を見た。

「申してみよ」

「はっ 彼らの男子を集め、北ノ庄の治安と防災にあたらせます」

「なに…?」

「彼らはわずか三斗の酒の恩義に、たった四百名で劣勢の我らに加勢に来ました。しかもその統率たるや見事。農民とはいえ我ら武士も見習わなくてはならない報恩の儀を知り、そして自分たちの持つ力の使い方を知っている者たちです。ただ野良仕事をさせておくには惜しいのです」

「ならば兵として召抱えれば良かろう」

「…それは以前に拒否されました」

「ふむ…」

「コホン、隆広。治安と防災と云うが具体的にはどんな任務なのじゃ?」

 と、中村文荷斎。

 

「はい、越前加賀は富み出し、移民も増えてまいりました。中には好まざる者たちも来ます。とはいえ法を多く作りすぎるのは国を滅ぼす元、彼らが取り締まるのは治安三か条『人を害すれば重罪』『合戦以外で人を殺せば死罪』『金銭や物を盗みし者は、その軽重によって罪を判断』による、物資の盗難、他者への危害の二点。防災は火災の消火活動や河川に落ちた等の救助活動にあげられます。今までそれは北ノ庄の兵士たちが交代で行ってきましたので、かように重要な任務なのに広く浅くが現状、専門集団を作る事を前から考えていました。そしてその任を彼らに任せたいのです」

 これは織田信長さえも行っていない専門機関の樹立だった。柴田勝家は興味を示し出した。

 

「無論、越前と加賀にこれを完全に流布するのは現状では不可能です。まず彼らにやらせてみて、効果を見ていき農民の次男三男などを新たに公募して増やせばよいかと。つまり民に奉仕せし隊を作るのです」

「いいだろう、やってみよ。当面の将はそなたが務め、後にしかるべき人物にその隊預けてみよ」

「ハッ!」

 

 隆広はすぐに野太郎たちに預けた土地に向かった。勝家に具申した事はすでに野太郎たちに相談していた。水沢様の提案ならばと彼らは、その任を受ける気でいた。そして隆広は新たな稲垣村の中央に各家から男子を集めて、主君勝家がこの件を承知したと伝えた。

「殿が隊の結成を認めてくれた。これからそなたたちの双肩にこの町の平和がかかっている」

 

 期待と同時に不安もあった村人たち。

「で、ですが水沢様、無学な我々にそんな大任務まりましょうか」

「無学も博識も関係ない。『民のため』と思えば良い。いいか、そなたたちの村が天災により飢饉になったとき、誰が最初に救おうと言い出したと思う。この北ノ庄の民たちだ。彼らはそなたらが三斗の酒の恩義で俺の援軍に来た事に喝采をあげ、そしてそなたらが難儀に陥った時には、彼らが俺に稲垣村を助けましょうと述べてきた。そなたらに届けた米は北ノ庄城や金沢城の米じゃない、この北ノ庄の民たちの米なのだ。この世は持ちつ持たれつだ、助け合っていこうじゃないか!」

「「ヘイッッ!」」

 

 さらに隆広は一計を案じて、源吾郎ら北ノ庄の商人たちにも資金の提供を呼びかけた。山賊や町の盗賊にも少なからず怯えて暮らさなければならない彼ら。その損害に比べれば一人の出資額は微々たるものであったため、何より隆広の要望である。商人たちは喜んで定期的の資金の提供を約束した。柴田家、そして北ノ庄の商人たちにより作られた町の治安を守る隊。

 

 隆広は結成の時、旗に『志』一文字の旗に書いて贈り、名を『志士隊』とした。

 これが今日の日本の警察と消防の起源であると言われている。

 初代の大将は水沢隆広であるが、在籍わずか一週間で野太郎にその座を渡して、すべて任せたのである。

 

 北ノ庄の治安は飛躍的にあがり、消防活動においても工兵隊の辰五郎と話し合い、手動式の龍水砲、つまり揚水ポンプも開発して消火活動にあたり、勝家と隆広を大いに喜ばせた。彼らは何より『志』の旗印を自分の魂と思い大切にし、民のために働いた。毎年の新人隊員募集の時は希望者が殺到すると云う。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 そして歳月は流れた。ここは大坂城城主の間。一人の鷹匠が青ざめて面会を申し出た。

「も、申し上げます」

「なんだ?」

「す、すいません、殿様の鷹の風丸が逃げてしまいました!」

「なに?」

「も、申し訳ございません!それがし腹を切って!」

「よさんか馬鹿者!で、風丸はどこまで逃げた?」

「は?」

「海の外まで行ったか?」

「い、いえまだ畿内にいるかと」

「ならばいい。それなら柴田の領内にいると云う事だろう。下がるがいい」

「は、はい!」

 

「ふ、ふふ…」

「どうした野太郎」

「いや、もしかして我らが殿の馬を食べた時も今みたいな感じだったのではないかと思い…それで可笑しくなって」

「そうだな…。あの時も腹を切ろうとした部下に『よせ馬鹿』と言った気がするな。あっはははは!」

 

 水沢隆広は柴田明家と名前を改め、日本最大勢力の大名となっていた。実父であった柴田勝家の後をついで、柴田家君主として大坂城にいた。

 野太郎は現在、国防奉行となっており、名も稲垣伊予守良成と名乗り士分にも取り立てられていたが、あくまで『志』の旗の下で働く男であった。今日は主君明家に昨年の火災件数と犯罪件数の報告書を提出に来ていた。

 

「しかし、あれから何年だ」

「そうですな、もう十年になります」

「そんなになるか、アッと云う間だったな」

 この『志士隊』の仕組みは他の大名も真似て、領内の治安と防災を守る専門機関を樹立させている。

「今だから言えるが、あの日、そなたたちが鳥越城に援軍に来てくれて…その理由が赤兎を食べたのに対して俺が罰せず酒を贈ったからと聞いて…赤兎が姿を変えて助けに来てくれたと思った。そしてあれから越前加賀はそなたらの尽力で平和となり、今この大坂の地も実に平和だ。赤兎もこの良縁の端となって…きっと喜んでくれていると思うのだ…」

「殿…」

 

「野太郎、いや伊予、報告あい分かった。また、そなたの立案した救命籠も先日に採用が決まった。源蔵館の医師たちとよく話し合い、よい仕組みとせよ」

「はっ」

 

『救命籠』これは日本初の救急車の概念である。荷台に幌をつけ、人一人が横になれる担架が置かれてある。源蔵館医療学校で学んだ医師が乗り、籠の中には医療具が常備されている。大坂の城下町に二十隊配備され、源蔵館や他の診療所に迅速に急病人や怪我人を搬送する仕組みとなっている。稲垣良成が立案し、柴田明家が採用した。

 

 柴田明家ほど『日本初』をやった人物はいないと言われるが、すべてに共通しているのは領民のためと云う事が今日の明家人気の要因と言えるだろう。特にこの救命籠は無料としている事が画期的である。戦国時代にここまで仁政を行った明家だが、それを支えた石田三成や大野治長、そして稲垣良成のような家臣たちの働きも素晴しい。

 

 城下町から番鐘の音が響いた。

「ん?火事か?」

「そのようですな」

 明家と良成は天守閣の縁側に出た。一軒の家から黒煙が上がっている。

「これはいかん!殿、それがしはこれで!」

「心配いらん、もうそなたの部下たちが到着しているではないか」

「え?」

 

 天守閣からその様子を見る。各々の火消し組の大纏が立つ。そして迅速に消火と破壊活動が行われていた。すでに火勢は鎮圧状態。

「あれなら延焼もあるまい。見事な仕事振りだ。ようあそこまで仕込んだな伊予」

「もったいなき仰せに」

 しばらくして、火災が鎮火した頃。

「お、殿。風丸が戻ってきましたぞ」

「そのようだな」

 明家の腕に止まった風丸。

「おうよしよし」

 そうして明家はもう一度風丸を飛ばせた。平和な大坂の空を気持ち良さそうに飛ぶ姿を明家と良成は微笑み眺めていた。


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