天地燃ゆ   作:越路遼介

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外伝さえ 参【父のお墓】

 祝言三日後、隆広は勝家の使いで安土に出向した。さえは北ノ庄城にあがりお市と姫たちに奉公して良人の帰りを待っていた。

 そんな時だ。北ノ庄城に水沢隆広の使いと云う者が来た。奥村助右衛門と云う、何とも堂々とした武将。

 柴田勝家をして『沈着にして大胆』と評された助右衛門だが、さえが知るよしもない。助右衛門が来たのは一乗谷で舟橋の架橋を行うので勝家に資金を出してもらうためだ。首尾よく勝家に資金を出してもらい召集された辰五郎一党のもとに助右衛門が歩きだしていると

 

「もし…」

 さえが呼びとめた。

「…?なにか」

 当たり前だが助右衛門はさえを知らない。

「私、水沢の室です」

「おお隆広様の。それがしは奥村助右衛門永福と申します。こたび大殿(信長)の人事にて隆広様に仕えることと相成りました」

 こんな堂々とした武人を部下に持って大丈夫なのかとさえは思った。

「あ、あの…。良人は外見こそ頼りないかもしれませんが…」

「…奥方はそれがしが見かけに威厳のない隆広様を侮ると見たのですかな?」

「い、いえそんな」

 

 図星だった。さえには隆広の顔は立派な顔立ちと映るが、それは女視点で、かつ妻の身びいきもある。助右衛門のような修羅場を越えてきた武人には隆広の顔立ちなど何の苦労も知らない御曹司にしか見えないのではないかと思った。だから頼りない外見ですが武勲もすでに立てているし、内政で活躍していると口添えを試みようとしたら助右衛門に見抜かれた。

「ははは、見かけは確かに頼りない。しかし才覚と器量はある」

「え?」

「何より細君がお美しい。細君を見れば男の器量が知れるもの。奥方を見て良い主君を得たと云う気持ちはより強くなりましたぞ」

「そ、そんな…(ポッ)」

「では、ご挨拶は後ほどに。ここはこれにて」

「あ、奥村様」

「は?」

「一乗谷に架橋すると聞きましたが…」

「ええ、先日の大雨で流されてしまいましてな。それで隆広様が思いついたのが舟橋でござる」

「ふなはし…?」

「重りを載せた小舟を鉄鎖で繋げる橋にございます。ははは、ご主君の受け売りですが」

「そんな橋が出来るのですか?」

「言った以上は作るしかないでしょうなぁ、あはは」

「はあ…」

「完成したら奥方も見に来られるが良いでしょう。ご亭主の仕事を」

 

 さえが舟橋完成を聞いたのは、それより四日後であった。工事期間わずか三日と云う驚異的な早さである。当初隆広は急場をしのぐ臨時の橋と位置付けたが一乗谷の人々は『これで十分です』と隆広に礼を述べ、今後舟橋は一乗谷の名物となり、何より突貫工事であったのに舟橋は壊れなかった。

 

 舟橋の架橋を終えて隆広はやっと帰宅した。安土に出かけてからそんなに経っていないがまるで何年も離れていたかのように会うや抱き合う。すぐに求められたが、まだ外は明るいので我慢してもらった。腕によりをかけて作った夕餉。膳を見るなり目を輝かせる隆広。

「わあ、今日の夕餉も美味しそうだなぁ」

「今日お帰りになることは分かっていましたから、市場で良いお魚と鶏肉を買っておいたのです」

「美味い夕餉に目の前は美人の嫁さん、バチが当たるくらい幸せだ」

「うふ、さあ冷めないうちに」

「いただきまーす」

 

 美味しそうに食べる隆広。喜色満面の顔にさえも嬉しい。

「お前さま、聞きましたよ。一乗谷の町に橋を架けたそうですね。しかも世にも珍しい舟橋とか」

「本当は架橋の必要性を殿に報告するだけだったんだけど、何か成り行きで工事をすることになったんだ」

「早くも北ノ庄から見に行く人がいるそうです」

「さえも見たいか?」

「はい!」

 

 珍しい橋を見たいこともあるが、良人の仕事も見たい。一乗谷はさえの生まれた町。翌日、さえは隆広に連れられて一乗谷を訪れた。九頭竜川の川面に気持ちよさそうに浮かぶ舟橋。何とも優美。これを良人が作ったのかと思うと嬉しい。

 さえは何度も橋を往来した。時々さえに跳ねる水しぶき、それをよける仕草など隆広から見て天女のような美しさ。舟橋を見て和歌を吟じていた歌人がいたが、

「ほう、絵になるのう、あの娘さん」

 と、つぶやく。橋のたもとで耳ざとく聞いた隆広。

(そうだろそうだろ、俺の嫁なんだから)

 

 

 それからしばらくして勝家から主命を受けた隆広。隆広の義父景鏡の旧領である越前大野郡。

 すでに勝家の領地となっているが、その一帯は旧領主の愚行も相まってか内政手つかずの状態。隆広は民心掌握、新田開発、治安向上、道路拡張、そして空き城となっている大野城の破却と云った主命を受けたのだ。

 

「大野城の破却に?」

 と、さえ。

「うん」

「……」

「一緒に来るか。今回の内政は長くなる。俺はそなたと少しでも離れたくない」

「いえ…」

 さえは断った。誇りだった大野城。それを良人が破壊するところなんて見たくない。それを察したか、隆広はそれ以上望まずに家臣と兵、そして職人衆を連れて任地へと向かった。それを見送るさえ。

 

(なんて皮肉なんだろう。父の誇り大野城に完全に引導を渡すのが良人だなんて…)

 隆広は時々北ノ庄に帰ってきた。勝家に中間報告をするためと、さえと子作りをするためである。ひとしきり満足するまで泳ぎ切った二人は床の上で静かに話した。

「なあ、さえ」

「はい」

「開墾と道路拡張の工事はもう現地領民に委ねられるほどになった。治安も上がった」

「まあ、お前さまはすごい」

「ありがとう、で…明日に大野に戻ったら、いよいよ城を破却する」

「え…」

 今までやっていなかったのかと逆に驚くさえ。

「空き城じゃなかったよ」

「誰か住みついていたのですか?」

「いや、現地の人々が訪れ庭の手入れや城の補修もしていたようだ」

「どうして…」

「柴田が暴政をしたら城に立て篭もり一揆を起こすつもりだったらしい」

「だった?」

「ああ、今回のことで民心も上がったので一揆はしない方向になった。つまり現地の人々にとっても大野城は役目を終えたということだ。つい先日に城の破却を領民も認めたからな。明日にやる」

「お前さま…」

「ん?」

「北ノ庄の支城として存続は出来ないのでしょうか」

「…一乗谷に対してはその役割を持てるが、北ノ庄では地理的に支城として機能しない。申し訳ないが…」

 

 肩を落とすさえ。半ば分かっている返答であった。勝家が決めた破却にどうこう言えるはずもない。荒れた城になり果てていないのならと思ったが、あきらめざるを得ない。

「そうですか…。大野のお城が…ぐすっ」

「確か五つから十二までそこにいたんだよな」

「はい…」

「城の中には何もない。義父殿の何か遺品でも思ったが、すでに略奪されつくしてあった。畳すらなかった。少女期のさえが踏んだ畳に触れたかったのに残念だよ」

「……」

「破却、見に来るか。大野城最後の姫として」

「いえ…。やはり見たくありません…」

「そうか」

 

 翌朝、隆広は馬を駆って任地に戻った。見送ったさえは空を見上げた。

「父上、私の良人が本日に大野城を壊してしまうそうです…。形あるものはいつか壊れるもの、仕方ございませんね…」

 隆広はこの二日後、再び帰ってきた。子作りをするためではなかった。

「お帰りなさ…」

「さえ!」

「は、はい!」

「義父殿の遺品を見つけたぞ!」

「ええ!?」

 玄関口でそれを見せた隆広。

「九頭竜川の地形図だ!図籍庫の片隅にあったんだ!」

 地形図を手渡され、それに見入るさえ。まぎれもなく父の筆跡で地形図の隅に『朝倉式部大輔』と筆者の名前がある。景鏡のことだ。

 

「あああ…!父上!」

「見事な製図だ。辰五郎も舌を巻いていた」

 地形図を抱いて涙を落とすさえ。

「だが、それは未完だ」

「おそらく織田の侵攻で中断せざるを」

「だろうな、だが見ていろよ、俺がそれを完成させてやる」

「お前さま…」

「越前の人々に教えてやろう。お前たちが裏切り者と呼んでいる男はこれほどにお前たち越前の者たちに尽くそうとしていたと!」

「お、お前さま…。さえ嬉しい!すごく嬉しい!」

「俺も嬉しいよ!妻の喜んだ顔は何よりの馳走だ!」

 

 この時の隆広は仕事に追われて時間がなかったのか、さえと口づけしただけで立ち去った。この嬉しさを身を委ねて表したかったさえは少し残念。

 だが嬉しかった。父の景鏡の偉業を示す品が見つかったのだ。さえは神棚に供えて手を打った。

「父上、私の良人は日ノ本一番の男です!」

 

 後日談となるが、隆広はこの約束を果たした。この後に九頭竜川全域地形図を完成させたのだ。一度も顔を合わせたことのない舅と婿の共同作業であった。この図面に沿って後の九頭竜川治水は成し遂げられている。この地形図は隆広の『広』と景鏡の『鏡』の字を合わせて『広鏡図』と呼ばれ、九頭竜川治水の成就後はさえに贈られている。

 さえは一生父と良人の共同作業である『広鏡図』を大切にした。今日の製図方法から見ても正確な出来栄えであり、現在は国宝に指定され福井県の九頭竜川歴史資料館に保管されている。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 伊丹城攻めを経て隆広は益々軍事と内政に重用されだし、新たな主命が言い渡された。

「もう次の仕事が?少しは休ませてくれても良いものを…」

 そう勝家に愚痴りたいさえだった。

「俺から殿に進言したことだ。まあそんなに心配しなくても、体はさほど酷使していないよ。俺は指示しているだけだから」

「とはいえ、色々と気をもんでお疲れに」

「若いうちの苦労は何とやら。望むところだ」

「私はお前さまと一緒にいたいんです」

「それは俺もだ。だから今度の仕事は心配ない。北ノ庄でやる仕事だから」

「そうなんですか?」

「城下に掘割を作る。城下町に水運の機能をつけるんだよ」

「…?…?」

 

 難しい話で分からない。隆広は改めて説明。城下と近隣の村や町を用水路で繋げて水運を実施できるようにすると。

「舟で色んな物資を運べるんだ。便利になるぞ」

「それをお前さまが?」

「まあ治水の応用だな。用水路が出来たら舟に乗って遊ぼう」

「は、はい!楽しみにしています!」

 

 しかし北ノ庄でやる仕事ならば、さえも家の中でのんびり留守番を決め込むわけにもいかない。

 掘割の現場では給仕に励む。限られた資金の中で職人たちに十分な食事を与えなければならない。さえは良人の家臣である石田佐吉と懐事情を正確に把握し、どれだけ安く、かつ美味い食事を用意立てるか知恵を絞った。

 

 織田家軍団長時代の柴田家の大事な財源ともなる掘割。水沢家の女たちの先頭に立ってさえは働いた。勝家配下時代の隆広が内政で目覚ましい成果を上げられたのも、こうしたさえの内助があったからである。

 

 そして、掘割の作業もだいぶ目処がつき出したころ、隆広から嬉しい贈り物があった。父の景鏡の墓である。本当に墓を立ててくれた。しかもこんなに早く。嬉しくてたまらないさえ。隆広は『妻への贈り物としては華やかさに欠けるかもしれないが』と言ったがとんでもない。これ以上の贈り物はない。しかも墓だけではなかった。

 

 改めて葬儀を行うべく、かつて隆家の葬儀も行った寺の本堂に入った時、さえは我が目を疑った。父の景鏡の陣羽織、甲冑、兜、采配、小母衣、そして遺骨まであった。

 

 良人隆広が大野郡内政のおりに尽力して見つけてくれたのだ。涙が止まらなかった。九頭竜川の地形図だけでも飛び上りたいほどの嬉しさだったのに、装束や遺骨まで見つかった。その喜びに加えて良人の優しさがとてつもなく嬉しかった。

「父上、さえは本当に幸せです。こんな素晴らしい方と夫婦になれて」

 

 しかし、この妻が泣いて喜ぶ贈り物が一つの皮肉を生じさせる。

 さえが朝倉景鏡の娘と露見してしまったのだ。さえはこの時まで平民出身と目されていた。経緯は不明なれど、お市の侍女になり、そして隆広の使用人となって妻となったと。この墓がなければ、伝承においてさえの出自は平民の出と記されていたかもしれない。

 だが実は越前を織田家に売った朝倉景鏡の娘であったのだと、この墓から露見した。

 

 

 勝家に呼ばれた隆広。

「何てうかつなことをした」

「殿…」

「北ノ庄に景鏡の墓があるなんて大殿に知れたらどうなるか、その方まったく考えなかったのか」

「申し訳ございません。ただ父の墓もないさえを思い…」

「大殿は景鏡を毛嫌いしていた。裏切り者は織田家に利する行為を行った者とて許さぬ人柄だ」

「……」

「すぐに墓を壊せ。遺骨ならばそなたの家で祀ればよい」

「そ、そんな!」

「壊すのが嫌ならば、せめて人目に付かぬ所へ移動せよ。しかと申し渡したぞ」

 肩を落として帰宅した隆広。いつも笑顔で出迎えてくれる妻が出てこない。

 

「おーい、さえ」

 家に入るとさえは暗い部屋の中で泣いていた。

「どうした」

「お前さま、私…悔しい…」

「泣いてちゃ分からない、どうしたのだ」

「父上のお墓が壊されました…」

「何だと?」

「悔しい、悔しい!死ねばみんな仏なのに!」

 さえの前には景鏡の遺骨もあった。墓を壊した者もさすがに遺骨まで手は出さなかったようだ。これだけは取られてなるかとさえは持ちかえった。

「…すまん、俺が」

「やめて下さい、謝らないで下さい!」

「さえ…」

「父のお墓を建てたことを…お願いですから間違いだったと思わないでください!」

「……」

 

 翌日、出仕前に景鏡の墓地を訪れた隆広。さえも一緒だ。墓標は無残に叩き折られている。隣の隆家のお墓には献花も絶えないと云うのに景鏡の墓は無残だった。

「ひどいものだ…」

「悔しい…」

「これは水沢様…」

「これは和尚、おはようございます」

 北ノ庄福志寺、その住職の立慶、それが隆家と景鏡の葬儀も行った和尚である。新しい墓標を担いできた。

「奥方、涙を拭きなされ」

 さえに手拭いを渡す立慶。

「和尚様…」

「ひどいことをするものだ。死ねばみな仏であるのに…」

「ありがとうございます…」

 隆広、さえ、そして立慶で新しく墓を建てていると

 

「裏切り者」

「売国奴の娘」

 さえに酷い罵声が浴びせられた。北ノ庄城下の民だった。水沢家は武家屋敷、町民たちは行けない。だからさえが朝になって墓に訪れるのを待ち構えていたのだろう。さえは罵声を背中で聞いて下唇を噛んだ。

「お前の親父のせいで朝倉は滅んだんだ!」

「織田家に父と兄を殺された!みんなアンタの父親のせいよ!」

 落涙する妻の横顔を見て隆広は我を忘れ、刀を握った。

「貴様らか!この墓を壊したのは!」

「お前さま!」

 隆広の腕を掴んださえ。

「何故止める!」

「本当のことですから…。う、うう…」

「さえ…」

 

 朝倉氏が滅び、その居城だった一乗谷城は破却されて越前の国府は北ノ庄城となった。旧朝倉の領民や旧臣なども移民している。朝倉旧臣で織田家に仕えた者は幾人かいるものの信長は一人も重く取り立てていない。朝倉家は信長が越前侵攻してより、わずか八日で滅んでいる。そんな脆い朝倉の者など役に立たない、そう思っているのだろう。

 

 後年凡愚と呼ばれる朝倉義景であるが、実際に信長が侵攻してくるまでの越前の豊かさと平和さを見るに、優れた為政者としての顔もあったと伺える。

 朝倉家あって生活が成り立っていた者も数えきれない。織田信長は越前の侵攻には情け容赦なかった。朝倉を滅ぼした後には越前一向一揆の討伐に乗り出して、皆殺しにしている。柴田勝家が入府したのはその後である。今でも織田家を怨んでいる者は多く、召し抱えられたとしても冷遇され不満に思っている者も多いだろう。

 

 これより後に仁政を施した勝家によって旧朝倉の者たちの憎しみも少しずつ解消はしていくものの、この当時はまだまだ織田家と柴田家は憎まれていた。

 

 朝倉家が滅んで生活の基盤を失った者、家族を殺された者、冷遇されている者、それらが怨むのは織田信長であり、国主義景を裏切り死に追いやり信長に越前を売り飛ばした朝倉景鏡なのだ。

 しかし景鏡はすでに鬼籍にあり、信長は目の前にいない。むごいことに怨みの矛先はさえに向けられた。

 

 さえが尼僧にでもなって慎ましく生活していれば印象も違ったであろうが、かつて敵であった柴田家の足軽大将の妻となっており、不自由のない暮らしをしている。彼女は生き残った朝倉縁者の中でも恵まれていたのだ。

 諸悪の根源の男の娘が恵まれた暮らしをしている。だから反発は大きかった。まさに汚名は子孫にまで及ぶ。この矛先からさえを守るのは自分しかいない。隆広はさえに罵声を浴びせる者たちに言った。

 

「妻に怨みごとを言いたいのであれば、集団で一人を責めるのではなく、一人一人当家に来て面と向かって言え!墓を壊すなど陰険極まりないことをするのは武士町民関係なく人として最低の行為だ!」

 正論だが、それで片付くほど怨みは浅くない。

「景鏡の墓があること自体、我らには許せない」

「何度でも壊すぞ」

「ならば俺は何度でも建ててやる!お前らが十回壊そうが、俺は十一回建てる!」

「お前さま…」

「お前たちは知るまい、景鏡殿が越前のことを考え家の財を切り崩してまで九頭竜川の治水を成し遂げようとしていたことを!」

「たとえそうでも結果は何だ。義景様を殺して越前を信長に売り飛ばしたじゃねえか!」

「当人の事情は当人しか分からない!お前たちは裏切る者の痛みが分かるのか。どうしても裏切らざるをえない者の苦しさが分かるのか!誰が喜んで裏切りなどを打つか。景鏡殿は裏切らなければ生きていけぬ、そう判断したのだ!」

「結果は自滅しているじゃないか」

「その時において、自分の下した決断が最大の成果をもたらすなんてことは誰も分からない。何より景鏡殿の遺骨と遺品を預かっていてくれた者は景鏡殿の旧領の民たちだ。これほどに景鏡殿は民に慕われていたのだ!よいか、俺もお前たちも裏切る者の痛みも苦しみも知らない。その痛みを知らぬ者が痛みを知る者を謗る資格などどこにもない!」

 

「口は重宝よな、さすが声一つで門徒三万を退かせた男、帰ろう」

 民たちは捨て台詞を残して去っていった。

「お前さま…。ありがとう…」

「礼には及ばない…。今の者が言った通り、口は重宝だよ…」

「え…?」

「養父隆家は斎藤三代に仕え、一度も裏切ることなく名将と呼ばれたまま死んだ。その養父から主家を裏切るのは武人としてならぬこと、主家が傾きかけた時こそ支えるのが武人、そう教えられている俺だ…。大殿ほど熾烈ではないにせよ、俺にも裏切り者は許し置かない気持ちが宿る…」

「…ならば何故父を庇ってくれたのですか」

「立派に大野を治め、九頭竜川治水をやろうとした慈愛の心を持つ君主だったじゃないか…」

「…お前さま」

 

「義景殿と義父殿が不和だったことは知っている。しかしそれは私心、義父殿は家のため、大野の民のため、そして娘のため、断腸の思いで裏切ったのだと思う。結果が報われなかっただけだ…」

 

 実際、織田信長は景鏡の旧領である大野郡に攻め込んでいない。他の朝倉領は織田に蹂躙されたと云うのに大野郡は無傷である。

 景鏡は結果自領の民を信長の攻撃から守っているのである。しかし守った民にも景鏡は謗られ、そればかりか一部の民は一向宗門徒と手を組んで景鏡の居城である大野城を落とし、やがて討ち取っている。

 だが景鏡の心底を分かっている民もまたいたのだ。だから景鏡の遺骨と遺品は残ったのだ。

 

「その通りだ水沢殿」

「和尚…」

「愚僧も大野の生まれ、式部大輔殿(景鏡)の行いが結果大野の民を救ったことくらい分かる」

「あ、ありがとうございます和尚様…」

「しかし、朝倉滅亡により生活の基盤を失い、親兄弟を失った者は理解しようとしまい…」

「その通りです」

「…ぐすっ」

 さえの涙を拭く隆広。

「こうなりゃ根競べだ。何度でも墓を立ててやる」

「お付き合いいたそう」

 

 立慶和尚も応えた。隆広はこの時の立慶の武士以上とも言える気概に惚れこみ、後年に安土を経て大坂に建立する柴田家の菩提寺西光寺の住職に取り立てている。

 ちなみに言うと隆広嫡子の竜之介の守り役となる永平寺の高僧宗闇は立慶の兄弟子にあたる。

「さえ、一気に逆転する方法はない。根気よく認めさせていくしかない」

「…はい」

「墓を移築することは考えていないのですな?」

 と、立慶。

「それでは負けです。あの世の義父殿に合わせる顔がない」

「ふむ…」

「柴田家の治世によって心ない民を、心ある民に換えてみせる」

 

 たとえ十回壊されても十一回建ててやる。隆広、さえ、立慶はまさにそれを実践していき、隆広の言った例えの十回を経ると一部の心ない民も根負けし、やがて大人しくなっていったが景鏡の墓の存在を許したわけではない。

 

 意外にも柴田や水沢家中ではさほどの波紋はなかった。勝家とお市自身元から知っていることであり、佐久間盛政の正室秋鶴も朝倉縁者であり、隆広嫌いの最右翼である盛政が『妻が朝倉景鏡の娘』については一言も言わなかったゆえかもしれない。水沢家では奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉は『その事実を聞いたらどうにかならなければならないのか?』と平然としており、隆広の兵たちも『誰が父上であろうと奥方様はいい女だよ』と日ごろ大事にされているゆえ文句も言わない。

 

 柴田家の行政官の立場にある隆広。武と強権で黙らせるのは愚、仁政で黙らせる、さすれば向こうから頭を下げてくる。まだ俺は恵まれているのだ。内政と云う技で妻を攻撃する矛先から守れるのだから。良人の『それでは負けだ』の言葉。さえ自身の誇りにも火を着けた。景鏡の娘と露見した当初、城下でも陰で謗られた。時には聞こえるように言ってくる者もいた。家から出るまい、そう思ったことがある。

 しかしそれは負けなのだ。

「そうよ、あの人の言う通り。娘の私が負けてどうするの」

 さえは平然と城下を出歩き、買い物をしている。言いたければ言え、今に見ていろ。さえも負けなかった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 だが、意外なところから予期せぬ事態が発した。織田信長の耳にも入ってしまったのだ。安土屋敷にいた勝家はすぐに召され

 

「ネコの女房が景鏡ずれの娘とはまことか」

「…事実にござる」

「その方、それを存じておったか」

「存じておりました。その娘は朝倉の滅亡と父の死で絶望し、東尋坊で身投げしようとしていたところをそれがしが助けた娘、お市もことのほか可愛がり…」

「ふん…」

「一つ屋根の下で住み、情が湧き、後に夫婦になってもらえればと云う意味で、隆広めの使用人としました」

「それでネコが妻としたわけか。まあ経緯はどうでもよい」

「は?」

「すぐに離縁させ、ネコに茶々を与えよ」

「な…!?」

「これで儂の義理の甥となろう。なかなか使えそうゆえな、姪をくれてやる」

「し、しかし…!」

「命令だ。ネコと茶々と夫婦とせよ」

 出来るはずがない。隆広と茶々は同腹の実の兄妹である。しかし、それは信長に言えない。

「安土の柴田屋敷で祝言を挙げよ。媒酌人は儂が務めてやる」

(なんということだ…!)

 

 

 北ノ庄に戻った勝家、ことの詳細をお市に話した。

「馬鹿な…!」

「……」

「隆広と茶々は実の兄妹なのに…!」

「…ふむ」

「いや、それ以前に隆広がさえを離縁するわけが!」

「我らで気を揉んでも仕方ない。隆広に通達しよう」

「殿!」

「どうするかは隆広に決めさせる」

 

 勝家が隆広の屋敷に行った。さえは二人の茶と菓子を用意して部屋に歩いた。すぐに隆広の声が聞こえた。

「それがしと茶々姫様が!?」

「……?」

「ふむ、大殿の命令だ」

 さえは悪いと思いながらも聞き耳を立てた。

「ことわっ…」

 どうして断ってくれなかったのか、それは勝家に言うのを堪えた隆広。勝家は信長の後宮計画を頓挫させ、かつて信長の弟の信勝(信行)を擁立していた経緯がある。

「すまぬ…」

「…それがし自身が安土へ参ります」

「隆広…」

「念のため申しますが、茶々姫様が気に入らないわけではないのです。それがしは…」

「分かっている…」

 廊下で茶碗が落ちる音がした。さえに聞かれた。

「失礼いたします!」

 隆広は急ぎさえを追いかけた。

「さえ!」

 庭の隅で泣いているさえを見つけた。

「…さえ」

「いよいよ、織田の大殿に…」

「ああ、でも断ってくるよ。安土行きの準備を頼む」

「やっぱり…私は裏切り者の娘なんですね…」

「何を言っている!」

「すみません…。私なんか妻にしたばかりにお前さまに嫌な思いばかりさせて…」

 さえの両肩を握り、自分に振り向かせた。

「俺はそなたじゃなきゃ嫌なんだ!」

「お前さま…」

「たとえ第六天魔王であろうが、人の恋路を邪魔すればどうなるか、堂々と言ってまいる!」

 

 数日後、隆広は安土に行き信長に謁見。

「祝言の準備はどうかネコ」

「何もしてはおりません。それがしは茶々姫様と結婚できませんので…」

「……」

「姪御を下されると云う過分の計らい、しかしながら拝命できません。それがしには一生添い遂げると誓った恋女房がおります」

「景鏡ずれの娘など捨てろ。あんな男の血が混じった娘などロクなものではない」

 隆広はさえの悪口を景鏡の名前をもって言われることが一番許せなかった。相手が信長でさえなければ刀を抜いている。隆広は堪えて答えた。

 

「大殿、かような例えを言うことをお許しください」

「ん?」

「もし、いまだ越前朝倉家が健在ならば、それがしの妻は朝倉の筆頭家老の姫、最近まで牢人であったそれがしにとっては高嶺の花です。しかし、たとえ朝倉筆頭家老の姫として牢人のそれがしに巡り合ったとしても、妻は必ずそれがしを伴侶として選んでくれたでしょう。それがしには妻はさえ以外に考えられません」

「……」

「妻を、景鏡殿の血をもって疑うのならば、それがしが働きによって、その疑いを晴らすのみ。何とぞ茶々姫様との婚儀はなかったことに」

「ネコ」

「はい」

「そんなにいい女なのか?」

 身を乗り出して隆広に問う信長、隆広は意外な問いかけに驚いた。

「は、はい、はばかりながら日本一です」

「ふっははは、そうか」

「大殿…」

「もうよい、下がれ」

「は、はい!」

「ネコ、主家の姫を娶ると云う武士として幸運を突っぱねてまで添い遂げようとした女房だ。大切にするがよい」

「しょ、承知しました!」

 

 信長の予想外な反応に喜ぶ隆広。もっとも信長は秀吉とねねの夫婦喧嘩の仲裁をする手紙を発するなど、時に意外な思いやりを見せる時もあった。この時の隆広への言葉もそんな気持ちが出たのかもしれない。城主の間から出た隆広、それを呼びとめた女がいた。

 

「水沢殿」

「はい」

 隆広をジーと見つめる女。そばにいた侍女が

「お控えなされ、御台様にございますぞ」

 御台、つまり信長正室の帰蝶のことだ。あわてて平伏する隆広。

「お初に御意を得られ、恐悦至極に存じます!柴田勝家家臣、水沢隆広と申します!」

「初めてではないのですけどね…」

 

 顔を上げて見ると帰蝶は優しい笑みを浮かべていた。

「は…?」

「大きくなって…。私も嬉しゅうございます」

「…?…?」

「失礼ながら先の言葉、聞こえました。貴方の女房は日の本一幸せな女房ですね」

「あ、ありがとうございます」

「大切にするのですよ」

「は、はい!」

 帰蝶は立ち去った。しかし分からない。初対面ではないと帰蝶は言った。隆広には会った記憶はない。

「気になるが…いつかお話しいただける時もあるだろう」

 

 隆広は北ノ庄に帰っていった。信長が今回の婚儀について退いたのは、帰蝶のとりなしがあったとは知らない隆広だった。『馬に蹴られて死にたいのですか』そう言われ信長も苦笑いし、毅然と否と申せば退くと帰蝶に約束していたのだ。

 

「どうやら馬に蹴られずに済みそうだな」

「はい」

「しかし、そなた前からネコのことを知っているような口ぶりであったが」

「隆家殿を通じて存じていました。養子をもらったと聞いていたので」

「ふむ…」

「あら、殿はネコ殿に嫉妬しているのかしら。大丈夫ですよ、ネコ殿を男として見ていませんから」

「馬鹿を言え」

 信長は笑い

「しかし久しぶりに儂に『いいえ』と言う男を見た。彼奴、見かけは虫も殺さぬ男に見えるが内に隆家譲りの戦神が宿っている。伊丹では儂に間違っていると抜かしよった。陪臣とは申せ、今後も儂に噛みつく男となるやもな」

「そのくらいの胆力が無ければ用いる価値もございませぬ」

「確かにな、あっはははは!」

 

 北ノ庄に帰った隆広、不安そうに待つさえに言った。

「大殿に突っぱねてきたよ」

「お前さま…」

「なんだ、そんな顔するな。笑ってくれ、さえの笑顔は百万石だ」

「んもう…」

 涙ぐんでいた目を拭うさえ。

「…ところでお前さま、本日また父の墓が壊されました」

「そうか、なら今から建てに行くぞ」

「…もういいんです」

「よくない。負けるな」

「……」

「今に見ていよ、柴田の徳政で黙らせてやる」

 

 隆広が断言したように景鏡の墓は累計十度破壊されたが、十一回目でその後は壊されることはなかったと云う。

 後日談となるが、それは隆広家臣の石田三成が九頭竜川の治水を成し遂げたのが機となったのだ。隆広は景鏡の描いた九頭竜川地形図を公開し、謀反人景鏡の為政者としての人格を広く伝えたのだ。やがてさえを攻撃していた民たちも短慮を認め、さえに謝罪したと伝えられている。

 

 この景鏡の墓にまつわる一連の騒ぎ、さえにとっては言葉に尽くせぬほどの悔しさの連続であったろうが、この騒動があればこそ、後年に朝倉景鏡は天下人正室の父、天下人柴田明家の義父、大坂幕府二代将軍柴田勝明の祖父としても伝えられることになったのだ。

 

 このままさえが父の名前を秘事とすれば景鏡はただの謀反人で終わってしまったはずだ。さえのこの時の痛みは景鏡が九頭竜川治水に尽力した為政者としての再評価、天下人正室の父、天下人の義父、二代将軍の祖父として歴史に名を残すために必要であったものなのかもしれない。世に裏切り者と呼ばれた男の娘が良人に天下を取らせたのである。戦国期のシンデレラストーリーとも呼ばれる由縁だった。

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